平成17年度の議会通信&日記
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平成18年度の議会通信&日記
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2006年6月30日 金曜日
行政の持つ情報公開の目的を理解しない、出来ないとは・・・
 もし、小学生の子どもを持つ母親が、学校給食の安全性について知りたいと思い情報の公開を市に求めたと仮定する。彼女は、たぶん市がどのような情報を保持しているのかわからないだろう。ましてや、学校給食のデータに関する書類名を特定する事は無理だろう。給食の安全性に関することを知りたい旨を伝えたとする。「具体的にどのような書類を知りたいのですか。なんという名のデータを知りたいのですか」と、いきなり尋ねられたら、とまどうだろう。まずは「どのような情報を持っているのだろうか」と、彼女は思っているにちがいない。
 議員とはいえ、市の持っている情報の全てがわかるわけではない。議員の疑問は住民の疑問でもある。ある環境に関する情報を環境部に求めた。こちらは、「どんな情報を持っているのか」を尋ねたが、環境部は新設されたばかりで情報はない、あっても整理が出来ていないとの部長の答えであった。結局、出された情報は、インターネットでたやすく得ることが出来る稚拙な情報であった。ところが、常任委員会である環境産業委員会の委員を通して私の求める情報提供を求めたら(私は建設委員会である)、情報の一部が出てきた。どうして? 求める情報の書類名を伝えないのはわたしの勉強不足が理由であるというのが部長の弁であった。こんな理由では、ほとんどの住民は情報を手にすることはできない。相手の求めている情報を開示しようという誠意がない。行政が持っている書類内容など担当職員でもない限りわかるはずもない。
 また、情報の提供に関して、紙はいいが、電子情報による提供は拒否した。ペーパーレスをうたっていながら、紙にこだわる理由が私には理解できない。電子情報を扱えない議員がいるので、議員には電子情報は提供できないという。公平を保つためという。それならば、情報公開手続きによる開示を求める旨を伝えた。情報公開条例では、情報提供の手段を特定していない。
 行政というものは情報を公開したがらない体質を持っている。だから情報公開条例をわざわざ制定している。住民にとっては知りたい情報に関して、まずは「市はどんな情報を持っているのか」ということ、始まりである。
2006年6月29日 木曜日
会派勉強会
 主に住吉町住宅の木造化についての勉強会であった。斉藤市長は6月定例会の市長説明で、耐用年数が5年も過ぎている住吉町住宅の建て替えを耐火構造(コンクリート RC)で建設したいとのことであった。就任1ヵ月半で、今までの産学官の審議・提言いともたやすく反故にした。
 建設部は市長の意向を受けて、150戸の高層団地建築を主張するのみである。それが、彼らの仕事であり、そのほうが考えなくとも良いので楽である。民間にアイディアを提言させたり、民間に建設させたりの、民間活力を利用して、建設費を大幅に縮小している事例は、全国にたくさんある。
 RC工法での高層団地は建設費が、2階建て木造建築の2倍以上高くなる。今日の、勉強会で、なるほどと思った点は、公営住宅の建設費を安く抑えることがかって建設業界にとって生き残りになるという。1戸3500万円の団地ではなく、一戸1500万円の公営住宅なら、建て替えの回転がよくなり、建築工事が増えるという。業界や行政や政治家の思惑はともかく、住民は妥当な値段の快適な市営住宅を望んでいる。そして、それが木都能代らしく、産業の育成になればいい。
2006年6月28日 水曜日
旧能代産廃処理センターでやはりドラム缶の可能性の高い金属片が
 どのような高性能の調査機器をしても、実際の産廃場を掘削する以外に正確なデータは出せない。ボーリング調査で、現場から金属片が確認された。県では「ドラム缶が発見されたら、内容物を慎重に扱い・・・」と説明していたが、劇毒の入ったドラム缶が土中で20年間もそのままの形で残っているはずがない。腐食し、内容物が流出し、ドラム缶は押しつぶされ、さらに金属の腐食はすすむ。内容物は地下浸透し、拡散している事は想像に難くない。
 コア直径66ミリのボーリング調査によって、金属片が確認されたからには、続いて重機試掘調査によって、金属片の実態を明らかにする必要がある。実際に何が埋められているのか、知ることが解決には欠かせない。産廃特措法によって、環境保全の緒についた旧能代産廃センターである。これからは対決ではなく、ともに解決のために知恵を出し合い、水と緑と環境の街であることを全国発信したいものである。
2006年6月27日 火曜日
究極のインサイダー取引 福井日銀総裁の濡れ手に粟
 日銀総裁の福井俊彦氏に個人保有の金融資産の報告が公になった。2億9千万円、妻の分もあわせるとおよそ3億5千万円である。問題の村上ファンドに投資した1千万円は、約6年で元金が2.5倍に膨れた。こういうのを究極のインサイダー取引という。金融取引で儲ける才覚のない庶民のジェラシーではない。日銀の総裁がその地位を利用して(見返りを求めて利用された?)投資をしたのである。違法と知ってからも、自分に火の粉が降りかかるまで、解約をしなかった。小泉首相は辞任に消極的だ。どうやら政権も末期の断末魔期に入ったのではないか。
 そして、当の村上ファンド氏は、5億円の保釈金を小切手で納付して、シャバに出た。庶民感覚としては、金額が1桁ではなく2桁・3桁も違うような・・・ 
 金融取引で巨額の利益を得るなんて、夢のまた夢。ならばただひたすら働くしかない。稼ぎに追いつく貧乏なし。と、ことわざにあるが、昼夜、働いても、貧乏神に追い越されっぱなしである。追い越し禁止マークをつけたい。
2006年6月26日 月曜日
市長変われば品変わる 循環型社会形成に目覚め、その180度の転向を歓迎する
 旧能代市議会の平成17年6月定例会で、創政会竹内宏・政和会原田悦子・市民の声今野清孝の3議員名で、環境型社会形成事業のうち、汚泥等活用調査委託費231万円を6月補正予算から独立させ、カットするための予算修正動議があり、賛成多数で可決し、循環型社会・リサイクルを否定した。
 引き続き平成17年9月定例会で創政会・政和会・市民の声3会派は、同様に、汚泥処理・活用方策調査委託費215万円を、プレ市長選として政局に持ち込み、循環型社会形成を否定した。(いずれも、情報公開室に議事録があるのでごらんください)
 旧政和会、現よねしろ会の伊藤洋文議員は、旧能代市議会で終始、循環型社会形成・リサイクル社会について反対意見を主張し、上記のように汚泥活用の予算を否決してきた。今日は、建設委員会でビックリ箱のような言葉が飛び出した。汚泥の再活用を勧めよという、180度転向の主張をした。自分のかつての愚かしい判断を深く反省してのことだろう。誤りを訂正することに何憚りがあろう。間違いを間違いと認めることが本当の勇気である。かつての数々の愚かしい判断を少しずつ、訂正していったらいい。私もお手伝いしましょう。
 とにもかくにも、循環型社会形成は21世紀の最優先課題のひとつである。停滞は許されない。
2006年6月25日 日曜日
高齢者宅のオール電化は安全性と便利性が高まるが
 スープの冷めない距離に住んでいる、80代超高齢の二人暮しの両親宅の200ボルトオール電化の工事が終わり、快適ライフになったはずであるが・・・機械の操作は「おまかせ」にしているので特に難しくもない。ところが、高齢父の「お風呂に入るのメインドークサイ症候群」が時々顔を出し、便利さの中で、抵抗勢力をなだめるのに、余計なエネルギーが必要である。 安全快適な生活はそれだけでは、うまく回転しない。マンパワーと組合さなければ、便利が便利とならない。ということで、単純な話であるが、浴槽のお湯を満たすために私が出かけなければならない。男性ヘルパーさんが派遣されてきて、生活にメイリハリがついたようである。
 耳が遠いだけでなく、認知症で、自我はますます強くなり、扱い要注意の母であるが、好きなように家庭エリアの中で生活しているので、私もこのまま、命を全うさせてやりたいと思っている。ワガママな母にヘルパーさんも大変である事は想像に難くないが、仕事として割り切っていただくことにしている。議会中少し、親不幸をしていて、ごめんなさい。
2006年6月24日 土曜日
コンクリート高層市営住宅に、産学官&住民から、反対の動きが起きないはずはない
 斉藤市長は、市長に就任して1ヵ月半にして、この3年間住吉町住宅の木造化について話し合ってきたプロセスを知らずして、鉄筋のコンクリートの高層・高額住宅建設を施策として発表した。このまま強行すると、産学官と住民から反対運動が起きるのは火を見るより明らかである。建設部長は150戸高層団地で決まりだと、市長の意向を受けて、壊れたテープレコーダーのように繰り返すのみである。役人とは、一夜にしてまったく反対の施策を、百年の大計のごとくにペラペラと繰り返すものである。また、それが仕事である。
 駐車場も取れない、隣接地に民家が密集しており日照権の問題も生じる。ビル風による被害も予想される。木材業界や木工研などの諮問機関の話し合いを愚弄することになる。木造化よりも2倍以上の建築費がかかるために無駄な税気を使うことになる。木都能代の景観がメチャクチャになる。
 市長は大邸宅に住んでいる。そんな自分が、コンクリートで固められた狭い市営住宅に住みたいと思うのか自問自答してみたらいかがか。
2006年6月23日 金曜日
木都らしい木造市営住宅建築の主張に対し、発言封じの暴挙
 議会には隠語めいた、議会関係者にしか通じない言葉がある。そのひとつが「議事進行」というのがある。この言葉は、発言者の発言を制する時に使われる。本会議でもっぱら使われる。今日は、旧能代市議会から新能代市議会に至る歴史の中で始めて、常任委員会で松谷委員によって使われた。
 わたしが住吉町住宅の高層団地での建て替えに異議ありとして質問している最中、鉄筋コンクリート高層団地派の松谷委員が口封じのために「議事進行!」と叫んだ。信太が同じ質問をしている様に感じられるということが理由であった。それはちがう。こちらは手を変え品を変えて切り込んでいる。当局は150戸コンクリート高層住宅を念仏のように唱えている。それが証拠に、他の委員が違う角度で質問しても150戸で、コンクリートのように固まった答弁を繰り返していた。自由闊達な質疑の場である常任委員会で「議事進行」という口封じのため手段をとる事は、本来の委員会の役割を失わせる暴挙である。午前中の2時間の審議の大部分を松谷委員は、一人で質疑を繰り返していたが、委員達はみな熱心に聞いていた。もちろん、わたしも聞き漏らすまいと集中して聞いた。繰り返しあろうが何であろうが、納得いくまで質疑を重ねることが委員会の性質のひとつである。
2006年6月22日 木曜日
住吉町住宅建て替えが、とつぜん150戸でRC(コンクリート)建築に いったいなぜ?
 私が議員となってからこの3年間、建て替えが急がれていた住吉町住宅を、どのような手段で建築するかが論議され続けてきた。現在の状況は、耐久年数が過ぎた2階建て108戸である。旧能代市の住宅計画では150戸で建て替えとの案もあったが、何年もの議論の末、木都能代にふさわしい木造建築で計画する方向性を見出していた。
 斉藤市長は能代市の事はほとんど分からない。それ自体問題ではない。しかし、ほんの一部の人間の提言を受け入れ、突然、立て替えをRC建築で計画、つまり木造での建築は出来ないと言い出した。150戸にこだわるならば、狭い土地・準防災地域・商業地域・建ぺい率80%・容積率400%の条件の下では、RCとなるだろう。
 しかし、市営住宅建設で、ひとり市長が「モジョ」をこいてはいけない。公営住宅建設では、市の産業の育成と経済効果が期待される。関連業界の意見をいったいいつ聞いたのだろうか。また、市には木工研が存在する。木造建築に知恵を出してくれた木工研さえ無視した。そして、中心市街地活性化の目的があるならば、街並み景観も重要な要素である。木都能代にコンクリート高層住宅を作ることが街づくりにとってマイナスになる。多くの観光客が訪れるような木都能代にふさわしい住宅にしようという発想に切り替えるべきである。
 なによりも、そこに住むことになる市民がどんな住宅に住みたいのか、しっかりと耳を傾けて欲しい。高齢化著しい能代市にあって、高齢者がそんな高層団地を望むであろうか。木造よりも建築費が倍もするコンクリート住宅を望んでいるのは、建築土建業者である。
2006年6月21日 水曜日
新市の議員政治条例の会派意見 自民党平成会の錯誤
 旧能代市議会では、住民から議員政治倫理条例に違反しているのではないかと、政治倫理審査請求が出された。そのこともあって、旧能代市より厳しい旧二ツ井町の議員政治倫理条例を参考にして、新市の議員条例を制定することが申し送られていた。そこで、新市議会の各会派が、政治倫理条例の各会派の意見、考え方を文書(公的文書)で提出した。
 議員政治倫理は、議員という市民全体の奉仕者が、その立場を不正に行使することを制限するものだ。その条例の柱となるのは、議員は市との契約が出来ないということである。基本的にはこれに尽きる。
 ところが、自民党平成会の政治倫理の意見は、まったく噴飯ものである。公的文書なので紹介する。政治倫理条例は必要でないという立場をとっている。それは、旧能代市議会で、会派の半数の4議員が政治倫理審査請求を出された過去があるからだ。また、「本会議、委員会への欠席届はもちろん、その事由の信憑性の確認、例えば、入院加療の医師の診断書添付も考えられる。また、個人に対する中傷、誹謗はあってはならない・・・」と文書で主張している。
 議員が欠席するとき、届け出は本人あるいは同意を得て事務局が作成する。届け出のない欠席は皆無である。病気で入院加療の信憑性を疑って、診断書を議会に提出することを義務付けることが政治倫理と思っている。どうかしている。個人情報保護法(条例)をまったく知らないことを暴露しただけだ。個人の病気とその内容を公にすることを義務付ける条例を制定することは、法律違反である。そのことさえ自覚していない。とにかく、個人の病気の情報を議会という組織とそこに属する議員たちに公表したならば、その個人に提訴され、負けるのが目に見えている。また、個人に対する誹謗、中傷の禁止は、議員政治倫理条例とは、今ここでは関係ない。論議する分野が違う。個人ではなく、議員という身分に関する政治上の倫理をどのように確立するかが問われている。
 平成会には、住民に対して議員自ら襟をただそうという発想がない。平成会よ、大人になりなさい。こんな錯誤錯乱内容は議会人として本当にはずかしい。
2006年6月20日 火曜日
一般質問2日目を欠席し、大学病院へ
 臆病者の私は、注射をみただけで震え上がる。当然病院嫌いである。血圧を測るのさえあまり好まない。とはいえ、今日は、長い間の病院での検査を経て、私自身で健康に関する決断を下す日であった。姉と一緒に秋田大学医学部付属病院へ、それから秋田市立病院へ。
 患者の検査の結果はパソコン上に現れ、CTやMRIの画像が素人にもわかりやすく、画像処理され、説明される。そして、必要な部分が必要なときにプリントされる。なるほど、これからは、写真化・文書化したものでなく、DVDなどで、データが必要な患者に開示される日は近いだろう。医者の前にはカルテはなく、私の情報をパソコンに打ち込むだけである。今月初め、大きなレントゲン写真などの検査結果を両腕にかかえて、秋田市の総合病院を訪れた。それが当たり前のことと思っていた。
 インフォームド・コンセントはまずは、精度の良い検査設備とデータからということも実感した。健康用語辞典では、インフォームド・コンセントとは説明と同意という意味である。患者が自分の病気と医療行為について、知りたいことを“知る権利”があり、治療方法を自分で決める“決定する権利”を持つことをいう。個人主義の意識が高いアメリカで生まれ、80年代半ばから日本でも必要性が認識されてきている。
2006年6月19日 月曜日
それは正解!「閉塞感漂う、実りのない3年間」発言は自身のこと
 きっと、竹内議員は豊澤前市長を非難して「閉塞感漂う、実りのない3年間」と発言したのだろう。(この言葉は、一般質問の中で発言された。議事録にも載る公式発言である)竹内議員がこれまでの3年間、反対のための反対をし続け、議会を混乱させた事実を、他人事のように無責任に転嫁しただけのことである。「閉塞感漂う、実りのない3年間」とは、自分自身の政治姿勢そのものを表現している。
 地域つくり、リサイクル企業誘致、リサイクルポート、など、斉藤市長が豊澤路線を引き継いでいることを考えると、むしろ「閉塞感をこわし、新時代への生みの苦しみを経験した3年間」と表現すべきである。施策の引継ぎ路線に対して、私は応援したい。
 竹内議員をはじめ、自民党系議員や旧政和会議員等のメチャクチャな論理での反対のための反対で、能代市議会歴史上最低といわれた議会が、市長交代で、まともな審議が出来るようになったとしたら、たいへん結構なことである。
2006年6月18日 日曜日
今日は父の日 ごめんなさい 知らん振りして
 夜になって今日は父に日であったと気がついた。それも父からの、私の健康を気遣う電話があってのこと。86歳にもなっても、子供のことを心配し、孫のことを心配している。もっとも、心配することが仕事のようなものである。二日前に、好物の甘いお菓子をたくさん持っていったので、それで許してもらおう。
 日本とクロアチアのサッカーの試合に熱くなっていることだろう。引き分けとなって、地団駄を踏んでいる姿を想像している。次回は、ブラジルとの対戦なので、さらに熱くなるだろう。
 さて、今日の北羽新報の読者のひろばで「かつて、知事選挙では寺田知事に反対行動をとった斉藤市長が、なぜ寺田知事に助役候補の派遣を要請したのか不可解である。」との読者の主張が載っていた。議会ではすでに承認した人事である。市長のいわゆる女房役(私はこの女房役という言葉が女性蔑視のようで好まないが)を選択するにあたって、よほど問題のある人事でない限り、市長が働きやすい手段で選択することに、私はやぶさかでなかった。読者のひろばで、助役または監査役人事を問題視する意見を拝見して、住民が知ったときはすでに決定または決定が予定されたときであると再確認した。その点は議会でも同じである。
2006年6月17日 土曜日
藤里町男児殺害事件の現場を見て来た
 男児の遺体が遺棄された現場は、合併で能代市となった二ツ井町地区の米代川沿いにある。ワイアーロープガードとなっている比較的、車の通りの少ない場所である。しかし、普通の人間なら、およそ遺棄場所に選ぶかどうか。何度も通った事のある道なので、こんなところで、なぜとの疑問がある。現場検証のため、いつ容疑者が現れるかしれないので、米代川をはさんで対岸に中継車数台が、遺棄場所側に2名の報道関係者がいた。そこを通った人に、発見してくださいといわんばかりの、すぐ目に付く場所である。
 どのような事情があったのかわからないが、いたいけな小学1年生を殺害するという、高いハードルを越えるとは、人間ならざる悪魔が精神を支配したのだろうか。人間には、「殺す」という行為をするDNAが組み込まれている。しかし、通常の生活の中で普通の人間が、「殺す」という行為をスイッチオンにするには、社会規範などの、超えることの出来ない壁に阻まれる。
 殺害にいたる心理に興味がある。 
2006年6月16日 金曜日
新設環境部の「電子情報はありません」とは、マジ?
 環境部に二ツ井大沢ゴミ処理場の資料をお願いした。紙の資料を、わざわざ環境部のある二ツ井から、能代の我が家まで職員を派遣して届けるより、メールで送ってくださいとお願いした。ガソリン代や人件費を考えると最小の費用でデータの通信が出来る。環境部長が、新しく出来た部なので「電子情報はありません」という。そこで、昨日、紙の資料をわざわざ届けてくれた。電子情報がないというので、手書きの資料と思った。ところがパソコンで作成した資料であった。嘘なのか、勘違いなのか。おまけに、その資料は紙を切り貼りして作ったものだとの解説つきであった。画面で、コピー&ペーストが出来ないようだ。
 問題は、その資料に、資料たる価値がないということである。その程度の事は知っています。議員をおちょくっているとしか思えない低レベルの紙ッぺらを届けた。特定の議員のためにわざわざ資料を作ることは出来ませんといいながら、すでに存在している資料を、コピペができないので、ハサミで切り貼りしてつくりかえをしている。
 議会事務局が電子情報はパソコンをちょせない議員にとって不平等になるというので、出さないように言われて、唯々諾々と従っている。「電子情報はありません」は、どのように考えても、嘘そのものである。
2006年6月15日 木曜日
電子情報は不平等? パソコンを使えない議員がいるので?
 かつて「趣味は情報公開です」と話していた時期があった。しかし、いまどき、情報公開なんてあたりまえで空気のようなものなので、趣味などといえるものでもない。そんな趣味、今世のチョンマゲである。ところが・・・
 情報公開条例は、わかりやすく言うならば、あれやこれやの情報を公開しなさいという条例ではない。すべての情報は住民のものであるから、自分の財布を自分で開けるのに誰はばかることがないのと同じく、あらゆる情報が住民への公開対象である。情報公開条例は、個人情報など公開できない情報を特定し、それ以外はすべて公開しなさい、としている。紙の情報であろうが、電子の情報であろうが、能代市が所有する情報は、条例が特定したもの以外は住民に開示されなければならない。
 議会では、「議員に平等に情報が渡る手段」でしか情報は渡せないとして、パソコンの出来ない議員に基準を合わるせため、電子情報は基本的に渡せないと主張する。そんなむちゃな!ただ、市長説明は発表後メールで送っていただいている。(それをしてもらうために、どれほど説得したことか・・・ふーっ)その理由がふるっている。議員全員に紙で市長説明を渡したあとなので、メールでもいいことになったという。特別サービスということ?
 「議員に平等に情報が渡る手段」に固執するならば、全議員がパソコンを使いこなせるまで、特別サービス以外の電子情報は渡せませんということになる。議会とは今世のチョンマゲか。情報公開条例とは無縁の世界なのか。情報のほとんどは電子化されている。議員に限って紙はOK、電子はNO、とはこれいかに。そのような、わけの分からない情報の非開示には応じられない。
2006年6月14日 水曜日
そして「わたしのプラン」は示されなかった
 市長の所信表明である、市長説明が6月定例会初日の今日あった。政策的「私のプラン」は示されなかった。選挙用のキャッチコピーとして「私にはプランがあります」といったのである。このキャッチコピーとてもパンチがあって、名文句である。きっと、その道の達人が考えたのだろう。「これで貴女は10キロ減量」のキャッチコピーを信じて、健康食品を買ってしまった人はそんなに珍しくないだろう。キャッチコピーとは、えてしてそんなものである。「私のプラン」は、これから4年間のスパンで提示され、実現されればいい。「わたしのプラン」作りに職員も議会も、住民の幸福のために一緒に考えたらいいのではないか。
 ランチタイムミーティングという市民との仲良しタイムを企画した事は、それなりに考えたのだろう。大切な事は「声なき声」を聞き取ることである。
2006年6月13日 火曜日
明日の議会人事 監査委員は松谷氏、農業委員は今野氏と穴山氏で決まりか
 5月臨時議会では、まだ調整中であった議会人事が、明日の6月定例会初日で選考される予定である。議会選出の監査委員は松谷福三議員(創風会 能代)、そして議会選出の農業委員は今野清孝議員(市民の声 能代)と穴山和雄議員(よねしろ 二ツ井)で決まるのではないか。3議員のこのポジション獲得のために、5月臨時会ですでに会派や議員が舞台裏で動いていた。
 今野議員は農業委員狙いで、このたびもなかなかのお手並みを見せてくれた。あたかも自然に水が流れ自分の田んぼに入ってくるような溝を掘るテクニックは議会一である。オミゴト。
 結局、各会派の調整の産物という、パワーゲームの結果である。議員の最大関心事は、人事にある。これで、2年間の様々な議会運営審議メンバーはほとんど決まる。
2006年6月12日 月曜日
いよいよ明後日から6月定例会である
 斉藤新市長らしさをたった2ヶ月で求めても、このたびは斉藤カラーの一端をみるのみかもしれない。これでいいだろう。4年のスパンで考える政策、短期で考える政策など、共に住民の生活安定のために作り上げていかなければならない。かつて、自民系議員がした、重箱の隅を突っつくような、傍聴者も、当局も、議員もイライラするような非建設的な意見はなくなるだろう。以前は豊澤氏側に、今度は斉藤氏側に、簡単に乗り越えた旧政和会議員たちの理念、哲学が住民にわかるように主張されればいいが。市民の声はどのような忍術を取るのか。
 どちらにしろ、住民サイドに立った建設的意見の大切さが、これまでの3年間に経験で骨身にしみている。
2006年6月11日 日曜日
合併新市となった二ツ井地域と能代地域の一体感がまだまだ実感できないが
 旧能代市民にとっては、旧峰浜村や旧八森町または旧八竜町と生活圏として交流が深かったが、合併計画は崩壊した。合併となった二ツ井地域とは、このごろボランティアグループの交流や合併が話し合われたり、市役所に二ツ井地域からの職員がみられたりで、一体感が醸成されつつあると思えるようになった。
 とはいえ、藤里町男児殺害事件の発見場所が能代市と報道されても、旧能代市民にとって、まだ我が街の事件としてとらえるには違和感がある。能代警察署の管轄であるという事を知ってはいるが。
 広報で二ツ井地域では使用済みてんぷら油を回収していると知って、能代地域でも早めに実施したらいいのではないかと考えている。このように二ツ井地域で先駆的に取り組んできた環境型リサイクル事業など、プラスの面で影響しあいながら、もっと市民レベルで一体的な調和が取れたらいい。はじめは行政主導でもいいが、住民同士がネットすることで地域の壁がとれてくる。
2006年6月10日 土曜日
国の農業政策と無縁 多品目少量生産・有機栽培・無農薬の農家を訪ねて
 品目横断的経営安定、経営所得安定、担い手育成、との掛け声とは無縁の多品目少量生産・有機無農薬の野菜生産農家を訪れた。種の採集から、生産、販売まで、すべてを一貫して自らが行っている。
 農林水産省では、新たな食料・農業・農村基本計画を着実に実行するため、平成17年10月に経営所得安定対策等大綱を決定した。大綱に位置づけられた3つの対策(1)品目横断的経営安定対策、(2)米政策改革推進対策、(3)農地・水・環境保全向上対策の、19年度からの実施に向けて、行政では取り組んでいる。方向性に対して否定するつもりはない。ただ、明治時代の農地改革以来の世紀の農業政策転換は、農家自身にはとても厳しい選択である。
 そんななかで、国の農業政策大綱とは別に、独自に考える農業を実践する農業人の存在は、むしろこれからの農業のもうひとつのあり方を示している。地産地消、グリーンツーリズム、農家レストラン・民宿、などがキーワードである。それを支援する行政システムも充実しつつあるが・・。
 畑で野菜が5センチほど若葉を出していた。土中に生長しようとする野菜を食べる虫がいるので、根元を指でかき回して虫退治をしていた。安全であると宣伝されている(?)農薬を散布したら、そんな手間のかかる作業は必要でない。しかし、手間をかける農家が、手間をかけられる面積で生産している現場を拝見し、私なりに考えるところがあった。
2006年6月9日 金曜日
あれ以来「向ヶ丘パトロール隊」のステッカーの質問が多くなる
 自分の車に「向ヶ丘パトロール隊」と書いてあるマグネットスッテカーを張ってしばらくなる。藤里町の小学生殺害事件以来、ステッカーの意味をよく尋ねられるようになった。ヘンなオジさんから子ども達を地域の人たちが見守って、犯罪の被害にあわないようにしているんだと説明してきた。ところが、藤里町事件以来、ヘンなオジさんとの表現の範疇を超えた、切実な安全対策が突きつけられている。危険が身近に迫っているかもしれないとの、今ここにある不安がある。
 容疑者が、男児殺害を認める供述をしたとの報道を見た。なぜ殺害されたのか警察は徹底的に調べることだろう。それ無しには、振り出しには戻れない。容疑者は容疑者であって犯人ではない。しかし、誰が犯人であれ、いたいけな小学1年生を、なぜ殺害する必要があったのか、殺害者のこころに、他者に説明できるだけの合理的な理由は存在するのだろうか。犯罪心理学による事件解明などの点で関心をもっている。
 急速に、子ども達の安全に多くの地域が動き始めた事は、喜ぶべきであるが、不安社会の到来は喜ばしくもなし。藤里町事件シンドロームはしばらく続くだろう。
2006年6月8日 木曜日
旧中央衛生処理場の未処理汚泥と解体の事業計画にひとまず安心
 現在の中央衛生処理場の横に、放置された倒産工場のような古い衛生処理場と、し尿汚泥が入ったままのタンク(3730立方メートル)が残っている。ときどき、肥料の「野菜一番」を提供していただいている。その際、旧社会主義国の稼動しなくなった国営工場を思い出し、地震などの巨大災害に襲われたとき、このタンクはどうなるのだろうか、この廃屋はどうなるのだろうかと、心配であった。
 私の家は、すぐ近くに終末処理場があるが、下水道管は来ておらず、汲み取り式なので処理場のお世話になっている。汲み取り式であれ、浄化槽であれ、し尿・汚泥に油分が混ざっていると基本的に衛生処理が困難となる。そこで、古いタンクの油分も処理できる装置を設置する方針とのこと、まずは解決の一歩である。
 古いタンクの汚泥も含めて、循環型社会をめざして活用のための調査費が昨年提案された。しかし、旧能代市議会6月定例会で、創政会竹内宏・政和会原田悦子・市民の声今野清孝の3議員名で、環境型社会形成事業のうち、汚泥等活用調査委託費231万円を6月補正予算からカットするための予算修正動議があり、賛成多数で可決した。21世紀の重要課題である循環型社会形成に、旧議会の創政会竹内宏・政和会原田悦子・市民の声今野清孝の議員等がはっきりと反対の意思を示したが、いまや自民党市長の与党となった彼等が、どのような態度を次に示すのか。
2006年6月7日 水曜日
高齢者宅にはオール電化が安全安心、でも・・・
 石油ストーブの消し忘れ、ボイラーのスイッチの消しわすれ、ガスのつけっぱなしなど、経験のある人は多いだろう。超高齢者(私の感覚だと80歳以上)だと、日常的にその危険性がある。その心配の大きな部分をオール電化が解決してくれる。200ボルトの配線を新たに敷設しなければならないだけでなく、設備も刷新することになるので、経済的負担が大きい。
 我が老親宅では、オール電化の工事がやっと終わった。夜間電気で豊富にお湯が使えるので、風呂嫌いの父も頻繁に入浴しているので、安心である。石油ストーブ・ボイラーの消し忘れというよりは、スイッチは入れるが消すことが出来ない、消さないという状態に不安を覚えていた。蓄熱暖房でその心配がなくなった。人生これが最後の改築といいながら、来年はトイレを直す計画をしている。好きなように改築したらよい。
 設備がどのように安全でも、高齢者が生きがいを持って生活するのでなけば、心の安心が保てない。意思が通じているのか通じていないのか、まるで禅問答のような会話をして二人は、TVのチャンネル権を争っている。それもいきがいだろうね。
2006年6月6日 火曜日
ホリエモンと村上ファンド
 証券取引法違反でホリエモンと村上ファンド代表が相次いで逮捕された。二人は重なり合う共通の要素が多いが、私の目から見て違う点がある。株式を売買するプロにとっての憲法でもある証券取引法に対する遵法意識の違いである。ホリエモンは最後まで、違法行為を糊塗することに汲々としたが、村上ファンド代表は自らの違法性を、東京地検特捜部が動いた時点で認めた。
 証券取引法の条文の中に、時代を反映できない部分があったとしても、悪法も法なり、である。また、どのような緻密な法律であっても時の経過と共にほころんでくるものである。法の隙をつき、旧泰然たる日本の株式市場に風雲を撒き散らし、時代の寵児となった二人である。しかし、日本の株式市場の秩序を維持している証券取引法に対する認識の違いは大きかった。とは言え、違法の罪はかわらないが。
 IT化、ファンドマネージ・・・そんな言葉がマスメディアをにぎわしている。ジェットの時代に、リアカーを引くような言い方であるが、汗と油にまみれた地道でかつ先を見据えた「ものつくり」の大切さをつくづくと思わずにはいられない。大金と無縁の人間のぼやきのようだけど・・・・
2006年6月5日 月曜日
藤里小学生殺害事件のやるせなさ
 関係者として始めからマークされ続けた女子水死事故の母親が、藤里男子殺害に関して「草むらに捨てた」との供述をした。近親憎悪にも近い、やるせない事件となりつつある。
 どのようなものであれ、被害者の苦しみを思うと、犯罪は許しがたいものである。犯罪にも、人間の中に潜む、自己の中にも存在している欲望が、むき出しになったと思えるものもある。ある人は性的なものだったり、ある人は物欲だったり、ある人は愉快犯的だったり、ある人は復讐的であったり。犯罪を報道で知って、人はその一線を越えない自己制御と超える可能性がゼロでないことを心に浮かべる。しかし、人間というものは、その一線を越えないある種の強固な精神的装置が内在していると信じて生活している。
 それとは異なり、人間の想像を超える悪魔の仕業としか思えない犯罪もある。光市の親子殺人事件などはそれにあたる。または北朝鮮で行われている国家的犯罪などである。
 藤里事件では、失われた子供の命はかえらない。犯人は誰なのかまだわからないが、先の水死小学女子の事故を警察がもっとしっかりと、捜査し、納得のいく結果を出していたら、男児殺害は防げたかもしれない。問われるべきは、能代警察署の対応のまずさ、あるいは警察というものの体質ではないか。
2006年6月4日 日曜日
これではセカンドオピニオンは根付かない
 セカンドオピニオンとは本来「主治医以外の医師の意見」という意味でだ。主治医による診断や、治療の説明のほかに、他の医師の意見も聞き、納得して治療を受けたい、と思う患者は増えている。セカンドオピニオンの背景にあるのは、患者が医師や医療を選択する時代になったことにある。
 一昨日、山本組合病院の呼吸器科で、兼ねて何度も申し入れているセカンドオピニオンの為の資料の提供を求めた。様々な利用をつけて拒否された。他の医療機関で検査したデータなどは、山本組合病院に単に一時預かりしているだけであるにもかかわらず、患者の請求には応じない。そこで、事務方に直接、セカンドオピニオンを希望している旨を伝えた。
 データなしでは、他の病院でまた始めから検査しなおさなければならない。大抵の患者はあきらめて検査のやり直しをしているのだろう。そんなことでは、検査の種類や回数が多ければ、それだけ患者の肉体的、精神的、経済的負担がおおきくなる。医療費の無駄遣いにもなる。
 患者側も自分の意思をはっきりと主張することや、医師が主、患者が従という、上下の意識を持たないことなどが必要である。患者のデータは、原則として患者に属していることを事務方は認め、医師のデータ提供拒絶が間違いであるといった。
 セカンドオピニオンはまだまだ、掛け声の段階のようだ。
2006年6月3日 土曜日
村上ファンドお前もか インサイダー取引の容疑
 ホリエモン逮捕から、そんなに日はたっていない。村上ファンド、お前もかの思いもある。未成熟な日本の株式市場界に突風を起したホリエモンと村上ファンド代表の2人の風雲児に、いまや司直の手がはいった。二人の間で話し合いのうえ、インサイダー取引であることを承知していながら、ニッポン放送株を売買したようだ。
 阪神と阪急の合併など、両会社が倒産しようとも、私及び多くの人の思考の中になかった。ハゲタカ集団といわれる村上ファンドが関与したから、合併の話が遡上にのぼった。
 彼ら二人を、何か人生の教訓にしたくても、想像さえつかない。
2006年6月2日 金曜日
今月から旧能代産廃処理センターの第2次調査段階となる
 旧能代産業処理センターの環境保全対策において、地面をほらずに上から調査した非破壊調査の結果を踏まえて、ドラム缶などが存在する疑惑がある場所5ヶ所をボーリングすることにした。ドラム缶が出てきたら、重機掘削調査に移る予定である。
 斉藤市長は「環境不安が一日も速く解消できることをめざしたい」と述べた。しかし、斉藤市長は、産廃の十字架を負っているので立候補できなかった能登祐一氏の代理として、絶大なる支援を受けて新市の市長となった。産廃問題の根源者である人物の支援を受けて市長になった。バトンタッチした産廃の十字架が肩にズシリと乗っかっていることを忘れてはいないだろう。「身内が引き起こした問題」ととらえて、どのような姿勢を示すのか注目したい。
2006年6月1日 木曜日
マリンスキー劇場で タイトルも忘れたが
 新聞にマリンスキー・バレエの来日公演の広告があった。そこで、少し昔のことを思い出した。マリンスキー劇場のあるキエフは、パステルナークのロシア革命の大河小説「ドクトル・ジバゴ」の舞台にもなったロシアの魅力的な都市である。1965年作の映画「ドクトル・ジバゴ」は、ディヴィト・リーン監督、オマー・シャリフの主演でアカデミー賞を受賞している。もちろん私も見た。パステルナークはこの作品でノーベル賞が授与されることになったが、当時のソ連共産党が「革命が人類の進歩と幸福に必ずしも寄与しないことを証明しようとした無謀な試みである」と非難し、パステルナークはノーベル賞を辞退せざるを得なかった。
 ロシア革命に翻弄されるドクトル・ジバゴと恋人ララの悲劇的な運命、そして、ロシアの壮大な自然に感動した。そこで、キエフに旅することにした。それもロシアは冬に限るというかなり無謀な旅をした。午後3時には暗くなるロシアの冬は芸術のシーズンでもある。そこで、マリンスキー劇場でオペラ鑑賞ときめこんだ。それが、前代未聞の経験に・・・ ナマケモノのわたしも旅に出ると選挙のごとく、精力的なことこの上ない。日中は観光で走りまわっている。開演の午後9時前に(夜の9時開演です)劇場に着いたときは、すでに疲労困憊の状態であった。オーケストラがジャーンと前奏曲をはじめたとたんに、睡魔に襲われた。目が醒めたのは、オペラが終わりお客さんが帰り始めた頃であった。あろうことか、はいていた防寒ブーツの片方が見つからない。靴無しでホテルに帰ることはできない。外は零下50度である。観客が帰る最後までもまって、靴大走査線を張った。12時ごろやっと見つかった。
 憧れの都市キエフ、ララとジバゴの永遠の別れ、マリンスキー劇場、タイトルさえ覚えていない、防寒靴喪失 私の中で思い出のなかにオモチャ箱のように詰まっている。
2006年5月31日 水曜日
その笑顔に出合えて  ありがとう
 親不孝者の私を、「他人にボランティアする前に、自分の親にボランティアしなさい」といつも両親がからかう。とはいっても、我が親は他人に任せ、私は他人のボランティアする、これはこれでいいのではないか。
 高齢者介護施設に月1度の生花のボランティアをしている。認知症の高齢者であっても、造花ではない生の花に、うれしそうに反応しているのが良くわかる。花の名前も、いけた人の名前も、もしかしてすぐに忘れているかもしれない。でも、私の心に、花を愛でる笑顔が残っている。私はカラーの花が大好きなので、今月はカラーをメインとしたシンプルな形である。観てくれる人のいる幸せがある。
 かく言う私も、たくさんのボランティアに支えられている。私の欠点もワガママもあるがままに受け入れてくれている。だから、私も誰かのためのボランティアを日常としている。
2006年5月30日 火曜日
「野合」という日本語を使う北羽新報記者の感覚 その2
 昨日の北羽新報1面の「能代市議会、人事の舞台裏」の署名記事のなかで渡部記者は「是々非々を標榜しながら与党寄りになったよねしろ会」と書いている。「野合」という下品な表現をどうしても使いたかったならば(私は否定的だが)、この文面からすると、よねしろ会にこそ使ったらいいのではないか。旧政和会議員の迷走ぶりは議会記者として知っていたはず。それとも、その程度のことも情報収集していなかったのかもしれない。
 「連合与党の枠組みから外された会派同士が野合する事はなかった」との記事を検証すると。およそ新聞記事を書くとき、実際に起こってもいない、記者の想像の中にあることを、例えば「AはB子ちゃんを殺害することはなかった」とか「CはD店に強盗に入ることはなかった」と書くだろうか?そんなことを想像だにしていないAやCにしてみれば、寝耳に水である。ただ、会派とは社会的・政治的存在なので、個人の人権保護的配慮とは異なってしかるべきもので、批判の対象である。記事が不公平であるのは構わない。しかし、ありもしないことを、社会の公器で嘘の記事を書く事はいかがなことか。
2006年5月29日 月曜日
「野合」という日本語を使う北羽新報記者の感覚 その1
 今日の北羽新報1面の「能代市議会、人事の舞台裏」の署名記事を書いた渡部記者の文言に驚いた。「連合与党の枠組みから外された会派同士が野合する事はなかった」と、恥ずかしげもなく「野合」と表現し、また編集責任者はその表現に同意した。地方紙とはいえ、社会の公器である新聞、それもこの地域にあって回覧板のように多くの住民が日常的に購読している紙面で、「野合」という日本語を非権力会派に使うとは、その感覚を疑う。マスメディアは弱いものに光を当て、権力に対して常に監視しつつ距離を置くものであると私は認識していた。これでは、やはり北羽新報は権力志向であると住民は再確認してしまう。
 辞典や広辞苑では「野合」の意味するところに微妙に差があるが、概して否定的で、下品な表現であるとしている。「野」はいやらしい、「合」は合体するという意味が一般的である。連立与党とは市長会派の自民党系会派である。「連立与党の枠組みから外された」との、受動態を使うところに渡部記者のスタンスが表れている。外されたとは、市長与党になりたかったが「ハジケ」にされた会派ということか。そして、非権力会派に対して、淫靡でいかがわしい言葉で「野合」する事はなかったと、結論付けた。
 「強気を助け、弱きをくじく」スタンスは、昨年の議員政治倫理審査を請求した住民に対して、厳しい批判をした件でも私は指摘した。批判が政治倫理を請求された議員ではなく、請求した住民側に向けられたことに私は、強い憤りを感じた。
 「野合」の意味を、渡部記者は辞書で再度確認してはいかがか。
2006年5月28日 日曜日
農村歌舞伎である森岳歌舞伎に感動!
 森岳歌舞伎の由来は「300年ほど前、諸国巡拝の山伏が病気になったところを村人が助け、そのお礼に山伏か伝えられたとの言い伝えがあるもので、江戸物とも浪花物とも異なる浄瑠璃の謡の入る独特の芸能」との 説明である。全国には歌舞伎&農民歌舞伎が187ヵ所あり、東北地方は22ヵ所で、秋田県では3ヶ所、山本郡ではここだけである。
 雨降る中で、旧山本町の森岳歌舞伎の公演に出かけた。新しい舞台が完成し、こけら落とし公演には保存会の熱意とパワーがみなぎっていた。新築になっても、元の野外演劇の形が再現されていた。とかく、あれもこれもと付加を望み、税金が浪費されたり、原型を失ったりすることがあるが、元のままのシンプルな舞台建築は、農民歌舞伎の素朴さにぴったりである。雨のため、野外観客席は湿地状態である。靴下まで水がしみこんできても、傘を差しながらやんやの喝采をした。
 平家物語を原典としている演目は、わたしのライフワークである能楽のテーマとしても多く取り上げられている。能楽は平家物語に忠実に添った内容でシナリオが出来ている。しかし、歌舞伎は元の物語から離れ、縦横無尽に内容が展開する。そして、農村歌舞伎は、秋田なまりが耳に心地良く、身内や知人の掛け声がとても私的で、ウ〜ン、感動である。
2006年5月27日 土曜日
能代市民は意外と能代市を知らない、そこで勉強会をすることに
 能代市民は能代市を知らないといっても、実のところ、私も議員になって能代市の様々を、はじめて知ったことが多い。今日は、女性たちの集まりを開催した。例えば、能代産廃問題という表題は知っているが、内容となるとほとんどわからないのが実態である。そこで、能代産廃センターを視察して、産廃特措法による解決のプロセスを実地見聞するということの必要性を確認した。歴史的建造物、地域おこし、世界的技術を誇る産業などなど、自分達の街を知る事は、街おこしの始まりである。まずは行動をおこしましょう。
 子ども達が、ドアをバタンバタンとしながら、まわりを走りまわっているなかを、お母さん達とあれやこれやの"些細なこと"を話し合う。些細なことこそ、今の社会を反映している。
2006年5月26日 金曜日
市長が職員食堂で昼食をとることは・・・・
 市長が、市庁舎の職員食堂に自ら足を運んで、列に並び昼食を注文する事は好ましいことである。しかし、そこで昼食をとることはいかがなことかと思う。実際、職員からくつろいで昼食をとりにくいという声があった。(つまらないことだけれど・・・・)
 トップのまわりには、真空地帯が出来る。特に、選挙で住民が選択した首長となると、職員、たとえ幹部といえども、意向に沿わないことは言いにくい。そこで、真空地帯を自ら破って、職員側に近づきたいのだろう。あまたいる議員であれば、食堂にいようがいまいが邪魔になるほどでもない。しかし、市長となると別である。選挙民との垣根を払うように、職員との垣根を無理に払っていはいけない。必要な真空地帯もある。必要な孤独もある。
 ところで、二ツ井町の議員が、能代の議員が昼食を自分で注文して運んでいるのを見て、驚いていた。女子職員におさんどんしてもらうことが当たり前と思っていたようである。人件費を考えたら、それこそ無駄の最たるものである。
 市長と住民とのランチタイムに関しても私は疑問に思っている。市役所に自ら足を運んで、ランチタイムをしたい住民も大事であるが、足を運ぶことが出来ない、声なき声を拾うことがもっと大事である。こちらから出かけて、本音で語ったらいいのではないか。
2006年5月25日 木曜日
藤里町の小学生殺害事件に「松本サリン事件」の河野さんの冤罪疑惑を想像する
 藤里町の小学生殺害事件が、はじめに事故とされた小学女児の母親がその事件に関与しているのではないかとの噂が蔓延している。彼女がそうなのかどうかはわたしにはわからない。しかし、現在の状況は「松本サリン事件」の河野さんときわめて似た状況ではないか。これが、仮に冤罪であったら、このような状況を作り出し、知らんぷりした能代警察署、あおったマスコミ、あらゆる噂を作り出した住民は、いったいどのように始末をつけるのだろうか。空恐ろしい思いである。
 私は自分の経験から冤罪の不気味さを実感している。旧能代市議会において、平成16年9月15日、冤罪とわかっていながら、私への懲罰動議が意図的に出された。人権蹂躙の動議を出したのは、今野清孝 伊藤洋文 後藤健 塚本民雄の4氏である。理由が存在しないにもかかわらず、懲罰にしたいという感情的・心情的な願望から発したものである。信太が気に触るというのが本音であった。市議会の結論は大山鳴動してネズミ一匹出せない結果となった。この恥知らずな懲罰動議そして可決に、誰一人謝罪すらしなかった。
 松本サリン事件の犯人扱いされた河野さんは、後に、田中長野県知事によって公安委員に任命された。常に冷静な発言は、サリン事件の経験や教訓から学んだものだろう。私も私なりに小さな経験であるが、今も議員である今野清孝 伊藤洋文 後藤健の3氏のような人権の視点を失った愚かな思考はするまいと心に決めている。貴重な経験をさせていただいたことに、今は感謝するのみである。
 藤里町事件では、もう少し冷静になれる環境が作り出されてもいいのではないか。
平成16年9月議会においての信太和子への懲罰リポートへ
2006年5月24日 水曜日
市長の「私のプラン」は6月市議会定例会まで待ちましょう
 新市長となって、所信表明演説ともいえる5月臨時会における市長説明の内容にはプランがないと批判する人もいる。ところが、斉藤新市長と豊澤前市長の発言内容を比較すると、どちらも最大公約数的な、市政助走的な発言に終始している。(議会リポートをごらんください) つまり、住民にとっての新機軸的な政策はまだ姿をあらわしていない。斉藤新市長の公約、というよりキャッチコピーである「私にはプランがあります」のプランは、このたびの5月臨時会では示されなかった。豊澤前市長の「協働と納得のまちづくり」は、6月定例会で主張された。6月定例会まで、「私のプラン」を待つことが住民にも議会にも必要なのではないか。
 待ちに待ったプランが、「無理無駄ムラをなくし、職員の労働時間の15分節約でひとり分確保」な〜んていう程度のものではないだろう。市政は、市長が変わろうとも連綿として流れていく。流れの中で明確な方向を示すプランを立てなければならない。やる気ムンムンで、巨艦の空母(市政)を今すぐ方向転換するために強権を発動しても、一人相撲を取るだけである。職員は、特に幹部職員は面従腹背を旨としている。なぜ知っているかだって。おバカな議員たちと腹で思っても、表面は慇懃に接している彼らと3年間付き合ってきた。職員は議員を見ている。同じ様に議員も職員を見ている。
2006年5月23日 火曜日
議長選から見えてくるもの
 ここのHP議会リポートにアップしたが、議長選の結果は、藤原良範 (平政会)15票(議 長)・今野清孝(市民の声)5票・畠山一男(連合会派)5票・菊池時子(共産党)2票・薩摩博(よねしろ会)1票である。
 副議長選の結果は、山谷公一(よねしろ会)16票(副議長)・中田満(連合会派)5票・藤田克美(市民の声)5票・小林秀彦(共産党) 2票である。
 市長与党である平政会・創風会・よねしろ会がトロイカ路線で藤原氏を議長に、山谷氏を副議長に選出した。今まで、人事で影響力を持ってきた市民の声は、市長与党に近い市長寄り派であるにもかかわらず、トロイカ路線とは不協和音で、「カヤの外」会派となった。今日、開会15分前まで市長与党が誰を押すのか知らされていなかったようだ。市民の声は、3人会派から5人会派となったが、第1日目から会派内部での不協和音も、もれ聞こえ、見えてきた。また、創風会3人を抱き込むために、監査委員と委員長というニンジンをぶら下げ、そして、それに喰らいついたようだ。
 まあ、議会人事とはこのようなものである。住民には、コップの中の嵐と見えるだろう。
2006年5月22日 月曜日
議会人事のため、各会派は腹の探り合いか
 明日は、臨時機会である。議員たちの最大の関心事は、議長・副議長に誰がなるのか、いや誰を押すかにある。議長会派は原則的に常任委員会の委員長・副委員長の人事権のイニシアティブをとることになる。誰がその席に座るにふさわしいかの基準で選出するわけではない、単なるパワーゲームの結果である。
 すべての議員がそのようなパワーゲームに関心があるわけではない。人事権を行使することにエネルギーを使い、議会の廊下を靴音高く、髪振り乱して走り回る議員も存在するということである。そういう議員は、私的な感情や怨念で排除人事を主張し、自分への利益誘導に徹するのが特色である。
 先の3年間は、特に住民不在の、議会村でのコップの中の争いに終始した。今度の4年間はそんなことが避けられたらいいのにと思っている。住民にとって、何が大事なのかを審議できる環境を作るべきである。そんな思いとは別に、今日は今野議員が隠密会談にやって来た。
2006年5月21日 日曜日
自治体と公益法人の随意契約というおいしい関係
 秋田県本庁部局の17年度と18年度の事業のうち、公益法人と結んだ契約のうち、件数で92.6%、金額で98.8%が、競争入札によらない随意契約である。会計法では、特殊な場合を除いて、地方自治体の契約は競争入札によらなければならない。
 役人の天下り先として、県は公益法人をつくり(認め?)、契約を特殊であるとこじつけ、公益法人と独占的に契約を結んでいるという、おいしい関係がこの数値に表れている。
 ちなみに、能代市における随意契約も、競争入札しても構わないものまで、長年の悪しき慣習として続けているものがある。
 公益法人とは一般に、民法第34条に基づいて設立される社団法人又は財団法人を指し、その設立には、@公益に関する事業を行うこと、A営利を目的としないこと、B主務官庁の許可を得ることが必要である。社団法人は、一定の目的のもとに結合した人の集合体である。財団法人は一定の目的のもとに拠出され、結合されている財産の集まりである。
 随意契約とは国、地方公共団体などが入札によらない契約をすることをいう。国、地方公共団体が行う契約は会計法第29条の3第1項により、入札によることが原則である。随意契約は、契約の性質又は目的が競争を許さない場合、緊急の必要により競争ができない場合、 競争することが不利と認められる場合、契約の予定価格が少額である場合等であるならば結べる。
 大切な税金に群がり、喰いものにすることは、国民、住民に対する裏切りである。 
2006年5月20日 土曜日
地域つくりそして山菜採りそして行方不明?
 八峰町の手這坂の「春の桃源郷まつり」に参加した。能代市上町自治会のすみれ会の皆さんが、応援に来てくれた。意欲的で、プラス思考で、おまけに若くて飛び切りの美人さんたちで、今を盛りの桃の花よりも、華やかであった。
 菅江真澄が桃源郷とたたえた茅葺民家の集落であるが、無人となったこの集落を保存再生し、活用する活動に賛同しているが、なかなか実用的な力となれない私である。まったくの民間の力だけで地域つくりをする事は、美しきボランティア精神だけでは成り立たない。厳しい資金調達や人間的な考えの相違など、次々と克服すべき問題に直面してきたように見える。それでも、行政主導ではない、民間による地域つくりのパワーの大きさを感じている。
 ともあれ、桃源郷まつりの最後のメニューに山菜採りコースが準備されていた。初めて、山菜採りをする女性たちは、たちまち夢中になった。「おーい」と呼ぶと返事はするが、なかなか山道に戻ってこない。「これじゃ、行方不明2名ぐらいかなあ」とジョークを言いつつ次の場所に移動した。ここの事務局長は、手這坂への女性たちの関心を引くことが上手である。そういえば、私も山菜採りで、手這坂にかかわったような・・・
 加藤町長も参加し、興味を示してくれた。
2006年5月19日 金曜日
子ども達の安全をどのように確保したらいいのか
 学校での子ども達の安全や登下校時の子ども達の安全にたいして、教育関係機関の安全確保のシステム作りや地域の関心と協力が、それなりに高まってはいる。しかし、いったん家庭や地域に戻った子どもたちの安全に対しては、社会はいったいどのような手段がとれるのか、厳しい宿題を突きつけられている。
 地域の子ども達への関心を高め、地域や社会で子ども達を守り育てることが大切であるということはわかる。安全という念仏を唱え、子どもは社会の宝と言っては、神学論を展開している場合ではないと、このたびの藤里町の小学生殺害事件が訴えている。それぞれの家庭生活にどの程度社会は踏み込めるのか。特効薬的解決手段はない。
 私は、毎日「向ヶ丘パトロール隊」のマグネットシートをマイカーに貼り付け移動している。シートを張ってから1年ほどであるが、そこそこに目立っているようである。まずは、それぞれの住民が出来ることで協力していただき、地域ごと巻き込むことが何より必要である。住民の目は、どんな監視カメラより有効である。そのために行政は、新たなシステムを作り、地域と協働しなければならない。
2006年5月18日 木曜日
能代市議会の常任委員会は、建設委員会を希望した
 近日中に能代市議会の常任委員会のメンバーが発表されるだろう。私は建設委員会を希望した。第1志望は別にあったが、会派内での調整で第2志望である建設委員会として届出した。これで決定ではないので、最終的には振り分けがあるかもしれない。その他の各種委員等は、会派制をとっている能代市議会では、一応の届出をした後、会派間での話し合いや多数決となる。
 報酬の伴う委員には、ハイエナのように喰らい付く会派や議員を見てきただけに、改選時期のそんな綱引には、とても参画する気にはなれない。無欲の我が連合会派は、前回同様今回も無冠となるかもしれないが、それも良しと思っている。
 今日は早速、よねしろ会の薩摩議員が我が会派を隠密に訪れた。私はすぐに席を外した。
2006年5月17日 水曜日
歴史的瞬間に立ちあってきたという実感
 能代市から臨時議会への提出案件のための書類がどっさり自宅に届いた。平成18年4月1日現在の新能代市の条例集は790ページものつづりになっている。この資料の物的量を見ただけでも、合併という歴史的瞬間に立ちあってきたんだという実感がある。新市の誕生により、市政運営のための寄りどことなるあらゆるルールが急いで作り出されている。議会は3月21日の合併により解散となって、4月23日選挙で新能代市議会が誕生するまでの間にも、市政は動いていた。専決処分により議会の承認を受けることなく(議会が存在しなかったので、後で議決)新条例が出来上がり、それに基づき行政は住民サービスを提供しつづけている。
 議員が選挙のために、走りまわっている間にも、職員達は新市誕生の膨大の仕事をこなしていた。このように議会なんかなくても市政は動く。執行部にとっては議会はむしろないほうが市政は動かしやすい。しかし、行政をチェックし、提言する機関がなけるば、緊張感のある行政運営はしないだろう。
2006年5月16日 火曜日
人間は、生きてきたように死んでいくのか
 「人間は、生きてきたように死んでいく」という事は、他人においては理解できるが、我が高齢両親のこととなると、肉親の感情が移入されるので、なにやら迷いがある。
 こだわりや頑固さは、高齢になって現れるのではなく、若い時の性格が加齢とともに強くなっていくだけである。1日でも長く、自宅で好きな生活をして、命を全うできるように環境を整えることに協力してきた。そんなわけで、自宅の大きな改造も、もしかして、今回が最後かもしれない。しかし、改造したからといって、こちらが望む生活形態をとるわけではない。
 危なっかしい生活にみえるが、高齢でも夫婦一緒であれば「人」という字のようにささえあって生きていける。1人になったとき、どうするかを考えなければならない時期だが、モラトリアムを決めこみ、なるようにしかならないと考えることにしているが・・・・
 私が相談を受ける多くが、私がかかえている問題と同じような高齢化に関するものである。歩きながら・話し合いながら・悩みながら、自分達に合ったベターな方法を見つけ出していくしかないのだろう。
2006年5月15日 月曜日
花岡平和記念館が来年完成の予定
 花岡事件とは、中国から強制連行された中国人が昭和20年6月30日、虐待に耐えかねて決起した事件である。鎮圧の結果、419人の中国人が死亡した。
 花岡事件のフィールドワークに参加したことがある。連行された中国人のうち、事件後、無事生き延びて中国へ帰国し、再び生き証人として花岡にやってきた数人の中国人が、粗末な墓にぬかずき慟哭する姿を見て、もうしわけなさでいっぱいになった。
 花岡事件の資料は、ある団体の建物に集められていたので、展示されたとき何度か見たことがある。来年6月には、花岡平和記念館として、貴重な資料の保存や整理、展示が専門的に出来ることを喜びたい。
 花岡に強制連行され、強制労働を強いられた中国人の写真を見ると、そのタイトルをアウシュビッツのユダヤ人と置きかえてもよいほど酷似している。又、収容された宿舎をアウシュビッツ・ビルケナウ収容所と置きかえてもよいほど酷似している。
 二度と、日本は他国の人々に対して、このような過ちは犯さないと強く誓ったのが平和憲法である。その根幹をなしている9条が風前の灯となっている。そんなに遠くない将来、また、あの軍靴が聞こえるのではないかとの不安がよぎる。
2006年5月14日 日曜日
キャスティングボードを握るということ
 能代市議会は、市長与党が過半数を占め翼賛的体制が出来ており、この3年間繰り広げてきた旧能代市議会50年間で「最低の議会」といわれた住民不在の議会混乱を、こんどは避けることが出来るかもしれない。
 キャステングボードは、勢力または賛否が拮抗しているとき、少数派が雌雄を決する場面で用いられる。旧能代市議会では、自民党寄りのコウモリ会派と呼ばれた「市民の声」会派が、キャスティングボードを握っていると思われてきた。新能代市議会では、市長与党が過半数を占めるので、市長寄りのコウモリ会派である「市民の声」は、議案等の決定において実質的影響力を失った。
 キャスティングボードという住民の生活に影響のある決定権を持った者は、つねに住民にとってどうあるべきかで、その効力を行使するべきである。しかし、「市民の声」会派は常に住民不在の政争の具として、それをもてあそんできた。キャステングボードをうしなった「市民の声」は今後どのような対応するのか。
2006年5月13日 土曜日
畠町商店街のアーケード撤去の苦渋の選択に賛成する
 ニューヨークであれ、パリであれ、フランクフルトであれ、アーケード無しでお客さんはショッピングを楽しんでいる。雨の日・雪の日・灼熱の日には、確かにアーケードがあったほうが、歩行者には便利である。しかし、畠町のアーケードはいつ事故が起きるか心配なほど、構造物が傷んでいる。アーケード無しの畠町には、なれていないせいもあり幾分不安であるが、畠町商店街として、アーケード撤去を決めたことに賛意を示したい。
 ヨーロッパの地方都市のように、個性的な看板や素敵な日よけシートで統一的な商店街作りもいいのではないか。融雪歩道やパーキングエリアの設置、街路樹やバス停の整備などの景観の一体感を出すために秋田杉の使用が考えられる。アーケードの撤廃は、商店街再生の第1歩に過ぎない。いまさら、かつての賑わいを取り戻す事は、データからみても無理かもしれない。それならば、現実を見据えた選択をしようとしている。いまや商店街は再生のための「天王山」に差し掛かっている。
 逆に、アーケードの撤去によって次の再生プログラムが組やすく、再生の方向性が多様化したのではないか。いずれにせよ、商店街関係者の苦渋の選択は続くだろう。
 このような時期、市長が農振を除外し、東インターチェンジに郊外型大型店の出店を許したら、この再生案は藻屑のようになるだろう。
2006年5月12日 金曜日
「能代里山どぶろく特区」の認定で私もドブロク作りたいが・・・
 特区とは現在の法律で規制されている事柄を特定の地域に限って、その法律を緩和することをいう。今年の3月31日付けで旧能代市地域で、「能代里山どぶろく特区」が国から認定された。ただし、旧能代市の住民なら誰でも作れるわけではなく、一定の要件を満たさなければならない。いくら私がドブロクの愛飲者(お断りいたしますが、量はそんなに飲めません)であっても、自由に作るわけにはいかない。3つの条件のうち、「自ら生産した米を原料とする」に関しては合格である。「特区の住人である」これもOKである。2つまではクリアーするが、最後の「酒類を提供する営業者」ではない。残念。
 この特区は、豊澤前市長の大きな置き土産である。「農家レストラン・民宿・星場台」が認定の第1号となった。野村さんの日頃のがんばりに敬服している私としては、ぜひ野村さんのドブロクを飲んでみたい。
 周辺地域の地域おこしは、まいた種が、やっと若葉を出したところである。この若葉を踏みにじったり、枯らしたり、摘んだりすることがあってはならない。周辺地域民の意識起こしが地域おこしでもっとも大事な点である。現存する歴史的建造物を朽ちるままにして、歴史資料館というハコモノ造りを地域おこしの目的にしてはならない。それは、土建・建設業への恩返しに過ぎない。
2006年5月11日 木曜日
中心商店街の賑わい創出は行政機関の入居から
 昨夜、群馬県の前橋に住んでいる友人から電話があった。中心商店街の衰退を嘆き、シャッター街になってしまったと言う。彼女に言わせると、前橋は空き店舗率日本一だそうだ。県庁所在地である前橋を訪問した30年前の賑わいを思い出すと、いずこも同じ悩みと格闘していると感じている。
 報道によると湯沢市は店舗改装、家賃の一部補助する市の中心街等振興事業の利用は平成10年からスタートして、利用件数36件だという。昨年は9店、今年度は今のところ5店である。今年になって、市の関係機関が次々と空き店舗に入居し、中心市街地に今までにない効果をもたらしているそうだ。
 ひるがえって能代市を考えてみると、あの狭い庁舎内でなくても仕事ができる部門がある。湯沢市や他市のチャレンジで、能代市でも可能なものを、能代流にアレンジして実行するのも一考である。
2006年5月10日 水曜日
おかしいと思っても、その事実になれて受け入れている事について
 2009年に導入予定の裁判員制度の対象となる重大事件に限って、検察官による容疑者の取調べの様子を録音・録画で「可視化」する方針だという。
 映画やテレビの事件ドラマや刑事もの番組で、容疑者の自白を引き出すために、暴力的手段を使って供述調書を作っている場面を日常的に見させられてきた。そのことに関しての疑問がだんだん内在化してきた。変だよねと思ってはいたが、カッコイイ刑事役やストーリーの面白さに引かれて、重大なこのような要件が、ヴァーチャルの世界となってしまった。(そういえば、かつて湾岸戦争がヴァーチャル戦争の面があった)自白偏重の温床となっている密室取調べが、かくも長く続いてきたことは不思議といえば不思議である。結局、警察のイメージも悪くしてきた。
 市政においても、長く続いてきた方法でも、視点を変えると改革の方向が見えてくる。たとえば(細かいことだが)、狭い庁舎にある、広い市長室と助役室をもっと合理的に利用するために改造できるのではないかとか・・
2006年5月9日 火曜日
「善者は弁ならず 弁者は善ならず」のことわざ
 ことわざの意味は、「善人は黙々として実行し、ペラペラと話さない。よくしゃべるものは善人ではない」ということである。戸板にマメとばかりにしゃべる人間には気をつけなさいということなのだろう。天邪鬼な私は、組み合わせとして、よくしゃべる善人もいるだろうし、物言わないが善もなさない人もいるだろうと思ってしまう。
 政治家は言葉を操ることによって政策を説明しなければならない。弁者である事は大きな利点である。斉藤市長が雄弁であることは、つとに知られている。「私にプランが」あろうが、なかろうが、雄弁であること自体優れた能力であるといえる。美人は得であるということと似ている。
 雄弁の中身は、これからどのように市政の舵取りをするのか、説明や提案で住民は知ることになるだろう。住民は自ら選択した人物をしっかり見守る義務がある。
2006年5月8日 月曜日
新能代市の会派のメンバー構成がほぼ決まる
 会派が政策や政治信条で決まるというわけではない。たとえば、同期生であった。例えば、姻戚関係であったり。例えば、党が同じであったり。たとえば、気心があう。などなどである。それは、人間として、当然の感情であろう。しかし、いざ市民の利益や幸福を決定しなければならないとき、市民の立場に立てるかが問われる。
 ところで、二ツ井側の議員も含めて、新能代市議会の会派構成メンバーの届け出が今日の午前までであった。正式にはこの24日の臨時議会で決まるので、幾分流動的なのかもしれない。
 私はそのまま『大河・生生・みどりの会連合』会派に留まった。構成メンバーは変わらない。緩やかな連帯ということが約束されたのが留まる原因の一つである。
 いよいよ議会人事(正副議長・正副委員長・報酬の出るその他の役職)で、議会村が最も議会村らしくなるシーズンである。
2006年5月7日 日曜日
新市長を誕生させた土建・建設業界の期待の大きさ
 大差で斉藤新市長を誕生させるべく投票した人たちはけっして土建・建設業界に属している人たちばかりではない。9千票の差がなによりもその事を語っている。しかし、今日の「風の松原を守るボランティア大会」でのクリーンアップに参加した人たちの中に、昨年までは多くはなかった土建・建設業の会社から半強制的にボランティアに参加させられた人たちが多くみられた。車両提供などのボランティアは以前から続いていたが、これほど多くの、その関係の社員参加は、わたしの体験でははじめてである。
 新市長が、郊外型大型店出店に対して、玉虫色の発言をしている原因がここにある。大型公共工事は今年度はほとんど終了状態にちかい。新たな事業は県レベルでは半減に近いほどの厳しさである。いま業界は瀕死の状態である。新市長に火力協力金や合併債などによる新規公共事業を期待していることが明々白々である。郊外型大型店の出店で大館市が今どのような状態のなっているのか。少しずつ、効いてくるボイズンではないか。
2006年5月6日 土曜日
深い孤独の時、アンドレア・ボッチェリの宗教アリア集のCDを聴きながら
 グノー・シューベルト・カッチーニによる「アヴェ・マリア」3曲、「オンブラ・マイ・フ」などのボッチェリの宗教アリア集のCDを飽きもせず聴き続けている。とても、激しく、厳しい時を終え、今は沈みのときを迎えている。深い孤独、そう、私にとって今一番必要な深い孤独の時間を迎え、アンドレア・ボッチェリの宗教曲とともに夜をすごしている。
 壊れ気味のストーブが不協和音をがなりたてている。テーブルの上といい、周りといい書類で身動きが取れない。雨のため乾かない洗濯物が頭の上で、無粋に垂れ下がっている。そして、今日できることを明日にのばして、モラトリアムを決め込み、のんびりと宗教音楽の世界に浸っている。
2006年5月5日 金曜日
新市長の言葉「市役所には嫌われているんだろうね」とは、真実を言いえていますね
 新市長が自らの市政に対する方向を示して嫌われたからバツで、好かれたからマルというものでもない。嫌われたっていっこうに構わない。好かれようとするあまり、迎合することのほうが危険である。議会での経験はあるが、行政側の経験がないことも、大統領制で選択される首長なら、おり込み済みであり、問題でもない。
 市の職員を自らの力で「変える」ために大鉈を振ろうとしている様に見える。市の職員が自らの意思で「変わる」ための仕掛けをするほうがいいのではないか。決裁時間の15分節約で、1人分の労働力確保が出来ると、ミクロ的な事をならべている。その結果「逆らわず、いつもニコニコ従わず」の職員を量産する施策展開で困るのは住民である。そんなことよりも、どのような街づくりをするつもりなのかプランを聞かせて欲しい。
2006年5月4日 木曜日
憲法9条との矛盾は広がる一方
 朝日新聞の天声人語に次の文があった。アメリカの経済学者であるガルブレイス(先日97歳で亡くなった)の言葉として「私が日本を見て一番うれしいのは、経済が軍事的な影響力から逃れられている点だ」と述べている。
 専守防衛のもとで存在している自衛隊は、すでに海外派遣の実績を残した。あろうことか、派遣を、時限立法の特別措置法ではなく、恒久法として制定する考えが政府自民党にはある。自衛隊と憲法9条との乖離は、日に日に大きくなっている。
 在日米軍の再編の名のもとで、日本は今やアメリカの軍事的世界戦略の中にさらに、さらに深く組み込まれつつある。先の惨めな敗戦からの経済的発展や、半世紀以上も戦火を見ることがなかったことの理由のひとつは、平和憲法、そしてなによりも第9条にあった。
2006年5月3日 水曜日
憲法記念日に9条の意義を考える
 憲法第9条は、護憲・創憲・改憲派のいずれにとっても、主張するところを譲れない最も重要な条文である。護憲派にとって、アメリカの同時多発テロ「9.11」の衝撃は、自衛隊を容認する方向にベクトルを動かした出来事であった。ちなみに、私は護憲派ではなく、憲法9条死守派である。「9.11」は私の9条死守の思いを強くしたのみである。(脱線的だが・・ このたびの市議選で私の得票は911票である。憲法9条死守派の私にとって、何か運命的なものを感じる)軍隊は日本にはいらない、絶対に必要ない。
 朝日新聞の世論調査によると、憲法を改正する必要があるが55%、必要がないが32%である。憲法9条に関しては変えるが43%で、変えないが42%である。この結果に、私は悲観的になっている。そのほか、各マスメディアの調査をみると、日本が翼賛的な方向にあるのではないかと、私には予想され、心乱れている。
 日本国憲法は先の戦争への深い反省と再び惨禍を起すまいとの決意でつくられている。その平和への願いは風前の灯となっている。
2006年5月2日 火曜日
東京国際裁判から60年目に考える
 東条英機元首相を始めとする、日本の戦争責任者をさばいた東京裁判(東京国際裁判)から60年目を迎える。勝者(連合国)が敗者(日本)を裁いたこの裁判に対して、正当性や公平性において問題があったとする不満がくすぶり続けている。あるいは30代以下の若い人たちは東京裁判そのものを知らない。
 「平和に対する罪」「人道に対する罪」により、東条英機元首相ら7人が絞首刑となるなど25人がいわゆるA級戦犯となった。ともに戦争に加担した勝者が自らの罪を問うことなく、敗者の戦争責任のみを問うことは、永遠の疑問を残すことになるだろう。しかし、この東京裁判とナチスをさばいたニュルンベルグ裁判が、本格的に国際法として、戦争責任をさばく初めての試みとなった。この裁判は後に、ポルポトによるカンボジアの虐殺や、イラクのフセインによる虐殺などなどを裁くことに、道筋をつけた。
 東京裁判に対して正当性における疑問を持つ事は大事なことである。それ以上に、私たち日本人自らが先の大戦に対して、日本人としての責任に正面から向き合うことがもっと大切なことであると考えている。
2006年5月1日 月曜日
市議2期目としてのホームページのあり方を考える
 張りっぱなしの古いポスターとならないように、情報の発信をかわらずに続けたい。今時点では、更新し続けている市議HPとしては唯一のものとなっている。このさき、HPの開設そして最新情報を発信する議員が現れることを期待している。ただ、更新する議員HPがここひとつしかないのであれば、おのずとアクセスする方々は、議員個人のHPであるとは理解しているが、一方で議会を代表している部分も期待するかもしれない。その事を心に刻み、わたしはわたしでありたい。多くの視点と発信があれば、立体的に議会がわかりやすくなる。
 HPが特別、私を利するわけではないかもしれないが、報告義務というのは議員として、最も重要な仕事のひとつであると信じている。
2006年4月30日 日曜日
第3のビールの値上げとは政府もあこぎな事をするものだ
 ビール風味のアルコール飲料、つまり第3のビールは、つましい生活をしている我ら庶民のささやかな楽しみである。平成15年には発泡酒が酒税法改正で値上げのターゲットにされ、ガッカリしたものだ。ふたたび、明日から、第3のビールも350mlあたり3.8円の値上げとなる。実際は、オープン価格なので増税分をどのように小売価格に上乗せするのかは、各店の判断である。在庫が切れたときは薄利のビール類は、どの店も値上げをするだろう。
 金持ちから税金をとるより、庶民からとったほうがてっとり早いという事は、国家というものが出来てからの常套手段である。能代は連休を迎えて、花見の盛りである。花見にビールは欠かせない。少し興ざめの酒類の増税である。
2006年4月29日 土曜日
リンカーン・フォーラム方式公開討論会の必要性

 リンカーン・フォーラム方式公開討論会とはなにか?
 
日本では、候補者同士の政策論議がほとんど行われていない。リンカーン・フォーラム方式公開討論会はつぎのような目的で候補者の討論会を開催する。

  1、 有権者が政策や人柄あるいは政党の根本方針を見極める機会をつくる。
  2、 政治の抱える問題点や課題が鮮明になる。
  3、 選択の基準が明確になる。
  4、 候補者が、政策や理念を有権者に訴え、共感を得る機会つくる。

 下記のHPにアクセスすると詳しくわかる。
http://www.touronkai.com/manual/ht/index.html 

 前回と今回の市長選挙において、この方式で公開討論会が開催された事は、住民の投票判断の一助になったのではないか。投票の35%は組織票といわれている。投票率が下がるほど、住民の意思が反映されなくなる。それでは私たちのまちづくりは良くならない。そこで公開討論会で候補者を見極めようというものである。候補者の発言の時間や順番や座る位置までルール化するのみでなく、来場者のマナー等もルール化している。

2006年4月28日 金曜日
ちょっと高い席に座ったら議会の様子が違って
 きょうは新能代市議会の説明会であった。年齢順の席であったので、今まで3年間座っていた一番前、つまり一番下の席ではなく、2段目の端っこの席となった。見慣れた議会の風景がとても違って見えた。同僚議員の姿がよく見え、別世界であった。二ツ井からの議員のほとんどは、知らない方であり、彼らとて同じことであろう。
 説明会では、引き続き、議会は会派制をとることとなった。会派の構成はどうなるのか8日までわからない。わたしも、どのように対応するか8日までじっくり考えることにする。 
2006年4月27日 木曜日
たくさんの花束を贈られ、我が家はフローラの香に満ち
 選挙戦に入ってから、女性候補者のせいなのか、選挙ボランティアが女性中心だからなのか、たくさんの花束や花かごなどが贈られて、うれしい悲鳴である。生活空間がこんなに花でいっぱいになるのは、久しぶりのことで、花の香で幸福な気分である。
 花の香に誘われてか、選挙戦の余熱か、選挙が終わってからも、みんなが立ち寄ってくれて、ワイワイ食事が出来ることがうれしい。花の香は甘いが、皆さんから出る選挙戦の反省には厳しいものがある。4年後を見据えての厳しいご意見や励ましが骨身にしみてありがたい。
2006年4月26日 水曜日
残務整理がけっこう続く
 今日も、先の選挙の残務整理作業のためにボランティアがきてくれて、あれやこれや手伝ってくれた。(本当は、手伝ったのは私のほうで、皆さんが積極的に動いているのが現実だが・・)選挙事務所が自宅であり、事務所に出来るスペースもあるので、他から比べると、特別大変だということもないのだろう。それでも、最後にはこまごまとした残務あり、整理が苦手な私にとっては、ふーふーものである。
 それにしても、選挙が終わると、多くの方々には感謝あるのみだが、自分自身に対しては反省することばかりである。
2006年4月25日 火曜日
HP再開で、元気を取り戻す
 公職選挙法による選挙期間中のHP更新禁止を解かれて、やっと私らしさの再開だ。
 私は、能代東インターチェンジ付近に出店が予定されているイオンには、反対である。ただ、今回の市長選にこの課題が明確な争点にならなかったことを残念に思う。この出店がインフラ整備のための公共工事の理由にされることを危惧する。
 ということで、これからも、さまざまな課題について、議会の窓として、逐一報告させていただきます。
2006年4月24日 月曜日
当選させていただき、ありがとうございます
 1週間の選挙戦を駆け抜けました。結果、911票で28位(最下位)当選です。次点との差は12票でした。1票の重さを、このたびもひしひしと感じました。
 選挙期間中の1週間のほとんどは悪天候で、二ツ井ではあろうことか雪が降りました。温度がドンドン下がっていくのと反比例して、選挙カーに乗っている私たちは熱くなりました。それ以上に、議席獲得の戦いは、とても厳しかったのですが、無事当選の結果を得て、ほんとうにご支援してくださった皆様に感謝あるのみです。
ありがとうございました。 
2006年4月15日 土曜日
明日いよいよ私は新能代市議の候補者となる
 公職選挙法により、ここのホームページの更新は禁止される。つまり、選挙中は更新できない。次の更新は1週間後となる。HPを持てる人とそうでない人に差がつくことを不平等ととらえての措置であろうか。
 「人事をつくして天命を待つ」とのことわざがあるが、およそそんな事態でも気分でもない。あれもこれも、私がしなければならなかったこと、やり残してきたことの思いでいっぱいである。アンドレア・ボッティチェリの「アヴェ・マリア」を聴きながら、わたしの選挙準備にかかわり、濃密な人間関係の中で、傷ついたり、不快にさせたりしたこともあったことだろうと、考え込んでいる。それでも、懸命に、わたしのためにボランティアをし続け、支援し、応援し続けてくれた方々に感謝の念でいっぱいである。
 明日になればもっと、もっと、勇気が出てくるだろう。
2006年4月14日 金曜日
新市能代市議戦は28人の定数を36人で争うことになりそう
 正確な候補者数は、そのじつ、16日の告示日に判明するのであるが、現在のところ定数28人に対して36人で争うことになりそうである。態度を保留していた大倉旧能代市前議長が、ここにきて出馬を表明したので、わたし個人としては住民の選択肢が増えたということに関しては、歓迎したい。(15日の朝です。大倉氏出馬撤回とのこと)
 「地域の声に押されて、やるしかない」だなんて、なんということをおっしゃる。「わたしが出たい」とはっきり言った方がよいのではないか。選挙に関して「出たい人より、出したい人」と言う言葉がある。しかし、その前提に、出したい人が出たい人でなければならない。
 平成の合併選挙という、経験したことのない選挙戦がもうすぐやってくる。
2006年4月13日 木曜日
能代市長選公開討論会はやや現職優位か
 今日午後6時45分から、能代市文化会館で豊澤有兄氏と斉藤慈宣氏の2名による能代市長選公開討論会が行われた。斉藤氏のスピーチの上手さには定評がある。豊沢氏のスピーチ下手も織り込み済みである。しかし、両者の討論となると別である。結果、現職やや有利というところか。
 争点のひとつである、能代東インター付近に出店を予定しているイオン郊外型大型店に対して、豊沢氏は市街地の拡大を懸念してはっきり反対の姿勢である。それに対して、斉藤氏はまずはイオンのお話を聞きましょうという、イエスでもないノーでもないコウモリ的な主張である。胸先に突きつけられた能代市を左右する問題に対して、なんらの回答を出さない事は、候補者としてマイナスではないか。
 能代産廃問題に対して、豊沢氏は解決のための道筋を示したのに対して、斉藤氏は、斉藤氏のおんぶお化け、シャドーである能登祐一氏の存在を気遣って、これまたピンボケな答弁であった。
 斉藤氏の「わたしにはプランがあります」は結果として、今日の討論会でもそのプランは示される事はなかった。日本中どこでも当てはめられる最大公約数なプランが陳腐に繰り返されたのみである。
2006年4月12日 水曜日
なんという単調な日々よ
 選挙戦も近づき、行動パターンが単調化している。日記のテーマを探すのがちょっぴり大変である。新聞の時事ネタも大概はローカルでないものが多いし。なんと単調な日々よと思ってしまう。
 さて、山本郡のそれぞれの市町村合併で首長が新町などの選挙に出馬の意向を示しているが、ただひとり二ツ井町の丸岡町長のみが、二ツ井町から斉藤氏が新市の市長選に出馬を宣言しているので、立候補を取りやめている。この事は何を示しているのだろうか。
 丸岡氏のしたたかな政治家としての深謀があるのではないか。今回の市長選挙で斉藤氏が敗北すると想定しているのではないか。また、そのような陰のアクションもある。4年先、8年先、10年先を見越しているのではないか。
2006年4月11日 火曜日
新能代市の市議選立候補予定者は35人か?
 28人が新能代市議の定数である。このたびは、合併選挙という特別な事情であるが、35名が立候補するのではないかとのことである。能代24名(現職19名と元職1名そして新人3名、二ツ井11名(現職10名と元職1名)である。大票田である能代からの立候補者が有利といわれているが、果たして、机上の計算論できまるというわけでもないだろう。開票しなければわからないが・・・
 町村選挙の特色である、集落単位を基盤とした選挙の枠やカラを破り、二ツ井側の候補者が善戦していて、そんな何人かの顔が見え始めている。
 市長選も、二ツ井の斉藤氏が能代での浸透がいきわたっている感じがする。その浸透が豊沢氏をひっくるかえすほどではないというのが、現在のわたしの足で得た感触である。
2006年4月10日 月曜日
自民党の政党車の候補者名連呼が今日も今日とて不協和音
 自民党の政党車が、今日も市内を元気に候補者名を連呼して走り回っていた。天下の政権党である自民党能代支部の断末魔なのか。選管に住民からのクレーム電話が何本か入ったので、選管では注意をしたらしい(人の話では)が、警察のように取り締まる権限がない。
 候補者名を連呼して満足なのは自民党幹部と候補者である。まっとうな意識の自民党員は、塀の上を走るような連呼行為に眉をひそめている。普通の住民は、不快感を持って疑問を持っている。自民党は自ら票減らしをしているのではないか。まあ、自業自得といえるだろう。
2006年4月9日 日曜日
13日にいよいよ聞ける「わたしにはプランがあります」のプラン
 いままで斉藤滋宣氏の新能代市のまちづくりプランが明確でなかった。集会などでのスピーチの内容を伝え聞く事はあったが、「プランがあります」といえるほどのものではなかっただけに、13日の能代市文化会館での公開討論会で、いよいよそのプランを具体的に話してくれるだろう。
 雄弁家である斉藤氏が能代市再生のための政策を話すとき、田中角栄氏的な、つまり野呂田芳成氏的な、旧自民党的公共事業誘導型の利権政治をぬけていないと感じている。例えば、郊外型大型店出店を受け入れる姿勢など、大型店は欲しいのではなく、それにともなうインフラのための公共事業が目的ではないかと思われる。
2006年4月8日 土曜日
民主党代表に真の実力者小沢氏が就任
 最初っから危うい代表だった前原氏が偽メール問題で退陣し、いよいよ真の実力者小沢一郎氏が代表になった。小沢氏が119票で、菅氏の72票に大差をつけての代表戦であった。ここぞというときの逃げの姿勢が気にかかっていたが、民主党建て直しのために奥の院から、やっと出てきた。菅氏や鳩山氏とトロイカ路線で、真に国民のための政党として、自民党に対抗しうる政党になって欲しい。民主党が野党として新機軸の政策を展開する事は、自民党をよい意味で刺激することにもなる。
2006年4月7日 金曜日
かやぶき民家が何軒も!
 この時期、あっちこっち歩くことが多い。カメラ持参で、ちょっとした景色や風物を撮ったりして、私がその場に存在したことを楽しむことにしている。しかし、時として、カメラを忘れるときがある。
 東雲地区のとある地域にはかやぶき民家が点在している。実際に人がそのかやぶき民家で日常の生活を営んでいることに、とても感動した。現在なお住んでくれていることに深い感謝の念を持ちながらお訪ねした。広い土間、太いはり、暖房効果のなさそうな空間、馬がともに暮らしていただろうサイトなど、ひとつひとつが心に響いてきた。
 こんなときカメラを忘れるなんてなんということだろう。歴史の瞬間に立ち会っている気分である。何としても、この原風景を残したいものであると、強く思った。
2006年4月6日 木曜日
政党の政治活動の範囲内か?イエローカードではないか?
 きょう、東雲地区で、農繁期とあって忙しく働いている農家の男性が、わたしに話しかけてきた。「自民党のこれっぱしの車がここいらを走りながら、候補者の名前をさけんでいた」といいながら、自分が見て、聞いた、その宣伝の車の様子を説明してくれた。要するに、これは選挙違反ではないだろうかと、問いかけているのである。
 政党がこの手で候補者の名前を合法性を装って連呼するのは常套手段である。たしかに、不公平・不平等感は否めないが、公職選挙法では取り締まれない境界線上の政治活動のようだ。
 実際に、私は遭遇していないのでどの程度のものなのかはわからない。ただ、住民がおどろき、不快感を持った人が多かった事は確かである。自民党や自民党推薦等の候補者にとって、今回の手段はマイナスにこそなれ、プラスになっているようには思えない。
2006年4月5日 水曜日
「カレーの会」に来てね
 「事務所開きというのもおこがましいので、カレーでも食べながらおしゃべりをして親睦を深めたいと思います。ご近所お仲間お誘いあわせてお集まりください。こんな機会でもなければ出会えない人もいるかも・・・・」「4月9日(日曜日)11時30分から 場所は信太和子事務所 電話 53−2737 会費は300円です」
 というわけで、手作りの素敵なご案内文書を作ってもらって、お昼のひとときおしゃべり会をすることにした。誰でも参加できるので、どうかカレーの会に来てください。
2006年4月4日 火曜日
16日の告示を前にいまだ立候補保留の前議長の不思議
 不思議といえば不思議、さもありなんといえばさもありなん、というところか・・・ この3年間の政和会のダッチロール状態の迷走振りを見ていると、その中心的存在であった前議長が今この時期になって、つまり告示日までに2週間を切った今なお、立候補保留で進退不明とは、なんともはや「アゴタニツク」態度である。
 引き際をきれいにとか鮮やかにというのは、まだ判断能力の有している年齢であればできること。ある限界を超えると、かつての自民党の大勲位と同じ様になるものだろう。人の事は言っていられない、わが身とていつかそのようになるかもしれない。
2006年4月3日 月曜日
「逆らわず、いつもニコニコ従わず」だって
 市議選の立候補予定者が立派なプレハブを立て、必勝と記された箱入りのお酒箱を百以上も飾ってあるのを見ると、ヒェ〜と驚いたり感心したりである。立派な机に、ソファーに、OA機器、名の知れた国会議員などからのドデカイ為書が壁面にところせましと飾っていある。うらやましい限りである。
 私は、自宅で毎日の生活を日常的に過ごしながら、自宅の居間で選挙準備のあれやこれやをやっている。ようするに、コタツ事務所である。コタツの上に電話とパソコンを置いて、作業をしている。
 そんな環境で、今日はコタツ談義で「逆らわず、いつもニコニコ従わず」という言葉を教えてくれた方がいた。おもわず、大笑いである。狭いながらも楽しいスペースである。
2006年4月2日 日曜日
「一人で来たの?」「候補予定者が3人で来たらおかしいよね」
 選挙戦を前に、政治活動の一環として個々面接をしているが、今までず〜と一人で歩いては、自分の考えや政策を訴えてきた。時々、いや、しょっちゅう「一人で来たの?」と尋ねられる。私は思わず「候補予定者がまとめて3人でいっしょに来たらおかしいよね」と答える。
 もちろん相手は、大名行列をなぜしないのをたずねている事は知っている。私にしたらそっちのほうがおかしい。ゆっくり相手と話したいならば、お付の人達が邪魔になるだろう。そもそも、そんな時代じゃない、そんな事は必要条件ではない。
2006年4月1日 土曜日
「議員バッジはいらない」に賛成
 議員バッジはなるほど権威の象徴のようなっており「議員バッジをひけらかす」という表現もあるくらいである。確かに議員バッジが大好きな議員もおり、普段着にもつけているのではないかと思われる方もいる。さすが、パジャマにはつけないとは思うけど。
 過去形になってしまうが、私も議員バッジに対して否定的な見方である。その点では、細川元首相のバッジをなるべく着用しなかったことと共通な感情がある。何しろ、一般質問でバッジをつけないで登壇して、政和会や創政会の議員達がすわっ懲罰といっていって走り回ったくらいである。
 アメリカ連邦議会の上院議員はほとんど着用しないという記事を新聞で見て、なるほどと思った。バッジで権威を象徴するなんていう時代ではない、その政策や発言や活動で議員の議員たる存在を示したらいいのではないか。