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平成17年度の議会通信&日記
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平成18年度議会通信&日記
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2005年9月30日 金曜日
政治倫理審査会は審査請求3議員に対して勧告さえ出来ず 政治倫理の議会の自殺的結論 その2
 武田正広議員に対しては「平成17年4月1日、第五小学校区に留守家庭児童会はくちょうクラブが発足、5日 入学式が行われた。この運営を受諾したのが学校法人明正学園で、理事が武田正廣議員である。これは明らかに条例に照らし、契約を辞退すべきである」と、市民から政治倫理審査請求が出された。
 法務局の登記には4月1日現在で理事として、学校法人明正学園に名を連ねていた。登記方法がかわり、代表理事のみの登記となり、4月11日には登記簿上抹消となっているが、市の担当には登記簿上はともかく理事であることにかわりない事を明言していた。武田議員は政治倫理条例審査請求が出された後、市との契約を6月6日付けで辞退届けを出し、30日で契約解除している。政治倫理条例違反を自ら認めた行為である。政治倫理審査会では、主に創政会の工藤委員が辞退したから、問題が無いと繰り返し主張した。世間の非常識が、議会の常識となったのは、勧告は全員一致で原則としているので、ダジャクを言う委員が一人でもいれば、真っ黒カラスも白くなる。
 武田議員は、つぎに、名義上理事となっていない
系列学園である明和学園の名で、辞退したはずの留守家庭児童会を引き受けた。現在も、かわらず実質経営者の疑義のある武田議員の学園が問題の児童会の運営を続けている。
 今年1月中旬に武田議員自らが、教育委員会の担当者を訪ねて、留守家庭児童会についての様子を引き出し、暗に引き受けたい旨を伝えていた。条例の2条「議員は、自己の地位と権限による影響力を不正に行使することによって、いかなる自己の利益も図ってはならない」との規定にも違反している。
 武田議員が法務局の登記簿で経営者となっていた事実があったことを無視し、辞退したから疑義無しとは、まさに能代市議会政治倫理の自殺的結論である。創政会が疑義を認めたく無い事はわかるが、政和会委員が創政会の三下となり、請求した住民側に無理難題を押し付ける様は、議会人として恥じ入るのみである。
2005年9月29日 木曜日
政治倫理審査会は審査請求3議員に対して勧告さえ出来ず 政治倫理の議会の自殺的結論 その1
社名 代表者 入札額 (下水道談合事件) 県と市の処分 刑事処分
佐々木工務所 佐々木雅昭 4000万円 99,6%で落札(予定額は4015万5千円
その後潟}ックスが吸収合併
県・市3ヶ月指名停止 懲役1年6ヶ月
執行猶予3年
鈴木土建 鈴木肇 4250万円 能代商工会議所前会頭
建設業協会会長
県・市2ヶ月指名停止 罰金刑
斉藤建設 斉藤正寛 4300万円 長男宗一郎氏は現能代市議 県・市2ヶ月指名停止 罰金刑
工藤建設工業 工藤孝喜 4200万円 県・市2ヶ月指名停止 罰金刑
佐藤建設工業 佐藤秀雄 4290万円 自己破産 倒産(管財人)  県・市2ヶ月指名停止 罰金刑
秋北建設工業 佐々木鉄広 4260万円 元能代市議 県・市2ヶ月指名停止 罰金刑
秀栄建設 佐藤秀久 4190万円 県・市2ヶ月指名停止 罰金刑
石山建設 石山政光 4240万円 県・市2ヶ月指名停止 罰金刑
水葉工務店 浅田竜太 4100万円 県・市2ヶ月指名停止 罰金刑
三熊興行 三熊金五郎 4350万円 県・市2ヶ月指名停止 罰金刑
小森建設工業 小森洋 4340万円 県・市2ヶ月指名停止 罰金刑
 政治倫理審査会は、住民から出された3議員の審査請求に対してなんらの措置さえ決めることなく、お咎め無しの結論を具申した。議会政治倫理の自殺的結論を恥じる。
 能代市はこの表にある11社(ただし1社は倒産したので管財人に)に対して、市下水道工事の談合によって損失を被ったと算定される377万円の請求をした。このたび政治倫理審査請求された斉藤宗一郎氏が実質経営者とされる斉藤建設も含まれる。
 何度も言わせていただくが、政治倫理条例第十一条には「議員又は議員の配偶者若しくは同居の親族が実質的に経営に携わっている企業は、市長との工事請負契約、業務委託契約及び物品購入契約の締結を辞退するよう努めなければならない」と明記されている。法務局の登記簿による斉藤建設鰍フ履歴証明書には、役員として登記してある者は6名である。代表取締役は斉藤議員の父(82)、取締役は母(88)、姉、息子、妻である。監査は伯父である。つまり6名全員が家族親族である。斉藤議員の配偶者は法務局の登記簿に経営者の1員として記載されている。しかも、配偶者に関して、規定に反して関係私企業の届け出さえしていなかった。これが条例違反でなくて、何が条例違反といえるのか。斉藤議員は斉藤建設を代表して、様々な会に何度も列席している。県の入札には斉藤議員本人が何度も参加している。条例によると、疑惑を解明するのは斉藤議員である。これだけ疑惑が限りなく黒になると潔白を証明できないことだろう。
 あまつさえ、審査会は「すみやかに届け出すべし」とのご提案を斉藤議員にお願いするのみである。勧告できないのは、政和会委員の主張によると、審査請求した住民が、裁判における訴訟の証拠のレベルの文書を提出できなかったからだという。この結論の責任を審査請求住民に帰する事は、明らかに条例の趣旨に反する。条例は議員側に疑惑の解明を求め、自らを律することを求めている。
 市民の声会派の渡辺委員長は「議員一人ひとりが考えるべき」と審査の終わりにあって発言している。つまり、個人の問題であり、ワタシャ知らないよということである。人事によって、創政会のコントロールが見事に成功した事を問わず語りしている。
2005年9月28日 水曜日
グリーンツーリズムは民間のエネルギーと自然と人間に対する愛情から
 農家レストラン・農家民宿などグリーンツーリズムが、一般的に浸透しつつある。研修会に参加したり、現地に見学に行ったり、実践中の知人を訪ねたりしている。行政が積極的になり、以前よりは取り組みやすくなったように思える。
 自然に恵まれたこの地において、グリーンツーリズムによる地域おこしは、なんといっても民間の方々のエネルギーと自然と人間に対する愛情が元になる。情熱を持ったある特定の個人、そしてそれを応援する特定のグループ、そして支援する地元の人々の存在がある。そして、地元で固まらず外からの人間を受け入れるオープンさがある。
 藤里町の「白神ぶなっ子教室」は、元小学校の校舎を町から民間会社(ただし、この教室のために会社でNPOのようなものと感じた)が買い取り、白神山地を中心に子ども達や学生、大人たち自然体験を提供している。中心になっているのは、地元の方でなく、白神山地と藤里町にほれ込んだ都会からやってきたご夫婦である。
 民間の情熱にプラス行政の一押しがなければ、グリーンツーリズムによる地域おこしは難しい。ただいま、私の自身のグリーンツーリズム研修の真っ最中である。
2005年9月27日 火曜日
基本的に能代市議会議員倫理条例は自らを律する努力条例である
 条例の第2条第3項に 議員は、自己の職責に反する言動をしたとの疑惑をもたれた場合は、その疑惑を解明し、責任を明らかにするよう努めなければならない」と規程してある。この条例の根幹がこの条文に著されている。住民から疑惑が出されたら、議員側が潔白である事を明らかにする努力をしなければならない。「そんな疑惑はこの通りありません」と具体的に証言すればいい。
 このたびは、住民が議員が条例に違反しているのではないかとの疑惑を持ったので、それを証する書類を添付して請求したのである。しかし、住民には議会調査権はない。かつ、審査請求には、住民側は40名以上の連著を添付しなければならないとの厳しい枠が科せられている。裁判における検察側の証拠のような厳格さを住民に求めてきた政和会委員の要求は愚かしい間違いである。その目的は、倫理つぶしである。そもそも、審査委員は裁判官のような第3者ではなく、仲間の議員たちで構成されている。
 審査会は議決機関ではなく、議長の諮問機関である。最終的には審査会の具申をどのようにするかは議長の権限である。(ありえないが)審査会が疑義有りとして勧告を出すには全員一致が原則である。勧告には次の4通りある。
1、注意 (議長に注意されても、本人は聞き流し無視することが出来る)
2、一定期間の出席自粛勧告 (本人が自主的に出席しないようにして頂戴というもので、本人が出席したければ誰にもとめられない)
3、議長等の役職辞任勧告 (疑義議員に対して大好きな役職をやめて頂けないでしょうかというもので、本人がイヤだとなれば誰にもとめられない)
4、議員辞職勧告 (最も重い勧告である。しかし、これとても、本人が居座れば誰にもとめさせる権限はない。やめる気があればやめてくれませんか、という程度のものである)
 どのみち、創政会議員が疑義をもたれて開かれている審査会に、当事者の創政界から3人もの審査委員が出ているのに、全員一致で勧告など出るはずも無い。議会に自浄能力は存在しない。
2005年9月26日 月曜日
10月10日から写真唐津で唐津勲さんの写真展開催
 「あの頃・写真展 私家版」との題で10月10日から12月8日までの超ロングランで、写真を6回入れ替えつつテーマを決めて、総点数300点を写真唐津の唐津勲さんが唐津写真店で展示するとのことである。おめでとうございます。本当に良かった。
 ご案内状の中に、文金高島田のお嫁さんが膝まづき、牧師様(神父様?)から祝福を受けている写真があった。私にとって、とても印象的であった。和洋折衷がシックリとマッチしておごそかな雰囲気がいっそう強い。
 時を経て、あらためて写真を見ると、時代遅れという言葉が吹っ飛んでしまうほど、その時代にフィードバックする。そして、そのときの自分の生き様を思い出す。たいていは冷や汗でタラタラである。
 どうぞ、唐津写真店に足をお運びください。
2005年9月26日 月曜日
愛知万博が終わった
 2205万人にも参加者を迎えて、185日間の夢の舞台は幕を閉じた。愛知万博を見学した高校生からお土産をいただき、人ごみのすごさと世界中からの様々な展示のすばらしさを聞いた。テレビではたまに見るだという程度であるが終わってみると寂しい気もする。
 わたしは高校3年生のとき大阪万博を見学した。大きな世界的博覧会を見た唯一の機会であった。やはり記憶に残っているのは、入場者の多さと、人気パビリオンの長蛇の列である。人気があるとも思えないパビリオンで民族服を着たアジアやアフリカの人々と直接話したのは初めての経験であった。太陽の棟が象徴的に今も心の中に存在している。その後、大阪万博の会場は一時巨大な公園となった。夢の跡を訪問して、大いに失望した記憶がある。それでも、その時、わたしがそこに居たという思い出は、輝かしく心の残像となっている。
 愛知万博に参加した高校生も、きっと人生の折々に、愛知万博で経験した事を思い出すだろう。
2005年9月24日 土曜日
賞味期限が切れた野呂田芳成氏はただの老害でしかない
 ニュースに「国民新党の綿貫民輔代表が郵政民営化法案反対組に呼び掛けていた衆院統一会派は20日、同党の4人と新党日本の1人、無所属の野呂田芳成元農水相の計6人で結成されることが決まった。名称は『国民新党・日本・無所属の会』とする」とあった。
 人間というものは、若くてもそうであるが、特に年をとってくると、今持っている権勢や影響力が組織を背景にしたトラの衣である事を忘れてしまう。野呂田氏にしてもそうである。肩に羽織っているだけのトラの衣を、自分本人がトラであると勘違いしてきた。
 無所属となった野呂田氏はただの老害に過ぎない。トラの衣をはがされ、哀れな老人のあるがままの姿があらわれた。反対した郵政法案も、場合によっては賛成してもいいとまでいう。それどころか、首班指名では小泉に投票しないという一方で、場合によっては入れる可能性を示唆した。トラの衣をはがされ、刺客を向けられ、自民党を追われ、己というものを現実を知って、ウロウロとさまよっている老害一人である。。
 野呂田氏に尻尾を振った者たちは、顔を向けても体は権力のあるほうに回転している。早晩、顔さえ向けないだろう。元秋田県知事であった佐々木氏の引き際をあやまり、汚濁まみれになったプロセスを同じ様にたどっている。
 引き際を知っているものは多い、しかし、己の引き際を知って実践できるものはまれである。野呂田氏は高齢者なのでは老害なのではなく、代議士として権限を持っている野呂田氏が老害なのである。
2005年9月23日 金曜日
しょせん、ドロボーに金庫番であった
 某審査会に税金ドロボー集団から3名の委員が出た。仲間の税金ドロボー行為を、認めるはずも無い。それどころか、税金を盗られたと訴えた市民を逆に「仲間を悪人扱いするとんでもないやつ」といって非難する。また、税金ドロボーしたといって認めて元に返したドロボーに関しては、戻したからもう違反ではないといって、審査の必要なしという。
 リンリリンリと秋の虫のように鳴いては、リンリに生命をかけていたはずの者達は、税金ドロボー集団から、飴玉をしゃぶらされ、傀儡となって被害者である市民を非難し、無理難題を押し付ける。
 ドロボーはいけませんと注意するには、全員一致の意見でなければならないという約束の某審査会は、とうぜん茶番の出来レースとなる。ドロボーがドロボーをやめたら、ドロボーでなくなる。だから、ドロボーをいけませんとドロボー委員は注意できない。
2005年9月22日 木曜日
やはり、自浄能力の無い能代市議会である
 政治倫理審査会を、裁判での訴訟のような手続きや厳格な証拠を審査請求市民に求めて、政治倫理審査つぶしをしている政和会の愚かな議員がいる。それどころではない。審査請求を出されたのは自民党創政会8名のうち半数の4名である。実際、審査会にかかったのは3名である。創政会の倫理対象外者は4名である。そのうち1名は副議長なので審査会委員には慣習上なれない。創政会派に割り当てられた委員3名は、それしかいないという3名である。
 審査会に出来る事は、勧告を出す程度である。実質的処罰はない。しかし、審査会は勧告は全会一致が原則である。一人でも反対すると勧告は出せない。当事者会派である創政会から3人もの委員が審査会委員となっている。全会一致となるはずも無い。裁判のように、当事者関係で無い人間が審議するわけではない。当事者関係者が審査の現場に存在する。創政会は利権がらみで、仲間を擁護する立場である。どのような証拠・証言を出されようと、全会一致の勧告に同意するはずが無い。
 能代市議会に自浄能力を求める事は所詮無理なことである。政治倫理に政治生命をかけた政和会が急先鋒となって、市民の審査請求つぶしに汗を流している。市民の声会派も同様である。
 能代の自民党は確実に崩壊しつつある。たとえ、議会として疑義無しとなろうとも、能代自民党市議会議員の利権がらみの私利私欲を市民は知ら無いはずはない。
2005年9月21日 水曜日
現庁舎地区一帯開発し、合併新庁舎の候補として能代市の考えを検討する事の提案は英断として評価したい
 わたしは平成15年('03年)の12月定例会の一般質問で学校の統廃合などに絡み、次のような主張をしている。(「かずこの一般質問」をご覧ください)「市町村合併により、能代市に庁舎が位置する可能性が大きいのではないでしょうか。このことによる学校への影響があります。現在地での一帯の再開発による庁舎建設も選択の一つとして視野に入れることも必要です。そうなると第2小学校の統廃合・学区再編もその視野にはいってくるでしょう。合併に絡み、中心市街地活性化のため、第2小学校をどのようにするか大きな要因のひとつとなります」この時期、合併はまだ現実味を帯びていなかった。かつ、現庁舎と第2小を含む一帯の再開発の発想も非現実的にとらえられていた。
 この9月定例会の開会においての提案説明で市長は次のように主張した。「渟城第二小学校の校舎及び敷地については、現庁舎やけやき公園などを含めて一体的に整備することにより、市民が利用しやすい行政エリアとして活用できるのではないかと考え、新庁舎の候補地の一つとして捉え、また、現校舎を庁舎として活用できるかどうかなど、更に検討していきたいと考えています」
 わたしは合併を視野に、現庁舎、第2小学校、けやき公園だけでなく、裁判所とNTTの建物などを中心に再開発する案を機会をとらえて訴えてきた。それだけに、政策的提案を検討逐次に、住民や議会に示す事はこれからのあり方として歓迎したい。ほぼ決定に近い状態で提案され、住民の意見が反映されることが無い場合が多かった。反対の市民運動をしても、強行された。政策提言で大切な事は、プロセスの提示である。
2005年9月20日 火曜日
循環型社会形成事業費の汚泥処理・活用方策調査委託費を否決の理由
 わたし及びわたしの会派は再提案された汚泥処理・活用方策調査委託費に対して賛成の立場を明確にしている。環境産業委員会に属しているわたしは、委員会で展開した反対意見に論理的一貫性を見出すことが出来ず、非建設的な後ろ向きな意見に失望した。
 創政会・政和会・市民の声の会派は、能代が構成員である広域市町村圏組合の中央衛生処理場の汚泥調査に反対し、一方では来年合併する二ツ井町の汚泥(能代が関係しない北秋田市周辺衛生施設組合で処理している)の調査が含まれていないから反対であるという。新市において検討するというのは問題の先送りであるから能代市としての意見を明確にすべきであると言いながら、一方で汚泥は新市になってから検討するべきであると言う。汚泥の受入が不透明で自前で処理しなければならない切羽詰った事情を知っていながら、拙速であり何で急ぐのかと言う。
 反対論は展開するが、さて目前の汚泥をどうしたらいいかの意見はまったく無い。ひたすら反対のための理由を並べるのみである。循環型社会形成は賛成であるが、この案件は反対であると言う。反対である事は耳タコものでよく分かった。しからば、建設的な対案はあるのかといえば、一言も出てこない。リサイクル産業の創設策で市長ブレーンの会社がもうけるとの風聞を大真面目に展開する。
 わたしは、結局、創政会・政和会・市民の声の会派の反対理由は「反対なので反対である」と言う事を理解したのみである。
2005年9月19日 月曜日
能代でもインターンシップ制度が少しずつ浸透しつつある
 9月定例議会で「不登校、引きこもり、ニート(若年未就労者等)の対策について」一般質問をした。ニートをインターンシップ制度と結びつけることには無理がある。ただ、インターンシップで職場体験をすると、それが実務経験となり、職場定着率が高くなる。国会議員だけでなく、地方議会(議員ではなく)もインターンシップを取り入れて、議会開催中だけでも中高生の職場体験学習として受け入れることが出来ないだろうか。傍聴者の案内など、出来ることがあるだろう。
 議会インターンシップで内容を知り、市議会議員に失望する生徒・学生が出てくることもありえるが、被選挙権を得る年齢に達したとき、立候補する若者達が多く出てくるかもしれない。議会は若者を待っている。
 一般質問の回答は次のとおりである。
 「能代商業高校で、社会に出てから即戦力となるための実践的な能力を身に付けられるよう地元企業との連携に基づく「日本版デュアルシステム」の実践に取り組んでおります。夏休みや冬休みなどを利用して、高校生が地元の企業で実習体験をするもので、今年度は能代西高校や能代工業高校にも参加を呼びかけております。市内の中学校では職場体験学習の実施が定着してきております。発達段階に応じた勤労観、職業観の醸成に努めたい」との事であった。
2005年9月18日 日曜日
能代市議会の自浄能力が問われている議会に政治倫理観無しか
 政治倫理条例第十一条には「議員又は議員の配偶者若しくは同居の親族が実質的に経営に携わっている企業は、市長との工事請負契約、業務委託契約及び物品購入契約の締結を辞退するよう努めなければならない」と明記されている。法人登記簿に記載されていようが、いまいが、実質的経営者は市と契約出来ない。しかし、正確にいうならば、実質経営者である議員は契約辞退に、努めなければならない、との努力に過ぎない。仮に抵触したとしても、実質的現実的処罰はない。議員及議会の倫理観が問われている。
 政治倫理審査請求が出された3議員は、住民から請求が出されたことの不透明さを証明しようという言動はまったく見られない。柳谷委員は「問題提起された場合、自分達の倫理問題として姿勢を明らかにしようということで作った条例である。市民の『おかしいな』ということが大事で、請求が潔白である事を証明すればいい。それくらい議員は自分を引き締めなければならない」と発言している。それに対して疑義議員の創政会に属する委員は「そうすれば請求された議員はみな悪人になってしまう。何の関係もないのに(審査を)やろうとしている」と発言している。また、裁判所での訴訟と同じ手続きを要求している創政会傀儡議員もいる。条例の精神や趣旨が、瀕死の状態である。議員の政治倫理は死に至る病を得たがごとく、抹殺されようとしている。なぜそんなことがまかり通るのかだって?議会とは所詮数の論理と心得ている者たちが跋扈しているからである。住民の議会を見る目が厳しいことを知ってか、知らずか。
2005年9月17日 土曜日
「フローラを装うサスキア」となった京野公子さん、本当に有り難う、そしてご苦労様
 衆院選秋田3区に県議を辞任して候補者となってくれた京野公子さんの勇気とすばらしい活動に、ただただ有り難うございます、そしてご苦労様と心から言いたい。京野さんのブログに次のような文が載っていた。彼女こそ「フローラを装うサスキア」その人である。
 「NHKで当確が出るのを待って、みなさまに敗戦のご挨拶をし、その後11時半まで、さらに皆で見続けました。惜敗率がおよばず、比例復活も無理と判断し、11時15分、もう一度敗北宣言をしました。「フローラを装うサスキア」というレンブラントの絵画がありますが(エルミタージュ美術館所蔵)まるで、あの絵のような、素敵な花冠を、事務所のスタッフが作ってくれて、かぶせてくれました。立候補表明からわずか31日間の選挙戦でしたが、みなさまのおかげで、存分に戦うことが出来ました」とブログで語っている。
 わたしは8年ほど前に、京野さんに始めてお会いしたとき、国会議員になっていただきたいものだと瞬時に思った。選挙とは非情なもので、資質や政策と無縁の動きや選択がある。民主党の大敗と連動したことだろう。
 レンブラントはサスキア像を多く描いており、いずれも完璧な美しさで表現している。サスキアは理想の女性であり、やがてレンブラントの妻となった。
2005年9月16日 金曜日
今夜は9月定例会のミニ報告会
 仕事を終えてから、気の合う支持者達と今夜、ミニ報告会を開いた。能代市議会9月定例会は21日の議決を残すのみで、ほとんどの案件の審議を終了した。破壊するための、非建設的な審議の連続であり、市職員達の打ちひしがれた疲労を見ると申し訳なさでいっぱいである。豊澤市長の政策的施策提案である環境型社会形成のための予算を、政策的であるがゆえに、難癖をつけ否決のために汗をながす議員たちの存在を恥ずかしく思う。ダジャク議員のやりたい放題議会を、職員達はどのように見ているのだろうかと想像すると恥ずかしくなる。
 私も、今日は少し疲れ気味であるが、優しい人たちに囲まれて癒された。今夜の一番のご馳走は、焼き鳥である。トリカワの塩焼きが一番好きだ。話題も豊富で、仕事が異なるので、お話が新鮮で、報告するよりも聞くことがフレッシュである。
2005年9月15日 木曜日
議員政治倫理への市民からの疑義は深まり、かつ混迷を増すのみ その3
 やはり、市民から政治倫理審査請求出された武田正広議員に対しては疑義内容は次の通りである。「平成17年4月1日、第五小学校区に留守家庭児童会「はくちょうクラブ」が発足、5日 入学式が行われた。この運営を受諾したのが学校法人明正学園で、理事が武田正廣議員である。これは明らかに条例に照らし、契約を辞退すべきであるである。
 学校法人明正学園の理事に武田正廣議員は名を連ねている。明々白々に条例違反である。だから武田議員は政治倫理条例審査請求が出された後、市との契約を6月6日付けで辞退届けを出している。ところが、その後、留守家庭児童会を引き受けたのは、系列学園である明和学園である。代表者は議員の高齢の義父である武田正高氏である。武田議員は理事として入ってはいない。学園の理事には義母が名を連ねていた。(H17年登記方法が変わり、理事長のみの記載)武田議員は「教育委員会から、受けるところが無いので、ぜひやってほしいといわれたので引き受けた」と審査会で弁明している。教育委員会は、働きかけをしてはいないというが・・・・
 明正学園辞退後、留守児童会に応募の問い合わせをしたのは3団体である。しかし、どういう経緯か、明和学園のみが残ったので、契約したとの事である。ここでもみえてくるのは、官製の条例違反の疑惑である。
 頼まれて疑義ある契約し、審査請求で辞退した、だから、不問に付してもいいじゃないかという創政会の主張は住民には理解されないだろう。 
2005年9月14日 水曜日
議員政治倫理への市民からの疑義は深まり、かつ混迷を増すのみ その2
 やはり、市民から政治倫理審査請求出された後藤健議員に対しては疑義内容は次の通りである。「スポーツ用品等の販売を主業とする潟}ルケンの取締役は後藤福治氏だが、日常的には後藤健市議会議員が実質社長として会社を代表し営業している。平成15年度の能代市物品購入一覧表によれば潟}ルケンは2件の契約、納入している。これは条例に違反している。平成19年の国体の高校野球会場の能代球場の改修とスコアボード電光掲示板の工事を市は行った。この工事契約に当たって、市野球協会会長であり潟}ルケンの実質経営者である後藤健議員は、特定業者の製品を強く推薦したが、落札しなかった。その後落札状況について行政批判を繰り返した事は、特定企業に有利な取り計らいをしないことや公正な職務執行を妨げない事を定めた条例に違反しているということである。
 法務局の登記簿による履歴証明書によると、潟}ルケンに役員として登記してある者は4名である。代表取締役は議員の父で、取締役は母と藤田氏で、監査は妻である。実質経営者である同居の親族は市と契約できない。たしかに父親とは住所が異なっている。だが、住所の地番が異なっているが、その上に建てられた議員と両親が居住する建物は一体であり、現実の生活は同居であると推察される。
 より問題となっているのは特定企業に有利な取り計らいをしたという疑義である。わたしは、後藤議員と建設委員会で一緒であった。まさに特定企業に有利にとりはかるために、委員会のたびに当局に圧力をかけていた現場にいた。審議会での弁明では「身に覚えが無い」とだけ主張している。納税者である住民へ納得できる説明をしようとの誠意はまったく無い。
 今日の朝、政和会の伊藤議員が、私の会派の畠山議員(会長)を呼び出し、昨日のここのHP日記のコピーを見せ、9/13の文は、誹謗中傷・虚偽・捏造であり、消去せよとの事であった。(私に言ってくれれば善処したものを・・) 審査請求文は住民提出であり、法務局の登記簿は客観的なものであり、議長等人事は事実であり、会派に働きかけた事は本人も認めたことである。「議会には自浄能力が無い」この部分が誹謗中傷・虚偽・捏造だといっているのだろうか。しかし、いずれ議会の自浄能力の程度は住民の目にさらされることになる。
 政和会議員たちは、疑義議員の擁護行動をとりながら、政治倫理に政治生命をかけた過去との板ばさみでジレンマの状態である。人事で魂を売ったのか。市民の声議員たちも、疑義議員擁護の立場である。住民の存在を忘れているのだろうか。 
2005年9月13日 火曜日
議員政治倫理への市民からの疑義は深まり、かつ混迷を増すのみ その1
 市民から政治倫理審査請求出された斉藤宗一郎議員に対しての疑義内容は次の通りである。「斉藤建設鰍フ代表者は斉藤総一郎議員の実父であり、入札現場には、ほとんど斉藤議員が参加しているという話である。つまり実質的な経営者は斉藤宗一郎議員であることは誰も疑っていない」法務局の登記簿(誰でも請求できる)による斉藤建設鰍フ履歴証明書によると、役員として登記してある者は6名である。代表取締役は斉藤議員の父(82)、取締役は母(88)、姉、息子、妻である。監査は伯父である。つまり6名全員が家族親族である。ただし、父母は実質経営者となるには心身的に困難な状況にあるのではとの近所の方の話である。姉と息子そして伯父も経営に参加できる事情・地理的状況でないのではとの関係者の話である。同居の妻が取締役であることが条例に抵触する恐れがあるだけでなく、義務である市への届け出をしていない。審査会の弁明で、斉藤議員は入札現場に参加をしているかどうかの発言をしていない。最も重要な点であり、疑義を晴らすべく入札現場立会いに触れないのはなぜか?
 政治倫理に政治生命をかけたはずの政和会議員たちは、明日の審査会に備えて、何事もなかったことにして穏便に答申結果を出すように、会派への働きかけのために廊下を走り回っていた。議長選、各委員長人事や役割り当てなどで、疑義議員の会派に恩義を感じて、疑義に目を瞑ってくれとのことである。住民は厳しい目で議会を見ている。議会内部で臭い物に蓋をする事は、住民の目からは議会には自浄能力が無いと映るだろう。疑義をはらすべく、十分な要件を住民に説明できない状態である。ただし、臭い物に蓋議員の数のほうが多いのが現実である。 
2005年9月12日 月曜日
市長の素人丸出し答弁、それはそれでいいか・・
 言葉を巧みに操ったり、脅したりすかしたり、言葉の暴力に訴えたり、そんなことで人が屈することがあったとしても、それは一時のこと。人間というものは、心から賛同できたこと以外は積極的に、執行しないものである。
 きょうの一般質問で、質問者と市長の間にそんなやり取りがあった。市長の策を弄しない素人丸出しの答弁に、ある種の危うさを感じたが、正直であること、誠意がある事は、最終的にはなによりの強さであるとわたしは信じている。
2005年9月11日 日曜日
衆院選自民党の圧倒的勝利
 チャンネルをあっちこっちへ移しながら、衆院選の開票結果を見ている。知人から電話が時々かかってくる。それぞれ、自分の思い(思い込み?)を話す。TVを見ながら、現場中継よろしく、解説するが、私だってTVを見ているんだけど・・・・
 とにもかくにも、自民党が圧勝した。民主党の岡田代表は辞任の意向を示している。ホリエモン氏のみが、落選しても株価の上昇で、台風一過で、サマーバケーションの終わりのごとしである。あまりの大差に、想定外である。評論家的常識論評は、かくのごとき大外れするものなんだ。小泉首相の劇場型選挙の大勝利である。アメリカ大統領選のようにTVなどのメディア受けする戦略が、選挙戦を左右する時代が日本にも根付いてきた。
2005年9月10日 土曜日
大館市議会で議員報酬条例改定に関連して懲罰特別委員会が設置される見込み
 懲罰動議が提出された理由は、議員が事実誤認に基づいて条例改正提出議員の名前を挙げたことによる。そのことが懲罰動議に値するかどうかは別にして、少なくとも懲罰動議の理由は存在してということがわかる。
 私に対しての懲罰動議は後藤健 塚本民雄 伊藤洋文 今野清孝の4議員の連名によって平成16年9月提案され、懲罰特別委員会が設置された。懲罰動議を提出・賛成するには最低でも、「どんな発言があったのか」「どの規則に反したのか」この二つは必要である。深夜まで審議し、結果として対象となる発言そのものがなかった。懲罰動議に賛成した者達は、懲罰の対象となる発言すら特定できなかったにもかかわらず、懲罰に賛成した。それは冤罪を承知しての懲罰動議賛成であった。重大な人権侵害ということである。政策論争と人権侵害を同列に論ずる事はできない。政策において賛否の意見を戦わせる事は結構なことである。しかし、基本的人権の侵害に賛否はありえない。
 議場での発言ではなく、私のHPが自分達にとって気に入らないという理由が本当の懲罰動議の理由であった。その前段で、私のHPの削除を議決で求める愚かな提出がされており、助走がついていた。この頃「HP和子議会」の展開がなくなったのは寂しい限りである。
2005年9月9日 金曜日
議員政治倫理への市民からの疑義原因は市当局にもある
 市民から審査請求出された議員に対する疑義内容は次の通りである。斉藤宗一郎議員に対しては「斉藤建設鰍フ代表者は斉藤総一郎議員の実父であり、入札現場には、ほとんど斉藤議員が参加しているという話である。つまり実質的な経営者は斉藤宗一郎議員であることは誰も疑っていない」 ・後藤健議員に対しては「スポーツ用品等の販売を主業とする潟}ルケンの取締役は後藤福治氏だが、日常的には後藤健市議会議員が実質社長として会社を代表し営業している。平成15年度の能代市物品購入一覧表(1件50万円以上)によれば潟}ルケンは2件(合計129万5700円)の契約、納入している。これは条例に違反している。平成19年の秋田わかすぎ国体の高校野球会場の能代球場の改修とスコアボード電光掲示板の工事を市は行った。この工事契約に当たって、市野球協会会長であり潟}ルケンの実質経営者である後藤健議員は、特定業者の製品を強く推薦したが、落札しなかった。その後落札状況について行政批判を繰り返した事は、特定企業に有利な取り計らいをしないことや公正な職務執行を妨げない事を定めた条例に違反している」 ・武田正広議員に対しては「平成17年4月1日、第五小学校区に留守家庭児童会「はくちょうクラブ」が発足、5日 入学式が行われた。この運営を受諾したのが学校法人明正学園で、理事が武田正廣議員である。これは明らかに条例に照らし、契約を辞退すべきである
 政治倫理審査会は黒白をつけジャッジを下す機関ではない。議長の諮問機関なので、最終的には会として意見を具申する。必ずしも一致した意見を出す必要が無い。今、審議のプロセスの中で住民が長期に疑義をいだいてきた実態があきらかになりつつある。
 長期にわたる政治倫理違反疑義は、贈収賄と同じ様なものである。求めた議員が存在すると共に、与えた市当局が同時に存在する。疑義の原因は議員と市当局のコラボレーションである。与えた市当局も第1級戦犯である。飢餓の組織人(ただし、権限あり)の前に、撒餌をして、市の施策を通そうとする。住民の利益を損なうだけでなく、違法と合法の塀の上を歩くような危険な契約を市が当事者として結んでいる。登記上に実質経営者としての記載がないという事を御旗に、市自身が実態に両目を閉じて契約を継続している。現実の実態に鑑み、契約に慎重であるべきである。しかし、いまだ市の体質は変わらない。例えば、ある大会のウエアー発注にそれを見ることが出来る。根本的に、市当局が変わらなければ、談合と同じで、この手の疑義はいつまでも続く。もちろん議員の政治倫理が一番大事であることは言うまでも無い。
2005年9月8日 木曜日
衆院選投票日まであと3日、棄権をせずにぜひ投票を
 衆院選は、何がなにやら分からない混戦模様である。政党のマニフェストはHPでいつでも見ることが出来し、各候補者の公約や政策は新聞を見ると毎日のように載っている。たとえピタリと自分の求めている候補者がいなかったとしても、棄権することなく、投票をしてほしい。たかが1票されど1票である。棄権する事は、長い間、国民の権利として先人が獲得した民主主義を行使しないことである。選挙こそが民主主義の根幹をなしている。あなたの1票で、政治の方向が決まる。かならず投票にでかけよう。
2005年9月7日 水曜日
市議会議員政治倫理条例により、市民が審査請求することの重さ
今、市議会政治倫理審査会で審議の対象となっている議員は、次の条文に抵触するとして市民によって審査請求が出されている。「議員又は議員の配偶者若しくは同居の親族が実質的に経営に携わっている企業は、市長との工事請負契約、業務委託契約及び物品購入契約の締結を辞退するよう努めなければならない」、つまり努力規程なのである。市議会政治倫理審査会は、情報収集や開示の限界の壁にぶつかってはいるが、いよいよ本質的な審議に入っている。
 能代市議会議員政治倫理条例の解釈指針において「不正とは、違法である場合はもとより、実質的な妥当、公正さを欠く行為または状態をいう」と明記している。また「議員の職務権限、影響力を直接間接に行使し、職員の裁量等に不当な影響を及ぼす事を規制する」としている。この条例は不備ではあるが、究極のところ、議員の倫理観を問うている。しかし、倫理観の尺度は様々であると審議を通してあらためて感じた。
 「不正契約したが、運悪く審査請求されたので辞退した。だから、なんら問題はない」こんなことが市民社会で通用するだろうか。「実質経営者として登記簿に記載していない。登記簿に名前がないから実質経営者ではない」こんな主張が、政治家の倫理が問うている市民を納得させられるだろうか。
 選挙という住民が判断を下すチャンスがある。しかし、議員は自らを厳しく律し、市民の付託にこたえようというのが政治倫理条例である。長期にわたり疑義ありとされた議員たちを政治倫理審査請求した市民の行為の重さを議員は考えなければいけない。 
2005年9月6日 火曜日
期日前投票を終えて
 成人してから、選挙に関しては棄権したことが無い。病気の両親を投票日に連れて行き、投票させるには時間がかかりすぎるので、ここ数年は期日前投票をしている。このたびの衆院選もそうした。体一つで二人分の車椅子は扱えないので、投票所の係りにお手伝いを願っている。どの方も、親切に対応してくれる。母の理解が少し鈍いので、一体全体わかっているのかどうか心配になって、近づいて指示したくなるが、職員に止められる。
 わたしは投票してほしい候補者や党をお願いしているが、両親はハイハイと言っていながらけっこう頑固で、自分の思ったとおりに記入しているらしい。金銭に親子無し、投票に親子無し、ということである。
 熾烈を極める衆院選に挑んでいる秋田2区の候補者全員にエールを送りたい。この厳しさではきっと、投票率も上がり、場合によってはどんでん返しが起こるかもしれない。
2005年9月5日 月曜日
「ベアテの贈りもの」上映会は9月8日(木)秋田市文化会館で
 今日のさきがけ新報夕刊文化欄に、佐藤加代子さんの「その思い三度伝える〜『ベアテの贈りもの』上映に寄せて」の一文が載っており、仕事を終えてゆっくりと読んだ。ベアテ・シロタ・ゴードンさんはGHQのスタッフとして日本国憲法の草案に関わった。22歳のベアテさんが日本の女性たち、いや男性たちにも贈ったのが、憲法24条である。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本とし、相互の協力により、維持されなければならない」と条文に謳われている。
 佐藤加代子さんは97年のベアテさんの秋田講演会、憲法草案作成の舞台裏を描いた芝居「真珠の首飾り」秋田公演、そして、こんどの「ベアテの贈りもの」上映会と3度も深く関わり、秋田の私たちにベアテさんの思いを伝えるためにすばらしい企画をしてくれた。今、平和憲法を支える根幹である憲法9条が風前の灯である。そして、個人の尊厳と両性の本質的平等を保障した憲法24条をも、改悪しようとの動きがある。そんな折、このような上映会を開く事は大いに意義ある。
 9月8日、秋田市文化会館にて、午前10時半、午後2時、午後7時の3回の上映である。一般千円(当日千三百円)、学生八百円である。問い合わせは電話018・863・5686(佐藤)まで。
2005年9月4日 日曜日
個人演説会の集客数と得票数は比例しない
 ある選挙で、能代市において、個人演説会が同日に行われた。A候補者は総合体育館に2千人を集めた。B候補者は会場として借りた宴会場に2百人を集めた。しかし、結果は、B候補者のほうが圧倒的得票数であった。バスで集められた建設会社のジャンパーを着た仕事途中の作業員で埋め尽くされた会よりも、自らの意思で足を運んだ2百人集会のほうに意義がある。さて、昨夜、同じ街で二つの個人演説会が開かれた。時間帯の早い一方は百人、時間帯の遅い片方は7人であったという。しかし、この人数の差は、得票数の差とはならない。
 人数の多寡によって、集会の効果が比例するわけではない。たった一人であっても、誠実に自己の考えを訴えることが大切である。
2005年9月3日 土曜日
アジア的ウエットな選挙の典型 スズキムネオの立候補
 受託収賄などの罪に問われて控訴中のスズキムネオ氏(57)が北海道比例区で立候補している。おらが街に利益誘導してくれる国会議員が一番いい先生であると思う業種がある。公共工事の削減で経営困難におちいている土建建設業がその代表である。彼らにとって、受託収賄で控訴中であることは何の障害にもならない。仕事もって来てくれたらそれでいいのである。スズキムネオ氏に問題はあるが、それ以上に選挙区民の良識が問題である。北海道民よ、それでいいのか?
 マキャベリ先生はあの世で、「この程度の選挙民に、この程度の候補者」といって、ため息をついているだろう。
2005年9月2日 金曜日
万町は「あらまち」 上町は「かんまち」 マンマチ・カミマチとはこれいかに
 声のボランティアを20年ぐらい続けている。いつのころか、町名などの読み方リストが市から配布された。声のボランティアの仕事のうち広報をテープに録音する際、正確に伝えるためである。私たちは万町は「あらまち」、上町は「かんまち」と普段は使っているが、広報ではマンマチ・カミマチと読まなければならない。それが公式な読み方だそうだ。住民は誰もそんな言い方はしない。万町はあらまちに決まっているからである。
 それどころか馬喰町など古い町名がなくなったり、城もないのに大手町という名がついたりの、町名軽視の傾向はあった。それにしても、町名読み方リストが出来たあたりから、能代市の中心市街地の寂れに拍車がかかってきたように思える。長い間親しまれてきた町名を、法令や約束に従って、規則的に読み改めることに市ではそれほど抵抗はなかったのだろうか。
 街づくりにとって、昔からの町の読み方を尊重したり、復活させる事は、想像以上に大切なことであると思う。
2005年9月1日 木曜日
能代市の65歳以上の高齢化率27.6%
 能代市の高齢化率は27.6%であるが、来年合併する二ツ井町は全県で第2位の37.2%である。ますます、高齢化率はアップする傾向にある。この事は、数値の世界ではなく、我が周り、わが身に実際起こっているingの世界である。
 我の両親も80代である。意のままに残りの人生を全うさせてやりたいと願っている。どんなに努力しても、愛情をかけても、結局私に残るのは後悔の念だけであろうということもわかる。少子化の特効薬的施策はないが、高齢化に関してはそれなりの対策が能代市にはあるので、利用させていただいている。税金によって、生かされている部分もあるので、つね日頃感謝するようにいっているが、日常の生活に流されている。
 家事に関してのアンケートで、60歳以上の高齢者は(60歳代を高齢者に入れるのはどうかと思うが)、3割が妻の仕事であると答えているが、7割は夫も手伝うべき、または共同で行うべきと答えている。これは男女参画の結果というよりも、定年で男性が家庭にいることが多い場合や、高齢により現実的には妻のみで家事をすることが出来ない場合があるのではないか。我が家でも、何一つ家事をしなかった父が、いつの間にか全てをこなすようになっていた。そうしなければ、家庭が動かないのである。現在は、自分の身すらドッコイショの現実である。
2005年8月31日 水曜日
小泉流の女性候補を考える

 小泉流のマドンナ作戦は大いに不満があるが、しかし、私は政権の境目、時代の潮流が変化する時期に、女性が政治参画する機会がおとずれるものであると考える。苦渋の選択ではあるが、このマドンナ作戦を支持したい。問題は議員になってからのどのような政策を展開するかである。私たち市民がしっかり監視し、提言していかなければならない。東京新聞の特報は、本質をついているので、反論はしない。それでも、これをチャンスとして、女性議員を増やすために小泉流を逆利用したい。

 東京新聞の小泉流の女性候補者に対する厳しい見方が載っている。
 「くノ一」「刺客」などといわれる自民党の女性候補予定者が話題だ。小泉首相はしきりと「改革のマドンナ」と持ち上げて、次々と擁立してきた。確かに、十分なキャリアを持ち、カラフルなスーツに身を包み、いでたちも見栄えがする。・・・との書き出しで、特報を組んでいるので読んでください。
東京新聞の「特報」で、「マドンナ作戦」について
「小泉流『女性候補』を研究」@東京新聞「特報」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050830/mng_____tokuho__000.shtml

2005年8月30日 火曜日
県の小友沼ため池等整備事業の堤防改修工事が延期となる 沼にとって負荷がすくなくなる
 秋田県の説明によれば小友沼の整備事業は下記の目的によるとされていた。
 「ため池は築堤後350年以上を経過し堤体の老朽化による漏水が全体的に確認される。堤体の余裕高不足に加え、現況洪水吐きの越流堰長はB=1.0m×2門と排水能力は極めて不足し、堤頂越流の危険と堤体積の減少など決壊による自然災害を予測できる状況にある。
 付帯施設について、洪水吐放水路はコンクリート構造となっているが、側壁の倒伏や亀裂がみられ、溝形鋼で切梁しているなど、危険な状態である。又、取水施設は、右岸側に取水ゲート、左岸側に土砂吐と分離されている。取水ゲートは取入敷高が池底よりも高く貯水量を有効利用出来ていないことと、施設の老朽化により維持管理を困難としている。土砂吐は土砂埋没により通水不能である。よって、これらの危険な状態の堤体並びに洪水吐及び取水施設を改修し、ため池の安全性を確保することを目的とする」
 沼を浚渫して、その泥炭を利用して堤をかさ上げし、貯水量を確保するということであった。希少品種が多い沼本体の浚渫は、環境負荷が大きいのではないかと心配であった。工法の変更は沼にとって歓迎すべきことではないか。6月定例会での一般質問でも、そのことが気がかりであった。それにしても県農林部の調査のお粗末が現れている。
2005年8月29日 月曜日
地方自治法改正により、市の公共施設の一部が民間に管理委託が出来るようになる
 何によらず、行政直営の施設というものは、約束に縛られ、利用に制限があるうえ、カネクイムシとなりがちである。自治法の改定により指定管理者制度をとりいれる。市直営で公的な団体に一部委託していた8施設を、民間団体等にも施設の維持事業の実施や管理など丸ごと運営を任せることにした。
 わたしがよく両親を連れて利用している白涛亭は、現在社福協に管理委託されている。指定管理者制度となり、どこが引き受けようとも困難がともなう。建物から設備まで、やっと動いているふるい建物である。排水は悪い、雨漏りはする、ボイラーがすぐ壊れる・・・数えたてならない。新たに希望事業者を公募しても、業者の初期の修繕投資が半端ではない。結局市が管理者に支払う委託料、義務的修繕費などを考えると、これからもカネクイムシであることに変わりない。
 これからは、市の施設を建設するさいは、PFI方式(民設民営、官設民営)などを考えたほうがよいのではないか。市の荷物を軽くしなければならない。
2005年8月28日 日曜日
岐阜1区 野田聖子元郵政相と刺客のエコノミスト佐藤ゆかり氏との対決を歓迎する
 岐阜一区では、郵政民営化法案に反対した野田聖子氏(44)に対するいわゆる刺客として、自民党がエコノミスト佐藤ゆかり氏(44)を対抗馬として擁立した。政策決定の場に女性の参画を増やそうとするならば、当然女性どうして、議席を争うことになる。男性がそうして修羅場を通っているように、女性たちも避けられない。この対決、時代の幕開けを象徴しているのではないか。
 俗っぽい事を言うなれば、お二人とも美人で、口八町手八丁の才女で、ビジュアル的にも市民の関心を呼びそうである。おまけに理論派でもあり、政策論争ができそうだが・・・・ どうも野田氏に分が有りそうな気配が・・・ 
 小泉氏の「自民党をぶっ壊す」が、いよいよここに来て正念場を迎えている。官から民へ、国から地方へ、郵政民営化はその試金石である。骨抜き道路公団の二枚目とならないことを希望するが、それを選択するのは有権者である。
 女性同士の対決は、とかくウエットで感情的に見られがちである。そんな男性視点に乗せられずに、衆院選を象徴する対決として、舌戦で火花を散らしてほしいものである。
2005年8月27日 土曜日
下水汚泥から水素を取り出し、残りの溶融灰は建設資材に利用する汚泥ゼロ技術
 リサイクル技術は日進月歩である。新日本製鉄は、下水汚泥のリサイクルとして、汚泥に酸素を加えて、汚泥の有機物と科学反応させ、水素を含むガスを発生させる新技術を開発した。今までのメタン発酵法は効率が悪く、汚泥が残るうえに、水素製造コストも高かった。
 新技術で取り出した水素を含むガスを改質器にかけて、水素を取り出す。水素は燃料電池向けなどに使う。ガス化の後に残った溶融灰は、建設資材に再利用するので、結局汚泥はゼロになるという技術である。汚泥の焼却処理をしないので、燃料が不要である。そこで処理コストは大幅に低減できる。下水汚泥には、重金属が含まれていたりするので、もともと有効利用の可能性の大きい廃棄物といわれながらも処理費用や技術的な課題が残っていた。焼却し、焼却灰を埋め立てしたり、脱水して汚泥のまま埋め立てしていた。堆肥化についても、能代では700トンの製造能力がありながら、6トン程度しか生産していないのが現実である。
 汚泥のリサイクルの利用を検討は、埋める先がなくなるかもしれないという、時間との戦いである。
2005年8月26日 金曜日
「新党日本」の代表 田中康夫長野県知事のなんだかよくわからない・・それがヤッシーの真骨頂
 田中康夫長野県知事ことヤッシーが、いよいよヤッシーとしての本領を発揮してきた。「脱ダム宣言」レベルじゃ、ちょっとリベラルな知事程度である。知事の身分で新党を結成し、代表におさまるなんて、想定の範囲を超えている。
 ヤッシーが私的休暇で海外にガールフレンドと一緒に出かけた事を、長野県議会は、結婚もしていない男女が一緒に旅行するなんて不道徳だと、オヤジ度120%で、かつて噛み付いていたが、ここまでくれば「エンカぬけて」、犬の遠吠えするのみか。
 それにしても、新党日本のネーミングのダサさに、腰砕けである。あろうことか、キャッチフレーズが「信じられる日本へ」ときた日には、のけぞってしまった。「常識をひっくり返すことにこそ、夢がある」とのヤッシーのお言葉になるほどとは思うが、5人のメンバーはいずれも賞味期限の切れた夢の無い方々ばかりではないか。
 まずは、お好きに、ご自由に、ヤッシーらしく、あたって常識の壁を砕いてください。政治をショーアップするパースンの増殖はけっこうなことである。
2005年8月25日 木曜日
二ツ井町地域自治区の設置 やっぱりこれっておかしいよ
 能代市と二ツ井町の合併にあったって、二ツ井町地域自治区を設置する予定であるが、その役割がウヤムヤである。カナダにおけるケベック州のようなものだろうか。中国におけるウイグルス自治区のようなものだろうか。イギリスにおける北アイルランドのようなものだろうか。
 いっそのこと、能代市地域自治区も設置してはどうだろうか。いやいや、常盤地域自治区、向能代地域自治区、鶴形地域自治区、桧山地域自治区・・・・ときめ細かに区割りをしたら、その性格も鮮明になるのではないか。アメリカ合衆国をまねて、新能代合衆市として、地域自治区ごとに新能代市に請求書的要望を出させたほうが平等ではないか。
 などと、あれこれ想像力を働かせているが、やっぱり二ツ井町地域自治区って新能代市にとって何なんだろう。おかしい、わからない。
2005年8月24日 水曜日
衆院選秋田2区 役者は勢ぞろい 
 よく、知人に「誰に入れたらいいのだろう」と相談されるが、う〜ん、答えるのが難しい。まだ、何がなにやら、はっきりしない状況である。選挙民からすると5人の候補者は、久しぶりに選択し甲斐のある揃い踏みである。投票率がアップしてくれればいいが。
 とはいえ、県農協政治連盟が野呂田候補を推薦することに疑問がある。新時代を迎え、新しい農業を創造しなければいけないこの時期に、現場の実情に精通しているという基準で、沈むタイタニックに残ろうというのだから、秋田の農業の未来に翳りを感じてしまう。痛みをともなう改革をすすめ、新しい農業政策を打ち出し、困難な新時代を作る事を恐れているのは、実は農協の幹部自身である。
2005年8月23日 火曜日
なんともはや悩ましい二ツ井町地域自治区「二ツ井地域局」の地域協議会の存在
 二ツ井町に設置される地域自治区の事務所「二ツ井地域局」は、合併特例法の第5条に基づいたものである。ただし、新能代市は特別職の区長はおかないとしている。市長や市機関から諮問されたものや必要と認めるものについて、審議し、市長や市機関に意見を述べることが出来る。
 話し合う重要事項としては1、新市建設計画 2、新市基本構想 3、地域振興のための基金の活用 4、地域づくり予算の協議&執行である。来年の合併から10年間の限定設置である。
 ただし、「執行権」はない。行政機関にあまたある委員会や審議会と同じ様なものである。しかし、その協議会の意見は重要のものと思い、より尊重したいということである。それじゃ、各種委員会&審議会はそうでないというのか。どのように尊重するのか?誰にも答えられない。
 もちろん「決定権」もない。意思がどのように反映されるのか?誰にも答えられない。
 丸岡町長の選挙対策のプロパガンダに二ツ井町民が利用された程度のものなのか。
2005年8月22日 月曜日
またまた吹き荒れているホリエモン・ブーム
 既成の価値観、旧守的考えとは、まったく反対に立つホリエモン氏である。好んで、そんな道を歩んでいるというより、彼のDNAの中に組み込まれている遺伝子がそうさせているようだ。民主党と自民党を両天秤にかけようが、選挙区を変えようが、刺客の任務を負わされようが、ホリエモンはホリエモンである。彼を評価する側が混乱しているだけである。亀井氏のウエットで、浪花節的な強がりとも、挑発とも、泣き言とも取れる発言に一顧だにしない態度は、落選しても差し引き、プラスになることはあれ、マイナスになることはない強さではないか。広島6区の有権者を舐めているという発言もあるが、広島の有権者は、終始亀井氏に舐められっぱなしではなかったのか。
 族議員として利権と密着している代議士を、本当のプロの政治家と思うのは、もうやめたほうがよい。ホリエモン氏の政治的的能力がどうなのかわからない。未知数に掛けるのか、浪花節に掛けるのか、広島6区から目が離せない。
2005年8月21日 日曜日
いよいよ 「能代まちづくり市民会議」が発足、活動開始
 「中心市街地のくらしを守る会」が発展的に解消して、「能代まちづくり市民会議」が立ち上がった。コンパクトシティをめざし、これ以上の郊外型大型店の出店を反対し、課題解決提案型組織として、行政と協力関係を維持発展させていく。
 能代市議会では、東インター付近のイオンの大型店出店に対して、創政会、政和会、市民の声(一人除いて)、公明党が賛意を示し、多数となって、結果出店賛成となってしまった。多くの住民の意思とは反対の結果を示した。この結果に対する住民の失望と怒りの大きさは「能代街づくり市民会議」発足のエネルギーの一部になったのではないか。
 この夏、県内の街を見学した。国道、県道沿いのストリートは、そこが何という名の街なのか看板を見なければわからないほど、金太郎飴状態の同じ様相である。まさに、大資本の戦略の中に地方都市は、がっぷりと組みこまれ、特色の消滅を感じた。しかし、また間に合う、小さい町の地域の自然や産物を活用して、がんばっている地域も少なからずある。
 ただクレームをいうのではなく、課題解決提案型組織として、街づくりの方向性を示す団体が出来た事は、あきらめの暗夜の中に光明を見た思いである。
2005年8月20日 土曜日
衆院選 小泉に選ばれた女達
 昨日、私が所属している全国的な女性団体の中のある方が次のような考えをメーリングリストを通じて送ってきた。
 「マスコミが小泉さんを持ち上げ、支持率アップを宣伝していることも危険です。今回の選挙を郵政民営化にしぼって、刺客に多くの女性を起用していることです。こんなときに、女性を利用する態度を許せません。女性票をねらっているのでしょうが、小泉さんに選ばれた刺客の女性たちは、どなたも、男社会で男の価値観のなかでキャリアをつんできた人たちで、男たちにほめられて、いいきになっている人たちです。今回の衆議院選挙で自民党小泉に選ばれた女性たちに対して、地団駄を踏む思いです。女はいつもこんな形で分断されているのですね」
 そのような意見に対して、反対するつもりはない。その通りとしか言いようがない。しかし、旧守派が安定していたときに見向きもされなかった人材が、世の変わり目に、"利用"され登場するものである。それを、チャンスと見る見方もあるのではないか。自民党が利権がらみのオヤジ選挙では勝てなくなった。そこで、リスクが大きく、男性達が尻ごみする選挙区に刺客として、人材不足なのでこの際は女性を差し向ける、というのであれば、逆に女性たちがこのチャンスを"利用"することも出来る。
 すこし古いが、土井たかこさんが党首となったとき、とりあえず男性のあやり人形として席に着かせた、という事をいわれた。そうはならなかった事は、みんな知っている。
 チャンスはシンデレラのかぼちゃの馬車で、お迎えにやってくるわけではない。チャンスの前髪をつかみ、変革の刺客となればいいのではないか。
2005年8月19日 金曜日
服従と従順の恐ろしさ
 「わたしはだだの一兵卒にすぎず、命令を遂行しただけであった」アウシュビッツで働いていたナチスドイツの親衛隊は誰もが同じ様に証言していた。ユダヤ人絶滅に対してなんら疑問はなかった。命令や任務に関して、服従し、従順であっただけである。
 同じ様に、徘徊老人や便を食べる精神障害者に対して、手足をベッドに縛る事は普通に行われていた。肉体だけでなく人間の尊厳を縛り付けていることである。それを実行した人々は、上司や雇い主に対して従順な服従心があるのみである。
 「わたしは貝になりたい」の清水2等兵は、上司の絶対命令によって米兵に銃剣を刺し殺し、戦後絞首刑になった。かれはやはり、従順な服従心があっただけである。
 独裁制や天皇制など、ゆがんだ社会システムが、国民の服従と従順と結びついたとき、恐ろしい事態となる。
2005年8月18日 木曜日
「国民新党」結成前途多難
 衆院選で自民党非公認となった亀井静香氏や綿貫民輔氏らが新党結成した。刺客を差し向けられ、それに対抗するには新党結成しかなかったのだろう。野呂田芳成氏は慎重な姿勢である。
 いずれにせよ、ドタバタ新党結成が広がる事は疑問である。親亀こけたら、小亀もこけた、などとは笑い話ではすまされない。これだけの政治手腕をもっている人たちが、内紛で自滅の道を歩む事なかれ。国民のためによき方向に動いてほしい。政局も時代は確実に動いている。
2005年8月17日 水曜日
映画「わたしは貝になりたい」に見える天皇制と軍隊
 映画の中で米兵殺害に罪の問われた主人公は、なぜ命令を拒否しなかったのか、その命令はよいことか、上官の命令は天皇の命令というが天皇に会ったのか、など戦勝国側の連合国軍の弁護士から質問される。清水2等兵は、その質問がいかに無意味なものであるかを説明しようとするが、相手には伝わらない。上官の命令は絶対であり、それを拒否する事は2等兵には出来ないというシステムは、まさに軍隊における天皇制の絶対性である。日本の軍隊を支えている根幹であった。
 人間としての天皇が軍隊をどのように考えていたか関係ない。本当は反戦平和主義者であったのかもしれない。しかし、天皇制とは天皇の個人の思想信条とは、別に存在していた。例えばサイパン玉砕に見るように、徒手空拳で近代兵器に精神性のみで立ち向かい、最後の一兵卒まで天皇の名の下で、戦いつくす事をシステム化していた。
 9条を改悪して戦争の出来る普通に国になるという事は、貝になることも出来ず絞首刑となった清水2等兵の悲劇を、またまた繰り返すことである。
2005年8月16日 火曜日
「自民党がぶっ壊れ」つつある
 郵政民生化法案の可否はまさに、自民党国会議員にとって「リトマス紙」となった。亀井静香氏は亀井派会長を辞任する。旧橋本派の橋本氏は会長を辞任している。後を引き受けるはずの綿貫氏は、法案反対で非公認、刺客が差し向けられ青息吐息の選挙である。旧堀内派も堀内氏の後釜の古賀誠氏は、敵前逃亡の採決棄権で信頼急落中である。
 バンドンで第1回アジア・アフリカ会議が開かれた年(私にとってこの会議がA・Aにとって歴史の表に出た記念すべき年と思っているので)、自由民主党の55年体制が出来、磐石の態勢をしいてきたはずであったが、いよいよ終わりの始まりとなってきたようだ。公共工事を中心に利権で結束された自民党は、いよいよ歴史的分解の時を迎えたようだ。
 こんな小さな能代市議会でも、自民党は寝技、騙し技で会派の政和会や市民の声を取り込んで利権保持のための悪あがきしているが、ひと時息をつくことがあっても、時の大きな流れ棹差すことが出来ないだろう。
2005年8月15日 月曜日
佐々木喜久治元知事シンドロームか 野呂田芳成氏と二田孝治氏は老兵はただ去るのみを知らず
 議会は数の論理で決まることが多い。とくに国会ならば、陣笠議員でも数は数である。それにしても、自民党の公認ももらえず刺客を差し向けられようとしている75歳の野呂田芳成氏、今ここで引退したら、誇らしい今までの実績と名誉が守られるだろう。年をとるほどに、立ち去るべき時の判断を誤るのは、人間の宿命か。佐々木喜久治元知事の引き際のヤバッチさは県民の記憶にのこっている。二田孝治氏に関しては、政治生命はとうの昔にこと絶えている。借金まみれで、議員を辞められない事情があることだろうが、それじゃあ住民が迷惑だ。まあ、究極のところ、選んでいる県民の質の問題である。
 落下傘候補者であろうが、地元とゆかりがなかろうが、魅力があって、未来を見据えた政策能力のある候補者を自民党が出してくれたら、県民は十分に選択肢の中に入れて、検討するだろう。
2005年8月14日 日曜日
「映画 日本国憲法」からのメッセージ「世界から見た私達の憲法」あなたには、この宝物が見えますか
 ジャン・ユンカーマン監督はインタビュー映画である「映画 日本国憲法」のために数カ国を取材している。私は、いまさらながら日本国憲法の9条改正問題は、世界の平和を脅かす国際問題であると気付かされた。彼は「平和憲法と、それに守られている人権は、空気のようなものである。私達はそれらを当然のものと感じ、ことさら考えてみることが無い。現在の改憲論議は、私達に憲法の意味を再び気付かせてくれる」と製作に当たり語っている。
 きょうは、敗戦記念日の前日である。能代山本九条の会が中央公民館で開かれたので参加し、「映画 日本国憲法」を見た。映画で9条の意味を語っている人たちは、珠玉の言葉で平和憲法の大切さを訴えている。GHQによって押し付けられた憲法という認識が日本人の中にある。当時、同時に民間サイドで草案した日本国憲法は、GHQ案とほとんど同じであった、という事実がわかった。良識ある大衆の意思をGHQは尊重した。
 9条の改悪には絶対反対、これは私のライフワークである。
2005年8月13日 土曜日
かくも静かなるお盆休みの実家かな
 80歳代の二人暮しとなっている実家は、今年のお盆も、子ども達や孫達で賑わうことなく、静かにすぎている。そうか、親が元気なうちなんだ、ワイワイがやがやと、お盆に、家の人口密度が過密になるのは。
 耳が遠くなり、理解力が少々欠落し、感情の起伏がストレートになっている親と長時間向き合っているのは、幾分つらいときもある。お盆なので、泊まってほしいといわれても、なにやら他人の家のようになってしまって、自宅に戻ってしまう。きっと、さびしいのだろうねえ。
 二人でA&Qの食い違いがあっても、会話はすすむ。何か禅問答みたいで滑稽である。そんな二人を見ていると私は、おかしゅうてやがて悲しき実家かな、ということになってしまう。
2005年8月12日 金曜日
京野公子県議が衆院選秋田3区から出馬 その勇気を有り難う
 衆院選秋田3区は激戦区となるだろう。現職であった御法川信英氏(41)、先の選挙で御法川氏に敗れた村岡兼造元官房長官の次男である村岡俊英氏(45)が立候補の予定である。京野公子さんは、御法川氏とは比較にならないほどの政治的センスがある。御法川氏は自民党の大物村岡兼造氏を非自民系で戦って、勝利して間もなく、自民党へやすやすと鞍替えするという、腰の座らない信念に疑問のある政治家である。京野公子さんは出馬決意まで、さぞや迷ったことだろう。彼女は過去2回の選挙では、困難な状況にあって果敢に挑戦してきた。蝙蝠議員の御法川氏や自民党もどきの土建屋候補の村岡氏に、十分に対抗することが出来、勝利の可能性の大きい候補者である。ただ、選挙民とは、本人の資質のよさや納得できる政策で、投票行動するわけではない。
 秋田県で女性国会議員誕生の可能性の高い京野さんの出馬決意に感謝あるのみである。
2005年8月11日 木曜日
ドラム缶風呂とアブの襲撃と これこそが夏ですね
 夏になると限りなくドラム缶風呂にあこがれる。まだ、もう少し若かりし頃、夏になると、八森の小川のほとりにある山小屋で、姉や子ども達や友人と一緒に、バーベキューを楽しんだり、宿泊して飲んだくれたり、朝方まで語り合った。何よりの楽しみは、満天の空を眺めながらドラム缶風呂に入ることであった。ドラム缶の風呂の温度が高くなると、声を掛けて小川から水を汲んできてもらい、私は中に入ったままで水をドッと足してもらった。星が降るごとく。少し手を伸ばせばその星々に届きそうであった。
 今年は手這坂でドラム缶風呂に入ることが出来た。本当のドラム缶風呂と石油タンクを改造したアレンジのドラム缶風呂(二人は入れる大きさ)である。どちらもチョー最高である。ここは山間にあるので、アブの数と大きさも半端ではない。バシッバシッと襲ってくるアブも夏の風物詩と思えば快感である。
2005年8月10日 水曜日
文化会館がNPOの運営となって活気が出た
 クラッシックの公演などは、お客さんがあまり入らないことが予想されても、市の教育的企画として毎年公演していた。氷川きよしやマツケンさんならいつでも満席だろうが、それは民間に任せればいいことである。時々、私はチケットの販売に協力してきた。ところが、チケットは市では金権扱いなので、チケットを預かって、売れた分だけ現金を渡すということが難しかった。要するに、販売協力者が全チケットを買い取るのが原則のようであった。
 NPOの運営となった文化会館は、利用者への対応からして元気があって親切で、いまのところ成功なのではないか。先日の公演で、ほんのわずかばかりのチケット販売の協力に対して、「販売済みの代金及びチケットにつきましては、ご都合がよろしい時間に回収に伺いますのでご連絡ください」との丁寧なメールがあった。初めてのことだ。こちらから持っていったことがあっても、伺いますという返事をもらった事はなかった。そのような運営のよさは、先日のクラッシク公演で始めて満席といううれしい成果として現れた。
 民間に出来る事は、民間にやらせたほうが効率的であるが、なかなか手放せないのが現実である。
2005年8月9日 火曜日
広島、長崎に原爆が投下されてから60年
 広島(そのとき14万人)、長崎(7万人)の原爆の被害にあわれ亡くなった方のうち氏名が判明している死没者は現在までにおよそ37万人である。いまでもまだ犠牲者の数は増え続けている。広島で1年間でなくなった被爆者は5375人である。世界の悲劇はまだ続く。
 にもかかわらず、アメリカのダレス空港内に作られたスミソニアン航空宇宙博物館新館に、原爆投下飛行機である「エノラゲイ」は、戦争を早期に終了させた功績で、悲劇と加害の象徴ではなく、犠牲者を少なくした誇りとともに展示された。37万人の死になぜ目を向けないのか。
 中国や韓国や北朝鮮では広島・長崎の原爆被害に対して、冷淡であるのはなぜか。
 日本は自らの戦争責任に対して盲目的である。「ほこりのもてる歴史教科書」を声高に叫ぶ者がいる。そして、保守的な人間が「戦争の出来る普通の国」をめざして憲法を改悪して、軍隊を作ろうとしている。アジア諸国が原爆被害の悲劇を、そのまま受け入れることが出来ないトラウマがよみがえる。
 何の罪もなく亡くなった原爆犠牲者は、核廃絶の象徴である。しかし、今、地球を何回も破壊するほどの核の保有数である。5カ国2万5千発とは、人類滅亡の危険の中で、私達は生活していることになる。それでも日本は平和憲法を改悪するのか。
2005年8月8日 月曜日
アチッチッチ!夏の疲れは昼寝で回復を 
 800〜500万年前にアフリカの類人猿から進化したとされる人類であるが、その間ずっとお天道様が昇ると共に起きて、お天道様が沈むと寝るというサイクルの繰り返しであった。今やそのサイクルは、科学の発達と共に崩れ去った。私自身がそうである。日が高くなってからおき、人間が最も眠くなる夜中に2時(1回目の眠りの門)にまだ起きていたりする。
 不規則な生活は、特に夏場に体力消耗とストレスが激しくなる。そこで、お奨めは昼寝である。40分〜60分しかない昼休みの方も多いことだろうが、昼食の後、珈琲などを飲み、横にならずに椅子に座って伏せるようにして15〜20分眠ると、疲れはだいぶ取れ、寝覚めもすっきりする。私の場合は、時として昼寝の時間が長くなり、目覚めるのに時間がかかる。
 議会では、午後の本会議場での審議や一般質問では、睡魔に襲われる人が多いが、人間のDNAの中に日中午後2時頃(2回目の眠りの門)に再び眠くなるということなので、なんとなく納得である。朝食をパン1個にして、空腹状態にして乗り切るという対策をしているが、昼食をとるかとらないかで大きな影響はないとのこと。なんだ、無駄な事をしていたのか。
2005年8月7日 日曜日
商工会議所は新体制となったか
 商工会議所は、会頭が談合により起訴され、罰金50万円という、能代市の住民を裏切るだけでなく、住民の税金を食いものにしたという、不名誉な事件で辞任した。それを受けて、土建・建築の会頭と副会頭にかわり、新しい会頭・副会頭の人事一新があった。40歳台の副会頭とは、何か新しい方針を予感させ、歓迎できる。もう一方の副会頭も進取の気質があるようで、期待している。現時点では、良い副会頭人事ではないか。
 そのついでに、実際に商工会議所の実行部隊、執行部である事務方の人事も一新していただきたいものである。少ない職員数なので、一新といっても限られるのはわかるが、事務方のトップが替わるだけでも、職員の動きや考え方がずいぶん変化するものである。合併を控え、流動的な時代に、柔軟でかつ信念のある方にトップになってもらいたいものである。外からの人間を迎えてもいいのではないか。公募だと、全国からえりすぐりの人材が応募してくるだろう。
2005年8月6日 土曜日
能代市議会議員の政治倫理審査はザル法の条例ゆえに困難を極め
 能代市議会議員政治倫理条例は全県でも先駆けて条例化された。その後、改正されたが、この議員政治倫理条例は住民にとって公正であると理解され難いレベルで留まっていた。先進的に条例を制定していながら、条例制定当時から、現在に至るまで、絶えず政治倫理条例違反の議員が存在するという住民の疑惑はくすぶり続けていた。
 とうとう、この6月に4名もの議員(8人で構成されている会派創政会議員の半数に当たる)に対して条例違反の疑惑で審査請求が出された。そのうち1名は広域市町村圏組合に関するものなので、市条例では疑惑を解明することができず、現在3名の議員の審査会が開催されている。斉藤宗一郎 ・後藤健 ・武田正広の3氏である。
 本人が実質経営者であっても、ダミー(たいていは親族)を存在させ経営者と偽り、本人は一社員と登記さえすれば、能代市との契約が出来るというザル法である。政治倫理条例そのものに欠陥がある。調査権や捜査権のない普通の市民が、その議員が実は実質経営者であるとの確たる証拠を集めるのは困難である。昨日の審査会でも3議員共に予想通り疑惑を否定した。そこで、事実証明が困難な言い逃れを許さない二ツ井町の条例のように「議員の配偶者、若しくは二親等以内の親族が実質的に経営に携わっている企業は、・・・・(請負契約等)の締結を辞退する」と規定すべく、条例の改正が急がれる。
2005年8月5日 金曜日
合併で祭りやイベントなどの文化活動も変化してくる
 先に合併した市町村において、旧町村の祭りやイベント文化活動に変化があるとのことであった。昨日第18回秋田杉の里二ツ井まつりを見学して、その必要性を強くした。人口規模の小さい旧町村のお祭やイベントは、100%の補助金で運営されることが多く、実行委員会も高齢化とマンネリ化で、自治体頼りのおんぶに抱っこ状態であるものもある。しかし、貴重な文化や伝統は合併によって消え去っては、何の合併であったかわからない。
 もともとあった、祭りやイベントや文化は地域おこしの大切の財産である。いつまでも自治体の助成金頼みではなく、若い人の意見を取り入れマンネリから脱出し、新企画を打ち出す。基本的に地域の自立運営が成り立つように、自ら活動資金作りをする。その資金調達活動こそが、地域のまつりやイベントを、多くの地区外の人とネットワークする手段となる。地区外の人も多く関わることによって、祭りやイベントは活性化する。
 いつまでもカンフル剤で生き延びているまつりではなく、自らのエネルギーでまちおこしをしてはどうだろうか。
2005年8月4日 木曜日
意見広告の18名の方々に賛意と感謝を込めて
 井筒和幸、井上ひさし、香山リカ、姜尚中、木村裕一、黒柳徹子、猿谷要、品川正治、辛酸なめ子、田島征三、中村哲、半藤一利、ピーコ、松本侑子、三輪明宏、森永卓郎、吉永小百合、渡辺えり子の18名の方々が今日意見広告を出した。「およそ5000万人が死んで、いまの日本国憲法は生まれた。」「憲法を変えて戦争に行こう という世の中にしないための18人の発言」とあった。
 18名の方々のこの意見広告によって、この60年間で、戦火で犠牲になった国民もいなければ、日本兵によって殺戮された他国民も存在しないのは、平和憲法のおかげであると、多くの人々が気付くだろう。座して平和を呪文のように唱える者は、戦争の機運が高まったとき反戦のための立ち上がるだろうか。平和憲法を守るために、まず声を出してほしい。まずは家族に、そして友人に。
2005年8月3日 水曜日
水俣の写真集で世界に訴えた 環境ジャーナルストのアイリーン・美緒子・スミスが逮捕される、彼女に何が・・・
 1975年に出版されたユージン・W・スミスとアイリーン・美緒子・スミスによる写真集『MINAMATA 水俣 』 は、世界に水俣病の惨状を伝えた。歴史に残る写真集である。写真家ユージン・スミスは、アイリーンと出会わなければこの写真集を出すことはなかっただろう。
 その写真集の中でユージン・スミスは『 写真はせいぜい小さな声に過ぎないが、 ときたま、ほんのときたま、一枚 の写真、あるいは、一組の写真がわれわれの意識を呼び覚ますことができる。 写真を見る人間によるところが大きいが、ときには写真が、思考への触媒とな るのに充分な感情を呼び起こすことができる。われわれのうちにあるもの たぶんすくなからぬもの は影響を受け、道理に心をかたむけ、誤りを正す方法 を見つけるだろう。そして、ひとつの病の治癒の探究に必要な献身へと奮いたつことさえあるだろう。そうでないものの、たぶん、われわれ自身の生活からは遠い存在でる人びとをずっとよく理解し、共感するだろう。写真は小さ な声だ。わたしの生活の重要な声である。 それが唯一というわけではないが。 私は写真を信じている。もし充分に熟成されていれば、写真はときには物をいう。それが私そしてアイリーンが水俣で写真をとる理由である』と語っていた。
 アイリーンもまた『 私たちは、 目につきやすいだけの 「 見出し」 をではなく、人間のドラマを写そうと努めた。 しかし写真は、問題の解決とはちがう。 私たちは過酷な現実に立ち向かわなければならない』と主張していた。
 スミス亡き後も、激しくもドラマチックに生き、常に環境問題を世に問い続けたアイリーン(55)が傷害と恐喝の容疑で逮捕されたという。若かりし頃、アイリーンと深く関わり、傷つきながらも、平穏のかさぶたのもとで生活し続けている大切な友がいる。
2005年8月2日 火曜日
県教育長の教科書採択の一定期間非公開の依頼は情報公開条例に抵触する
 扶桑社の誇りのもてる日本をうたっている歴史教科書採択に関して、市民団体から採択しないようにとの働きがある。一方で、近代日本の負の歴史に目を瞑り、誇りのある美しい日本の歴史だけを教えたい動きがある。我が県では、教科書採択期限の8月31日までに非公開にするように、小野寺秋田県県教育長が市町村教育長に依頼文書を出した。外野の雑音をシャットアウトして、秋田県の教科書採択の環境を考えてのことであったとしても、情報公開条例に抵触すると考える。
 慣例として出したのであればなお悪い。時代が求めている情報公開、住民の知る権利、アカウンタビリティーを無視したことになる。住民として、採用してほしい教科書、採用してほしくない教科書の意思表明をする事は自由である。採択に対してのプロセスや結果をすみやかに報告する義務が教育委員側にある。住民は一刻も早く知る権利がある。
 行政情報とは、夏場の生鮮食品と説く、その心は、隠せば隠すほど腐敗して臭くなる。
2005年8月1日 月曜日
英語? 文法に思考がからめとられている
 突然近くの知人から電話が入り、すぐ来てほしいとのことで出かけてみたら、アメリカとカナダの若い女性二人を昼食に招いていた。カナダからのお客さんは数日前に日本についたばかりというので、まったく日本語が理解できない。アメリカからのお客さんは、電子辞書を持っており、日本語を学ぶ意欲満々であった。そこで、知人は英語で何とか場を盛り上げてほしいようであった。残念ながら私は英語があまり出来ない。
 こちらのレベルを感じて、わかりやすく話してくれるが、何せ発音がよろしすぎて、「・・・??」の世界である。物怖じしない知人は、文法なんか関係ないよのパーソナリティーなので、日本語に適当な英語をサンドイッチして、ちゃんと友達している。そういえば、中国人のお客さんのときも、日本語にちょびっと中国語をまぜてパーティしていたっけ。韓国人のときは、日本語の間に、韓国の食べ物の名をまぜて会話を弾ませていたっけ。
 日本語英語の翻訳ソフトを使って外国とメールのやり取りをしている。これほど、おおらかにグローバルになるとたいしたものである。英語の文法に思考回路がからめとられて、出力がうまくいかない私には、うらやましい限りである。さび付いた英語を立て直したいが、どうやって時間をつくるかが問題である。とりあえず、翻訳ソフトを使わずにメールを送ることにした。 
2005年7月31日 日曜日
議員政治倫理条例の審査請求が出されたこと自体で、議員は自らの身を糾すべきである
 住民からそれぞれ約80名の署名を添えて政治倫理条例違反の疑念ありとされた議員たちは、自らすすんで身を糾すべきである。方法としては、疑念ありとされている市との契約を一切辞退する、または住民が納得できるかたちで当該企業と関係を断つ、または議員を辞職することである。
 住民には、調査権もなければ、捜査権も無い。検察の証拠レベルの物証を提出せよといっても、所詮無理なこと。たとえ当該議員にとって風聞にすぎないことであれ、住民の疑念を払拭するための義務が、審査請求された当の議員側にある。議会も、住民の疑念に対して、納得していただくかたちで結果を出さなければならない。
 自民党会派の創政会はすでに、議長などの議会人事で倫理問題つぶしの下地を磐石に構築している。能代市議会議員政治倫理条例というものは、議員の身分を守るためにあるのではない。住民がもとめる政治倫理を保持するためにある。つまり、この条例は住民のために存在してるという事を、創政会・政和会・市民の声の各会派は、自覚してほしい。彼らの、身分保身のために、審査請求している住民の権利を侵害するような発言や動きに、不快感を覚えている。
2005年7月31日 日曜日
能代市議会議員政治倫理条例の審査請求が出されたが住民自身の反応がイマイチ
 斉藤宗一郎 (元市議の父親の関係私企業が市の工事で談合、起訴、罰金刑、指名停止)・後藤健 (マルケンスポーツ)・武田正広 (学校法人明正会)の3氏に対して、議員政治倫理条例による審査請求が住民有志から出され、政治倫理審査会が3回開催されている。自民党創政会は自会派の議員である3氏に対して守勢であるのは当然であるが、政治倫理リンリリンリと年中鳴き続けた政和会は議長の席を創政会にプレゼントされすっかり飼い猫状態である。蝙蝠会派市民の声も(前)議長の席をプレゼントされた恩義で、政治倫理を本気で糾すつもりはない。
 斉藤氏は登記上は役員となっておらず経営とは言えないことになっている。だからこそ、住民から疑念ありと審査請求されているのである。入札の現場にいたり、県の談合疑惑の釈明の場にいたりした。後藤健氏も同様に登記簿に役員として名が載っていなくても、誰もがダミーの裏に隠れた実質的な経営者であることをしっている。
 それにしても、疑惑議員に対する住民の反応がイマイチなのが気になる。自分達が選択した議員が長い間、政治倫理違反の疑惑を持たれ、今審査が始まったにもかかわらず、具体的な意見が聞かれない。
2005年7月29日 金曜日
能代市の正職員数は減少し、臨時・パートが増加し続ける現象
 昨日も、庁舎の廊下で、小さい頃から知っている女性とばったり会った。臨時の職員で働いているとのこと。どうも数ヶ月間のようで、やっと職が見つかったものの、不安定雇用で心配な様子であった。また、いつも見る知り合いの若い女性の姿が見えないと思ったら、スーパーでばったり。雇用期間が切れて今は無職の状態であるという。若者が仕事をしていない状態は、精神的な荒廃をともなうことがままあるだけに、早く仕事が見つかってくれればいいがと願うのみである。
 能代市正職員は、減少の傾向にある。平成13年が573人であったが、平成17年現在では524人で4年間で単純計算でで49人の減少である。しかし、臨時・パートは増加し続け、平成13年の123人から平成17年は218人で95人の増加である。結局、全体として平成13年より46人の増加である。予算上は人件費が減少しているように見えるが、実態は人件費として出でこない形で働いている人たちが増えている。
 能代市のために働いている職員は正職員対臨時・パートは、2:1の割合となる。不安定雇用者が職員の3分の一というのは、近隣の自治体でも見られる傾向であるが、能代市の雇用形態としては異常事態である。行政改革のマイナス部分を臨時・パートが請け負っている面もある。それでも、不況下で仕事を求める人が申し込むという。能代市の臨時・パートのあり方を再検討するべきではないか。
2005年7月28日 木曜日
外国人ヘルパーの受入は可か否か
 日本はフィリピンからせまられていたヘルパー・介護士の受入を、シブシブ100人程度は認めるという。ただし、日本語の国家試験合格という厳しい条件付である。日本という国は外国人に対して、門戸は広いとはいえない。特にアジア系の留学生は、日本に対してイメージを悪化させて帰国する人も多いという。
 そういえば、南アフリカで貧しい黒人の留学を斡旋し支援しているNGOの資金源の大部分は日本からのものであるが、学生は留学先に日本を選択しないという。かつては、日本に留学する学生がいたが、アフリカ出身の黒人留学生に対して、日本という国は決して温かくなかったという。そこで、後に続く学生が少なくなったようだ。
 ヘルパーであれ、何であれ、日本はいつまでも門戸をかたくなに閉めているわけには行かない。
2005年7月27日 水曜日
「もやい直し」ということ
 「もやい」とは水俣の漁民が漁で網をかけるために船と船をつなぐことである。水俣では人と人との関係、人と自然との関係が、水俣病をきっかけに崩壊してしまった。そのことから発し「もやい直し」とは、いったん崩れた地域のコミュニティーなどを再構築する事を言う。
 水俣病が公式に確認されてちょうど半世紀を経た。発生当時は伝染病、遺伝病、奇病と疑われ、地域から患者は孤立した。原因がチッソ鰍フメチル水銀とわかってからは、チッソ鰹驩コ町の住民は、生活の糧であるチッソ鰍裁判や補償で脅かすのではないかと、患者を疎んできた。また患者救済が始まってからは「ニセ患者」がいるとの、あらぬうわさが流されるなど、患者に対する差別は激しくなる。住民間の対立が地域の人間の関係や対話をどんどん破壊していった。
 そこで、公害という災害を乗り越え、地域コミュニティーの再生を願って「もやい直し」という行政、住民、患者の対話を構築し始めた。それが軌道に乗ってきている。なるほど「もやい直し」とは、すばらしい発想、表現である。
 水俣はこの先、何十年も公害があった町として、人々の記憶深くから消えはしないだろう。そして「もやい直し」をして、公害を乗り越えた町として、地域再生の見本として人々の記憶に残るであろう。
 能代の公害、能代産廃はどうか。まだ対話ではなく、対立が前面にある。能代の「もやい直し」の日が近い事を願う。住民自身が「もやい直し」をしなければならない。 
2005年7月26日 火曜日
水俣湾の水銀へドロの行方は?
 水俣病は昭和31年(1956年)に、メチル水銀によって汚染された魚介類を食べることによって引き起こされる中毒であると公式確認された。それまでは伝染病とされたり、遺伝病といわれたりした。それから12年後の昭和48年(1968年)、国はチッソ鰍ノよる公害病と認めた。
 今、水俣湾の水質は、県下でもきれいな海の一つに数えられている。あの水銀へドロは、水俣湾埋立地に作られたエコパーク水俣の地下に封じ込められている。14年の歳月と485億円の費用をかけて、水銀へドロの浚渫と埋め立てをし、58ha(東京ドーム13,5個分)の埋立地をつくった。昭和49年から平成9年まで、汚染魚の拡散を防止するために、水俣湾入り口に仕切り網を設置して、湾内の魚を捕獲して、チッソ鰍ェ買い上げ処分していた。現在、その網は安全宣言と共に撤去された。
 チッソ鰍ヘ昭和7年から昭和41年まで、メチル水銀を無処理のまま工場廃水として流し続けた。昭和31年にメチル水銀による公害であると公式確認された後も、10年間無処理で流し続ける事を止められなかった理由は、水俣市はチッソ鰍フ企業城下町であったからである。操業中止・停止は、水俣市の兵糧を止めることになる。このことが、更に解決を遅らせ、被害を拡大させた。
 公害を放置するという事は、なんと高い代償を払うことになるのだろう。豊島の廃棄物処理だけで500億円、水俣の浚渫・埋め立てだけで約500億円・・・。公害をおこした会社が受けた利益額と比較すると、これぞ天文学的数字の差が出てくる。これは、能代産廃にも当てはまる。この先どれだけの税金が投入されるのか。原因をつくった者達ではなく、被害にあった人々が十字架を負わされていることがやりきれない。
2005年7月25日 月曜日
サンドクラフト2005・イン・八竜の水着コンテストは老若男女はいかが
 八竜町のサンドクラフトは47基参加の予定である。大型砂像は木組みをして2週間がかりでつくっているようだ。昨日、見学したが、大勢のお客さんで賑わっており、観光資源として定着したようだ。ただ、土建工事並みの大掛かりな作業におどろいた。合併して三種町となっても続けてもらいたい観光の代表格である。
 さて、いまどき水着コンテストがあるとのことだが、老若男女参加というのはいかがだろうか。若い女性の小さい布地の水着のコンテストも楽しみであるが、ヨン様やベッカム様のような美形男性の水着コンも見てみたい。また、中高年男女の多様多彩な肉体の水着コンも、ユーモアたっぷりで誰でも楽しめて結構ではないか。雑誌「プレイボーイ」メイト的な基準だけじゃ面白くない。
 かつて、三井マリ子さんが公費をつかっての美人コンテストに反対を訴えたことがる。そこで美男コンテストが登場したが、感覚的に大衆受けがしなかった。みんなが笑って楽しめる水着コンテストなら、うけるかもね。
2005年7月24日 日曜日
8月まで1ヶ月間の予定で能代産業廃棄物処理センターの非破壊調査が行われる
 産廃特措法によると能代産廃の処分場調査においては「第1段階調査として非破壊調査(高密度電気探査、地中レーダー探査、浅層反射法地震探査、土壌ガス調査)を実施し、廃棄物の分布状況や埋立状況の把握などを行い、この調査結果をもとに、必要に応じ、第2段階調査として『ボーリング調査』や『重機試掘調査』の実施について検討を加える」となっている。しかし、先の6月県議会総括質問への答弁で県側は「地元住民の中には、不適正な処分が行われたのではないかとの懸念が根強くあり、処分場の廃棄物を目で確認したいという想いがあることに十分配慮することも、住民との信頼関係を確保する上で大切であると考えているので、仮に非破壊調査の結果、問題とすべきものがはっきり確認できなかった場合においても、関係者からの聞き取り調査や、地元住民の意向を踏まえ、より疑わしいと思われる箇所について、その埋立状況を確認するため、ボーリング調査や試掘調査などを実施して、地元住民の不安感の払拭に努めてまいりたいと考えているとのことであった。
 調査の機器や方法が高精度化してきている。しかし、産廃処分場に何が埋められているか、最終的に確認できるのは、実際に掘削することである。県が理由付けしている掘削による2次的拡散被害は、現在ではその防止策もすすんでおり、納得できる理由にならない。
秋田県議会6月定例会における県の掘削調査実施に関する答弁(かずこの産廃へリンク)
2005年7月23日 土曜日
北朝鮮による拉致疑惑を解明する秋田県民の会
 旧合河町の松橋恵美子さん(当時26歳)が平成4年に消息不明になった。その後、恵美子さんの車が能代浜で発見された。助手席ドアのバールでこじ開けたようなキズがあった。車内には財布や化粧品などがそのまま残されていた。蓮池さんらの北朝鮮からの帰国を機に、北朝鮮に拉致されたとみなされていた人々に、社会や政府の目が向いた。
 能代浜といえば、すぐ近くの海である。仮に北朝鮮による拉致ということになると、私であったかもしれないし、身近な人であったかもしれない。たまたま、その時間に私たちがそこに立ち寄らなかったに過ぎない。まだまだ、真実は闇の中である。しかし、政府は長い間、北朝鮮の工作員が直接日本に潜入して日本人を拉致している疑惑があったにもかかわらず無策であった。何もしないという事は、間接的に容認していることと同じである。国権を侵された上に、棄民していたことになる。
 ほかに、秋田市の看護学生木村かほるさん(当時21歳)も、北朝鮮による拉致の疑惑がある。
2005年7月22日 金曜日
九州新幹線「つばめ」はあっという間に
 テレビで見るよりも、実物の九州新幹線「つばめ」は鼻筋が通って色白な美形な車体であった。新八代と鹿児島中央間を結ぶ九州新幹線はたったの4区間で開通した。私は新八代と次の新水俣間20分ほどのあっという間の乗車であった。後から作られたもほど、快適になるのは物の道理であるが、車内は天然資材が使われ、和風な雰囲気である。快適そのものであった。
 おかげで、同じ区間を走っている在来線「肥薩おれんじ鉄道」は、10年は生き残れないといわれている。おまけに、九州新幹線は熊本市や、福岡県とつながっていないので、その快適さやスピードなどが生かしきれていない。
 秋田新幹線延伸で、能代市にも新幹線をという話題も、いまや財政難で掛け声だけになってしまった。新幹線の延伸は、いまや新規高規格高速道路建設並みに困難な要望となりつつある。
2005年7月21日 木曜日
心身ともに超人工的環境を拒否
 19日から21日の今日までに熊本県へ行政視察に出かけた。視察報告はなるべく早くここのHPでする予定である。ところで、乗り換えの羽田で、乗り継ぎのための時間が3時間半もあったので、その時間を利用して近くのお台場に行ってきた。聞きしにまさる、超人工的環境であった。巨大観覧車を見ているうちに、船酔いしてふらふらである。フジテレビ本社の超未来的建物に、口をあんぐりである。コンクリートと鉄に囲まれて、心身ともに疲れてしまった。まだまだ、増殖する途上にあるエリアである。
 田植えをしたり、ミズ採りをしたり、けやき公園を散歩したり・・・緑の環境無しには、私は生きていけない根っからの田舎人になったようである。コンクリートジャングルで青春を過ごし、適応していたのは若さゆえであったことだろう。お台場で、頭痛がして、バファリン2錠飲んで、羽田空港に戻ってきた。でも、もう一度行ってみたいかな・・・・ 
2005年7月20日 水曜日
緑の景観の功罪
 お向かいの向ヶ丘アパートは4階建ての団地で、120軒の5棟である。先日から、樹木の剪定をしている。四半世紀を経て樹木が込みあった上に、大きくなりすぎて、部屋への日光をさえぎるだけでなく、春から夏にかけて害虫の発生で、皮膚病になる住民もでてきた。
 そこで、緑の景観は大事なのだが、ばっさりと剪定することになった。まるで棒が立っている様なってしまった。痛し、痒しである。団地で自治的組織を作り、市から支援を受けながら、適時に剪定したり、間引きをしたりして、景観を保つことが出来たらいいと思っているが、高齢化のためになかなか動けないようである。
 とはいえ、長年の悩みが、とりあえず解消されつつある。棒状の木もけっこうしぶとく生き残るだろう。
2005年7月19日 火曜日
ちょっとまって、そんな約束はしていないはずだ その2
 二ツ井町長選に出馬を表明している現町長の丸岡一直後援会発行のチラシの「丸岡町政の12年」というタイトルの下に「合併協議の着実な推進」とあって、以下の文が載っている。
◆二ツ井町に総合支所〜窓口業務これまで通りに
◆二ツ井に「環境部」「教育委員会」「農業委員会」〜職員数は現在よりも増加
◆電算関連の町負担を半減
◆二ツ井町の諸制度、事業を尊重、維持
◆「二ツ井プロジェクト」を提案、実現〜町の課題を集中、実行
◆能代山本で最も安い国保税を維持

◆二ツ井高校の存続運動を継続
 丸岡氏がこのように合併をとらえている事を、文章化して印刷したものである。能代市議会はそのような事を承知していない。6月29日のここのHP[議会リポート]をごらんください。組織機構案が出ている。
 私は丸岡氏の反対派ではない。だが現在明らかになっている丸岡氏の焼け太り合併のような主張を、能代市議会の一員として簡単に呑むわけにはいかない。
2005年7月18日 月曜日
ロンドンの同時多発テロの4容疑者の映像が公開された
 ニューヨークの9.11同時多発テロの再現を思わせる許しがたい行為である。イギリスが日沈まぬ国として、世界中に植民地政策をばく進していた時代、4人のうち3人の容疑者のルーツであるパキスタンもまた、イギリス領とされた。ニューヨークのテロが同じイスラム過激派のしわざであったにしても、他国人であった。ロンドンのテロでは、4容疑者はイギリス国籍を有していた。イギリスの国内で、母体の中で、悪魔を養成していた事になる。
 イギリスでは、かつての植民地からの移民が同国人同士が肩を寄せ合うようにタウンを作っていることが多い。私も、インド系移民が多い通りのインド料理店で、野菜中心のおいしいディナーを何度か食べたことがある。私は本能的に、その地区の貧しさと差別を感じた。
 3容疑者には仕事がなかったという。イギリスで生まれたパキスタン人である容疑者達はアイデンティティーを失いかけていたことが想像できる。貧しさと差別、失職。イスラムの過激思想が自分が何者であるのか見失っている若者にとって、砂漠の水のように思えたのだろうか。
 今日、生徒が「どうしようもなく失敗しなければ分からないことがあります。徹底的に負けなければ見つからないものがあります。すでに失われていたとしても、それは大切な宝物」という言葉を教えてくれた。
 彼らがイギリスという母体が生み出したテロリストであるということが、キーワードではないか。
2005年7月17日 日曜日
なるほど、それも地域おこしです
 8月20日(土)午後4時から、五城目町の高性寺の境内で薪能形式で「御詠歌と舞囃子の夕べ」が開かれるのでご案内をいただいた。今年で13回目とのことである。五城目町在住の喜多流の女性能楽師館岡梨花さん率いる「五城目幽玄の会」の主催である。始めはお弟子さんや仲間の楽しみと発表の場として、薪能のように松明をともして境内ではじめたそうだ。それが、今では地域の年中行事となった
 東京から、秋田市から、同門・同好の仲間が大勢参加する。また、お寺だけでなく、地域の方々が手伝ってくれるそうだ。なんと言っても、梨花さんというすばらしい魅力と才能をそなえた、なおかつ才色兼備で、お人柄も優しい能楽師のためならば、駆けつけずにいられないというところである。地域と外の人間を巻き込んで交流企画をする地域おこしの醍醐味である。
 能楽という古典芸能は企画のために費用がかかることを重々承知しているので、費用工面で苦労していると想像している。芸術や地域おこしにとって永遠の問題である。いろいろな助成制度を利用して、ずーっと続けてほしい。
2005年7月16日 土曜日
集落営農の未来と現実の困難を学習する
 たまたま、山本振興局では場整備事業の体験学習があったので、参加するため、桧山に出かけた。21世紀の農業の担い手として、集落営農が全国的にすすめられている。秋田県は355件の集落営農がある。その85%が機械の共同使用である。減反による転作作物の栽培や、農業経営に占める機械への投資を減らし、効率的に機械利用するために、農業の集団化としてすすめられてきた。
 そのためにも、小さく分割されている田んぼや畑をほ場整備し、機械が入りやすいように大掛かりな整備工事がともなう。それでなくても、経営が苦しい農家に、さらなる負担を強いることになる。しかし、農家の未来志向の自主自立にむけた意識改革がかかせない。先祖伝来の田畑を手放して新方式で営農することに、農家の抵抗が強いようである。高齢化がすすんで、後を継ぐ人のいない農家は特に腰が重い。
 それでも、集落営農の無い地区の6割以上の代表者が、現実への危機感を持っており、集落営農の必要性を感じているという。今後は会計の一元化や営業をともなう法人化をめざすなど、より合理的な農業経営へと集約されていくのだろう。
 現場に立って、地区の人たちの生の声がなによりの学習である。真剣に説明してくれた桧山の方々に感謝している。
2005年7月15日 金曜日
政治倫理審査は「人権」に関する事なのでしっかり調査して・・と発言した議員の人権意識は?
 能代市議会議員政治倫理条例に違反するとの疑義を持った住民が署名捺印の上で市民審査請求をしたので、第1回議員政治倫理審査会が今日、開かれた。始めにどのようにして審査会を進めていくかが話し合われた。その際に、竹内宏議員が本質に関わる、とても大事で、感動的な事をおっしゃった。「人権に関することなので、思いだけでやってはいけない。請求者が曲解しているのか、疑義が真実かさえ分からない。実態を調査し、把握する必要がある」との発言であった。なるほどその通りであり、わたしも賛同し、人権の視点を忘れないでほしいと発言した。
 そこで、昨年の私に対する懲罰問題を思い出した。伊藤洋文・今野清孝・塚本民雄・後藤健議員によって、私への懲罰動議が提案された。動議を提案するからには「どんな発言があったか」「どんな法令に抵触するのか」が必要である。ところがそれがなかった。まさに「思い」だけで提案され、「思い」だけで本会議で通った。賛成議員の一人が竹内宏議員である。賛成者だけで構成された懲罰特別委員会が深夜まで開かれたが、当然空回りとなって、お開きとなった。謝罪したので許してあげるという理由を苦し紛れに見出したに過ぎない。謝罪するための「発言」すらないのに、そうせざるを得なかったのだろう。
 まさに私に対して、曲解、思い込み、調査なし、疑義なし、であった。人権侵害とはこのことである。竹内議員は、自分の会派の議員を守りたいという気持ちはよく分かる。しかし、人権は人類普遍の権利である事を理解するには至っていない。しかし、「人権」という用語を使えるようになったのは、まずは進歩であった。竹内議員には、人権の普遍性を理解していただけるように、これからも働きかけていきたい。 
2005年7月14日 木曜日
情報にはスピードが求められる 対応ができていない二ツ井町
 私の趣味の一つは「情報公開」である。かつて、能代市情報公開条例の私案を作って、市に提案したくらい凝った時もあった。県議会の情報公開を求めて、市民運動したこともあった。
 さて、先日12日、二ツ井町総合体育館が完成し、一般への公開があったので二ツ井町に出かけた。完成記念のチラシには分離分割発注により5億円のコスト縮減で、12億円で完成したとあった。そこで、財源や起債、または入札状況を知りたいと思い、その旨を職員にお伝えした。すでに一般公開されている資料や見せても構わない程度の資料でよろしいのでと申し上げたが・・・・
 建設課では、どうしたらいいのか判断不能に陥った。きっと、慣れていないのだろう。私が帰るまでに、メールで送ってくれるということになった。しかし、今日14日たっても届かない。イエイエ、別に私が自宅に戻らなかったのではなく。情報のほうが届かなかった。そこで、再び請求した。どうも埒が明かない。合併協議会を通じて、再び請求した。ヤレヤレ、やっと届いた。
 その情報は、普通の住民にとって(もちろん、私にとっても)、何がなにやら理解しがたい生の表であった。当然、私は求めているものと違うので、再度説明、請求した。体育館の入札状況は情報公開の最たるものである。隠そうという意図はないのだろう。いかんせん情報はスピードが命である。能代市と比べて、情報公開の体制が出来ていない二ツ井町である。お早めに、資料をお願いいたします。
2005年7月13日 水曜日
アイヌ差別とインディアン差別
 南アフリカのケープタウンを訪問したとき、アパルトヘイトと戦った議員にお話を伺ったことがある。彼は、その数年前に日本を訪問しており、アイヌ差別について詳しかった。アイヌのサケ漁が制限されていることなど、多岐にわたり質問されたが、残念ながら、私の答えは彼を満足させるものではなかった。私はアイヌ差別の実態がよく分かっていなかった。つまり、無意識という差別を持ったままであった。
 同じ様に、学生の頃だったか、アメリカ映画「ソルジャー・ブルー」を見たとき、インディアンに対する自らの誤った考えを知らされた。フロンティア精神豊かな白人開拓者の行く手をはばむ、悪役としてとらえていた。その映画では、もともとそこに住んでいたネイティブ・アメリカンとして、征服される側の悲しみと厳しい現実がえがかれていた。この映画を契機に、先住民として立場から描かれる映画はボツボツと出たきた。
 明確な意識を持って差別することよりも、差別の意識なしに差別し続けることのほうが問題は深い。私たちは中学校の修学旅行で、アイヌ集落の訪問があった。先生達も、引率者も、生徒達も、心理の奥に差別感があった。 
2005年7月12日 火曜日
ちょっとまって、そんな約束はしていないはずだ
 現場主義者というわけでもないが、現場の大切さを理解したいと考えている。ということで、今日、二ツ井町町長選の取材に出かけた。候補者は共に、魅力と存在感のあるふたりである。
 ところで、現職丸岡一直氏の後援会広報に次のような、丸岡氏の発言としての文があった。能代市との合併において、とても重要な部分に触れてある。「合併協議会においては二ツ井町への配慮を大きな柱とし、原案段階では想定されていなかった『部』を二ツ井町に置くこととし、『環境部』の配置を予定しています。教育委員会・農業委員会の事務局も二ツ井に置く予定で、現役場庁舎に配属される職員は、これまでの100人から、110人以上に増加する見込みです」と発言記述がある。
 そんな約束や予定は、丸岡氏の一人歩きの願望に過ぎない。『環境部』の話は、能代市議会では決定したとの報告はされていない。農業委員会の二ツ井町への配置は、能代市議会では承諾していない。ましてや、教育委員会の二ツ井町への配置は承諾していない。職員数に関しては現在の人数よりも多い配置を二ツ井町で希望しているとの報告はあった。合併とは究極の行政改革である事を考えると、二ツ井庁舎だけが、いつまでも職員数で賑わうという事は現実的でない。
2005年7月11日 月曜日
それは、それは、失礼致しました
 秋田市のコミュニティー紙である週刊アキタというタブロイド版の新聞に、毎月1回「論壇」というコーナーに駄文を寄せている。(ここの私のHPである「かずこの論壇」をお読みください)今日は、何度も何度も、編集者より連絡が入った。ようするに、「あなたは今月はどうしたことでしょう。冗長な文なので、直しをお願いします」ということである。どのような文も、手抜きはしないという私のポリシーに変わらないが、いかんせん、時として集中力を欠くときもある。それは、それは、失礼致しました。
 自分のHPであれ、週刊アキタであれ、誰もがホンワカと幸せになって毒にも薬にもならない文(要するに誰も読みたくない文)は書くまいと思ってきたが、肉体的疲れと時間のなさに、チョイト安易に文を流してしまった。ハイ、しっかりと直します。来月はしっかりと推敲することにします。毒にも薬にもなる文をしっかりと書く事を約束しましょう。
2005年7月10日 日曜日
はまなす画廊のリニューアル
 はまなす画廊は平成元年に製作実行委員会が発足し、無味乾燥なコンクリート岸壁に1200メートルにわたって、市民が思い思いに絵を描いたことが始まりである。岸壁という場所の条件は絵画にとっては厳しく、色褪せが早く、適時リニューアルは必要である。今また、補色作業が進行中である。
 元年に、わたしも当時所属していた絵画サークルの皆さんと共に風の松原の絵を描いたことがあった。その後補色したが、それでも程なく色褪せが進んでいた。はまなす画廊は、描いてお仕舞なのではなく、絶えず、厳しい環境に対して、塗りなおしをして鑑賞に耐える状態を保たなければならない。そのようなプロセスが、街づくりの一端である。次代に受け継ぐチェーンとなることの大変さを乗り越えている住民の熱意あればこそである。
2005年7月9日 土曜日
イスラムとアラビアンナイト
 ロンドンの中心街で起きた同時爆破テロがイスラム過激派の国際テロ組織アルカイダの犯行らしいとの発表を知り、知人が、イスラムのイメージを長い間「アラビナンナイト」の世界と重ね合わせてきたと言った。確かにアラビアンナイトでは、イスラム社会は多くの異国人を受け入れ、商魂たくましく、社会のキャパシティーが大きく、あいまいなものさえ抱え込む、魅力的な物語である。イスラムを名乗るテロの多発で、イスラム教及びイスラム世界に疑問を感じてきている知人であった。
 一部のイスラムの不寛容さや過激な反応を、イスラム教徒全体に当てはめ、宗教戦争的解釈をする事は間違いである。これらのテロはイスラムの名を借りた、あるいは貧困にあえぐイスラム社会を悪用した無差別テロ集団に過ぎない。
 何度か訪れたロンドンは、旧宗主国として、アジアやアフリカ、はたまた東欧やアメリカから移り住んでいる人々が多かったことがとても印象に残っている。当然イスラム教徒も多い。卑怯・卑劣なテロはそんな人種のるつぼの大都市をターゲットにして、残虐な殺戮を繰り返している。自らの体に爆弾をくくりつけての自爆テロが多くなってきていることは、彼らの組織、手段、資金、ネットワークの広がりと深さを意味しているのではないか。
 武力だけでは、テロは抑えられないと私たちは理解している。日本がアフリカへのODA支援を倍増した。効率的に運用なれと願わずにはいられない。貧困こそがテロの温床であるから。
2005年7月8日 金曜日
小林多喜二の「蟹工船」を読んだ頃
 昨日、小林多喜二の生誕100年、没後70年を記念してつくられたドキュメンタリー映画「時代を撃て・多喜二」をみて、自分と多喜二の作品との出会いの頃を思い出した。
 多喜二の作品の何冊かは父の書棚にあった。その頃、通っていた中学校では図書館がなく、申し訳程度の図書教室あるのみであった。図書購入の予算もあまりないのか、蔵書の多い家庭程度のものであった。今では中学生には見向きも去れないトルストイの作品などを読んでいた。父の書棚の本は、どうも胡散臭くて、読む気にもなれなかった。当時、まだ若かりし父は組合運動に没頭して、火宅の人をやっていた。子どもとして反抗・反発心もあって、父に関するものは全て否定的であった。その書棚の本を読んだのは、ほんの数冊に過ぎない。その中に「蟹工船」があった。
 映画の中で松田解子氏が「日本の全文壇が地震に遭ったみたいな、ものすごいショックだった」と述べている。私も同じ様に、生き地獄のような蟹工船の描写に驚きが大きく、何度も読んでいるページをとじては、また読み始める事の繰り返しであった。もっとも虐げられた人間達の不条理が、中学生の私の心を揺さぶった。そして、絶望の中に一縷の光を感じた。
 それにしても、大人になって、読書量が大きく減ったことに、愕然としているこの頃である。
2005年7月7日 木曜日
山本町の近藤吉雄町議の居座りに見る、住民の選択レベル
 常習の無免許運転で逮捕され公判中の近藤議員は、議会の議員辞職勧告を受けているが、「辞めろという人がいる限り辞めない」と、議員としての責任意識など皆無のようである。議会の辞職勧告はあくまでも勧告に過ぎず、本人が辞職しない限り居座ることが出来る。議員としての能力や品性に問題がある事は、山本町の住民間ではつとに知られていた。ところが、山本町というのは政争に町であり、当然、金権選挙が当たり前の町である。
 金権町議にすれば、、お金で票を買ったのだから、とやかく言われる筋合いはないということになる。お金をもらった住民は、金権町議に身辺整理をするように糾す権利を売り渡したようなものである。けっきょく、この程度の町民に、この程度の町議ということになる。
 近藤町議にのみ、すべての責任を押し付ける前に、山本町住民は金権選挙にどっぷりの自らの議員選出の在り方を問い直してみることが必要である。
2005年7月6日 水曜日
アンチ巨人も巨人ファン アンチかずこもかずこファン
 「アンチ巨人も巨人ファン アンチかずこもかずこファン」といって、いつも励ましてくれる知人がいる。結局、みんながかずこファンであると思え、みんながかずこ支持者であると思えとの教示である。つまり、現実はともかく、多くの住民に対する説明責任を怠ってはならないということだろう。どのように、または、どのような情報を発信したらしたらいいのか、いまだに迷いがある。ただ、それぞれの手段で異なってくることはあるだろう。例えば、ペーパーとHPでは同じではないように。
 ローカル・マニフェスト的な発信が弱いので、もう少し勉強して、未熟でもいいから、修正しつつ発信すべきであるという言葉に、深くうなずかざるを得なかった。市民派議員として存在しているのならば、その点は欠かせない指摘であった。 
2005年7月5日 火曜日
能代市議会議員政治倫理条例の審査請求が審査会に付託された
 住民から議長に対して審査請求があり、議長は審査会に審査を求めた。政治倫理条例に違反しているとの疑惑で審査請求を出されたのは、自民党創政会8人のうち半数の4人に対してである。しかし、そのうち塚本民雄議員は、疑惑はあっても能代山本広域市町村県組合との契約に関するものなので、市倫理条例の事項に該当しないとして不受理となった。
 残りの3人は、斉藤宗一郎 (元市議の父親の関係私企業が市の工事で談合、起訴、罰金刑、指名停止)・後藤健 (マルケンスポーツ)・武田正広 (学校法人明正会)の3氏である。
 大倉議長(政和会4人会派)は、市民から倫理条例違反の疑惑ありと審査請求された議員達の会派である創政会から、票をもらって議長になった恩義ある関係である。あからさまな
政治倫理つぶしの議長人事である。10人の議員で構成する政治倫理審査会の委員長の渡辺芳勝議員と、副委員長の平野龍市議員は、ともに前議長と前副議長である。やはり3人会派と一人会派であるが、自民党議員から票をもらって議長・副議長の席を与えられた恩義ある関係である。政治倫理つぶしの典型的な人事である。
 政和会議員は政治倫理に政治生命をかけるといい続けてきたが、今となっては、政治倫理の問題すら存在しないことになっている。郊外型大型店出店反対の1万5千人の陳情を不採択にし、住民の怒りの大きさにいまさらながら会派拘束にしたがった、自分は採択であったと言い訳する無様は、操られ人事の延長にある。
 疑惑議員たちは着々と、不問に付すための準備を進めてきた。議会人事という餌に釣られた議員達を操っているのは創政会である。住民には、どのような審査が行われているか、大きな関心をもっていただきたい。その関心こそが、公平性を保とうとする少数派委員を励ます唯一の手段である。
2005年7月4日 月曜日
住民からの相談の対応を考える
 住民の皆様から様々な相談があるが、内容によっては自分で対応できることがある。それでも、自分の思い込みということがあるので、専門知識のある人を紹介したり、知識をうかがったりするようにしている。実際、こんな解決方法もあったのかとか、こんな法律があったのかと、目からウロコのようなこともある。相談を受けるという事は、実のところ、自分の人生経験がその方を通して、何倍にもなる。
 すぐに解決できることであったら、私のところまでは来ない。逡巡として悩んだ末に相談に来る方に対する特効薬的策はほとんど無い。朝はやく、または夜遅く電話をかけてきたり、やってくる方たちの心の中を思うと、まずは生きて問題としっかりと向き合うことをそれとなく言っている自分がいる。
2005年7月3日 日曜日
炎天下の下で田んぼの草取りボランティア・・・・体力をつけなくては
 貴重な農業体験の場である峰浜村手這坂で、先週に続き、今日も田んぼの草取りボランティアがあった。知人のU氏は、田んぼつくりのために日頃からアリナスで体力をつけたり、ジョギングで持久力をつけている。今日の草取りで、トレーニングの差が歴然と現れた。私は、早々に体力を消耗してしまった。御年ン十歳の村長さんの楽しそうなおしゃべりを聞きながら、こちらは反応も出来ないほど疲れた。田んぼの真ん中で、先週に続き、しりもちをつき、水もしたたる良い女、じゃなく、泥にまみれた汚れちまった女になった?
 日干しの青大将のように、田んぼのくろで横になって、景色を眺めた。田植えからたったの一月で、稲のなんと成長したことか。いいや、先週の草取り時と比べてさえも、とても成長している。愛情ひとしおである。
 田んぼに欠かせない大事な事は、体力つくりなんだ。来年はU氏を目標に、疲れの知らない本百姓になりたい。
2005年7月2日 土曜日
ボーナスが出ました
 昨日通帳を見たら52万9728円の振込みがあった。議員の夏のボーナスである。ボーナスどころで無い民間と比べると、経済状況と関係なく支給される公務員や我ら特別職公務員の夏の手当ては、いまや特権的な権利となっている。ありがたく使わせていただくことにする。
 民間ではボーナスどころではなく、雇用すら怪しくなっており、働いているパートの女性たちは戦々恐々といしている。それと比べたら、あらかじめ約束された金額が受け取れる事に感謝しなければならない。
 たいていの家庭と同じ様に、あっちこっちの支払いを済ませて、フーッというのが現実である。それでも、この金額はとてもありがたい。
2005年7月1日 金曜日
旧能代産廃処理センターでの掘削調査実施の方向が示された
 県議会6月定例会の総括質疑で、旧能代産廃処理センターで非破壊調査のいかんを問わず、住民から不適切な処理が行われていたとの疑念がもたれている箇所については、ボーリングや試掘調査を実施して不安を解消したいという県側の意向が示された。なによりの、前進である。
 非破壊調査とは(詳しくはHP信太和子の環境型社会形成と能代産廃の報告をごらんください)地面の上から、土を掘り起こさずにレーダーや電気探査で、地中を調査するものである。機械の精度は高くなってきているとはいえ、掘削調査には劣る。土を掘り起こして調査する掘削調査が正確な汚染原因を解明できる一番の手段である。ただ、今までの掘削調査だと、掘り起こすことによって汚染が拡大する2次汚染防止対策が不十分であった。しかし、今の技術では2次汚染を防ぎつつ、掘削調査することが出来る。
 詳しい質疑応答は「HP信太和子の環境型社会形成と能代産廃の報告」で、後日お伝えする。
秋田県議会6月定例会における県の掘削調査実施に関する答弁(かずこの産廃へリンク)
2005年6月30日 木曜日
会派拘束はいったいどこの会派からの拘束か?
 中心市街地のくらしを守る会から提出されていた郊外型大型店出店反対の陳情を不採択にした政和会の4議員に対し、能代市の住民の非難が集中している。自民党創政会も不採択にしたが、どうせ自民党は利権あさりだからさもありなんとあきらめて、怒りを政和会に向けているのだろうか。それにしても、住民の怒りの原因は政和会のあまりにもあからさまな矛盾にある。
 政和会は大倉議員が議長なので採決には加わらない。1万5千人の陳情を不採択にした議会に対する不信感と怒りの大きさに、大倉議員ははいまさらながら、会派として採択に決めてあったはずなのにどうしたことかと、弁解がましい。あとの3議員も、同じ様に、自分は採択であったが、自分の意見は少数派であったので仕方なく多数派の不採択に組したと言い訳している。ならば、4人会派で4人全員が採択であったのに、会派拘束で不採択にしたという事はどういうことか。
 その会派拘束とは、自民党創政会の会派拘束に縛られたということである。4人会派で議長をだすということは、最大会派の創政会の票をもらなければできない。かくして創政会に操られるということである。つまり、目が住民側を見ていなかったということである。1万5千人の署名よりも、議長の席を与えてくれた創政会に重心を移したということである。
 政和会議員はいまや針のむしろで、弁解・言い訳・詭弁に汲々としている。不採択は誤りであったと素直に認め、能代の街づくりのためにやり直すことぜひすすめたい。仮称「能代まちづくり市民会議」のメンバーは、懐が大きいので、いつでも歓迎するだろう。