洛陽、鄭州、西安の旅 1

初めに、お世話になっている「世界トラベル」に寄ったら、加藤社長より、割引中国ツアーがあるとのこと。
聞いてみたら、鄭州、洛陽、西安で、福島空港からのチャーターとのことだった。内容を検討したら、西安の
見学箇所がすべて、一昨年見学したところだったので、もし西安の見学を独自に日本語ガイドと専用車を依頼
できれば参加したいと申し入れたら、了解していただけたので、始まった。

ツアーは日本旅行の企画で、鄭州からの中国人客は満杯ですが、福島空港からのツアー客が少なくて困っているとのことで、青森、秋田、山形、宮城、各県から集められ、能代からの一行(加藤辰彦社長、加藤礼子、田森重昭、田森 史、私達夫婦) 6名は仙台に前泊して、仙台駅からの日本旅行のバスで福島空港へ向かった。

日 程
4/30(月) 仙台駅発 8:30 29名乗車 福島駅発 10:00 11名乗車 郡山駅発 11:00 4名乗車 空港着 11:40
      福島空港(須賀川)発 14:15 CZ6076 鄭州空港着 18:15 乗客 89名を 2台のバスに分乗。
      私達は 2号車で、伊藤まみさんが 添乗員だった。空港発 18:45 興亜建国飯店着 19:25
5/1(火) ホテル発 7:30 少林寺着 9:40 塔林 拳法  昼食 13:20~14:20 関林廟 15:15~16:20
      龍門石窟 16:35~18:20 ショッピング 18:25~18:40 夕食(水席料理) 洛陽牡丹大酒店 17:10~20:30
      華陽広場国際大飯店に宿泊。
5/2(水) ホテル発 8:00 白馬寺 8:50~9:50 窯洞の民族村 10:20~10:35 昼食(三門峡市) 12:30~13:20
      函谷関 13:50~14:40 夕食(餃子づくし 徳発長) 18:00~19:30 西安賓館着 20:25
5/3(木) 独自行動 日本語ガイド 王広順 ホテル発 9:00 香積寺 9:30~10:10 青龍寺 11:00~11:35
      興慶宮公園 11:45~12:00 八路軍紀念館 12:20~12:50 昼食(米寿面荘) 13:00~13:35
      唐大明宮含元殿遺跡 13:50~14:20 陝西歴史博物館 14:53~15:57 ホテル着 16:10
      海星超市(ホテルの左隣のスーパー) 16:30~17:00 ホテル休憩 17:00~20:20 李ガイドお迎え 20:30
      夕食(唐楽宮) 宮廷料理を食べて、踊りを鑑賞 21:30~22:30 ホテル着 23:00
5/4(金) ホテル発 7:35 碑林 8:30~9:30 西の城門 10:00~10:50 昼食(三門峡市) 13:25~14:25
      かく国博物館(通称 車馬抗) 14:40~15:30 夕食(金橋賓館) 19:30~21:07 興亜建国飯店着 21:10
5/5(土) ホテル発 6:35 鄭州空港着 7:05 空港発 8:35 CZ6075便 福島空港着 13:15 (実際は 12:54)
      バス空港発 13:38 郡山駅着 14:20 駅発 14:56(やまびこ55号) 仙台駅着 15:32 駅発 15:38(こま       ち21号) 秋田駅着 18:04 駅発 18:10(快速) 東能代着 19:06 駅発 19:10 能代駅着 19:15
所 感
 1.鄭州空港には 福島から東京、九州、上海の上空を通過して着陸した。激しいにわか雨で、約 1時間位
  滞空した。この雨は埃を少なくしたと感謝された。
 2.少林寺は 鄭州市と洛陽市との中間の、嵩山の麓にある。禅宗の祖という看板が掲げられている。達磨大   師の塑像が山の上に設置されていた。珍しいと思ったのは 塔林である。功績のあった禅僧が亡くなった時
  細長い仏塔が建てられ、その地下に納骨するという。功績が大きいほど高く、大きくなるという。少林寺は
  何といってもその拳法が有名で、この地区の周辺には 学校が沢山あった。拳法の訓練や試合を見学する  と、昔の中国の武術家を思い出した。
  
    少林寺の塔林                          復元された函谷関
 3.龍門石窟は洛陽市の南、伊河の川岸の岩壁に彫られている。北魏時代から唐、宋まで彫り続けられた。
  南北 1Kmにわたり、97,000体以上。代表は奉先寺の廬舎那仏で、唐の則天武后をモデルにしたと言われ、
  奈良の大仏もこれを念頭に造られた。
 4.白馬寺は洛陽市の東にあり、中国最初の仏教寺院で、張継は「宿白馬寺」の漢詩を詠んでいる。入口には
   天竺から経典を運んだという白馬の像が二頭設置され、観光客の撮影ポイントになっている。
 5.函谷関は三門峡市にあり、西安と洛陽を結ぶ難関の地であったと推定される。ここも観光のため復元されて  新しい建物が建立されている。一般の地図には函谷関の名前は記載されていない。新しい観光地図には
  記載されるようになった。孟嘗君が秦から逃げる時、ここで、暗かったが鶏の鳴き声をさせて、関所を開かせ  故事がある。この故事を受けて 清少納言は「逢坂の関はゆるさず」の歌を詠んでいる。ここは老子が書を
  執筆したとのことで「道家の祖」の看板が掲げられていた。「洛陽、鄭州、西安 2」に続く

    「洛陽、鄭州、西安 2」に続く       漢字の故郷へ     最初のページに戻る