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平成17年度の議会通信&日記
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平成18年度議会通信&日記
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2005年1月31日 月曜日
深い悩みを残して かくも長き1日
 今日は10時からの7市町村での合併協議会解散の手続きをとるための臨時議会が召集された。9時少し前に、職員からの電話で、9時15分から議会運営委員会を開催し、その後すぐに会派代表者会議を開くのですぐに市役所に来てくれとのこと。とりあえず、急いで市長室に駆け込んだ。滑り込みセーフで会議が開始された。
 二ツ井町の議会日程に合せて、今日の午前中に合併の申し入れをしたいので、目前の文書を承認してほしいとのことである。合併はやぶさかでないが、その内容に深い失望感、いや絶望感をおぼえ、声も出ない。誰も質問することも無く、そのまま正副議長は市長と一緒に二ツ井町に向かった。
 議会は一行の帰りを待つこととなった。その間に議会運営員会が開催され、自民系から要請され開催されることになっている合併特別委員会を、一転、開催するかどうかで綱引が始まった。突如、自民系が合併委員会を開催するとあれこれの問題が噴出し、二ツ井町への印象の悪化を懸念し、特別委の開催を拒絶し始めた。
 しかし、午後すぐに二ツ井町の単独立町が伝えられ、すべては泡となった。夕刻には、丸岡二ツ井町長が能代市を訪れ、単独の決定を伝えた。その後すぐに会派代表者会議は開かれ、その旨が伝えられた。
 能代の未来を思うとき、暗澹たる思いである。
2005年1月30日 日曜日
あまりも情けない議会に・・・・・
 能代市の名称さえ認めてもらえるならば、合併条件はすべて二ツ井町に合せるとの合併条件の文書を見て、今朝の北羽新報の内容が事実であった事を確認した。それが、大河の会、共産党、生生会、みどりの会を無視し、一部の会派代表のみで決めたとの事である。いいや、たとえ全会派の代表が揃っていたとしても、会派代表者会議は議決機関ではない。打ち合わせ会に過ぎない。
 「合併を本当に心配している議員」が集まって決めたとの議長の説明に、トホホの気分である。無視された議員達は、合併を本当に心配していないということになるのではないか。そのように、思われたのであればそれでもいいが、あまりにも情けない議会の実態である。
 名称さえ能代であれば100%二ツ井町に条件を譲ればいいとの自民党系の議員発言まであったとの事で、いったいこの1年半の協議は何であったのか、むなしく悲しい。二ツ井町との合併は急いではいけない。きちんと話し合って進めたらいいではないか。
2005年1月29日 土曜日
二ツ井町との合併を急いではいけない
 私は、終始変わらず合併を望んできた。しかし、昨日7市町村での合併枠は雲散霧消となった。さて、能代はどうするのか。どこか、能代と合併してもよいという町村があったらその可能性を探ることには賛成である。それが、二ツ井町であっても、努力してみるべきと考えるが、どうやら百鬼夜行している。
 八森と峰浜が小規模合併するようだ。琴丘と山本と八竜が3町でまとまり、プラス二ツ井町を加えて4町で合併したいと呼びかけている。丸岡町長はまるで鵺のごとく、蝙蝠のごとく、南部でも無し、能代でも無し、単独でも無し、いいや3つの可能性有の綱引をしている。能代と合併したいのであればそれでもいい。しかし、能代市が二ツ井町との合併を超法規的にまとめることに私は反対である。水面下で、自民系がうごめいて市長を動かし、既成事実化することはルール違反である。それを許すわけには行かない。手続きを経るべきである。
 今は戦時であり、いちいち議会を開催している時間がないと言う理由は、ただ単に二ツ井町と野合したいといっているのと同じである。合併の内容も名称もこの際、超法規的にバタバタとすり合せていくことが、後にどのような大きな禍根を残すか。
 今必要な事は冷静になることである。特例債と政局がらみで、あせっている自民党系と市長は同調するべきではない。やがて、私は能代山本全体で合併するときが近い将来来ると思っている。そのための、盟主として信頼を回復する時間が必要である。
 合併そのものに賛成であっても、二ツ井町とのここ2〜3日中の合併取りまとめには反対である。いま少しの沈着な話し合いがあってしかるべきである。
2005年1月28日 金曜日
そして、誰もいなくなった
 能代山本市町村合併協議会は今日解散を宣言した。そして、誰もいなくなった。
 今後のスケジュールとしては、1月31日に7市町村が臨時機会を開催して、合併協議会廃止案を議決する。3月10日に7市町村で廃止の告示をする。3月10日に7市町村長連名で県知事の届出をする。
 山本町での協議会の解散はあまりにもあっけなく、政治力学の非情さや無謀さ、理不尽さをイヤというほど感じた。記者会見での7人の市町村長の胸中を察するに余りある。居並ぶ7人は終始一貫、7市町村での合併を望み、まい進して来た。解散を自ら望んだものは一人もいない。
 盟主能代の政治的混乱は、結局今日の結果を招いた。暴走・混迷を止められなかった私にも議会人としての責任がある。
2005年1月27日 木曜日
存在意義無しの正副議長を連れて、市長の合併行脚はあまりにも悲しい
 確かに議会と市長は異なる意見であり、それが7市町村枠での合併崩壊の一因とはなった。しかし、首長の言いなりの一輪車町村と違い、能代市は曲がりなりにも、執行部と議会の車の両輪形式が存在している。合併枠の再構築をめざすなら正副議長を連れてこいという発想は町村的である。「議長の首は軽い、信用されていない。(能代市議会に信用されていないという意味だろう) 多数派会派の代表者を連れて行ったらいい。帰ってでんぐり帰ったら、恥の上塗りだ」と発言した議員がいたが、その通りである。
 市議会議長はただの司会者、交通整理係りに過ぎない。地方自治法に定められているその権利と義務を行使する能力も気力も無い。わたしのHPの削除を議会の議決で処理しようとした時点で、この議長の無能ぶり、無責任ぶりを知った。その後の理由のない私の懲罰動議に奔走したあげくの、懲罰の原因すらないという結果になんらの責任もとらない。
 議会と一体となって行動することと、無能議長を熊のぬいぐるみのように連れて歩く事は別のことである。もう少し時間をかけ、時々刻々と変わる情報を冷静に判断し、行動してもいいのではないか。7市町村での合併枠の崩壊をあったが、長いスパンでみたら、藤里を加えた8市町村でやがて合併することになる。潮の流れを待ってみてもいいのではないか。時の流れを味方に付けたい。
2005年1月26日 水曜日
7市町村合併は解散となった
 今夕5時少し前に総務課の職員が、明日午前10時から会派代表会議を開催する通知を持ってきた。つまり数日以内に臨時議会を開催するための手続きのひとつである。臨時議会では合併協議会解散後の対策として市長はどのような議案を提案してくるのだろうか。能代市議会は当局から提出された議案に非建設的に責める事は得意でも、議会自身が提案権を行使したためしがない。議会では合併または単独に関してこのような方向を考えているという意見を出すことの準備性がない。
 今日の正副会長会議で7市町村による合併協議会は解散する方向を打ち出した。1、北部2町村と合併する 2、南部3町と合併する 3、二ツ井を入れた南部4町と合併する 4、単独立市 などなど考えられる。単独以外を選択するには、町村との信頼が存在しない現在は困難な状態にある。
2005年1月25日 火曜日
能代山本合併の枠組み崩壊へ
 八森町と峰浜村の2町村で合併を再構成する方針を決めたようだ。3月の申請にはなんとしても間に合わせる予定である。能代市の離脱表明、その後の復帰のための新市名称案提示によるの混迷に、すっかり信頼をなくしたようだ。もっとも、ここまでコケにされても信頼しているとしたらよっぽどめでたい。
 能代市議会は「再公募」という答えにならない提案をしたわけであるが、その案を提示し賛成した思考回路の壊れてしまった多数派は、この混乱をどのように見ているのか、良心をきいてみたい。もっとも、良心があればの話であるが。
 残りの4町もどのような策があるのか苦悩としているだろう。特に二ツ井町の立場は危うい。南部3町とて、心ひとつにして合併を模索する状況下にはない。次善の策に奔走していることだろう。
 このままでは能代市は単独の可能性が大きい。そうすれが公共事業も激減し、それでなくても瀕死の建設業界は、談合で紳士協定をやっている場合ではない。談合破りで仁義なき戦いとなるだろう。第二の宇野が誕生する割合は少し減るわけだ。
2005年1月25日 火曜日
入札妨害容疑事件に同情の声に奇奇怪怪
 能代市発注の下水道工事に関する競争入札に前に設計価格を漏洩したことで宇野容疑者(前都市整備部長)と業者の佐々木雅昭容疑者に対して、今まで、誰もがやってきたことなのにと、二人に同情する声があり、本当の被害者が見えにくい事件の怖さを思った。
 真の被害者は住民である。例えば、ほんの百万円の贈収賄で、公共工事代金が数千万円も高く落札されたと仮定してにみよう。こんなことが何十年と続いたら、住民の受ける被害の大きさは天文学的金額である。氷山の一角であろうが、スケープゴード的であろうが、見せしめ的であろうが、悪が発覚したときが巨悪のシッポを捕まえたときと心得、同情ではなく、住民は厳しい監視を当局に注いでほしい。
 当然、議会も執行部のチェック機関としての役割と責任がある。議会には調査権もある。談合や不正入札防止は自治体にとって永遠のテーマに思えるが、横須賀市のようにやろうとするかどうかの意思の問題である。
2005年1月23日 日曜日
7市町村枠での合併が瓦解の危機にあって
 合併協議会への復帰のための、新市名称を具体的に、町村が判断しやすい答えを出さなければならない瀬戸際にあって、能代市議会は「再公募」という更に混迷を深める回答を出した。本当に恥ずかしい結論である。
 合併が瓦解した場合は、住民の合併を望む声を抹殺した責任は最終段階では議会にあるということになる。自民党はよだれをたらして、合併特例債による土建建築工事を望んでいるにもかかわらず、自民党親分の指令すら蹴ったことになる。この後の動きに目が離せない。
 未来を建設するという政治家の使命よりも、当面の政局と政争に奔走する田舎政治家のサガの悲しさを見せ付けられた思いである。これほどまでにコケのされた町村は決然たる意思を示すべきではないか。
2005年1月22日 土曜日
ブルータスお前もか!
 平成16年1月の下水道工事の入札予定価格を能代市の元都市整備部長の宇野清一容疑者が、業者である佐々木雅昭和容疑者に漏洩したとして逮捕された。わたしは、一人会派の新人議員なので、誰もが所属したがらない建設委員会に自動的に組み込まれ、委員として1年8ヶ月間、都市整備部と関わってきた。そのうちの1年間は宇野容疑者と関わってきたことになる。とても勉強させていただいたことも事実である。
 入札の公正性を保つために、豊澤市長は契約検査課を新しく設置し、入札の不正を防ごうとしたが、実際はこのような実態である。落札率は限りなく100%に近く、公正性が保っていると認識できる情況には無かった。およそ95%を超える落札率は談合と見ていいだろう。入札のほとんどは今なお、談合といえるかもしれない。
 今回は間違いなく「内部告発」である。そういう意味では、私が12月議会で一般質問した「行政コンプライアンス」が作動しているといえるかもしれない。強大な力を発揮していた宇野容疑者が退職して、始めてその呪縛を払いのけ内部告発に至ったといえるかもしれない。しかし、この予告編はすでに4月に人事異動で現れていた。トカゲのシッポきり人事がまかり通っていた。
 100%の落札率で私は「ふれあいプラザ」ケースで行政訴訟、つまり住民訴訟で宇野容疑者と法廷で間接的に戦ったが、私は敗れた。しかし、正義はいつの日か、不正義者を白日の下に曝すという事を今回は示した。
2005年1月21日 金曜日
今日もまた魑魅魍魎が闊歩する能代市議会
 7市町村で合併するという要望をしていながら、能代市議会は離脱の原因となった新市名称の問題に対し、市長の「能代山本市」という提案に対し拒絶の議決をした。そして、「制限なしの公募」という、名称問題に明確な回答を出さない責任回避の意思を決定した。恥ずべきことである。
 田舎の溝鼠ラスプーチンは本領発揮とばかり、魑魅魍魎となって這いずり回り能代市議会の混乱を増幅した。市議会として議決をせずに、あやふやのまま、市民意向調査を尊重して公募がいいのじゃないか〜ということにしようとの相談には驚いてしまった。7市町村での合併が破綻した場合責任をとる事を避けて、いや、責任をすべて市長に押し付けたいとの事である。市長の責任は明確に存在するが、議会にも責任がある。なんともはや無責任な発想である。ということで、かくも長き苦痛な1日であった。
 さて、私の発言に対し、いつもワーワー騒ぎ、野次を飛ばしてくれるが、そのことをわたしがよろこんでいることをG議員に伝え「有り難う」といった。口をへの字に曲げ、反応したことなんかないと言うからかわいいものである。これからも野次をよろしくといいたい。
2005年1月20日 木曜日
市町村の議長の役割
 市町村議会の議長はもちろん議会を統べる役割が主であるが、その肩書きからして、時としては親善大使、外交大使、観光大使のような役割を担うことになる。市町村のイメージアップのために、域外の人々に対して自らの市町村のイメージをアップし、よい印象を持ってもらうために努力する義務がある。自治体のもうひとつの看板としての自覚が必要である。しかし、そのことに気付いている議長は多いとはいえない。
 議会というコップの中の争いに汲々としていたり、首長のポチとなったり、首長と無意味な政争をしたり、それぞれの自治体でその人なりに様々である。
 議長としてやろうとすれば限りなく可能性があるが、したくないと思えばシベリアのマンモスのままでもそれなり存在しうるものである。首長と議会は両輪であり、首長と議長は機関として並立している存在であるはずであるが、実際は多様な形態であるようだ。政治手腕に人間的魅力が加われば鬼に金棒であるが、言うはやすし・・・
 ただ、今日お会いした議長達は大変魅力と自信に富んでいて、自らの役割を全うしているようであった。大変、有意義であり、お会いしてくれて感謝している。
2005年1月19日 水曜日
執行部と議会が車の両輪であるのは能代市だけ?
 誤解を恐れずに言うと、時々町村の首長と議会がまるで1輪車のように見える。善意の視線で見ても、執行部1輪者の補助車程度にしか見えない。町村長はどうやらいざとなったら議会に睨みが利くようである。民主主義の学校と言われている地方政治の実態はこの程度のものである。
 能代市議会から合併協に二人、議長と特別委員長が参加していたが、単なるメンセンジャーボーイ、ありていに言えば人間テープレコーダーであった。事前に開催する合併特別委員会で出た意見を集約し、それを文書化し、それをガキの使いのように合併協で読み上げるだけである。丁々発止と、生身の人間が意見を主張し合う場に参加するには、ある程度の裁量権を持たせなければ、彼らは意見を言うことが出来ない。
 車の両輪として、異なる意見をもっている市議会もこの有様であった。木偶のような議会選出の委員に町村側もまた失望していた。議会選出の議員もまた、呪縛にもだえていた。
2005年1月18日 火曜日
能代は新市名称をギクシャクせずに提示できるか?
 能代市が7市町村として合併するために合併協に戻るには、能代市として、新市名称を具体的に、能代白神市とか、能代山本市とか、米代市とか、第3の道としてまったく新しい名称を求めるとか、意思を示さなければならない。
 合併協への復帰のデットラインは21日(午後3時まで)と、合併協は文書で示してきた。そこで議会では21日に合併特別委員会を開催する。それに先立ち、市長と各会派の会談が20日に行われる。
 能代市の意思を求めているのは6町村である。にもかかわらず、「能代市」で受け入れるつもりがあるのかどうかの返答のボールを返すのは合併協側であるという、ピンボケ思考が議会ではまかり通っている。再び能代市をごり押しをしたら、議会が求めている7市町村で合併は再び空中分解する。外交で必要な、落としどころを忘れてしまっている議会である。
2005年1月17日 月曜日
能代市の合併協離脱表明で見えてきたこと
 たいやきのあんこがごっそり抜けた状態が、市町村合併の能代市の離脱である。町村側がどんなに理不尽で、民主的手法に横車を押した能代市を責めようと、核の無い細胞に未来はないと自覚したことだろう。能代市民も名称問題で能代市を新市名称にしたいが、同時に合併もしたいという相反する要求が通らなく、名をとるか実をとるかの究極の選択を迫られ、やっと実に気がつき始めている。
 人間の感情の前に、民主主義の手法も形無しの現実を見せ付けられ、人間的な、あまりにも人間的なナマの現実に、理性を基本に生きてきた私にとって、感動感激の毎日である。7市町村で合併以外にベストな道はないとわたしは信じているが、それとても幻想かもしれない。しかし、未来への指針を示すのが議員に使命であるならば、私は7市町村で合併こそが生き残る道であると信じたい。議員の中には、当事者である事を忘れ、市長の批判に終始している評論家然の者もいるが、車の両輪として、議員もこの難局に真摯に向き合わなければならない。
2005年1月16日 日曜日
新市名称問題に最良の着地点は無い
 能代市長の、2日間に渡っての6町村行脚は終わった。7市町村での合併が最良である事は確認したが、離脱の原因となった名称問題は残された。みんなが納得する着地点は、存在しない。市長は「議会と共に考えてきたい」とのことだが、「能代白神市」であろうが「能代山本市」であろうが、能代市において納得する議員や住民は多いとは思えない。特に議員は政局にすることが目的であったのだから。そこで、市長の手腕と決断が問われる。合併という大義のために、身を捨てたゆるぎないリーダーシップを発揮してほしい。大義のために玉砕するのならば本望ではないか。
2005年1月15日 土曜日
「投げたボールが返ってこない」と、市も町村も異口同音に言うが
 合併離脱問題で、市も町村も「こんどボールを投げ返すべきは相手側である」と同じ様に言う。それぞれに理由があるので、なるほどと思う。しかし、いまさらそれがなんだって言うのか。自分としてはボールを投げたつもりであろうが、相手が受け取れるボールを投げたかどうか。あらぬ方向に変化球を投げて、返ってこないと待っているようなものだ。待っても返ってこなければ、こちらからボールを受け取りに行ったらいいじゃないか。
 今日、明日と豊澤市長は、町村長への行脚を続けている。ボールを受け取りに行ったのだろうか。ボールを手渡しに行ったのだろうか。どちらにしろ、感情がたっぷり詰まったボールはもういらない。住民の将来の生活の安定を考えたら、首長のとるべき道はおのずと決まってくる。
2005年1月14日 金曜日
「もったり、まげだり」、やっぱり7市町村で合併を望む
 市町村合併を、能代市の議員と市長は政争の具にしているという声があるがその通りである。すべては、市長選で自民党候補者に勝ち、市民派の豊澤市長が誕生したことが始まりである。町村側にしたらいい迷惑である。
 「もったり、まげだり」したが、やっぱり7市町村で合併をすすめる事になった。1月20日というデットラインに対して、ぎりぎりセーフになる。今日の特別委員会で合併推進を賛成したからといって、すんなりと元の鞘に戻れるわけではないが、当面の危機は回避したことになる。
 町村側の豊澤市長に対する不信感は強い。それは、能代市議会に対する不信感でもある。また、議会と市長間にも不信感がある。私の人生でこれほど「信頼」という言葉を聞いたことはない。信頼を失うことの速さと、回復することの困難さをリアルタイムに見るにつけ、忸怩たる思いで過ごしてきた。今度こそ合併への道を市長はリーダーシップを発揮して進めてもらいたいと願わずに入られない。
2005年1月13日 木曜日
訪問者
 今日午後、佐々木重人さんが秘書の橋本さんと一緒に拙宅を訪問した。佐々木さんは衆議院選挙を野呂田邦成氏を相手に民主党として戦った30代の若者である。能代市長との面談の後に立ち寄ったとのことであった。私は、別に民主党でもコンペイトウでもない。そもそも、市議会に政党はいらないと思っている。
 佐々木さんはギンギンの市町村合併反対派である。さぞや、豊澤市長と意見がすれ違ったことだろうと、ひそかに期待し、ほくそえんでいた。あにはからんや、なぜか、感性ぴったりとばかりに満足の佐々木さんであった。市町村合併で矢面に立っている豊澤市長が『人間失格』の烙印を押されている事を残念がっていた。(それにしても、それって『市長失格』という語彙でないところがミソである)市長は合併の扇の要に位置している。市長の意思が、7市町村の未来を左右する要である。その事を忘れずに、人間合格になってほしい。
 底受けに明るく、未来志向の若者に出会うと、こちらも生きる力がわいてくる。国会議員として当選する確約も無い混沌とした政治の世界に飛び込み、巨大な権力に立ち向かう若者こそが、次代を作るんだよね。
2005年1月12日 水曜日
知事との会談を終え、むなしさだけが残った
 白神市は町村が言うように完璧な民主的手法で決定した。能代市長は自らが議長となって、その決定に加わった。にもかかわらず、議長自ら、白神市を覆し、市民意向調査の結果に沿って能代市という名称に変えてくれとい提案し、拒絶され、離脱表明した。町村に言わせると、そんな無茶な、納得できる理由を示してくれということだろう。されど、現実はマッタなしの地雷原である。
 知事をこの事態収集の仲人役として、おいで願ったが、総論賛成、各論反対のような事態となり、むなしさだけが残った。知事は市長として「議会に皆さんご協力ください」とお願いしないと合併がならないと思う、とまで発言した。それは、相手がまともな議会ならその台詞もごもっともと思えるが、今の能代議会は烏合の衆の状態である。恥ずかしいばかりの惨状である。知事は市長を相手にしていたら合併がものならないとも思ったのかもしれない。う〜ん、なるほどね。
 過去の繰り言をいくらくりかえしても先には進まない。小異を捨て、大同について、住民の未来を構築しなければならないのに、バカの壁が厚すぎる。6町村長には、民主主義の手続き論議も大事だが、住民の明日のご飯がもっと大事である事に気付いてほしい。
2005年1月11日 火曜日
マイ ライフ ワーク 観世流のたかが能楽されど能楽
 能楽の仕舞を習い始めてから長い年月がたつ。いつまでたっても上達しないが、好きなものは好きだから、チンタラ楽しんでいる。20代で能代の観世流の同好の会に入会して、今でも最も若い世代であることが残念である。つまり、どこの会でも言われている高齢化が、わが会では著しいのである。滅びの道をとぼとぼと歩んでいる気分になる時もある。
 しかし、考え方一つである。趣味の世界を若い世代が受け継ぐものとの特固定観念を捨てると、高齢者が生涯教育として楽しむものと捉えると、別の世界が見えてくる。能代観世流の越し方行方をK氏としばし話し込んだ。伝統芸能のチェーンを断ち切ったら、再生が困難であることについて共通認識を持った。どんな形であれ、このチェーンを受け継がなければいけないのだろう。
2005年1月10日 月曜日
若者の負担を増やすだけの福祉政策の破綻
 かくも長き不況の中で税収が思うように伸びず、いっぽうで福祉の財源が底をつくどころか底割れを起こしている。そこで、単純なる政府の施策は国民の痛みを大きくすることである。介護保険制度の改革は、介護保険の対象に高齢者だけでなく、障害者等も含めようとした。ただし、財源確保のために、40歳以上の国民負担を若者にまで広げようとした。支え手を増やし、サービスを受ける側の負担も大きくするという試みである。
 そもそも、20代の若者の半数は国民年金すら支払っていない。これ以上の負担に応じるには、何よりも自分自身の老後のサービスへの信頼、政府への信頼が欠かせない。支える側の若者の信頼を得ずして、負担のみを増加させようという施策が成功するわけがない。社会保険の一体化は急務であるが、何よりも支える側の納得のいく政策を示さなければならない。
 我が家にも介護保険のサービスを受けている両親がいる。しかし、20代の甥や姪の負担を増やしても構わないという合理的理由を政府が示しているとは思えない。
2005年1月9日 日曜日
1月12日に知事・市長・市議の懇談会が開催の予定
 1月12日は、市長と各会派の懇談会の予定であったが、今夜急遽予定変更の知らせがあった。知事が能代に来て、市長と議会に対して懇談したいとのことであった。どのような内容かはわからないが、7市町村の合併を名称問題だけで壊したくないということなのだろう。もちろん、わたしも参加し、この事態に光を見つけたい。
 能代市としては、新市名称を「能代市」と求めたこともあり、いまさら「白神市」には戻れない。ただ、名称問題をいったん棚に上げて、離脱を回避し、合併作業をすすめながら、新市全体で、再度住民の意向を調査して、あとで名称を決めるという方法もある。出来ないところで留まるのではなく、できるところから話し合いをし、それでもダメであったら決裂すればいい。新年度予算編成を考えると、この1月がデットラインであろう。町村は予算さえ組めないでいる。名より実を選択したほうがいいに決まっている。
2005年1月8日 土曜日
あれだけ熱かった合併名称問題はクールダウンしたものの
 能代市が合併協議会からの離脱を宣言したとたんに、あれほどまでにこだわりを示した合併新市名称問題がクールダウンした。豊澤市長の市民意向調査による「新市名称は能代市で」という合併協での主張、それに続く離脱の意向は、パンパンに張り詰めていた合併協議会の疑心暗鬼の緊張感にたいし、肩透かしを食らわした格好になった。
 寺田知事は、大慌てで仲介に労をいとわないと申し出た。お待ち申し上げていた役者がやっと出てきた劇場芝居のようなものである。振り上げたこぶしの降ろしどころを考えあぐねていた市町村にとって、絶好のチャンスである。本当は合併したいという思いを、市町村に自覚させた離脱宣言であった。
2005年1月7日 金曜日
85歳の手習い
 入院中の父を見舞ったら、地上に降りたら(6階に入院中)、再びパソコンに挑戦するので、機種を選んでくれとのことであった。10年ほど前に大枚をはたいて最新パソコンを買ったが、あまりの難しさのためにギブアップして処分してしまった。今はワープロで、新聞の投稿記事なんぞを書いている。インターネットやメールを使いこなせないと時代に遅れるといまさらながら気付いたらしい。彼ならきっと、使いこなすだろう。
 要するに気持ちの問題である。ボランティアで50代の女性にパソコンを教えているが、年齢が関係するのは、学習する時間が少し長くなるだけのことである。ゆっくり、楽しみながら、トライすることが大事である。とはいっても、私には父のような進取の気質が遺伝していない。どうもこもりがちである。
2005年1月6日 木曜日
活発な議会一般質問は人件費の無駄遣い?
 行財政の全般的見直し作業のひとつとして、百人の職員によるワークショップ「しゃべってみれ場」を設けて、現場からの声を反映しようとしているが歓迎すべきことである。その中のひとつに「議会の一般質問の人数を減らすだけでも職員の時間外削減につながる」という意見があったと北羽新報に載っていたので、面白いと思った。
 もし、そうなれば、時間外手当が減り、時間外労働も減り、職員が楽になる。はっきり言って、一番楽になるのは議員である。関係者みんなが幸せ、楽チンになり、そして、住民は蚊帳の外である。誰のための一般質問なのか。一般質問者の数が二桁になったのはこの期からである。画期的なことであったはずだ。きっと、議員たちがつまらない質問ばかりするから、やりがいが無いよしっかりしろよという激励なのかもしれない。そういえば、昼食後の一般質問は白川夜船である。
 なんでもござれの意見交換は、枠を飛び出した面白い考えが出てくるので、このような企画をもっとしてほしい。
2005年1月5日 水曜日
市議会と意見集約を図って? それこそが困難極まりない
 能代市議会というものは組織として存在するが、交渉相手としては幻のようなものである。アメリカ軍がイラク国民と意見交換して平和の早期実現を図ろうとしても、イラク国民は存在するが、交渉相手としてのイラク人が存在しないようなものである。
 とは言うものの、能代市議はたったの26人である。イラク人とは数値的には比較できないが。意見の異なる会派ごとに交渉を重ねても、所詮同床異夢である。肝心の相手はまったく別の夢を見ている。中には血のしたたる生首がほしいだけの者もいる。違うベクトル同士が力をあわせても目的地には達しない。
 議会とまともに意見交換するほどに事態は悪化する。議会と意見交換する場合は「外交」と心得たほうがいいのではないか。51%以上の成功を望まないこと。あきらめず、さりとて希望を捨てないこと。戦略と戦術を駆使すること。
2005年1月4日 火曜日
スマトラ沖地震津波の被害の大きさの概要がわかり始めた
 スマトラ沖地震による津波の被害の大きさに毎日驚いていたが、それはメディアが報道した部分だけであって、日々新しい被害の報道が明らかになって、驚くばかりである。特にインドネシアのアチェ州などの紛争地の被害状況がまだ明らかになっていない。死者のおよそ15万人という数字はもっと大きくなるだろう。
 日本も早々に5億ドルの援助を明らかにしたが、各国の支援をあつめても「バケツの水の一滴に過ぎない」といわれるほど、復興への道は遠い。
 日本の医療チームも現地に入ったが、あらゆるものが不足しているようなので、バックアップ体勢が一日も早く整ってほしいものである。わたしもNGO活動で途上国をみてきたが、ちょっとした災害も生命線上の生活をしている人たちには、大きな被害をもたらす事を見てきた。ましてや、このような津波は2次被害、3次被害も大きくなることが予想される。
2005年1月3日 月曜日
「恋心」
 友人がブックオフで400円で買ったという岸洋子のCDをくれた。シャンソンを中心としたいわゆる懐メロである。お気に入りの「恋心」から、「サン・トワ・マミー」「雪が降る」「愛の賛歌」「枯葉」などが入っている。(かなりオバサンになったと自覚している)パソコンのメディアプレイヤーで流しながら、別画面で仕事をしている。
 この年末年始という期間は、合併問題をクールダウンするためのジャストタイミングであると思っている。もちろん、この期間に党勢と利権確保のために動き回っている人種もいる。しかし、住民感情をもてあそぶ者は、ツケは自らに還る事を知るだろう。
2005年1月2日 日曜日
今年はラッキーな年になりそう・・・ なぜか元旦から困難が・・・
 病人というものは土曜か日曜の深夜または未明に悪くなるものである。少なくとも、我が家ではそうである。その土曜・日曜が1月1日となると話はかんたんでない。
 元日の午前4時に父が意識が混濁するほど病気が悪化したとの電話があた。数日前からの体調不全を訴えていたので、やはりと思い、駆けつけた。救急車を呼び、状態を話し、病院を指定して、私は自分の車で救急車を追いかけた。一番の問題が低酸素なので、酸素吸入で意識がはっきりしてきた。入院となった。
 父は自分の意思がしっかりしており、自己管理がある程度できるので入院さえしたら、安定してくる。しかし、介護の母がひとり残される事こそが問題である。パニックになり、心労で病気を悪化させ、更に私の手を煩わせる恐れが大きい。まずは、母を落ち着かせ、介護計画の練り直しである。
 ということで、最悪からのこの1年のスタートとなった。これ以下はないから、きっと今年は私にとって好い年になりそうである。  
2005年1月1日 土曜日
ようこそ!2005年 能代はどこに向かうのか問われている
 新年おめでとうございます。走り回り、時間に追われたままの平成16年だった。今年こそ、気持ちに余裕を持ち、大事なこととそうでないことに濃淡をつけて時間を使いたいと思っているが、まあ、無理かな・・・
 合併問題の責任の一切を豊澤市長の責任に押し付けて、市長交代の政局が活発化してきた。自民党は二ツ井の斉藤氏を市町村合併の新市長候補に推す事を具体化してきたようである。個人的には斉藤氏になんら不満はない。失業中の斉藤氏は自民党にとっては重荷であろう。自民党はあらかじめ予定していたシナリオを表立たせ、衣の下の鎧をちらつかせてきた。市議会では自民党とそのコバンザメ自民系は、議長と合併特別委員長を交代させその役職をうばうという暴挙に出てまで、能代市を名称公募から外す事を議決していた。その事を、おくびにも出さず、あちらこちらの白神市反対の団体の支援、バックに余念がなかったのは、すべて、豊澤市長の首とりゲームのためである。能代市という名称を真に愛している住民感情を見事に、身勝手に利用したのである。

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