役七夕 2

2010年 7月29日 新若鯱入魂式、新若会所(実家向いの淡路駐車場) 折り詰めにて懇談。
     8月 1 日 新若会所開き、日吉神社の御幣設置 役付は 浴衣、黒羽織、白足袋、白草履にて、
     8月 6日 2時、会所集合、2時30分、出陣式(参拝、写真撮影、町内回りして、柳町へ)
     8月 7日 4時、会所集合、4時30分、柳町へ出発
           8/6, 8/7 の回遊コースは 5年前と同じ

感想  今回、参加して、5年に 1度の役七夕の意味を感じることとなった。
  1.町内の人々の動静だ。5年前、元気で参加した方の姿が見えない。亡くなった人、淡路恒友、山木弘一
   倒産して、引っ越して参加できない塚本浩三、老衰して参加できない塚本一雄等。
   老齢に近づいている自分は 5年後に参加できるだろうかと感じた。
   淡路利行、山木泰正、塚本民雄、能登 豊、八代など、活躍して世代交代を感じた。(敬称は略) これら    の方々と会話することにより、これらの人々と知り合うことが出る貴重な機会だ。
  2.加勢している町内を回ると、その町内の女性や老人は 家の前に縁台を用意して、そこに腰掛けて、七    夕をお迎えする。中には氷水などの差し入れを用意している人もいる。知り合いの家の人々は家の前に
   出ているか、車から見て、その家族の動静を把握するのである。
  3.小学生は田楽持ち、酷暑のため、若い母親が心配して、長休みの時、大丈夫かと声をかけたり、汗を拭   いてやったり、太鼓打ち、笛吹き、引き手は 高校生になっているので、遠くから見守っている。父親は
   一緒に参加しているので、息子に合間に声をかけている。外での親子のふれあいは教育上とてもよい。
   子供は自分の役割を果たすことの大切さを学び、成長してゆく。
  4.昔は7月になると、町内の作業場で、七夕、田楽の製作、太鼓の張替え、笛の囃子練習などやった。
   夏休みになると、毎日、そこに通い、七夕の出来具合を確認したり、七夕の城郭や鯱の作り方を見つめた
   作成者の腕前に尊敬し、将来は自分も作ろうと、心に決めたものだ。鯱づくりは誰が名人だとか、灯篭の
   絵描きは誰が名人だと尊敬を受けたものだ。今は予算の関係で、七夕は保管しておいて使用するので、
   そのような機会はなくなった。それでもこの行事は教育上プラスであり、子供を、大人を育てている。そし   て、愛町心を育んでいる。

   
     H22年 新若                           H22.8.6. ジャスコ横

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