日程、
7/1 秋田空港発 10:00 ウランバートル空港着 14:35 (新潟、鳥取、ソウル、北京上空を通過)
7/2 チンギスハンホテル発 9:00 1.ザイサン・トルゴイ(モンゴルとソ連は日本帝国とナチスドイツの旗を踏み つけているモザイク壁画がある。1971年建てられた記念碑。)
2.ウランバートル駅(バスより見物) 3.スフ バートル広場(ウランバートル市の中心にある大きな広場。中心には 1921年の人民革命の指導者スフ バートルの騎馬像が建ち、北側には政府庁舎が建っている。) 昼食。
4. チンギスハン村にて、草原祭(タリーン・バヤル)、ミニ・ナーダム(モンゴル相撲、競馬、乗馬体験など)
西馬音内盆踊り、小堀遠州流茶会(井川町担当)、馬頭琴、ホーミー、子供へのお土産贈呈。
5. 交流夕食会(立食パーテー、バヤンホテルにて) 秋田県一行(165名)と、モンゴルの日本友好協会の方
と、秋田の国際教養大学に留学した卒業生達、日本大使館の人々などと交流した。
7/3 8:30 金田勝年外務副大臣がホテルロビーに見送りに来ている。
9:00 ホテル発、1.ノミンデパートで買物 2. ボグドハーン宮殿博物館見学(チベット仏教、第8代活仏、ボク
ドハーンの冬季住居でしたがボクドハーンの持ち物を展示している。) 昼食。
14:25 ウランバートル発、ブルドヘ向かう。悪路 6時間、ブルドツーリストキャンプ(ホヨルザガル)
7/4 10:00 ゲル発 カラコルム(ハラホリン)着 12:15 1.展望台見学(カラコルム市内が展望できる。)
2.市場
見学。3. 遊牧民のゲル訪問(牛乳、馬乳酒、ヨーグルトの回し飲み、嗅ぎタバコ、乗馬、馬乳しぼり)
カラコルムツーリストキャンプ(アナル)宿泊。夜 民族ショウ(馬頭琴、提琴、馬頭琴、三味線、ホーミー
、アクロバット、笛)、西馬音内盆踊り。
7/5 9:00 ゲル発 エルデネゾー宮殿見学( 1.漢民族式の「ゴルワンゾー(三寺) 2.ソブラガ(インド・チベット式
仏舎利塔) 3.ラブラン(チベット式建築)と大講堂、宮殿の周囲は
108の仏塔で囲まれている。
ブルド到着 昼食。 1.ゲル訪問 2.イフモンゴル砂丘ハイキング 3.ラクダ乗り、見学。
バヤンゴビキャンプゲル宿泊
7/6 7:00 ゲル発 ウランバートル着 12:00 昼食
ガンダン寺(チベット仏教寺院、スターリンの急進的左翼思想により、初代大仏は破壊されたが1996
年に再建された。交流夕食会(立食パーテー、ソウルレストランにて)
、チンギスハンホテル宿泊。
7/7 ホテル発 8:00 日本人慰霊碑に参拝。
ホテル発 10:00 空港到着 10:40 離陸 13:30 秋田空港到着 17:35
感想 1.秋田・モンゴル友好の旅7日間、ということで、飛行機の中で、井川町長斎藤正寧団長の挨拶があっ た。7/2のチンギスハン村の文化交流そして交流夕食会。7/6の交流夕食会で、秋田県のモンゴル
関係者、モンゴルの秋田県関係者が一同に会した。留学生達の今後に期待したい。
2. 13世紀、アジア大陸を支配したモンゴル帝国の首都カラコルム(モンゴルではハラホリンと呼んでいる
)しかし、第5代フビライ・ハーンが大都(現在の北京)に遷都してから、急速に寂れた。1586年アバタイ ・ハーンによって、現在の建物が建てられている。正方形の敷地の周りには
108の仏塔をもつ外壁 中央には ソブラガン(インド・チベット様式の白い仏舎利塔)が建っている。ここで写真を撮ってもらっ た。その左側には漢民族様式の「ゴルバン・ゾー(三寺)」がある。これは日本飛鳥寺の配置に似てい る。三寺の名が示す通り、伽藍はバローン・ゾー(西寺)、ゴル・ゾー(中央寺)、ズーン・ゾー(東寺)の三 つに分かれている。また、右側にはチベット様式のラブラン寺と大講堂が並んでいる。1274年、文永 の役、1281年、弘安の役で、フビライ・ハンの襲来を受けた日本人にとって、どんなに怖かったのだ
ろうか。私は幼少の頃、泣いていると、蒙古来ると、言われ、意味は分らなかったが 怖いものと感じ たものだ。
3.遊牧民は羊や山羊、馬、牛を連れて、ゲルで暮らしている。牧草が無くなると、牧草を求めて移動し、 またゲルを組み立て、暮らしている。そんな生活はどうだろうか。ブルドとカラコルムで、ツーリストキャ ンプのゲルに宿泊して見た。不便だったことは シャワー、トイレが少なく、100名につき、3個程度で、 あった。食堂も団体に対応できなくて、時間がかかった。あとカシミヤは山羊の毛の織物で、洗濯が
難しいことのことである。
4.日本人慰霊碑に参拝。モンゴルでは日本人が約1500名が亡くなり、ウランバートル郊外の丘、ダムバ ダルギャーに慰霊碑を建設、2001年10月除幕。参拝して、振り向くと、ウランバートル市内が一望でき る。私がもし、10年早く生まれていたら戦争に駆り出されて、この地で強制労働させられ、故郷を再び 見ることもなく、散って行ったかもしれないと思うと、頭を下げ、合掌した。
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カラコルムのエルデネゾーのソブラガンの前で ツーリストキャンプのゲルの中