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平成17年度の議会通信&日記
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平成18年度議会通信&日記
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2005年2月28日 月曜日
冬場の観光産業の難しさ
 岩崎村のサンタランドといい、合川の北欧の杜といい、困難な冬を迎えている。観光客の決定的不足が目に見える。従業員の数がお客さんより多いのではないかと思われる。除雪して、暖房して、雇用して・・・採算のとれない運営に、北国の観光事業の難しさをみた。
 素人の私にも、雪中の体験を通した観光に呼びかけ、温泉とタイアップして中高年にも楽しめる企画、むかしからの雪国の暮らしの体験、などなど、アイディアはたくさんあるが、いざ実践して、費用対効果が計算できるか自信がない。
 わたしとしては、夏よりも冬のサンタランドや北欧の杜のほうが好きだが、ぜひ出かけたいと思わせる、観光の呼びかけがすくないのかもしれない。大手のスキー場もかつてにのぎわいはなく、リフトはほとんど待ち時間なしで乗ることが出来る。観光も自然をなぎ倒して、広大な土地を開発するコクドに代表されるバブル型が通用しなくなったのだろう。
2005年2月27日 日曜日
合併問題は食傷気味の能代市民?
 7市町村の合併問題で、「白神市」と決まったときあれほど活発化した市民運動が、住民の切望であり、意向調査の結果である「能代市」の名称が、二ツ井との合併でゼロシーリングのレベルに陥ったのに、なんの動きもない。どうしたのか?あの運動を展開した市民よ。今こそ立ち上がるべきである。食傷している場合でない。
 「7市町村の合併が壊れたのは貴方達のせいだ」と非難されて、被害者意識を持ち、弱っている方もいると聞く。あれほどの市民運動をして署名を集めたからには、社会的責任が生じる。ここで逃げをうって、被害者然となってほしくない。勇気を持って、再度、この合併問題に意見を言うなり、主張なりをして、より良い合併のために力を貸してほしい。市長や議員を非難するだけでなく、運動した住民として最後まで合併と関わることも、市及び5町村への責任でもあるのではないか。とても期待しています。一緒にがんばりましょう。 
2005年2月26日 土曜日
昨日の能代市と二ツ井町合併研修会・交流会は盛会でよかった
 昨日の能代市と二ツ井町の合併研修会&交流会が盛会であったようで、まずはご同慶の至りです。総勢60人ほどの集まりとのこと。自由意志参加は議員であるが、二ツ井町と能代市の議員達はおよそ半数ほど参加したようで、強いお勧めもあったようだが、まずは盛会ということで何よりである。
 考えてみれば、奇奇怪怪、不快極まりないご案内であったものの、衆人観衆の批判に曝されて、お酒のおいしさも半ばなりというところだろうか。わたしは、ある意味で興味はあったものの、私がしなければならない義務を優先させ、不参加とさせていただいた。
 なんともはや、悲しく、さびしく、混迷する、1市1町の喜びの少ない合併である。今がスタート地点である。しっかりと、協議をつめていかなければならない。確認前提条件項目を盲目のまま受け入れるわけにはいかない。
2005年2月25日 金曜日
二ツ井町住民の立場になれば・・・とんでもない能代だね
 二ツ井町から出された全国で例のない9つの確認項目について、協議前の前提条件を能代が呑んで、合併のスタート地点に立つ事を危惧して、わたしは議会ではそのように意見を述べてきた。立場を変えて、二ツ井町住民の立場に立つと、「確認」項目という意味は、能代が「確かに認めます」項目ということになる。3度も市長が足を運んで合併の申込をし、「あなたの思いのままに合併します」条件を文書で提出した。
 ところが、能代市は合併協議に入る前提となっている「確かに認めます」項目を、「強い要望として、協議の際に心にかけます」という意味であるとの発言をしている。玉虫色のこの発言を、二ツ井町から見ると、通いつめて交わした約束を、反古にすることもありますよ、という風にもとれる。おいしい撒餌に喰らい付いた二ツ井町議員は、程なくホゾをかむことになるかもしれない。町民にすれば、二重に裏切られるであろう。
 能代市が提出したおいしい合併条件書面は、いまや町民にとっては不実の証拠品となるかもしれない。
2005年2月24日 木曜日
二ツ井町は3月27日に能代市との合併の是非を問う住民投票条例案可決
 20歳以上の有権者の過半数以上の投票をもって有効とし、投票数の過半数を得た結果は尊重しなければならないとしている。賛成か反対かを問うシンプルな形式である。その結果の如何により、この合併も崩壊の可能性を含んでいる。最後のどんでん返しは、否定できない。
 二ツ井町は能代山本8市町村の中でも、ある種の二ツ井モンロー主義的な気質があり、一筋縄ではいかないものがある。住民投票という、時限爆弾を抱えての短期決戦の合併作業を駆け抜けている1市1町である。二ツ井町民が合併に対し、意思を形成するにはあまりにも、合併があわただしく揺れ動いてきた。合併に○をつけるにしろ、×をつけるにしろ、大半の住民には何がなんだかよくわからないというのが実態であろう。あげくに、単独立町が一夜にして能代市と合併と、あまりな急展開に、合理的な住民説明を丸岡町長はまだしていない。
2005年2月23日 水曜日
不規則発言を専科とするお隣さんたち
 私のごく近くの議員は、一般質問以外で、自ら手を上げて発言したのを見たことがない。その代わり、隣席同士で常に不規則発言つまり野次の専科に徹している。そんなに、自分で話したい事があるならば、手を上げて発言すればいいものを、挙手したことは一度もない。今日も今日とて、私が発言したとたんに同時並行に不規則発言を続け、えんえんと・・・・ ご苦労様である。
 自分の意見が別にあるならば、発言のチャンスはいくらでもある。しかし、発言を出来るほどの論理的な考えと能力がないのである。つまり、不規則発言でしか自分と意見が異なる事を表明できないのである。観察してみると、野次や不規則発言を”一人で堂々"とすることが出来ず、必ず隣と打ち合わせてからはじめる。野次すら自信がないのである。
 野次や不規則発言で、こちらはトレーニング・オン・ザ・ジョブで訓練させていただいている。ケースバイケースなので、様々な訓練を受けるほど、耐性が出来てくるというものである。議員という蛮族は、サバイバルでいきている。
2005年2月22日 火曜日
むなしく響く「互譲の精神」 二ツ井町は確認前提条件了承をもって合併協議に入る
 二ツ井町からつきつけられた9項目の確認前提条件を見て、対等合併の互譲の精神を読み取る能代市民がいるだろうか。豊澤市長と丸岡町長は同床異夢の合併を3月31日をめざして、強引に推し進めている。親(国や県)がすすめる信頼も愛もない結婚だが、生活のため、親のだしてくれるお金(特例債)の魔力で、所帯を持つことになるようだ。親族一同(議会)も、そのお金(特例債)にありつけそうとばかり、せっせと結婚をすすめる。何が何でも3月31日をめざして。
 確認すべきは9項目の前提条件ではなく、互譲の精神ではないのか。合併に問題があるのではなく、合併の方法が問題である。「金色夜叉」合併とならない事を願うのみである。
2005年2月21日 月曜日
農林水産物まるごと地産地消フェアを見学
 19・20日の2日間、能代のジャスコとイトクの2箇所で能代山本地域「農林水産物まるごと地産地消フェア」が開催されたので、昨日見学した。主催は能代山本地域振興局である。地元の直売・ソバ打ち・地域料理が紹介されていた。いわゆるスローフードの紹介である。私は”南蛮べっちょ”というものを試食してみた。そこで南蛮べっちょの素(3百円)を買ってきたが、熱々のご飯に載せて食べたらおいしかった。本当は野菜、きのこ、漬物などであえて食べるようである。今日は、しょつる鍋、おやき、味噌付けタンポなど、なつかしのスローフードでいっぱいであった。ウンウン、地域の力はすごくある。
 地域料理のレシピ集もあった。昔はどこの家庭でも作ったものなのでしょうが、私の世代ともなると、特別な料理となってしまた。それでも昔懐かしい味がする。子供の頃の食べた感覚が戻ってくる。
2005年2月20日 日曜日
知事選 戦う前から敗戦模様 県自民党の落日
 秋田県自民党連連は、3月31日告示で4月17日に投票の知事選に独自候補者を立てることが出来ずに、戦う前から、敗戦模様である。金田国会議員が候補者として出てきたときは、結構善戦できるかもしれないと思った。しかし、自民党が知事選に敗れた場合、国の議席を失う可能性もおきいので断念した。小野清子さんという名前が出たときは、戦える人材と喜んだのもつかの間、断わられてしまった。個人的には小野さんであってほしいと思ったが、最強の寺田知事相手とあっては、わが身の危険が大きすぎると思うのもしかたない。
 そこで、歯牙にもかけなかった佐藤羽後町長への支援の検討を決めた。県自民党の落日はつるべ落としのようである。寺田知事を批判すれど、犬の遠吠えで終わらないよう、知事選を磐石にして臨んでほしいものである。
2005年2月19日 土曜日
二ツ井町民 住民投票条例請求のための署名簿提出
 昨日18日、「二ツ井の将来を考える会」は二ツ井町の自律と藤里町との合併について住民の意思を問う住民投票条例制定のための署名を集めて、町選挙管理委員会に提出した。請求に必要な200人を上回る362人の署名が集まった。選管は20日以内に審査し、縦覧をへて告示、町長は意見を付して議会に条例制定案を付議する。
 二ツ井町は3月31日に全員協議会で多数を持って自立を決定したが、直後に能代市との合併を模索していた。住民の目にはわかりにくい町長の動きであった。全国的にも例を見ない、合併の前提条件の確認をした上での合併協議に入るという手法は、およそ「互譲の精神」は感じられない。にもかかわらず能代市側は「二ツ井町の確認前提条項を尊重し互譲の精神にもとづき、誠意を持って合併協議に望みたい」とした。ご立派な精神である。それならば7市町村の瓦解はなかったはずである。
 能代山本8市町村の中で、互いにもっとも相手にしたくない能代市と二ツ井町が残ってしまった。合併の選択肢はかぎられてしまった。
2005年2月18日 金曜日
「私にブレはない」の見方
 今日の北羽新聞に二ツ井町全員協の傍聴記が載っていた。二ツ井町町長が単独宣言した直後に、能代市との合併協議を開始するとした発言に疑問を呈していた。丸岡町長は「方針が変わっても、私にはブレはない」とのことである。単独から合併へ変更する事はコペルニクス的ブレであるはずであるが、それは見方を変えると・・・・
 静止衛星というものがある。地球の回転に合わせて、定点観察のために衛星も同じ回転で、同じ方向に動いている。地球から見ると、いつも同じ位置に衛星があり、静止しているように見える。丸岡町長にしてみれば、住民の利にかなう選択をしているのだから、住民は町長にとって自分についてくる静止衛星ととらえると、まったくブレはない。同じ事は豊澤市長にもいえる。「私にブレはない」との発言は、静止衛星的考えをするとその通りである。自分の方針についてこない住民こそがブレていると見える。
 人間は誰もブレる事はない。世の中がブレているのだと考えると、意外と生きやすいのかもしれない。
2005年2月17日 木曜日
7市町村合併の崩壊劇はいったい何であったのか
 二ツ井町との合併協議に入りたい旨の市長提案があり、議会は承認した。合併の前提条件については「かずこの議会リポート」で逐一アップしてあるのでご覧ください。名称問題で能代市が7市町村合併を崩壊させた。にもかかわらず、二ツ井町との合併では新市名に「能代市」を協議にのせてくれればそれでいい。つまり排除さえしなければそれでいいとのことである。なんともはや柔軟なことである。そうすれば、二ツ井町の要求している9項目の条件をすべて了承するということである。これほど物分りの良い能代であったら、7市町村合併は避けられたはずである。
 今日、二ツ井町との合併協議に入る事を反対したのは、党是として合併反対を一貫して主張してきた共産党議員一人と私のたった二人だけであった。いままで議会では、私は市長与党と思われていた。しかし、是は是、非は非である。
 たった、2週間で法定協議会審議を終えるとのことであるが、まともな話し合いが出来るとは思えない。何がなんでも合併したいシンドロームは、見事その目的を達成できそうである。こんな拙速な合併に、マッタをかける議員がたった二人きりとは、どのように考えたらいいのだろうか。悲惨な悲劇としか言いようのないあの7市町村での崩壊劇は、二ツ井・能代の合併の前では、もはや喜劇でしかない。
2005年2月16日 水曜日
いくらなんでも、それはないでしょう 二ツ井町よ
 今日は二ツ井町が、わが街能代市との合併をどのようにとらえているのかを関心を持ってウオッチングしていた。その逐一をHPにあげた。合併のパートナーがほしくて、地団駄を踏んでいる能代市を相手に、踏んだり蹴ったりである。仮想マゾヒズムに陥りかけている能代市であっても、「いくらなんでも、それはないでしょう」といいたい。
 議員特例OK、、選挙区OK、地域自治組織OK、特別職OK、分庁方式OK、町の主要事業OK、法ぎりぎりまでやりたいサービスOKの寛大な能代市が、唯一新市名称だけはちぴっと「能代市」を考えてくれればいいなあと、遠慮のかたまりでお願いしているのを、あっさりとダメと決め付けてくれた。おみごと!ここまでサディズムが徹底すると、能代市もこれでは真相マゾヒズムに徹するか、はたまた正気に戻って、大局から8市町村の近未来大同合併構築をめざすかどっちかである。あ〜あっ、真相マゾヒズムに行きそうなのがつらい。もっとも、7市町村合併を壊したのが能代市なので自業自得といえばそれまでだが。
※関係文書リンク(かずこの議会リポート)
2005年2月15日 火曜日
能代市との合併を求める八竜住民の声をどうする?
 能代市との合併の是非を問う住民投票条例制定の直接請求に必要な635名の署名簿を、八竜町選挙管理委員会に提出した。有権者の50分の1以上の署名が必要であり、121人以上ということになる。ほぼ5倍の署名を6日間で集めたという事は、八竜町住民の合併は南部3町ではなく、能代市にむいている可能性が大きい。
 手続きを経て、町長に本請求され、町長は意見を添付して議会に諮ることになる。町長と議会が踏み絵を踏むことになる。一方で南部3町の合併協議は着々と進んでいる。協議会事務所の在る足元八竜町で、南部3町の合併に異議を唱える住民運動が展開されている。今のところ、町長ら町幹部は、住民請求に対して静観、いや冷ややかな目で見ている。議会の情勢も3町との合併に対して、拮抗していたので、この住民投票条例の行方から、眼が放せない状態である。
2005年2月14日 月曜日
真実を伝えるべきである
 二ツ井町との合併が、二ツ井町の返事待ちの状態である。何が何でも合併したいという議会の意向は十分理解しているが、「全会一致」で一人の異論もなく、二ツ井町の思いの通りに合併する用意がるとの形を整えることに議会がキュウキュウしている事に、1月21日の合併協議会の空中分解の決定をした能代市議会の議決を思うと、何をいまさら野合を急ぐのだろうとの思いがある。
2005年2月13日 日曜日
地域のコミュニティは元気です
 向能代小学校の学区に在る向ヶ丘地区では、児童の登下校時の安全の確保のために、パトロール隊を結成している。先日、隊の帽子が出来てきたので、ジャンバーと一式で貸与された。蛍光色の制服で、不審者に存在をアピールすると共に、子供達に安心感を与える目的である。
 陰の理由を聞いて、大笑いをした。いくら、パトロール隊であるといっても、子供達から見るとヘンなオジサンと区別が付かない。そこで、あの手この手のアイディアを絞って、身分証明証携帯、二人以上で立つ、などいくつかのルールを決めた。ファッションまで決めたいが、資金がない。そこで、若い隊員が助成金の制度に目をつけ、応募し見事にゲットした。
 子供達の登下校の安全は、以前は車であったが、それに人間も加わり、複雑に脅かされてきている。でも、我地区では、子どものいる家庭よりも、いない家庭の大人が多く参加して、登下校の子どもの安全のためにパトロール隊として、街角に立っている。ご近所の底力、コミュニティーが結構元気です。
2005年2月13日 土曜日
北部同盟2町村、南部同盟3町の合併は粛々進む
 7市町村での合併は雲散霧消になったあと、北部2町村と南部3町は、究極の選択をしたが、小波はあるものの、着々と合併を進めいている。いまだに、さまよえる能代市を残して、粛々と事務作業が進んでいるようで、このまま安からん事を願っている。しかし、八竜町で署名運動が幾分気になるが、3月31日にはその運動は間に合わないであろ。とはいっても、住民が自ら意思を表明する事は大事なことである。
 能代市は来週二ツ井との合併になるかどうかの結論でる。能代市民は八竜と違って、その意思を今、内包している。どんな形なって、現れるのだろうか。
2005年2月11日 金曜日
議員になって最も残念だったこと
 市長が二ツ井町との合併に「政治生命をかける」というたびに、ヘナヘナと気力が萎えてしまう。私にとって議員となって最も残念な出来事は、あの1月21日、能代市が合併協議会へ復帰し、7市町村で大同合併できる最後の最後のチャンス日、協議会が空中分解した事である。名称問題は「能代山本市」で6町村はぎりぎりのところで合意していた。それを能代市議会は再公募という寝耳に水の、合併協議会を破壊させる議決をした。その再公募派とは後藤健 斉藤宗一郎 矢田部昌 熊谷健 竹内宏  塚本民雄 武田正広 工藤勇男 薩摩博 原田悦子 大倉富士男 伊藤洋文 渡辺芳勝 今野清孝 安岡明雄 平野龍市 の16名である。合併破壊の第1級戦犯である。市長にリコールしたいという人がいたが、私は議会解散の請求もいっしょにしたほうがいいのではないかと申し上げた。
 市長も政治生命をかけるのだったら、そのときが最後のチャンスであった。過去の事を言ってもせん無いことであるが、こんどの合併は「がんばらせていただきます」程度でよかったのではないか。市民は7市町村の合併を望んだのであって、どこでもいいから、どんな条件でいもいいから、合併がほしかったわけではない。
 私は合併には賛成である。二ツ井町との野合的やり方は反対である。
2005年2月10日 木曜日
議員に対する批判こそが、議員を鍛える
 アカウンタビリティーという言葉が、時代を象徴している。公にある者や機関がする住民への報告義務をさす。私のように、毎日HPを更新して報告している議員には、画面上に現れない批判が集中する。批判が当たっているか外れているかに関係なく、批判が多いことがエネルギーの源になる。活動や行動が多いほど、他の議員からの批判も多い。それはそうでしょう。寝ていて、他人の動きをじっと見ていたら、欠点が目に付いて批判もしたくなるというもの。
 例えば、「HPで勝手な事を言っている議員に、一度会ったきりの関係者が本当の事を言うはずがない、ガソリン代の無駄使い」という批判が10名ほどの議員から聞こえてきた。初めて会う人間に裏の話をする関係者がいたら、そっちのほうに問題があるのではないか。合併問題において、行動し、人に会い、分析し、空気を感じることの大切さを知らないのだろうか。議会運営委員会が開催されるたびにここのHPが批判の対象になる。今日もそうであった。なんともはや、うれしいことである。
2005年2月9日 水曜日
合併は賛成だが、こんな合併イヤだ だが・・・
 財政難を考えると、合併は賛成であるが、こんなやり方の合併はイヤだと、ため息をついている。しかし、どんな合併でも、合併すること事態が財政危機を救い、次代の住民の生活を安定させるためと納得しようと努力している。
 アフリカで出会った人が「どんな形でも平和のためならば妥協しよう。戦争を避けるためにどんな妥協もしよう。戦争ではなく、平和であることに意義がある」と言った。その方の言葉をこの合併に当てはめることはできない。先人が多大の犠牲を払い築き上げた議会制民主主義を踏みにじるがごとくに、合併が突如疾走している。
 累々たる屍を乗り越えて、犠牲の血の海を泳ぎ、築かれた議会制民主主義がほんの数分で捻じ曲げられ、「デンコ」をかけられる。目前で不法が展開されるが、私は無力である。
2005年2月8日 火曜日
二転、三転、四転、そして五転・・・・
 政治を語る言葉に「一寸先は闇」という表現がある。議会の当事者である私にさえも、めまぐるしく変わる合併模様に、近々未来さえわかりにくい。丸岡二ツ井町は、ここしばらく言を左右に本心を明かさなかったが、能代市との合併こそが最終目的であったのか。7市町村との合併枠が巨人能代市の離脱で壊滅的になったとき、商品価値のなくなったアンコがごっそり抜けたタイヤキにおいて、二ツ井町こそリーダーシップを取ってアンコになるといっていた。それが、さまよえる二ツ井町の後で独立を選択した。
 リコール運動が地元紙にとりざたされるほど、独裁的辣腕を振るっている。(個人的見解を述べるならば、独裁者とは、実に魅力的なオーラがを放つものだ。)能代との合併も独裁的思考によるものなのか。二ツ井議会と執行部は能代とは違っているので、この合併は通るのか・・・・
2005年2月7日 月曜日
特例債という魔物から解放され、能代市の単独立市のまちづくりは住民参加ではじめたい
 とりあえず、能代市は単独を余儀なくされている状態である。宇野前都市整備部長が事前に入札価格を教え、何がしかの利益を得たのではないかとされ、逮捕された事件は今、取調べ中である。いままで、談合のない公共事業は存在しなかったといっても過言でないくらい、通常化していた。特例債というアメ、いや魔物から解放されて、本気で行財政改革に取り組みのならば、宇野前部長に象徴される、利権に群がるアリや、ハイエナを廃し、住民が公正であると思えるシステムを作り出さなければならない。
 例えば、議員定数が15人でいい、議員報酬を減額する、または政調費だけにして報酬廃止するなどの、思い切った案を住民が提供できるシステムを作り、ワークショップ形式で提案してもいい。議員は間接民主主義の正当性を主張しがちであり、住民の声をポピュリズム、大衆迎合主義、衆愚政治といって、避ける傾向にある。議会村の常識は、世間の非常識である事を思うと、これからの街づくりには住民参加はむしろ義務ではないかと考える。
2005年2月6日 日曜日
山本南部3町は臨時議会を開催し、3町の合併を選択する
 能代市という亡霊にかき回された南部3町であるが、明日7日臨時議会を開催して、合併協議会を立ち上げる事を議決する日程である。議会の情勢から見ると、反対意見がそれなりに出ることがあっても、合併は議会で可決されるのではないか。
 時々、市議というものは住民に対して預言者の役割を担うことになる。虚実混交の情報のなかから、吹雪で一寸先が見えない近未来を予測しなければならない。そして、自分の考えを発信しなければならない。南部3町がまとまり、無事、3月31日に滑り込みセーフして、とりあえずの合併を実現する可能性に関しては、イエスもノーも言える状態ではない。天気の降水確率のように数値で表すならば60%ぐらいとみている。峠は越えたが、目的地はまだ視野に入っていない。旅の安全を祈るのみである。
2005年2月5日 土曜日
いまや、冬物大バーゲンセール状態 能代市の合併切望
 能代山本市町村合併は、常に能代の二転三転する新市名称問題等に揺れ続けた。とうとう、デッドラインを迎えてしまい、合併協議会は解散した。そして誰もいなくなり、そして何もなくなり、能代はあわてている。こんなはずじゃなかった。エエイ、この際どこでもいいから、条件は何でも呑むから合併したい。何が何でも合併したいシンドロームは末期癌のようである。唯一、新市名称「能代市」さえ認めてくれたら、冬物大バーゲンの大安売りであった。ところが、二ツ井町にさえ肘鉄を食らって、虎の子である新市名称「能代市」さえ引っ込めてもいいという。いまや、何でもあり、なんでもOKである。
 南部3町も、振り回され続けた能代と縁を切って合併を推進しようとしているが、またぞろ能代市という亡霊に悩まされている。能代を視野に入れた再合併に赤信号を出しているのは琴丘町だけである。八竜町は生活圏である能代との合併を求めて住民が住民投票条例制定の請求運動をしており、能代との合併には青信号状態である。山本町は、とりあえず今は特例債頼りの3町でまとまりたいが、能代との合併に後ろ髪を引かれている黄信号状態である。
 南部3町が、能代と合併したいということならば、いまや何でもいいなりポチ状態の能代市であるから、結構スムーズに進むはずである。市議会の多数派を占めている自民系が何も言いません、あなた任せですと言っている。なぜなら、ほしいのは特例債による土建工事だけであるから。しかし、彼らの衣の下の鎧を見逃してはいけない。
2005年2月4日 金曜日
合併崩壊劇の犯人探しと、責任押し付け合い
 7市町村での合併の崩壊後に始まるであろうと予想された、合併崩壊劇の犯人探しが始まった。ただし、自分以外の者がその対象であって、自分に対しては無謬性を信じている。経済産業団体がその典型的な例である。
 白神市反対の意見広告に名を連ねた人たち、そして、署名した人たちがいた。新市名称は「能代市」以外認めないとして発起人となり新聞に名を連ねた人たちがいた。その中に議員である伊藤洋文氏の名もあった。その人たちは今こそ、あの時のように自分達の意見を新聞に投稿するべきではないか。この崩壊をどのようのとらえているのかぜひ知りたい。
 再公募案を出して合併協を解散に追い込んだ自民党明政会は、一方で市長に対して合併推進の要望を出すほどの奇奇怪怪である。彼らは、とりあえず八竜町を南部3町から切り離して、能代市と合併させるために、夜討ち朝駆けで八竜町攻勢をかけている。合併崩壊の自己責任を検証する能力があるのだろうか。悪いのは市長である、と言い逃れるのみである。政和会、市民の声、創造21とて同じことである。
 議会には議会の責任がある。それゆえに、今後のまちづくりに建設的意見を出さなければならない。
2005年2月3日 木曜日
7市町村での合併崩壊の責任は、経済産業団体にも有り
 昨日の能代山本経済産業団体市町村合併会議において、7市町村での合併の枠組みが崩壊した責任は、豊澤市長と能代市議会にある。誰が責任をとるのか。崩壊の理由と、これからの街づくりを住民に対する説明責任がある、との意見であった。
 能代市の商工農林の産業界のメンバーは、自民党支持を表明してきた。そればかりか、このたびの合併にあたり、新市名称に関して、白神市反対、名称「能代市」で合併以外受け入れないとの運動に産業界メンバーは積極的に加担してきた。支持してきた自民党及び自民党もどきの議員達は、町村が受け入れないとわかっていた再公募という案を議会でゴリ押しして、協議会に持ち込んで、合併協議会の崩壊を招いた。
 産業界は合併特例債で潤い、生き延びたかった。市長や議会に責任があるという主張は大いに認めるが、「復讐するは我にあり」という構図が見えていないことが悲しい。これは産業界の身内による造反、乱心が招いた合併崩壊である。責任の一端は産業界にある。
2005年2月2日 水曜日
後味の悪さだけが残り
 合併崩壊問題を能代市と6町村の合併協議会での意見対立に求める事は、崩壊の結果を受けての原因探しに過ぎないのではないか。確かに町村は、合併をいったい求めているのかどうか疑問に感じるほど市と意見対立した。それは巨人能代市に飲み込まれまいとする小国の抵抗であった。国連と同じで、小さな途上国も1票、大国アメリカも1票である。ただ、国連には常任理事国制があったが、協議会はあくまでも対等であった。しかし、6対1の対立を、数の論理だけで決することなく、あくまでも協議を尊重することで了解していたはずである。会議での意見の真っ向からの対立は、互いの不信感もあったことだろうが、それゆえに合併が瓦解したのではない。意見の違いはこれほどの大課題も前では当たり前のことである。能代は盟主として、町村の主張を受け止めるべきであった。
 合併崩壊の大きな原因は、能代市の市長と議会の対立、新市名称を「能代市」を求めた市民感情、迷走する能代市の対応などである。いずれにせよ、後味の悪さだけが残り、トラウマとなりそうである。
2005年2月1日 火曜日
すべては空しく消え去り、能代の恥のみが残された
 私にとっても断腸の思いである。残された合併の可能性を求めて、まるで狂気と空虚を同居させながら、八森、峰浜そして二ツ井と市長と正副議長たちは走り回った。超法規的に、今は戦時であるからとか緊急時であるからとの理由で、議会としての意思を形成することなく、ひたすら走った。今となっては、空しく、悲しい。何が残されたのか。それは能代の恥のみである。
 たとえ針の穴を通るほどの可能性であっても、その可能性を求めて、今、動かなければ座して死を待つことになるとの思いをうけて、昨日は一部議員による二ツ井町との合併条件に異を差しのべる事をしなかった。今となっては、それもこれも、すべては空しく消え去った。
 時空を越えて過去に戻ることはできない。それでも、心の中で、あの時こうしたら、ああしたらとの思いが走馬灯のように巡っている。神様、時間をほんの少しまき戻してくださいと叫びたい。最後の、ほんとうに最後の、テーブルにもどるチャンスであった1月21日、協議会を破壊に招いた「再公募」が能代市議会の議決であった。私はその再公募には反対の立場であったが、議会人としてその破滅的議決の責任を負うことになる。
 真に第2ステージは今日から始まった。それでも、針の穴よりも小さくなった7市町村での合併の願いを捨てることはできない。一方、単独立市のまちづくりを進めて行かなければならない。合併問題を象徴するがごとく、外はここ数日、ふぶき氷の世界である。

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