その他・ここのページは 日誌と日頃感じていることを書きます。(近 況)
2023,12,2、京都旅行
2023.11.10.母の誕生日(106歳)ビデオ面会

2023.6.18.前大潟村村長宮田正キ、出版記念パーティー
2023.4.8.叔母宮田タキ死去(百三歳)
2022.9.27.中国語講座講師、芳賀敬死去(百歳)
2021.10.5. 従兄弟梅田洋一、死去
2021.3.25,~28. 高知、足摺岬旅行
2020.11.15. 秋田病院付属老人保健施設、家族懇談会出席
.
2020.10.13 佐々木千賀子夫妻招待
2020.11.阿仁合駅舎訪問
2020.10.5.畑が面白い、大根の成長を観察、長芋堀
.2020.10.1.介護度変更願提出
2020.9.1. 入院後1年経過、要支援1と判定
2020.8.24. 退院後、自宅生活3か月経過
2020.5.1 自宅で生活が始まる。
2020.4.9.中国語講座開講式
2020.3.19.中国語講座閉講式
2020.3..5.中国語講座へ初めて出席
2020.2.25. 同センター退院、要介護2、ホテル生活始まる。
2019.11.10. 母は 百弐歳を迎える。
2019.9.1. 秋田県立循環器脳脊椎センター入院
2019.6.7. 鈴木空如の法隆寺金堂壁画、模写展見学(大仙市太田文化プラザ22)
2019.3.27~29. 東京、日本橋、泉岳寺、品川、講道館
2018.11.10. 母は 百壱歳を迎える。
2018.10.21~22. 堺市、大仙古墳、与謝野晶子、千利休遺跡見学
2018.9.17. 大曲、払田の柵見学

2018.8.17.宮田忠五郎叔父死去
2018.7.24. 投資信託について、銀行に不信
2018.7.1. 宮田忠三郎叔父の墓参
2018.6.27. 秋銀株主総会に参加
2018.3.12. MUFJ経済セミナーに参加
2018.1.12.秋田市、大阪王将店、餃子を食べる。
2017.12.5~6. 札幌市旅行,イオン懇談会
2017.11.10. 母は 100歳にて、市長より、表彰を受ける。
2017.10.14.  森吉山ゴンドラと田沢湖遊覧船
2017.9.15. 母キン、百歳で、国より 祝い状を受ける。
2017.7.15. 花巻市博物館で、「多田等観展」見学、
2017.6.24~26. 高砂、大阪の旅
2017.6.15. 「共謀罪法」成立
2017.5.25. NHK通信講座、古文書基礎、修了証書届く。
2017.4.25. 北朝鮮緊張
2017.3.31. 所感 
2017.2.5~12 インド旅行
2017.1.4. 秋田県海岸に風車が並ぶ
2016.12.20~22. 横浜、飛鳥、横須賀の旅
2016.11.20. 中島みゆき 「地上の星」の歌詞に感動
2016.10.22. 母 梅田キン 白寿の会       mushinone
2016.10.15~16 伊勢、名古屋の旅
2016.9.24~25 柏崎旅行
2016.7.1. ダッカのテロは 無念
2016.5.24. 長岐純一氏と再会
2016.5.15. 曽祖父梅田幸七の「道中止宿帳」古文書解読
2016.5.10. 北朝鮮労働党大会
2016.4.29. 佐藤勝巳氏、退院見舞
2016.4.8~9 本郷英世 一周忌、交通の利便性
2016.2.26. 魁新報社の「ベトナム旅行」に参加
2016.2.8. 吉成 崇氏逝去
2015.11.10~12 防府、大阪の旅
2015.10~11 「小西チヨ」自伝を魁に掲載。
2015.7.29. 亡き妻保子の一周忌
2015.4.12. 本郷英世 死去 14~16 上京
2015.3.22~23. 東京旅行 スカイツリー駅見学
2015.2.14~16. 東京旅行(目黒天空庭園、川崎大師)
2015.1.20. 大寒 シンビジュウ−ム花 七輪咲く。シクラメン、君子蘭咲く2/18
2015.1.1. 神社への参拝のない元旦だ。
2014.7.29. 妻保子、十二指腸乳頭部癌にて、死去
2014.3.28~31 四国めぐり
2014.3.3~4. 北羽新報に「シンガポールひとり旅」を掲載
2014.1.15~20 シンガポールひとり旅
2014.1.6. パソコンHP 移動
2013.12.26.安倍首相 靖国神社参拝
2013.12.1~3 小田原城、大宮の旅
2013.11.12. 中国 18期 3中総終了 hp9955
2013.9.29. バス旅行(酒田の梨狩りと温海温泉「たちばなや」)
2013.8.30. 能代駅玄関新装畠町東側融雪歩道完成 大型七夕登場  
2013.8.3. 神田明神を見学
2013.8.2. 高輪の泉岳寺、築地の本願寺見学
2013.6.12~16. 宮田紘孝氏「ストーンアート」展覧会
2013.4.26. 勝子叔母様と讃岐谷家のお墓を参詣
2013.4.2~5 大阪の旅
2013.1.17~21. ミャンマーの旅
2013.1.1. 日吉神社参拝
2012.12.1.秋田市従姉死去弔問
2012.9.3. 人間ドッグ
2012.8.31~10.23. 妻、保子十二指腸潰瘍にて入院
2012.6.28. 退職教職員のバス旅行(県南行き)参加
2012.6.22. 野中ちえ先生葬儀参列
2012.6.18. 片岡鶴太郎展「艶葉樹」鑑賞
2012.5.19.~23 青島(チンタオ)の旅
2012.4.8. 秋田市の親戚、お見舞い、きららアーバン、市立病院
2012.2.20~24. 与那国島へ「にっぽん丸」に乗って                    旬の食
2011.12.2. 魁の詩 「アレルギーから 」
2011.11.5.~7. 東京の親戚見舞いと新潟の友人への弔問
2011.10.7. 坂田運一郎先生死去
2011.9.27~10.2.京都、伏見、高山、乗鞍高原、畳平、西穂高口、木曽福島、寝覚床を旅行
2011.5.14. さきがけ読者委員会全体会議に出席
2011.3.12. 福島第一原発 1号機水素爆発、3.14. 第一原発 3号機水素爆発
2011.3.11.14h.46m 東日本巨大地震発生M 9.0 東北太平洋側大津波死者 1万人規模
2011.3.9. 米誌「フォーブス」 2011年版「世界長者番付」発表
2011.3.1. 京大入試事件
2011.2.28. 秋田市叔母死去火葬、3.1.葬儀 出席
2011.1.11~16. 「八重山、宮古 8島めぐみ」
2010.10.22. 秋大ソルベント会誌へ寄稿
2010.10.10. 「二酸化炭素温暖化説の崩壊」を購読す
2010.8.31~9.3 飛鳥Uで、ウラジオストックへ(1,2)
2010.8.6~7 役七夕参加
2010.8.1. 「死因不明社会」を購読す
2010.2.3. ~ 7. 香港(Hong Kong) Free Tour
2009.12.1. 坂本辰夫個展(銀座 4丁目角)鑑賞
2009.11.27~30. 上海、蘇州、杭州の旅、リニアモーターカー、新幹線 
209.10.30. 午前 9時20分頃、能代市浅内地区で、竜巻発生
2009.10.4~7 東京、横浜を見学
2009.5.29. 弟の分骨を西光寺に納骨
2009.2.5~8 台湾の新幹線に乗る
2008.12.14~16 柏市往復(弟の49日法要、納骨)
2008.11.25~30 柏市往復(弟の葬儀)
2008.11.18~20. 柏市往復(弟の見舞い)
2008.11.1~3. 東京往復(弟の見舞い)
2008.8.13~14 東京往復(弟の見舞い)
2008.7.31~8.4 ボロブドールとバリ島
2008.6.25~7.2. トルコの旅
2008.5.26~28 名古屋の旅、徳川美術館、二葉館
2008.5.13. 能代駅にエレベーター設置要望書提出
2008.5.6. 能代高校同期生、本庄敬雄、鈴木保両君と卒業以来の対面。
2008.3.25~30.  ハワイ 真珠湾 アリゾナ記念館見学
2008.3.4. 恩師小野田亮一の葬儀(秋田市)
2008.3.3. 県がん対策(案)についての意見書提出
2008.2.9. 秋田県がん医療懇話会、県庁第二庁舎
2007.11.13,14. 用事にて 上京する。
2007.11.9. 「羽州街道探訪会」に参加。今回は 三倉鼻から鵜川まで。
2007.10.20. ぽーぽーという果物が豊作
2007.7.15~22. 中欧(ブダペスト、プラスチラバ、プラハ、ウィーン)の旅
2007.7.11. 「4万 3千円の増税」の通知がきた。
2007.4.30~5.5. 「洛陽、鄭州、西安の旅」に便乗させてもらう。
2007.3.10~12. 東京へ、脳梗塞を全快した同級生を慰問する。
2007.2.10~14. LOOKJTB グアム秋田チャーター便に参加
2006.9.6~10. ツアー「成都の旅」に便乗させてもらう。
2006.8.4. 県医療安全推進協議会、県議会大会議室にてに、出席。今回は3回目である。
2006.7.30. 中日友好協会主催 在日中国研修生との交流事業に参加 朝6時 落合浜にて、
2006.7.1~7. 「秋田・モンゴル友好の旅 7日間」に参加
2006.6.4. 昨年から出会い系のメールが送られてくるようになった。全然申込んでいないのに、さも申込んだ ように
      送られてくる。ウイルスの恐れがあるとのことで、メールを開くことはない。メールのプロパテイを覗いて
       見ると、hotmail や yahoo や NTTの ocn が多い。もし出会い系の方で、このHPを見てる方がありま
     したら、メールのプロパテイを開いて、発信者のメールアドレスを確認してから、めーるを送ってほしい。
      というのは 他人のメールアドレスを勝手に使用して、メールを発信している輩がはびこっているからで
       す。お陰で、毎日、20通とかの不要な出会い系メールを削除してから、必要なメールを読んでいる日々
      が続いています。これを防止するには このようなメールを送っているユーザーを黙認しているプロバ
      イダーを罰する法律が成立することです。
2006.4.13~15 ツアー「隠岐の島と出雲大社の旅」に参加
2006.2.9~12 フリーツアー「直行チャーター便で行くサイパン」に参加。
2005.12.7~11 ツアー「台湾ぐるり周遊の旅」に参加。
2005.11.12~16 ツアーで 「北京.西安の旅」に参加。
2005.11.6~7 作並温泉へ
2005.8.6. 役七夕(新若)に参加
2005.6.29. 最新式のPET CT 検査を受検する。   
   6.28. 大館能代空港より、初搭乗して上京す
2005.6.7. 県医療安全推進協議会に出席(委員7名、医務薬事課職員9名)
      医療安全支援センターに持ち込まれた相談をについて検討、処理した。
2005.5.3~8 マカオ、深せん、香港の旅
2005.4.20. 柳町新道の電線の地中化工事完成。
2005.4.3~8. 吉野、飛鳥、奈良の旅
2005.3.10.国政モニター依頼状を受け取る。
      平成17年4月1日から平成18年3月31日まで、内閣府のモニターをやることになった。
2005.2.5~9 タイの世界遺産スコータイを中心にチェンマイ、バンコクを見学。
2005.1.20. 新しい年は明けました。
       新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事。であってほしい。
    1.16.付けで、秋田県医療審議会委員に任命するという辞令を受け取った。通常は委員の場合は
    任命でなく、委嘱というのでないだろうか。でも知事の場合は任命なのでしょう。
11/13 6/20、当選した「ホテルペア宿泊招待券」を持参して、男鹿グランドホテルに妻と共にやってきた。
    フロントで、「ホテルペア宿泊招待券」を提示したら、新館を取っているとのことで喜んだ。予約したときは
    当日は土曜日で新館は満員で、旧館しか空いていないとのことだったからです。仲居さんが案内してくれた
    お部屋は 701号室だった。その部屋は障子を開けると、男鹿の荒々しい海が一望できた。北に向う客船
    が見えた。夕食は大きいズワイカニ一匹ついた、食べきれないものだった。風呂は大きく、泳ぐことがで
    きた。露天やサウナもあった。翌日、私は久ぶりにリラックスして朝風呂を頂いた。ホテルを出てから
    新装開館した水族館「GAO」を見学して、半島を回り、船川から、脇本の大学の時の友人宅を訪問した。
    女房孝行ができ、旧友に会えた良い日々でした。
10/17 亡き父の分骨を東本願寺に納骨、兄弟姉妹とその連れ合いの一行十名です。
     阿弥陀堂で、読経をいただき、焼香した。当日午前の部、全国から納骨は 60柱位、参拝者 300名位。
     終了後、十年ぶりの京都観光でした。私は 上賀茂神社、鞍馬山、貴船神社の定期観光バスに乗り、
     鞍馬本殿から貴船神社までの山道を 50分かけて歩いた。天気は好かったが 鞍馬山で熊を見かけた
     との情報があり、山道は整備されていたが 当日出会った徒歩者は 12名位だ。
10/2 能代北高校創立90周年記念式典
    私は 永年勤続功労者の代表として壇上に上がり、校長より表彰を受けた。退職後、のんびり過ごして
    いたので久しぶりの緊張した一瞬でした。その後、卒業生で、前校長の芳賀京子さんのすばらしい講演、
    その後懐かしい旧職員や現職員、知人との語らいの祝賀会、楽しい時間でした。
7/18^21 ハバロフスク、サハリンの旅、  内容は 「その他」の旅の中に書いてあります。

 中国語講座講師を始める。講師が不都合のためピンチヘッター 4/15
 まだ会話ができない自分にできるだろうか。しかし今は CD リピーターという学習機があるので、発音は
 CDを用いて行っている。現在の語学学習は CD があり、格段に便利になった。
 また、4月より 週1回、帰国中国人老夫婦に日本語を教えることになった。会話ができないので、質問は筆談に
 なっている。簡単な文章の読み書きができるので、役立っている。中国人夫婦は別姓と聞いていたが
 今は実感している。中国語も日本語もボランティアである。5/12  
 
 ウイルス感染 2004.1.5.
  私のパソコンがウイルスに攻撃を受け、感染した。したがって、1/5 ~ 1/9 までに 私にメールをくれた方は 
  読めずにサーバのコンピューターより削除されました。もし、メールをくれた方がありましたら再度お願いします。
  もし、急ぎの方は電話をお願いします。雪のないのどかな正月の出来事でした。

 近感 2003.5.5.

 昨年、小泉首相が北朝鮮を訪問し、金正日総書記が拉致を認め、5名の日本人を返してくれた。
 このときから近くて遠い国、北朝鮮の各分野の報道がされ、驚くことばかりであった。
 拉致、工作船で日本のやくざに覚醒剤の販売、偽造パスポートで金正日の息子正男が不法入国、退去、
 出身成分による差別社会の実態、平壌市以外の貧しい生活、ビール瓶点滴、体制に反する意見を言うと、
 強制収容所送りとなり、非人間的生活が待っている。子供は人質として管理されている。
 そして金正日一家(ロイヤルファミリー)の世襲政権。
 こんな社会主義というのがあったのだろうか。そして他の社会主義国はこれを見て、存在させている。
 こんな実態を毎日見せられてくると、日本の社会主義政党は大きなダメージを受けるであろう。
 社会主義は 計画経済と聴いていたが 資本主義国に食糧や重油を要求するのはおかしいと思う。
 そして民主集中制というのもスターリン社会と同様 金正日の考えに反する意見の持主は収容所生活が
 待っているだけで、独裁政権だから三権分立もないのである。国連の食糧援助は 核やミサイル開発に
 役立つだけで、地方の人民には行き渡らないという。

 厚生労働省のモニターとなる。 2003.4.1.

 ケミテックテクニカル監査役になる。  2002.11.1.

 
能代港 4万トン岸壁に 「飛鳥」が入港  2002.9.5.

 5日朝、北海道留萌港から乗客528名を乗せてやってきた。能代港から、1.能代市内コース、2.男鹿半島
 コース、3.田沢湖、角館コース に分かれて、観光し、そして夕方 6時には また豪華客船飛鳥は能代港
 をあとに帰途についた。
 かって栄えた能代港町 「今宵出船か お名残惜しや 暗い波間に雪が散る 船は見えねど別れの小唄に
 沖じゃ千鳥も泣くぞいな 今鳴る汽笛は 出船の合図 無事で着いたら便りをくりゃれ 暗い淋しいひ影の
 下で涙ながらに読もうもの」と 詩人勝田香月が詠んだ。そんな想いをもつ能代衆は少なくなったが 
 いつの日か、こんな客船の行き交う町になってもらいたい。写真は はまなす画廊を前にした客船「飛鳥」

 

 秋田県のインターネットモニターとなる。 2002.4.1.

 田子の浦の「富士山」を拝顔   2001.11.24.
 百人一首の第四番目の歌に、山部赤人の「田子の浦にうちいでて見れば白妙の富士の高嶺に
 雪はふりつつ」がある。中国や台湾に行く時、飛行機から見える「富士山」は 「桜」とともに

 日本人の憧れである。しかし富士山は現在は建物の陰になり、その全貌は見えにくい。しかし
 田子の浦から西伊豆の土肥に向かうフェリーからは良く見える。山部赤人の感動が伝わってくる。
 しかし土肥から田子の浦に向かうフェリーからはフェリーの構造上良く見えないことをここに
 記録しておきます。また、波間の富士は
西伊豆の戸田から見た富士と思います。土肥からはよく
 見えません。デジカメ写真に田子の浦の「富士山」を載せておきます。 
    
    
  

 映画「葫廬島大遣返」を見る。  2001.8.25.
  これは 旧満州国(現中国東北部)からの引揚者のドキュメンタリーである。
 国弘威雄氏が 自分の家を抵当にして、銀行から借金して、制作、脚本、演出、監督して、
 そして主演している、手作りの映画である。
 彼は 昭和21,22年、旧満州から約140万人の引き揚げの概要を映画にしておきたかったという。 彼の強い信念が実現した。満州で生まれ、育った国弘氏の心境を知った。
 引き揚げの話を聞くことは これまで何度かあった。しかしそのときの中国の港が「葫廬島」だ
 ということは 今回初めて知った。昭和20年頃の写真が出てくるので、この映画は歴史的資料
 として価値あるものになると思った。
 また国弘氏は NHKの「大地の子」は 日中合同制作で、日本では大きな反響を呼んだが
 中国では公開されていないと話してくれた。今の中国には 日本から莫大な援助で建設された
施設が沢山あるが しかし中国の人々にはほとんど知らされていない。そんな面がある。


   虫の声とあげたのは ひとつには昔は農薬がなくて、夏の昼は 蝉の声、夜は コオロギの声など   に囲まれて暮らしたように思います。しかし、今は忙しくなったのか、農薬で昆虫達が少なくなっていたのか、しばらく忘れていました。だが、ここ風の松原の近くは 昔と同じように、夏の昼は
   蝉の声、夜は コオロギの声が聞こえる。
(1998.9.1.)

     Version up  して、BGM としました。  
       
     コオロギの声、私のパソコンでは よく聞こえるが あなたのパソコンでも聞こえるでしょうか。

 芹 洋子 コンサート

 2000.9.6. 私は 文化会館にでかけた。
 一ヶ月前、芹 洋子が能代に来るのでと、コンサートの
 希望者の募集があった。無料だったので、申し込んだ。
 そのはがきに、「坊がつる讃歌」を聴いてみたいと書いた。
 今日、午後6時30分、開演した。
 歌いながら現れた、芹 洋子さんは「坊がつる讃歌」は
 九州の山の歌だが、実は広島の歌でした。この歌は
 広島大学の山岳部の歌で、原爆の閃光をくぐりぬけて
 歌え継がれてきた歌ですと紹介して、最初に歌ってくれた。
 私は 感激し、とても幸せでした。
 芹 洋子さんと今回企画された関係者に心から感謝申し上げます。
 私は この三番が好きです。「四面山なる坊がつる、夏はキャンプの
 火を囲み、夜空を仰ぐ山男、無我を悟るは この時ぞ」
 芹 洋子さんは 中国には 12回も出かけ、歌ったという。
 今は ベトナムで「四季の歌」が流行っていて、行ってみたいと
 おっしゃっていました。   

 2000.12.30. 「大地の子」の感想
 年の暮れ、NHKテレビで 
「大地の子」(山崎豊子原作)を見た。旧満州の残留孤児が
 不合理な人生を送る姿が描かれていて、涙した。
 同じ山崎豊子原作の「不毛地帯」も夜を徹して読んだ。これは 旧帝国陸軍の参謀の人生を
 描いていた。この主人公の参謀の実名は瀬島龍三である。この方の著「幾山河」も、夜を徹し
 て読んだ。彼のソビエト抑留後の活躍、土光臨調の仕事など描かれていた。
 この伝説の人物、瀬島龍三のお孫に当たる緒方佐代子さんが 白神インターネット一周年行事
 のとき、来能され、お会いし、龍三様の消息を伺ったことがあった。また、山崎豊子は 盗作と
 騒がれたが、この「大地の子」の執筆により、その実力と名誉回復がなされたと思う。
 
追記。緒方佐代子さんにお会いしたお蔭で、瀬島龍三様に依頼して、色紙を書いて戴いた。
     大切にしたいと思っている。2002.6.

 

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