トルコの旅

日程 2008.6.25~7.2.
   6.24. 秋田市 1泊
   6.25. 秋田空港発 7:25 ANA872 席10E 羽田着 8:50 リムジン羽田発 8:50 成田空港着 10:05
       成田空港発 12:50 TK 51 第一旅客ターミナル南ウイングゲート 34 席28A
       イスタンブールアタチュルク国際空港 19:40 (トルコ時間) 滞空時間 12 時間
       空港発 20:10 (バス 添乗員 白石 ガイド ヤシャブさん 運転手 ネヒル
       ホテルアジィエード着 20:1 617号室  空港で両替 1万円 102.125 YTL (トルコリラ)
   6.26. ホテル発 8:00 テキルダ 10:18 (15分休憩) ゲリボル( 昼食 鯖焼き) フェーリー発 13:10
       ラプセキ着 13:42 トロイ (14:30~15:45) アイワイク着 18:30 
       アイワイクビーチホテル 182号 コテージ型
   6.27. ホテル発 8:00  ベルガマ(8:40 宝石店AGAD 9:50 発) イズミール エフェソス観光(13:30
       ~14:30) アルテミス神殿 (14:40~14:45) ナズリ (16:10~16:30 休憩) パムカレ着 19:05
       ヒェラポリス(ベルガモン王国)、石灰棚 20:15 発 ホテルリュカスリバー 4210 号
   6.28. ホテル発 7:00 デナール(8:15~9:15 休憩) チャイ(11:15~12:00 昼食) コンヤ(トルコ古都)
       アラアッデンモスク(外観のみ)14:05 カラタイ神学校(14:10~14:20) メヴェラーナ博物館
        (14:25~15:25) アクサライ カッパドキア着19:10  ディンレルホテル(ユルギャップ) 235号            夕食(19:35~20:15) ベリーダンスショー見学
   6.29. ホテル発 8:00 カイマルク地下都市(8:30~9:10) 妖精の煙突、鳩の谷、三角岩(10:00~10:20)
       ギョレメの谷(伸びるアイスクリーム)、洞窟の住居(10:40~11:15)、ジュウタン工房(11:20~12:40)
       昼食( ~13:15) ワインの試飲(Durasanワイン~13:15) キノコ岩、三姉妹の岩 (~13:40)
       デヴェレントの岩、ラクダ岩  カイセリ(17:30~18:45 夕食) カイセリ空港発 20:25 TK265 席14B
       イスタンブール着 22:03 22:40発 アクギュンイスタンブールホテル着23:00 415号
   6.30. ボスホラス海峡クルーズ(9:20~10:50 オープション 7,000円 90分 貸切) イスティクラール通り、
       そして、昼食 (12:05~12:55 中華料理) ピッポドローム (13:15~13:55) ブルーモス(14:00~14:30)
       トプカプ宮殿 (14:50~16:40) グランドバザール(16:45~17:35) 夕食 (18:00~19:00 さば) 
       アクギュンイスタンブールホテル着 19:30:
   7.1.  ホテル発 9:30 アヤソフィア (10:00~11:00) リュテスムパシャモスク (11:30~11:45) イェニモスク
       (11:50~12:00) エジプシャンバザール(12:00~12:45) 昼食(12:50~13:45 サバサンド) 
       イスタンブール国際空港着 14:30 空港 208ゲート発 17:10 (日本時間 23:10) TK 050 席30B
       成田空港着 11:00 羽田行きリムジン(11:50~12:00) 羽田発 15:30 JAL1265 席14A
       秋田空港着 16:35 秋田駅行きリムジン(16:40~1720) 秋田駅発能代行き高速バス(17:30~18:50)

 航行について、(行き)
     地球の回転速度による、航空機の速度に与える影響を最少にするように、北極を回ってゆく。
     成田空港から北へ、霞ヶ浦、猪苗代湖、酒田港より日本海へ出て、北上し男鹿半島の西、能代の海を
     北上し、奥尻島より、ハバロフスクへ、ウランウデの北を通り、バイカル湖を横断し、クラスノヤルスクの     北、ノヴォシビルスク、オムスク、チュリャビンスク、ウファ、サマーラ、ヴォルゴグラード、ロストフそして
     アゾフ海、黒海の北側を通り、オデッサより南下し、マルマラ海へ入り、北上してイスタンブール空港に。
     (帰り)
     イスタンブールより黒海に出て、黒海の南岸を東進し、トビリシを通り、カスピ海を横断し、トルクメニスタ     ン、アラル海を横断し、Yumenの北を通り、成都の北のモンゴルを通り、北京の東を通過、天津より渤海
     、黄海、山東半島の北側を東進し、仁川より、朝鮮半島を横断して日本海へ、鳥取付近より、日本上空     へ、駿河湾より太平洋へ大島の北を通り、成田へ。東進のときは 地球の回転速度を最大にするため、
     同緯度を東進している。高度は 約 1万m位である。
 トロイについて
    ホメロスの叙事詩で、有名なトロイ戦争、絶世の美女ヘレネをめぐる戦争、そして戦争に使用された木馬    (トロイの木馬)、それを発掘したドイツのシュリーマン。トロイ戦争は紀元前 1200年頃、ホメロスが叙事     詩を詠んだのが紀元前 800年頃、そしてシュリーマンが 1871~73年にヒサルルクの丘を発掘し、発見。
    プリアモスの財宝をドイツに持って行ったとのこと。遺跡は 9層になっていて、古い順に第 1市が紀元前
    3000~2500年、第 2市は紀元前 2500~2200年、シュリーマンはプリアモスの財宝を発見しているので、こ    こをトロイと考えたが 彼の死後 考古学者は 第 7市がトロイと断定した。第 6市は紀元 1800~1300年、   、第 8市は紀元前 700年頃、第 9市はローマ時代と推定される。トロイやこの南にあるトルコ第三の都市    イズミールはエーゲ海に面していて、東洋と西洋の接点で、混血よるのか、美女が多い。トルコ美人コン    テスト代表はイズミール周辺という。 
 エフェソス遺跡  ローマ時代の都市、この中の「聖母マリア教会」は 431年と 449年に宗教会議が開催され、
     キリストの神性とマリアの聖性について激論が交わされたという。クレテス通りのケルスス図書館はす     ばらしい。この向側に娼館があり、その裏の公衆水洗トイレは現在のトイレの原型でないだろうか。次      のマーブル通りには 大劇場があり、大観客席は直径 154m、高さ 38mの半円形で、2万 4千人が収      容できる。現在でも使用可能だが外国人指揮者などの宣伝効果の多いときのみ、国が許可するという。    この大劇場を北上すると、左手に「聖母マリア教会」かある。このエフェソスはセルチュクの中心より、      3km位離れている。アルテミス神殿跡はセルチュクの中心より 1km位離れている。アルテミス女神の神     殿で、高さ 19m、直径 1.2mの円柱 127本から出来ていたが 今はその 1本のみ残っている。
 ヒエラポリスの遺跡  ベルガモン王国の遺跡で、紀元前 190年からで、ローマ、ビザンチン時代まで続き、セ     ルジュクトルコにより滅ぼされた。この遺跡は粗く掘り出されただけで、トロイのように整理されていない     。石灰棚は 段々畑のようになっていて、その水は美しく、更に夕日の当たった色はすばらしいという。
 コンヤ  セルジュクトルコの古都で、旋舞教団として知られるイスラーム神秘主義の一派メヴレヴィー教団の     モスクであったが創始者の死後、1925年にアタテュルクの命令で、博物館として一般公開された。
 カッパドキア
     
 カイマルク地下都市  紀元前 400年頃の記録があり、一時はアラブ人から逃れたキリスト教徒が住んだと言     われ地下 8階まであり、内部には通気孔は各階に通じ、礼拝堂、教壇、寝室、厨房、食料庫などあり、     2万人が暮らしていたという。、
 三本のキノコ岩(パシャバー地区) キノコの傘の部分は茶色で、柄の部分は黄白色。これは凝灰岩の風化の
     度合いによるが 天然の妙である。この外、ラクダ岩、三角岩など奇岩が多い。アヴァノス地区には ガ     ーリップ氏が工房を開いている。瀬戸物を購入した方にはサインをして、同氏と写真撮影していた。
     DURASAN の販売所、ジュウタン工房もあり、直売もしている。
 ボスボラス海峡クルーズ ガラタ橋の袂から出発、北上する。右岸には賢い美女の町ウスキュダラが見える。
     両岸の町を見ながらボスボラス大橋にいたり、更に北上すると、第二大橋に到る。この橋には日本の      ODAが投入され、日本の技術者が多数参加した。という。更に北上すると、黒海に到る。しかし船はここ     から引き返した。ここから戻ると、マルマラ海そしてやがて地中海に到る。このボスボラス海峡の東がア     ジアそして西がヨーロッパであり、東洋と西洋ということになる。アジアの西端を航行する感傷があり、シ     ャッターを切っていた。
 イスティクラール通り  新市街地で、ガラタ橋を渡ったデュネル駅からガラタサライ地区そしてタクスィム広場       までのトラム線路沿い、ハイセンスの店が続く、歩行者天国も実施している。
 ピッポドロム ブルーモスクの近くにある。二本オベリスクと青銅製の柱があり、ここはかってはローマ時代の
      大競技場の跡で、南側のきれいな一本オビリスクは テオドシウス一世のもので、はるばるエジプト       のカルナック神殿からローマ皇帝により運ばれたものという。この石柱は 25.6mだ。この石柱には
      エジプトの絵文字が刻まれている。
      
 ブルーモスク(スルタンアフメットモスク) 大きなドームと鉛筆型のミーナレをもつ、トルコを代表するイスラム寺      院、大ドーム四つの副ドーム、30の小ドーム、6本のミナーレ(尖塔)をもつ、世界でも珍しい。2万枚の      青いタイルにステンドグラスからの光により、青が映えるので ブルーモスクと呼ばれている。
 トプカプ宮殿  三大陸を制したオスマン朝スルタンの居城で、その栄華を今に伝えている。金角湾、ボスポラ      ス海峡、マルマラ海に囲まれている。宝物は多い。86カラットのスプーン屋のダイヤや重さ 3kgの世界      最大のエメラルドなど展示されている。
 グランドバザール  旧市街地の中心にあり、約 4,400軒の店があり、貴金属、カーペット、布地、衣類、皮製      品が販売されている。しかし、私達男には 50分の時間をもてあました。
 アヤソフィア博物館  トプカプ宮殿の近くにある。ギリシャ正教の大本山として君臨していたが 1453年にコン      スタンティノーブルが陥落すると、スルタン・メフメット2世により、モスクに変えられた。壁の内部から       聖母マリア、ヨハネ、キリストのモザイク画があらわれ、展示している。
 リュステム・パシャ・モスク  ガラタ橋の近くにある。1500年後半だけ使用された、イズニック・スタイルの宰相      リュステム・パシャのモスク
 イェニ・モスク  ガラタ橋の袂、エジプシャンバザールの隣にある。1598年にムラト 3世の妻、サーフィェ・スル      タンにより、建造された。大きなドームとそれを囲む小さいドームのバランスが非常に美しい。
 エジプシャン・バザール  内部には 100位の店があり、香辛料、乾物を扱う店が多い。

  感 想  トルコは親日的な国であることが分った。それは日露戦争にまつわる。トルコ人が串本沖で遭難し        た時、それを救ったり、鄭重に葬ったりしたことを トルコの教科書に掲載されているという。トルコ        人はモンゴロイドで、アラブ人とは異なり、、イスラム教についても政教分離を実施している。トルコ        語は 文法的に語順など、日本語と似ている。あと、第一次世界大戦で、ドイツに味方し、イラク、         シリア、ヨルダンを失った。
  
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日本周辺国、その他  

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