洛陽、鄭州、西安 2


6.窯洞の民族村 黄河の流域は黄土で、侵食が進んでいて、階段状にかっている。そこに横穴を掘って、住家に している。この地域には 横穴がバスから沢山見える。見学したところは 20m X 30m の面積で、高さ 15m
 位の穴状の底面に横穴が数個掘られていて、そこを住宅にして生活していた。
7.西安の「徳発長」の餃子、前回もここで、餃子をいただいた。種類が多く、日本人に合うものが選びやすいのだ ろう。この場所は 市内の中心にあり、向かって、右に鐘楼、左に鼓楼がある。
8.香積寺(漢詩ではこうしゃくじと読んでいる) 西安の城を出て、南18kmの辺鄙な林の中にあった。唐の時代、浄 土宗の門徒が善導大師を記念して建立。浄土宗発祥の地として有名。善導大師が記した「観経四帖疏」は 法 然に大きな影響を与えた。1980年、善導大師円寂1300周年を記念して、日本から善導大師像を寄贈された。  創建当時の建物は殆ど焼失し、善導塔だけ残っている。高さ33m 11層の雁塔だ。最上階は崩れている。王維 の詩「過香積寺」がある。ここは質素な寺で宣伝もなく、70才以上の人は入場料無料とのこと。
9.青龍寺 西安市の南東にあり、804年入唐した空海はこの寺の恵果和尚に弟子入り、密教を学んだ。帰国した
 空海は高野山に金剛峰寺を建立し、真言宗を開いた。唐末の戦乱で廃寺になっていたが 1973年に塔の土台
 や殿堂跡が発掘され、その後、空海記念塔や空海・恵果紀念堂が建てられ、1986年には櫻の苗木1000本が
 贈られ、境内に植えられ、春には櫻見客が多いと言う。ただ四国88箇所めぐりの零番と称し、朱印帳を高額で
 販売しているのは感心しない。
10.興慶宮公園 ここは興慶宮という宮殿のあった場所で、阿倍仲麻呂が活躍したとのことで、彼の石碑がある。
  碑の左側には「天の原ふりさけ見れば」という望郷の歌。右側には親交のあった李白の「哭晁衡詩」が刻まれ  ている。晁衡は玄宗が仲麻呂に贈った中国名である。この日は連休で、一般開放日で無料で、ごったがいし  ていた。この中には 宮殿跡の礎石が発見され、柵が張られていた。
11.八路軍記念館 西安駅の近くにある。1937年から1945年8月まで 国共合作の間、合法的共産党機構。敷地  には周恩来、葉剣英の住居跡があり、劉少奇、朱徳、ケ小平などかここを訪れている。スノーの「中国の赤い
  星」やスメドレーの「偉大なる道 朱徳」もここで書かれている。ここは国民党と共産党との連絡場所だった。
  ここも無料開放されていた。でも、見学客はそんなに多くなかった。
12.唐大明宮含元殿跡 ここ唐大明宮の、外国人拝謁の場所 含元殿は 北京故宮の何倍も広かったと言う。
  今その一部が復元作業中で、私達だけのため 特別見学させてくれ、学芸員の説明もあった。1/3位復元した
  宮殿を見ながら 2,3年後は 唐の宮殿跡ということで、日本人観光客の目玉となるだろう。平山郁夫団長も
  協力して復元しているとのことだった。

   
     復元されつつある含元殿                    かく国博物館

13.陝西歴史博物館 大雁塔の近くにあり、先史時代から秦、漢、魏、晋、隋、唐、宋、明、清 各時代の文物が
  陳列されている。台湾の故宮博物館よりはずっと少ない。
14.唐楽宮 2回目ですが 今回は宮廷料理付きで、前から3列目だったので、踊り子の肌まで 良く見えた。
  ここの踊りは 唐代の踊りのつもりだろうが 女子の新体操や日本の雅楽の影響受けている。今回は少林寺
  拳法も入れていた。
15.かく国博物館(通称 車馬抗) 洛陽の隣、三門峡市街地にある。西周時代の遺跡より発掘された車馬軍隊で
  秦の兵馬俑より500年も前の物で、一部は兵馬俑のモデルになったのでないかと感じた。同時に発掘された
  青銅器や玉、金、銀の装飾品はすばらしい。ここも最近オープンしたばかりで、一般の旅行書や地図には記載  されていない。将来、観光の目玉になるであろう。
16.高速道路 今回の旅で、中国の幹線の高速道路はほぼ完成されていると感じた。5日目は西安から鄭州まで
  約700kmを 約 6時間で走ったことになる。モンゴルのような不快感はない。10年前と雲泥の差だ。

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