1.目的 曽祖父が 明治22年 全国行脚した時、日本の最西端の宿泊所、高砂と 父が結婚前、
     仕事をしていた大阪を見学する。
2.日程 6/24(土) 秋田空港発13:25 伊丹空港着14:45 蛍池 阪急梅田駅 乗換 阪神梅田駅発
           山陽姫路駅着17:00  姫路市宿泊
     6/25(日) ホテル発8:40 姫路城撮影 JR姫路駅発9:11 赤穂駅9:50 赤穂城跡見学
           赤穂駅、JR姫路駅、乗換、山陽姫路駅発11:23 高砂駅着11:38 高砂神社見学
           高砂駅発12:38 阪神梅田駅着15:00 乗換 西梅田駅 肥後橋駅下車、ホテル確認
           肥後橋駅発、難波駅下車、乗換 JR難波駅発、JR天王寺駅下車、あべのハルカス
           見学、昼食 JR天王寺駅発16:50 JR難波駅 乗換 肥後橋駅下車 宿泊
     6/26(月) 肥後橋駅発 西梅田駅 乗換 JR大阪駅 福島駅下車、関西将棋会館、大淀公園
           福島駅発 JR大阪駅下車、乗換 高槻駅下車12:05 駅前散歩、昼食、高槻駅発、
           JR大阪駅下車、乗換 阪急梅田駅発 蛍池 伊丹空港着14:00 伊丹空港発16:55
           秋田空港着18:10  秋田駅発19:33 東能代着20:23 能代駅着20:30
3. 兵庫県播磨国加古郡高砂南本町 志方屋 横山惣平 これが 幸七が宿泊した場所。
  大阪市西淀川区大仁町 2-84 塚本勇治方に宿泊し、仕事をしていた。大阪府三島郡高槻町古曽部
  463  にも 父は宿泊していた。
4. 考察  曽祖父が どうして、最西端の宿泊所に 高砂の地を選んだのか。高砂と言えば 謡曲の高     砂が有名である。従って、高砂神社には 参拝したであろう。そこで、訪れてみた。しかし参拝客     は 近くの女性だろうか。普段着で参拝し、おみくじを引いていた一名だけだった。神社は名にし
     負う、相生の松、能舞台、住吉の祠など、揃っていた。ここまで来たら、歌舞伎で有名な忠臣蔵、    赤穂城跡を見学したのでないか。赤穂駅の階段には 四十七士の錦絵が描かれている。赤穂      城跡の神社には 四十七士の石像が設置されていた。祭典だったのか。二十人位の人出だ。
     現在は 姫路城が世界遺産になったので、人出が多い。6/24 は ゆかた祭りで、繁盛していた     。姫路城は化粧直しされ、きれいになっていた。
     高砂から、阪神急行で、大阪に向かった。阪神梅田駅から四つ橋線に乗るため、西梅田駅を探     した。わかりにくかった。肥後橋駅前のアパホテルを確認して、四つ橋線で、難波駅下車、乗換     JR難波駅発、JR天王寺駅下車、あべのハルカスを見学、地上60階、地下2階と言うが 展望台     の位置が途中で、最上階まで、登れない。残念だった。12階の「江戸川」と言う店で、遅い昼食      の「うな重」をとった。
     アパホテル肥後橋は 地下鉄肥後橋駅 3番出口の前が ホテルのフロントだった。父が結婚前
     住んでいた大阪市西淀川区大仁町は 現在の福島駅の近くと推定し、41号を北上すると、右手     に、今注目の関西将棋会館があり、更に進むと、左手に大淀中学校の標識があり、右手は公      園になっている。暑かったので、公園のベンチで、避暑し、付近の写真を撮った。それから福島     駅へ引き返した。途中、関西将棋会館に寄ってみた。藤井聡太少年の活躍で、繫盛していた。
     大阪駅から、高槻市へ向う。20分と近い。旧高槻町古曾部は高槻駅からバスで、バス停が駅の
     南口があった。北口の方が近いので、北口の方に時間をかけた。昼だったので、北口の喫茶店     で、今はやりの、ケーキとアイスコーヒーで済ました。食後、コーヒーカップとお盆はセレフで返還
     若い人の気持ちを知った。

さて、伊丹空港へ向うのだが、うまく、接続して、1時間かからず到着した。空港では チエックインを機械でやってみた。そして、携帯電話の充電をやった。それでもゲートで、時間を持て余した。あとは 写真撮影とスマホで、ニュースを見たりだ。搭乗は バスで、飛行機の近くに行き、タラップを登る。秋田空港では ゲートに接続した。秋田駅では17:33の特急。能代駅着10:30 

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高砂、大阪の旅