平成17年度の議会通信&日記
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平成18年度の議会通信&日記
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2006年9月30日 土曜日
「地産地消消反対」という意見に、なるほどという点もあるが
 地産地消に関して、私は推進を願っている。ところが、先日、「地産地消というのは、域内で農産物を消費しようということなので、それでは域外、特に県外への出荷体制がおろそかになるので反対である」と言う人にであった。なるほど、農産物を県外にブランドをつけて出荷するのに知恵を絞っているのが現状であるから、そのように考えることもできる。しかし、地産地消とは、地域内の農産物の安全安心でおいしいことをまずは地元の住民が知るということである。
 木都能代を売り出すのに、まず能代市が木造建築物を率先して建築して、木造のよさを宣伝することが大事である。能代市が、市営住宅を鉄筋コンクリートの高層で建設しながら、木造のよさをどうして、ほかの地域に理解してもらえようか。
 地産地消とは、まず、自らがその魅力を伝えるための知識や体験を積むことによって、他地域に草の根の波及力を持つことではないか。
9月29日 金曜日
歴史民俗資料館・美術展示館建設の要望に賛同した議員は本気ではなかった
 行政改革ではなく、行財政改革をしっかりしなさいと声高に市当局に要求している議員が、歴史民俗資料館・美術展示館を新規のハコモノとして建設することを望むのも矛盾している。どうも納得がいかない。やっぱりね、それって本気ではないそうだ。既存の施設を利活用で資料館・展示館を設置することに異論が無いという。市長が新規建設では無く、既存の施設で、というならば市長に従うという。
 私も、中途半端な展示館よりは、既存の施設を利用して早急にスタートし、いつかしっかりした美術館を建設できるようになるまで、まったらいいのではないかと思っている。
9月28日 木曜日
市史編纂事業 一冊7万円なり
 市史編纂事業に対して、斉藤市長はこの問題を精査しないまま、再開のアドバルーンをあげた。私の概算では、市史編纂事業は、今までにおよそ6億7千万円の予算が消費された。それを今までに出版された9千冊で割ると、一冊7万4444円となる。一冊7万円以上もする豪華本である。その4割が売れ残って終末処理場に保管されている。保管場所に運命的なものを感じる。確かに市史編纂事業は、民間出版社の事業と違って、採算度外視してもいたしかた無い部分もある。しかし、天井知らずの採算度外視というわけにはいかない。
 妥協というものを知らない委員の言いなりになってきた市当局こそが、この問題を大きくした張本人である。10年間で終了するはずの事業が、20年に延びたこと事態が異常である。1〜2年というのならば、それなりに理由があったならばわからなくも無いが。オギャーと生まれた子どもが成人する長さである。これは、編纂委員の問題ではなく、市の編纂事業失敗の問題である。


2006年9月27日 水曜日
アクトンの法則「絶対権力は絶対腐敗する」 福島県の場合は
 「権力は腐敗する、絶対権力は絶対腐敗する」とは有名なアクトンの法則である。福島県知事の弟が県発注工事の談合で逮捕された。佐藤知事は5期目の18年間知事の座についていた。絶対権力者である。ゆえに絶対腐敗する環境は整っていたのだろう。
 「弟が(知事の)立場を利用してはならない、ということを一番知っている」と佐藤知事は弁明した。弟は兄である知事の立場の価値を一番良く知っていたのではないか。知事自身が立場を利用されてはならないことを、知っていなかった。岐阜県の梶原前知事も、ケースは異なるが、絶対権力の腐敗である。
 談合とは、すべて官製談合である。業者は生き残りに必死である。談合をさせないという姿勢を貫くのは行政の仕事である。談合を未然に防ぐシステムは出来上がっている。ただ、それをしないだけである。
2006年9月26日 火曜日
パーキンソンの法則
 行革が唱えられて久しいが、パーキンソンによると、「役所が拡大するのは、業務量の増大のためではない。むしろ、組織が拡大するがゆえに業務も増大するのである」つまり、役人の数は仕事の量に関 係なく一定の割合で増えていくと言う。そして拡大は複雑化を意味し、複雑化は腐敗を 意味すると言う。この内容は、「役人は部下を増やすことに熱中したり、お互いのために仕事を作 るから、仕事の重要さとは無関係に役人が増えてしまう」というものである。また、「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」、「支出の額は、収入の額に達するまで膨張する」というもの。(1)役人がライバルではなく部下が増えることを望むこと、(2) 役人は相互に仕事を作りあう、という2つの要因によってもたらされる。また、パーキンソンは、官僚制内部の総職員数は、なすべき仕事の量の増減に関係なく、毎年5〜7%増加したとも指摘している。「議題の一項目の審議に要する時間は、その項目についての支出額に反比例する」「立派な建物の完成は、その組織が瀕死であることを告げる」など、なるほど。
2006年9月25日 月曜日
がっかり、白神森林組合の支所長の着服事件 二ツ井ロンダリング
 私も白神森林組合の組合員なのだが、とかく森林組合は問題を抱えていることを憂慮してきた。このような着服は、森林組合の悪しき面が表層に出たのではないか。今回は藤里と二ツ井支所を総括していた支所長の犯罪である。長い間、白神森林組合は組織保全のために存在してきた。もともと組合員のための組織であるが、組合員不在の体質を引きずってきた。外材に押されて、せっかく植林したも商品価値がほとんど無い。植林した50年木の杉は、かつては切り出され、それなりの値がついたものだが、今は切り出す費用にさえならない。70年、80年木になるまで育てなければならないが、それまでの間、山の手入れをする体力がない組合員もいる。
 さて、おもてに出た犯罪の後ろには、300以上もの不正や組織の規律の乱れ等があるといわれている。原点に返って、組合員の将来的利益を守り、森林を通して、環境の保全に努める組織を目指してもらいたい。
 二ツ井支所は以前から不正問題がくすぶっていた。また、市町合併でも、二ツ井地区出身の職員の質が問題視されている。合併により、いまや、二ツ井の古い意識の「ロンダリング」中なのかもしれない。
2006年9月24日 日曜日
隣の芝生は青い、鹿角市花輪の街づくり
 鹿角市花輪に行って来た。趣味の会の定期大会が開催されたので、久しぶりにお気に入りの街花輪である。石川啄木は「青垣山をめぐらせる 天さかる鹿角の国をしのぶれば 涙し流る」と「鹿角の国を憶ふ歌」に歌った。江戸の紀行家菅江真澄は「里肥え 人ゆたかにすめり」と記している。
 アーケードのある繁華街であるハミングロードを通って、端っこのマックスバリューから関善酒屋まで歩いた。アーケード街が特別活気があるわけではないが、少なくとも能代の中心市街地とは比べものにならないほど元気がある。隣の芝生は青いのかもしれない。中心市街地がシャッター街となって日曜日ほど店が閉まっている能代を思い起こす。
 新町、大町、谷内田町と通り過ぎて六日町まで行った。築百年明治時代の旧造り酒屋「関善」が、街づくりの核として、市民を巻き込んで再活用されている。やはり明治の建築物の小田島家が、古い町並みを再現している。また、花輪の中心地を貫く大堰は、大正18年開削開田のための用水路である。水辺の風景というのは心やすらぐものである。水を街づくりに利用できるのは大きな地域資源である。うらやましい。
 関善のある六日町にはアーケードが無い。通りが比較的狭い商店街ではアーケードはあったほうが、歩行者として歩きやすい。六日町にはアーケードは無いが、道幅が幾分広くなり、古い町並みを再現しているので、そのほうが散策の目を楽しませる。関善を活用した町づくりは、ただいま発展途上のようだ。市民や観光客が利用できる交流施設が何ヶ所かあり、それだけでも街づくりの勢いを感じた。
2006年9月23日 土曜日
さきがけ新報の地方展望「付託」の記事で付託は効率的でないは間違い、これこそが民主的である
 さきがけ能代支局長・小川浩義氏の「付託」の認識は、間違っている。
 議会は原則として3ヶ月に1回開かれるので、審議しなければならないことがたくさんある。今能代市は28人議員がいる。本会議場で28人が全員で、丁寧に、こまかく論議するには、それこそ効率的でない。そこで、細目にわたって論議するために、28人が4つの委員会に別れ、時間をかけて当局と質疑応答をする。さて、付託とは、各委員会に審議を任せる際に、本会議場で全議員が、こんな案件を話し合いますよという説明を当局から受け、そして、議員が質疑することである。
 小川記者は、その付託の質疑が委員会と重複するので効率的でないというのだ。議員は一つの委員会にしか属さないので、ほかの委員会では質疑を述べることは出来ない。付託審議では、自分の属さない委員会に任される案件に対してのみ質疑が許されている。会派制をとっているので、ある程度の大さの会派であれば、すべての委員会に議員を送ることができる。小さな会派は、この付託審議のときのみ、自分の会派議員のいない委員会への付託される議案等に対して質疑が出来る唯一のチャンスである。
 委員会に付託され審議された結果を、「委員長報告」という形で本会議で発表される。確かに、小さな会派は、そのときも審議内容の質疑をすることができる。ただし、委員長に対する質疑ということなので、答えるのは議員である委員長である。当局からの答弁は無い。そのあと、それらの議案に対して、討論という自分の意見を言う機会もある。しかし、採決前の討論は、一方的に賛成または反対の立場で議員が意見を言うのみで、当局からの答弁は無い。自分が属していない委員会に任された案件に、各議員が当局に質疑することが出来、答弁をえられるのは「付託」のみであることを考えると、この方法が最も民主的である。
 小川記者に欠けているのは、「民主主義とは手間と時間がかかる」との認識ではないだろうか。この付託という制度は、能代市議会が他にほこれるシステムである。付託と委員会の質疑が重複することのみで、非効率と決め付け、廃止を暗に提示するのは、間違いである。
 本会議場で審議の際、議員が質疑できるのは3回までである。委員会のように、エンドレスというのではない。唯一許されたその3回に住民の声を反映させようと議員たちは必死である。各議員、特に小さい会派議員が、唯一答弁を引き出せる付託審議を効率化のもとで、廃止をほのめかすのは、民主主義を後退させようとすることである。
2006年9月22日 金曜日
二ツ井地区での移動議会は意義あり、されど今後の開催には疑問
 個人的には二ツ井での開催はかまわない。しかし、議会事務局のただ事で無い難儀を思うとこれでいいのだろうかと思う。事務局だけならたいした人数でもないが、執行部側の幹部がごっそり、能代の庁舎からゲルマン民族の大移動してこなければならない。あらゆる書類を持参して。能代庁舎をガラガラらにして。人間と書類だけではない。議席の不足分を補うため、トラックでなん往復して設備を運んだことだろうか。それにともなう、機器の設置がる。あれや、これや、なんたる壮大な手間ひまであろう。
 タダだと思ったら大間違い。予算にあらわれない人的、物的な消費は大きい。それに伴うだけの成果はあっただろうか。確かに、二ツ井地区の住民の傍聴はあった。新議会というものに関心を持ってもらうというプロパガンダでは成功である。ならば、次回は改選の時、という程度にして能代の議場に戻しましょう。
2006年9月21日 木曜日
木都能代の木材振興のため未来志向の視点を欠く意見には賛成できない
 山田孝行氏の地元紙に投稿する議会傍聴記が、だんだん焦点がズレズレになって久しいが、今回のご意見はかなり世をすねたものであると私は感じている。能代の木材工業衰退を、製品出荷額の落ち込みをあげ、「技術革新を積極的に、すなわち新製品を開発し、新素材と新生産方式を導入し、新市場を開拓し、組織を時代の変化に適応するように常に変革していった他の産業にやられたことから生じている」と評論している。「自分に責任がある」というのもそのとおりである。だから・・・行政の対処に否定的である。そして、市営住宅建設においての木材工業の振興に否定的である。
 未来は、過去の延長線上にあり、現在と通して結びついている。能代の今日までの木材工業の衰退をあげ、未来においても、衰退し続けると決めたような意見は、対岸の火事を眺める評論家に過ぎない。衰退する木材業と共に一蓮托生であると思っている我ら能代っ子は、”だから、市営住宅は木造で”と切に願い、木材産業の振興を藁にもすがる思いで考えている。木材産業は能代人のアイデンティティーそのものである。能代を愛している私たちは、だから評論家にはなれない、ならない。
 自然志向、環境志向の流れは、文明の発達と共に失われた人間性を取り戻すための当然の帰結である。今こそ、能代の木材産業は、時代の要求にこたえるときである。衰退というなべ底から、時代の求めに乗るためには、産学官そして政治も住民も力を結集するときである。
 スネ者のモジョも狂言としては面白いが、所詮廃れゆく意見である。愚痴もほどほどにしないと、ボケがすすみますよ。
2006年9月20日 水曜日
市長変われば180度転換、歴史民俗資料館の早期建設反対にまわった自民党
 自民党竹内議員は、この3年間、急先鋒となって歴史民俗資料館を火力協力金で早期建設すべしとうったえてきた。自民党のほかの議員も同じであった。ところが、このたび、市長が歴史民俗資料館は既存の施設の利活用での設置を打ち出したとたんに、3年間の主張を180度変え、新築反対と言い出した。継続審査と称する実質新築反対である。同じことが、能代港のリサイクルポート化や地域づくり、循環型社会づくりなど、前政権がスタンバイしてきたことを、現市長が前市長の路線を踏襲したとたんに、方向転換し、、反対から賛成に回った。間違いを改めるのに、遅すぎるということは無い。
 市では火力協力金を広域市町村圏民の利にかなうことをめざして、東北電力からの歴史民俗資料館建設資金にするという縛りを解いた。この3年間そのことに反対して、何が何でも新築で資料館を建設しなさいと、騒ぎ立て続けたのはいったいなんであったのだろうか。竹内議員と後藤議員は、180度転換の理由を住民に説明する責務がある。厚顔無恥にもほどがある。
2006年9月19日 火曜日
イオン郊外型大型店は能代にはやって来ない
 一般質問で東インター付近に出店を予定していたイオン郊外型大型店に関する一般質問をした際に、イオンの動きはぴたりと止まっており、能代でのイオンの出店は無いと商店街関係者と話し合ってはいたが、なるほどというHPをみて、納得した。
 そのHP掲示板の中で「能代は見直し地域になった。出店は見送られる公算が大きい。大館はぎりぎりだったが、もう既に動き出していたため続行としたものである。もし、能代市が強くイオン出店の望んだ場合、イオン側は必要以上のインフラ整備の要求を市に対してしてくるだろう」とあった。その理由として「今後25年以内に人口減少5%未満を出店計画地域、人口減少10%未満地域は出店可能地域、20%未満は出店見直し地域、それ以上は出店不可能地域に指定した、、らしいのである」との事。
 大館市での郊外型大型店イオンスーパーセンターの出店を、感覚的にストンと落ちない、”ダイエー"的なテラノサウルス暴走か、といった不可解さを持っていた。1、街づくりを考える地元の反対 2、まちづくり3法が中心市街地活性化の方向を出したこと 3、街中心部の地価の大幅下落をイオン戦略の転換の背景として主張されていた。そうか、能代へのイオンの音なしの構えはそれ自体で説明になっている。1万5千人の地元の反対署名、農振除外の拒否は、イオン出店をとどまらせる遠因になっているだろう。反対活動に無力感を感じる事もあるが、反対は十分意義のあることである。それならば、住吉町住宅の高層ビル化も、勇気を持ってしっかりと反対の主張をしていける。
 「そういう事情を知りもせず、何時までも同じ場所に交渉相手がとどまっていてくれると信じているおめでたい田舎町の議員さん達には逆立したってわからないことがあるのです」と結んでいたが、そのとおりといいたい。もちろん、私のことである。逆立ちしながら学ばせていただきます。
2006年9月18日 月曜日
能代東インター付近に出店予定のイオンの音なしの構え
 郊外型大型店の出店に関して、イオンは現在の状況としては、音なしである。9月定例会でも「能代東インター周辺への郊外型大型店出店に関する相談、届出等の具体的な動きは本市に対してなされておりません」という答弁であった。次の策を練っているのだろうか、それとも、反対の署名運動があったことを嫌って戦術を変えたのだろうか。不気味である。
 イオンが郊外型大型店を開店すると、柳町のジャスコは閉店になるだろう。大館市では、イオンスーパーセンターの進出と同時に、中心市街地のジャスコ大館店を閉店し、大館市中心市街地の空洞化を一気に進めた。能代市において、ジャスコが閉店になると、中心市街地は一気に寂れてしまう。
 昨年の旧能代市議会で郊外型大型店出店に反対する陳情に対してそれを不採択にし、大型店出店に賛成した議員は、薩摩博・伊藤洋文・原田悦子・後藤健・・武田正広・竹内宏氏ほか5名の11人である。まちづくり3法は、市街地集約を目指している。市街地拡散ではなく、高齢化や緊縮財政に即したコンパクトシティに対して、私は賛成である。郊外型大型店出店は反対である。
2006年9月17日 日曜日
能代市国民保護条例は住民に戦時の準備をさせるものである
 この条例は、名前こそ国民保護条例だが、はやく言えば国民を保護する条例というより、国民を統制する性格を持ったものである。日頃から「戦争中」を想定した日常生活作りが目的である。市役所や病院などは「戦時」のための計画を作り、「戦時」にむけて準備をする。地域ボランティアも協力を要請される。訓練もしなければならない組織もある。 戦前の国家総動員法の焼き直しではないか。
 日本は戦後61年間、国家の名において外国の人を殺したことは無い。国家の名において、戦禍で自国民の命を失ったことも無い。その根幹を成しているのは平和憲法である。そして、何よりも憲法9条の存在である。国民保護法はその平和憲法の精神に反している。
 戦争やテロなど有事の際の国民保護計画の関連条例で、沖縄県の自治体の34%に当たる14市町村が「未定」として制定のめどが立っていない。制定済みは15%の6村で、全国の75%(18年度中には9割を超えるだろう)と比べ大きく差がある。
 ということは、能代市が条例を制定しないという裁量権は無い、と言ったのは、自ら裁量権を放棄したのである。また、委員長裁決で採択したことは、能代市議会の歴史に残る恥ずべき決定である。
2006年9月16日 土曜日
Aの水よりBの水のほうが毒性が少ないので安全だと言われて、飲めますか?
 答えるまでも無く、誰もそんな水は飲まないだろう。同じようなことが、能代産廃の遮水壁でもいえる。能代産廃処理センターの既存の遮水壁は実際どのような状態なのか調査されたことは無い。遮水壁の内側の地下水または土からは強い毒性が検出されたが、外側からは内側と比べて弱い毒性が検出されたにすぎない。いったい、そのことで、既存遮水壁が安全であるといえるだろうか。内・外の相対比較でのみ、遮水壁は有効であると決め付けたところで、漏出が無く、安全であるといえるだろうか。倒産業者が設置した遮水壁で、実際にどのような工事が行われたのか、検証すること無しで、解決のための計画書が作成されたことが手落ちであった。
 倒産業者が設置した遮水壁が不透水層にしっかりと打ち込まれていると計画書には記載されている。倒産業者が提出した書類をそのまま検証せずに真実としたからである。倒産業者は虚偽の限りを尽くして、住民の健康と命を脅かした。そのことに思いをはせると、遮水壁が果たして書類通りかどうか、確かめることは必須である。
 遮水壁の相対比較の有効性調査は確かに実施されたが、遮水壁本体の調査が実施されたことは無い。遮水壁本体の実態の解明なくして、有効性の証明はありえない。本体調査を市は県に早急に要求すべきである。能代市環境部の相も変らず、能代産廃と向き合わない、向き合えない体質はなぜ故なのか。
2006年9月15日 金曜日
議場で議員の発言を抑えようとする議運委員長の「無し」の大音響
 一昨日、議会に提出された議案をそれぞれの委員会で丁寧に審議するため「付託」審議を本会議場であった。新市長になってから、その傾向が強くなったのだが、議員の発言を抑えようと、議長が案件の質疑を問う発言をするや否や、間髪をいれずに、耳をつんざく大音響で議会運営委員会委員長が「無し」とさけぶ。不幸なことに私のすぐ後ろで大声がする。議長が言うやいなやの瞬間である。「無し」と叫ぶこと事態は何も問題ではない。タイミングの問題である。「無し」と叫んで、議長が無いようなのでと発言すると議員はもう発言できなくなる。狙いはそこにある。質疑を問う発言をさせたくないのである。自民党市長を守ろうと、自民党議長と自民党議運委員長が、がっちりとトライアングルを組んでいる。
 そこで、昨日議長に、議運委員長の「無し」発言が、議長の質疑を問う言葉に続けて大声で発するので、議場を統べる議長として、善処していただきたいと申し上げた。野党議員の質疑を歓迎しているとは思えない議長は、「あなたが負けないで大きな声で言えばいい。見てますから」という。威嚇しているような大声で間髪をいれずに「無し」と発言することを問題視しているのだが、それ以上の大声を張り上げろとは、議場の秩序を守る議長のとるべき態度とも思えない。私個人のことを問題にしているのではない。もっとも、大声「無し」のほうが議長、議運委員長にとって都合がいいのだろう。しかし、粘って、訴えた。絶対言いませんよというが如しに、「言っておきます」と憮然としていた。
 さまざまな思惑があろうが、議長たるもの、本会議場で議長席に座り最高責任者となった時、せめてもあからさまであると感じさせない程度に公平であってほしい。議長の度量がこんなに低いものとは情けない。いいえ、先の議長も度量の低さでは負けてはいない。
2006年9月14日 木曜日
市議会の委員会での委員長決裁の明暗
 今日は定例会の常任委員会開催であった。採決において、7人の委員のうち委員長を除いて、6人の委員が3対3で同数になった場合は、委員長の意思で委員会での可決または否決が決まる。今日は2件で委員長決裁があり、明暗が分かれた。
 文教民生委員会では、歴史民俗資料館・美術展示館に早期建設を求める陳情に対しての採決で継続審査とする委員3名、採決とする委員が3名であった。委員長裁決に持ち込まれ、委員長は継続審査とした。早期に資料館・展示館に求めることは十分に理解できる。簡単な施設であっても建設には15億を必要とする。美術館的な施設となると最低でも30億から50億円となる。財政難な市において、ピカピカ新規の施設を建設する体力は無い。それならば、早期設置として、新市建設計画にあるように、とりあえず既存の施設を利用して、資料館・展示館としたほうがいいではないか。当局の意向もそのようである。委員長裁決で継続審査は”明”であった。
 一方で、総務委員会ではいわゆる国民保護条例の採決において、賛成3委員、反対3委員で可否同数となったので、委員長裁決に持ち越された。委員長は国民保護条例を賛成としたので、委員会として賛成となった。なんと愚かな、決定であろう。まさに委員長裁決の”暗”そのものである。
 武力攻撃を想定して、住民が丸腰で戦うことを準備するよりも、武力攻撃を受けないように、草の根の国際交流を地方は地方として、無力、微力ながらの展開したほうがいいではないか。軍隊をもち、戦争のできる国になることを目指す自民党と一体となって賛成した委員長の裁決を恥じる。
2006年9月13日 水曜日
いわゆる能代市国民保護条例とは、武力攻撃に備えるとの口実で、いつか来た道へ戻すものである 絶対に反対
 「能代市国民保護対策本部及び能代市緊急対処事態対策本部条例」そして「能代市国民保護協議会条例」の制定に関する議案が出された。「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」に基づき、能代市も条例を制定しなければならないという当局の説明であった。
 議会は圧倒的右系化しており、少数派が反対しても通るだろう。しかし、この条例には絶対反対である。そもそも、国の法律が平和憲法の砦である9条を蹂躙したものである。武力行使が行われたら、自衛隊は武力に対抗するために働くので、国民は自らの身を自ら守らなければならないというのが根底にあるという。どうやって守るの?武器はないよ。竹槍もないよ。丸腰だよ。武力攻撃に備えるというのは口実で、戦争のできる普通の国家になりたいのだろう。
 いつか来た道に戻そうというベクトルが、少しずつ動いている。国が決めたので、市には条例を制定する裁量権はあっても、条例を制定しない裁量権は存在しないという。それでは、いったい地方自治体のアイデンティティーはどこにあるのだろう。 
2006年9月12日 火曜日
一般質問で出来レースか
 商店街の活性化が大事であるととうとうと述べ、対策はなんですかとたずねる。観光資源の活用が大事であるととうとうと述べ、対策はなんですかとたずねる。少子化は大変だととうとうと述べ、対策はなんですかとたずねる。そうです、いづれも大事な問題です。それでは、あなた自身の政策はなんですか。せめてもあなたの考えはなんですか。オマケで、最後にはおねだり。出来レースは時間の無駄というもの。密室でお話してください。おまけに、環境部の職員はすばらしいと議員も市長もヨイショ、ヨイショで麗しい関係でした。
 もっとも、私の質問もたいしたことがない。つまり、教訓、他山の石として、勉強させていただいたということである。人生これすべて勉強である。
 いやいや、ユニークな提言が一つあった。少子化対策で、子どもを産んでもらうために市が、男女の出会いの場やお見合いをセットして頂戴というお願いであった。税金で「ネルトン」というのである。むむ、個人的には賛成。もしかして、わたしにも・・・・ふふっ。 ジョークはともかく、これってマジなのかなあ。
2006年9月11日 月曜日
環境部のピンボケ、たかをくくった職員の怠慢かも
 今日の一般質問の中に「能代産廃センターの既存遮水壁本体の調査がされていないので有効性に疑問があるので、調査を県に求めるべきではないか」との内容の質問をした。しかし、答弁は「遮水壁の有効性の調査はしている」というものであった。私の主旨は、遮水壁本体の調査である。ヒアリングでちゃんと伝えたはずである。遮水壁近くの土の成分を調べたところで、遮水壁本体の調査とはいえない。遮水壁本体工事が実際はどのような状況なのか、調査して、産廃問題解決の計画書を書くべきであった。
 環境部のヒアリングはほんの一瞬で終わった。こんなことでいいのかなあと心配ではあった。案の定、こちらの質問内容に対してたかをくくって、自分たちの答えたいように答弁書を書いた。かくして、ピンボケ答弁となった。この程度の議員の質問に、その程度の答弁でかまわないというおごりが、行間に滲み出していた。結果、市長は往生するはめになった。
2006年9月10日 日曜日
おなごりフェスティバル 奇跡の晴天に、よかったよかった
 今日は雨であった。誰もが、昨日でなくてよかったとほっとしている。昨日は真夏のような暑さであった。お祭はこれでなくちゃ。ボランティアを終え、私も午後から見学した。1中若と2中若に、高齢化著しい能代七夕の最後の希望とばかりに、未来への橋渡しとおもった。夜遅くなるまで生徒たちを引率する先生たちや保護者たちの負担を考えると、ありがたいことである。お世話する地域の七夕好きの大人たちにとって、どんなにかうれしいことであろうか。この生徒たちが大人になったとき、どこに住んでいようとも、七夕に血騒ぐ能代っこになってくれるだろう。
2006年9月9日 土曜日
2006 秋田県中山間地 ふるさとと水と土 現地見学会 の地産地消ランチ・星場台でボランティアで猫の手となる
 県主催のグリーンツーリズム的な企画で、檜山の星場台で昼ごはんをとることになった。80名の食事を作るのに、農家レストランの野村さん夫妻だけでは手がまわらないので助っ人ボランティアとして駆けつけた。台所仕事は得意分野ではないので、猫の手程度でお手伝いすることにした。とても忙しかったので、猫の手より少し役にたった気分である。古代米のおにぎり、天然ヤマメの塩焼き、比内鳥のスープ、檜山そば、漬物、果物、そのほか冷たいお茶とかそばつゆとか、準備するものがたくさんある。
 あと15分でツアーのご一行様到着というそのとき、母の具合が悪いとの電話が入った。いそいで、檜山から実家へと急いだ。たいしたことではなかった。薬の飲み忘れとのことであった。いいよ、いいよ、私がいつでも駆けつけるということがわかっていると、安心して体の不調を訴えられるからね。再び、檜山へと急いだ。
 釣りのサークルが天然ヤマメを釣ってきて、供してくれた。おまけに、炭火で焼いてくれた。80匹の目標にむかって、2日間必死に釣ったようすが目に浮かんできた。ご近所の女性たちは、おにぎりつくりに精を出した。人と人を結ぶグリーンツーリズムである。
2006年9月8日 金曜日
男女共同参画フォーラムinのしろやまもと 9月16日三種町で
 三種町八竜農村環境改善センターで男女共同参画フォーラムを開催する。主催は秋田県能代山本地域パワーアップ事業実行委員会である。その実行委員の末席に私も属しているが、たいして役にたっていない。しかし、結構、面白い企画を皆さんで出し合ったので、楽しめること請け合いなので、ご参加ください。9月16日(土)午前10時から午後3時まで。託児サービスもあります。
 実行委員会で八竜農村環境改善センターに何回か足を運んだ。普通の2階建ての公民館風の舞台ホール付の建物である。何故に「農村環境改善」なのかよくわからない。農村に関するなにものもない。ふしぎだ?
 それはともかく、事例発表やワークショップのほかに、ピアノの演奏や農産物の販売などがある。男女参画だの四角だのというと小難しいことのように聞こえるが、とにかくあつまって、みんなが生きやすい社会をつくりましょうという集会である。県北部男女共同参画センターのスタッフは、柔らか頭で、意欲的である。楽しいから、おいでよ。
2006年9月7日 木曜日
市史編纂事業凍結の資料管理に責任の所在無しか?
 市史編纂室が存在していたとき、その部屋にはいったとき、異様に感じた。10年間の事業が20年間に伸び、11巻発刊が20巻になった。それでさえ、6巻しか発刊できずに、どんどん市史は拡大し深くなった。市史編纂室は歴史原理主義者の伏魔殿と成り果てた。しかし、委員にそのことでせめるつもりはない。問題は、そのようなことを許してきた市当局にある。どんなに税金をかけても、歴史は大事なのでいいのだ。どんなに時間がかかっても、歴史は大事なのでいいのだ。どんなに出版予定が増えても、歴史は大事なのでいいのだ。そんなことを市当局が許している間に、「ねひおごし」が出来ないほど、原理主義がはびこり、巨木となってしまった。そんなに歴史が大事なら、民間で専門に研究したらいいのだが、どうしても税金で、好きなだけ編纂するのでなければイヤだという。かくして7億円の税金が投入された。それでもあと3分の2の事業が残っている。単純計算だとおよそ20億円の事業となる。能代市の財政状態は、瀕死の重病人である。それでも、歴史にジャブジャブと税金をかけますか?
 市の無責任ぶりは、市史編纂事業凍結の際に遺憾なく発揮された。資料の管理があいまいとなり、総務部と教育委員会でババ抜きをしている。
2006年9月6日 水曜日
9月定例会一般質問の通告とヒアリング
 私の9月定例会一般質問 通告は次のようなテーマである。 1、能代産業廃棄物処理センターについて 2、住吉町住宅建替えについて 3、市史編纂事業継続について 4、歴史民族資料館・美術展示館及び火力協力金について 5、能代東インター付近の郊外型大型店出店について 6、全国統一学力テストについて。予定では9月11日午前の2番手として登壇する。どうか、二ツ井の議会においでください。
 通告に続いて、ヒアリングがあった。通告の題目だけでは、当局は答弁を作りにくいので、質問内容の具体的質問事項を聞く作業である。職員は昨日、今日、明日と残業をしながら、市長答弁を作成することになる。職員の顔色を見ていると、答弁を作成する仕事は歓迎するような作業でもないようである。こちらは、自分のテーマに沿って自由に質問できるが、職員は市長や市を背負って答弁を作らなければならない。
 私は、書くことに比べ、話すことが極端に苦手なので、登壇し、質問することは苦痛である。話すことも議員の大切な仕事でなので、乗り越えなければならない壁である。どっこいしょ、ふーっ。
2006年9月5日 火曜日
旧二ツ井町議場で能代市議会開催の意義
 9月議会を二ツ井地区で開催したいとの市長の強い願望で、今日から旧二ツ井町議場で定例会がスタートした。市議会の勢力図は、圧倒的多数市長与党なので、是非の論議もなくあらゆることがスルーする。かくして、開催となった。今日は第1日目なので、総括することは出来ないが、感想を言うならば・・・
 確かに、議場は新しく、豪華であった。議場は会議室と異なり、ほかにこれといった使い道はないので、二ツ井での開催は有効利用という点で意味がある。二ツ井地区の住民が議会に来やすいという利点もある。9月定例会を通して、傍聴者の数がそれなりにあったならば、移動議会も当初の目的を達するだろう。傍聴者の数が、期待したほどでなかったならば、次はどうなるのだろうか。たとえ、一人でも来てくれたらそれでいいという、旧国鉄的な考えもあるだろう。能代の本庁舎の主な職員が大挙して、資料を大量に持ち込んで、不便をかこちながら定例会に臨むほどのものなのか、これからの展開を見ないとわからないだろう。
 私個人としては、二ツ井に出かけることは楽しみである。我が家からほんの20分ほどで着くし、米代川沿いの景色も気に入っている。ただ、本庁者からの、「ゲルマン民族の大移動」に値するほどの意味があるのかどうか、わたしは今の時点では疑問である。
2006年9月4日 月曜日
能代の七夕屁理屈は特許にあらず、どこでも・・・
 能代七夕の改革が叫ばれて久しいが、いっこうに埒が明かない。伝統的な地域の行事とはえてしてそんなものである。またそうでなければ、長い間続いてこなかっただろう。とはいっても、五所川原の立ねぷたは近年、飛躍的に観光客を呼び寄せている。能代七夕との違いは何であろうか。伝統を守り抜くには、時代の要請に柔軟であることを必須ではないか。
 たとえば、西馬音内盆踊りは、3日間で1年分を稼ぐとまで言われるほど、全県規模、いや全国的に名高くなっている。数十万人の観光客を呼び寄せ、かつ満足させ、そして次の年もリピートしてもらうには、狭い地域の盆踊り規模では処理できない。踊り手を狭い地域内だけで500人・1000人調達できるはずはない。せいぜい100人がいいところである。それでは数十万人の観光客が見ることも出来ない。実際、西馬音内盆踊りの踊り手の多くは、まったく羽後町または西馬音内地区とは関係ない全県、全国から集まってきている人たちである。ところが、西馬音内の人々は、十分観光で収益を上げながら、一方で外人部隊の踊り手を心理的に拒否している。地域限定の伝統文化を一般的イベントにすることに抵抗があるのだろうか。土足でズカズカと上がりこまれていると感じてもおかしくないほど地域外の踊り手が幅を利かせている。あの難しい西馬音内盆踊りを10年20年と長い年月をかけて、広範囲に伝達指導して来た成果でもある。にもかかわらず、地域外の人の参入を歓迎しない地元の人が多い。
 このようなせめぎあいが、ある意味で大切なのではないか。観光化と地域伝統、相容れない部分がある。地域発展のためどのように折り合いをつけるか、そのちがいが発展する地域伝統行事と、衰退する行事との違いなのかもしれない。
2006年9月3日 日曜日
高齢化率さらにアップ 女性は結構しぶとく強いのだ
 知人に母上が元気かどうかお尋ねした。一人暮らしの自分の母親も夫の母親もともに、寡婦となってさらに元気になったという。夫は妻を亡くしてしょぼくれるが、妻は夫を亡くしても、しばらくすると更にパワーアップするということがままある。なるほど、統計的にもそれが現れている。能代山本の高齢化率(人口に占める65歳以上人の割合)さらにあがり、30.9%となった。男女別に見ると、男性の高齢化率は26.0%であるが、女性の場合は35.1%である。ふむふむ、女性は結構しぶとくて、強くて、元気な人が多い。
 少子化は深刻な社会問題である。しかし、高齢化は社会問題ではあるが、深刻な問題ではない。高齢化対策は、先が見えるので、政策展開が少子化対策ほど難しくはない。
 趣味の会では、熟年女性が元気で、60代でもまだまだ若者の部類に属する。70代の割合が結構多い。ということで、私でも、趣味の会にかんしてのみ、若い部類に入れてもらえる。とほっ。
2006年9月2日 土曜日
NPO能代市芸文協の美術展示館の早期”建設”の要望は再考すべし
 NPO能代市芸術文化協会は能代市に対して美術展示館の早期建設を要望した。私も芸文協の一員であり、美術展示館建設の基金にに寄付したこともある。そして、何よりも早期に美術展時間を開設のために能代市が努力してくれることを切に望んでいる。文化会館中ホールでは、いま平野庄司氏の切り絵展を開催している。ほんの少しだけボランティアをしている中で、何でも出来る多目的ホールというのは、半面、無目的ホールのごとく使い勝手が悪いことをひしひしと感じた。芸文協と同じく、美術展示館の必要性を長い間持ち続けてきた。
 実質公債比率が17.9%となり、あと0.1%で許可団体となるがけっぷち、財政困難の能代市にあって、どのような手段をこうじれば美術展示館が早期に開設されるのか、NPOとなった芸文協は知恵を絞るべきである。新規に火力7億円を建設費の一部として投入し、小さく見積もっても10数億円の建築物が早期に実現するはずもない。巨額公共工事がこんな財政状態で、早期とはこれいかに。それとも市長がハコモノ土建政治を展開するつもりなのだろうか。
 合併や学校統合によって、公共の建物に空が生じている。450万円の美術展示館積立金を元に、そのような建物を再利用し、他市の見本となるような美術展示館を展開することを望む。芸文協、なんともはや、芸のない要望である。早期実現は、どうすれば早期になるか芸文協の知恵の出し方にかかっている。なんのためにNPOとなったのだろうか。
2006年9月1日 金曜日
市営住宅の建替えは地域活性の起爆剤になる
 住吉町住宅を、一部の議員が主張するように5階建ての鉄筋コンクリートの大型建築物にするならばサンピノの二の舞になる。1戸当たり、平均実質建築が3千万円となる。実は、公営住宅建替えほど地域活性化に結び付けやすい公共工事はない。民間活力のPFI事業は大手ゼネコンの参加が多いことは事実である。いっぽうで、地域型PFI事業を地元企業が取り組む事によって、地域の要望と地元企業の育成を同時成し遂げることが出来る。
 住吉町住宅のように、島のように分散した土地、狭い土地、にもかかわらず150戸を確保したい、木都能代を象徴したい、など厳しい条件の中では、これぞPFIの出てくる場面である。土地が狭かったら、中心市街地に民間企業が建替え適切地を探してくる。2階建て木造住宅は最も効率のよい、要するに安くて(1千万円台)、質よい住宅となる。そして、地元からの供給率が最も高いものとなる。
2006年8月31日 木曜日
能代市の市民意識調査において郊外型大型店出店の賛否を問うことに賛成
 18歳以上の市民を1200人抽出で、市政等について意識調査を、9月15日までにする。30項目の中に郊外型大型店の出店に関して、イエス、ノー、条件付イエス、わからないの4択で、意識を問う。およそ6万4千の人口からすると、分母の割には分子が少ない気もするが、とりあえず、カレントな問題に対して市民の考えを問うことに賛成したい。
 調査結果、仮に郊外型大型店ノーと出たら、市長としても、選挙戦の都合で大型店歓迎と言ったものの、意識調査の結果といえば、引っ込みがつきやすくなるだろう。イオン側も出店に対して、最近は意欲低下の傾向にあるような気がするが・・・ 仮に出店イエスと出たら・・・・けっこう、「くまがって」きますね。農振解除は、パンドラの箱を開けることになる。火中の栗である。
 ちなみに、私は、郊外型大型店出店に反対である。まちづくり3法が、郊外に拡大する市街地を収れんするために、改正されたばかりである。郊外に大型店出店を認め、なけなしの税金を投入することは自殺的行為である。
2006年8月30日 水曜日
北秋田市 合川歴史民族資料室は空き議会室を利用
 合併により旧合川町は北秋田市となった。そこで、支所となった合川町には空きスペースが出来た。そのスペースを利用して、明日9月1日から、合川歴史民族資料室が開設された。能代市でも参考になるのではないか。
 能代市の実質公債費比率は17.9%で地方債の発行に国・県の許可が必要となる許可団体に落ちるのにあと0.1%というきわどさである。歴史民族資料館を開設するのに、いまさら、東北電力からのプレゼントの虎の子の火力協力金7億円を原資として、ぴかぴかの新築ハコモノをつくる必要があろうか。合併や少子化で、公的組織の再編で空き建物が発生する。いち早く手を上げ、再利用を希望したほうが、資料館を作るための最も現実的な手段である。
2006年8月29日 火曜日
ニートの存在がいまや社会問題として対応が急がれる
 若年失業率が10%に達し、フリーターは200万人を超える。これまで若者の就業問題は、この2点ばかりに目が向けられてきた。最近、注目されているのが、失業者でもフリーターでもない、ニートと称される働く意識のない若者である。求職活動もせず、学校にも行っておらず、家事や介護をしているわけでもない。自分に合った仕事が見つからないというわけでもなく、そもそも働こうという意欲や、社会に役立とうという意識が低い。統計では、15歳から34歳までの若者を対象としている。
 「Not in Education, Employment or Training」の頭文字を取ってNEET。義務教育終了後、進学も就職もせず、職業訓練を受けていない若者を指し、英国のブレア政権が使い始めた言葉だという。日本の若者が仕事に対して過敏になるのは、就職するチャンスが新卒時に偏り、一度失敗すると再挑戦が難しいから。一方で、キャリアにつながる実践的な教育をしてこなかった学校システムも、即戦力を求める企業の実情と合わなくなっている。まっさらな状態で会社に入り、給料をもらいながら仕事を覚え、そのまま定年まで同じ会社に勤め続ける。そんな高度経済成長に合わせて構築されたシステムの機能不全が、ニートを生み出す素地になっている、と解説する人もいる。それもあまたある原因の一つであろうが・・
 秋田県でも若者自立支援施策を打ち出した。問題は、若者自身にだけあるのではない。問題の大きな部分は、若者を取り巻く社会のひずみにある。
2006年8月28日 月曜日
こだわる事とこだわらない事
 ザ・古典の権化である観世流の能楽をライフワークにしている。さかのぼれば1千年2千年のルーツがあるのだが、とりあえず現在と同じ様式になって600年である。600年間も古典芸能のチェーンを切ることなく伝達し続け、なおかつ繁栄させるには、こだわる事とこだわらない事を柔軟に使い分けているからである。古典芸能の能楽を次代に伝えることは、各時代の求めを取り入れることなしには出来ない。
 さて、能代の古い文化や歴史を研究している団体が、火力協力金7億円を元に歴史民族資料館を早期に建設してほしいとの陳情を提出した。歴史民族資料館が必要なことはよくわかる。いま能代市において火中の栗である火力協力金7億円に言及して、新規建設というハコモノにこだわる頑迷さが目に付く。そんなことでは、文化財の行き場がさらに遠くなるだろう。
 もし、歴史資料を展示し、次代に残したいと考えているのならば、火力協力金7億円にこだわるべきではない。歴史はとても大事である、しかし、高齢者の命や、子どもの健康よりも優先するわけにはいかない。現実的な選択をするべきである。二ツ井地区では統合小学校で空校舎が発生する。能代でも第2小学校が空校舎となる。また、高校の統合で2校が空く可能性が出てきた。あるいは、現在の市庁舎は歴史的価値があり、ゆくゆく展示館としての役割も視野に入れている。
 能代の歴史を住民のほとんどは大事であると考えている。頑迷にならずに住民がなるほどと納得する案を提案したほうが、文化財にとって早期に安全な場所を得るだろう。住民は、歴史を大事にする考えは受け入れるが、歴史原理主義者の主張は苦々しく思っている。
 大切な歴史を伝えるには、こだわる事とこだわらない事を使い分けなければならない。
2006年8月27日 日曜日
大館市は郊外型大型店「イオンスーパーセンター」が開店し、ジャスコ大館店が閉店 能代は?
 今年の3月に郊外型大型店「イオンスーパーセンター」が開店し、系列のジャスコ大館店がこの8月に閉店した。閉店理由は「営業を継続しても、将来的に十分な利益の確保が難しくなると考えられるため」だという。テナントとして入居している現状では、「店内改装ができず、売り場を拡大するスペースもない」ため、「消費者に満足してもらう売り場を提供できなくなった」。閉店後については、規模縮小や業態変更など、「さまざまな選択肢があり、検討している段階」としている。と、地元紙の報道であった。
 イオンスーパーセンターは、能代東インター付近に出店予定の郊外型大型店と、ほぼ同時期に計画されたものである。大館市を見れば、仮に能代にイオンが出店した場合どのような手段を取るのか、火を見るより明らかである。ジャスコ能代店の閉鎖はほぼ間違いない。大館市同様に、さらに能代市の中心街の衰退は進むだろう。
 東能代地区の住民の便利を考えてイオン巨大大型店を歓迎していると、賛成者は言う。それは違う、東能代地区の人たちの地域活性化への願いを利用して、その実大型店がほしいのではなく、大型店に伴うインフラ工事がほしいだけである。湯水のごとく合併債が使えるとふんでいる。合併債そして大型公共工事に群がる利権集団である。市長と建設業界の太いパイプは今後どのように展開するのであろうか。 
2006年8月26日 土曜日
第四小学校の改築は32億2030万円
 第4小は18年度に調査をして、20年度度から建て始め22年度に完成して、皆さんに使っていただくという計画である。気になる建築費だが、校舎・体育館が18億6900万円、調理場が7億7500万円、グランド等が1億5千万円の合計31億2030万円である。
 そのお金はどこから捻出するかといえば、国からの補助が4億5千万円(これは上限に近い)、借金が23億5千万円、とりあえず自分の財布(一般財源)から、3億2千万円の予定である。そうそう、借金の23億5千万円は、合併特特例債といってお得な借金の方法を取る予定である。
 借金23億5千万円のうち7割分を国が肩代わりをしてくれるので3割分だけを能代市は支払いすればいい。つまり、7億5百万円の借金だけで学校が建設できるわけである。
 実は、全国で、お得な借金である合併特例債を当て込んで、たとえば10億で出来る建物を豪華に20億で建設するということが起きている。確かに自治体は3割の借金ですむが、仮に単純化して計算すると10億なら3億の借金ですむが、20億だと6億の借金となる。身の丈にあった、必要な分だけ、質素に機能的に質よく工夫を凝らして、という考えが、特例債という打出の小槌で国のお金がジャブジャブ使えるというバブリーな施策をとりがちになっている。
 第4小が、これから浅内小学校の事例を検証して、民間の知恵を競わせるプロポーザル方式で、ローコスト化を目指したいとのことである。住民はしっかりとプロセスを見て、意見を言ってほしい。市長は、建設業界の支援を受けて、当選した。そして、今まで一貫して建設業界と太いパイプでしっかりと結びついてきた。いまここに、ハコモノを有利に建築できる特例債がぶら下がっている。猫にかつぶしである。住吉町住宅がいい例である。
2006年8月25日 金曜日
住吉町住宅は木造2階建て100戸以内が適切である
 木都能代のふさわしい市営住宅が鉄筋コンクリートでいいはずがない。狭い敷地に詰め込むので5階建てとなり、シンドラー社のエレベーター設置となると、笑えないブラックユーモアである。150戸確保となると、不足分は中心市街地の民有地の空き地を見つけたらいい。
 私は、さもない不動産経営をしているので、中央資本の大手が市内で集合住宅をこれでもかというほど建設しているのが、なにやら目に付いてしょうがない。中心市街地には、どこにも土地などないと言い切る当局であるが、不動産業者に問い合わせたことがあるのだろうか。いいや、問い合わせたくないのである。150戸鉄筋コンクリートの理由がなくなる。不動産屋はお求めの土地を探すであろう。これじゃ、当局は困りますね。さて、民間の不動産調査結果が来月の初めには集計されるだろう。
 住吉町住宅建替えは、100戸以内で、低層2階建て木造建築が、最も安く、最も地元業者が仕事がしやすく、最も地元木材の供給率が高い。市長はそんなことは望んでいないのだろう。なるべく建築コストの高い手段のほうが・・・・・・・
2006年8月24日 木曜日
モーツァルト誕生250年 癒し系音楽NO1
 今年でモーツァルトが誕生して250年である。クラシックの中では、人気はダントツである。最近は、ストレスの多い世相を反映してか、癒し系音楽として人気がある。そういえば、ベートーベンの運命「ジャジャジャジャ〜〜ン」を、心が疲れているときは避けたい気分になる。
 映画「アマデウス」が製作されるずっと前に、モーツァルトの生涯と死因に興味を持ってよく本を読んだものである。モーツァルトは「旅をしない人間はバカになる」と、ある人の手紙に描いている。父は宮廷音楽家であり、神童のモーツァルトをつれてヨーロッパ中を旅した。そのとき、さまざまな音楽や人間や社会に触れたことが、彼の音楽活動に大きな影響を与えた。旅の中で音楽をはぐくみ、人生を学んだ。
 35歳で病気で亡くなるが(殺人説もあり)、才能を考えるとあまりにも短すぎる。もしかして、数多くの音楽を世界に送るために濃密な活動の結果が35歳であったのかもしれない。
2006年8月23日 水曜日
住吉町住宅建替え150戸は、中心市街地全体で考えるべし
 斉藤市長が就任して1ヵ月半で、住吉町住宅を木造で建築することをやめ、耐火構造で150戸を打ち出した。狭い敷地での「耐火構造」150戸とは、鉄筋コンクリートで建てるという事である。ここはどこでしょう?「木都能代」である。鉄筋コンクリートで高層住宅を建て、内装にペタペタと木材を貼り付けるだけの家を想像しただけで絶望的になる。市外、県外に木都能代を売り込み、木材の振興・木材の販売促進をはかっていながら、自らの市営住宅は鉄筋コンクリートにするということは、矛盾する。150戸の確保を目的にするならば、中心市街地に2階建て、1階建てにして、分散させる方法もある。150戸の高層住宅建築では、地元の業者が潤うことはない。
 市長は、自分を支援してくれた一部議員の提言を、鵜呑み、丸呑みにして、なんともはや愚かな提言をしたものである。首長たるもの、自分および自分を支援した者たちの利に走るのではなく、別の案も聞き、住民に利になるところをじっくりと考え、判断するべきである。
2006年8月22日 火曜日
市史編纂事業の問題点を明らかにすべし
 休止状態にある旧能代市史の編纂事業を再開するとの斉藤市長の意向であるが、何ゆえ市史編纂事業が休止になったかの問題点を明らかにすることがまず必要である。市長当選の原動力となった人たちに何らかの答えを出したい意向であろうが、それなりの理由を住民に示すべきである。委員から安堵の声が聞かれたようだが、この事業にすでに総額数億円もの税金が投入されていることを考えると、住民が納得できる事業でなければならない。委員が安堵するための事業であってよいはずはない。
 歴史至上主義の人たちが満足する事業ではなく、一般の住民が求めている市史編纂に組み替えるべきである。その検証がなされないままに再開を打ち出すのは時期尚早である。
2006年8月21日 月曜日
それって、ちょっと違うんじゃないかなあ
 花巻温泉で「原敬の魅力と天下取りの秘話」という講義を聞いた。大正10年、昭和天皇が皇太子時代に19歳でヨーロッパ視察に出かけた。「かごの鳥」皇太子がヨーロッパの文化に触れて多くを学び帰国した。その企画をしたのが原敬である。帰国の歓迎セレモニーを写した映像に原敬が出ており、最近発見されたとのこと。
 日本では首相を出した県を上からいうと、山口県が7人で最高である。次が岩手県の4人である。東北、北海道では岩手県がダントツのである。岩手県の政治風土が、既成の価値観に縛らず、自由闊達であることからも、だから秋田県とは違うと思わずにいられない。
 さて、講義の最後のほうで、原敬がこのように活躍できた一因は、妻の献身のおかげであるとのこと。おもわず、ガクッときた。それって、ちょっと違うんじゃないかなあ。
2006年8月20日 日曜日
能代市戦没者追悼式に参列して
 先の大戦から61年の歳月が過ぎた。戦後生まれの人口が8割となって、戦争を知らない世代にどの様に歴史を伝えるか、どの国も苦悩している。能代市戦没者追悼式に参列して、風化していない戦争の痛みを強く感じた。父を恋い、息子を待つ高齢者の切なさが会場に満ちていた。
 にもかかわらず、戦争の出来る普通の国になるために、憲法9条を改悪して、自衛隊を世紀に軍隊にしようとのうごめきがある。平和は、「平和、平和」と叫んでいるだけで与えられるものではない。軍隊保持を可能にする憲法の改悪に「ノー」とはっきり主張する市民の声を高めなけらばならないが・・・・
2006年8月19日 土曜日
民主党東北地方自治体議員フォーラムに無所属議員として参加して
 民主党東北議員フォーラムが岩手県の花巻市で開催された。議員でも、サポーターでもなく、特段シンパシーもあるわけではない。個人的に京野公子さんの縁での参加である。市議というのは、自ら研修する環境を作り出さないとテリトリーの殻を破ることが難しい。そんなわけで今回、お誘いにのって、学習のチャンスを得たことが貴重な体験となった。各政策の勉強をしたからといって、直ちに能代市に応用できるわけではないが、自分の知識の引き出しが増えたのではないか。
 会場の花巻温泉は始めての訪問である。朝6時におきての温泉めぐりで、少々湯当たり気味となったが、疲れた脳細胞を癒してくれた。今度は、もう少しゆったりと花巻を訪問したいものである。
2006年8月18日 金曜日
暴力で政治家の発言を封じようとするのは卑怯である
 小泉首相の靖国神社参拝に対して批判的な発言を続けた自民党元幹事長の加藤紘一代議士の実家が、右翼の幹部によって放火された。加藤氏の発言封じのためである。靖国参拝の問題に対して、加藤氏と対峙する意見を持っているのならば、自らの意見を堂々と発表したらいいではないか。このような暴力行為は卑怯である。
 発言封じといえば、旧議会議員であったとき、渡辺元議長がここのHPの内容が気に入らないとして、議長命令でわたしに圧力をかけたことがる。おまけに、やはりここのHPの内容が気に入らないことが誘引となって、旧能代市議会では私への懲罰動議が可決した。原田悦子 安岡明雄 今野清孝 伊藤洋文 後藤健 竹内宏  薩摩博 武田正広 柳谷渉そしてプラス6人の15氏は、可決賛成した。彼らは、加藤氏を攻撃した右翼と共通したものある。自由な表現を封じる恥ずべき行動である。表現の自由を守るために、私は繰り返し、このことを訴えたい。
 「不断の努力」という言葉が憲法にある。自由な表現を守るためには、座して呪文を唱えるのではなく、常に意識し行動し発言しなければならない。
2006年8月17日 木曜日
新成人は新能代市に関心がない?
 地元紙恒例の新成人へのアンケートで、合併新能代市の実感が83.2%の人がないと答えている。また、57.9%の人が合併の期待を感じないと答えている。そういえば、二ツ井町の上に能代市がついただけで、特別何か変化があったわけでもないと考えることが出来るかもしれない。
 合併により何かいいことがあるのではないかとの期待感を今のところ残念ながら満足させてはいない。合併はメリットを生み出すよりも、近未来に発生するデメリットを緩和するためのものである。自治体の財政は逼迫していて、まるで地雷原を歩いているようなものであることを、一般の住民は実感してこなかっただろう。わたしもそうであった。最近ニュースになった、夕張市の再建団体への転落は、実はどこの街でもありうることである。
 とはいうものの、合併により狭い行政区の枠が払われて、地域に対する視野が広くなった一方で我が地域のコミュニティーの大切さを感じているのではないか。後戻りは出来ないのならば、建設的に地域づくりに新成人がかかわってくれることを期待したい。大きなことでなくてもいい、歩きながら空き缶を拾い続けることだって、地域づくりのひとつである。
2006年8月16日 水曜日
小泉首相の最後っ屁 8月15日の靖国参拝
 少し下品なタイトルでごめんなさい。小泉首相の靖国参拝に対しては、基本的に配慮が足りないと考えてる。最近の流行語に「心の問題」がよく使われる。首相の心の問題ならば、国益を害する外交問題にするべきではない。とはいえ、8月15日の参拝したことの波紋の大きさとして、靖国神社という存在を多くの国民が関心を持ち、自分なりの考えを深めたことがあげられる。中国、韓国の反発も沸点に達した。これもまた、怪我の功名的で、互いの国の歴史教育や歴史認識について、議論の場にさらけ出すことが出来た。問題点を余すことなく、テーブルの上に乗せたようなものである。
 靖国神社の問題はA級戦犯の合祀が云々ということにとどまらない。日本の近代歴史観が問われている。
2006年8月15日 火曜日
終戦記念日 癒えない戦争の傷と戦争を知らない世代
 今日の新聞に、太平洋戦争の陸海軍の死者はおよそ240万人とあった。戦死の軍人とはいうものの、およそ7割の160万人が戦闘で亡くなったなったのではなく「餓死」であったという。そして、国内では原爆、東京大空襲、沖縄戦などで非戦闘員の80万人が亡くなった。そのほか職域に殉じた者、社会的機能の低下で亡くなった国内の子どもや高齢者などをくわえると限りなく大きな数字となる。アジアの犠牲者も加えると天文学的数字になる。今日で61年の歳月が過ぎ、戦争を知らない世代が8割となった。これほどの悲劇を次代に伝えるには、大人たちがもっと向き合わなければいけないだろう。
 今日の終戦記念日を、体調の回復のために、自宅で静かに過ごした。例年の憲法の会も欠席した。ニュースで小泉首相の靖国神社参拝の報道に接し苦々しい思いである。頂き物の福島の桃を3個も食べながら、ブツブツのわたしである。靖国問題によって、戦争後遺症のカサブタがはがされ、論議が沸騰している。悪くないと思っている。
2006年8月14日 月曜日
病み上がりの同窓会
 今日は中学校の同期会であった。この年になると、長いことあっていない同期生と会っても、すぐには気づかない。でも、話しているうちに、過ぎ去った時間が後戻りするように、子ども時代の表情になる。きっとそれぞれ、人生さまざまであったのだろうが、みんな貧しかったあのころに戻った。わたしは病み上がりの同窓会で食欲はいまいち、お酒の味もいまいちであったが、同窓生の笑顔が豪華なご馳走となった。企画してくれた人たちに感謝である。
 Aさんと話をしていて、忘れかけていた小学校時代の私のお気に入りの鉛筆削りと筆箱の話題となった。くるくる回す小型の鉛筆削りがまだ一般に出回っておらず、ましてや電動削り器なんぞ見たこともなかった。小学校2年で都会に初めて旅したとき、すぐれものの鉛筆削り(くるくる回すのではない)を買ってもらった。まわりの児童が珍しそうに眺めていたような気がする。同時にそのとき買った筆箱は当時では珍しいパチンと開け閉めするものであった。絵が好きで、鉛筆に興味のあったAさんは、それらがうらやましくてうらやましくて、ずっと心に残り、私のイメージがその文房具のイメージとして固定したようである。そうだ、お気に入りの鉛筆削りはいったいどこにやったのだろうか。
 2次会で、皆さん盛り上がっているだろう。「きみは、中学時代の僕のマドンナであった」な〜んて台詞に惑わされないようにと、チャチャを入れながら帰宅の途についた。やっぱり、今夜も体調を考えて早寝しよう。
2006年8月13日 日曜日
病み上がり
 体調がだいぶ回復したが、いつものとおりとはなっていない。そういえば、数日前からからだが重く、すぐ疲れる感じがしていた。早めに体を休ませ、無理をしないのが一番であるが、おろかなものでダウンしてはじめて健康の大切さに気づく。
 我が家の客人は白神山に出かけ、私は一人横になって安静になる。しばらくして、だいぶ体が楽になってきた。午後になって、やっと、空腹感が出てきた。グッドタイミング、料理の達人あらわる。かって知ったる我が家。料理をしながら、一通りの愚痴のオンパレードである。愚痴はいつだって自分が正義だ。フムフムと相槌をうっている内に、すっかり悲劇の主人公である料理の達人に同情している私である。眠って、しゃべって、食べて、の次は温泉しかない。色気のない二人が、目指せ温泉とばかりにでかけた。と、と、ところが、サウナに15分入っていたら、血圧が下がって、再びめまいがしてきた。ほうほうのていで帰宅。何なんだろう、今日の1日は。今年初めてのわけのわからない終日となった。今日も、早めに、おやすみなさい。
2006年8月12日 土曜日
鬼のかく乱
 健康、元気がとりえのわたしも、とうとう鬼のかく乱である。頭痛に腹痛、嘔吐、おまけに激しい下痢となった。するべき事がたくさんあると思うと、焦って微熱まで出くる。そういえば昨日、寿司を2人前平らげた上に、消化の悪い「きみ」を3本も食べた。そして、暑さの折、水分を必要以上にとった。あ〜あ、暑いときは、ガッツくのをやめましょう。
 体調が悪いときは、まずは睡眠というのが私の回復方法である。医者嫌い、病院嫌いが、どうもなおれない。ということで、これからひたすら眠ることにします。おやすみなさい。
2006年8月11日 金曜日
議員報酬引き下げ答申を厳粛に受け止める
 能代市特別職報酬等審議会は助役と議員の報酬額を諮問どおりに引き下げることを妥当とする答申を提出する。市長と正副議長は現行のまま据え置き、助役は1.5%減、議員は0.5%減である。審議会に諮問というのは、市長が審議会にたいして、助役と議員の引き下げ、ほかの特別職は現行据え置きの内容と数値をしめし、審議してもらうことである。審議会が自ら引き下げ率等を示したのではなく、市長の提案内容を妥当としたのである。
 審議において、議員に厳しい意見が出た。その厳しい意見を大いにわが身の血肉にしたい。また一般住民は、自ら選んだ議員を、「議員」という一般名詞ではなく、○○議員という固有名詞で、厳しく評価してほしい。税金で高い報酬を支払っているんだという意識を持って、議会での発言に注目してほしい。議員にとって一番怖い存在は、住民である。議員が住民のためにしっかり働くには、住民の視線・意見が何よりの原動力となる。
2006年8月10日 木曜日
2007年 来年団塊の世代が60歳定年退職になる
 戦後のベビーブーマーの世代 つまり団塊の世代が60歳となり、定年退職となる。ふ〜ん、60歳といえば、超高齢化のこの地域にあって、まだまだ働き盛り、青春の残像、心身絶好調の年代である。60歳となったのを機会に、第2の人生を歩むことが出来る。
 それには、退職してからでは遅すぎる。あと1年あるので、人生のギアチェンジの予行演習をしておいたらどうだろうか。仕事場で責任のある仕事をしているのでそんな余裕はないと自分に弁解せずに、趣味を優先した仕事、あるいは趣味を仕事にする、フルタイム仕事から離れて好きな時間に働き地域との結びつきを強める、資格をとって福祉の仕事に参入する、などなど。この世代が定年後どのようなライフスタイルを選択するかで、日本の経済、社会が大きく影響を受ける。一つだけ、自分のロマンや人生の転換にサンチョパンサのように妻があとをついてきて、お世話を焼くことを予定に入れてはいけない。
2006年8月9日 水曜日
な、な、なんという暑さ
 この暑さに、クーラーのないところで、大勢でだまっこもちを、あっ、ちっちっといいながら食べた。おいしい!今夜は、国際教養大学の9人の学生が、民家再生のための作業の最後の日となった。八峰町の手這坂でお別れ会があった。毛穴から汗を噴出しながら、おいしそうにだまっこもちを食べている学生たちを見ていると、こちらもおいしさ倍増となる。自炊しながら、朝8時半から夕方5時まで茅葺作業に汗を流した彼らは、みな来てよかったと感想を話した。いまどきの若者たち、やるもんだね。
2006年8月8日 火曜日
長野県知事選 田中康夫氏が敗れて残念!
 功罪ともに大きい田中康夫氏であるが、わたしは勝てるはずだと信じていた。残念!村井氏に敗れてしまった。村井氏が自らの力で勝ったというより、田中氏の批判票を取り込んだ。それにしても、この6年間知事として、これでもかというほどの型破りの政策と言動でマスコミの寵児となった。高齢化著しい、もともと保守的な長野県民は、劇場型政治のなかにあって、ヤッシーに疲れたのかもしれない。
 一昨年、鷹巣町での合併反対の講演を聞いた。大変わかりやすい語り口と大衆におもねることのない主張で心に響いてきた。わたしは合併賛成であったが、田中氏の合併反対の論もまた一理ありと聞いた。
 激動の改革の嵐に6年間もさらされると県民も、安定を求める。確実に成果を挙げ、かつ全国に長野県を売り出しつづけたが、長野革命はこれで終わった。
2006年8月7日 月曜日
日本が戦争に巻き込まれる危険性を日本人の45%が考えている
 12年前は19.2%であったものが、今年の調査で45%にもなっている。戦争が起きたら国のための戦うかという質問に、アメリカ人の63.3%が戦うとこたえている。日本人の場合は15.6%が戦うと答えている。また自衛隊を非常に信頼するとこたえたひとは8.5%にすぎない。よくわからないと答えた人が4割である。
 これを評して平和ボケなのだろうか。いざとなったら戦わない日本人像をどう見るか、評価のわかれるところである。戦争の危険性を感じるが、戦うのはいやだ。軍隊(自衛隊)は信頼できない。わたしたちを守ってくれない。これは平和に関してアンビバレントな現在の日本人像である。
 そして、戦争が起きたら戦わないと答えた日本人は46.7%である。日本は憲法9条で不戦を国是としている。戦わない、戦いたくない、戦いをやめさせる、これが、60年の不戦国を支えてきた先の戦争への深い反省である。憲法9条の精神をもう一度確かめたいものである。 
2006年8月6日 日曜日
能代役七夕を見学して
 今夜は役七夕を見学に行った。ジャスコの大通りと柳町通りで、4基の七夕灯篭が勇壮に練り歩いた。しかし、この種のお祭りとしてはあまりにも観光客が少ない。七夕関係者と通りの商店の関係者を除くとショボショボの見学客でなかろうか。
 見学している人たちの会話に耳を傾けると。観光客を楽しませるという意識がないという。祭りをやっている自分たちがまず楽しみたいのではないか。相談役や総務や後見が、車にソファーを載せてその上にでんと座っているのが奇異に見えるようだ。伝統なので変えられないというだろう。でも、長く続く伝統文化は、古くて新しいという共通項がある。また、この祭りが子ども七夕となっている。小学生と中学生が七夕の構成員の過半数である。そのこと事態は悪くはないが、稚拙な部分が目立つ。せめてリードする大人がある程度必要なのではないか。
 「七夕屁理屈」という言葉が能代にある。改革しなければ滅ぶかもしれないが、改革することが出来ないDNAが七夕には組み込まれているからである。変えたくても変えられないものがある。それが能代の七夕である。
2006年8月5日 土曜日
マツクイムシの被害が青森県境まで迫って
 とうとうマツクイムシ被害が青森県境まで迫ってきた。もしかして、ここ数年で本州の最北端まで縦断する可能性がある。八峰町の海岸側の101号線を走っていると、塩害でかれたと思われる松の木を見ることがある。それとはべつに、マツクイムシは着実の松の木を蝕みながら北上している。
 早期発見早期治療はわかるが、マツクイムシにならない環境や予備対策がむずかしい。山の手入れをする人がいなくなってしまった。
2006年8月4日 金曜日
産直で買ったトマトが腐っていた
 二ツ井の産直で買ったトマト150円なりが腐っていた。そのままごみに捨てた。ややしばらくして、はたと思いあたった。商品管理に問題があったことを産直に伝えたほうが、親切ではないかと。能代と二ツ井じゃ、とても取替えことが出来る距離ではない。また150円という低額なので捨てて、あと二度とそこの産直を利用しなければいいか。と単純に考えた。う〜ん、それじゃあ建設的ではない。一応、その旨を話して、どのような対処をするのか、チャンスを与えたほうが、互いに勉強になる。
 8日二ツ井庁舎で能代市議会全員協議会がひらかれるので、朝、かわりのトマトを持ってきてもらうことにした。たかがトマト、されどトマト。能代市の産直の野菜は新鮮でおいしいと、圏外からのお客さんにも喜ばれたい。それには、プラス・マイナスの情報をお客さんが伝えることが、運営に役立つだろう。
 それにしても、カビが生えてビチョビチョのトマトであった。その程度も気づかずに、買うわたしも主婦失格いや主婦予備軍失格である。
2006年8月3日 木曜日
旧能代市の市史編纂続行には発想の転換が必要
 旧能代市の市史編纂事業は、平成2年から平成12年まで10年間で11巻発行する予定であった。ところが、遅々として発刊が進まず、事業見直しで平成22年まで20年間で20巻の発行予定となった。しかし、事業期間を2倍に延ばしたにもかかわらず、今までに、6巻を刊行したのみである。進捗率30%である。延長してここの有様である。20年の期間のうち残すところあと4年である。残された期間は20%で、刊行の70%をこなさなければならない計算となる。
 永遠の時間と、ジャブジャブと使える資金と、マニアックな歴史原理主義を受け入れる太っ腹な行政と、本来の目的を逸脱しても、市長も市の幹部も市民も読まない市史であってもかまわない、という環境を、合併なった新能代市が市史編纂委員に与えることは疑問である。またできないだろう。
 いままでに発刊した6巻も、在庫が4割もある。それじゃあ6割は売れたのかというと、そうではなく、ほとんどは関係機関に無料配布したり、市職員に半強制的に購入させたものである。
 歴史原理主義者が自分たちの発行したいものを発行するのであれば、この際、民間団体となり、能代市からいくばくかの補助金もらって、生涯掛けて市史編纂をしたらどうか。歴史編纂は大事であると、わたしも強く思っている。だからこそ、自分たちで資金調達して、思う存分編纂に打ち込む環境を自らつくりだしたらいいだろう。
 給料を市からもらって、市の施設で、税金を使って、続けたいのであれば、市民が読んでみたいと思う親しみと発見のある市史を、簡潔に、最少の費用で編纂するしかない。20巻のうち6巻しか発刊していない。もう、こんな市史はいらない。今までのような発刊物をこれから14巻も税金で出すことはできない。
 編纂委員の頭のきりかえ、発想の転換が必要である。
2006年8月2日 水曜日
指定管理者制度導入における旧能代市議会の責任
1、保坂会館 結果は可決 可決  全会一致
2、東デイサービス 結果は否決 可決は  畠山 柳谷 中田 畠 信太 小林 菊池 飯坂 梅田 安岡
否決は  薩摩 原田 伊藤 後藤 斉藤 熊谷 谷田部 竹内 武田 塚本 平野 松谷 今野 渡辺
3、緑町デイ&グループホーム 結果は否決 可決は  畠山 柳谷 中田 畠 信太 小林 飯坂 梅田
否決は  薩摩 原田 伊藤 後藤 斉藤 熊谷 谷田部 竹内 武田 塚本 平野 松谷 今野 渡辺 安岡 菊地
4、ふれあいデイ 結果は否決 可決は  畠山 柳谷 中田 畠 信太 小林 菊池 飯坂 梅田
否決は  薩摩 原田 伊藤 後藤 斉藤 熊谷 谷田部 竹内 武田 塚本 平野 松谷 今野 渡辺 安岡 
5、白涛亭 結果は否決 可決は  畠山 柳谷 中田 畠 信太 小林 菊池 飯坂 梅田 安岡
否決は  薩摩 原田 伊藤 後藤 斉藤 熊谷 谷田部 竹内 武田 塚本 平野 松谷 今野 渡辺 
 旧能代市議会において、最終議会の3月7日の議決は左記の表の結果である。
 指定管理者制度導入そのものに対して、議会では全議員が承認していた。旧市の左記の結果において、個々の議員が賛成したにしろ、反対したにしろ、能代市議会としての意志が決定されたならば、それに従うしかない。つまり、自分は賛成しても、多数は反対となったならば、議会として反対が議決となる。賛成した議員も、議会として反対したことの責任を負う、ということである。
 とはいうものの、どの議員がどのような立場をとったか、市民に伝えることは、議会人としての報告義務である。
 臨時議会で指定管理者制度の導入を5施設で見合わせたことに関する一連の混乱の責任の一端は議会側にも存在する。議会として5施設の指定管理者の先の否決において、そもそもこの混乱は組織的に問題を抱える社福協に一義的に責任があったことを議会は明らかにすることが出来なかった。社福協が公募で、必要事項すら記入せずに臨んでいた。当たり前の書類すら作成することが出来なかった。プレゼンテーションにおいても、よもや自分のところが外れるはずもないと高をくくった対応であった。市がおんぶに抱っこしてくれるはずだから、公募・選考は形式に過ぎず、どんなことがあっても社福協が指定管理者になれるとふんでいた。このような考えや対応は、長年の市の天下り人事で、事務方の責任者に経営のわからないお役人思考、親方日の丸発想を送り込んできたことも一因である。この有様の社福協に市の施設を任せていいのだろうか。にもかかわらず、議会は、公募に真剣勝負で臨んで、候補者となった民間業者を否定した。議会は、この案件を政局に持ち込んで、さらに混乱に拍車を掛けた責任がある。
2006年8月1日 火曜日
次年度以降の5施設の指定管理者制度導入における不公平感
 指定管理者制度の導入は、民間事業者と社会福祉協議会が同じ線に立って競争することが原則である。指定管理者として、公募・選考で選ばれなかった社福協が、雇用の継続が公募の原則であったにもかかわらず、管理職がスタッフの解雇を勝手に宣告し、そのことに対してスタッフが雇用不安を訴えたことが、この問題の始まりである。社福協幹部の長年の放漫な運営体質が澱のように蓄積し、沸点に達し噴出し、顕著化した。社福協の内部問題が、結果として、公募・選考も含め指定管理者制度を吹っ飛ばした。
 1.老人憩いの家白濤亭 2.東デイサービスセンター 3.ふれあいデイサービスセンター 4&5.(2施設一括)緑町デイサービスセンター&緑町グループホーム の5施設は、19年度に公募し、20年度から指定管理者制度が導入されるだろう。それまでは、市の直営で、社福協に運営委託することになる。しかし、次回の公募において、民間事業者と社福協がともに同じラインに立って競争できる公正な環境にはない。社福協には、市の職員が派遣されている。おんぶにだっこ、情報の優先性、市の直接的指導など、なるべく社福協に指定管理者になってもらいたいとのベクトルが働くように思える。出だしから、民間業者不利の出来レースに見える。競争原理が働かないということは、無駄な税金が投入され続けるということである。
 公募した民間業者が候補者に選ばれなかったからといって、その事業者のもとに市の職員は派遣されて、選考されるために手取り足取り指導することがありえるだろうか。想像外である。
確かに社福協は、民間事業者とは異なった公益的部門をになっている。それとても70人余の職員等の中で、2名が担当しているに過ぎない。仕事のほとんどが、民間が展開している介護保険サービス部門である。
 この際、雇用の安定をしっかりと担保し、社福協から介護保険サービスを切り離し、公益的部門に特化することも一案である。自浄作用すら働かず、能代市に責任を転嫁し、かつ救済を求める社福協の幹部の体質は、腐敗そのものである。
2006年7月31日 月曜日
指定管理者制度の見送りにやむなしの思いもあるが・・・
 公営の施設に、民間のノウハウをいかし、サービスの質を保ちつつ、効率的な運営をするというのが指定管理者制度である。それに欠かせないのが、民間業者の参入意欲である。しかし、旧市では、指定管理者を公募し、厳正な選考をし、候補者を選んだ。にもかかわらず、雇用不安を自ら煽った能代市社会福祉協議会の組織的問題を原因として、すべてが白紙となった。このような事態に、公募に応じた民間業者は、能代市への不信を大きくした。
 民間業者の中には、次回の公募は見合わせたいと考えているところもある。民間が二の足を踏んで、応募が減少したら、競争原理がそがれて困るのは住民である。応募減少で、独占または寡占となって、有利になるのは社会福祉協議会である。有利?むしろ不利かもしれない。社福協が、ますます能代市への依存を強め、自立できず、内部の膿を出せない恐れがある。果たして、1年後に民間業者と競争できるかはなはだ疑問がある。それでも、社福協に公営施設を委託するとしたら、税金の無駄使いではないか。
2006年7月30日 日曜日
介護保険サービスのグループホームの理想と現実
 10数年前、市街地から遠くに設置された老人ホームではなく、街の中にグループホームを作ることによって、高齢者が社会とのかかわりを持って人生をまっとうできる、との講演を聞いて、ある種の理想を見た思いであった。隔絶された空間ではなく、コミュニティとかかわりを持つことは、グループホームの特性である。
 ところが、現実の民間運営のグループホームは、地域コミュニティのネットワークの外にあるように見える。もっと、ボランティアや地域の人々が積極的にアクセスしてくれるといいが、なかなか結びつきが多重にならない。隣のお宅を「ごめんください」と訪ねるように、グループホームに顔を出せる環境が出来上がってほしい。
 わたしも、ボランティアをするようになって、グループホームにお住まいの高齢者の本音がわかるようになった。地域に開放された、普通の生活を望んでいる。
2006年7月29日 土曜日
出生率
 特殊出生率が1.25という数は、このままでは、500年後には日本人が存在しないだろうと予測できるほど、由々しき数値である。一方で地球規模で世界の人口を見ると、この半世紀で30億人から60億人と、倍の増加である。人口爆発が進行している中で、先進国では少子化がすすんでいる。日本人という人種を絶対に残さなければいけない理由は何なんだろうか。
 ただ、今生活している社会において、出生率の低下は経済活動等の社会的エネルギーの低下をもたらすだろう。出生率を上げるための特効薬はない。社会構造を変革させる時代になっている、というレッドサインである。
2006年7月28日 金曜日
民主党 小沢代表との意見交換会に参加して
 民主党の小沢代表が来年夏の参議院選挙の1人区を全国行脚している。昨日は秋田市を訪れた。秋田県はまだ民主党候補者が決まっていない。京野公子幹事長は次期の衆議院議員選挙の秋田3区に民主党公認候補に内定している。民主党は来年の参議院に出馬を打診しているようだが、京野幹事長にその意思がない。
 わたしは民主党の党員でも、サポーターでもない。党派とは距離をおいていたい。しかし、京野公子さんに尊敬交じりのシンパシーを感じているわたしは、彼女からのお誘いに、久しぶりに元気なお姿拝見とばかり秋田市に出かけた。
 能代市議では、伊藤洋文議員が参加していた。自民党をサポートしていたようだが、今度は民主党をサポートするようで、多面外交を展開していた。
2006年7月27日 木曜日
社会福祉協議会の組織問題に振り回された指定管理者制度は、まだまだ迷走
 地方自治法改正により、今年の9月2日からは、いままでの管理委託制度は廃止され、市の施設は直営または指定管理者制度をとらなければならない。あと1ヶ月あまりである。いままで能代市社会福祉協議会に委託していた施設も、原則、公募による競争で選考されることになっていたが、社会福祉協議会の組織的内部問題により、ご破算となっていた。そこで、緊急措置として、当面は直営として、今までどおりに業務の委託をすることにした。
 いつになったら自分の足で歩ける社会福祉協議会となるのだろうか。いまは介護保険サービスがメインとなっている社福協であるが、民間業者と競争できる体質にはない。民間の介護施設を何ヶ所か訪問してるが、生き残りのために、職員全員が現場で効率的にサービスに当たっている。
 モラトリアム期間をへて、指定管理者制度を導入することになるだろう。このままでは、社会福祉協議会は介護保険サービス等において、民間と競争できず敗退してしまうだろう。
2006年7月26日 水曜日
女性企業家大賞 「花まり」、そして「とんち」 おめでとう!
 秋田県商工会議所女性会連合会の女性企業家大賞に生花販売店「花まり」が選ればれた。そして、創作アイディア賞に「手づくり惣菜シゲちゃんの店とんち」が選考された。あとにつづく女性たちのはげみになるので、ほんとうにうれしい。おめでとう!
 「とんち」が中心商店街の空き店舗対策のチャレンジショップとして開店したときから、なつかしのスローフードの味が気に入って時々昼食を食べに行く。いつもはつらつとしているシゲちゃんを見ているだけで、惣菜のいきの良さが伝わってくる。多少値段が高くても地場さんの食材を使っているのがうれしい。
 不況だから、商売がうまくいかないと、とかく原因を社会情勢に求めるがちになる。それではいけないと、自分を戒めているが・・・ 彼女たちを見ていると、トライ・チャレンジ・勇気・決断など、未来志向のパワーを感じる。チャンスの前髪をつかむ勇気を示してくれて、ありがとう。
2006年7月25日 火曜日
「助役さんはどんな人?」とよく聞かれるが・・・
 助役の仕事ぶりや人柄をよく尋ねられるが、「北羽新報のインタビュー記事を読んでください」と答えるしかない。5月臨時会でも、6月定例会でも、挨拶程度の発言があったのみである。議会では、立て板に水のお話し上手で、話好きの市長の影で、これといった動きを拝見することはなかった。
 マグロは常に泳いでいなければ酸素不足で衰弱するそうだ。市長もとても話し上手で、話していなければ酸欠になるのではないかと思えるほどである。助役が表舞台に出て、積極的に説明をし、答弁するチャンスは多いとは思えないが、なんら評価する材料は今のところない。
 「(常勤)監査委員はどうですか?」とも聞かれる。やはり、積極的に反対する理由もなかったし、対案人事もなかったので賛成した。しかし、なにか胸の奥にどんよりと雨雲が垂れ込めたような、すっきりしないものがあるが、やはり評価する材料が今はない。
2006年7月24日 月曜日
玉川温泉で岩盤浴をしているつもりが、河原で昼寝をしていただけとは
 玉川温泉へ岩盤浴のために出かけた。初めての玉川温泉であるので、皆さんと同じようにムシロを敷いて岩盤浴をしているつもりであった。ところが、初体験の素人のわたしにも、どうも岩盤からの温かさを感じない。じりじりと日が照り付けるので、一応汗は出てくる。玉川温泉通いのベテランのアドバイスで日よけのために傘を持っていった。ところが、その傘が、百円ショップで買った透明の傘である。直射日光が情け容赦なく降り注ぎ、何のために傘を持ってきたのか。
 河原で寝ているだけのように思えて、岩盤浴に納得のできないわたしは、人が込み合う岩の上に探検に出かけた。発見!なるほど、ここが岩盤浴なんだ。岩がそこはかとなく温かい。横になってみると、なんと気持ちのいいこと。とうとうみつけた!
 珍道中の玉川温泉膝栗毛である。つぎはきっと、効果的岩盤浴ができるかもね。
2006年7月23日 日曜日
ちょっと見た面白い話 毎日開店のわけ
 「串けん」の店内に次のような知らせの張り紙があった。

 上小阿仁村のヨネさん(80才)「どしてら 元気だが」と電話があった。「わだし ひとり者だがら さみしくて 今度青森さ泊まりがげで ねぶた祭り見に行ぐべ。何んも、しんぱいさねても、じぇんこだば わだし 払うがら、どんだ?」ときたもんだ。「んか!!」というと、「へば、わだしの家さ泊まりに来ねが。じぇんこだばいらね。んで、いず休またが?」行きたぐねために、7月休みません。

 このお店のメニューも、とうぜんユニークで、どんなものが出てくるかわからない。お店のご主人が配達に行く際、「パチンコさ、行ってくる」というと、お客さんがすかさず「勝ってくんな」と、かけあう。久々のイキのいいお店である。
2006年7月22日 土曜日
歴史民族資料館は早期”建設”ではなく、早期”設立”を目指すべきである
 歴史民族資料館を能代火力発電のいわゆる火力協力金7億円で、早期建設すべしという陳情が、能代の歴史に関心のある歴史原理主義的な人たちから出された。歴史民族資料館が必要であるということは、十分理解できる。しかし、財政破綻寸前の新能代市が、虎の子の火力協力金7億円を使って、ハコモノとして建設することには反対である。既存の施設の有効活用として歴史民族資料館の設立を、旧能代市では検討していた。能代の歴史を大切にすることが、ハコモノ建設と考えるのは知恵がなさ過ぎる。旧8市町村に対して東北電力から寄付されたものであり、ひとり能代市の自由になるものではない。
 ハコモノとしての資料館よりもいっそう大事なのは、歴史的文化遺産を次代残すことである。
2006年7月21日 金曜日
非自民系で、非・非自民系ということ
 非自民系と見られている。それは、あたらずとも遠からずである。しかし、非・非自民系でもある。それならば、自民系で、かつ非自民系でもあるのかといわれると、イエスでありノーである。話が「くまがって」きた。ようするに、砂糖の入っていない無糖である。いやいや、無党派である。
 地方議会に中央の党派をそのまま持ち込むことに疑問がる。しかし、現実では地方議員もあらゆる選挙とかかわっている。無色透明でいられるわけではない。そうであっても、利権や利益誘導と無縁で、自分の立てる場所をぶれないで保ちたいものである。
2006年7月20日 木曜日
古紙回収、150kgで600円なりに意義あり
 子ども基金にするために、会では機会を見て寄付をお願いしている。古紙回収もひとつの手段であるとの会員のアイディアで、今日は第1回目の古紙回収、そして業者に持ち込んだ。紙類は何でも1kg4円なので、150kgで600円となった。考えようによっては、持ち込みのためのガソリン代にもならないとも思える。しかし、リサイクルの大切さや、ボランティア行動によって連帯感が生まれることを考えると、なんと貴重な600円だろう。
 たとえばカレールーの空き箱は雑誌類に分類する、新聞と広告紙は一緒でいいなど、その業者のルールがわかってくる。重量計に、ストックスペースに運ぶ前と後で車ごと乗り、その差が古紙の重量となる。作業は、持ち込んだ住民が自分でする。
 普段の生活で、紙類をリサイクルするように意識しているつもりであったが、しっかりとリサイクルしている会員もいて、まだまだリサイクル化されていない自分に気がついた。アクションすることによって見えてくるものがある。600円は学びの金額でもある。長考するのもいいが、まずは行動することですね。
2006年7月19日 水曜日
海洋深層水はカラダに良いらしい、たぶん・・・
 ミネラルウオーターで、ハワイ島の「超海洋深層水」を飲んでいる。2千年の悠久の時を経て、5万キロの旅をしたハワイ島沖の海洋深層水である。ということのなので、大事にありがたく飲んでいる。この水を使って、知人が来たときコーヒーを入れている。海洋深層水の講釈をたれても、大概は「わからない」と答える。ミネラルウォーターのまま飲ませると「ちょっと、おいしい気がするが・・」との答えである。
 違いのわかる大人になりたい私は、海洋深層水は体にいいような気がする。たぶん、体にいいはずである。自信はないけど。こだわりのコーヒーで飲むとまろやかである。それにしても、日常の生活が心身にストレスをかけていることばかりなので、せめても何かにこだわりたいだけかも。
 医食同源、まずは食事をきちんととるように、といわれ続けている。水の前に、まず、これが健康の基本のキですね。
2006年7月18日 火曜日
G8サミットが開催されたサンクトペテルスブルグの思い出
 ロシアではじめて開かれたG8サミットの会場はサンクトペテルスブルグであった。ラグーン(潟)の上に造られた都市である。ピョートル大帝によって18世紀に、計画的に建設された街なので、大帝のあくなき野望が整然とした景観に読み取ることができる。北極圏にとても近い場所にあり、長く厳しい冬こそが、ペテルスブルグらしいだろうと、厳寒期に訪問した。全身にキーンとくる寒さで、寒さに強いはずの秋田人の私でさえ、思い出の半分は寒さである。ペテルスブルグの青銅の騎士は、プーシキンの詩で有名であるが、ほんの少し眺めていただけで、全身氷の彫刻になりそうで退散した。しかし、これほど調和のとれた美しい街は、世界に多くない。
 さてこの会議で、北朝鮮のミサイル発射問題が取り上げられ、日本の今ここにある危機が主要国に伝わった。断末魔の北朝鮮は、いったいどこに行こうとしているのだろう。自国民の生命を人質に、世界の孤児として、どこまでもつのか。
2006年7月17日 月曜日
ホタルフェスティバル ヘイケボタルが乱舞して
 雨の中傘を差しながら、水沢川でヘイケボタルの光の乱舞を見た。懐中電灯をカチカチと点滅してホタルを誘い出したら、だんだん数が増え、川面にホタルの光が映し出され、幻想的な世界である。昨年も手這坂で水沢川のヘイケボタルをみた。1時間ほどのショータイムである。場所によってはゲンジボタルも見ることができるだろうが、いまだ、ゲンジボタルを見たことが無い。残念。
 19年も続いてきた行事である。子供のころは、自宅の周りで夏になると、ホタルがいるのが当たり前の生活であった。ホタルを見ることが、いまや特別なことになった。 
2006年7月16日 日曜日
癌とどのように向き合ったらいいのか
 午後から、有志が鈴木ゆみ先生と懇談会を開いたので、私も参加させていただき、内なる癌とどのように向き合ったのかをお聞きした。最新の医学で癌と徹底的に戦う人もいれば、癌と戦うのではなく自分の中に取り込み、自然界の力を頼りに癌と折り合いをつける人もいる。ゆみ先生は後者である。数年前、ゆみ先生が手術や抗癌剤治療によらずに、とても意志の力が必要とする食事による体質改善、風の松原の散歩、玉川温泉での岩盤浴などで、癌の進行を抑えて日常の生活をおくっているとのお話を聞いた。
 もちろん、私は癌ではない。しかし、病気の際に自らの選択による治療をうけるには、さまざまな情報が必要である。ロシア語会議通訳の米原万理さんの壮絶なる癌との戦いと死をサブテーマに話が進んだ。その人の生き方と病気は比例しているとの説に、半分納得である。
2006年7月15日 土曜日
あらかじめ予想された結末に向かいつつある藤里町男児殺害事件
 この少子化の時代に、同じ住宅地で二人の小学生が亡くなるという悲劇に見舞われた藤里町である。男児殺害の疑いで逮捕された容疑者は、あらかじめ多くの住民が予想した結末へむかうような供述をしている。新聞の報道を見る限りにおいては、最初の女児の死にも関与しているのではないかと思われる。
 二人の死に関連性があると仮定するならば、やはり、能代警察署の大いなる捜査ミスではないか。男児の死は、能代警察署が女児の死を事故と判断したことによって起きたことになる。今にして思えば、素人にさえ事故と断定するには無理がある。男児は容疑者によって殺害される前に、すでに能代警察署によって、惨劇のお膳立てをされた。
2006年7月14日 金曜日
能代警察署 そんなことでは情報を伝えにくい
 夜、仕事を終えてのんびりしている時間に電話があった。道路の真ん中に倒れている人がいるので、どうしたらいいかとのことであった。警察に連絡するように言った。私に電話をかけてくるくらいなので、かかわりを持ちたくないようであった。酒に酔って道路に寝ているだけかもしれないが、車に轢かれる可能性もある。または、事故か事件にあったのかもしれない。
 住民の生命と安全を守るのも議員の仕事と言われるとそのとおりなので、私が警察に電話をかけることにした。当事者でない間接情報なので、その旨を話して、現場にむかうように頼んだ。能代警察署では、電話をかけてきた相手を知りたという。まず大切なことは、その人がどうなっているかである。私は私の氏名や住所、電話番号などを伝えた。知ることのできない連絡先をしつこく尋ねられても答えようがない。次の日、警察署から電話があり、男性が酒に酔って道路に寝ていた。無事に家族の元に送り届けたとの報告であった。
 倒れている人の安全よりも、もしその情報が間違いで人間が存在していなかったら、それを見て電話をした人をちゃんと報告書に記載しなければ自分たちにとってまずいことになると心配している警察官に、不安を感じた。そんなことでは、誰も情報を提供しなくなりますと伝えた。自分たちに情報を伝えてくれる人を大切にすることは、より多様な情報キャッチする道を確保することである。
 とはいっても、現場に行って男性を保護してくれたことに感謝したい。そして、私にそのことを報告してくれた。 
2006年7月13日 木曜日
早ければ再来月の能代市議会9月定例会は二ツ井町で開催される予定
 合併により、現在は旧能代市議会議場を新能代市議会として使用している。そこで、あいている旧二ツ井町議会議場の有効活用と、相互の融和調和を考えて、9月定例会の議場として、使用する予定である。
 能代市の議場は半世紀を経た、威厳のある古い建物である。傍聴席が天井桟敷状態で、高くて、議員の姿が見えにくい造りとなっている。議員用の椅子は座り心地の悪いものである。椅子が深すぎて、腰に負担がかかるので、わたしはクッションで調整している。二ツ井町の議場の椅子は新しく座り心地がよさそうである。固定式なので不足の6議員分をどのように設置するか、知恵の出しどころである。多少の不便は、議員が我慢して事足りるならば、それでいい。移動議会のために、多額の費用をかけてはいけない。
 距離的に少々遠くなるが、二ツ井町で定例会が開催されることが楽しみである。大事なことは、実りある審議をすることにつきる。
2006年7月12日 水曜日
能代市議会議員の政治倫理条例の素案つくりの組織立ち上げ合意
 旧能代市の議員政治倫理条例は、住民が政治倫理審査請求するには40名以上の署名が必要とされ、住民側にはハードルが高かった。高いハードルを乗り越えて、政治倫理審査会が開催されても、いわゆるざる条例であった。全員一致してはじめて、議員の政治倫理が問えることになっていた。実際は、ざる条例というよりは、ざる条例にしようとする議員(政倫委員)が一人でもいると、市民の政治倫理審査は空振りになる。
  旧二ツ井町の議員政治倫理条例は、旧能代市のものより厳しいものである。つまり、政治倫理の基準がはっきりしていて、住民にとってわかりやすく、納得がいく条文である。低きにあわせるのではなく、高い旧二ツ井町の条例を参考に制定したいものである。
2006年7月11日 火曜日
アチッチ! むむっ蒸し暑い
 寒さにも、暑さにも弱い。29度の暑さのこの数日、身も心もぐったりである。そういえば、能代市の庁舎の大部分は、冬は冷房(そうでもないか)、夏は暖房の状態である。狭い部屋に、大量の書類と職員たちとちょっぴり暑苦しい上司がすし詰めである。これって、作業効率を考えると、冷房が必要でないかなあ。
2006年7月10日 月曜日
たいへん!パソコンがダウンした
 毎日愛用のパソコンがダウンして、うんともすんとも反応しなくなった。パソコン起動時にガラガラと音がして、それっきりである。ハードが壊れたのはいいが、中のソフトも壊れたようだ。最低でも毎週バックアップすること、最低3種類の記憶媒体に残しておくこと、と言われ続けていたにもかかわらず、春にバックアップしたのみ。ところが、操作ミスでひらいてみたら、それすらカラカラであった。急遽、選挙用に準備したパソコンで対応することにした。
 撮りためた大事な写真は、一部CDにとっておいたものだけになってしまった。メールアドレスのほとんどは、消え去ってしまった。痛手を受けなきゃわからない、わが危機管理意識である。
2006年7月9日 日曜日
そのうち目的地に着くよ
 昨日弘前市で知人のコンサートがあったので、素敵な女性と二人で出かけた。お互いに弘前市には何度も行っているので、道順を相手が知っているものと思い込み、出発した。彼女は誰かの車でのみ出かけているので、道順を知らなかった。運転手の私は、運転が苦手なうえに、ナビをしてくれる人がいないと、右も左もわからない方向音痴である。
 案の定、大館市に入って自動車道に入ったとたんに、弘前がどっちの方向かわからなくなった。彼女がにっこりと「北に向かったら、そのうちに弘前市に着くでしょう」と言ってくれた。大館市を「マテ」に回って、どの道を通っているかわからないまま、弘前方向とおぼしき道を走った。あれやこれやの女のおしゃべりを楽しみながら走っているうちに弘前市に入ったようだ。そして、弘前市も「マテ」にまわった。能代市から弘前市まで、余裕で2時間半を見込んでいたが、コンサートが始まった時間になっても、弘前城公園の周りをグルグルの状態であった。
 「迷ったら、道を覚えるもの」「弘前見学が出来てお得な気分」の超前向き思考に励まされて、無事会場に到着した。帰りは?もちろん、迷いに迷って、やっとのことで弘前市を脱出した。 
2006年7月8日 土曜日
動物を連れて高齢者介護施設へ
 リトリバー犬のギュンター(飼い主の姉はその愛犬をジョンと呼ぶが、私はこの名で呼んでいる。犬にとって迷惑だね)がやってくると、子ども達が大喜びで、活気付く。同じ様に高齢者介護施設に動物を連れて行くと、皆さんがとても活き活きとなる。
 今日はギュンターでなく、猫のナナを施設に連れて行った。毛がふさふさの特別美人の猫である。くるんと身を丸くして、膝に抱かれておとなしくしている猫を撫でている目はとても幸せそうに見えた。動物は人間の癒しになる。猫のナナは、多くの人たちに抱かれて、よほど気を使ったのか、帰り道はぐったりの様子であった。 
2006年7月8日 土曜日
生き物の命を糧として生きる
 子供の頃動物を買うのは母の意向で禁止されていた。とはいっても、子犬を拾ってきたときはついでに漬物石も探してきて、何とかきょうだいで頼み込んだ。あるとき、飼育動物がヒヨコであった。可愛い名前をつけて、せっせとえさを近くの山で調達して与えつつ育てた。鶏の成長で飼育箱が小さくなった。母はとんでもない事を言い始めた。「これ以上飼えば肉が”すんなく”(繊維質)なるので、食べよう」と。
 子ども達は涙を流して反対した、ある日、帰宅すると可愛いペットの鶏は、タンポ鍋の食材となっていた。夕食はそれしかなかった。愛するペットのダシの効いたタンポ鍋はおいしかった。
2006年7月7日 金曜日
うつ病について
 うつ病についてインターネットで調べてみた。以下がその内容である。
 
 「うつ病はよく 「心の風邪」 と例えられます。体が風邪をひくように、心もストレスなどの原因で風邪をひいてしまうのです。うつ病は身近な病気であると言う意味であって、一度かかってしまうと風邪のようにはすぐに治りません。原因は人によって様々ですが、以下のようなものがあげられます。 ・愛する人や親類などとの離別や死別 ・結婚、引越し、転勤、昇進や進級などによる環境の変化 ・日頃の人間関係のトラブル・秋から冬にかけて体調を崩し、春になると治る (冬季うつ病)・その他、悲しいことや苦しいこと、悩み 、など。
 つまりうつ病とは 「誰でもかかる」 可能性のあるごくありふれた病気なのです。こういったストレスになる悲しみや苦しみを乗り越えることができれば、ただ落ち込んでいただけで、そのような状態を 「うつ状態」 といいます。しかし人によって感受性が違いますし、場合によっては同時に複数のストレスに襲われることもあります。心が落ち込んだままになってしまい、この状態が長く続いた場合、様々な症状が現れてきます。
 うつ病は、医学上は 「気分障害」 という病気に分類されています。「なんだ、気分が悪くなるだけか」、と思われてしまうかも知れませんが、れっきとした病気です。人によっては時間の経過とともに自然治癒してしまうこともあります。しかし、うつ病にかかった人の大半は、投薬や療養といった方法によって治療する必要があります。
 うつ病は必ず治る病気です。早ければ 3 ヶ月、長くても数年で治る方がほとんどであると言われています。何ごとに対しても前向きになることが出来ず、精神的にかなり辛い状況に追い込まれますが、諦めないで前を向いて生きていきましょう。経過は地味かも知れませんが、少しずつ前進してることを実感できる日が必ず来ます。それまでは天がくれたお休み期間だと思ってゆっくり休みましょう。
 ある国際的な調査では、全人口のうち 3 〜 5 %の人がうつ病にかかっているといわれています。また別の調査では、人生のうちに一度でもうつ病にかかったことのある人は 25% にものぼります。」

 うつ病に対する住民の理解が、まだまだ秋田県ではすすんでいない。風邪も症状によってたくさんの種類の薬があるように、うつ病もその人にあうクスリがある。明けない夜はない。欧米と同じ様に精神科へ、なんなく通院できるといいが。
2006年7月6日 木曜日
聞くことが使命
 よく、あなたの政策や市政への考えを聞きたいという方に出会う。しかし、対話する時間の9割ほどはその方の主張することに耳を傾ける時間である。そのことがとっても大事である。真剣に耳を傾ける姿勢が問われている。耳は二つあるけれど、口はひとつしかない。大事な事は話す前に、十分聞くことである。
 さて、市の幹部職員に接して、こちらの話を良く聞くという点では一致している。しかし、話したいだけ話させて、結局、その立場としては何もしないということが時々ある。有能な幹部と言われている人物ほど、キャッチが上手で、受け止めるだけという姿勢である。
 「慇懃無礼」とは、こちらの経験不足や知識不足から、うける反作用なのだろう。しかし、私は住民からの要望に対して、そのような対応はするまいと心に決めている。
2006年7月6日 木曜日
北朝鮮からミサイルが飛んできて
 夕方、お向かいのお母さんが「北朝鮮からミサイルが飛んで来ているので、子どももいるので怖い」といっていた。北朝鮮の瀬戸際政策も断末魔となった。自国民を人質に、狂人のしわざとしか思えないキム・ジョンイル氏の、この荒業、失うもの多くて、得るものが少ない。
 前回は秋田県上空を通過し、このたびは秋田県に近い海に着弾している。普通に生活する以外の防衛策は、私たちにはない。山に逃げたからといって、山が安全であるという保障はない。政府は経済制裁を発動して対処するようだが、その先にあるのは国民の困窮である。特に弱い子ども達などにしわ寄せが来る。だからといって、制裁をせずに無視事態ではない。
 私としても、ミサイルが飛んできても、どうすることも出来ない。
2006年7月4日 火曜日
滋賀県知事に嘉田由紀子氏当選 おめでとう!
 全国で5人目の女性知事となった嘉田由紀子氏について、父がうれしそうに解説してくれた。忙しさにバタバタして、ニュースの表面しかなぞっていないとき、我が家だけに通じる政治評論家である86歳の父のウンチクは、時々役に立つ時がある。ということで、嘉田氏の経歴の概略はわかった。
 「もったいない」が持論とのこと。そこで、経済効率の悪い大型公共事業の凍結を公約に掲げた。田中長野県知事と同様に、そういえば寺田秋田県の初期の頃と同じ様に、県議会との確執が予想される。議会と妥協して1歩退いたら、3歩どころではなく、雪崩のごとく踏み込まれる。いつでも首を掛けて政策にあたらなければならない。
2006年7月3日 月曜日
韓国の特殊主出生率は1.08
 韓国の特殊出生率は1.08で、1.29の日本と比較すると(04年)、日本の少子化問題より格段に深刻な状況である。ちなみに韓国の70年の出生率はなんと4.53(!)である。少子化は女性の社会進出が理由のひとつである。韓国社会には、まだ儒教思想の残滓があるのではないか。女性の社会的評価は、日本以上に低いと、韓国を訪問するたびに感じている。
 ロシアでも少子化対策に躍起で、産めよ増やせよの大号令である。「一番大切なのは愛だ」とプーチン大統領が演説するの及んでは、それは問題の本質をすこし離れているよといいたい。
 犬が人間を噛んでも話題にならないが、人間が犬を噛むと話題になる。同じ様に、女性が育児休暇をとっても話題にもならないが、某新聞社の記者が育児休暇を取ったら、日本中の話題となって、あれから何年もたつのに、いまだ日本中を講演に回っている。ことほどさように、男性の育児休暇は話題性がある。ただし、この件は自主的なものではなく、新聞社の戦略の一つであった。
 
 今日は集中豪雨被害のため、能代市で土砂崩れや水害が起きた。不幸中の幸いにも人身災害がなかったことにほっとしている。電話連絡のあったところ、なかったところも、市内を巡回した。都市型災害が確実に深刻さを増している。
2006年7月2日 日曜日
夏の議員ボーナスが出ました
 年金共済掛け金と所得税を計3万313円を差し引いた分で、いわゆる手取額は17万8775円である。旧能代市議会が3月21日の新市誕生をもって解散となり、4月の選挙を持って新市の議会議員となったので、在職の期間率を掛けることによって算定されている。期末手当額は、新人議員もベテラン議員も同じである。
 少しづつ景気は回復傾向にあるとはいえ、民間企業や商店などの厳しさをおもうと、とてもありがたいと感じている。
2006年7月1日 土曜日
日本は高齢化率が世界一、秋田県はそのまた全国一
 高齢化率が高いとは、長生きの地域であることなので、それだけで悲観したものでもないが。日本の総人口に占める65歳以上の人口割合が21.0%である。秋田県は28.1%である。能代市も合併により限りなく30%に近づきつつある。
 10年ほど前に、高齢化の厳しい現実を表現するのに、80代を介護する60代の話題が出た。今日のボランティアの会では、100歳を介護する80歳を話された方がいた。一瞬、会場はシーンとなったような気がした。高齢者とひとくくりにできない。元気でボランティアや介護の出来る方々は多い、また心身が弱く介護を受けなければならない方々もいる。
 高齢者の潜在能力を引き出す手段がたくさんあればいい。そうそう、ハーモニカの好きな80代が、福祉施設ボランティアをし、そして新しい曲にも挑戦していると聞くと、ぜひ聞いてみたいと思った。
 高い高齢化率それ自体が大問題なのではなく、極端な少子化と共にやってくることによって、地域の力を弱体化させる。人口に対する15歳未満の割合は13.6%である。ちなみにわたしが子供であった頃、子供の割合は30%を超えていた。