平成17年度の議会通信&日記
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平成18年度の議会通信&日記
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2006年3月31日 金曜日
リーフレットの反応さまざま
 政治活動のためのリーフレットをお届けすると、さまざまな反応があり、結構関心が高いことがわかる。もちろん、私にとって好ましいものばかりではない。マイナスな反応も含めて、感想を伝えてくれることがありがたい。
 プロフィールに子供の頃の写真を載せたら、それが面白いという人もいる。趣味も写真で表現したら、親しみが伝わったという人もいる。ようするに視覚に訴える部分に反応が大きいことがわかる。
 新市におけるわたしの提案を掲載しているが、わかりやすく話し言葉に近い表現を使っている。その説明の補助にも写真を使っている。提案文よりも、ビジュアル部分がわかりやすいようである。
 アンチ和子も、和子応援団と思い、文字で説明が足りないところは、言葉で説明している。話すことは書くことよりもわたしには難しい。
2006年3月30日 木曜日
東能代地区に出店予定の郊外型大型店に反対する
 東能代地域に出店意向のイオンに関する予測はつぎのとおりである。あくまでも本荘店を参考に、敷地面積から想定して、きわめて単純な計算にもとづくと。イオン能代店 敷地面積 88,000u (本荘の約1.33倍) 店舗面積 約19,000u、年間販売目標額約67億円(本荘は約51億円) 雇用人数約400人ほぼ全員パート(本荘は300人) テナント約90人(本荘はテナント70人) 約490人開店時の求人数 人件費− 約6億1千万円( パート社員の勤務時間を1日6時間で、週5日働くとして、週30時間勤務で、計算。時給を800円と仮定して、490人×800円×30時間×52週=約6億1千万円)(ちなみに、能代山本郡の小売業の合計売場面積は145,049u、年間販売額は約951億円である)そして、イオンの固定資産税の予想額 約計3,300万円と想定される。(建物分として約1,700万円土地分として約1,600万円)
 一時的に雇用の増大に見えるが、全国的な傾向では市内の小売業者の閉店を招き、結果、雇用の増大とならないという統計がある。なによりも系列のジャスコ能代店の閉鎖がまず考えられる。
 予想される販売額67億円から、地元雇用分と商品の地元調達金額を差し引くと、50億円以上の財が中央に流出するのではないか。
 市街地拡大により、上下水道や道路などの社会整備の負担が能代市の財政をさらに圧迫すると予想される。
2006年3月29日 水曜日
三種町の議員在任特例を疑問に思う
 合併にともなうさまざまな便宜、つまりアメの部分の代表である議員在任特例を適用した三種町議会にわたしなりに不満がある。ほんの3ヶ月の特例であるので目くじらをたてるほどでもないとの考えもあるだろう。しかし、定数22人に対して48人の議員が議会審議をすることになる。議員数で言えば県議会と同じである。2万人の小さな町にしては、多すぎはしないか。たとえ3ヶ月間の特例であっても、財政破綻寸前の町が余計な人材に予算を使う余裕はないはずである。
 さいわいにも、新能代市が議員在任特例無しで設置選挙をすることは、住民の願いを反映しているのではないか。ということで、わたしも選挙戦の前の政治活動をそれなりにしている。。悪天候も私になんら影響はなし。住民に対してアカウンタビリティーを果たすこと、わたしの政策を理解していただくこと・・・古くて、きわめて新しいことをしている。
2006年3月28日 火曜日
北秋田市議選の結果が出る
 まずは知り合いの小塚光子さんが第5位で当選できたのは一番うれしい。鷹巣、合川、森吉、阿仁の4町の合併による選挙であった。定数26人に候補者は43人であった。
 女性議員の当選は1名であった。二人の女性候補者はわずかの差で当選がかなわなかった。もちろん女性であれば誰でも良いというわけではないが、合併による選挙は女性には厳しい状況にあることが、このたびの選挙でもわかる。
 我が能代市ではどうであろうか。3人の女性前市議は出るだろう。又公明党が女性候補者をかわりに立ててきたし、二ツ井の女性前町議も立候補の予定である。5人の女性議員が全員当選できるといいが。
2006年3月27日 月曜日
市長選の預言者として期待させられて
 毎日、市長選の予言を求められる。大抵は勝負の白黒ををどう見るかを期待する。でも、選挙というものは、時として一夜でひっくり返る。そして、にわか預言者である私は、自分の足で得た情報に縛られる。
 以前にも書いたので繰り返しとなるが、政策提言しているリーフレットを読むかぎり、私ににはプランがありますといいながら、能代のかかえている問題への提言がない斉藤氏である。いっぽう、必ずしも、全てが受け入れられるものではないが、豊澤氏の政策提言は、能代市が直面している問題への方向性が示されている。政策展開に関しては、斉藤氏のプランには不満がある。
 国政を目指していた者が、志半ばにして市長選という異質の選挙をすることに、住民にはわかりにくいさを感じている。
2006年3月26日 日曜日
為書をいただく 
 選挙には為書がつきものである。黙っていても応援として送られるものもあるだろうし、こちらから名の知れた政治家の為書を求めることもあろう。私は、そのような種類のものとは無縁の選挙をしてきた。そもそも選挙事務所という名にふさわしい場所をもったことがない。自宅兼仕事場を選挙期間中、選挙事務所に代替してきた。飾るところもない。(その代わり、事務所費用は限りなくゼロである)
 今日どういうわけか、為書を生涯で始めていただいた。不思議な気分。応援者に聞いたら、在って邪魔になるものではないので、ありがたくいただくようにとの指示であった。それならば、選挙期間1週間ありがたく飾ることにしましょう。
 好むと好まざるとにかかわらず、自分の存在意義が、わたしの考えるものとは異なってくる。
2006年3月25日 土曜日
二股をかける or 保険をかける
 市町村議員の選挙以外での話であるが。立候補者が少なくかつ2者での接戦の場合は、どちらが勝っても良いように、地元企業が双方に選挙資金を提供して保険をかけるときがある。それは企業が生き延びるための戦術である。
 今日のとよさわ有兄氏の事務所開きがプラザで開催された。議会解散前に、政和会に属し、豊澤氏の政策に次々と反対し、このたびの市長選では斉藤氏支援にまわった人が参加していた。なるほどこういうのも保険をかけるということなのだろうか。それとも二股をかけているのだろうか。
 こんなふうに、きわめて政治的な、ありていに言えば、節操のない行動や考え方をできるのも才能のうちのひとつなのだろう。うらやましい限りである。
2006年3月24日 金曜日
二ツ井町の方から「二ツ井町から市会議員何人出るの?」と聞かれても
 旧能代市内だけでなく、新市となった二ツ井町の知人からも、いったい二ツ井町から市議選に何人立候補するのか尋ねられる。立候補予定者への選管の説明会には二ツ井町から15名が来ていた。その後、報道で13名というのを見た気がする。さらにその後、11名ぐらいとも聞いた。つまり、本当のところわたしにはわからない。誰にもわからないというところだろう。
 二ツ井町の声を代弁する議員をなるべく多く出すには、立候補者を絞ったほうが住民には良いだろう。しかし、立候補する人たちは互いに、腹の探りあいをしているのだろうか。そうこうしているうちに告示日が来る。
 そもそも、旧能代市内の立候補者が何人なのかもわからない。旧能代市の住民から「能代から何人でるの?」と聞かれてさえ、わたしにはわからない。
2006年3月23日 木曜日
「新市 能代市」の感想は?実感なしと住民はこたえるが
 新能代市になりました、と説明すると、大抵はそういえばノロシがあがっていたので、新市になったんだなあとおっしゃる。しかし、その実、新市となった実感はないというのが現実かもしれない。
 議員も首長も失職したが、職務を代行する人がいて、役所の作業が住民にとって特別不便なものではない。新市の市長は4月23日の選挙できまる。わたしの感覚では、斉藤滋宣氏は、苦戦している。気さくな人柄や、わかさに期待するむきもあるが、「能代市の市長」となると又別の市民感情が働く。野呂田氏離れも、潮が引くような状態である。野呂田チルドレンの斉藤氏にはけっしてプラスではない。
2006年3月22日 水曜日
それはプランではありません、スローガンというものです
 斉藤滋宣氏は自分にはプランというものがあり、能代市には自分のプランが必要であるとうったえて市長選に立候補している。にもかかわらずリーフレットには、肝心の能代東インター近くに出店を計画しているイオンの郊外型大型店には言及していない。12の政策を掲げているが、7番目に「中心市街地活性化プランを早急に作ります」とある。それではプランというものがないのですね。作ったプランを示してこそ、私にはプランがありますといえるのではないか。4番目には環境を守るとあるが、能代産廃の問題は避けている。能代産廃を語らずして環境を語ることが出来ないのが能代の現実である。
 それはプランというのではなく、スローガンというものです。"笑顔あふれる能代を作ります"と主張している者もいるそれと同じ発想である。別刷で「わたしのプラン」というものを具体的に市民に示して欲しい。考えようによっては、まだ時間がある。
2006年3月21日 火曜日
探しても見つからない豊澤事務所、探さなくても目に付く斉藤事務所
 単純な事務所の比較をするならば、斉藤事務所はさすが百戦錬磨のプロの集団であるが、豊澤事務所は選挙素人の集団というところか。事務所は目立てばいいというものでもないが、豊澤事務所は目だたなすぎるのも事実である。
 立派な事務所をセットすればかんばしい結果が得られるわけではないが、単純な事務所の役割もあるが、住民に対する宣伝、アピールの意味もあるので、気軽に住民が入っていける環境を作ることも大事だろう。(という、わたし自身は、言うほどのこともないが・・・・)
 旗色は斉藤氏にとってきびしいものになりつつあるのではないか。特に女性団体に接すると、男性の表向きの顔とは違って、本音で話してくれるのでわかりやすい。とはいうものの、自民党の底力はこれから発揮されてくるだろう。豊澤素人集団がどのように戦うのか。
2006年3月20日 月曜日
斉藤滋宣氏と能登祐一氏の関係修復はあるのか?
 少し考えると新能代市の市長選に出馬を予定している斉藤滋宣氏と能登祐一氏が二人三脚を組めるようなキャラではない事はわかる。しかし、共通の利害を持つ者同士として、現実には手を携えて選挙戦を戦ってきた仲ではある。ところが、ここに来て、二人の関係が険悪になったようだ。
 険悪となった二人の本心は知る由もない。能登氏にしてみれば、斉藤氏の市長選出馬は彼自身のダミーであり、来年の県議選に立候補するための布石の選挙である。誰のおかげで市長選に立候補できるのか分かっているのか、ということになるのだろう。斉藤氏にしてみると、市長選で苦戦が強いられる原因のひとつは能登氏の影である。能登氏の来年の県議選の踏み台にされてはたまらない。
 能登氏は斉藤氏の選挙から腰が引けた状態である。一触即発の二人の間に、火が吹くのは時間の問題ではあった。能登氏のマイナスの遺産はいらないが、能登氏の持つ票無しでは当選は出来ない。この地雷原をどのように斉藤氏は渡り切るのであろうか。
2006年3月19日 日曜日
3月26日 「ゆめろん」のショーがたのしい
 地元紙を何気なく見ていたら、3月26日、八竜町の砂丘温泉「ゆめろん」でバラエティー&歌謡ショーという企画が載っていた。温泉付きで料金は千円である。目玉の芸人はゴージャス松野である。広告にふきだしで沢田亜矢子の元夫と銘打っていた。ここまで愚かしい元夫ならパンダ見学気分でみるのも楽しいだろう。ゴージャス松野は生活のために利用できるものは利用して、生き延びているのだろう。それにしても、女優の沢田亜矢子こそいい面の皮である。そもそもの原因は、夫選びの大失敗にあるから、自業自得といえばいえるが、ここまでひどいとは人知の及ばぬところではないか。
 「ゆめろん」の経営は黒字で町へ利益を納めていると思っている人がいるようだが、その利益は投入されている税金の額に及ばない。歌謡ショーなどを企画して、集客に努力しているようだ。新町の荷を軽くするために、早晩、運営・経営形態は変わるだろう。
2006年3月18日 土曜日
斉藤氏は勝てない、わたしが足で得た情報分析だが
 人それぞれに情報のルートがあるので、その人なりの分析があるだろう。私は政治活動において、住民の皆さんのご意見を伺うために、現在直接会い、情報を得ることをもっぱらとしている。新市の市長選で豊澤氏がけっして有利なわけではない。比較検討してよりよきものを選択するしかないのが住民である。わたしが足で得た情報を判断すれば新市の市長選では斉藤滋宣氏は当選とならないだろうと予想している。
 きわめて感覚的なものであるが、住民の根底にあるそして論理で説明のつかない「能代」愛好の、ある意味でかたくなさを感じている。草の根住民が斉藤氏に距離を置く理由かもしれない。
2006年3月17日 金曜日
市議会議員の票の譲渡なんてあるのだろうか?
 たぶんあるのだろう。わたしの感覚は、古い政治の世界とは異なったものなので、理解できないだけなのだろう。議員の誰かが引退したら、その人に投票していた住民が、かつて支持した議員の言いなりに特定の人に投票するものだろうか。不思議に思う。
 国政選挙のように、政党や団体・組織の公認や推薦を受けて立候補した人を組織の利益のために、公約や資質を問わずに投票するということはありうる。しかし、事は市議会議員選挙、つまり最小行政区域やコミュニティーのレベルの選挙で、票の受け渡しが簡単に出来るかどうか、私の感覚では想像外である。
2006年3月16日 木曜日
普通の市民感覚からでた批判に対する反応は健全性のリトマス紙である
 昨日のここの日記「ブルータスお前もか!」に対して、豊澤支持者とおぼしき方々から、好ましくないとの忠告があった。つまり、選挙とは勝ってナンボのもので、そのためなら何でもあり、毒を喰らわば皿までも、と言いたいのかもしれない。組織の強さをはかる物差しのひとつに、批判勢力をも内包するキャパシティーの大きさがあげられる。普通の市民感覚的批判を拒絶するならば、組織が仲良しクラブとなり広がりを失うだろう。市議選ならばそれでもいい。2者で争われる市長選は1票が2票の重みがある。
 豊澤氏の、丸岡氏を新市の要職に要請する可能性発言は、報道で知った範囲での批判である。その報道が記者や編集者のバイアスがかかっているのかもしれない。はたまた、豊澤選対では、その内実を知っているのかもしれない。しかし、私たちは書かれたものでしか知ることが出来ない。そして、その内容からして、「ブルータスお前もか!」と感じた。
 選対は健全批判と受け止めていることだろう。
2006年3月15日 水曜日
ブルータスお前もか! 丸岡氏を新市の要職にとは・・・
 新市の市長に立候補している豊澤氏は、昨日の記者会見で新市の要職に丸岡氏を要請する可能性を示唆した。人はそれを裏取引という。人はそれを選挙協力のためのニンジンという。豊澤氏には、ブルータスお前もか!といいたい。
 新市の要職としては第一に助役が考えられる。はっきり言って丸岡助役はいらない。賞味期限の切れ掛かった人間を救済するのは、自分で会社を経営したときにしてくれ。新市でハローワーク的人事はよしてくれ。それじゃあ、能登氏ー斉藤氏の擬似餌公共事業路線と50歩100歩といわれる。もっとも、豊澤氏が当選すると決まったわけじゃないが・・・
 丸岡氏が、合併に一生懸命汗を流した事は認める。でも、市長であれ、市議であれ、新市では立候補しないと決めた丸岡氏である。老兵(?)はただ去るのみである。後ろ髪ひかれる思いで、新市で亡霊としてさまようのは潔くない。
2006年3月14日 火曜日
よそ者、若者、ばか者を尊重せよ
 先日のフォーラムで 「よそ者、若者、ばか者」を尊重することによって、市民活動が活発化することを実体験を交えてスピーチした方がいた。いつもの地域の仲間だけでは、発想の転換は少々困難である。そんな時「よそ者、若者、ばか者」(ちなみにばか者とは、悪い意味ではなく、熱中する人のこと)を仲間に入れて、活動を活発化したほうがよいということである。
 さて、このことを能代市長選挙にあてはめてみると、斉藤滋宣氏は「よそ者、若者、ばか者」に当てはまる。すべての新能代市民にとって、生活の安定と安心のために働くとしたら、望ましい「よそ者、若者、ばか者」であろう。しかし、残念ながら、土建・建築業を中心とした特定の業者と利益・利権で結びつき、合併特例債という、一見飴玉に見えるがその実、新市にとってさらなる借金を重ねることをいとわないようだ。そんな斉藤氏の旧体質を危惧する。斉藤氏のいう国との太いパイプとやらはもう存在しない。国は自らたすくる者(自治体)をたすく、そんな時代となっている。斉藤氏は、新能代市は自らたすくために何をしたらいいのかの政策を示すべきであるが、それがない。政策通のお方なので、まだ時間はあるので、期待している。
2006年3月13日 月曜日
斉藤氏 「わたしにはプランがまだありません」なのか?
 斉藤滋宣氏のリーフレットに「わたしにはプランがある」とあった。しかし、豊沢氏との争点となるプランを見つけることが出来ない。お題目を「能代市」のかわりに、「A市」に書き換えても、「B市」に書き換えても、通用する最大公約数的な提言のみである。ようするに、能代市を知らないのである。勉強して欲しい。
 具体的な政策とはいったい何なのか。能代ならではのプランを見せて欲しい。政策通で、立て板に水のごとく弁舌がたつ斉藤氏ではあるが、能代市の基本的知識が欠如していては語る言葉を持たない。斉藤氏を担いだ議員や若手経営者は、市街地の拡大を希望している。能代東インターチェンジ近くにイオンが出店を希望している郊外型大型店を歓迎し、議会ではそのように採択した方々である。斉藤氏は市街地のコンパクト化をうたっているが、衣の下の鎧は見えている。総合計画は憲法であると語っている。つまり、市街地のコンパクト化とはべつに、市街地拡大化路線を進めようとしているようだ。少子高齢化、財政難が合併の理由のひとつである。市街地拡大化は新市にとって自殺的施策である。
2006年3月12日 日曜日
新しいノートパソコンが来た
 選挙用に新しいノートパソコンを買った。今使っているノートパソコンはすでに3年ほどたっているので、今となっては低性能パソコンのようだ。おまけに、使っているわたし自身も操作能力が低レベルであるので、ちょうどいいといえばちょうどいい。選挙用に知人のパソコンを借りて済ませようと思ったが、諸事情があり、新しいノートパソコンを準備することになった。今の機種より、比較ならないほど性能がよいといわれても、何がなにやらわからない。とにかく、選挙のためのデータを2台で処理していくことにした。
 新品であるが、3ヶ月前のモデルで、すでに古くなったようで、安く買うことが出来た。高性能機種を格安で買ったということだけは理解できるが、高性能の威力がわからない。いいんだ、いいんだ、必要なところだけわかればいいから。
2006年3月11日 土曜日
敵の敵は味方といえるかどうか?
 斉藤滋宣氏と豊澤有兄氏の一騎打ちとなりそうな新能代市の市長選である。それぞれで合併する市町村長の中で唯一、立候補を断念した丸岡氏である。同じ二ツ井町内の斉藤氏の丸岡氏への仁義なき出馬もあって、丸岡氏は斎藤氏への支援はしないだろう。という事は、敵の敵は味方という発想に立つと、丸岡氏は豊沢氏支持であるとみなされている。
 しかし、敵の敵というのは、あくまでも敵の敵であって、味方とはいえない。つまり、丸岡氏は斉藤氏の支援はしないだろうが、豊澤氏の味方といえるかどうか。ただ、斎藤氏への抑止にはなるだろう。
 1対1の選挙において、選択は二つしかないので、とかく敵または味方といった視点を持ちがちである。敵ではない、味方ではないとの立場もある。そういう意味では丸岡氏は、豊沢氏にとって敵ではない。そして、斉藤氏にとっては味方ではない。
2006年3月10日 金曜日
斉藤氏は能登氏のダミー候補
 平成17年1月22日、能代市議会合併特別委員会で(ここのHP議会リポートをごらんください)、後藤健(明政会 自民党)・斉藤宗一郎(明政会 自民党)・矢田部昌 (明政会 自民党)・熊谷健 (明政会 自民党)・竹内宏(明政会 自民党)・塚本民雄(創造21 自民党)・武田正広(創造21 自民党)・工藤勇男(創造21)・薩摩博(政和会)・原田悦子(政和会 )・大倉富士男(政和会 自民党)・伊藤洋文(政和会)敵前逃亡の欠席・渡辺芳勝(市民の声)・今野清孝(市民の声 元自民党)・安岡明雄(市民の声)・平野龍市 (公明党)の各議員が7市町村合併の最後のチャンスをつぶし、合併を崩壊へと導いた。もちろん、市長にもその責任はある。
 その後、豊澤市長と丸岡町長の奔走で(そのプロセスに異議ありというのがその時のわたしの考えであった)1市1町での合併がまとまった。
 7市町村合併を崩壊させた彼らがこぞって、合併となる新能代市の市長選に立候補するように斉藤氏詣をした。斉藤氏は、産廃問題で不出馬の能登氏のダミー候補である。能登氏は7市町村合併崩壊ゲームに走った子分である市議たちを遠くでながめ、けしかけていた。そんな能登氏のダミー候補の斉藤氏がいまさらながら、合併新能代市の市長選に出馬することを奇異に感じる。親分の野呂田氏がこけた今、国との太いパイプで補助金を新能代市に引っ張ることができるとは、それはモジョというもの。
2006年3月9日 木曜日
丸岡氏の言葉を読み解くと・・・
 丸岡氏は斉藤滋宣氏の新市長選出馬を「想定外だった」と後援会で語った。それは言外に二ツ井町と能代市の合併に汗した自分を無視しての立候補は、いいとこどり・とんびに油げ・ハゲタカ行為であると非難しているのである。「斉藤氏と私の支持者は重なっている」としながらも、特定の候補者を応援しないと言明した。これはとりもなおさず、斉藤候補を支援しませんよという引導を渡したことである。2名が立候補する選挙において、一方を応援しないという事は自動的に、豊澤候補にシフトしたことと同じ作用が働く。能代山本で最もしたたかな首長といわれている丸岡氏のことである。今後のことを十分に計算つくしてのことだろう。次の一手を見守りたい。
 7対3で、斉藤氏有利の市長選であると保守系の政治家は言う。寄せ集めでこれといった組織の応援も少ない豊澤陣営は、どのように考えても勝てない勝負のように見えるのだろう。しかし、一方で能代モンロー主義といったらいいような、市町村合併でみせた草の根の地元こだわり派が存在する。「斉藤氏は二ツ井に住んでいるようだが、能代にこれといった思い入れもなければ、貢献もしていない。国政にしか目がむいていなかった。しょせん旅の者に過ぎない政治家に能代は任せられない」との、風呂屋談義の熟年女性達であった。
2006年3月8日 水曜日
新能代市長選 第3の候補者丸岡氏は 出馬断念
 常に、市長選出馬の可能性に含みを持たせてきた丸岡二ツ井町長である。斉藤滋宣氏は、国政からの転出しての立候補を宣言し、現在活動全開である。丸岡氏と斉藤氏は互いに選挙戦を協力し合った関係であるが、それは利権を媒体にしたものである。利権という強力な地場があるうちはいいが、それがなくなるともろいものである。
 もともと丸岡氏と斉藤氏は個人的にそりの合わない関係である。ことここに来て、斉藤氏陣営に邪険にされていると感じている丸岡氏は、市長選に立候補することをほのめかして、斉藤陣営に揺さぶりをかけていた。しかし、告示まであと1ヶ月ほどである。丸岡氏は出馬を断念した。
 それでは、仇敵斉藤氏支援に回るのか、政治哲学が違う豊沢氏支援にまわるのか、はたまたノンポリになって消え去るのか。徐々に態度が明らかになるだろう。ただ、斉藤氏支援で動く可能性はあるのかと問われるならば、それはノーであるとわたしなりに考えている。
2006年3月7日 火曜日
今日は能代市議会定例会最終日 歴史の転換点に立って
 65年間(そのように今日聞いたような)の長い歴史にひとつのピリオドを打つべく、能代市議会定例会としては最終日となった。市長の挨拶、助役の挨拶、議長の挨拶と続いた時、胸がいっぱいで涙が出そうであった。3年弱の間に、私は未知との遭遇とばかりに、議会という特殊な世界で大波小波に、揺れ揺られた。
 今夜は当局と議会の懇親会である。私は酒席が苦手で苦痛で、また今日は高校受験日なので、生徒達の支えになりたいので欠席した。仲間と離れて、ひとり、私達は能代市の歴史の転換点に立っていると考えている。結果として、二ツ井町との合併を選択したという事は必然的な運命であったと正面からとらえ、どのような地域づくりをするのか考えなければならない。見本も手本もない、私達がスケッチするしかない。
 最後の定例会の最大の問題は指定管理者に関する議案にどのような結論を出すかであった。文教民生委員会では継続審査ということであった。さすが、この後がない議会では継続とは出来ずに否決という結論を出した。文教民生委員会での審議内容の報告を聞いているうちに、6市町村を瓦解に陥らせた能代市議会の1年前がフィードバックしてきた。
2006年3月6日 月曜日
指定管理者に関する議案 さて明日の議決で実質廃案となるか
 指定管理者に関する提出議案において、文教民生委員会では5案件のうち保坂会館を除いた4案件が継続審査との結論に達した。今定例会で合併のために解散する議会において、継続という選択はない。この3月21日以降、継続すべき議会が存在しない。それが分かっていながら、自民党創政会、自民党能登派となった政和会(原田、大倉、伊藤、薩摩議員)同じく自民党能登派となった市民の声(渡辺、安岡、今野議員)が、一致団結して、継続という煙幕を張って、実質廃案に追い込もうという作戦である。
 対案を示さずに、反対のための反対をする。これが最も始末が悪い。反対の理由なんぞいくらでもこじつけることが出来る。『対案』となると、それを執行する当局を納得させるに耐えうるものでなければならない。残念ながら『対案』を示すほどの政策能力を彼らは有しない。出来るのは、反対のための反対である。
 指定管理者制度がかかえている本来の問題点(例えば3〜5年の契約期間なので、雇用の安定化をどうするか、など)は、どこかに吹き飛んでしまった。
2006年3月5日 日曜日
超高齢化社会をどうするか、されど我が両親にも苦慮し
 世界でも日本は高齢化国である。そして、そんな日本にあって秋田県は日本でも高齢化県である。そして県北地区は秋田県にあっても高齢化率は高い。とはいえ、少子高齢化問題で、深刻なのは少子化である。高齢化は迎え撃つ体制が出来つつある。それは、必ずしも満足の政策でないにしても。
 社会として高齢化をどうするかの問題があるが、私は我が家に超高齢の両親の、きわめて私的な問題をかかえている。マクロ的視点で考える高齢化問題と異なる、ミクロ的高齢化問題が胸元に存在する。
 結論は、なるようにしかならないさ。されど、されど・・・
2006年3月4日 土曜日
文教民生委員会での指定管理者に関する議案を認めない本当の理由
 1、老人憩いの家 2、保坂福祉会館 3、東デイサービスセンター 4、緑町デイサービスセンター&緑町認知症老人グループホーム 5、ふれあいデイサービスセンターの指定管理者に関する議案の付託審議をした文教民生委員会で 2、保坂福祉会館のみ全会一致となったが、そのほかの施設では、本会議の議決では継続審査という名の廃案となる可能性がでてきた。
 自民党創政会と自民党属国の政和会が廃案に持ち込むべく継続審査とした。そして、やはり自民党植民地である市民の声も継続審査である。委員長会派なので表立った姿勢は見えないが、創政会と歩調をあわせている。(直進会は番外である。共産党は官営は善だが民営は利益を上げようとするので悪であるという、共産党の思想である。)
 今期で解散の議会で継続審査は、否決と同様である。なぜ実質否決の継続審査なのか。委員会では、あれこれ理由は述べられたが、すべては茶番劇。本当の理由は6市町村での合併をつぶしと同じ理由、循環型社会形成の汚泥調査費否決と同じ理由、つまり豊澤市政に対する嫌がらせである。特に、このたびは市長選も絡み、反豊澤の政治的思惑による。
2006年3月3日 金曜日
丸岡二ツ井町長の新市の市長選出馬を期待する
 丸岡二ツ井町長が3月定例会の行政報告で新市の市長選について「出馬、不出馬は現時点では5分5分」と話した。12月定例会で豊澤市長が新能代市の市長選に出馬すること表明した。その後、去就が注目されていた能登祐一氏が1月30日に市長選に出馬しないことを宣言した。その結果を受けて2月19日、斉藤滋宣氏が市長選へ立候補することを正式に表明した。
 丸岡氏は新市長誕生までの職務執行代理者に任命されたので、立候補の可能性はあるものの、住民の関心は高くはなかった。固唾を呑んで斉藤氏の去就を注目した住民にしてみれば、斉藤氏の出馬表明である種のバランスがとられたと感じている。いまさらながら、丸岡氏の市長選参戦の可能性示唆されても、市長選の話題としてはだいぶ「ウルゲデ」しまっている。とは言うものの、住民の選択肢は多いほど良いので、2人より3人の方がよい。丸岡氏にはぜひぜひ出馬していただきたい。
 能登氏不出馬宣言のあと、丸岡氏になんらの仁義も切らずに(なんとヤクザな世界だろう)自民党も能登氏も斉藤氏擁立で動いたらしい。そして、斉藤氏自身も丸岡氏になんらの挨拶もなしに(事後挨拶のみ)、市長選出馬を表明したようだ。無視され、コケにされたと誇り高い町長が憤怒の思いをいだいたとしても不思議でない。互いの支持層が重なっているとみられる斉藤氏に対する丸岡氏の挑戦予告宣言である。
2006年3月2日 木曜日
「お粗末な」記事を書く地元紙記者
 「お粗末な珍事」として、「議員バッジを忘れ」たことを鬼の首でもとったように議会担当の記者が地元紙に書いた。議会とは何をするところかお分かりになっているのだろうか。それが証拠に、議員が一般質問することを"晴れ舞台"と表現した。言語使用能力に問題があるようだ。
 議員バッジがそんなに議会にとって必要なものだろうか。着用は慣習としてあるが、規則としては存在しない。建設的に審議し、住民の立場で監視し、未来志向の提言する・・・議会にとって大事な事はそんなことではないか。野次を飛ばしたり、席を立ったりという行為と違い、議員バッジがついていないからといって、誰に迷惑をかけるわけでもない。議員バッジを忘れたならば、気がついた者が注意を促せばよいことである。すわっ、懲罰だといって10数人の議員が走り、ミーティングし、事務局に問い合わせることこそが「お粗末な珍事」ではないだろうか。
 小さい頃から日本舞踊や能楽で晴れ舞台を経験している私には、議員の一般質問を"晴れ舞台"と考える思考回路に疑問を感じる。"晴れ舞台"との表現に、議員への愚弄、議会への軽蔑、一般質問への軽視を行間に読み取る。その人にとっては、そんなものなのだろうと思うしかない。一般質問は、むしろ市長とのクエッションタイムのようなものである。ただし、500人のブレーンを控えている市長と、議員はたった一人ぼっちで対峙することになる。
 こんなことでは、田村さんに弟子入りでもして、修行することをお奨めする。
2006年3月1日 水曜日
市の施設の指定管理者制度への移行はただいま波高し
 1、老人憩いの家 2、保坂福祉会館 3、東デイサービスセンター 4、緑町デイサービスセンター&緑町認知症老人グループホーム 5、ふれあいデイサービスセンターは、この3月の提出議案として、民間委託の指定管理者制度への移行が案件として出されている。すでに、プロポーザル方式で、選考が終わり管理者が決定し、議決が求められている。しかし、今日の各委員会への付託審議で、指定管理者制度への移行に、暗雲が漂い、明日の委員会の審議次第では、否決もありうる。
 野党が多数派を占める不安定政権下では、新市の市長選を前に、豊澤市長に揺さぶりをかけるために、隙あらば政局に持ち込もうというベクトルが絶えず働いている。指定管理者に関しても、今問題とされている事は、一義的に社会福祉協議会の不手際、運営のまずさであるにもかかわらず、市長選のつばぜり合いに持ち込もうとしている。
 話は変わって、フィギアスケートの採点方法は、長年の試行錯誤から、パソコンを持ち込んで、それぞれの技術を客観的配点するようなシステムになっている。とかく主観が入りやすい競技を客観化する為の、苦い経験の上に立った知恵の結果である。さて、指定管理者を決める際に、普通を3として点数化して決定したという。そのことに関して、普通の3という基準は何かという質問があった。応募が2社のとき、それは相対的であろう。いや、最大6社であったというが、それでも相対評価であろう。今日の、今野議員の質問はまるで、オリンピックのフィギアスケートの採点方法を要求するようなものであった。例えば、サービス向上のための提案内容の記述を、どのような内容であれば採点3であるのか、決めることじたい矛盾である。相対でしか評価できない。それでもフィギアであれば、3回転、4回転という数値がでてくるが、指定管理者の選考で基準の3を規則化して決める事は不可能である。
2006年2月28日 火曜日
能登祐一氏の新春の集いに1400人の参加者
 昨日開催された、能登祐一氏の新春の集いが開かれ主催者発表で1400人の参加者があったという。野呂田芳成氏の夫人、新能代市に出馬を表明している斉藤滋宣氏が、来賓として挨拶した。野呂田氏ー能登氏ー斉藤氏のホットラインが明確化して、なるほど、当たり前との感を強くした。
 能登氏が新市の市長選に出馬できないことにより、代打として斉藤氏が出馬を決めたことがこの集いではっきりした。挨拶の中で斉藤氏は、新能代市での政策はまだ出来ていないのか、具体的な地域づくりの理念が語られていない。ただ、何としても勝ちたいとの意欲は強く参加者に伝わったようである。会では、6市町村での合併を破綻に追い込んだ自民党の責任が語られず、現市長のリーダーシップの欠如が強調された。
 能登祐一の会として斉藤氏に推薦状が渡された。産廃問題で十字架を負った能登氏であるが、この推薦状で、その産廃問題の十字架を斉藤氏にバトンタッチで負ってもらったことになる。
2006年2月27日 月曜日
探しても探しても見つからなかった 懲罰理由 残念でしたね
 今日は午前の2番目に一般質問をした。一般質問を終えて、なにやらあたりがゴソゴソと騒いでいるらしい。自分のペースで過ごしている私はまったく気がつかなかった。結論から言うと、議員バッチをつけずに登壇し、一般質問をしたので、バッジ不携帯でまたぞろ懲罰をかけようと悪巧みしていた。
 人気者の私を人生最大の関心事にしてくださっているある政和会議員が、私の胸にバッジがないことを遠くから気がついてくださった。ご注目はありがたいことである。毎回スーツを取り替える私は、バッグにバッジを入れて議場に入るが、たまたま付けるのを忘れた。しかし、たかだか、バッジを付け忘れただけで、すわっ、懲罰だといって走り回る議員達は、なんと細やかな精神をお持ちなんだろう。お仕事ご苦労様である。
 政和会の控え室で、自民党創政会と自民党下請け政和会と市民の声の議員が、ありったけの「能代市議会関係例規・先例集」をもちより、バッチで懲罰が出来ないか頭をつき合わせて探したが、残念ながらなかった。どこにも、バッジに関する文章はない。事務局に聞いても、ないといわれた。
 しかし、能代市議会会議規則第151条に「何人も、議長の許可がなければ演壇に登ってはならない」と記されている。私は、議長の許可のもとで演壇に登って質問をしたのである。バッジ無しで演壇に登ったことを問題にするのならば、登壇を許した議長の責任である。
 私の胸にバッジがついていないことを十数人の議員がわいわいと騒いでいることに、あまりにバカバカしく思った私は、議運の正副委員長と議長に「ゴメンナチャイ」と両手をバツに交差し、とっておきの笑顔で体を180度に折って謝った。空振りに終わった伊藤委員長のうつろにあっちを向いた顔を見て、本当にお気の毒に思った。今度から忘れないからね。ごめんなさい。 
2006年2月26日 日曜日
現在の能代市での最後の議会 終わりは始めである
 この3月(2月)定例会で、現在の能代市での最後の議会となる。明日から2日間一般質問の日である。私も明日一般質問に立つ。あと3週間しかない今の能代市に対して質問すること、答弁をうけること、何か落ち着かない不安定さを感じている。でも、この議会は、終わりではなく始まりの助走である。
 わたしの議員としての任期は、合併により、4年が3年弱で終わることになる。なんと劇的で感動的な3年であったことだろう。議会は「議会村」と揶揄されるように狭い世界である。しかし、全ての市の道は議会に通じている。そして、議会というコップは、3ヵ月ごとの定例会のたびに沸騰した。時には魑魅魍魎が跋扈するこの世界が、なぜか私の性にあっていると感じた今、解散となる。
2006年2月25日 土曜日
地区地域おこしのゆっくりした、でも、確かな歩み
 いわゆる旧市街地でない地区の行事に時々参加させていただいている。先日は常盤地区と鶴形地区の地域おこし事業である冬祭りに参加した。常盤では、スノーモービルに乗ることが出来た。好天気に恵まれ、さわやかな風が頬をなで、遠くをながめると白神山が雪を抱いてくっきりと見えた。なんという気持ちの良さ!体育館では、ユニカールやバドミントン、ミニテニス、卓球、輪投げなど、さまざまなスポーツやゲームを指導者が説明しつつ、老いも若きも楽しんでいた。「くされたまくら」の私は、当然ゲームに参加した。キャリアだけは長く、万年ヘタッピのバトミントンをヨイショされて、上機嫌の私であった。1杯50円のコーヒー販売コーナーでは、初めての試みでお母さん達が戸惑っていたようなので、我が地区のイベントでコーヒー係りをしている私は、おいしく要領よく入れるちょっとしたコツをワイワイがやがやと楽しみながら伝授した。
 鶴形地区では、主役が小学生と幼稚園児で、それを取り囲む大人たちが、昔ながらの冬の遊びを伝えていた。お母さん達が作った豚汁とおにぎりがとびっきりおいしく、靴から水がしみて足が冷たくなったことなど吹っ飛んでしまった。今売り出し中で、売り切れ御免の人気のある鶴形ソバにかかわっている女性達のお話が活き活きとしていた。それなりに問題もあるようだが、地域おこしのために壁を乗り越えつつある様子が伝わってきた。
2006年2月24日 金曜日
背後霊の能登祐一色を消す作戦に出た斉藤陣営、さて住民に煙幕は効くだろうか
 能登氏の市長選不出馬宣言を受けて、斉藤氏は市長選出馬を決めたのであるから、能登氏と斉藤氏が同一ラインにある、いわばシャム双生児である。今さら、斉藤氏が能登色を払拭しようというのは、背後霊として存在していることで不評をかうことを知っているからである。何が住民不評の原因となるのか。能代産業廃棄物処理センターの100万トンの不適切処理の産廃物がそれである。やっと解決の緒についたばかりであり、能登氏とその親族が、この問題を引き起こしたことを住民が忘れてはいない。能登氏の市長選不出馬の原因であるこの産廃問題を、斉藤氏は引きずることを恐れている。
 その一方で、政和会の4議員は産廃問題の原因者である能登氏とがっちりと組み、斉藤氏の全面的応援活動を展開している。自民党創政会の票によって議長職等を得た会派が、斉藤氏を応援する事はすでに織り込み済みのことである。大倉議長はその範たる行動で、斉藤氏に同行し、支援を呼びかけている。
2006年2月23日 木曜日
「市長選はどうですか?」とたずねられるが・・・
 斉藤滋宣氏の市長選への去就が取りざたされたときの、住民の盛り上がりもなにやら落ち着いたようで、市長選のその後を尋ねる方もいるが、俄仕込みの預言者の私は当落の分析を感覚的に述べるのみである。
 2市長候補のプレハブ事務所の度合いを比べるならば、ダントツ斉藤候補の優位である。二ツ井町に事務所を設置するのではなく、能代市に2階建てプレハブハウスの予定である。(後で1階にした)豊澤候補は畠町にいかにも資金の不如意をあらわす1階建ての予定である。
 後藤健・塚本民雄・斉藤宗一郎・熊谷健・矢田部昌・武田正広・竹内宏・松谷福三・大倉富士男・伊藤洋文・原田悦子・薩摩博議員の支援を取り付けた斉藤陣営ではあるが、このメンバーだとプラス・マイナス微妙なところではないだろうか。これらの応援議員の同行を得て斉藤氏は能代市内を行脚している。昨日は大倉・後藤議員と市北部地区を中心に、本日は斉藤宗一郎・塚本議員と旧市内を中心にあいさつ回りである。
2006年2月22日 水曜日
新能代市の市議選立候補予定者が二ツ井町では15人とは
 昨日の選挙管理委員会の説明会に出席した立候補予定者と見られいる人たちは、安井英章・菅原隆文・藤田克美・畠山一昭・工藤重隆・穴山和男・畠山多美子・山谷公一・田中翼朗・高橋孝夫・米川大治・池端又芳・菊地豊・千葉邦夫・田口由巳氏の計15名である。二ツ井町の有権者は9千981人である。単純に割り算をすると(実際にはありえないだろうが)100%の投票率でも一人当たり700票にも満たない。
 これまた仮想の話ではあるが、二ツ井町15名、能代市25名の立候補者とすると、二ツ井町候補者の自滅が予想されなくもない。なるべく多くの選択肢があったほうが住民には良いことであるが、仮に能代市側有利となると、バランスが悪い。適切な競争になるように、調節が働くことも今後あるのかもしれないが。二ツ井町議員が15人全員が立候補することはないだろう話していたが、15人立候補もそれはそれで合併選挙ならではのメニューでいいのかもしれない。
2006年2月21日 火曜日
新能代市の市議選の選挙管理委員会の説明会に参加して
 今日の選挙管理委員会の説明会には、議員本人が出席している姿が多く、何か時代の変わり目を感じている。空いている受付で名前を書こうとしたら、これは市長候補者用ですとイエローカードが出た。市長候補もいいかもと軽口をきいて、お隣の議員用の名簿に記入した。それにしても、冊子にすでに書いてあることを羅列的に説明するのみで、それなりに必要不可欠なこととは理解するが、退屈この上ない。ついつい、居眠りもでてきた。
 新市の市議会議員の定数は28人である。今日の市議選説明の参加者が36人である。36人が立候補者なのではなく、説明会に参加した立候補予定者らしい人たちが36人ということである。私にとって、二ツ井町の議員はほとんど名前も知らない存在である。4月にはその人たちとも議席争奪で競わなくてはならない。少数激戦よりも、多数激戦のほうが、住民の選択としてはいいのではないか。議員の質とはすなわち選択権を持っている住民の質である。
 市長選に関しては、斉藤滋宣氏の立候補が決まったとたんに、住民の関心度が汐を引くように沈静化したようだ。
2006年2月20日 月曜日
斉藤滋宣氏の市長立候補決意表明スピーチのレトリックとパクリ
 斉藤氏は昨日の、立候補決起大会で、豊澤市長批判のひとつとして、イオンショッピングセンターをあげた。コンパクトシティーにしたいのでイオン出店に反対し、農振除外と出店計画の協議のテーブルにもつかないのはおかしいと主張した。当たり前ではないか。出店反対者の市長が出展計画の協議に加わること自体が矛盾である。出店には賛否があるが、市長には論じる気さえないのはおかしいという批判はむしろ、市長の市街地拡大化を防ごうという決意の現れである。斉藤氏のスピーチでは、批判していながら市街地拡大は反対であるという。ところが、総合発展計画は憲法であると言い切っている。つまり、巧妙なレトリックで、イオンの出店をもくろみ、そのためのインフラ整備の公共事業で利権に預かろうという、野呂田党の真骨頂が隠されている。
 コンパクトシティには大きな問題があるという。さてその大きな問題とは何なのか。「大きな問題がある」ということが問題であるようだ。あえて、コンパクトシティーという表現の分かり難さと、説明不足をあげている。ところが、斉藤氏自身が、豊澤政策のコンパクトシティーの論理をすっかりパクリながら、中心市街地に病院や公共施設を集約すべきであると展開した。といいつつ、総合発展計画の大切さを訴えている。つまり、拡大発展路線を複合的に主張している。
 前回同様に、声を詰まらせ、なみだなみだの感動のスピーチである。
2006年2月19日 日曜日
市長選立候補決意 斉藤滋宣氏の悲壮?それとも演技?
 今日、前参議院議員斉藤滋宣氏が、新能代市の市長選への立候補を宣言した。その際、斉藤氏はウルウルと声を震わせ涙声となった。斉藤氏の妻は、夫の決意に涙を流して支持を訴えた。それは悲壮感からなのか、あらかじめ計算した演技なのか。選挙戦とは何でもあり、である。斉藤氏の立候補宣言イコール勝利宣言ととらえている自民党は、衣の下の鎧を隠し、悲壮感あふれる場面を設定する。さすが、選挙上手である。
 政和会の大倉富士男・薩摩博・伊藤洋文・原田悦子氏の4議員の全面的支援を得ることもできたようだ。政和会はとっくのむかしに自民党の軍門にくだり、毒キノコを食べていたが、これで毒マンジュウも皿もろともにたらふく食べたといえる。
2006年2月18日 土曜日
能代市民は斉藤滋宣氏をどのように評価するのか?
 明日、自民党前参議院議員斉藤滋宣氏が、新能代市の市長選の候補者として名乗りをあげるだろう。豊澤現市長にとって強力な対立候補である。斉藤氏の強さは、利権でつながっている業界の支援が期待できること、中央とのパイプが太い(実際はどうかは別にして)ことなどがあげられる。斉藤氏を担ぎ出すことさえ出来たら、勝利したも同然と自民党サイドでは考えている。つまり、楽勝できるという踏んでいる。
 果たして、楽勝だろうか?利権と無縁の市井の市民は、地元と何の縁もない、二ツ井在住の候補者を何のアレルギーも無しに受け入れるとは思えない。合併問題で「能代市」の名称に拘泥した草の根の能代を絶対愛好する人たちをどのように取り込むかの壁がある。勝負はこれからの運動にかかっている。
2006年2月17日 金曜日
斉藤滋宣氏は新能代市長選出馬でほぼ決意が固まったのか
 斉藤氏は現在も自民党籍を持っているが、親分の(まるでヤクザの世界のよう)野呂田芳成氏が自民党を除名された経緯もあって新能代市の市長選には無所属で立候補するようだ。その無所属立候補の味付けに豊澤与党を標榜していた政和会の大倉議長が必要であった。政和会の大倉・薩摩・原田・伊藤議員は、利権保持・獲得のための自民党の道具に過ぎない。しかし、彼らはその事を自覚せず、キャスティングボードを握っていると自民党に錯覚させられている。
 斉藤氏陣営は、二ツ井と能代の対決姿勢を示すと、圧倒的有権者数を誇る能代市民の賛意を得られないと判断している。そこで、二ツ井色を払拭すためにも、能代市議会議員の登場が必要であった。新能代市の全市的支持が得られそうだとのイメージが必要であった。
 実際、今回の市長選ほど、心理戦、神経戦の様相をしているものはない。
2006年2月16日 木曜日
斉藤滋宣氏に出馬要請の2千人の署名簿
 青年会議所を中心とした「新しい市民の会」は2千人の署名を持って斉藤滋宣氏詣を繰り返し、外堀を埋めつつある。「新しい市民の会」とは言うものの、所詮能登チルドレンである。青年会議所は能登前県議の政治活動のいわば奉公人のようなものである。能登氏が斉藤氏の政治生命を尊重して、チルドレンたちを使い署名を集めさせたわけではない。すべては、自己の政治活動を有利に運ぶための前座としてのアクションである。
 できるだけ早く答えを出すとの斉藤氏の返事であるが、牧羊犬に追い立てられ柵の中に閉じ込められる羊のように、拙速な返事、つまり相手の求める返事を出すような状態になりつつあるのが見える。人間は、負けるとわかる戦に出なければならないときもある。それは、自己の信義に照らした結果である。今は、そのときなのだろうか?
 斉藤氏は参議院議員時代には、これといった参議員ならではの成果を出してこなかった。これが金田氏との大きな違いである。金田氏は、知事選であれ、衆議院選であれ、自民党県連のコマとならずに自己の信念を通すことによって、自己の参議員としての評価と実績を残している。斉藤氏は常に野呂田氏の秘書議員にすぎず、言ってみれば隷属根性の抜けないシャドーのような存在であった。野呂田氏がこけてもその根性は抜けていないようである。しかし、住民の1人としては、選択肢の一つとして出馬してほしい気持ちに変わりはない。
2006年2月15日 水曜日
大倉富士男議長 引退を前に 老害はなはだしい斉藤滋宣氏詣の錯乱
 大倉氏には、自らの政治的傾向は存在するだろう。だから斉藤滋宣氏を新能代市の市長候補者として担ぐために、自民党創政会の三下のつかいっぱしりとして斉藤滋宣氏詣に参加する事は、個人的志向としては構わない。しかし、能代市議会の現議長であることを考えると、いかにも能代市議会の象徴として、能代市議会の総意として、斉藤氏擁立に動いているという誤解を住民に印象付けることになる。老害膏肓である。もっとも、今期で引退をするようなので、議長という職責を投げ出し、あと1ヶ月あまりの政治生活を錯乱のまますごすことにためらいがないようである。同じ会派の政和会の伊藤・薩摩・原田議員も当然、能登氏の傘下に入ることを同意同調の上でのことである。
 能代市議会の議長職が年々軽くなり、大倉氏にいたってはかくのごとく悲しいまでに、軽率な行動をする羽毛議長となってしまった。大局に立ち、バランスを保つ重鎮としての役割を彼に期待するほどウブでもないが、あまりにも老害はなはだしいではないか。
 斉藤氏の市長選への最終的な意思表明は今月下旬であろうといわれている。虚実ない交ぜの情報が空中を飛びかう今日この頃である。
2006年2月14日 火曜日
新能代市長候補予定者 斉藤滋宣氏退場後の悩める人選・・・そして誰もいなくなった・・・
 自民党前参議員斉藤滋宣氏が新能代市の市長候補者となることに色よい返事をしないものだから、自民党は本人をあの手この手で説得しつつ、斉藤滋宣氏退場後の人選を模索している。更に狭まった人選は、とうとう丸岡現二ツ井町長担ぎ出しという、あらかじめ予想された方向に歩みだしたようだ。これでハコテンとなる本当の最後の1本に、イヤイヤながら手をつけたようだ。そして、そのあとは、「そして誰もいなくなった・・・」となるのか。
 じつは、竹内宏能代市議も市長選出馬に一時意欲を燃やしていた。燃えるのは本人だけで、まわりの人間は笑えないジョークで興ざめするだけであった。住民の選択肢は多いほどいいので、市議選をやめて今からでも市長選にぜひぜひ出馬してもらいたい。たとえ、豊澤氏の対抗馬が現れたとしても、竹内氏には市長選に挑戦していただきたい。首長選挙には道化も必要である。
 斉藤滋宣氏の舞台からの退場という最悪のシナリオが、可能性として現実味を帯びてきた。野呂田氏という重石が外された今、「大事な事はひとりで決める」という装置がすっかりさび付いている様子だけが見えている。
2006年2月13日 月曜日
うん、ハムレットは不適切かも、でも、マクベスとは褒め過ぎかな
 自民党本部は秋田2区の支部長として小野貴樹氏を指名している。しかし、自民党秋田県連は落下傘としての小泉チルドレン小野氏を容認するまでにいたっていない。2区の支部長の席を求めて、前参議員斉藤滋宣氏が県連に根回しをしており、秋田県連は斉藤氏と小野氏の間で右往左往している。今月中に2区の支部長をどうするのか秋田県連の最終決定を党本部に報告することになっている。2区の支部長は斉藤氏で決めたいと水面下で働きかけていた県議もおり、その最中に市長選に出るの出ないのでは、斉藤氏を応援した県議たちの腰砕けもいいところである。
 斉藤氏をマクベスにたとえるのは褒め過ぎではないかなあ。良心のかけらを残している小心者マクベスを奮い立たせる麻薬と狂言回しがマクベス夫人であり、3人の魔女である。時がやってきた、そして、マクベスは敢然とスコットランド王ダンカン殺害を実行した。その後、マクベスを自滅させたのは、彼の心の底にある良心ではないか。マクベスをして、永遠に愛される悪役にしているのは、観客の共感をよぶ要素があるからでないか。マクベスの深読みかもしれないが・・・・・敢然として王殺しの出来ないマクベスは、毒のない河豚の肝のようなもの。あたらないのでいいか・・・・
2006年2月12日 日曜日
有権者総預言者となって ハムレット斉藤氏の選択を占う
 私に、自民党前参議員斉藤滋宣氏の新能代市の市長出馬についての意見をきいておきながら、自説を延々と説く者多し。そうか、わたしの考えを求めているのではなく、預言者として、貴方様が話したいのである。合いの手で、ちょこっと、わたしの予言でも話そうものなら、熱くなって自説を押し通すのみである。なるほど、コミュニティー選挙らしさが満ち満ちてきたこの頃である。
 豊澤現市長の様子をうかがっていると、静かなること山の如しとばかりに冷静である。力のある対抗馬が必ずでてくるとの、確たる予想の上に立っている。それが、誰であろうとも、激戦を迎える前夜のようである。
 かたやハムレット斉藤氏は、人生最大の分かれ道に来ている。国政か市政か、預言者はあまた多いが、本人にとっても決めかねていることだろう。自分の信念を通すも、党の方針に従うも、ここまでくれば自己責任、自己決定である。いろいろ、その筋の方々のご意見をお聞きしていることだろうが「大事な事は、1人で決める」が鉄則である。向き合うのは、自分の心とだけでよい。
2006年2月11日 土曜日
ハムレット候補者 斉藤滋宣氏の深い悩み 究極の選択
 昨日、自民系能代市議会議員9名が自民党前参議員斉藤滋宣氏に、新能代市の市長に出馬するよう要請に足を運んだが、何れの御方も満身創痍の方々ばかり。政治倫理審査請求が出された4名(内1名は広域組合ということで逃れた)は合併で政治倫理が厳しくなると明日をも知れない方々、そして引退表明議員、シルバー人材の正副議長など、説得される斉藤氏の身になると、心もとないばかりである。
 さて、ハムレット候補者斉藤氏は、近日中に究極の選択をしなければならない。ご本人の希望はあくまでも国政である。その想いを貫ききれない優柔さと経済的事情がある。さりとて、市長選に出馬して、勝利の見込みは誰にもわからない。高いリスクである。最悪の場合は、市長選に敗れた場合は、国政に戻れるかどうか。
 住民としては、選択肢が多いほうが良いので立候補を求める。また、豊澤陣営としても好戦相手であろう。しかし、自分の立てる世界を求めるならば、国政への信念を貫くべきであろう。ちょうど、親分の野呂田衆議員が勝手に自滅して幾分かのチャンスがめぐってきたばかりである。自民党にとっては、豊澤と戦える最後の(便利な?)切り札である。さて、ハムレット候補はどのような結論を出すのだろう。
2006年2月10日 金曜日
能登オールド・チルドレンたちも 斉藤滋宣前参議員の新市の市長選出馬を要請
 昨日の能代青年会議所関係の能登チルドレンたちに引き続き、きょうは能登オールド・チルドレンである後藤健・塚本民雄・斉藤宗一郎・熊谷健・矢田部昌・武田正広・竹内宏・松谷福三・大倉富士男の9名の自民党系・保守派議員が、自民党前参議員斉藤滋宣氏に、新能代市の市長に出馬するよう要請に足を運んだ。昨日の「新しい能代の会」に引き続き、2集団目の要請となった。出馬のための、セレモニーも佳境に入ったようである。ぜひ出馬をしてほしいものである。ただし、市長選出馬で、国政への道はたたれるだろう。究極の判断である。斉藤氏はリスクの大きさをどのように判断するのだろうか。
 豊沢与党であるといい続けた大倉富士男能代市議会議長の行動ほど、晩節を汚すものはない。さすが、伊藤議員・薩摩議員・原田議員は能登オールド・チルドレンであることを世間にさらすことは出来ないとして斉藤氏への同行を断ったという。能登氏の傘下にある事はもうばれているので、これを頭隠して尻隠さずという。彼ら政和会4名は、住民を騙すことなく、堂々と反豊澤であり、能登派自民系であることを掲げて、選挙戦を戦ってほしい。
能登チルドレンたち いよいよ斉藤滋宣前参議員の新市の市長選出馬を要請
 能代青年会議所の現役有志とOBで構成する「新しい能代の会」が、「急なお願い」をしに、マスコミを引き連れて出かけた。青年会議所は能登祐一氏の準政治団体である。先日の松風庵で、トップシークレットにしていた自身の県議選を宣言したことからでも分かるように、政治的に自在に操ることが出来る団体である。能登チルドレンたちを鵜にしている鵜飼は誰であるか斉藤氏はお見通しである。
 舞台の下準備をさせて、やおらマスコミに顔出すという事は、斉藤氏は市長選に出馬の意欲ありと見ていいだろう。全県区となった参議院選挙での勝利は中央・県南の知名度不足で絶望的である。おまけに親分の野呂田氏は自民党籍を剥奪された。衆議院には小野氏が控えている。小泉チルドレンの小野氏は、小泉の政権交代で先行きが分からない。そこで、風の向きが変わり小野氏排除で斉藤氏衆議院出馬という針の穴を通るような希望をつなぐこともひとつの選択である。しかし、市長選が最後の政治的チャンスであろう。
 斉藤氏は市長候補者として使える人材であるが、それは能登氏の深謀の結果でもある。自分の県議選を有利に運ぼうとするベクトルが働いている。そして、まさかで県議選に斉藤氏が戻る道もふさぐことが出来る。それが証拠に、前回自民党が県議選に担いだ藤原前市議に、能登氏は市長選出馬を打診した。当然勝ち目のない戦いに反応しなかった藤原氏を、市議選に戻すことにしたようだ。藤原氏の県議選再挑戦の芽も摘んだ。合併選挙という舞台の役者がいよいよ揃い始めたようだ。
2006年2月9日 木曜日
フェミニズム運動家 ベティ・フリーダンさんを知っていますか?

 1960年代─70年代に米フェミニズム運動を主導したベティ・フリーダンさんが85歳の誕生日の2月4日に心不全のためワシントン市内の自宅で死去した。彼女は、イリノイ州、宝石商の父と元新聞記者の母との間に生まれた。スミス・カレッジを卒業後、カリフォルニア大学の特別研究員となった。
 ニューヨークでジャーナリスト活動を始め、1947年にカール・フリーダン氏と結婚。3児をもうけ、22年後に離婚した。この間に2度の出産休暇をとったことで解雇された。また、大学の同窓生の女性の大半が家庭に入っている現状を知り、「新しい女性の創造」1963年に著した。ベストセラーとなったこの著書は、女性が家庭の外で個人として自己実現を目指すよう呼びかけている。20世紀の女性の権利拡大や地位向上に大きな役割を果たした。
 1966年に全米女性機構(NOW)を創設し、初代会長に就任。人工中絶や求人の性差別撤廃、男女賃金の同一化、女性の昇進機会、産休といった問題に取り組んだ。男性と手を携える必要性を指摘し家庭を大切なものとした。晩年は高齢者問題にも取り組んだ。

 いわゆる男女共同参画運動の創始者的存在である。彼女でさえ、若かりしころ恋人より評価が高くなることを恐れて辞退したこともある。フリーダンさん運動のおかげで、今を生きる私達女性がさまざまな人権を手に入れることが出来た。とは言うものの、産休ひとつとっても権利として男女に与えられているものの、日本では男性の取得は1%にさえ満たない。現実は厳しい。
 豊澤市長の男女共同参画に対する理解は、就任当初より深まってきているが、これが基本的人権問題であるという根本的理解に関しては、あと一押しと考えている。50代の職員クラスになると、論理は分かっているが、深層感覚として「抵抗勢力」的である。

2006年2月8日 水曜日
青年会議所有志 斉藤前参議員を新市の市長に 選択多いほど歓迎 しかし・・
 青年会議所の有志が新能代市の市長候補者として、前参議員斉藤滋宣氏の擁立に動いた。立候補を表明した豊澤現市長の対抗馬がいないという事は市民の選択肢がないということなので、歓迎すべき動きである。
 若手のリーダー達が政治に関心を持って、望むべき市長を擁立しようとすることに敬意を表したい。しかし、青年会議所の政治的活動をコントロールしているのは、先に新市の市長選不出馬を宣言した能登祐一氏である。能登氏の仕掛けた擁立劇に青年会議所が動き出したのが実態である。松風庵での会合の最後に能登氏自から姿を現し、斉藤氏の擁立と能登氏自身の次回の県議選出場を話した。
 新市の市長立候補に関してイニシアチブをとっている能登氏が今の今まで市長選を「ウルガシ」ておいて、つぎの候補者を選択もせず不出馬を宣言し、いまさら斉藤氏擁立で青年会議所を動かすとは、斉藤氏はたんに能登氏のコマのように見える。
 国政にのみ関心があり、市政になんら関心も食指も動かさなかった斉藤氏である。ここにきて、方向転換して、考えを変え国政をあきらめ、新市の市長の立候補表明する事は、市民の選択肢も増えるので喜ばしいことである。自民党としても、ハローワーク的な意味で食客の費用を軽減のためも、豊澤市長に十分対抗できる候補者としても、斉藤氏は使えるすぐれた人材である。
 能登氏は斉藤氏にたいし、ブレーキを強く踏みながら、アクセルをめいいっぱい踏もうとしている。能登氏や自民党の都合のよいコマとしてではなく、国政をきっぱりとあきらめ、自らの意思で新市の市長選に立候補していただきたいものである。昨日は国政、今日は市政、(仮に落選したので)ふたたび国政となるハローワーク政治思考の可能性を危惧するが、まずは、立候補を検討してください。
2006年2月7日 火曜日
消防の広域化に対し反対→継続審査→賛成の茶番を演じた会派
 消防の広域化はぎりぎりの日程ではあったが、能代市議会で可決となり、3月に実現することとなった。能代山本広域での消防の合併は、この先何年後かの能代山本での4市町での大同合併の土台となるだろう。県南での大同合併の下地に消防の広域合併が先行していた。
 消防の広域化に最後まで反対した創政会に対する消防関係者の視線には厳しいものがある。消防議会の竹内議員さてどうしますか。満身創痍の創政会に対して、一般市民の視線も厳しい。
 政和会4人と市民の声3人の会派は消防の広域化に対し反対→継続審査→賛成の茶番を演じた。なにゆえに?議会での発言を聞いても、ただ単に市長提案に対する反対のための反対でしかない。対案を出さずに、反対を言い続け、まるでメビウスの輪のごとく同じ発言の繰り返しであった。市民の声の今野議員は委員会で、今までの中で一番分かりやすい説明であったので反対から継続審査にしたと発言している。ワンクッションおいて、市長に対する反対のための反対というこぶしの下ろし時をさぐっていた。今野議員は消防関係者を自分のところに三拝四拝させ、頭を下げさせ、膝を屈させ、満足いくまで、その「今までの中で一番分かりやすい説明」とやらを繰り返させた。その長い長いセレモニーのあとで、賛成へとまわった。政治を志すものにとって、一番大事な事は、このような権謀術数でもてあそぶことではなく、住民に対する責任と誠実さであると私は考える。
 政和会の変節もまた、茶番そのものであった。180度転換の説明は一言もない。それではなぜ反対したのか。そもそも反対の理由は存在していなかったということである。
2006年2月6日 月曜日
私は親指姫
 きっとそれは彼らの願望なのだろう。そうあってほしいとの願いが親指となって表現されている。そこで、私はその事を楽しむことにして、「私は親指姫」と言ったら、とてもうけた。大いなる笑いを取ったので、久々のダジャレのヒットである。
 つまり、ある種の人たちが、早々に新市の市議選に立候補を表明した私に対して、現役で落選する人物としてカウントするときに、いの一番にあげてくれる。一番という事は親指から始まる。だから、親指姫なのである。
 選挙は何でもありなので、大波小波を乗り越えることが必須事項である。マイナスな事はなるべくプラス思考で処理することにしている。多くの方々のアドバイスは真摯に耳を傾ける。すべてが使えるものではないが、キラリトひかる策戦を話してくれる人もいるので、何よりの情報源である。
 商売ではクレームこそが大事な情報という。立候補表明者にとって批判や批評もまた何よりの情報である。
2006年2月5日 日曜日
またまた自民党代議士が女性に暴行
 自民党の国会議員(36歳)が飲酒店の女性店主に暴行を働き、被害届けが池袋署に出された。先日は民主党の国会議員が女性に暴行をはたらいたばかりである。「酒の席でのことで」と、悪しき暗黙の了解で、女性へのセクハラや暴行は大目に見られるときもある。飲酒での行儀の悪い行為に対して、今でも日本の社会は寛容である。欧米では、公職にある者が(公職でなくても)飲酒で乱れるという事は、自己制御の出来ない人間とみなされる。
 飲酒で性格が変わるのではなく、飲酒でその人の性格が表に出てくるだけである。平素、他人に合わせて腰を低くしているように見えるが、いったんお酒を飲むと「ジキルとハイド」のようになる人がいるが、醜い態度がその人そのものである。能代市議会でもそのような議員がいないわけではない。
 くだんの議員も、そのような暴行に及んだのはその日が初めてということではなく、事件に至るまでに数多くの兆候があったことだろう。飲食関係の女性に対して特にこの種の事件が起こされやすいのは、女性や職業に対する蔑視が、もともとも内在してた暴行的気質によって引き起こされやすくなるからである。
 能代の自民党創政会の後藤議員も、コンパニオンごときが消防団員となる事は問題だと、議会で堂々と発言した。この種の誤った差別的気質が暴力的行為の引き金となりやすいので自戒してほしいものと願っている。
2006年2月4日 土曜日
新能代市の市長選 予言者的私見 その2
 二ツ井町と能代市は3月21日で合併となる。そして4月に選挙となり新しい市長が決まるまでの間、市長代理のような役割をする新市の職務執行者が必要である。豊澤現能代市長は立候補を表明しているので、職務執行者にはなれない。そこで、現二ツ井町長の丸岡氏が職務代行者となることになった。
 制度上職務執行者となったからといって、新市の市長選に立候補できないわけではないが、現実的に考えると、これで丸岡氏の新市の市長立候補はないと見てよい。 なぜ丸岡氏が新市長の立候補の可能性を自ら限りなく低くしてしまったのか。それは、斎藤前参議員の事情と同じである。個人的に新市の市長立候補への促しがあっても、自民党が政治団体として、または業界団体としての要請がなかったということではないか。
 斉藤氏は「今までずっと国政を目指してきている。私に政治団体や市民団体などからの(市長選出馬の)アプローチはない」と地元紙に語っている。つまり、このことが斉藤氏と丸岡氏の共通項である。能登氏が市長選に出馬するかどうかに、他の候補者の運命がかかっていた。能登氏が不出馬を宣言した時点で、自民党として候補者を指名するか、あるいは示唆すべきであった。能代山本の政治界のリーダーとしておよそ30年も住民のお世話になりながら、あとを「ヤバッチク」しないだけの、誠意を示してくれると期待している。ただし、斉藤氏カードはまだ十分つかえる。
2006年2月3日 金曜日
またまたの吹雪に、寒の最中なんだ・・・・
 豪雪の後、幾分天気が良くなり、道路の中心部が乾いているのを見ると、あんなに降ったんだから、これからは春に向かうかもしれないと、希望的観測を信じ込みたくなる。そのたびに裏切られる。今日も今日とて、大いに裏切られた気分である。例年通りの気候であるのに、雪にうんざり、つかれきってしまった。
 市の除雪費がかかりたいへんでしょうと、声を掛けられる。本当に、パンク状態どころではなく危機的であるが、住民のライフラインの維持は最優先である。また、豪雪を通して、地域のコミュニティー密度の度合いが浮き彫りになった。合併・豪雪を機に、町内会・自治会組織の再編・強化を考える必要がある。
2006年2月2日 木曜日
マーチン・ルーサー・キング牧師夫人のコレッタ・スコット・キングさんが亡くなった

 キング牧師が、1963年8月28日にワシントンDCのリンカーン記念公園で行われたワシントン大行進でのスピーチはつぎの言葉である。「私には夢がある」とのタイトルでよく知られている。

 「私は同胞達に伝えたい。今日の、そして明日の困難に直面してはいても、
私にはなお夢がある。それはアメリカン・ドリームに深く根ざした夢なのだ。つまり将来、この国が立ち上がり、すべての人間は平等であるというこの国の信条を真実にする日が来るという夢なのだ。
 
私には夢がある。ジョージアの赤色の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷を所有した者の子孫が同胞として同じテーブルにつく日が来るという夢が。
 
私には夢がある。今、差別と抑圧の熱がうずまくミシシッピー州でさえ、自由と正義のオアシスに生まれ変わり得る日が来るという夢が。
 
私には夢がある。私の四人の小さい子ども達が、肌の色ではなく内なる人格で評価される国に住める日がいつか来るという夢が。
 
私には今夢がある。人種差別主義者や州知事が連邦政府の干渉排除主義を唱え、連邦法の実施を拒否しているアラバマ州にさえ、将来いつか、幼い黒人の子ども達が幼い白人の子ども達と手に手を取って兄弟姉妹となり得る日が来る夢が。
 
私には今夢がある。いつの日にかすべての谷は隆起し、丘や山は低地となる。荒地は平らになり、歪んだ地もまっすぐになる日が来ると。そして神の栄光が現れ、すべての人々が共にその栄光を見るだろう。」

 コレッタさんはキング牧師を暗殺で失った後、自らの生涯を夫の仕事と夢の実現に掛けることを決心した。アトランタに拠点を置く、非暴力による社会改革を目的としたマーチン・ルーサー・キング・ジュニア・センターのプログラム促進の中心的活動家である。キング牧師の生家と墓を取り囲むキング・センターは、23エーカーの国立歴史公園の中にあり、年間100万人以上の人々が訪れている。
 ブッシュ大統領も1月31日の一般教書演説の冒頭でコレッタさんの偉大な功績に触れた。78歳であった。

2006年2月1日 水曜日
新能代市の市長選 予言者的私見 その1
 能代商工会議所のゴタゴタは、地元紙で時系列で詳しく報道されるほどに、状況を把握しようとする思考が「クマガッテ」くる。住民には機能不全の混乱振りは分かるが、何故なのか理解できない。商工会議所といい、能代市長選といい、能代市議会といい、今や能代市の中枢は再生のための、うまれ出づる痛みと混乱の中にある。
 さて、新能代市長選に出馬を表明している豊澤現市長に対する候補者を預言者的に私見を述べるならば、斉藤前参院議員ではないか。つぎの参院選は自民党は金田氏で決まりであろう。さらに、その次の2010年まで待つだけの「うるがす」経済的支援が続くであろうか。県北以外では名の知られていない斉藤氏の全県区での当選はそのつぎの参院選の2010年でも確率は低いだろう。それならば次回の衆院選はどうか。親分の野呂田氏は自民党籍を剥奪され、一般市民には名前も知られていない政党で孤独をかこっている。自民党は衆院選は小野氏以外で動くことはないだろう。能代山本など県北には自民党とは別に「野呂田党」が存在しているので、衆院選を「野呂田党」で戦うというのも机上の想定は出来る。しかし、それには自民党離党というリスクを負わなければならない。
 新能代市の市議選出馬であればハローワーク的措置は出来るであろうが、それではプライドが許さないであろう。どの選択肢も、地雷原をわたらなければならない。唯一、新能代市長選のみが、能登氏の不出馬宣言で可能性が出てきた。いづれにしろ、市民にとって選択肢は多いほど良い。
2006年1月31日 火曜日
能登祐一氏 能代産廃ゆえに新市の市長への不出馬表明 やっぱり
 能登氏の市長への不出馬表明で一番がっかりしているのは、豊澤陣営ではないか。親族が引き起こした能代産廃問題(実際には能登氏自身が深く関与したとされている)がやはり命取りであった。能代産廃の巨大な問題をかかえている能登氏との争点ははっきりしている。豊澤陣営にしてみれば、叩き所の明白な候補者との戦いは、正義の御旗を立てて、住民感情に訴えることが出来る。
 能登氏の不出馬を受けて、やおら自民党は次なる候補者を探すことになる。能代自民党の人材養成のまずさが露呈している。能登氏が能代産廃問題で汚濁まみれなのは、20年も前から分かっていたこと。自民党のまわりには成長が期待できる青年はたくさんいる。かれらを取り立てず、オレがオレがの結果、不出馬とは段取りの悪い能代自民党ではないか。
魑魅魍魎跋扈の中 山木元会頭の商工会議所立候補の蛮勇
 2月2日が会頭立候補のデットラインである。直前の山木氏の老骨に鞭打っての(ごめんなさい、まだ気は若い?)蛮勇を支持する。たぶん、暫定政権として、正常に戻るまでの、1年半ぐらいをめどにということと善意に解釈している。ジリジリとした思いがあった。問題の根源であった鈴木前会頭が、市民の税金を食いものにした談合事件で司直の手に陥りながら、凝りもせずに立候補するという異常事態である。正規部隊として山木政権が成り立つわけではないだろう。このまま鈴木前会頭の再登場で能代を混乱させるわけにはいかない。ただし、若く、意欲のある方々に、どんどん立候補していただきたい。まだ2日ある。混乱の濁流をとめる若き立候補者出でよ。
2006年1月30日 月曜日
新市の市長候補者の予言ごっこも一休止かな
 もうすぐ1月が終わる。2月が来ようとしても新能代市の市長選に豊澤現能代市長以外の立候補の表明がない。あれこれ預言者となってあてっことしていた市民も、あまりの静かさに一休止の状態かな。
 最悪のケースは対抗馬なしの無投票である。これだけは、避けなければならない。でも、心配いらない、必ずでてくるから。下馬評にあげられて迷惑を被っている人もいるときくが、人の噂にのぼることも政治家の運命である。
 市民がジリジリと対立候補者を待っている。そこで、自分にぜひ出馬してほしいと来るはずであるとの読みがあるとしたらそれは考え違いである。田中知事は3週間前に立候補表明をしたが、その時、長野県は十分に対抗馬を待つ社会の要望が熟成していた。今、能代市はそのような環境ではない。出たい人より出したい人、というのは間違いである。出したい人の前にまず出たい人、である。自らの意思表明が今このとき能代市民の心を動かす。出でよ候補者である。 
2006年1月29日 日曜日
歓迎 公明党が新能代市の市議候補として女性を擁立
 平野現議員の勇退にともない、公明党公認候補として女性候補を擁立することを発表した。日頃から、平野市議の後任として、女性候補者であればいいがと思い、かつ発言してきただけに、大変うれしい。公明党は創価学会を中心に票を集約するので当選の確率は高い。女性議員の増加に、公明党と共産党は貢献している。政権党の自民党も思いっきり女性候補者を掘り起こし、現在の議員の総入れ替えも必要ではないか。
 女性議員の増加は、女性が蛮勇を奮って立候補することよりも、各政党が女性立候補者を立てたほうが、確実に増加する。市町村合併で、残念ながら女性議員率は低下の傾向がある。そんな中での公明党の選択を歓迎したい。 
2006年1月28日 土曜日
神の配慮か 愛の麻酔 高齢で家族をなくしたときに
 80歳をとうに過ぎた両親は、長生きゆえに近親者を亡くすことが多い。兄弟姉妹、親しくしていた友、近所の方、甥や姪なども。私の目から見ると、淡々とあらゆる死を受け入れているように見える。父が、一番親しくしていた姉を亡くしたとき、一番可愛がっていた弟を亡くしたとき、避けられない運命をあらがわずに受け止めているようであった。母も同様であった。
 わたしは、きっと神様が、高齢者にこのような耐えられない苦痛が次ぎ次と来ることを見越して、愛の麻酔、つまり愛する者たちを失う痛みを緩和するための配慮をしているのではないかと思うときがある。
 考えようによっては、単に鈍感になったとも思えなくもないが、「諦観」のような、運命をあるがままにうけいれる柔軟性とも見える。わたしはまだ、その域に達していないので、今友だちの死に接し、心乱れて、息苦しいほどである。
2006年1月27日 金曜日
談合事件刑事訴追を受けた鈴木前会頭が新会頭に立候補表明?
 以前から問題が内在していたとされる能代商工会議所の「パンドラの箱」が開けられ魑魅魍魎が解き放たれた。そのキッカケは鈴木前会頭の談合事件である。その後、商工会議所は魑魅魍魎が跋扈する世界となったが、ハリー・ポッターは現れず、混沌を繰り返すばかりであった。カオスとしか言いようがない。
 新執行部体制が出来て程なく、長岡専務理事解任問題で、出来たばかりの新執行部体制はあえなく空中分解した。今までの新会頭選出は協議によるものであった。ところが、虚を突くがごとく、鈴木前会頭が新会頭への立候補を表明した。談合で住民の血税を食いものにし、刑事訴追、市の指名停止、県の指名停止、営業停止、との重い処分を受けたばかりである。盗人たけだけし、恥知らずとは、鈴木肇氏のためにある言葉である。
 さらなる混乱を引き起こそうとの魂胆に、人間の業の悲しさが見える。能代市、そして、能代市民への責任やアカウンタビリティーということを忘れ、憎悪に満ちた阿修羅となっているのだろう。会議所の選択はどうであろうとも、能代市民は鈴木氏を会頭にふさわしくない人物とみている。会員無き会議所となる前に、自浄作用が働くことを期待する。
2006年1月26日 木曜日
史上初10選となった大阪府貝塚市長に、文句はないが・・・・
 住民が良かれと10期目となる市長を選択したことに、わたしとしてはなにも文句はありませんが、これだけは言えます。多選されての弊害はその時はない。もしあったら、別の人物が選ばれる。しかし、弊害のない多選はない。その首長が引退したあとに、嵐のような弊害の波が来る。(もちろん、多選中の首長の弊害の例にはことかかない)身近な例では、合川町がそうであった。畠山超長期政権が終わった後に、問題が噴出した。直接、多選とは関係がないような問題が次々と出てきたが、それが多選弊害の怖い点である。
 議会はほとんどが「イエス」の与党化がすすみ、無投票当選が続く。寺田知事が初当選のときに主張した「3期12年を上限とすべし」とは、表面が凪であっても、自覚のない内部腐敗がすすんでくることを知っているからであると理解している。地方自治体の首長は、大統領制で直接住民から選ばれる。小なりと言えども、その自治体での権限、権力は絶大である。「権力は腐敗する、絶対権力は絶対腐敗する」とJ.E.アクトンが「 自由の歴史」の中でおよそ百年前の1907年に著している。
2006年1月25日 水曜日
企業コンプライアンス(法令遵守)は、結局は企業の命綱
 父が入院中なので、母の様子を見に行ったらテーブルの上に松下電器産業の石油温風器の欠陥商品回収のチラシが置いてあった。昨年の松下電器の死亡事故などの一連の製品の欠陥を受けて、大々的に回収など危険衆知のキャンペーンが行われていたが、ここまで達したのかの思いである。
 10年以上前の製品であるので、15万2千台のうち6万2千台の行方がつかめていないが「最後の1台まで探し出す」との意気込みの松下電器の対応である。初動のもたつきの批判をかわすほどの徹底した企業コンプライアンスの、松下電器の生き残り策は、自社製品への悪影響を最小限に食い止め、かえって企業好感度を増加させた。
 欠陥商品の販売が企業に致命傷を与えるのではなく、その事を隠蔽し顧客の安全を無視することが、企業に大きなダメージを与える。間違いを犯したとき、素直に謝り、善処することに努力したほうが、より解決を早くするとは分かっているが、個人としても企業としてもなかなか、当たり前の道徳観どおりにはいかないものである。
2006年1月24日 火曜日
レジ袋を減らすには有料化以外に手はなし
 レジ袋は結構便利である。ごみを処分する際に特に役に立つ。運搬用の袋として、保存のための包装として、結構使える。スーパーや商店などの自助努力でレジ袋を減らす事は所詮無理なこと。そんな事は、庶民の暮らし方を見たら分かること。
 そこでいよいよ「容器包装リサイクル法」を改正して、法律による規制によりレジ袋を有料化するという。大体1枚が5円か10円になりそうである。現実的には、有料化が最も効果的な減量方法であろう。買い物に、カゴや買い物袋を下げずに出かける事は、有料化によって少なくなるだろう。
 こんなことを見通してか、知人が私に今カゴを編んでくれている。来年度中に有料化が実施される見通しであるが、我が知人平成19年までにカゴを完成させてくれればいいが・・・・ わたしの両親は、何年も前から自前のピンクの買い物バスケットを使っている。それは、ごみの減量もあるが、買った物を袋に詰める作業をする体力がなくなったせいである。
2006年1月23日 月曜日
ホリエモンの父「チチエモン」は語った〜キャッチコピーのうまさ
 ホリエモン(33歳)の父親をチチエモンと名づけて「文無しになったら久留米に帰ってこい」と語らせた(たぶん)コピーは結構泣ける台詞である。ITバブルの寵児として、日本中にホリエモンブームを巻き起こし、あらゆるものを手に入れたかに見えた。生まれてくるときは裸である、死んでいくときも裸である。人生の途中で裸の文無しになってみるのも、弱冠33歳の若者にとっては、貴重な経験になるだろう。ただし、それもこれも個性によるが。
 このままで、40歳、50歳となって、第2の西武グループのドン堤義明の運命が待っている可能性もある。日本版エンロン事件と言われているが、それほどの大火になるのだろうか。(エンロン事件とは、エネルギー卸売り大手のエンロン社が財務粉飾などのために株価が急落、2001年12月に破綻した事件で、米国外に大きな波紋を投げかけた。エンロン社破綻による大きな影響の1つが年金問題であった)
 企業買収の不正工作にトップのホリエモンが関与しないはずがない。全容は、彼らを生み出した母であるITによって解明されるだろう。
2006年1月22日 日曜日
吹雪の日は、自室で珈琲を飲みながら
 夜になって、天地がわからなくなるほどふぶいた。お出かけした知人が帰り道、車が渋滞ノロノロ運転でいつもの3倍の時間がかかったと嘆きの電話をよこした。わたしは早めに自宅に戻りコーヒーを飲みながら、大学入試センター試験の問題を解いている。あまりの難しさに歯がたたないないとは分かっているが、かぶりついている。
 設問にこういうのがある。「コーヒーは、イスラーム文化圏からヨーロッパに伝えられた。17世紀半ばには、イギリス最初のコーヒーハウスが作られ、コーヒーは次第にヨーロッパの日常の飲料として定着していった。19世紀以降、ヨーロッパ列強は植民地でコーヒー栽培を行い、それは帝国主義経済を支える輸出品のひとつとなったのである」 私のトリビアを言うならば、世界で最初のコーヒーハウスは、ベニスの街につくられた。
 そのコーヒーハウスの役割は何か?というのが問題である。解答は、新聞が備えられ、情報交換の場となった、である。
 植民地にされコーヒー・プランテーションのモノクロ栽培に強制労働させられたアフリカの人々の受難の歴史が、今飲んでいる一杯に受け継がれている。この苦さの中に。
2006年1月21日 土曜日
牛肉全体への不信が更に大きくなった
 米国のボチとなっている我らが日本政府にもどかしさを感じてはいた。それにしても、今回はあまりにも無責任すぎる。BSEの危険性のある牛肉が輸入されたとのことで、再び米国産の牛肉の輸入が全面停止となった。
 ポチである日本政府にとって、アメリカ産牛肉の輸入の早期再開が大命題であり、日本国民の食の安全をアメリカ任せにしての拙速な輸入再開であった。このことによって、アメリカ産牛肉の不信を大きくしただけでなく、牛肉全体、あるいは肉類全般に対する不信感を強めたことになる。
 スーパーに行くと牛肉の値段は比較的安いままであるが、牛肉だけでなく、鶏肉など、肉類に対する不安は大きい。加齢とともに肉より魚の傾向にあるが、牛肉は控えたい。とはいっても、牛肉好きの父は「86歳にもなれば、BSEのほうが逃げていくので俺は食う」と言っては食べている。輸入国関係なしである。超高齢になると、物事を達観するのだろうか。それでも、アメリカ産は食べてほしくない。
2006年1月20日 金曜日
消防の広域化を承認までの市議会の茶番劇
 茶番としか見えない長い長いセレモニーとモラトリアムを経て、能代山本全域の消防の広域化が議会として承認される見通しである。12月定例l会で消防の広域化に関する議案第100号・第101号・第102号が継続審査となった。今日は、付託を受けて総務企画委員会が消防の広域化について審議した。その結果、賛成多数で可決となった。そこで、24日の臨時議会でも可決されるだろう。
 今日の総務企画委員会は、自民党創政会の竹内宏委員の一人舞台で質問し続けた。今まで、いつも相反する考えの主張をしてきた人である。たとえば「給与の平準化で高きにあわせるのは財政上問題である。〜給与の平準化で低きにあわせると士気の低下を招くので問題である」または「平準化してからでいいので、今急いで広域化をする必要はない。〜数年かけて平準化している間に退職したり給与の足踏みをしたりで損失を受ける人がいるので待てない」「広域化でメリットはあるのか。〜南部を除いて合併するとメリットがある」「広域化で財政負担増とならないか。〜広域化重点地域となると国から補助金が来る」 竹内委員、あなたはいったい何故に反対しているのでしょうかと言いたい。
 そんな竹内委員の傀儡となり、政和会と市民の声が同調していたが、ここに至って、これだけゴンボ掘ったので、反対の対案もなければ、反対の理由もないので、賛成に回ることにしたようだ。特に政和会の自己崩壊は著しい。
2006年1月19日 木曜日
またまたの寒波に・・・
 なんという寒さ。父の入院日なので、何とか外気に当たる時間を短縮することに気を使う。かつて、北極圏の冬を旅したことがる。零下40度となると、寒いと言うより痛いと言う感覚である。そして、いわゆる雪かきと言う作業は原則的にない。いや、あると言ってもいいかもしれないが。細かい氷のようなサラサラの雪がダイヤモンドダストとして空中を舞っている。地表の雪は私たちが想像している雪かき道具は、サラサラすぎてまとまりが悪い。午前10時でもまだ薄暗く、午後3時になると暗くなる。そして、長い夜は、芸術を楽しむ大人の時間となる。
 それはさておき、能代市の除雪費用は直角に近い右上がりである。先日の豪雪での雪がしこたま残っているところのこの寒波である。財政困難のこのとき、どうか、これ以上冬将軍に暴れまわってほしくない。
 この寒波の中でも開かれた今日のミーティングでも、市長候補者は誰かと問われ、イタコのごとく答える私であった。この寒波の中、能登氏は自らの市長選の準備を着々と進めているか。さて、どのような賭けに出てくるのだろう。
2006年1月18日 水曜日
来春の県議選は能代山本で1選挙区定員4名  新市長戦に及ぼす影響
 来年のことを言うと鬼が笑うという。来春どころか、わが身の選挙である4月の新市議選ですら、候補者が混戦中で住民はまだ概要がつかめていない。同時選挙となる、新市の市長選ですら候補者が現能代市長1人のみである。ましてや、来春の県議選となると予測不能の部分がある。しかし、能代山本で1選挙区で定員4名となる予定となると、新市の市長選の流れも変わってくる。
 良くも悪くもこの地域の自民党の意向が、キャスティングボードとなる。現実は、名前は自民党でも野呂田党である。ところが野呂田氏が影響力を失ったが、野呂田党から本来の自民党への看板替えがうまくいかない。来春の県議選での人選をどうするか、今春の新市の市長選の人選をどうするか、好むとこのもざるとにかかわらずリンクしてくる。
 昔の名前で出ています候補者ではなく、女性や青年など、時代を読む魅力的な候補者を天下の公党は考えていほしい。考える能力も気力もない事は分かっているが、それでも、希望は失いたくない。
2006年1月17日 火曜日
公園は誰のもの?
 外国に行くと、広い公園をのんびりと散歩するが、近くの児童公園は都市計画に基づく公園なので、散歩するほどの広さもない。公園の器具といえば、ブランコにスベリ台、鉄棒、能代市ならばバスケットのリングとの固定観念がある。
 ところが、高齢化を反映して、全国で高齢者用の遊具が設置され始めている。なるほど、目からウロコである。子供用遊具と高齢者遊具を組み合わせると、子どもの安全と介護予防の一石二鳥である。これは、能代市にも提案できる。なんたって高齢化率右上がりの地域である。
 テレビショッピングで、高齢者用健康器具を買いたがる両親にたいして、三日坊主で、粗大ごみになるのがオチであると言い続けている。何十万もする器具をマッチ箱の家に運び込んで、あっという間に、ホコリだらけとなるのはたまらない。公園に健康遊具を設置してくれたら、介護保険法で推奨している筋トレを、無料で高齢者が自主的に出来る。
2006年1月16日 月曜日
二ツ井町の合併浄化槽施策は、合併により巨大な荷物になる

 二ツ井町が12日環境大臣賞を受賞した。その受賞の理由のひとつにに合併浄化槽の推進があげられた。かつて、住民生活の快適度に下水道普及率が上げられていた。しかし、市街地でもない過疎的地域での下水道敷設の財源確保が自治体では重荷になっていた。そこで、過疎的地域で下水道にこだわらず、合併浄化槽をとり入れた二ツ井町の施策はその点では、効率的であった。
 二ツ井町は面積は広くとも中心市街地が存在する。適材適所というものがあるが、残念ながらそれが問題である。合併浄化槽は二ツ井町市街地では設置スペースがなかったり、排水路を整備せずに設置するなど、かえって市街地での悪臭の原因になるなど、環境の悪化を引き起こしている。それどころか上水道もすすんでいないので、そもそも水の確保さえ出来ていないので、普及率は10年たっても30%ほどである。普及率の低さが、悪臭を抑えているという、なんとも矛盾した結果である。
 合併により、二ツ井町の市街地は下水道を敷設する必要が出てくるだろう。下水道をインフラ・ゼロのところからはじめるには巨大な財源を要することになる。おおきなお荷物である。
 合併浄化槽の設置費用は、二ツ井町では110万円が基準である。他市町では60万円前後である。この差は業者との癒着と考えていいだろう。二ツ井町の公費負担が90%、住民は10%の負担で設置出来るので、住民の懐の痛みは少ないので問題となっていないだけである。合併により、この制度に当然厳しい監視の目が注がれる。

2006年1月15日 日曜日
新能代市長選 丸岡二ツ井町長は再び同じ手を使うつもりか?
 「再び同じ手」とは。ちょうど1年前、7市町村の合併枠が崩壊し、南部3町と北部2町村の再合併の枠組が構築される中で、能代市と二ツ井町は取り残された。丸岡二ツ井町長は町民には単独立町を宣言しながら、南部3町と裏取引をしつつ、能代市との合併を同時進行で企てた。結果として、町民との約束を反古にし、腕力で能代市との合併に持ち込んだ。そのときの一連の丸岡町長の暗躍を今再び、新能代市町選で、演じようとしてるのはないか。
 豊澤能代市長が新市長への出馬を12月に表明して以来、表立っての対抗馬の気配がない。キャステングボードを握っているのは能登元県議である。その事は12日の日記に書いた。下馬評に斉藤元参議員の名も挙がっているが、野呂田先生の子飼いの弟子である斉藤氏は、親亀がこけたので、リスクの大きい市長選への出馬に積極的ではない。何よりも、能登氏が市長選出馬を「うるかし」ているので、凧の糸が切れた地元自民党は候補者選択さえ出来ないでいる。
 このような環境は、丸岡氏にとっては得意の寝技を使える千載一遇のチャンスである。朝に単独を言いながら、夕べに合併を決めた方である。自民党の混乱を最も歓迎しているのは丸岡氏であろう。しかし、市長選は合併と違い、政治家としての住民に信を直接問うものである。つぶしあいの試合をながめながら、自分にやがて王冠が回ってくると考える人物を住民は潔しとしないことを忘れてはいけない。
2006年1月14日 土曜日
「再会」が好き
 若い人は曲名も知らないかもしれないが、「再会」という曲がとても好きである。演歌曲そのものはあまり好みではなく、暗い曲もあまり好まない、でも、この「再会」という曲のみは別である。なんか超オバサンっぽい曲だと分かっている。もちろん、そのほかたくさん、たくさん、たくさんの好きな歌はある。
 曲名:「再会」  作詞:佐伯孝夫  作曲:吉田正  唄:松尾和子
1 逢えなくなって 初めて知った  海より深い 恋心  こんなにあなたを 愛してるなんて  ああ ああ 鴎にも  わかりはしない
2 みんなは悪い人だと云うが  私にゃいつも いい人だった  ちっちゃな青空 監獄の壁を  ああ ああ 見つめつつ  ないてるあなた
3 仲良く二人 およいだ海へ  一人で今日は 来た私  再び逢える日 指おり数える  ああ ああ 指さきに  夕陽がしずむ
 カラオケで「再会」を歌ってきたと話す人がいたので、今日の日記に書いた。
2006年1月13日 金曜日
老人宅を除雪作業の西高生 輝いて
 両親宅のお向かいに、数名の高校生がスッコプを持って作業をしていたので、声を掛けた。ボランティア作業として老人宅を数名のグループで訪問して、除雪をしているとのこと。どの顔もキリリと、たくましくも嬉しく感じた。ボランティア作業を単位として認めている高校もあるので、それもひとつの方法ではないか。最初はちょっと戸惑っているようであったが、要領がわかったら、若者達の力が結集されるとすばらしいパワーとなった。
 本当は今一番住民が望んでいるのは除雪ではなく、排雪であるが、高校生にそこまで期待する事は無理である。なによりも、寒さに頬を紅くして、懸命にスッコプを働かせている姿は美しい。
2006年1月12日 木曜日
寄るとさわると、新能代市の市長候補者は誰?との話題しき
 すでに新能代市の市長への立候補を表明している豊澤現能代市長の対抗馬はいったい誰なのか?預言者ならぬ身とて、私としても見当がつかない。下馬評は、丸岡現二ツ井町長説あり、斉藤元参議員説あり、能登元県議ありである。そのほか多士済々が、テーブルの上にのる。
 地元紙が呼吸を止めるがごとく何事も書かないところにヒントがある。自民党を石持て追われ、今やただの老害議員と成り果てた野呂田先生の影響力は雲散霧消した。キャスティングボードを握っているのは、先の市長選で破れた能登元県議である。地元紙のだんまりはその事を証明している。
 出たいが敗れるのが怖い、されど、誰か他の人を推したくもなし。私をおいて他に誰も適任はいないはずである。しかし、今度も敗れると政治生命は終わり、復活のチャンスは再びない。・・・・・なんとならば。勇気を持って立候補しなさい。迷うということは、立候補したい意思の極大化である。審判は住民が下す。産廃問題を住民は忘れてはいない。その事を誤魔化すことなく巨大な負の遺産を負い、堂々と立候補したらいい。住民に自ら、信を問うのが政治家である。そうでないならば、鮮度のある候補者を立てる勇気をお持ちなさい。
2006年1月11日 水曜日
日中局長級の非公式協議会の「バベルの塔」的な会談内容
 メディアと政府との関係において中国側は「良い報道が成されるように中国はメディアを指導している。日本政府も指導すべきだ」との発言があったという。政府がメディアを指導することこそがあらゆる問題の根源であることが、中国は分かっていない。また、理解させようとしても、メディア統制が政府の権限であり義務であるとの揺らぎのない政策を推し進めている中国政府関係者に説く事は、馬の耳に念仏か。
 言論の自由が民主主義の基盤である。中国はいまだ民主主義という果実を味わったことがない。しかし、経済の発達は、自発的に民主主義的動きを醸成する。隣家にダジャクな住民が住んでいることが変えられない事実ならば、官民あらゆる手段で交流を絶やさないことによって、双方の意思を伝達しあうことが大事である。知らないことが、恐怖につながる場合もある。
 能代でも、身近に中国の方々と接することが多くなった。お上同士の激論とは別に、なるべく迷惑にならない程度に話しかけたり、間接的に不用品を使ってもらったりしている。彼女達にとって、能代の印象が日本の印象となる。豪雪のこの地に住む私たちにも出来る事はたくさんある。
2006年1月10日 火曜日
ミュージカル「オペラ座の怪人」を観た事がありますか
 ブロードウエイで超ロングランを続けている「オペラ座の怪人」の上演回数が「キャッツ」をぬいて、昨日7486回でブロードウエイ史上最多上演回数を記録した。なるほど、これからもその記録を塗り替え続けるだろう。
 今では、その演目のために舞台を改造することは当たり前であるが、キャッツ舞台というのは、かつてないほどの斬新なものであった。私も一度ブロードウエイのキャッツ舞台に上がらせてもらった。たまたま日本人ダンサーも出演していたときでもあり、演出家にいくつかの質問をした。休憩時間にお客を舞台にあがらせるのも、来客サービスのひとつであった。内容は、大人も子どもも楽しめて、序破急のある素敵なミュージカルであった。
 だが「オペラ座の怪人」をマジェステック劇場で観たとき、ミュージカルオペラと形容したらいいような、オペラの良さとミュージカルの良さを足して、オーソドックスで割ったような、ジンとしみる感動があった。目からウロコの落ちる思いであった。美しき歌姫に恋をした怪人の悲劇と自滅へのストーリーである。奇をてらったり、ケレンを出したりということはなく、基本的にはいつの時代にも受け入れられる大人のラブストーリーである。「戦争と平和」「風とともに去りぬ」など、その時代と背景は異なっても、根幹を貫く愛の物語はあらゆるものを超越する。そのように感じさせるミュージカルである。
 大きなシャンデリアが突然落下したり、オペラ座の地下湖が出てきたりと、大掛かりな舞台ではある。しかし、その根幹は青年ラウルと歌姫クリスティーヌの愛の勝利である。
 かつて、大きな手術をしたとき、手術中に好きな音楽をかけても良いといわれ、「オペラ座の怪人」のCDをもちこんだ。しかし、麻酔のあとで30秒もしないうちに、すべての眠りの中となった。
2006年1月9日 月曜日
離婚時の年金分割が平成19年から導入されるが

 離婚時の年金分割とは、夫がもらえるはずの厚生年金の最大2分の1を、妻が、結婚していた期間に相当する分だけ、分割してもらえる制度のことだ。離婚時の年金分割が導入されれば、離婚したとしても、女性が老後にもらえる年金額が増えることになる。つまり、厚生年金が上乗せされることになるので、女性の老後の年金額を増やせる。
 女性の立場に配慮したとされている離婚時の年金分割は、女性にとっては有利な制度だ。だが、その後、再婚することもあるし、結婚相手が再婚という場合もある。となると離婚時の年金分割は年金をもらえる側、女性にとって有利な制度だが、別の面も気になる。もし、結婚を考えている相手に離婚歴がある場合は年金の種類だけではなく、年金が分割されていないかを気にする必要が出てきそうだ。女性は結構シビアな面もある。
 また、この年金分割制度によって、熟年離婚が増えるだろうと予想されている。年金で縁がつながっていたカップルがこれを機に離婚するというのも、それ以前に人間関係が壊れていたのかもしれない。
 年金分割制度によって、人間ドラマが展開しそうである。

2006年1月8日 日曜日
ホームページがすこし複雑で、ただいま勉強中
 一見単純なつくりになっている私のHPであるが、容量の関係で複雑になっており、わたしとしてもオジャサレナイくらいてこずっている。これが結構HPつくりの勉強になっている。白神ネットからは20メガが与えられているが、当然それでは間に合わないので、あっちこっち手当てをすることになる。今や1ギガ容量のHPもあるということで問い合わせ中である。これからはテラ単位の時代だろう。動画を取り入れたHPを作るにはギガ単位、それどころかテラ単位の容量が必要である。
 ITに強いとみられるときもあるが、本当は全然ダメである。必要に迫られて、少しづつパソコンの働きを学んでいる。今夜も今夜とて、過去のHPをアップするのに格闘した。人生これ、すべて勉強、これも幸せである。
2006年1月7日 土曜日
少子高齢化による人口減、国からの財源削減・・・無秩序な市街地の拡大を食い止めなければならない
 平成17年6月定例会で、「中心市街地のくらしを守る会」が1万5千人の署名とともに能代市議会に提出した「郊外型大型店出店に反対を求める陳情」は、能代市議会においては不採択とした。不採択とした議員は創政会と政和会の11名である。薩摩博・伊藤洋文・原田悦子・後藤健・塚本民雄・斉藤宗一郎・熊谷健・矢田部昌・武田正広・竹内宏議員等である。11人は、大型店出店の誘致を歓迎し、郊外型大型店反対の陳情を不採択として、1万5千人の署名した住民を裏切った。市民の声、青雲会、直進会、公明党は退席した。この場合の退席は郊外型大型店出店賛成と同じ意味を持つ。退席することによって、大型店出店を歓迎する結果を招いたからである。有権者はこのことをしっかりと記憶してほしい。
 後藤健・塚本民雄・斉藤宗一郎・武田正広議員は、くしくも市民80名の署名のもと政治倫理審査の請求を出された議員である。
 自民党創政会議員は大型店を必要としているのではなく、出店によるインフラの整備で税金が投入される工事がほしいのである。したたかな創政会の三下となって、意のままに操られている政和会は今となっては内部荒廃を起している。
 限られた財源を集約し、街のコアである中心市街地を再生することが、能代市の街づくりの大切な施策である。郊外地域の街づくりはコアがあってのものである。街づくりの再生は、高齢社会の住民ネットワークづくりの再生でもある。
2006年1月6日 金曜日
スキーヤーの草分け三浦敬三さん101歳が亡くなられた
 数年前90歳代で現役スキーヤーとして、スキーを楽しんでいる三浦敬三さんの映像を見て感動した。長生きする人はまず、プラス思考の方が多いが、まさにその典型の方のように感じた。自立して1人暮らしをしている様子がわびしさを感じさせないマイペースなものであった。99歳で息子と孫との三代でアルプスの氷河を滑走したことで、高齢者の希望の星となった。
 この数日の豪雪で、スキーに夢中になっていたことを思い出した。冬が楽しみ、雪が楽しみで、懲りに凝っていた時期があった。運動神経の鈍いわたしは、みんなでするスポーツだと相手に迷惑をかける。そこで、水泳とスキーにスポーツ人生を見出した。下手は下手なりに楽しむことの出来るスポーツを見出し、運動コンプレックス、スポーツトラウマが解消した。
 映像の三浦敬三さんのスキーは無理のない自分らしく、人生を謳歌するような滑り方であった。スポーツを楽しむには上手下手は関係ないんだと教えているようであった。
2006年1月5日 木曜日
能代市消防団第六分団の出初祝賀会に参加して
 出初祝賀会に参加したのは始めてである。つまり、初めて案内が来たので参加した。第6分団区域には男性議員3人と女性議員2人の計5人の議員がいる。いままで、女性議員に声をかけなかった理由はなんなのかわからない。今年は男性議員3人は欠席である。したがって、出席は女性議員2人である。
 女性消防団員がコンパニオンごときではダメであると一般質問した自民党議員もいるくらいであるから、女性に対して排他的傾向があるのだろうか。権威とか肩書きとかを尊重する世界であるから、保守的で女性に対する評価がそんなものなのだろう。
 でも、第六分団員はとてもフレンドリーで、地域の話題で盛り上がった。住民・団員ともに高齢化の傾向にあって、女性団員の増加と活発化は地域の安全をより高めるはずだが・・・・
2006年1月4日 水曜日
新年も4日目となって新市長の候補者を待ちわびて
 今年の3月21日に能代市と二ツ井町の合併である。しかし、現職の豊澤市長が立候補を表明しているが、対抗馬はまだ名乗りを上げていない。丸岡現二ツ井町長説あり、斉藤元参議員説あり、能登元県議ありであるが、政権党である自民党は候補者を明らかにしていない。他の党はともかく自民党は住民に対して、明確な政治姿勢を示す義務がある。せこい手段をとらずに、横綱相撲を試みてほしい。腐っても鯛である能代自民党である、はずであるが・・・
2006年1月3日 火曜日
2006年も平和憲法を守られんことを
 私たちが平和憲法を守るための会を作ったのは、イラクのフセイン大統領が隣国を侵略したころであった。平和を唱えるにはいいが、フセインのような人物が(イラクのような国が)日本を侵略した場合どうするか?との質問が出た。N氏が「平和の名の下に、人を殺すことに加担するくらいなら、平和を叫び死んで行く」と発言した。わたしはとても強いショックを受けた。N氏の考えがベストであるとは断言できないが、反戦に関する一つのテーゼを示していると感じた。
 この60年間日本は自国の兵器により、1人の他国人をも殺すことなく、平和を当たり前のこととしてすごしてきた。このことがとても大事である。いつでも戦争は平和を理由に始められる。日本の60年の平和を維持してきた根本は平和憲法の9条である。ところが、9条は今や風前の灯である。しかし、あきらめない。平和の母である憲法9条を改悪する事に断固反対である。
2006年1月2日 月曜日
年賀状の欠礼をお詫びいたします
 議員になってから、年賀状を出さなくなってしまった。理由は何とでもつけられますが、正直なところ忙しさかな。でもそんなことを言ったら、誰だって年末は忙しいに決まっている。時間をやりくりして、大事な方々にご挨拶をしている。私としては、大事な多くの方々に大変申し訳なく、お詫び申し上げます。代わりともなりませんが「かずこ通信」などで元気であることをお伝えいたします。とはいえ、今日はまだ2日である。時間をみつけて誠実に返事を書く事はできますね。何もしない孤独な時間やボーとしている時間というのも大事で、心のクリーニングの様なすごし方も悪くはないと思ってる。ということで、ボケッと呆けた時を過ごした。
 今年は、ちょっと贅沢なおせち料理を食べた。悲しき庶民の私には、小説「芋粥」の世界であった。憧れのホテルの本当に美味しいおせちのお重をみんなでテロッと平らげたあと、ハタハタ寿司とガッコの美味しかったことといったら。
2006年1月1日 日曜日
あけましておめでとうございます
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします
 年末に地元紙から新能代市議選への対応についてのアンケート調査票がきた。もちろん「出馬する」との回答をした。当選1回の4人全員と、2回目の全員2人そして、6回目の1人の計7人が玉虫色なしの出馬の意思を明示した。出馬、出馬で調整、不出馬で調整、不出馬、その他の5択である。回答にそれぞれの背景や個人の事情や個人の性格が現れている。今日1月1日号に、その結果である表が掲載されていて、なかなか興味深いものがある。
 新人議員として2年半の歳月を経て、能代市の抱えている多種多様な問題点、そして、そのための施策の困難性を目の当たりにした。議会が執行部を監視しながらも、ともに住民の生活安定のための協力し、自らも政策提言することのバランスの悪さに悩み戸惑ってきた。新市長の政策に対案無しで、ただ混乱させるためだけの反対を、数で押す多数派の意思決定に異常さを感じてきた。今年度は、新たな議会のあり方を探っていきたい。新市の議会は真に住民の生活優先であるべきである。
 再度、市議選挙にトライし、住民とともに能代市の地域づくりに努力したい。

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