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平成17年度の議会通信&日記
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平成18年度議会通信&日記
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2005年6月30日 木曜日
会派拘束はいったいどこの会派からの拘束か?
 中心市街地のくらしを守る会から提出されていた郊外型大型店出店反対の陳情を不採択にした政和会の4議員に対し、能代市の住民の非難が集中している。自民党創政会も不採択にしたが、どうせ自民党は利権あさりだからさもありなんとあきらめて、怒りを政和会に向けているのだろうか。それにしても、住民の怒りの原因は政和会のあまりにもあからさまな矛盾にある。
 政和会は大倉議員が議長なので採決には加わらない。1万5千人の陳情を不採択にした議会に対する不信感と怒りの大きさに、大倉議員ははいまさらながら、会派として採択に決めてあったはずなのにどうしたことかと、弁解がましい。あとの3議員も、同じ様に、自分は採択であったが、自分の意見は少数派であったので仕方なく多数派の不採択に組したと言い訳している。ならば、4人会派で4人全員が採択であったのに、会派拘束で不採択にしたという事はどういうことか。議決の際は、ともに採択を会派で決めた。しかし、時がたつにしたがって、ことの重大さに恐れおののき、まわりの人々に、本当は不採択であったといわざるを得なかった。
 その会派拘束とは、自民党創政会の会派拘束に縛られたということである。4人会派で議長をだすということは、最大会派の創政会の票をもらなければできない。かくして創政会に操られるということである。つまり、目が住民側を見ていなかったということである。1万5千人の署名よりも、議長の席を与えてくれた創政会に重心を移したということである。
 政和会議員はいまや針のむしろで、弁解・言い訳・詭弁に汲々としている。不採択は誤りであったと素直に認め、能代の街づくりのためにやり直すことぜひすすめたい。仮称「能代まちづくり市民会議」のメンバーは、懐が大きいので、いつでも歓迎するだろう。
2005年6月29日 水曜日
中心市街地のくらしを守る会は発展的解散
 中心市街地のくらしを守る会が、1万5千人の住民の署名とともに市議会に提出していた郊外型大型店出店を反対する陳情は、不採択となった。しかし、くらしを守る会では、大型店出店反対のために結成された会のあり方を見直し、能代市の街づくりを目指し、広く市民参加を目指し、仮称「能代まちづくり市民会議」として、発展的解散、再結成することにした。
 市議会での、まさかの不採択に、くらしを守る会は、危機感を更に強めたようだ。他人頼み、神頼みの街づくりではなく、まず自らが暮らしやすい街をつくるために、汗と知恵の限りを出さなければならない事を再確認したのではないか。
 逆説的な意味では、不採択という結果は、市議会の現状をさらけだし、各議員の旗色をはっきり認識したことだろう。そして、自らの会の進むべき方向もこれで鮮明になった。更にパワーアップした会を、応援したい。
2005年6月28日 火曜日
長期入院シンドロームか
 入院中の父から、今すぐに来てほしいとの電話があった。そういえば、ここ1週間くらいイエローカードを出していたような気がする。このようなこと、いつだって後で気がつく悲しさである。病気の回復に波があり、退院の時期の判断が難しいことは素人の私にも分かる。しかし、本人にすれば、先の見通しのないエンドレスの入院のように思えて、精神的に参ってきていた。
 死にたくなるときもあるとのことで、精神的な治療も必要なのだろうが、肺の治療と同時に行う事は危険なので、出来ないようである。本人を励ますことは、最も避けなければならないので、話を十分に聞いて、本人の望む方向を、病院にお願いするしかない。
 どのように生きるのか、どのように死ぬのか、私としては本人の選択権が大きいと思っている。狭いベッドでのみ、長い間生活することによる精神へのダメージの大きさは、健常者の想像以上である。たとえ、酸素吸入をしてでも、介護の母との二人暮しを望むのであれば、そのような手続きをしてあげたい。
 政治好きの父のことなので、独断と偏見をまぜた政治談議を自宅ですれば、きっと健康を回復するに違いない。両親の介護に関して、私は重荷と感じたことはなく、これはこれで、生活の一部として自然に受け入れている。
2005年6月27日 月曜日
「おらほの館」でラベンダーの鉢植えを買う
 公費で視察・研修した場合は必ず、複数の手段で報告してきた。一人の議員として、視察や研修で学んだことを明らかにし、そしてそれを政策提案する事は義務であると思っている。そして、私は実践して来た。能代市議会では実践少数派であるが、人がどうであろうと、貴重な機会を与えてくれた住民に対して、報告する努力を欠かしたくはない。
 ところで、昨年の建設委員会の視察先は北海道の富良野市であった。視察目的は除雪施策であったが、観光でも参考になる点が多々あった。富良野市はラベンダーを観光の目玉の一つとしている。そこで、峰浜村でラベンダー祭が開催中とあって、早速ラベンダーの鉢植えを買ってきた。富良野視察の思い出が、今年ラベンダーとなって、我が家の玄関を華やかにしてくれている。
 もう一つのラベンダーの思い出は、「アルト・ハイデルベルグ」(別名、王子の恋)で有名なドイツのハイデルベルグを旅したとき、ラベンダーのポプリが店先にあり、素敵な香りに誘われて、そのラベンダーを買った。学生の身とて、手元不如意であったが、ドイツの思い出として、長いあいだ私の心を豊かにした。
 あまたある花の中で、ラベンダーは私にとって、特別な花である。
2005年6月26日 日曜日
あきた白神観光プレスツアーがやってきた
 峰浜村で今年から、米つくりをしている。きょうのメーンの作業は草取りである。桃の花の盛りの頃に植えた稲はだいぶ大きくなっているが、そのぶん見事な雑草である。朝からの草取りは、お昼を終えて、再び田んぼでぬかるみながら作業をしていると、市職員に引率された「あきた白神観光プレスツアー」の皆さんがやってきた。
 これは、能代市主催で旅行関係のマスコミ関係者を招待して、観光振興アドバイスとともに、能代市の観光を全国に発信していただこうとのことである。25日には白神山地関係、今日は手這坂や山本町を見学した。
 特別な接待はせずに、あるがままの能代山本を見ていただこうというのはとても結構なことである。能代市主催で能代市の費用負担であるが、能代に限定せず、山本一円を見ていただいた事は、観光の案内としてはいいことである。食事も普通の住民の利用しているレベルでというのもいい。
 素人の田んぼつくりはどのように感じたであろうか。
2005年6月25日 土曜日
「クール・ビズ」なるほど、名称が社会化を推し進める
 一昔前、羽田孜元首相が半そでの背広を「省エネルック」と称して日本中に広め、夏場のエアコンによる電力の省エネ化をはかろうとした。羽田氏は、その後、誰がなんと言おうと夏場はその省エネルックを押し通して、信念のある省エネ代議士ぶりを示したが、いかんせん、一般化とまではいかなかった。ところが、今年、「クール・ビズ」と名称変更したとたん、省エネファッションが日本中に浸透した。顧客相手の営業担当も、クール・ビズですと言うと、なんとなく、 相手方への礼儀を失していない意思証明のように感じられる。
 そういえば、セクハラ(セクシュアル・ハラスメント)という用語がなかったとき、性的嫌がらせは社会に容認されており、それが犯罪的行為であると誰も思わなかった。ドメステック・バイオレンスという言葉がなかったとき、夫が妻に暴力を振るってもそれが生命に関わるものでなければ、警察も黙認していた。
 クール・ビズという言葉も、何か響きがよい。率先して実践している小泉首相もクールに着こなしており、とても似合っている。言葉の持つ、不思議な力である。
2005年6月24日 金曜日
秋田市長選の投票率は33.71%の低調であった
 秋田市の有権者の3人のうちの2人が、秋田市長選挙を棄権したことになる。対抗馬がにわか仕立ての共産党候補であったので、どうせ佐竹現市長で決まりと思い、投票所に足が向かなかったのだろうか。それにしても、あまりにも低い投票率である。佐竹氏への信任投票といわれた選挙であるが、信任に翳りがさすことになるのではないか。
 とはいえ、佐藤純子候補は、佐竹氏の69,274票には大きくみずを開けられたが、19,638票と大変な善戦であった。無投票にさせなかったことも、大いに意義のあることであった。「どうせ供託金没収だろう」と佐々木秋田市議の暴言が問題になったが、この得票を見て、佐竹氏の批判票の受け皿にもなったことが確かである。
2005年6月23日 木曜日
今野氏の監査委員続投の奇奇怪怪
 議会選出の監査委員は、議会が推薦して市長が任命するというシステムである。監査委員は2年ごとに交代する慣習がある。選出に当たって、会派代表者会議で話し合われ、全会一致が原則である。会派代表者会議に持ってくるまでに、根回しが済んでおり、会議は出来レースとなる。しかし、改選期の6月議会では、会期最終日まで人選がもつれ込んだ。
 全会一致で決まらなかった監査委員選任方法を、議長は議員の頭数の賛成多数ということにした。そこで今野氏が選任された。(たぶん?)大倉議長は今野氏の監査委員の辞表に今度は日付を入れて豊澤市長に持参した。そして、新任の監査委員も今野氏である旨を伝えた。そんなむちゃな! 当然、市長は議会に差し戻した。ならば、続投すべしということになった。
 書いていても複雑で、頭が「くまがる」が、その心は、そんなにしてまで今野氏は監査委員にしがみつきたかったのかと、役ほしさの根性にただただ拍手喝さいである。 
2005年6月22日 水曜日
「中心市街地のくらしを守る会」と1万5千人の署名は利益誘導の前にひとたまりもない
 くらしを守る会から提出されていた大型店出店反対の陳情は、自民党会派の創政会と自民党傀儡の政和会の2会派によって不採択となった。くらしを守る会の人たちなどがどんなに失望しているかと思うと、とても心痛む。
 不採択した・薩摩博・伊藤洋文・原田悦子・後藤健・塚本民雄・斉藤宗一郎・熊谷健・矢田部昌・武田正広・工藤勇男・竹内宏の11議員の名前をしっかりと、記憶して、記録しておいてほしい。くらしを守る会のメンバーが投票した議員もいるかもしれない。そういう方は、どうして不採択にしたのか尋ねるべきではないか。しかし、当局は、議会の出店反対の陳情書不採択等には影響を受けずに、出店には反対するということである。不採択議員の目的は、利益誘導に他ならない。出店によるインフラ整備の公共事業などに群がるハイエナのようなものである。
2005年6月21日 火曜日
能代市議会6月定例会最終日でした
 議員となって2年が過ぎ、3年目にはいったが、これほど会派間がギスギスし、憎悪の火花を散らした定例会を見たことがない。これまでの2年間は豊澤市長つぶしで、野党となった(市議会で野党与党もないが)自民系会派が市長を攻撃し続けてきた構図があった。今回からは、議会の内ゲバ的様相である。寺田知事の誕生期、田中長野県知事の誕生期のプロセスを、同じ様にたどっているのかもしれない。このような議会の会派環境は市長にとっては、都合がいいのではないか。いいかえれば、市長のパワーアップが見え隠れし、安定してきたとも取れる。
 市長に対峙する会派や議員がいくら多くても、執行者と議会の力関係は、ダンプトラックと乳母車のようなものである。ただし、この乳母車は、ダンプトラックを高速道路の真ん中で止めることもできるが・・・
 前回同様に、このたびもまったく調整能力に欠ける議長の存在は、議会内を更に混沌とさせるだけである。市長や当局にとって、嵐が過ぎるのを待つという耐性があれば、議会の数の横暴は、大きな問題とならないはずである。
2005年6月20日 月曜日
2年交代の慣習で監査委員辞表を提出したが、提出していないことと同じ・・・・・?
 2年ごとに交代する議会選出の監査委員の人事で今日も大揉め議会であった。議会3役の一つである監査委員を2年間務めた今野委員は、交代のための辞表をとっくに提出していた。しかし、監査委員に固執する今野議員は、今日も持ち前の闇の取引のウルトラ技を見せてくれた。農業委員を続投したいがために狂気のごとく騒いだ議員の愚かな分かりやすさと違い、さすが裏議会を生きてきた狡猾さであった。
 提出した辞表の日付を記入していなかったとのこと。日付のない辞表は提出したが、提出していないことと同じなので、監査委員の議会での選出は今年はいらない。つまり、辞めていないので、議会での選出人事そのものが必要ないという論理である。議運はそれで煮えたぎった。
 慣例として、会派代表者会議で話し合われることになっているが、今野議員にかんして、賛成3会派、反対5会派で交代を余儀なくされそうになったので、全会派一致の慣例を排し、議運に持ち込み、議員の頭数の多数決で決めようという作戦に変えた。自民党傀儡議長は、調整能力まったくなし。
 私はやっと理解し始めた。議会とはこういう世界らしい。議会に存在するのは、利益誘導だけなのだろうか。この延長線上に、大型店出店に賛成する議員の多さである。
2005年6月19日 日曜日
能代東IC付近に出店予定の郊外型大型店は反対
 「中心市街地のくらしを守る会」では、郊外型大型店出店反対に、1万5千人もの反対署名を集めて、豊澤市長に提出した。くらしを守る会は、中心市街地のみを考えての危機感ではなく、能代市のまちづくりそのものを破壊させると訴えている。しかし、環境産業委員会では郊外型大型店の出店を歓迎する方向で採択・不採択を決めた。6人の委員のうちで小林委員と私の二人のみが大型店出店に反対した。
 少子高齢化で人口が減少する事は明白である。限られたパイの奪い合いをするとき、この郊外型大型店は確実に中心市街地にダメージを与えるだけでなく、能代市の街づくりのを阻害する。塚本委員が「中心部の活性化と大型店進出は別問題」と発言して、大型店出店を歓迎する決定を示したが、別問題と考える能代市民は誰もいない。
 雇用の創出は、他の商業者をつぶしたならば、社会不安を大きくするだけである。中央の商業資本は日本戦略のもとで、店舗計画を進めており、地元の街づくりには関心を持っているわけではない。
2005年6月18日 土曜日
16日の環境産業委員会の突然の審議ストップに抗議した
 17日朝、環境産業委員会の2日目の審議が始まってすぐに、審議のすすめ方に抗議した。16日2時半過ぎ突然、何の説明もなしに委員会の審議を次の日に持ち越す事を薩摩委員長は宣言して、会を閉めた。その日の帰り際に、薩摩委員長は笑いながら、「3時に用事がある人がいるのでうまい具合に終わってやった」といった。しかし、17日の朝には別の弁解をした。「当局の答弁の整理が出来ていないからである」といった。それはウソである。最初から、環境型社会形成費をつぶすことを、創政会、市民の声と委員長の政和会は計画していた。
 17日、遠く離れている終末処理場に保管してある、汚泥の10年分の科学的データを今すぐすぐ出せ、隠すのか、と単なる嫌がらせの繰り返しをした。それなら、16日の答弁に不満があり、早く終わるのであったならば、提出するまでに時間のかかる資料の請求をするべきであった。出された化学成分表は委員の誰もがチンプンカンプンであった。請求した渡辺委員は更に理解できていなかった。
 私は、16日突然、審議を終えた事を強く抗議した。薩摩委員長は、青くなり、唇を震わせて謝罪したが、謝罪するだけでなく再発しないように以後注意する事を強く求めた。あまりにも情けない委員長である。壊れたテープレコーダーのように10時間も同じ質問を繰り返す渡辺委員に、オロオロとなすすべをしらない。 
2005年6月17日 金曜日
語るにおちるという事だね
 今野議員の「信太のHPにあるように監査委員は竹内さんで決まるんでしょうかねえ?」とのとぼけた質問で、なるほどそういうことかと分かった。
 今日午後4時から、会派代表者会議が開催され、監査委員の人事が話し合われた。政和会伊藤議員は「監査委員は市民の声でお願いする」と発言し、創政会は「今野議員(市民の声)でお願いする」と発言した。裏議会の達人今野議員はそういうことで動いていたわけである。2年交代のルールがある監査委員である。すでに2年の任期を済ませ、交代しなければいけない監査委員を続投するために、彼は汗をかいていた。
 バカバカしいと思うことなかれ、議会とはそういうところらしい。監査委員をどうしても、やめたくない、続けたいと言えばいいのに、そうはあからさまに言えないところもかわいいものである。よしよし、続投するがいい。
2005年6月16日 木曜日
議会人事に関して「ドロドロとした暗躍があった」との発言の真実性
 自民党会派の創政会の竹内宏議員は「ドロドロとした暗躍があった」と議会人事の決め方について発言した。まさにその通りである。創政会と自民党傀儡の政和会と蝙蝠会派の市民の声は、結託して、議長選や常任委員会の正副委員長、農業委員、報酬のあるおいしい委員の決め方を、ドロドロした暗躍を持って、ほとんどを自分達で占めた。ドロドロした暗躍こそが、彼らの真骨頂である。
 「ドロドロとした暗躍があった」と、自らの行動を正確に表現するとは竹内議員も正直なものである。その発言を複数の関係者が聞いて納得していた。こういう輩が能代自民党のトップにいるから、まっとうな自民党員が、党を去っていく。これからも、ドロドロとした暗躍という手段で、生きていくのだろうか。
2005年6月15日 水曜日
能代市議会議員政治倫理審査会の正副委員長が出来レースで決定
 政治倫理審査会が昼休みに開かれた。委員長が市民の声の渡辺芳勝前議長、副委員長が一人会派の平野龍市前副議長というものであった。委員は10名である。住民から政治倫理審査の請求が出されている自民党創政会の斉藤宗一郎議員、後藤健議員、塚本民雄議員、武田正広議員の4名は、さすがメンバーとなっていない。
 創政会8人のうち半数の4人が、政治倫理条例違反の疑惑で住民に訴えられている。なんとしても、もみ消したい創政会は、意のままに操れる前議長と副議長を政倫審の正副委員長に選んだ。この二人の前正副議長も、かつて、自民党会派によって選出された。ここでも「誰のおかげで正副議長になったのか」の脅し透かしが効力を持っている。しかし、創政会はジリジリをあぶりだされるように、日に日にドタバタしてきている。創政会の傀儡となった政和会の4人は、政治倫理問題は存在せずの姿勢をはっきりと打ち出したものの、住民の目を気にして、ウロウロの状態である。。
 委員の一人であるわたしは、もみ消し・存在せずは住民への背信であると考えている。きっちりと審議し、報告義務を果たすべきである。 
2005年6月14日 火曜日
またまた、やってくれました
 舐めているというよりは、舐めきっているのかもしれない。
 一般質問の議員の原稿については、第一質問に対する準備周到な市長答弁を期待しているので、議員になってから、どんな問題が発生しても一貫して、善意で提出してきた。このたびの質問には、能代市内での公共事業ではあるが、県が工事主体のものがあった。能代市で、把握していない部分については、市が県に問い合わせるのは当然である。
 ところが、ヒアリングの際に、メモ書きもしている未完成の読み原稿を求められたので、庁内関係者以外に漏洩しない事を約束させて、手渡した。他の議員も立会い、厳命して渡した。しかし、その後、何時間もしないうちに、県への問い合わせに、わたしの未完成原稿を持参し、県の職員にそのまま手渡した。このような原稿が市議から来ているので、回答を求めるとのことだろう。松山環境課長は、またまたやってくれました。
 助役はすぐに、組織の問題として、解明・再発防止・謝罪と迅速に、解決のために動いていくれた。市が問い合わせるのであって、議員原稿が問い合わせるのではない。そのような事をするのは市側の間違いであり、内部問題であると、明快な論理であった。
 孔雀の羽根でないことを十分理解いたしました。
2005年6月13日 月曜日
議会3役の一つである監査委員の不透明な決め方
 議会の3役とは、議長・副議長・監査委員である。もちろん、権威に備わった特別な報酬つきである。議会内の主な人事で、最後の山分けとなる。監査委員の決め方は、議員政治倫理問題と深く関わってくる。4人の第3会派から議長が、8人の第1会派から副議長が選出された。それでは、5人の第2会派で監査委員が決まると議会のバランスがよく、運営にしこりを残さないらしい。しかし、そうはいかないのが、この頃の仁義無き能代市議会である。第1会派の自民党創政会で、監査委員をとりたいとのことである。
 これすべて、能代市役所を震撼させた談合問題、職員の不適正対応と関わっている。第1会派である創政会8人のうち4人が、議員政治倫理条例違反の疑惑で、市民から審査請求が出されている。そこで創政会は、市民から出された審査請求を、議会として政治倫理問題を不問とするためになりふり構わず、4人の第3会派に議長席というエサを持ちかけ、見事に吊り上げた。創政会は市民の政治浄化の願いをどのようにとらえているのだろう。第3会派の4人のうち、政治倫理に政治生命をかけたはずの伊藤洋文議員自身が、政治倫理に問題ありと公表された。政治倫理に政治生命をかけたはずの大倉富士男議員自身が議長となって、創政会の軍門にくだり、政治倫理問題を握りつぶそうと裏取引をしている。そこで、監査委員は創政会でとることになったが、政和会はとりあえず他会派に声がけをしたふりをして、茶番を演じている。創政会は政治倫理つぶしのため、鬼気迫るばかりの動きである。地雷原を走るゲリラの様相である。
 私の役割、仕事は市民からの政治倫理審査請求をきちんとテーブルにのせ、高い政治倫理観・政治道徳観で審査することである。
2005年6月12日 日曜日
山本組合病院の接客(患者等)態度の改善と非改善
 人間とは面白いもので、寝ていて何もせずに、働いている人を観察すると欠点がよく分かるものである。ましてや、入院患者は、病院の空気をいち早く読み取る。さて、山本組合病院の看護師の皆さんは、ひところの無愛想イメージとうってかわって、患者に対して、概して親切である。ただ、忙しいので手が回りきれないというのが、よく分かる。父の入院で毎日、通っているが、経営赤字の増加と比例するように、患者対応もプラスに増加しているように感じる。
 土・日に母を連れて、父の元を訪問すると、車椅子がないので、いつも受付ですったもんだする。今日は子供用の車いすがあるのみであった。受付に普通のをお願いすると「子供用、大人用の区別はない」と断定した。そこで、普通の車椅子を探して持ってきて、比較したら、大きさに違いがあった。だが、小さいほうは窮屈であるという母の主張は無視された。職員教育に手間ひまを惜しむと、このようにお客のニーズに無関心になる。改善部門と、いまだ改善しない部分が、くっきりと残っている病院である。人材育成をせずに、赤字解消はむずかしいかも。
2005年6月11日 土曜日
能代市議会6月定例会の一般質問はいつものメンバーで7人なり
 一般質問は、定例会のたびに毎回一般質問する議員と、時々する議員と、まったくしない議員に分けることが出来る。1、新人議員4人は常連である。 2、女性議員3人は常連である。3、共産党議員は常連である。などの法則性がある。
 一般質問をすればよいというものではない。しかし、一般質問を任期中(4年)に一度もしない議員を住民はなんと考えているのだろうか不思議である。一般質問だけでなく、本会議で一度も発言しない議員もいる。すべては住民の選択である。
 この6月定例会は7人ということで、私の経験からすると一番少ない議会ではないか。創政会は8人の議員が所属しているにもかかわらず、質問ゼロ人である。創政会は自民党会派であるが、党籍をまた得ていない議員もいて、内紛状態のようだ。増加すればそれなりの悩みもあるようだ。
2005年6月10日 金曜日
二ツ井町長選挙に無風を破り、候補者が現れた
 二ツ井町長選挙は7月26日告示で、31日が投票日である。能代市との合併が決まっているので、わずか7ヶ月の任期である。そこで、現職の丸岡町長以外に立候補する人はいないのではないかと予想する人もいた。ところが、昨日、二ツ井町議の加藤長光氏が立候補を表明した。住民にとっては、無風で選択肢のない状態であることは好ましくない。加藤氏の出馬決意に賛意を送りたい。
 加藤氏は、丸岡町長が単独立町を宣言した直後、能代市との合併に奔走し、合併を決めた経緯に対して、住民への説明責任を果たしていないと一貫して批判的であった。一方で、合併を選択した住民投票の結果を尊重し、合併に当たり、小が大に飲み込まれないように、二ツ井の課題を合併で伝えたいようである。
 首長にならんとする者は、世の変化に柔軟に対処する思考と行動が必要であるとともに、1本芯の通った信念が必要である。その信念に、住民にある種のカリスマ的オーラを感じるだろう。加藤氏はいかに?今後の言動に注目したい。
2005年6月9日 木曜日
議員政治倫理条例により公表された3議員 さてどうする
 武田正広議員(創政界)明正学園、伊藤洋文議員(政和会)能代ふくし会、松谷福三議員(直進会)能代ふくし会、以上の3議員が関係する私企業が市との請負契約を結んでいるので条例により公表された。武田正広議員に関しては住民から議員政治倫理条例違反の疑惑がありとして審査請求が出されていた。武田議員は、市にたいして請負契約を辞退する届出をした。
 伊藤洋文氏は、政治倫理に議員生命をかけると主張し続け、疑惑議員に関する怪文書を作成して配布するなど(私の元にも届いている。証拠あり)積極的姿勢を見せていたが、自らが政治倫理条例違反の疑惑がありと公表された。かつては、怪文書で政治倫理条例違反と自民党議員を糾弾したが、その議員たちが所属する創政会議員とがっちり手を組み、自会派から議長を出し、今は政治倫理つぶしでうごめいている。
 その伊藤洋文氏は、このたびの、高齢者福祉政策にして、シルバー人材的議長・副議長選出の功労者である。多くの方に、この議長・副議長の選び方はなんだと、おしかりを受けるが、票を投じたわけではないが、議会人として、ただひたすら恥じて、住民にこの選択を謝るのみである。
2005年6月8日 水曜日
3会派連盟が簡単に反古にされて、そして大倉・矢田部路線が敷かれた
 どのような密約があって、議長大倉富士男氏・副議長矢田部昌氏という、昔の名前で出ています路線が成立したのか、立場が異なると見方も違うだろう。間違いない事は政和会に変節があったということである。第3会派で4人の政和会側から、第2会派で5人の大河・生々・みどりの会連合とその時は3人会派であった青雲会に議長選挙等で共闘を組む申し入れがあった。ところが、申し入れをしてきた政和会が、数日前から自民党会派である創政会と蝙蝠会派である市民の声との共闘に乗り換えたのである。
 そこで、議長は政和会の大倉氏、副議長は創政会の矢田部氏となった。そして、山賊の山分けのごとく委員会の委員長と副委員長の山分け人事をしたということである。当然、政治倫理条例違反で疑念のある議員で満ちている創政会から議長をもらった手前、政和会にとって、政治倫理問題は存在しなくなった。めでたし、めでたしである。議会村の神経消耗戦である。
2005年6月7日 火曜日
離合集散 さまよえる能代市議会 再び会派が分裂する
 今日の議会運営委員会で明らかになったが、10会派が7会派に集約したと思う間もなく、青雲会が分裂して松谷福三議員がひとり会派「直進会」をつくった。市議会はこれで8会派となった。梅田議員と飯坂議員が残った。3人からが交渉会派なので、青雲会は交渉会派から外れることになった。残された青雲会も砂上の楼閣で、流動的である。
 青雲会のなかで松谷議員は意見の一致することが少なかったようである。明政会、青雲会、直進会と、この2年で3つの会派を渡り歩いたことになる。会派がどうであろうが住民には直接関係ない事。しっかりと政策論争をしてくれればそれでいい。
 明日から、6月定例会がある。開会一番に議長の選挙が予定されている。いきなり票が渡され、議長にしたい人物の名前を書くというやり方である。立候補制ではない。市長与党と野党が(この表現は適切でないが)拮抗している。僅差で決まるだろう。ちなみに私は3会派連合となったが、緩やかな連合であり、意見の一致をみるための努力はするが、一致しなくっても拘束しないという約束なので、私自身の基準で議長を選択したい。統一候補を選ぶために話し合っているというが、何の相談もしないのに、決まったら電話をするからその人の名前を書いてくれとのことであった。私がとりあえず納得できると思った人の名前と一致すればそのように書くが、そうでなければ自分の意志を貫くだけである。
2005年6月6日 月曜日
国際禁煙デーは今日までです
 タバコ常用者は、アルコール中毒者ほど問題視されないが、結局のところ中毒症状ゆえに飲用しているとの説もある。タバコの伏流煙が、タバコを吸わない人の健康をも害することがわかり、分煙がだいぶ社会に定着してきている。父が呼吸器科に入院中である。父の病気の根本的原因が若いときヘビースモーカーであったことによる。喫煙の害が数十年後に取り返し出来ない結果を招いている事態を目の当たりにすると、タバコのマイナスの大きさに気が重くなる。
 タバコ税は能代市に3億6千万円もの税収をもたらしている。それによって、健康を害して病院にかかると、その税収は疾病治療に使われることになる。痛し痒しのところである。
 若い方には特に、タバコを吸ってもらいたくない。百害があまりにも目に付き、一利が雲隠れしている。とはいっても、タバコが癒しになっている人もいるだろうし・・ 国際社会は、タバコ喫煙にノーの方向を打ち出している。国際禁煙デーはその意思表示である。
2005年6月5日 日曜日
秋田市長選の告示は来週に
 無投票かと思われた秋田市長選が、旧雄和町の元町議である佐藤純子氏が立候補を表明して、一転選挙戦へと持ち込まれた。無投票という事態は住民の選択を奪うので、それが避けられたのでまずはよかった。女性候補者である佐藤純子氏の勇気に敬意を表したい。
 それにしても、巨像と子犬ぐらいの力の差を感じる。およそ共産党推薦の佐藤氏に勝算を見て取ることが出来ない。民主党や社民党など、いわゆる野党は候補者も立てられないとは残念である。現職は、特別の失政がない限り強い事は自明のことである。だからこそ、ローカル・マニフェストを構築した魅力ある新人候補者を立ててほしかった。これでは、投票率の低下傾向に歯止めがかからないのではないか。しかし、投票する事は住民の権利であるとともに義務でもあることをわすれてほしくない。
2005年6月4日 土曜日
田舎のラスプーチン いよいよ議長席狙いで裏でうごめく
 議会の駆け引きとは神経戦のようなものである。この田舎議会では、人を騙す術にたけて、相手の好きな餌(役)を目の前のちらつかせながらおびき寄せ、囲い込む術をしっている者がおいしい思いをする世界である。その点に関しては、田舎の溝鼠ラスプーチンはその術を知っている。つまり、限りなくきたないということである。自らの議長席狙いの布石である。入れ食い状態で、政和会はまんまとその手のひらに乗せられようだ。これだから政治倫理から早々に手を引くわけである。
 とはいうものの、しょせん議会村の小競り合いである。住民の生活安定を優先に考えての行動ではない。政局を作り出し、コップの中で躍り躍らせられる議会の空騒ぎは、私の理解を超えるものがある。
2005年6月3日 金曜日
政治倫理に政治生命をかけたはずの議員がまたまた逃げをうって・・・・やっぱりね
 政治倫理を糾すことに自分の政治生命をかけたはずの例の政和会議員達が、このたびも手を引くことになった。表には絶対に出ず、相手方の疑惑自民党議員にも悟られずに、署名も集めず、他の議員を動かし、黒子に徹して、市議会の政治倫理を糾すと、あれだけ言い続けた者がいともたやすく逃げをうった。
 手を引いた理由は何かって? 笑わないでほしい。信太のHPが思い込みで記述されているので、政治倫理には関係しないとのことであった。マジ?と思ったが、所詮その程度のものである。本当の理由は、これまた単純である。疑惑自民党議員の復讐や反撃が怖いのである。何をされるか分からない恐怖心で、ここ数年繰り返してきた逃げの一手に走った。もう一つは、自民党会派からおいしい役・委員(おいしいとは報酬があるということ)という餌を与えられ、飼い猫になったのである。今回は、信太のHPが気に入らないという理由を見つけられたのでラッキーであった。よかったね。それでは逃げる理由がチョイト格好が付かないので、信太を名誉毀損で訴えるとのことであった。まったく茶番である。
 議会外活動である個人のHPの記述が気に入らないので、議会の議決で削除させようとする議員達のすることなので、最後は逃げると予想していたので、当然の帰結である。
 我らが会派の幹事長は、このような茶番劇のおかげで、政和会との間に亀裂が入るかもしれないと電話をよこした。亀裂ねぇ、はじめから割れ鍋にとじ蓋だろう。まあ、所詮コップの中の嵐である。
2005年6月2日 木曜日
住民が選択した議員の資格剥奪に走りまわる市議たちの行動に疑問が
 議長という役は議会が選出するので、首を切ることに理があろうがなかろうが、議会で賛否を問い賛成多数で解任する事は、ある意味では議会の権限内である。(問題があるにせよ) 議長は解任されても議員の身分は剥奪されるわけではない。しかし、議員自身が住民が選択した同僚議員の資格を剥奪しようとするならば、住民が納得する理由と法律的に必要にして十分な理由が存在しなければならない。議員は議員によって選出されてはいない。
 私にとって、議員資格剥奪を目的に懲罰動議が可決するという事件がかつてあった。4人が突然「この人は犯罪者である」と訴えたとする。罪状もそれを裏付ける法律も存在しないまま、賛否が問われ、賛成多数で犯罪者にされたとする。このようなことが法治国家で許されるであろうか。憲法で補償された基本的人権に対する蹂躙ではないか。私に対する懲罰動議可決はこれと同じ様なものであった。
 自民党の4人の議員を能代市議会議員政治倫理条例に違反している疑念があるので、議員資格剥奪をもくろんでいる議員たちがいる。懲罰事件と同じ様に、まるで無法国家のごとく、賛成多数の論理で事を運ぼうとしていることに強い疑問と不快感がある。条例違反の疑念に対して、客観的な証拠がためをするとか、法律の解釈の研究をするとか、冷静で論理的な思考と行動が必要である。それを欠いたまま「リンリリンリ」と鳴くことはいかがなものか。私自身、彼らの一部が政治倫理条例に違反しているとの疑念を持っている。公平に論議できる環境を整えて、住民からの訴えを沈着に審議するべきであると思っている。
 政和会のI議員から、人を介して今日は何回も連絡が来た。なんら理由もないのに、議員生命を奪おうとして自ら発議した懲罰動議がいかに高くつくか学んだはずであるが、学習能力が劣るのか、論拠をそろえないまま再び4人の議員をギロチンにかけようとしている。わたしはHPで、そのことの危険性を訴えている。HPを書き換えよ、削除せよと、じたばたしているが、問題の本質はそんなことではなく、自らの政治倫理に取り組む姿勢にある。議員が議員の資格剥奪をする行為は、軽々にしてはならない。ただし、住民は疑念のみで議会に訴える事は構わない。それは住民の権利である。その権利を尊重したい。
2005年6月1日 水曜日
「リンリ・リンリ」と季節外れに鳴くだけの議会虫 今度は?
 「リンリ」とは能代市議会の政治倫理のことである。能代市議会議員政治倫理条例には、議員自身はもちろんだが、議員の配偶者、2親等以内の親族が経営している企業は、能代市と請負契約等をすることが出来ないと規程している。しかし、ダミーの経営者の陰で議員本人が経営していると思われる企業が、能代市と契約をしているとの疑念がある。
 私が議員になってから2年間、議会の政治倫理を糾すべきだとの「声がけ」だけが元気良く、話題には出ていた。今夕、K党のK議員から電話が来た。彼の話によると政和会のI議員が政治倫理に自らの政治生命をかけているらしい。(その話はもう2年間も聞いたので耳にタコができた)今度こそ本気なので、I議員が、信太のホームページに政治倫理に取り組む事を書かないように厳重警告してくれと、きつくいわれたとのことである。2年間「リンリリンリ」と季節外れの虫として鳴くだけのI議員の、またまたのお願いに、私は快く同意した。(?)
 自分じゃ名簿すら集めることも出来ない口先人間、自らは陰に隠れてあなたは議会のジャンヌダルクだとおだてるだけの卑怯者、リンリと鳴くだけで自らは行動をおこさない臆病者。私はこういう人たちを今となっては軽蔑はしない。誰だって自分がかわいいし、仲間の議員を切って捨てることに恐れはある。
 それにしてもI議員は、まったくの免罪、事実無根であったにもかかわらず、私を懲罰動議にかけ、スベって転んで大恥をかいた。きっとそれがトラウマになって、自分はドアの陰に隠れて、愚かにも、人にやらせようとしてるのかもしれない。懲罰で首にし消し去りたいと願望している私ごときに、名簿を集めるように懇願するとは、哀れな方だ。I議員のような者がリンリと鳴いている限りは、疑惑の議員たちは枕を高くして寝ていられるだろう。
2005年5月31日 火曜日
中国副首相の突然の帰国の無礼の意味
 先週、愛知万博の中国デーのために来日していた中国の呉儀副首相は、小泉首相の靖国参拝に不快を示して、首相との会談をドタキャンして、突如帰国した。中国内の反日デモで悪化した日中関係を修復する意味もあっての来日であったが、このことによって更に日中関係は微妙になった。
 A級戦犯も祭られている靖国神社の首相たるものが参拝するとアジア諸国がどのように反発するか分かっていながら、くりかえす。内政干渉云々する前に、国民の不利益を考えたら、別の手段があるのではないか。情けない首相である。
 中国側も靖国参拝への不快感を、予定どおり小泉首相に会って、きっちり伝えたらよかったのではないか。後足で砂をかけて一国の副首相が逃げ去るのは、国際儀礼ではマイナスである。中国の外交はいまだにエキセントリックである事を世界に示した。それだけ、傷が大きいのであれば、言葉をつくして、訴えたらいい。中国の痛みに賛同する日本人も少なからず存在する。
 ドイツとフランスのような関係を築くには、日本と中国にはもう少しの時間が必要である。
2005年5月30日 月曜日
演奏家の成長と変容をひそかに楽しむ
 昨日の箏コンサートで、13弦、17弦、20弦の箏をつかいすばらしい演奏をした木庭袋靖子さんは、97年と99年に能代でも演奏していただいた若手演奏家である。毎年、新趣向でご自分のコンサートを開いているが、そのたびごとに、新境地を開拓している。
 昨夜の演奏会で、人間としてすばらしく成長した彼女は、やはり演奏でそれを感じさせる芳醇な音と曲の解釈を、素人の私も感じた。プログラムの組み方も、そこに聴きにくるであろう年齢層などを考え、親しみを持ってもらうとともに、箏の多様性を紹介できる曲で構成されていた。
 ひそかなるファンとして、演奏家として充実し成長していく靖子さんに期待しつつ、その演奏を楽しんでいる。苦しいときもあったのだろう。ご両親は、自宅で練習している娘の音を聞くと、心の葛藤がわかるようだ。成長の苦しみを経つつ、箏の新世界をつくるあげている若手の一人として、ひそかに期待している。これから何十年も聞いていたい。
2005年5月29日 日曜日
政局はいつも「一話完結」のようだ
 政局に礼儀仁義、恩義などは存在しない、一話完結で、それでお仕舞であると言った人がいた。なるほどそうである。ただし、恨みや怒りは16話シリーズで継続するようだ。市議会議員の大事な仕事のひとつは役や肩書きの分捕り合戦に勝つことでもある。今回は、我が方は一歩引いて、別会派に貸しを作って、次回は有利に展開したい、と思う事は間違いなのだ。一話完結なので、有利に配慮された側は、まったく恩義なぞ感じていない。
 役や肩書きほしさに、信義を売る事をなんとも思っていない議員の多さには感動ものである。役をちらつかせると、入れ食い状態で喰らい付いてくる。それでも、事務方がしっかりしているので、議員はバカ殿でも、議会審議はすすむ。議長はたとえ熊のぬいぐるみでも構わない市議会状況である。
 いま能代市議会は会派再編、政界再編で流動的である。本音がむき出し状態である。
2005年5月28日 土曜日
道州制の概要がいよいよあらわれた
 市町村合併の先には、現在の都道府県をブロックに再編する道州制に行き着く。総務省は同州の区域割り案を出した。8ブロックから12ブロックまでの案である。ただし、東京は単独の州とする案もあるとした。
 この制度の基本をなすのは地方分権であり、国がいかに権限・財源を地方に移譲できるかにある。秋田県は全国でも市町村合併では優等生である。知事も道州制の推進派である。住民にとって、何がベストなのか、誰にも分からないが、走りながら修正していくしかないのだろうか。
2005年5月27日 金曜日
能代市議会再編 「大河・生々・みどりの会連合」会派が結成
 今日の記者会見で明らかになったが、大河の会と一人会派である生々会とみどりの会が連合を組み「大河・生々・みどりの会連合」会派が誕生した。5人で構成される。AM9時15分から記者会見では、どのようなスタンスで連合を組んだかが語られた。
 それぞれ考えはあった。かつてイタリアで中道左派が違えを超えてオリーブの木という連合政権を作ったことがあった。オリーブの木は「平和の象徴で、丈夫で実がなる」という意味である。地方の弱小連合とは、だいぶ差があるだろうが、オリーブの木が私の念頭にあった。メルティング・ポット(るつぼ)ではなく、サラダ・ボールとして、それぞれがフレッシュに味を発揮しつつ、サラダとしてのまとまりがあればいい。私はみどりの会としてこれからもかわらず活動していく部分は大きい。豊澤市長には今までどおり、是々非々である。
 特にこの連合を構成する人たちが無欲であることが魅力である。肩書きに固執する自民党との大きな違いの一つである。
2005年5月26日 木曜日
ゆるやかな連合という考え方もある
 市町村レベル、つまりコミュニティ・レベルでの議会で、会派制は不要であると常日頃思っている。しかし、現実には能代市議会は会派制を採用している。3人以上が所属する会派が交渉会派と称して、議会運営委員会のメンバーになれる。その議会運営委員会が、朕は国家なりとばかり、議運が議会の憲法のような役割を果たしているように見える。「世間の常識、議会の非常識」の典型的な働きをなす組織である。
 私は一人会派なので、どのような不条理なことであっても、議運で発言したり、意思を伝えることはできない。また、そんな組織をある種うとましくおもっていた。しかし、意思を伝達する道を確保する事は構わないという想いがあった。もしかして、他会派とのゆるやかな連合を組み、現実的な選択も有りうるのではないかと考え始めている。
2005年5月25日 水曜日
能代市建設業協会に再生はあるのか?
 能代市の下水道工事の談合事件に、かかわった11社は国・県・市から指名停止処分を受けた。罰金も50〜30万となった。そこで、市建設業協会は鈴木肇会長自ら率先して談合に加わり、処分を受けたことにより、会長を辞任することにした。
 そもそも、市建設業協会は談合するための組織である。出直しだって?再生だって?再発を防ぐだって?笑ってしまう。それでは、本来の組織の意義がなくなる。談合を止めるとしたら組織を解散するしかない。出直しとなれば、よりいっそう巧妙な談合を計画したいということになる。談合は生き延びるための必要悪であるとの考えから抜け出していない組織に、再発防止策などあるはずがない。
 談合は、建設業界の体質の問題もあるが、談合を可能にしている入札制度を改善しない市が一番の問題である。空腹で倒れそうな人の前にご馳走を出し、食べてはいけませんよと、市ではささやいている程度に過ぎない。所詮、そのごちそうとは、住民の税金という他人お金にすぎなという意識があるのだろう。
2005年5月24日 火曜日
畠山正治氏の著書「世界の宝・雁が渡る能代平野 小友沼」を読んで
 小友沼はすでに「東アジア地域ガンカモ類重要生息地ネットワーク登録地」であるが、国際的に重要な湿地としてラムサール条約に登録される事をめざして、能代市は様々な住民団体や地元住民等と協議を重ねてきた。
 そこで、小友沼の歴史や環境を知るために畠山正治氏の「小友沼」を読んだ。水鳥、特に雁の渡りの交差点として小友沼がいかに重要であるか、体系的に理解できた。太平洋側への渡りと、日本海側への渡りの交差点として日本にやってくる90%の雁が集まる。(今年は8万羽を数えたそうだ)農業用水として人の手でつくった沼の本来の役割を優先させつつ、同時にガン類との共存は可能であると読み取った。およそ40年に及ぶ小友沼との縁は、偶然であるようにして、必然であったのかもしれない。それにしても、見事な小友沼の観察記録である。
2005年5月23日 月曜日
なるほど、人生の秋を楽しくすごす3か条
 講演会で時々、フェミニストとなったのではなく、フェミニストとして生まれたとお話されている上野千鶴子東大大学院教授は、私の生きているバイブルである。彼女の人生の秋を楽しくすごす3か条が今日の新聞に載っていた。「1、最期は一人  2、人のためより自分のため  3、選べない家族の縁より選べる他人同士の縁」というものである。そうとも割り切れない部分もあるが、なるほど、なるほどである。
 最期は一人で死んでいくわけだが、あらかじめ予定されたり、計画されたりする出生と違い、おいそれとはいかない。そこで介護保険があり、介護福祉産業がある。最期は一人で死んでいくには覚悟やノウハウあるとの説だ。自分がそんなにうまくいく自信はまったくない。父の見舞いに毎日病院に行っているが、植物状態になって生かされている患者さんを見る度に、自分の身にも起こり得る事だと考える。
 最期はどうなるかわからなくても、人生の秋を楽しくすごすスベを訓練しておく事は大事なことである。そもそも、自分が人生の秋にいるとの思いなしのめでたさである。
2005年5月22日 日曜日
二ツ井町の天神荘解体は残念
 車で通るたびに、米代川のほとりにいつも端正な姿を遠くから眺めていた天神荘が解体されるという。とても残念である。今はエコ・ツーリズムなどの機運にあり、民間ベースで利活用できればいいのにと思っていたが、改修不可能なほどいたんでいるようだ。
 檜山の農家民宿・レストランや峰浜村の手這坂など、住民の手による古い民家を再生し、地域起こしをしているのを見ると、そのような活用が出来たらいいのにと、はためで思っていた。文化財であったり、営林署から二ツ井町が買い入れ譲渡したり、財政が厳しかったりと、問題が複合的に絡み合っていたのかもしれない。
 それでも、それでも、何か手段が有ったのではないかと解体にあったって、二ツ井町の住民が知恵を出さなかったが残念である。 
2005年5月21日 土曜日
JA全農あきたとパールライス秋田に見る消費者不在
 三菱自動車しかり、雪印乳業しかり、お客様は誰なのか見失っていた。JA全農あきたとパールライス秋田による米不正取引事件も、個人的な利益のために不正取引したのではない、農家のため、組織のためであったと、弁解している。それならなおのこと、始末が悪い。個人が欲得で起した事件ならば、対処はそんなに難しいことではない。農家と組織を守るという事は、消費者に喜ばれる米を作り、リーズナブルな価格で販売することである。主役は米を買って食べてくれる消費者である。
 JAは最終消費者に視点がまったく向いていなかった。組織が腐り切っていた。はじめは、罪に意識があったかも知れない。やがて、赤信号みんなでわたれば怖くない、とばかりに組織全体が不正取引という意識が欠如して日常化してくる。三菱や雪印が、消費者に不都合な事をして、どのような手厳しい痛手を食らったか見ていたはずである。
2005年5月20日 金曜日
イラクで行方不明の斉藤昭彦における自己責任
 斉藤昭彦さん(44)は、21年間もフランスの外人部隊に所属していたという。このことによって、初めて、フランスが正規軍として外人部隊を組織して、最も危険な地域に配置しているということが分かった。外人部隊を構成するのはアフリカ、アジア、旧東側諸国といった貧しい国から来た若者が主流であるという。斉藤さんはその後イギリスの警備会社に移籍し、イラクに入国した。戦争屋として危険な人生を歩んできた彼でさえ、攻撃を受け、拘束され行方不明となっている。
 イラクで拘束された日本人の自己責任を問う事は、人道に反するとばかり燃え上がった人たちも今度ばかりは沈黙を保っている。戦闘地域を渡り歩いてきたプロでさえ危険極まりないイラクで拘束されたのは、自己責任を問えないほどイラクは危険な状態にあると再び訴えたらいいのではないか。
 斉藤さんの安全はきわめて悲観的だという。彼が日本を離れた時点で、死と隣り合わせの生き方しか出来なかったのだろう。何をして彼はそのような人生の選択をしたのだろうか。愛する人はいたのだろうか。命をどのように考えていたのだろうか。
2005年5月19日 木曜日
韓国 光州事件から四半世紀が過ぎて
 韓国旅行で一度は訪れたい街が光州である。3年ほど前に訪問しようとして、日程があわず中止したことがくやまれる。光州事件とは25年前の5月18日から27日までに、光州で起こった民主化運動である。その当時の全斗煥大統領の司令下にあった軍隊は、デモ隊を沈静化するために発砲し、およそ200人の犠牲者を出した。
 この事件でもいえる事は、軍隊の存在は国民の命と財産を守るためにあると信じられているが、実際は自国民に兵器を向けて殺す集団でもある。中国の天安門事件しかりである。丸腰に近い市民に、軍は装甲車や軍のヘリコプターから、情け容赦のない発砲を続けた。
 自国民に向けて、銃殺の命令を下したものは誰か、その課程はどのようであったのか、なぜ現場の混乱になったのか、いまだ解明されていない。軍隊とは、自国民であれ、他国民であれ、人を殺すのが仕事の組織である。日本の軍隊再編成しようとの動きに対して、これを許してはならない。同じことが日本でも起きる可能性がある。 
2005年5月18日 水曜日
秋田県 下水道工事入札で談合した業者11社に指名停止処分
社名 代表者 入札額 県と市の処分
佐々木工務所 佐々木雅昭 4000万円 99,6%で落札(予定額は4015万5千円) 県・市3ヶ月指名停止
鈴木土建 鈴木肇 4250万円 能代商工会議所会頭・建設業協会会長 県・市2ヶ月指名停止
斉藤建設 斉藤正寛 4300万円 本人元市議で、長男宗一郎氏は現能代市議 県・市2ヶ月指名停止
工藤建設工業 工藤孝喜 4200万円 県・市2ヶ月指名停止
佐藤建設工業 佐藤秀雄 4290万円 県・市2ヶ月指名停止
秋北建設工業 佐々木鉄広 4260万円 元能代市議 県・市2ヶ月指名停止
秀栄建設 佐藤秀久 4190万円 県・市2ヶ月指名停止
石山建設 石山政光 4240万円 県・市2ヶ月指名停止
水葉工務店 浅田竜太 4100万円 県・市2ヶ月指名停止
三熊興行 三熊金五郎 4350万円 県・市2ヶ月指名停止
小森建設工業 小森洋 4340万円 県・市2ヶ月指名停止
 先日の「とよさわ有兄市政報告のつどい」で建設業協会の関係者から、ここのHPで談合は住民に不利益をもたらすと主張してきたことに関して「私たちも、生き延びていかなきゃいけないのですよ」と暗に談合の必要性を訴え、談合反対HPに対して苦言を呈していた。
 しかし、秋田県もことの重大性を認め11社に対して、市の処分と同じ処分とした。
 山本町のフジ通商と高橋土木に対してもそれぞれ6ヶ月と2ヶ月の指名停止をした。
 また西村土建が作業員の死亡事故を引き起こした。
 公共工事が減る中で土建・建設業界は、追い詰められてきているようだ。健全な経営に目覚め、利益を上げる知恵を働かせてほしい。
2005年5月17日 火曜日
S・C・Dの先生からのお便り
 スコテッシュ・カントリー・ダンス(S・C・D)の先生として、全国の仲間から慕われ、愛されているM先生からのお便りを、今日の例会のとき読むように頼まれた。愛する配偶者を亡くした後の報告とお礼であったが、通り一遍ではなく、とても温かみのあるヒューマンな内容であった。切なさが、読んでいるうちに伝わって、読むほうも聞くほうもジンときた。文の終わりに以前に二人で作った詩が載っていた。
 ブルーベルとユニコーンをデザインしたエンブレムの刺繍のあるカシミアのタータンのサッシュが添えられていた。青を基調としたタータンもまた、亡き人のためにデザインしたものだという。
 S・C・Dは、基本的に8人で踊る社交のためのダンスである。品性を重んじ、仲間を大事にする雰囲気が好きで、私は長いこと続けている。M先生は、私たちにとって、目指すべき理想的なダンサーである。お便りをよんでその思いを更に深くした。 
2005年5月16日 月曜日
ギロチンの続きをどうぞとは・・・諫早湾干拓工事差し止めを取り消す決定
 走り出したら止まれない公共工事の典型として諫早湾の干拓工事が、全国に知られている。今や賞味期限が切れ気味の菅直人議員が、かつて農水大臣であったとき諫早湾の干拓工事に問題ありと提言した。公共工事のあり方を問う問題として全国の注目を集めた。
 有明海の漁業環境の悪化に工事が関与しているとして佐賀地裁が工事差し止めの仮処分決定していた。福岡高裁は、その決定を不服として国が申し立てた保全抗告を認めた。去年8月から工事が中断していた。実際の工事は93%すすんでいる。ギロチンと称された潮受け堤防の293枚の扉の締め切り映像は、公共工事の問題を永遠に視覚に訴え続けるだろう。来年から工事が再開する。
 これだけ進んだ総事業費2460億円の干拓工事をとめるには、漁業権を持っている人たちが、より高いハードルの漁業不振と工事の因果関係を証明をしなければならないとしている。一方で、中・長期の開門調査などを国は実施しなければならない。工事の費用対効果調査することも国の責務とした。
 費用対効果なんてあって無きがごとくである。干拓によって得られる農業生産額など、すずめの涙ほどである。建設業者にとっての費用対効果であるとか、政治的取引にとっての費用対効果であるということなのだろう。
 無駄な公共工事の象徴として、諫早湾干拓工事は永遠に不滅である。
2005年5月15日 日曜日
「 男 と 女 」
 あさって17日「能代フィルムコミッション」が発足する。県内では「かくのだてフィルムコミッション」が知られている。映画やテレビドラマなどの能代市でのロケーションを誘致し、実際にロケが行われた場合はバックアップするというのがフィルムコミッションである。能代で最も映画が好きな人の一人である大友発起人代表は、ロケーションや映画祭を通じた交流で能代市の地域活性化をはかりたいとのことであった。大友さんの熱心なお話をうかがって、このような市民からの地域起こしのアクションは能代市にとって願ってもないチャンスと思い心躍った。
 今日のA新聞に、1966年に封切られたクロード・ルルーシュ監督(当時28歳)の映画「男と女」の舞台となったフランス・ノルマンディーの4千5百人の小さな町ドービルが、この映画1本で世界から観光客を呼びよせることになったとの記事があった。能代もドービルとまではいかなくとも、ロケ地として角館のようになりたいものである。
 ドービルでは高校卒業生全員にこの映画を見せることに決めたという。私も高校生のとき仲良し3人組でこの映画を見た。過去を背負った男女の愛など分かる年代ではなかった。それにしても、40年たってもドービルを世界にアピールしているとは、名画の持つ魔力である。
2005年5月14 土曜日
6市町村合併が崩れたのは市長が酒を飲めないせい?
 きょうの、とよさわ有兄後援会主催の市政報告のつどいで、挨拶の指名を受けた能代市議会議長が「6市町村合併は市長がもう少しお酒が呑めたら崩れなかった」と大真面目で発言した。同じ市議会に属す者として、恥ずかしいと思った。同僚議員に恥をかかせる議長が挨拶をするくらいなら、熊のぬいぐるみにでも、テープを仕込んで、気のきいた事をいわせたほうがよい。この程度の議会にこの程度の議長とはよく言ったものである。しかし、議長が悪いのではない、選択した市議会の責任である。私はもちろん票を入れはしなかったが、それでも、市議会の一員として、選択の結果の責任を負う。
 6市町村での合併枠が壊れたとき、私は断腸の思いであった。崩壊の理由が飲酒できないせいであるとの議長発言は、情けなくて、いまの市議会のていたらくを余すことなく表現している。議長の選出もまっとうに出来ない現状がある。6月定例会で新議長の選出も、単なる勢力争いの結果となるであろう。
2005年5月13日 金曜日
能代市議会のジャンヌダルクは生焼けが食べごろ
 ここのページの4月6日(水)の日記に「ジャンヌダルクなんて真っ平ごめん」と題して、能代市議会議員の複数が政治倫理条例違反のおそれがある事についての、情けない市議の発想を書いた。再びご覧ください。
 議員の各種委員会の組み換えが2年ごとに行われるので、今年度がその年に当たる。わたしはどんな委員会でもOKである。(面白いことに、どの委員会に属すのか、肩書きがどうなるかが議員の最大の仕事でかつ関心事である)政治倫理に問題がありとされながら一度も開かれることのなかった市議会政治倫理審査会の委員にこのたびも属しそうである。
 ジャンヌダルクは戦争高揚の象徴として利用され、その価値がなくなったとき政界と宗教界から見捨てられ、火あぶりの刑となった。ところが、私を能代市議会のジャンヌダルクと持ち上げ、陰から全身(?)で応援すると言った議員は、皆さん揃って、私をはじめに火あぶりの刑に処した。免罪であった懲罰動議という名の火あぶりの刑にした。その後で、政治倫理を糺すため「あなたが救いの女神」ともちあげ、私を前面に出そうとしている。これって逆じゃないかなあ。しかし、きっと、あの火あぶりの刑が生焼けで、ミディアムの食べごろになったのだろうか。シャンパンにはぴったりかもしれない。
 市議会の自浄作用など、百年河清を待つようなもの。政治倫理に違反する議員を選び出しているのは住民自身である。住民が審判する最大の力を持っている。
2005年5月12日 木曜日
斉藤昭彦さんの拘束事件で分かった戦争の民間化
 斉藤昭彦さん(44歳)はイラクでアンサール・スンニ軍を名乗る武装組織に拘束された。斉藤さん拘束事件から、イラクでの戦争をはじめ、世界各地の紛争地では、正規軍の下請けとして、民間会社が最も危険な仕事を請け負っていることが分かった。戦争とは最大のビジネスチャンスである。戦争を題材にした映画よりも、現実の情勢のほうがはるかに、戦争の民間化が進んでいる。外人部隊や傭兵の募集実務、警備会社の活躍など戦場を請け負う死の商人達が闊歩している。
 日本の若者達が戦場の請負人として、海外に出て、さまざまな組織で働いているという事実も明らかになった。傭兵募集に応じるのはアフリカやアジアの貧しい国の若者達であり、自国の正規軍にとって危険すぎる仕事を彼らが補っている。
 戦争を抑止する力よりも、戦争や紛争を推進する力のほうが大きいのは、戦費のあまりにも巨大な額が原因のひとつだろう。
2005年5月11日 水曜日
父 戻 る
 父が退院し、ほっと安心したのも半日。その夜のうちに、再び呼吸困難、高熱で組合病院に逆戻りした。朝の3時に電話で呼び出されたときは、意識が混沌とし、危機的であった。判断能力に幾分欠ける母が、良かれと思って風邪薬やら分けの分からない薬を飲ませていた。我が家の高齢者の発病は、土日の夜中と決まっていたが、今日は水曜日であったので、入院し、午前中にすぐに治療が本格的に開始されたので、回復が幾分早くなったように見える。すっかり入院セットを片付けた後なのだが、電光石火に準備を整え、家と病院の数回の往復で一応の形は付いた。治療などの状況は逐一、看護師にお聞きして、いまの状態を把握することにしている。どの看護師も、親切に対応して、必要な情報を話してくれる。
 一番、安全な場所に父が戻ったと思うと、これはこれでOKである。次に母を慰め、安定させればよい。女性というのは、独りになると電話で友人を呼び出し、おしゃべりに花を咲かせ、快適ライフ求めるので、これもOKである。
 高齢社会実践編として、本人の望む形で生を全うさせることに、私の役目がある気がする。一人で背負わず、介護や治療の社会化を利用して、私も束縛感を持たないようにしている。それにしても、今回の滞在時間の短さは、想定外であった。
2005年5月10日 火曜日
父 帰 る
 呼吸器系の病気で入院中の父が17日ぶりに我が家に帰ってきた。家中の電灯を明るいワットに変えたような、光が戻ってきた。これでひとまず安心である。若かりし頃はハンサムボーイで、中年となってからはダンディマンであった。ところが、80歳すぎたらただのシワクチャおじいさんになってしまった。せめて退院時ぐらいは、男ぶりをあげてやりたいわたしは、病院から温泉に直行した。綺麗にひげをそり、髪は橋本龍太郎なみに柳屋ポマードで塗り固め、おしゃれなシャツに着替えた。しまった、足元が決まっていなかった。100円ショップで入院用に買ったサンダルのままであった。ごめん、ごめん。
 我が家でおいしい物を食べましょうと、買いたいお店を聞いたらロッキーとのこと。現実的だねえ。ババガレイとカブとウナギとヤクルト400(なぜかこれが薬より胃腸によいと信じている)・・・ すっかり元の主夫に戻っていた。 
2005年5月9日 月曜日
故宮腰喜久治画伯の遺作集「能代の橋」を拝見して
 能代の誇りである地元在住の画家であった宮腰喜久治氏は、昨年末に病気で77歳で亡くなられた。能代の文化の巨星がひとつ消えことは大変惜しいことである。そこで、画伯の遺作のうち、能代のタウン誌「筏(いかだ)」のために描かれた表紙絵(淡彩画)のうちの能代の橋シリーズ34作品を編集したのがこの遺作集「能代の橋」である。タウン誌「筏」は(私も寄稿させていただいたが)2002年までの23年間に40号を出版して終止符を打った。
 描かれている橋のうちで今では存在しないものもあるが、わたしにとってほとんどは渡った経験のある橋ばかりある。何気なく渡っている橋も、このような視点で描かれるとまた行ってみたいと思う。特に天内の橋の絵が一番好きである。秋に渡ったとき、里山の美しさを背景に美しくたたずんでいた。先日、渡ったときは、春の風景はバックにとても情緒があった。橋というものは人間や物質を通過させるだけでなく、心の架け橋として、目には見えない精神的なものや文化的なものを運んでくれる。遺作集にはそのような深い想いが表現されている。
 1冊税込み1890円です。市内の本屋さんに売っていますので、ぜひ買い求めてください。
2005年5月8日 日曜日
ビール・発泡酒・第3のビールの味の違いが分からない
 幸いなことなのか、不幸なことなのか、普通のビールと発泡酒と第3のビールの違いがまったく分からない。アサヒのスーパードライがいいだの、サッポロ黒ラベルがいいだのとお好みがあるようだが、私には飲み比べてもよく分からない。そこで、第3のビールといわれて安くて人気のあるドラフトワンを買って飲んでみたが、まったくビール味である。ビール会社もやるもんだね。
 庶民は安い発泡酒で楽しんでいたが、国は弱いものから税金を取りやすいので、庶民の楽しみに対して税を引き上げた。そこで生まれたのが第3のビールである。麦芽をまったく使っていないので、ビールといえないが、安い。焼酎に押され気味のビール会社も息を吹き返すかもしれない。
 私もどうせ味オンチなのだから、第3のビールも楽しみのひとつに加えたい。
2005年5月7日 土曜日
子供の数が24年連続減少は当然の結果
 少子高齢化が問題といわれるが、高齢化には解決策がある。しかし、少子化を食い止めるには、社会構造の根本的な改革が必要であるから、そう易々とはいかない。15歳未満の子供の総人口に占める割合は13.8%である。先進国では最低水準である。中でも秋田県は東京に次いで12.9%と不名誉のビリから2番目である。
 子供が生まれた後の社会的支援施策は、それなりに進んでいる。我が能代市長も保育関係の仕事を経験しているので、「生まれた後」の支援に関しては心砕いているのが見える。問題は、生まれた後よりもその前、つまり女性が生んでくれる策があるかどうかである。
 女性の社会参画の進んでいる国では出生率が上がっている。ところが、今日本では両性の平等と個人の尊厳を明記した憲法24条を改悪し、家族・家庭に女性を引き戻そうとしている。女性の社会進出に必要な選択的夫婦別姓を家庭破壊の元凶と言って、認めようとしない。女性が働きやすい社会は、男性も働きやすい社会である。バックラッシュは更に少子化をすすめるだろう。
 産んだ後のケアよりも、生みやすい社会環境のほうが大事である。わが能代市長も専業主婦のすばらしい妻につくされていることに慣れているせいか、男女参画の意識が発展途上で、保育をしっかりサポートしたら子供はどんどん生まれるという幻想を持っているのではないかと私には感じられる。
2005年5月6日 金曜日
やっぱりあなたを愛せない
 1999年、国旗・国歌法が成立した。どういうわけか、男女共同参画社会基本法と同時に成立した。互いに天敵同士の法律が同時に誕生した。当時、私は、国旗・国歌法に反対した。反対というと、国旗や国歌を認めないのか、と突っ込まれたが、そうではない。国旗・国歌を認め尊重する気持ちは十分にあるが、法律として国民に強要することに反対したのである。法律がなくても、十分に国旗であり、国歌である。
 国旗・国歌法の成立後、やはりというか、当然というか、教育現場での強制、監視が強まった。式典で、立ち上がって歌わない教職員への大量処分がまかり通っている。「子供たちに強制するものではない」という約束は反古にされ、小学校の入学式では新1年生にまで国旗に向かって、国歌を歌わせている。
 大東亜共栄圏の名の下に侵略されたアジアの国々で失われた命を思うと、国旗・国歌そのものには何も罪はないが、わたしの中では軍旗・軍歌と渾然と一体となっている。国旗・国歌を日本人として十分に尊重するが、やっぱり愛することはできない。日本を日本人として心から愛するのみである。
 憲法9条を改悪し、戦争の出来る普通の国になる準備性はこのように着々と進んでいる。阻止できるのは、私たち一人一人の反戦の声である。
2005年5月5日 木曜日
若者の政治への無関心が心配
 先進国の中で、日本ほど政治に無関心な若者のいる国はないのではないか。まわりの20代を見回してみても、選挙に積極的に行こうという若者は少ない。投票しようが投票しまいが自由であると思っているようだ。投票する事は義務であると理解させる教育環境になかったのだろう。
 二ツ井町との合併で来春、新市議員の選挙があるが既存の古い考えの議員はいらない、一掃して、新時代を切り開く議員に替わってほしいとよく言われる。新しい考えの議員を誕生させるには、まずは有権者が新しい考えを持たなければならない。問題ありの議員がいっぱいいるので新市の議員になってほしくないというが、有権者が問題ありの議員に投票する事をやめたり、立候補しないように意思表示する必要がある。議員の資質というものは、住民の資質とイコールである。
 若者に政治への関心を持ってもらうために、学校教育のプログラムの中に模擬投票などを取り入れるなど、積極的な教育アプローチが必要である。新市にふさわしい議員の選択は、若者達が積極的に政治や選挙にかかわることによって実現する。「誰がなっても同じ、ヤジャネ議員」とおさらばするには、若者達の政治への関心が鍵である。 
2005年5月4日 水曜日
女性天皇を認める以外の方法ないでしょう
 「皇室典範に関する有識者会議」では、皇位継承制度の見直し議論を本格的にするようだ。見直しではなく、真実は女性の天皇を認めるための会議のための会議、セレモニーをするということだろう。いまだに天皇陛下万歳の右翼でさえ、自らの根底にある女性差別のジレンマを抱えながら、右翼の支柱である天皇制を維持するには、血統を絶やすわけには行かない、天皇制度を終焉させるわけには行かないらしい。
 認める以外に方法がないならば、あとはその手続きをどのようにするか論議するだけである。わざわざ、男女平等の観点から話し合いをするわけでないと断るところに、保守派の苦悩が見てとれる。勝手にひねくりまわして激論を交わしたらいい。落ち付く先は決まっているのだから。
 50年後100年後、女性天皇論を思い起こしたら、きっと、女性に参政権を与えたらいいのか、女性に博士号を与えたらいいのか、女性に運転免許を与えたらいいのかと論議したあの時代と同じ様、いとも滑稽で、悲しく、切実で、大時代感覚を持って思い出すだろう。
2005年5月3日 火曜日
憲法24条改悪から、憲法9条の改悪を見る
 憲法24条は「婚姻は、両性の合意のみの基づいて成立し、夫婦は同等の権利を有する事を基本として、相互の協力により維持されなければならない。A配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚及び婚姻及び家族に関するこの他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」となっている。
 今日の憲法の会でパネリストの一人である佐藤加代子さんが憲法24条の改悪から、9条の改悪に問題を投げかけていた。軍隊を持ち国家暴力を許そうとする動きは、まず家庭での個人の尊重を無視することから始まるとの発言に、わたしはなるほどと考えた。
 自民党は「家族や共同体の価値を重視する観点から」両性の平等を定めた憲法24条の改悪を検討している。「いまの日本国憲法を見ておりますと、あまりにも個人が優先しすぎで、公と いうものがないがしろになってきている。個人優先、家族を無視する、そして地 域社会とか国家というものを考えないような日本人になってきたことを非常に憂 えている。夫婦別姓が出てくるような日本になったということは大変情けないこ とで、家族が基本、家族を大切にして、家庭と家族を守っていくことが、この国 を安泰に導いていくもとなんだということを、しっかりと憲法でも位置づけても らわなければならない。」(森岡正宏衆議院議員)との発言がなされている。
 私たち一人一人の個人の尊厳が守られることが、他国の人権を守ることである。個人の尊厳よりも、共同体や国家が優先されると人間の顔が見えなくなる。顔の見えない人間は殺しやすい。
 9条を改悪してつくられた軍隊の仕事は人を殺すことである。日本は60年間他国の誰をも戦争で殺してこなかった。憲法9条は、何よりも守られなけれならない。9条を守るとは一人一人が発言することである。
2005年5月2日 月曜日
よくある質問「市長さん、なんとだすっか?」
 「市長さん、なんとだっすか」といった質問を良く受ける。質問をするということは、批判や非難が含まれているということである。議員という蛮族は議会では話すものでが、対住民と対応するときは、ただひたすら聞く側である。質問者の中に、答えが存在しているので、それをお聞きするまで、お話をしていただくことになる。
 市長に対する不満は、それほど的外れでないので、たいがいは同意する。情報として間違っている部分だけは訂正をするが、相手にとってそれはたいしたことでないことので、受け入れてもらう事は少ない。住民の市長批判はそれだけ関心が深いということである。批判のほとんどは合併問題、つまり新市名称に絡む市長の対応に不満を持ってのことである。
 私には私なりに市長に対する評価はあるが、多くの住民の市長評論を聞く事は、市政への住民に関心の高さと思い、楽しみである。たま〜に、市長擁護派もいたりして。市長評価も、時の経過とともに、変容しつつある。これからの1年間、どのように市民に納得していただける市政運営するかで、更に評価は変化するだろう。
2005年5月1日 日曜日
入院中の父のプラス思考に励まされる
 環境が悪いように変化すると、病気中はなにやら神経質になる。しかし、入院中の父は同室の患者さんが意識がなく、昼となく夜となく「あーっ」と不規則に声を発することを、楽しそうに放送音楽だと思えば楽しいものだといって、気にも掛けていない。いつもノー天気だといっては困ったものだと思っていたが、様々な不都合をプラス思考で処理しているのを見て、こちらが励まされた。 
2005年4月30日 土曜日
今年のゴールデンウイークは満開の桜に歓迎されて
 今年のゴールデンウイークは満開の桜に歓迎されて、特別大きなプレゼントをもらった気分だ。近くの公園の満開の桜が見たいというので、母を車に乗せて見学させた。「今生これが、最後の桜だねえ」としみじみという。待てよ、その台詞去年も聞いた。続いて「見納めに、第2小学校の桜と能代公園の桜も見たい」とつづけた。ムムッ、そのセルフも去年と同じだ。という事は、毎年も一緒に見学できる幸せが続いていることだ、とポジティブに考えて、見てもらうことにしましょう。
 いつもドタバタと走り回っている私を見ると、気分が落ち着かないといわれるので、せめて桜に愛されたゴールデンウイーク中は、ゆったりとした演技をして、桜見学をさせてあげたい。「今生最後の桜」がずっと続くように。
2005年4月29日 金曜日
JR尼崎線の脱線事故は死者の数は106人となった
 尼崎線に事故はとうとう百人を超える死者を出した。被害者数では戦後4番目とのことである。たまたま、私および私達が乗っていなかったに過ぎなかったのかもしれない。映像で見る現場は大破しており、まるで戦場のようである。
 偶然1日出発を遅らせたので、トンネルの大事故にあわなかったり、バスジャックに遭わなかったり、という経験をした人もいるだろう。そのように考えると、運命とは、ホリエモン氏の口癖「想定の範囲内」には収まりきれない、不思議さがある。
 時として人間の命は地球より重く、時として人間の命は羽根よりも軽い。時として一人を救うために世界が力をあわせ、時として誰にも見返り見られずに戦争のつゆとなって消える。
 JR事故でなくなった106人の命は、今後の事故の警鐘として、多くの命を救う礎となるだろう。なってほしい。
2005年4月28日 木曜日
30年前の列車脱線を思い出して
 JR尼崎線の脱線事故は死者の数が増え続け、史上最悪となりそうである。私もおよそ30年前、東京へ向かう特急に乗って事故にあった。秋田駅を出発して間もなく、その特急列車は脱線した。さいわいにも、まだスピードを上げる前であったので、死者は出なかった。私は左足を負傷した。
 脱線時の凄まじい力は、列車自体を捻じ曲げ、枕木をなぎ倒し、砂利の中に列車が埋まった状態になった。すべての荷物が進行方向のドアのほうになだれ込んだと同時に、子供達がその荷物と一緒にドア方向に飛ばされて荷物と一緒くたになった。私の横の肘掛は、曲がり列車の外に出たくてもドアが開かなかった。秋田駅の近くであったので、救援隊はすぐに到着した。
 尼崎線に事故は、映像で見てさえも、あまりの大事故に言葉を失うほどである。きっとまだ、中に閉じ込められているが、生きている人はいるに違いない。全力をつくして生存者を救い出してほしい。
2005年4月27日 水曜日
住民からの談合情報を軽視する市の体質は問題である
 住民から談合の情報があると、庁内の関係者で入札に関する審査会が開かれるのは、どの自治体でも同じである。審査会の名称は様々であるが、住民から寄せられた情報をどのように扱うかで大きな差がある。少なくとも、能代市では、住民からの情報に対して厳しい基準を設けて、実質的には住民側から見ると握りつぶす体質であると感じる。住民訴訟を体験した私の実感でもある。審査会とは開かずの門であり、警察の捜査が入ってさえ、開かれることはない。
 例えば、1、談合情報を実名で提供すること。といわれても、談合が官・業一体のなっている事を思うと、匿名で投票したいのが住民の心情である。それが「不確実情報」として無視とは、拒否されているようなものである。2、いつ・どこで・だれが・どんな・・・・との、具体的な記述がなければ、審査の対象としないとのことであるが、普通の住民が、それほど具体的に詳しく知る立場にはない。具体的でないものは「不確実情報」なので無視する。これでは、一般住民の談合情報は受け付けませんと宣言しているようなものである。
 ちなみに、私が、直接問い合わせた公正取引委員会では、住民からの情報は「・・・らしい」というので十分である。確実である必要はない。「・・・らしい」情報の積み重ねが大切である。危険性のともなう実名を要求することはできない。一般住民の談合情報は「不確実」で構わない。それでも自治体は動くべきである。住民が関心を持って監視していることが大事である。とのことであった。
 能代市では、業者の名誉を傷つける不確実な住民情報に対しては、相手せずのとのことだそうだ。情報素人としての住民の立場、実名で不利を被る住民の立場などを考慮してしかるべきではないか。血税より業者の立場を優先的に考える体質が抜け切らない。結局、その考えが業者の体質をも弱体化させている。
 談合がなくならないのは、システムを変える市が、執行しないせいである。制度を変えられない政治力というものもある。
 住民の皆さんは、市の言うところの談合の「不確実な情報」をどんどん提供しましょう。匿名で構わない。うわさ話でも構わない。市におまかせでは、我らの税金は食いものにされ続ける。住民自ら制度の改革を要求することが大事である。
2005年4月26日 火曜日
能代市の公共工事談合問題の氷山の一角が公判で明らかになった
 能代市の下水道工事の入札妨害の事件の初公判が開かれ、やはり、長期にわたり談合を繰り返していた事実が解明されつつある。被告である宇野前都市整備部長は、「順番に工事をとっているなあと感じた」と証言した。入札に参加する相手が分かる指名入札は、地元の業者が決まって落札できるが、談合の温床となる。一般競争入札にすると、市外の業者がたくさん参加し、サバイバル入札となり、市内の業者が落札する可能性が低くなる。
 入札制度の改革をそれなりに市は施策しているつもりである。地元の業者が排除されないように、配慮している。その事を逆手にとって、業界は、相も変らぬ談合に明け暮れている。それを、知っていいながら決定的手を打たない市当局も、しょせんグルである。被害者は住民であり、そのお金は誰のものでもない、住民のものである。関係者にしてみると大鍋の料理であり、自分の懐が痛むわけではない、たらふく食ったほうがいいではないかということになる。だが、神の正義は最後には正しいジャッジを下す。
 また、恫喝で除雪の仕事を有利に請け負っていた「フジ通商」の近藤被告の初公判も同時に開かれた。不当要求に部長自ら屈していたのでは、その下にいる者たちもそれに従っていたのだろう。「怖かった」というのは十分にして必要な理由だろうか。いやそうではない。毅然とノーといえる者が皆無であった能代市職員達に対しても、情けなさでいっぱいである。いざとなったら住民を守る気迫のある者はいるのでろうか。いるはずないよね。
2005年4月25日 月曜日
山崎拓氏返り咲き、ウ〜ン気に入らない
 衆院選の宮城2区と福岡2区で補選が行われた。いずれも自民党が勝利した。それはそれで、住民の選択である。福岡2区では先の選挙で当選した民主党のテニスプレイヤー氏のお粗末振りが際立っていたので、しかるべき結果になったのだろう。それにしても、畜妾は政治家の甲斐性とばかりの前近代的政治家を選択する住民も所詮その程度なのだろう。
 選挙で選ばれる政治家がバカである事は認めるにやぶさかでないがそれ以前に、選択する住民に問題がある。利益誘導型の一部業界がおいしい思いをすることに長けた政治家を選択するにあったって、女性は票の半数を持っているが、その行くえがちゃんと機能していないのではないか。
2005年4月24日 日曜日
残念、手這坂の今年の桃の花も見ずに山崎教授は亡くなった
 菅江真澄が桃源郷と称した峰浜村の手這坂のかやぶき民家の復興保存の価値や重要性をいち早く住民に気付かせ、自らも研究対象とした明治大学教授の山崎光博氏が亡くなられた。とても残念である。昨夏、明治大学の学生20名を引き連れ、かやぶき民家の修復保存の作業にあたってくれた。そのとき、お会いした際、体調を崩したとのことであったが、気丈に学生達とともに、手這坂を楽しんでいる風であった。
 桃の花は今年は連休中に咲きそうである。花の便りも届けることはできない。
 去年の夏、手這坂で作業をする学生達を拝見して、無欲無償で働く若者に「いまどきの若い者達」結構やるじゃないかと感動した。その要に山崎教授がいた。今年の手這坂の雪祭りの様子を私のHPで、ご覧になったようだ。手這坂にとって、巨星が沈んでしまった。
2005年4月23日 土曜日
宗教と政治は結合双生児のようなもの
 宗教が政治の世界に深く入り込み、直接的間接的に政治及び政治家をコントロールするのは、有史以来、自明のことである。コンクラーベで新しいローマ・カソリック教会の法王が決定した。亡きヨハネ・パウロ6世がポーランド出身でナチスドイツの侵攻で地獄を見、抵抗運動しながらも命をつなぎ法王となった。新しい法王ベネディクト16世はドイツ出身である。若かりし頃、ヒトラーユーゲントに入り、意図せずともホロコースト、ジェノサイトする側に存在した。ドイツ人であったものは、悪意がなくとも、意識しなくとも、直接的でなくても、ユダヤ人虐殺の責任、戦争の責任から逃れられないとヴァイツゼッカー元大統領は、スピーチした。このような経歴の新法王が誕生した事を憂慮している。
 法王とは極めて、政治的存在でもある。保守的で、女性の社会参画に理解の薄い法王の誕生を手放しで喜べない。しかし、まだ新法王は未知数である。
2005年4月22日 金曜日
アジア・アフリカ会議が50周年をむかえ感無量
 アジア・アフリカ29カ国の外相がインドネシアのバンドンに集まって、いわゆるバンドン会議を開いたのは1955年、今から50年前の4月のことであった。そして、平和10原則を採択した。(自民党の55年体制がしかれた年でもある)アジア・アフリカにとって記念すべき年であった。
 この会議の意義の大きさは、欧米に侵略され、独立を奪われ植民地化され続けたアジア・アフリカの10億以上の人民が初めて、団結したという点にある。今では独立国がおよそ100数カ国となっているが、発展途上国が多く、国内の統一や外交に常に問題をかかえ続けている。
 インドのネルー首相は反植民地主義、反帝国主義の立場から、戦争のない平和な地域を広める勢力をつくる「第3勢力」を主張していた。特に当時は、民族主義によって誕生した新興国も多く、自由主義陣営と社会主義陣営の狭間で利用され、、旧支配国の影響を受けて、経済上も苦しんでいた。当時、アジア・アフリカ諸国が団結するなどとは夢の夢であった。夢は実現した。
 いまや、アジア諸国は奇跡的な発展を遂げ、国際的な発言力も増している。一方で、アフリカはさらなる混乱を繰り返している。それでも、アジア・アフリカ会議はかつてと比較にならないほど国際力を増している。
 中・高生時代、バンドン会議を学んだときに、心が高鳴った事を思い出した。
2005年4月21日 木曜日
談合で書類送検された土木A級10社に罰金 略式命令
社名 代表者 入札額
佐々木工務所 佐々木雅昭 4000万円 99,6%で落札(予定額は4015万5千円) 起訴
鈴木土建 鈴木肇 4250万円 能代商工会議所会頭・建設業協会会長 罰金50万円
斉藤建設 斉藤正寛 4300万円 本人元市議で、長男宗一郎氏は現能代市議 罰金30万円
工藤建設工業 工藤孝喜 4200万円 罰金30万円
佐藤建設工業 佐藤秀雄 4290万円 罰金30万円
秋北建設工業 佐々木鉄広 4260万円 元能代市議 罰金30万円
秀栄建設 佐藤秀久 4190万円 罰金30万円
石山建設 石山政光 4240万円 罰金30万円
水葉工務店 浅田竜太 4100万円 罰金30万円
三熊興行 三熊金五郎 4350万円 罰金30万円
小森建設工業 小森洋 4340万円 罰金30万円
 能代市発注の下水道工事における談合起訴された業者中10業者に略式命令が出され、左記の通りである。
 鈴木土建の鈴木肇は、他の業者より罰金刑が重く50万円となっている。「佐々木被告から受注した下水道工事の仕事を回してもらい、具体的な利益があった」ということだ。
 鈴木肇は、それでもなお能代商工会議所の会頭として、居座るつもりなのだろうか。
 血税を食いものにする輩は、住民の敵である。会頭として、身の処し方が出来ないとしたら、能代商工会議所そのものが腐敗しきっているとの証明である。
2005年4月20日 水曜日
のしろまちづくりグループ「ニューウエ〜ブ」の会誌8号を読んで
 先日、男女参画や環境問題、そして街づくりに積極的に取り組んでいるグループ「ニューウエ〜ブ」から、会誌を送っていただいた。この会が能代市で注目されるようになったのは市の公衆トイレの現場調査をし、評価基準を設け、公衆トイレの問題点を明らかにしたことである。そのことによって、市の公衆トイレは格段に改善された。街づくりのスタートとして目の付け所のよさに、私は拍手喝さいであった。
 このたびの8号で注目している点の一つに、会員の一人が能代市環境審議会会員となっており、出席した3回の報告が載っていた。地元紙の報道で簡単な内容を目にする事はあったが、案件とその意見内容がしっかりと報告してあったので、とても参考になった。参加した会や学習の機会を文書化して報告することの大切さを学ばせていただいた。
2005年4月19日 火曜日
中国の「愛国無罪」とは、国際社会のおいては、天に唾する思想
 中国は日本の歴史教科書に関して、神経質に反応・攻撃し続けてきた。そのつど、日本の教科書は行きつ戻りつ、戦争でのアジアの痛みに配慮する内容に変更してきた。中国では日本に対する偏向極まりない内容の教科書を使っていながら、日本の教科書には口を挟んでくるのはどうか、と日本人は反発しながらも、内容を変化させてきた。日本人の中にある、アジアへの良心が、歴史教科書だけでなく、教育内容全てにわたって変容させてきた。(例えば、英語の教科書はアジアの内容が多い)
 中国での反日デモが暴徒化して、日本大使館や日本関連企業などに破壊活動した。それを、中国政府は沈静化を目指すところか、逆に静観という名の容認の態度である。「愛国無罪」という言葉が象徴的である。「市民の自発的抗議」「原因は日本にあり、中国にはない」といった態度は、国際社会においては、天に唾する考え、発言である。
 中国は自国の国益を自ら踏みにじっている。無法国家という烙印は、これから教科書問題、海底油田の問題、靖国問題、領土問題において、日本及び日本人は誠実に対応するに値しない国という判定を下すだろう。
 問題が起きたこと自体が問題なのではなく、いかに対応するかが問われるのだ。その点で、中国は失格である。
2005年4月18日 月曜日
知事選の投票率は63%とは、どうしたことだろう
 過去最低の63%の投票率となった県知事選挙を残念に思っている。マスコミの中には低投票率は現職に対する批判の現れであるとコメントする者もいたが、それは違うと思う。争点の不明瞭さが有権者の関心を呼ばなかったのである。そうはいっても、大票田の秋田市で50%の投票率とはあまりにも、無関心層がありすぎる。
 新市も含めた11市すべてで寺田候補が実質一騎打ちとなった佐藤候補を得票数で上回った。自民党推薦の佐藤候補の得票が寺田候補を上回った地域は、郡で言えば、佐藤候補の出身地羽後町以外では、山本郡の八竜町と藤里町である。能代市でも寺田票が上回ったとはいえ、接近していた。能代山本の保守より体質が、このたびも現れた。
 同日選挙となった7町村町の選挙で女性候補者が2名いたが、残念ながら、当選とはならなかった。本当に無念である。女性達はまだ、熾烈な戦いを制する戦略・戦術とも、未熟であるように見えるが、結構したたかなパワーを蓄積しつつある。
2005年4月17日 日曜日
今日は県知事選挙の投票日 必ず投票に行きましょう!
 市議選は1週間である事を思うと、候補者にとって県知事選の17日間はなんという長抵当さであろうと想像している。勇気を持って、立候補してくれてありがとうと言いたい。4人も候補者が出たという事は、過去最多数であり、それだけ住民の選択肢が多いということである。本当のところ、盛り上がりに幾分欠けた選挙戦である。これからの私たちの生活の4年間を託す人を選ぶという事は、住民自身に選択した責任があるということである。棄権することなく、必ず投票に行ってほしい。
 議員や首長というものは、批判されてナンボのところもあり、それが仕事の一部でもある。しかし、選択しているのは住民自身である。投票したい候補がいないということもよく聞くが、与えられた選択肢の中でよりましな候補者を選択しなければならないのは、選挙制度の運命である。どうしても、選択できなければ白票でも構わないのではないか。
 1票の重さは、一人の人間の生活の重さでもある。自らの権利を実行する事は、住民の義務でもある。今日は投票に行きましょう。
2005年4月16日 土曜日
憲法9条を含む改憲報告には反対
 衆議院憲法調査会は、最終報告書を出した。平和の最後の砦である憲法9条を含めた改憲を明示した。改憲の本丸は、軍隊を持つことが出来ない9条を改悪して、軍隊を保持し、戦争の出来る普通の国になることである。そのため、おいしい餌をちりばめた改憲報告である。知る権利や環境権といった、憲法が制定されたときに認識されていなかった権利を明記するとしている。また、女性天皇を認めるなど、国民受けのよいメニューを並べて、その本音は9条を変え、自衛隊を軍隊として強化することにある。
 もうすぐ憲法記念日である。平和憲法は風前の灯である。わたしは、改憲に対して、かたくななつもりはないが、9条を改悪することは日本をかつて来た道に戻すことになると危惧している。9条を改憲する事は絶対反対である。
2005年4月15日 金曜日
身内のつもりが、身外であった
 都市整備部に尋ねしたいことがあったので、1階と2階を訪ねた。外からの訪問者は、カウンターと壁で仕切られた狭いエリアに踏みとどまるしかない。カウンターの向こうにいる職員と個別に接することが出来ないような構造になっている。
 今まで、身内感覚で職員と接していたが、今日の訪問で我ら議員族は身外であったと自覚させられた。けじめは必要であるので、エリアの分断という物理的な面では一応の合格である。面談用のテーブルを囲んで、いろいろ教えていただいた。
 宇野前部長の不当利益貸与に関する書類廃棄・官製談合での逮捕は、市役所に激震をもたらしたことが視覚的にも分かる。物理的な事は、その気になれば1日で実行できる。大事な事は、住民全体への奉仕者としてのコンプライアンス(法令遵守)精神を絶えず醸成する環境作りではないか。
2005年4月14日 木曜日
桜前線北上中
朝日新聞より
  *   夕ざくら鳥海の裾海に入る
  *   花ふぶき畑鋤く人に絡みけり
  *   花弁の振り入る蕎麦を啜りけり
  *   夜桜の押し上げている天守閣

 気に入ったさくらの俳句を載せてみた。俳句の会に入って、わたしもしばらく俳句つくりに熱中したことがある。ある年、桜をよむ全国大会に参加した。なんとそのとき、特選の全国一になった。忘れられない思い出である。 
2005年4月13日 水曜日
ネガティブキャンペーンへの反論は真っ白2行のキャンペーン
 現知事の3選にストップをかけたい挑戦者が、大々的にネガティブキャンペーンを展開していた。それに対して、寺田陣営は表が真っ白な地に、黒文字2行で、選挙で大事な事は当選後の政策であるといった趣旨の反ネガティブキャンペーンを展開している。現職ならではの具体的で、わかりやすい政策を裏側の大文字で印刷している。
 挑戦者とはいつの世でも、今支配している者と比べ不利な立場に立っているものである。毎日、マスメディアに登場して、4年間エブリデー選挙している現職は、情報力でも圧倒的に有利である。人事権を握っており、組織を味方につけている。100メートル走でいうと、挑戦者はスタートラインが現職より後ろにあるということである。120メートルかもしれない。だからこそ、有権者の心に訴える政策が必要である。ホリエモンのように、新時代を私たちに見せてほしい。
 春冷えが続くこの頃であるが、有権者の心も知事選に対して春冷えとなって、投票率が低下する事を懸念する。投票する事は権利であるが、義務でもある。先人がどれほどの血を流して、選挙権を獲得したことか。投票を必ずしてほしい。
2005年4月12日 火曜日
桜が大好きだった友人が天国へ、そして残された者の現実
 学生時代の親友が亡くなった。がんを宣告されてちょうど1年目の今年のはじめ天国に召された。頭脳明晰で、何事にも一途な彼女は、一学年上の先輩と恋愛をして、卒業と共に結婚した。子どものいないカップルであったが、昔と同様にキャンパスで愛に燃えていた頃のまま歳月を重ねた。30年前のフランスの教会での結婚式はまるで夢の国の出来事のようであった。
 がんの宣告で、夫は仕事をほとんど休止して、彼女に付き添った。寝たきりとなり、苦しむ彼女のあらゆる世話をこなしていた。彼女が亡くなると、もしかして、自らも命を断つのではないかと私たちは心配した。そして、この世に、こんな夫もいたのだと感動した。病魔はとうとう彼女の命を奪ってしまった。
 桜が好きな彼女がなくなって3ヶ月すぎた。桜の満開の知らせと共に、その夫は大恋愛のすえ結婚したとの報告があった。我が親友につくしたように、新しい妻につくしている事だろう。生きとし生ける者の現実は、これでいい。
2005年4月11日 月曜日
北秋田市長戦に立候補した小塚光子さんの勇気に敬服
 小さな体のどこにこんなエネルギーと勇気があるのだろうと、常日頃尊敬の念をいだいていた元鷹巣町議の小塚光子さんが北秋田市長戦に立候補した。元鷹巣町長との一騎打ちである。北秋田市は鷹巣町、森吉町、阿仁町、合川町の4町が合併して、人口4万2千人の「北秋田市」として、この4月1日に誕生したばかりである。面積は能代山本を合わせたほどの大きさである。
 鷹巣町元町長である岩川氏の高福祉政策が裏目に出て、福祉の町が政争の町へと混乱し、単独立町の岩川氏の退陣と合併推進の岸部氏の町長当選となった。小塚さんは福祉協議会部長をはじめ、一貫して福祉畑をあゆんできた。映画にもなった福祉の町 鷹巣をつくった功労者の一人である。
 県内で女性首町は、大潟村の黒瀬村長のみである。小塚さんがそれに続き挑戦してくれたことに、賛辞と感謝を送りたい。激戦であることはもとより承知である。福祉は街づくりをした。福祉は産業として町の基盤を支えた。福祉は観光の呼び水となった。福祉は雇用拡大させた。そんな、福祉政策がいま坂を転げている。小塚さんは福祉重視の、市民に開かれた政治を目指している。
2005年4月10日 日曜日
中国での反日デモにみる危うい日中関係
 昨日、反日団体のインターネットでの呼びかけに応じた反日感情を持つ若い世代が、1万人以上のデモ隊となり、暴徒化した。日本大使館や日本関連の商店や企業に対して、投石するなど歴史教科書や日本の国連常任理事国入りに対して不満をぶつけた。かつて中国共産党の一党独裁のもとで、デモなど論外であった事を考えると、これはこれなりに中国にも市民の意思表明手段が存在する時代になったと、隔世の思いでいる。
 サッカーの試合で日本に負け、観衆と一般大衆が同じ様に暴徒化した事件があった。このたびの、デモ隊の暴徒化も同じ様な種類のものである。戦前の日本の若者も「鬼畜米英」と叫んだことがあった。そのたぐいの中国版である。恐るべし、偏向教育である。しかし、世界の万人にとって偏向のない教育というものは存在しない。
 それにしても、貧富の格差や政治の腐敗などの国内問題をすり替え、政府への不満を反日へむけさせている。これほど激化するデモの矛先は、いずれ、不満の本質である中国の政治や経済の矛盾に向けられるだろう。
2005年4月9日 土曜日
知事選挙を手伝って 組織力ってすごいと思った
 選挙は組織力でするもの、こんな当たり前のことが知事選挙をお手伝いして、ひしひしと身にしみた。今まで、女性候補者の選挙を手伝ってきた。たいていは市民運動やPTA活動などをしてきた候補者が多かったので、苦戦が現実であった。私自身がそうである。それでも当選ラインが1000票ラインであれば、落穂ひろい的な作戦で、足で集票することが出来る。しかし、2000票ライン以上だと組織力がなければ、あるいはきちんと組織を作らなければ当選が難しい。そんな体験の連続であった。
 今日は、現知事の応援なので、まざまざと組織の力を拝見した。私は先導車に乗って、前方と左右を良く見ながら手を振り、声を掛ける。運転者は分刻みの運行表をにらみながら微調整する。スピードを調整したり、コースを変更したりして、候補者の登場を待っている地区にたどり着く。隊列が行く先にはすでに、先遣隊が行っており常に現場状況の連絡を取り合う。建設関係、連合関係など、協力し合いながら、選挙カーは能代市を駆け抜けた。
 市町村合併で当選ラインが高くなったので、女性議員は減少するだろうといわれている。実践で戦い方を学びつつあるが、まだまだ、戦車に向かう竹やり状態かもしれない。
2005年4月8日 金曜日
「風の松原中心部散策マップ」有り
 4月5日のここのHPのアクションに風の松原の案内コースがよくわからないと書いた。今日、「風の松原に守られる人々の会」の総会に出席したら、「風の松原中心部散策マップ」がおいてあったので数部いただいた。この会が作成したものである。マップには1周2km・徒歩約40分のトリムランニングコースと1周6kmのサイクリングコースがわかりやすくイラストであらわされている。また風の松原の自然の様子や歴史や全体の地図も載っており、親しみのわく内容となっている。
 いかんせん、一般の市民に十分にいきわたる手段がとられていないような気がする。ある会員はタクシーを乗るたびに運転手さんにお願いしているとのことであった。私を含めた会員が、みんなでマップを示し、風の松原に関心を持っていただけるようにすればいい。
 県南の象潟から本荘にかけての海岸線の松は壊滅状態である事を先日、目の当たりにした。県北八森まで、秋田県全体がマツクイムシの被害が見られる。風の松原の散策は、松林があってのものである。5月8日(日)は風の松原を守る市民ボランティア大会である。皆さんも時間をつけて参加ください。
2005年4月7日 木曜日
名張毒ブドウ酒事件のかくも長き無罪主張 そして、再審請求の認定
 5人の人命が奪われた事件から44年、死刑が確定してから33年である。事件当時は29歳、そして死刑囚となったのは40歳である。そして現在79歳である。あまりにも過酷な人生である。
 奥西死刑囚は再審の決定が出たと聞いたとき、信じられない様子であったとのこと。人生で最も充実した年月を死刑囚として、明日をも知れない日々を過ごした人間の心を推し量るすべを私は知らない。事件を科学的に検証する手段の乏しかった時代の事件では、容疑者の自白によって事件の解明が進められてきた。7度目の再審で開かずの扉がひらいた。あきらめることのない不屈の精神の勝利である。
 奥西死刑囚が真犯人か免罪かどうかわたしにはわからない。しかし、彼が公正な裁きを受けてこなかった事は、取り返しに付かない司法の欠陥であった。100人の真犯人を逃がそうと、一人の冤罪者を作ってはならない。神は、天は、いずれ真犯人を裁きの場に引きずり込むだろう。免罪は人災によって起こる。今度こそ、公正な裁判が実現する事を願うのみである。
2005年4月6日 水曜日
ジャンヌダルクなんて真っ平ごめん
 能代市議会議員の複数が政治倫理条例違反であるという事は、ずいぶん聞かされてきた。ついに、議会自浄化のために政治生命をかけてがんばるという人が現れた。「二ツ井との合併までに、能代市議会の政治倫理を正すことに政治生命をかける。まずは、議員提案で条例の改正に努力する」というので、とうとう行動を起すことにしたのかと、尊敬のまなざしでお話を聞いた。そこで私は、提案する議員はその方のほかに誰なのかお聞きした。「提案議員は4人必要なので、まずはあなた、信太和子さんと、A,B,Cさん(共産党プラスα)だ」というので、ひっくり返ってびっくりした。掃き溜め4人を選択したつもりなのだろうか?ふふん。「自分は表には出ないで、黒子になって、あなた達を裏からしっかり支える。文面作りも任せた。どんどんやってくれ」とのたまわく。あまりの楽しさに、吉本劇場にいる気分で、感動であった。
 「40名の住民の署名で政治倫理審査会を開く予定だ」というので、業界人や支持者の署名を集めるつもりなのかと思って聞いていたら、「私の支持者は署名しない。信太さんさんの支持者とか家族の署名を40名集めてほしい」とつづけた。更に楽しくザ・マンザイをきいた。
 とどめは「信太さん、あなたは能代市議会のジャンヌダルクだ。全身で(??メーワクだよ)バックアップをするから、安心して追及してくれ」とのこと。はははっ。ジャンヌダルクになるには、ちょっとオバサンになりすぎている。政治生命をかけるにはまずご自分が行動してください。自らジャンヌダルク・オヤジになったらいかが?私は私の価値観で行動する。
2005年4月5日 火曜日
能代市役所のペーパーレスなんて幻想に過ぎない
 今日、契約検査課にIN上のすでに公開されている情報について、情報加工しやすいエクセルでの提供をお願いした。なぜならば、市の情報は、市にとって不利な事は、市民が理解し難いように公開している。特に談合関係などは、政・財・官ぐるみなので一般市民にはわかりづらくなっている。ところが、契約検査課から「議会事務局から、議員への情報提供はペーパーでしか出来ないといわれたので、メールでは送れない(今どき?)」との連絡を受けた。市職員がわざわざ二人がさもない情報をペロリと1枚持って我が家に届けにきた。来なくていいといっているのに、人件費とガソリン代の無駄使いである。
 入札・談合関係に関しては電子情報では提供できないとのことだろう。総務に掛け合っても、こと談合関係なので、3役と相談の上、結果を報告するとの事。議会事務局も談合関係になると当局と相談の上でいずれ(永遠という意味?)答えを出すとの事。執行部に都合のよい情報は電子情報でOKであるが、そうでない住民に隠したい情報はNOである。税金を食い物にする談合は市役所、政治家、業界が一体となって初めて成り立つものである。
 ペーパーレスをめざします。eージャパン構想。電子自治体構想。すべて市にとっては全部ご都合主義である。官ぐるみの談合となると、法令によって、紙面でのみの報告となっているので、この件は情報提供できません、といともたやすく拒絶する。
  能代市ではペーパーレスを打ち出し、電子化を叫んでから、紙情報が格段に増えている。幹部の頭がアナログであるからである。
2005年4月4日 月曜日
秋田県知事候補者佐藤正一郎氏のネガティブキャンペーンはマイナスだね
 ドデカイ紙面いっぱいに現知事へ対するネガティブキャンペーンのチラシが昨日我が家にも届いた。アメリカでは一般的なことかもしれないが、ここまでくるとせっかくのクリーンでがんばり屋のイメージのある「正ちゃん」を帳消しにしてしまう。ネガティブキャンペーンは日本ではチラリの段階で終わりにしないと、自らの増票にはならない。
 選管が認めたのか、見落としたのか知らないが、そんな事は関係なく、我ら有権者は怒りぷんぷんよりも、政策が知りたい。正ちゃんでなければ出来ないキラリと光った政策を示してほしい。
 選挙は「政(マツリゴト)」の一環であり、住民にとっては「祭事(オマツリ)」にも通じる何か浮き立つ高揚感があるものであるが、このたびの知事選は遅い春と同じ様に、何か冷え冷えした空気がまだ温まらずの感がする。
2005年4月3日 日曜日
能代市議会議員政治倫理条例の形骸化と談合は同根である
 現在の「能代市議会議員政治倫理条例」は平成14年3月27日から施行されている。この条例の前に平成9年施行の全国に先駆けて「政治倫理の確立のための能代市議会の議員の兼業に関する条例」を制定した。他市町村から注目されたもののいわゆるザル法で、目的とされた議員の政治倫理は法の欠陥をぬって実効性がなかった。そこで、平成14年の条例はその欠陥を補って厳しいものにしたはずであるが、現実には肝心な点がザル法のまま改正された。
 問題とされているのは第11条「議員又は配偶者若しくは同居の親族が実質的に経営に携わっている企業」が市工事の請負契約等を辞退しなければならない、としている。ところが、自分が実質的経営者であるにもかかわらず同居していない高齢の親を名義上の経営者にしたり、社員をダミーの経営者にしたりして、政治倫理条例の網を潜り抜け、市議会議員という有利な立場を利用して、市と請負契約を結んでいるものがいる。
 おまけに談合に加わり警察の取調べの対象となっているにもかかわらず、形式上一社員ということで条例違反でないことになっている。市の担当は知って知らん振り、知っていて積極的に官製談合をつるんでいる。
2005年4月2日 土曜日
復讐するは我にあり ということがわかっていない連中
 合併問題が片付いたと思ったら、談合問題である。当事者は何十年とやってきたことだから、罪の意識がなく、法律に違反しており住民に多大な損失を負わせているという意識が希薄なようである。談合に対して批判的な私に対して、様々な批判手段をわたしに仕掛けていることからも、懲りない面々であると感じている。談合を批判するとは許せない提訴するとまで言いふらしている「馬鹿で無能なアナタこそ早急に市議会議員を辞めて頂きたい」と私にメールを送った人間の言動などはその典型で、復讐するは我にありということが理解できていないようである。彼らに教えたいことがある。必要悪の談合というものはこの世に存在しない、談合は悪そのものである。公正な競争でみんなで安定経営をすればいいではないか。
 商工会議所の鈴木肇会頭は、書類送検され一時潜伏した。たまたま、秋田市に用事があった私は(女性議員を増やす会の打ち合わせやワークショプで)鈴木氏の姿らしきものを見たとHPに書いた。実は秋田市で、安藤副会頭、寺田副会頭、長岡専務の姿らしき者も見たのである。潜伏した会頭と相談があったことだろう。会う事は何も違法なことではない。ただ、政・財・官がダンゴ状態で違法な談合を繰り返しているらしいと想像はできる。思い切った策を取らない市にこそ最大の原因がある。
2005年4月1日 金曜日
わかっているが証拠がない
 能代市の公共工事の入札は長年談合天国であることは議員でなくとも誰でもがわかっている。しかし、これといった証拠がない。状況証拠や、噂話なら毎度の話であるが、決定的な証拠にかける。議員にしても、警察のような捜査権がないので、談合であろうと知りつつもホゾをかんでいる。もっともホゾをかんでいる議員は少数派である。いってみれば、議員も当事者であろうと目されている者と、それを擁護する者が多数派であると思われる。
 議員の政治倫理条例はあって無きがごとくである。わたしは残りあと1ヶ月間は政治倫理委員会の委員である。いわば裁判官のような役割である。にもかかわらず、事これに関しては警察の役割も兼ねさせようと「委員だから、犯人をしょっ引いて委員会にかけろ」と他の議員はうるさく言う。「それをするのは貴方です」というが、ヤバッチイ事はしたくないようだ。監視機能を持っている議会ですら、腐敗の共謀者である。
 談合天国は第一に制度の問題である。浜の真砂はつきじとも世に盗人の種はつきまじ、であり永遠のテーマではあるが、談合という盗人の侵入を防ぐ手段はある。それを断行しない能代市にこそ問題がある。

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