防府の旅

私は小学校の教科書に 雪舟の幼少時の逸話が載っていたことを思い出した。私の記憶が正しければ
雪舟がお寺の小僧さんをしていた時 叱られて、廊下に縛られて、泣いた涙で、足の指で、鼠の絵を
描いた。その絵を見た和尚さんは 真に迫る絵であったので、彼の画才を認めたと言うものだった。
私は 雪舟の作品の実物を見たいと考え、毛利博物館に開帳を確認して、今回拝見した。

日程 
    11/10(火) 秋田空港発 13:10 JAL164便にて、羽田へ 羽田発15:50 ANA697便にて 山口
            宇部空港へ      防府宿泊
    11/11(水)  毛利博物館、周防国分寺、防府天満宮、防府市内を見学
            新山口発 13:40発 のぞみ32号にて 新大阪へ      大阪宿泊
    11/12(木) 伊丹空港発 11:03 ANA1653 便にて、秋田空港へ

1. 毛利博物館  毛利元就といえば 「三本の矢」で、有名
  旧毛利家本邸の正門を入り、大きな庭の中を五分位歩くと、本邸に着く、拝観料は 国宝開催中は
  千円、玄関で 靴を脱ぎ、靴下のまま 廊下や座敷を歩き、見学する。二階の廊下から眺める庭園は
  見事だ。奥の提示室に 雪舟の長巻「四季山水図」16mの中、6m位 公開されていた。今年の公開は
  10/31~12/6 と確認していたからこの日の見学となった。雪舟が明に渡り、墨絵を勉強したことを知った。
  この山水図は 文明18年(1486年)に大内政弘氏の天開図画楼にて描いたとされている。五百年以前に
  描いた墨絵が保存状態よく現存していることに驚いた。山水図の本物の上には 細密高精巧コピーに
  展示していた。これもすばらしかった。絵葉書10枚組の「山水長巻」を購入し、確認した。松、岩、城、
  その中の人物、町の賑わい、川、橋、舟、帆柱、漁村の船、岩岩の道を歩く人物、すべてよく描かれてい  る。
2. 周防国分寺   天平13年(741年)建立
  南大門跡から仁王門をくぐり、本堂(金堂)の前で、礼拝していたら、女性係員が「拝観しますか」と、「する   」と言ったら、奥の庫裏に連絡してくれた。しばらくして、本堂の扉が開き、若い僧が出てきた。靴を脱い  で、中に入り、拝観料 500円支払うと、テープレコーダーで 国分寺や本堂の仏像の説明した。
  本尊は 建立時は 釈迦如来だったが 平安期には 薬師如来となり、その左右に月光、日光菩薩が
  中央に安置されていた。更に四天王立像も重要文化財に指定されている。「宝生如来」「隋求菩薩」と、
  初めて見たので、尋ねてみた。若い僧は 満足ゆく説明してくれなかった。
  国分寺の東に毛利邸、西に天満宮と並んでいる。屋敷は天満宮と同じ位だが寂れている。毛利邸は庭園  の手入れを人手をかけている。天満宮は菊展示など行事で賑やかだ。
3.  防府天満宮   延喜4年(904年)創建
  道真公は 昌泰4年(904年) 1月、大宰府に左遷され、防府まで陸地を進んできて、ここから船で九州に
  向った。ここが本州最期の地と思い、「この地未だ帝土を離れず願わくば居をこの所に占めむ」と願ったと
  伝えられている。延喜3年(901年) 2月 無念の死を遂げると 周防の国司は 翌年この天満宮を創建した
  と言われている。全国 12,000社の天神様があるが ここが「扶桑菅廟最初」とされている。
  天満宮は色彩鮮やかに新装されている。お宮に続く長い石段は歴史を感じる。
  天満宮の南に長い参道が伸びていて、門前町だ。この道を歩いてみた。途中、街灯完備の「銀座通り」が  あった。しかし全国共通のシャッター街だ。商店街の半分だ。
4. 防府の町  防府の駅は 北が天神口、南が正面で、イオンがそこにある。天神口より東へ300m進み、
  北へ進むと、天満宮に到る。これは天満宮の門前町であることを示している。
  防府駅は エスカレーターがある。人口は 11.7万人で、能代と同じく、2 時間に1本の電車が走っている。 山陽線も奥羽線と同じだ。しかし奥羽線にはエスカレーターがない。駅も新幹線の駅のように立派だ。
5. 新大阪  新山口から 新幹線のぞみ32号で、1時間 56分だ。新大阪発 15:43 で、大阪駅へ 東梅田
  の標識を頼りに、地下街へ そして谷町線の谷町四丁目まで、そしてアパホテル大阪谷町へ、
  16:20分頃 姪が迎えに来て、谷町四丁目から地下鉄で乗り継いで、難波へ 「がんこ寿司」で、姪夫婦
  と会食、御堂筋、道頓堀を歩き、タクシーで、ホテルに帰る。
  
  防府の旅 (2) に続く。      国内の旅へ戻る
    、