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2006年12月31日 日曜日 イオン郊外型大型店出店は、政治ラインの既成事実 日本中が、国を挙げて、まちづくり3法を改正して街の拡散を規制し、中心市街地の再生に取り組んでいる。にもかかわらず、斉藤市長は郊外型大型店が出来ても、中心市街地活性化は可能であると、あい矛盾することをなぜ言い続けるのか。イオンとのトップ会談ですでに話し合いがついているということである。
イオン傘下である柳町のジャスコのメンテナンス工事は、競争によるものではない。能代では本社からの指令に基づいて工事を請け負わせている。本社からの指令とは野呂田氏の意をくんだ指令である。本社から指令を受けた柳町ジャスコとメンテナンス工事に関しての交渉するのは、なぜか、能登元県議の後援会幹部である。その方は、メンテナンスとはまったく別の業種、木材業である。つまり、野呂田氏ー能登氏ー斎藤氏の政治ライン上に能代ジャスコ店存在している。あらかたの情報はすでにライン上の人物たちは得ている。斉藤市長の「(イオン出店許可に関して)判断する材料がそろっていない」とは、茶番にすぎない。
2006年12月30日 土曜日 イオン郊外型大型店出店問題と消費者 正月の買い物のために、近所の小さなお店で買い物をした。いつもは、近くのロッキー、マックスバリュー、テラタでまとめ買いをしている。年末なので、買いそびれたこまごまとしたものをそこでとりそろえた。お店には高齢の方が数人買い物をしていた。大根とかお菓子とか日常的なものを買っていた。その人たちにとって、向能代地区から遠く離れたはるか遠くの東能代地区に大きなショッピングモールができることで、老人カーを押しながら日々の食料品を買っているこのお店が大きな打撃を受けるだろう事は、想像外であるかもしれない。今買い物をしているお店がずーとこのまま存在している思っている高齢者にしてみたら、大型店が出来るということに対して反対する理由はないと考えているだろう。圧倒的多数を占めている消費者の立場に立ったら、買い物をする店が増えることは歓迎すべきことである。
人口が減少し、高齢者が増えているこの地域に、売り場面積だけが無限大に増えて、なおかつ経営が成り立つだろうか。ありえない。消費者はそこまで想像が働かないものである。品揃えですみわけが可能であるという市長の言い分は、企業の論理に目を瞑っているだけである。可能な限り、一滴の財も逃すまいとしているイオンが地元商店と暗黙の紳士協定で、日常品の品揃えで地元をおびやかさないように制限するはずもない。仁義無き戦いがあるのみである。
2006年12月29日 金曜日 小沢民主党代表 村岡兼造父子に参院選への協力もとめる 敵の敵は味方 なるほど 敵の敵は味方である。昨日まで戦った相手であっても、今日、政界の流れが変われば、味方となる可能性がある。参院選での協力ということであるが、最強金田氏と、新人松浦氏とあれば、図式的に協力体制が取れるだろう。しかし、次の衆院選では京野公子民主党県連幹事長がすでに出馬を決めている。そして、村岡敏英氏も立候補すること(無所属で?)を表明している。参院選では調整しないということだろうか。一話完結、次は再びあいまみれるということかもしれない。協力を求めた小沢代表ももとはといえば自民党である。政治の世界の流動性や非情を思わずにいられない。
2006年12月28日 木曜日 行政の不作為は犯罪である 能代産廃問題でも 行政の不作為で大きな問題となった事件に薬害エイズ事件がある。薬害エイズ問題とは、1970年代後半から1980年代にかけて、主に血友病患者に対し、加熱等でウイルスを不活性化しなかった血液凝固因子製剤(非加熱製剤)を治療に使用した事により、多数のHIV感染者およびエイズ患者を生み出してしまった事件である。「産・官・学」複合過失による薬害として、刑事責任を問われた。東京高裁は、元厚生省生物製剤課長の松村明仁被告に対する禁固一年、執行猶予二年の一審判決を支持し、有罪とした。危険を知りながら、権限を持っている行政が何もしなかった、つまり行政の不作為に対して断罪した。この事件以前は、行政の不作為の責任は組織が負うのみであり、担当の責任者であった課長がその責任を問われることがなかった。
能代産廃問題でも現在620本のドラム缶が掘り出されている。液状物が入ったまま不法投棄されたことが実証されつつある。監督官庁である秋田県がまさに長期にわたり「行政の不作為」を続けてきた結果である。
ジャーナリストの櫻井よし子さんが薬害エイズ問題を問うとき次のような例を挙げていた。『火事で家が燃えている。2階で子どもは助けを求めている』こんなとき、火事の原因が判明しないので消火は出来ないと行政が言ったら? とても許されるものではないだろう。原因はともかく、つぎつぎと命をなくしている悲惨な状況をくいとめることが先であることは誰にでもわかる。同じことが、能代産廃問題でもいえる。
能代産廃という巨悪が長期に放置された最大の原因は県の不作為にある。能登元県議が、当時は力のある与党の現役であったので、県は問題に及び腰であったと解説する人もいる。もしそうであったならば、まさに県の不作為が意図的であり、犯罪そのものである。能登氏も産廃問題は十字架であると言うのみで、解決のためになんら協力していない。道義的責任を果たそうとしない不作為を住民は良く見ている事を忘れてはいけない。
2006年12月27日 水曜日 イオン郊外型大型店の周りの開発に規制をかけるつもりはないと答えた市長 能代市は言わずもがな、高齢化と少子化が全国に先駆けてすすんでいる。市街地拡大ではなく、市街地の「ちぢみ」をめざさなければ、行政コストがさらに財政を圧迫する。税金を払う住民が少なくなる、交通弱者の高齢者が増える。そこで、上下水道の住民サービス、道路の維持、特に冬の除排雪のエリアの拡大など、住民サービスにかかる行政コストがどんどん増えてくることは少しでも避けたいところである。
アクロスを見てみよう。アクロスが出店したことによって、ロードサイドに商店が張り付いただけでなく、その周りの宅地開発がすすんでいる。イオン郊外型大型店出店許可によって、同じ様な現象が起きてくる。居住地域の拡大によって、人口は減少していながら、市街地が拡大する。パラパラと広く薄く住民が居住する地域拡大をどんどん進めていくと、上下水道、冬の除排雪などの行政コストは増大する。
まちづくり市民会議との面談で市長は、市民の問いに答えて、イオンの周りの住宅開発等に規制をかけるつもりはないと答えた。ということは、イオン許可後、周辺は宅地開発がすすむことは明らかである。さらに、市街地が拡大し、行政コストが増大するということである。イオンと市長、選挙前後にどのような約束をしたのだろうか。
2006年12月26日 火曜日 郊外型大型店の出店は一時的な雇用の創出になるのみ イオン郊外型大型店の出店は雇用の創出になるか、ならないかといえば、なると答えるしかない。ただし、ほんの一時的に雇用が増えるだけである。やがて、たとえばアクロスが売り上げ低下により、雇用の調節をすることは目に見えている。それが能代市全体で行われると・・・長期的に雇用の増加にはならない。山田氏が地元紙で、イオンは雇用の創出をするとモジョをこいていたが、イオン出店で汗をかいている市役所の担当職員(中心市街地再生に対して、すっかりやる気をなくしている。はっきり言えば、投げ出しているような)ですらそんなことは言わない。山田氏は、雇用の創出を確信していたが、永遠の右上がりを幻想している道化者である。政治には道化も必要である。
少子化が突然反転しベビーブームとなる、日本中から移住する人が増えて人口が増大する、誘致企業が押すな押すなでやってくる・・・・なんて事は夢の夢、そんな幻想をもとにまちづくりは出来ない。郊外型大型店を持ってくることで雇用が増大するならば、国を挙げてまちづくり三法を改正してまちづくりの見直しをするはずがない。ものつくりの企業のように地元に腰をすえて、人材を育成しながら、長期的視野にたって経営にあたる企業と同じではない。彼らはテラノサウルスである。
市長の「判断する材料がそろっていない」の言葉が不思議でしょうがない。これだけの「判断材料」が日本中にあふれかえっている。インターネットをポンと押すだけで、「判断材料」が湯水のごとく、いや、洪水のごとく、津波のごとく、押し寄せてくる。ましてや、能代で一番情報が集中するところが、能代市役所である。
2006年12月25日 月曜日 市長の「判断する材料がそろっていない」は単なる逃げに過ぎない イオン郊外型大型店出店を認めるかどうかに関して、市長の「判断する材料がそろっていない」とは単なる逃げに過ぎない。イオンからはすでに判断するに足るだけの情報が市長には届いていると見ている。「どのような情報があるかは今はいえない」との市長の言葉からも伺える。イオンとの面談も何回か繰り返されたようである。
市長はイオン出店容認の理由に都市間競争理論を持ち込む。たとえば、北秋田市鷹巣に郊外型大型店が出店を予定している。そこで、能代で大型店を誘致しないと、住民は能代以外の北秋田市鷹巣などの大型店に買い物に出かけることになり、能代の財が他市に流れるという論理である。能代の住民はアマノ、五城目ジャスコ、御所野イオンモールにショッピングに出かけている。その割合は、市外にどのような大型店が出来ようとほとんど変わらない。他市の出店予定の大型店を理由に、イオン郊外型大型店出店の自らの許可の理由にするのも逃げである。
判断材料がどうであれ、あと3・4週間で、大型店に対して市長判断のときが来る。
2006年12月24日 日曜日 デコレーションケーキがいっぱい 昨日は高齢者介護施設でデコレーションケーキ作りをした。かつて、お菓子作りを習ったが、誰かのために役立つとなるとうれしいものである。クリスマス会を午後から企画しているので、午前中の時間を利用して30人分のケーキを作った。専用の道具もないが、あるものを利用して、ちょっと不恰好だが、そこはそれ素人の手づくりの愛嬌である。職員も手伝ってくれるが、要領の悪い私は、汗みどろになってドタバタ、ジタバタしている。あ〜あ、ちゃんとシミュレーションして準備をするべきであったと後悔しても後の祭りである。みなさん、ごめんなさい。
2006年12月23日 土曜日 まちづくり市民会議と市長との意見交換 その笑顔が不誠実 まちづくり市民会議と市長との意見交換が実際はどのようであったのか、地元紙を読んだ範囲といささかの情報を元に考えた。地元紙の写真の左側に市民会議のメンバーが厳しい表情で陣取っている。右側には、市当局がいる。左側の児玉産業振興部長と市長が満面笑みで写真に納まっている。記事の内容を読むと、およそ満面笑みにはふさわしくない場面である。何をにやけているのだろうか。そもそも、市長がまちづくり市民会議と懇談したいと申し込みをして、実現したものである。真摯に向き合うべきである。そもそも「現時点で話せるのは議会答弁での範囲内」と答えるくらいなら、なぜ市民会議をテーブルによんだのか。議会答弁を聞いてくれといえばよいだけである。少しでも優位に立ちたいので、笑うべきときでないときにでも無理に笑顔を作ることは、自分をごまかすことはできても、相手にとっては不誠実な人間ととられる。
2006年12月22日 金曜日 武力攻撃にさらされたとき、住民は自らわが身を守ることが出来るか? 議会全員協議会が開催された。「武力攻撃等において国民の保護のための措置に関する法律」に基づき、国の定める「国民保護に関する基本指針」がしめされた。それらを元に能代市が作成した能代市国民保護計画素案の説明があった。計画の元となっている、いわゆる能代市国民保護条例は9月定例会ですでに可決している。国民保護条例審議で、総務委員会での採決では、3対3で可否同数となり、委員長採択で委員会可決となった経過があった。なんともはや委員長採択とは、平成18年度の能代市議会として最も恥ずべき出来事であった。能代市との冠はついているものの、この国民保護計画に別の市名を入れたら一丁出来上がりとなるほどの全国1800自治体同じパターンである。
武力攻撃4パターンを想定している。しかし、想定される武力攻撃の形態は無数にあるはずだ。自衛隊は敵と戦っているので、国民は自分の身は自分で守ってください、と言われても丸腰の国民は自らを守ることは出来ない。説明を聞けば聞くほど、主旨がぼやけている。市の説明も、国が決めろといったので、拒否できないといった立場でものを言っている。
本当の目的は、いつでも戦争のできる普通の国家になるための国家総動員体制の準備ではないか。「隣近所助け合って」なんて美しい言葉であるが、先の戦争の隣組となんら変わらない。核兵器・生物兵器・科学兵器(これをNBCというそうだ)で攻撃された時の市民の心構えを説かれても、覚悟なんてない。そんな事態にならないように隣国と外交するのが国の役目である。沖縄県では那覇市や宜野湾市など4自治体が国民保護条例の制定を見送っている。私は、国民保護法は憲法違反であると考える。平和憲法は、20世紀の深い反省が日本に与えた宝物である。
2006年12月21日 木曜日 イオン郊外型大型店出店を若い人たちに問うてみたら イオン郊外型大型店出店について若い人たちに、賛否をきいてみたら、予想通り全員賛成であった。反対の意見を言う人はひとりもいなかった。もし自分が若者たちの立場に立ったら同じ反応であっただろう。娯楽の少ない能代市で、東京と同じような買い物が出来る事は彼らにとって魅力的である。イオン出店が能代市のまちづくりに、私たちの生活にどのような影響を及ばすか、思いがいたらないことも若者ならばこそである。
そういう意味では、能代市が郊外型大型店出店に関するアンケート調査をしたことは正解であった。歓迎38.1%、条件付賛成28.3%、反対17.6%、どちらともいえない11.1%という結果は、住民の感情が素直に出ている。条件付賛成28.3%をどのように見るか意見の分かれるところであるが、どのように見ても、賛成の割合が多いことにかわりがない。何度調査しても、歓迎が圧倒的に多いという現実は変わらないだろう。だからこそ、すぐれて「政治的判断」を必要としていることである。業界側に立った政治判断か、まちづくりの視点に立った政治判断か、斉藤市長の資質が見えてくるだろう。
今日地元紙に「大型店出店を許してよいか」と題して住民の意見が出た。大型店出店のデメリットが縷々述べられていた。私たちの生活に大きな影響を及ぼすイオン出店に関して、住民の意見がこれからも賛成反対の立場でどんどん出てほしいものである。
2006年12月20日 水曜日 能代港がリサイクルポートに指定 県北部エコタウン計画と連携を 国土交通省はこれまで2回のリサイクル港を指定しており、18港が総合静脈物流拠点港としてネットワークに組み込まれている。3回目の指定となった今回は、能代港と京都府の舞鶴港そして愛媛県の三島川之江港の3港が該当となった。アーバンマイン、つまり都市鉱山といわれる汚染土壌、携帯電話などの電子基盤、石炭灰、廃プラスチックなどが能代港から陸揚げされる。リサイクル港に指定されたことは、能代市にとっては大きな弾みになる。県北部エコタウン計画の中で能代港は唯一海に開かれた拠点であった。大館市や小坂町に位置する同和グループのリサイクル関連部門と連携をとり、新たな利活用が見込まれる。
能代市議会でも、循環型社会形成に反対していた議員たちも、能代市の将来性は循環型産業抜きに考えられないことに気づいた。もっとも、循環型反対は単なる政局の道具としてつかっていただけである。いまや、荷揚げの「土壌」を「汚染土壌」といいなおしてください、と重箱の隅をつっついてお願いして、ハイおしまいといった程度である。
2006年12月19日 火曜日 議員政治倫理例条例は憲法違反? 議員政治倫理条例を制定の方向で能代市議会は動いている。しかし、平成会、創風会、よねしろ会は原則として必要でないとの立場をとる議員が多数を占める。議員政治倫理条例は上位法である地方自治法に違反しており、憲法にも違反しているという。旧二ツ井町の議員政治倫理条例は、住民にとってもわかりやすいものであり、かつて本来の役割を果たしていた。彼らに言わせると旧二ツ井町の条例も、議員に厳しい倫理観を求めた三種町の条例も憲法違反だと主張する。
性善説に立って議員は利権漁りをするはずがないとか、悪いことをしたら選挙で選別されるはずだとのいう主張を、住民は受け入れるだろうか。昨今の談合知事のニュースを見てもわかるように、政治家というものは腐りやすいものである。それも住民のわからないように巧妙に、わが懐に住民の金を誘導するものである。
議員に厳しい条例を作るとわが身が危うくなるので作りたくないだけである。そうはいえないので、憲法違反だとわけのわからないことを言い張っている。I議員はかつて、政治倫理をただすことを使命にしていた。いまは、政治倫理条例は必要でないとの立場で、条例つぶしに汗を流している。政治倫理観の喪失とはそういうことなのだろうか。悲しい限りである。
2006年12月18日 月曜日 メタボリック・シンドロームかもしれない 生活習慣病とよばれている主な疾患に「肥満症」、「高血圧」、「糖尿病」、「高脂血症」などがある。個々の原因で発症するというよりも、肥満、特に内臓に脂肪が蓄積した肥満が犯人であると考えられている。内臓脂肪蓄積により、さまざまな病気が引き起こされた状態をメタボリック・シンドロームという。体のどの部分に脂肪がつくかによって、肥満は2つのタイプがある。下腹部、腰のまわり、太もも、おしりのまわりの皮下に脂肪が蓄積するタイプを「皮下脂肪型肥満」、内臓のまわりに脂肪が蓄積するタイプを「内臓脂肪型肥満」とよびます。体形からそれぞれ「洋ナシ型肥満」「リンゴ型肥満」ともよばれている。「皮下脂肪型肥満」(洋ナシ型)は外見から明らかにわかりやすいが、「内臓脂肪型肥満」(リンゴ型)は外見ではわからない。リンゴ型では、ウエストが男性では85cm以上、女性では90cm以上であれば、内臓脂肪型肥満が疑われる。
どうも、私は洋ナシ型メタボリックである。スカートやズボンがパンパンで、とりあえず入るものをはくという日々である。運動するのが一番だそうだが、昔から運動オンチで、ごろごろ族である。とりあえず、歩くのが一番だそうだ。それもしんどい。
肥満は万病のもと、ダンスダンスで脂肪を燃焼させることにするしかない。
2006年12月17日 日曜日 イオンが来なくても、中心市街地の各商店街は衰退するとの見通し イオンが来たら、決定的なダメージを受けるのは中心市街地の商店街であることはわかっている。しかし、たしかに、イオンが来ないとなっても、中心市街地の商店街のシャッターが上がることはなく、かつての活気を取り戻すことはないという市の見通しを否定はしない。だから、イオンが来るのは仕方ないとなるとそれは違うといいたい。
中心市街地の活性化を中心市街地の商店街の活性化は同じではない。それは一つの要素にすぎない。イオンが来ることによって、地域にある常盤のお店や鶴形のお店、東能代のお店や向能代のお店が、閉店においこまれる恐れがある。中心地だけでなく、周辺に住んでいる交通弱者の高齢者たちが、日常生活の困難に見舞われる。人口が減少している能代市で、売り場面積が限りなく拡大していけるはずがない。徐々に、地域の商店が閉店となっていることは、全国多くの地方都市で見られる。
イオンは中心市街地の商店街を歯牙にもかけていない。アクロスなど郊外型大型店と競争し、つぶし、独占的状況を作り出すことをめざしている。巨大恐竜同士の熾烈な戦いで、最大の被害を受けるのは中心市街地である。そして、周辺地区の商店は経営することが困難になる。
イオンの出店を拒否しても、別の大型店が進出してくるだけとの考えもある。だから、あきらめて、能代の財を吸い上げる巨大企業のなすがままにしていいのだろうか。今住んでいる地域社会を大事に結い直すことがまちづくりである。イオンは能代一帯を食いつくし、しゃぶりつくして、荒れ野にして、また次の餌食を求めて転戦する「旅の者」である。
2006年12月16日 土曜日 久しぶりにハタハタを鍋いっぱい煮付けて えーい、清水の舞台から飛び降りたつもりで(大げさ!)ブリッコのハタハタだけを贅沢に鍋いっぱいに煮付けた。新米も炊き上がったし、いよいよハタハタの饗宴である。ハタハタは一匹だけ上品に皿の上に乗っていると何か悲しく、わびしくなる。そういえば、ご飯を炊いたものの、ハタハタが主食のようなものである。一人で10匹なんてへっちゃらである。あっちち、ハフーハフーしながら、ハシと手でハタハタにかぶりつく。
かつて、母が毎年ハタハタすしをつけていたが、なぜかその当時は好きになれなかった。小学生の頃、ハタハタの中毒にあたって、七転八倒で苦しんだことがトラウマになっていた。しばらくの空白期間があったが、あ〜あもったいなかった、こんなおいしい食べ物に背をむけていたなんて。
2006年12月15日 金曜日 能代産業廃棄物処理センターで不法投棄のドラム缶12日現在で519本 まだまだ・・・ 10月から始まった能代産廃センターでの重機試掘調査で内容物の入ったドラム缶が次々と発見されている。12月12日現在で519本である。まだまだ、ドラム缶が埋設されていると見られている。液状物が入っているもの233本、固形物が入っているもの112本、空が114本、確認中が60本である。第1と第2処分場だけでもこの有様である。ここで、幕を閉じるというわけには行かない。産廃センターのほかのエリアでもドラム缶を不法投棄したのを見たとの住民や運搬業者の証言がある。あろうことか、産廃センター外でのドラム缶の不法投棄を見たとの証言もある。確信犯である。そしてその上に樹木を植栽して、発見されないように工作をしたとの証言もある。
長い間住民の命と健康を脅かしてきた世にも恐ろしい毒物が現物として土中から掘り起こされ続けている。動かぬ証拠であるが、不法投棄による立件は、時効となっている。県は何らかの手段をとるようだ。時々刻々と倒産業者の巨悪が明らかになりつつある。それでも能登氏は県議選に立候補するというのだろうか。来年4月の県議選のころになっても、ドラム缶処理のニュースが追いかぶさるように流れているだろう。これだけの巨悪に対して、住民への贖罪の気持ちがあったならば、自らの資産の一部でも投じて、解決のために尽力するべきではないか。また、市民の健康と命を預かる能代市長たるもの、このような人物を県議として当選させるために応援するのはいかがなものか。
2006年12月14日 木曜日 能代市議会倫理条例 波高しであるが制定の方向へすすんでいるかも ここのHPの議会通信の平成17年9月10月に記載しているが、旧能代市議会政治治倫理条例に基づき、住民が4議員に対して政治倫理条例違反の疑義で政治倫理審査請求を議長に対して平成17年に申し立てをした。80名以上の住民の署名を集めて、できり限りの証拠を集めて、高い壁を乗り越え審査請求した。結果、1議員は却下、3議員は審査の結果疑義無しとなった。その経過はHPをご覧ください。
さて、新能代市議会でも議員政治倫理条例を作るための前段階として議会政治倫理懇談会を開いて、条例制定の意見書を取りまとめている。
1.政治倫理条例を制定するかどうかで意見が分かれた。制定が多数派となった。
2.政治倫理条例の及ぶ範囲を「議員、配偶者、血族2親等が実質経営にかかわっている私企業は市と契約できない」とした。この点ももめたが、多数派となった。
3.政治倫理審査会を設置でもめたが、設置するが多数派意見となった。
さて、昨日の政治倫理懇談会で、最大会派のよねしろ会の伊藤議員と創風会の飯坂議員がとつぜん、政治倫理審査会を設置しなくてもいいとの立場を表明した。それでは、住民が議員に対して疑義を持った場合、平成17年のように議長に対して審査会を請求するという権利がなくなる。つまり、住民が議員の疑義に対して、まったく何もできないということである。住民の監視が条例からすっぽり抜け、請求権がなくなり、条例が骨抜きになる。つまりあってもなくても同じである。少数派意見といえ、次回で最終となる今回このような動きがでてきた。
審査会は、同じ仲間の議員だけで構成される。本当は、第3者も入ったほうがいいのだろうが、上位法である地方自治法の規定で、第3者機関としたり、第3者を入れる事は出来ないとのきまりがある。平成17年の審査請求の際、審査会の不備が如実に露呈したが、それでも仲間の議員の疑義をただす過程で、自らを律することの大切さを学んだはずである。(ただし、「はず」であるが)
2006年12月13日 水曜日 イオンの農振除外の申し出への政治的判断は来年1月の理由 お断りするのは早いほうがいい との答えは・・ イオン郊外型大型店出店のための農振除外の申し出への返事にかんして、来年1月に政治的判断をするとの、斉藤市長の考えに対して、その理由を畠議員は今日の一般質問で糺した。第一質問への答弁は「来年早々に政治判断をしなければならないのかということでありますが、今回の計画変更申出書は目的があって提出されたものですので、相手に行政上の事務手続きで迷惑をかけるものであってはならないと考えており、また、能代市の将来を左右する重大な事案ですので、慎重に検討しつつも速やかに判断を行うため」との事であった。
第2質問としてさらに突っ込んだ質問をすると、「お受けするための返答はいつでもいいが、お断りするには早いほうが良いと考えて1月とした」との答弁であった。でも、来年11月に都市計画法が変わり、床面積1万u以上の出店が困難になるので、駆け込み出店を可能にするためスケジュールとも取れる。
畠議員のイオンはいらないという強い思いが伝わってきた。ひたむきに、言葉を弄せず、飾りもしないシンプルな強さが、本当の強さなんだ。当局席に陣取る市の幹部も、たぶん、斉藤市長の郊外型大型店誘致に対してひそかに、否定的であろう。
2006年12月12日 火曜日 木都能代にエレベーター付き5階建て鉄筋コンクリート高層市営住宅を建てるのは間違いである 木都能代にエレベーター付き5階建て鉄筋コンクリート高層市営住宅を建てるのはこの定例会の市長答弁を聞けば聞くほど間違いであると確信した。完成するのは着工してから10年後である。今からだと早くても12年後の完成である。市長はかまわないだろう。なぜなら、そのとき出世して能代市にはいないだろうから。こんなめちゃくちゃな計画をやみくもに進めている実行部隊大塚部長は、何か自ら特別益することがあるのだろうか。住民の利益という視点に立ったら、木都能代のまちづくりの視点に立ったら、このうような住民への背信行為は出来ないはずである。
産学官の研究会にとっても、「住吉町で150戸以外の提案をしても、絶対市側は受け入れない」との強硬な条件に悩まされていることだろう。それでいて、木都能代として、木造化や木質化をはからなければならない。5階建て高層団地を意にそわないまま提案することになるだろう。研究会には、こんな条件では無理がある、条件を変更するべきであるとの意見を付帯してほしいものである。研究会は、提示されためちゃくちゃな条件に対する変更を提案することは許されていないことは理解している。しかし、研究会自身が、このような住宅条件を受け入れているとは思えない。
商工会議所案は、あまりにもめちゃくちゃな条件に縛られ、驚きの提案書となった。そのじつ、提言しようがないほど無理難題であった。
2006年12月11日 月曜日 予定地9万5795uもの巨大イオン郊外型大型店出店を認めることは間違いである イオン郊外型大型店は、土地利用面積が95,795.33u、農振の除外を申し出ている農用地面積だけでも45,335u、店舗形態はモール型ショッピングセンターである。中心市街地活性化と郊外型大型店が両立できるという市長は、カラスを白いと言いくるめているようなものである。そんなマジックはない。能代と同じような条件の街で、成功している例があったら教えていただきたい。そんなマジックがあったら、政府がまちづくり三法を改正してまで、本気で中心市街地活性化に取り組むはずもない。イオンのため、能代市がインフラ整備に、数十億円の税を投じなければならない羽目になる。もっとも、その公共工事ほしさがが、イオンを認める側の目的である。
今年11月の1ヶ月間にかぎり農振除外の申し出を受けるための、突然市が窓口を空けたのは、イオンの出店を可能にするためである。なぜ、今年の11月の1ヶ月間なのか?大型店の郊外出店を原則禁止する改正都市計画法が今年の5月24日通常国会を通過し、成立した。 床面積1万平方メートルを超える大規模なスーパーなどの集客施設が郊外に出店するのを原則禁止となる。来年秋(11月頃?)にも施行される見通しである。そこで、イオンは、来年の11月までに、出店の手続き・準備等を終えなければならず、ぎりぎりの日程が農振除外の申し出11月であった。すでに出来レースである。来年の11月までに出店の準備を完了していなければ、改正都市計画法によって阻まれることになる。そこで、イオンは、市長に積極的に接触し、出店の計画を進めてきた。
これだけ巨大なショッピングモールが出来て、中心市街地活性化と両立するというのは、幻想、はっきり言えばうそである。それでは中心市街地の活性化は何だとなると、その目玉は、住吉町に鉄筋コンクリートのエレベーター付き5階建高層高額市営住宅である。古き土建屋自民党政治を、ここ能代でも展開しようとしている。
2006年12月10日 日曜日 イオン郊外型大型店出店に賛成なのか反対なのか 市長のモラトリアム いったい郊外型大型店の賛成なのか反対なのか、市長はあやふやな態度をしてきた。しかし、とつぜん農振除外申出の窓をひらいたことでもわかるように、出店を認める方向でモラトリアム状態を作っていると考えていいだろう。およそ10万平方メールに近い巨大な予定地を考えただけで、通常の首長は判断つくものである。出店計画を見なければわからないというは、口実に過ぎない。細かな出店計画というのは、此の際判断材料として絶対欠かせないものだろうか。
10万平方メートルというのは。学生の頃運動会で100メートル走をした経験があるでしょう。その百メートル走を3回繰り返す長さを、たてと横の長さにしてみましょう。その正方形よりもまだおおきい面積なのです。これほどの予定地と、今までのイオンの戦略を調べると、全体像を計算することが出来る。ちょこまかした出店の細目を判断理由にしているのは、出店拒否を出来ないそれなりの理由でがんじがらめにされているということである。来年1月には政治的判断をするということである。住民運動が再び起きるだろう。イオンは、商店街を始め、住民たちに、自分たちのまちづくりについて、本気で考えさせるチャンスであった。市民運動を通して、さらに自覚することも多々あるだろう。
2006年12月9日 土曜日 市が求める住吉町住宅建替え案は、特定建設業者が喜ぶ案である そもそも、斉藤市長や忠犬ハチ公大塚部長の求める住吉町市営住宅建替え案は、猫の額の土地の住吉町で150戸、5階建てエレベーター付高級マンション風(出来るだけ高額なほど良い?)、駐車場は高齢者が多いので足りなくてもかまわない、福祉施設も併設、一応木都能代を装わなければいけないので鉄筋コンクリートを木で隠す配慮はほしい・・・といったものである。特定建設業者の喜ぶ案である。複数の団体・組織に提言を求めているのは、「これこれの団体が、こういう提言をしてるので、市としても、それを参考に150戸を住吉町で建てなければ」と持っていきたいからである。提言を求められている団体・組織は、たんに市の言い訳に利用されるだけである。これだけ、がんじがらめにして、斬新な提言などできるわけがない。
それが証拠に、商工会議所の住吉町住宅建替え案を見ればわかる。このやけくそ案は、二重底になっている。つまり、市に対するレジスタンスでもある。一番手っ取り早い方法は、大塚部長が自ら、市の思惑通りの建替え案を書き上げ、「これと同じものを提案してください」ともっていけばいい。そのほうが、あまり回りくどいことをしなくても、ストレートでわかりやすい。
産学官の研究会も、木造高層で建築も可能であるとしてるが、木造住宅よりも高い鉄筋コンクリートよりもさらに高額な高層木造住宅は、財政を圧迫することを考えてほしい。それにしても、商工会議所案の無様は、大塚部長のなせる結果である。エネルギーの無駄使いである。そして英知への侮辱である。住民の税金ということをまったく考慮せず、ヒラメのように上を見ているだけである。そして、いったん立てた計画を、時代の要請にあわせることの出来ない、役人根性の悲しさである。
150戸の市営住宅を中心市街地で建てたいということと、住吉町で高額高層でということが何ゆえ結びつくのだろう。何かが?何を?
2006年12月8日 金曜日 能代産廃 ドラム缶は現在350本でてきたが、まだまだ・・・ 能代産業廃棄物処理センターから、投棄してはいけない、あってはならない、書類上は存在しないはずのドラム缶が12月5日現在で合計350本でてきた。350本は氷山の一角である。能登氏は、来春の県議選を前に、ドラム缶発見の報に接するたびに、自らを十字架を負った殉教者として哀れんでいるのだろうか。産廃問題解決のために自らは何一つすることなく、嵐が通り過ぎるのを待つ作戦のようだ。能登氏の産廃へのあるべき姿勢を、的確に表現した言葉がある。
「オーストリッチファッションという言葉があります。駝鳥は目前に敵(ドラム缶)が迫ると、頭を砂の中に埋め視界から敵の姿(産廃場)を消すことで難を逃れたと思いこもうとするそうです。言うまでもなく何の解決にもならないばかりか、逆にその(市民の命と健康の)危険度は増すことになります。今、私たちは、能代市政の前途に立ちはだかる(産廃の)大きな課題と困難から、目を逸らすことなく、逃げることなく、立ち向かう勇気と智慧を持って、能代の未来に責任を果たすという強い決意を持ちたいと思います」
産廃の十字架を背中にくくりつけたまま、頭を砂に埋めても、しりが丸見え。能登氏が持っている産廃関係の書類や、自ら産廃とかかわってきた事実を、住民の健康と生命を守るために今こそ明らかにするときでらる。頭を砂に突っ込んでいる場合ではない。能代産廃問題と能登氏の選挙に住民は多大な関心を持っている。
2006年12月7日 木曜日 商工会議所の住吉町住宅案 クレージーな案をつくらせたのは市側である 猫の額の土地に、大塚建設部長は「住吉町で150戸以外の提案をしても、絶対市側は受け入れない」と恫喝した。これによって、商工会議所は、民間人としての自由な発想の芽を奪われた。結果、クレージーな提案書となった。棒にもハシにもかからないばかげた提案書は、 恫喝の産物である。能代市が市営住宅建替えに対して提言をいただこうとするとき、さまざまな条件を提示することは当然である。しかし、大塚部長には、提言していただこうという姿勢ではなく、恫喝を与えた。提言された案がすべて参考になるわけではないが、その中に1つでも「これは使える」というものがあれば、それでいいではないか。厳しい条件は条件として示しつつ、提案者が意外な切り口で発想の転換する可能性を残すべきである。会議所の「住吉の敷地を分譲販売した資金でサティ跡地を買い取り市営住宅建設」案は、なるほど、意外な切り口である。しかし、このような案を提案することは許されなかった。市側は受け取らないというのだから。
「鉄筋コンクリートでエレベターつき5階建て高額住宅150戸、木都らしくペタペタと木を貼り付ける」市営住宅が、はじめからあり、それ以外はアキマヘンと会議所に言えばよかったではないか。
2006年12月6日 水曜日 市職員互助会の公金山分け 市職員はかつて民間と比べ薄給で、互助会が必要であった。いまはどうか?市職員の平均所得はおよそ700万である。(ちなみに、議員の年収は600万円を切って、500万円台。それでも多いのではないか)月で割り算してください。民間会社で、年収700万円の社員は一体いるだろうか。地元資本の会社では多くいるはずがない。にもかかわらず、「劣悪な職場環境(クーラーがついていないというだけ?)」「搾取される労働(なんか、懐かしい言葉!)」「階級闘争(これって、どんな意味?)」てな、旧ソビエトみたいな言葉使いで、労働環境の悪さを訴える職員に驚いたことがある。
福利厚生のために市が補助した金額は、その目的を失った時は速やかに返還する種類のものである。山賊の山分けをした。悪気はぜんぜんなし。それにはそれの事情があったということ。でも、住民が納得しない。それは住民のお金なのです。
2006年12月5日 火曜日 商工会議所の住吉町住宅建替案 見れば見るほどバカバカしく これって本気かなあ 商工会議所の建替案に、高齢者対応(バリアフリー)とあった。どんなバリアフリーなのか見たら、鉄筋コンクリート8階建てにエレベーターを設置することと説明されていた。一事が万事この調子である。提案する前から、狭い住吉町で150戸という縛りをかけられ、やる気をなくし、仕方がない何か提案しなければならないというかったるさが、行間から染み出ている。8つの島になっている細切れの土地に、4つのペンシル型のビル棟が4棟、112戸とは、ここを新宿や六本木と勘違いしているのだろうか。
「住吉の敷地を分譲販売した資金でサティ跡地を買い取り市営住宅建設」「木造で建設し、不足分を中心市街地の敷地を利用する」との商工会議所の案もあったはずである。なぜそのような案を提出しなかったのか。なぜ、かわりにこんなバカバカしい子供だましのいい加減なものを提出したのか。会議所のアイデンティティーとは一体どこにあるのか。
建築手法を初めに紹介し、あとは配置図、立面図など建設ソフトを使ってパソコンでお絵かきし、残り半分は間取りソフトをつかって延々と間取り遊びである。そんなものを今必要としているのではない。もっと真面目に、提案してほしい。やる気のなさ、あきらめこそが、市の望むことである。大塚建設部長の「住吉町で150戸以外の提案をしても、絶対市側は受け入れない」の恫喝をはねのけて、商工会議所独自案を出すのが本筋ではないか。会頭、副会頭がどの面さげて、小学2年生のお絵かき程度の計画書を提案したんだろうか。恥というものを知っているのだろうか。
2006年12月4日 月曜日 商工会議所の住吉町住宅建替案は”算数のお勉強”にすぎない 商工会議所の「能代市営住吉町住宅建替計画」の提案書は、小学校2年生の算数のお勉強並みの稚拙さに、トホホの情けない気分である。
●A案は木造3階建てと福祉施設を配したらそれでなくても狭い土地がいっぱいになった、え〜い、残り70戸分をペンシル型高層8階建てに押し込めてやれという安易な案である。おまけに、大塚建設部長の「住吉町で150戸以外の提案をしても、絶対市側は受け入れない」の脅しは効きすぎるほど効いて、150戸に迎合ボーナスの7戸をプレゼントして157戸案となっている。
●次に、B案は2階建て30戸・3階建て12戸の木造住宅・福祉施設を配したら、アララ、残りの土地が少なくなったので、え〜いとばかり残り112戸を高層8階建てに押し込めたものである。あまりにも安易過ぎる。
●さて、C案は木造3階建て36戸に福祉施設を配し、狭くなった残りの土地にえ〜いとばかり112戸を8階建ての高層に押し込めた。高齢者が住む市営住宅として8階建てが妥当かどうか・・言うまでもない。
A・B・Cの案に共通するのは、木都らしく低層木造を狭い土地に配したのはいいが、宿題の150戸をどうしても建てなきゃならないので、引き算をした結果、狭い土地の隙間にまとめて8階建ての市営住宅にしたという程度のものである。当然、駐車スペースは十分には取れない。
悲しすぎる会議所案である。5階建て鉄筋コンクリート市営住宅を計画していた市長ですら、オヨヨとばかり戸惑いと軽蔑を見せていたような。こんな案使えるわけがない。商工会議所と山木会頭は、恥ずかしくないのだろうか。顔を洗って出直したほうがいいだろう。
2006年12月3日 日曜日 お笑い?迎合?マジ! 商工会議所の住吉町住宅建替案の8階建て提案の御乱心 商工会議所及び山木会頭はとうとうご乱心あそばしたようである。子どもは真実を見抜いて「王様は裸だ!」とさけんだ。わたしも真実を申し上げたい。商工会議所及び山木会頭、あなたたちは間違っている。木都能代と言いながら、鉄筋コンクリートの8階建ての市営住宅を提案するとは、能代市民に恥と損失を及ぼしたいのでしょうか。木造2階建てだと一戸1千万円台で建設できる市営住宅も、8階建てだと一戸3千万円台にもなる。税金は所詮、他人の金、いくらかかってもかまわないのでしょう。山木会頭の老害もここに極まれり。商工会議所は、看板換えして、市長御用達会議所としたほうがいいだろう。
苦渋の選択と言うなかれ。長いもの、権力に巻かれているだけ。商工会議所として、独自に市民の立場で市営住宅を提案するという使命を忘れただけである。たしかに、大塚建設部長が「住吉町で150戸以外の提案をしても、絶対市側は受け入れない」と、語気強めて、何度も何度も威しをかけたということは、担当者が話していた。
よしんば150戸案が街中の賑わいを取り戻すために必要だと判断したとしても、なぜ、その狭い住吉町に押し込めなければならないのか。商工会議所ではそのことを疑問視してきたはずではある。絶対的市長が誕生し、権力にまかれ、市民の利益を忘れたようだ。狭い敷地に、もとめられるままに、福祉施設も公園も書きこんだ。さて、必要な駐車スペースはどうするのだろうか。
たしかに、木材業界に配慮し、地場産木材を活用できるように木造の2階建て3階建てを配し木都能代を香り付けをした。そこで、こなしきれなくなった戸数を一気に8階建てに押し込めた案である。商工会議所及び山木会頭は、よくも恥ずかしげもなくこのような子供だましの案を提案したものである。目がまったく市民側を向いていない。市長に迎合しているだけである。
2006年12月2日 土曜日 コンパクトなまちづくり 中心市街地活性化は大型商業施設を否定するものではない 郊外型大型店の出店に対して反対することは、必ずしも大型商業施設を否定することではない。能代市では、柳町を再開発するにあたって求心力のあるジャスコを誘致した。柳町はジャスコを核として人の流れを作り出している。中心市街地活性化において、妥当な規模の大型商業施設の設置は街を訪れる人々の回遊性を高めることになる。
さて、中心市街地活性化計画に国が同意する際に、能代市は準工業地域に特別用途地区を指定することが要件である。都市計画法において規定されている用途地域は全国一律の建築用途規制であるが、特別用途地区は、地域の実情に即してきめ細かく規制していくためのもので、用途地域に「上塗り」する形で、特別の目的のために用途制限を加えたり、緩めたりすることができる。特別用途地区は従来11種類に限定されていたが、平成10年6月の法改正により市町村が柔軟に定めることができるようになった。最も使用制限のゆるい準工業地域を、小売店舗地区として小売店舗の集約的な立地を図るために定めたり、あるいは大型商業施設の建設を制限したりすることが、能代市の裁量権でできる(この場合は制限であるが)。しかし、特別用途地区を指定することは、これまた高度な政治的判断の要することであり、たやすいとは言いがたい。
現実的には、郊外型大型店を容認することはたやすい事であるが、中心市街地活性化のための施策をとることは困難であることもたしかである。
2006年12月1日 金曜日 「あれか、これか」と言いながら、イオン出店では「あれも、これも」とは、実現不可能な矛盾である まちづくり3法とは、土地の利用規制をするゾーニングを促進するための「改正都市計画法」、大規模小売店による周辺生活環境への影響を緩和するための社会的規制を実施する「大規模小売店舗立地法(大店立地法)」、空洞化する中心市街地の活性化を支援する「中心市街地活性化法」の三つを言う。これらまちづくり3法は、地域の多様性と主体性を生かすことを目的に、国から地方自治体へ、権限が委譲されていることが特徴である。能代市は、能代市の意思で能代のまちづくりを進めていける可能性が拡がった。能代市のまちづくりを進める上では、まちづくり3法の内容を十分理解し、活用していかなければならない。
中心市街地の活性化のためには、「市街地の整備改善」「商業等の活性化」を柱とする総合的・一体的な対策を連携して推進する市長村が「基本計画」を作成しなければならない。そしてその基本計画に沿ってTMOなどが作成する事業計画を、国が認定し、支援を実施する。という流れになっている。ただし、計画を策定さえすれば国がどの自治体にも補助金をばら撒くわけではない。能代市のように、郊外へ市街地を拡大する街はその対象にならない。中心市街地の活性化のために官民上げて、意欲的に取り組もうとする中核都市に、国は集中的、重点的に補助金をだす。国は限られた予算を薄く広くではなく、深く集約的に注ぐ方針である。
限られた財源では市民は「あれか、これか」の選択をしなければならないと斉藤市長はいいながら、イオン出店に関しては「あれも、これも」と、実現不可能な、郊外に市街地を拡大しながら中心市街地も活性化するという矛盾を言う。国は、コンパクトなまちづくりをめざして、まちづくり三法を制定した。国は市街地拡大政策を進める能代市には、中心市街地活性化のための補助金は交付しない。
2006年11月30日 木曜日 蒙古襲来!! イオンが農振除外申請 郊外開発と中心市街地活性化は、両立しない イオンが今日、受付の最終日に、農振除外申請を出した。というよりも、イオンの農振除外のために、斉藤市長が特例的に農振除外申請の受付の窓をあけたので、当初の目的どおりということである。
能代市は現在65歳以上がおよそ30%であり、これからもさらに少子高齢化はすすんでいく。当然人口減は明らかである。そんな社会情勢の中、イオン郊外型大型店の出店を歓迎して郊外を開発発展させ、同時に中心市街地の活性化もすすめるということは、矛盾に満ちている。郊外も中心地もということであれば、国がまちづくり三法を改正して、地方都市の中心市街地の暮らしを再構築しようとするはずがない。日本全国、地方都市は郊外に拡散発展し中心市街地はシャッター街となっている。能代だけが、郊外に街が拡大発展し、同時に中心市街地の賑わいを取り戻すというマジックが実現するはずがない。
能代市がイオン郊外型大型店の出店を認めることは明らかである。ということは、中心市街地活性化の国の補助金は期待できないということである。国の方針は郊外型拡大を選択した街は、中心市街地活性化の助成対象から原則除外する方針である。イオンを選択したら、中心市街地の暮らしを守るには誰にも頼らず自分たちの資金でまちづくりをしなければならない。ますます、窮地に陥る。
商店街のリーダーの中にでさえ、斉藤市長は郊外も開発発展させるし、中心市街地も活性化するといっているので大丈夫だと発言する人もいる。総合計画にも盛り込まれるし、心配いらないとまで言う。市長の明言、総合計画の中で明文化する・・・そんなことで、自分たちの街が再生出来ると信じたいのだろうか。
2006年11月29日 水曜日 11月30日まで農振除外の申請を受け付けますの真意はイオンにあった ある日突然開いた窓である。時あたかもイオン郊外型大型店出店に焦点を合わせるように斉藤市長は農振除外の申請受付を11月いっぱい、つまり明日まですることにした。イオンはくるのか?こないのか?わざわざイオンのために農振除外の申し出を受け付けるところにおのずと答えがある。
能代市は合併に伴い昨年10月から、農振除外申請受付の手続きを停止していた。農業振興地域整備計画で農用地に定めている区域内の農地に関して、農家が農地をそれ以外の目的で使う場合は、計画農用地の除外手続きと農地転用手続きが必要である。計画農用地の除外に関して能代市の裁量である。合併後に能代市は新しい農業振興地域整備計画を策定するまでは、除外申請の受付をすることは出来ない。
合併に伴い農振除外を受け付け停止となることによって、市はイオンが進出してくることにモラトリアム期間を設けていた。しかし、斉藤市長は農家の不利益になりかねないという理由で、11月いっぱいに限り、イオン進出の絶妙な頃合を見て、農振除外申請受付をすることにした。明日がその期限である。
2006年11月28日 火曜日 郵政民営化造反組11人の復党 国民は納得できない 安倍首相は選挙のためならば、改革路線よりの党内調整を優先させるのか。小泉首相の郵政改革は、自民党内の「ベルリンの壁崩壊」のようなものであった。安倍首相にとっては、小泉首相の「置き土産」に手を焼いているというのが現実だろう。造反組と刺客との激突があった。有権者は改革路線を支持した。それでも当選造反組は、郵政民営化反対で当選した。いまさら、しどろもどろになって、復党を願うとは、寄らば大樹の陰、大きいことはいいことだ、と思っているのだろうか。みっともない。自民党が復党を許しても、国民はその変節を許していない。有権者に対して説明責任がある。
刺客として勝ち抜きてきた議員たちは、復党願いに反対している。それはわかる。しかし、小泉政権は今は存在しない。小泉チルドレンを卒業して、自分の足で歩かなければならない。復党してきた造反組とも、党内で、次の選挙で、戦わなければならない。勝ち抜いたときこそ、自らの手で勝ち取った議員となる。国民の目は、復党造反組に厳しい。だからといって、小泉チルドレンに有利なわけでないし、同情的なわけでもない。単なる刺客として使い捨てになるか、本当の国会議員となるのか、ここが分かれ目である。
野呂田氏は復党はしない、出来ない。次の選挙に出るわけでもなし、残りの消化試合を議員報酬等をもらいながらこなすつもりだろう。自分の後継者として、巷では息子を指名するという声もあるが、それでは村岡二世ではないか。
2006年11月27日 月曜日 重機試掘調査の現場でドラム缶を 今日午後から、旧能代産業廃棄物処理センターの第1処分場と第2処分場での重機試掘調査の現場を視察した。発見されたドラム缶の内容物を別のドラム缶に移しかえしていた。そして、空になったドラム缶をシートにつつんで、フレコンバックに入れていた。第2処分場では慎重に試掘作業がすすんでいた。予定では、6メートルの深さまで進めることになっている。いち早く発見された今回のドラム缶だけでなく、試掘の途中でもドラム缶が出ることは今の時点でもうわかっている。ドラム缶を掘り出しながら6メートルまで掘ったとする。なお、そに下にドラム缶が存在した場合はどうするのか担当に尋ねた。想定外の展開で予算措置をどうしたらいいのか混乱状態であり、回答はなかった。
キャッピング工事、遮水壁の工事などの現場を見てきたが、これで解決するものではない。既存の遮水壁とのジョイント部分を見たかったが、その部分に関しては調査したはずだが、どうも調査が適切であったのかどうか疑問である。
2006年11月26日 日曜日 内容物の入ったドラム缶発見は県にとって想定外 旧能代産業廃棄物処理センターで発見された136本のドラム缶のほとんどに内容物が入っていたことは、秋田県にとっては想定外のことであったと思われる。最も古い処分エリアの一つであったので、ドラム缶があったとしても、劇物の入ったドラム缶はすでに内容物が流出しており、発見されるのは長い年月の末、プレスされて腐食しているたんなる金属片であると踏んでいた。このような形で発見されるとはよもやのことであったろう。私自身も、すでに内容物が流出して、ドラム缶が押しつぶされた形で発見されるかもしれないと予想していた。そして、県が、そのドラム缶を金属物に過ぎないとして埋め戻し、一件落着とすることをもっとも恐れていた。
県にはこの136本を処理するための予算措置で汲々としている。136本処理してそれでおしまいというわけにはいかなくなった。何をどうしたらいいのか、混沌としているようである。そもそも、十分な調査もせずに特措法適用ための計画を作成したことから間違いであった。
2006年11月25日 土曜日 嘉手納町視察 人口1万3735人の嘉手納町の一般会計予算はおよそ85億円である。よく3割自治と揶揄した言葉があるが、そのうちで町税の占める割合は12%に過ぎない。能代市の半分の割合である。嘉手納町は面積の83%が米軍基地である。残りの17%の土地に町民が住んでいる。隙間で生活しているようであった。米国に接収された土地の持ち主で嘉手納町民に支払われる地代は115億円である。一般会計予算よりもはるかに多い。また、一般会予算に占める土地接収に起因する歳入が異常に大きい。インフラ整備も最大95%の補助金が出る。いたれるつくせりである。
60年間栄養剤を注入されてきた町を、これから自分の口は自分で漱ぎなさいと突き放したところで出来るものではない。教育などの予行演習が必要である。基地が返還されたとて、今さら汗して働く意欲はそぎとられている。米国および日本は沖縄戦の犠牲につづく残酷な仕打ちをしていることになる。
米軍基地のおかげで沖縄は戦後産業を起こすことが難しかった。観光と基地がおもな産業となっていしまった。
2006年11月24日 金曜日 イエスキリストは十字架を背負って磔刑となるゴルタゴの丘へ キリストは十字架刑を宣告され、刑場であるゴルタゴの丘へ重い十字架を背負って歩いた。それでもなお、彼らを許すように主に祈るキリストである。産廃の十字架を背負っているといい続けている能登氏は、自らをキリストにたとえ罪無き者の受難のように思っているのは解せない。むしろ、罪無き住民が産廃の十字架を背負い、ゴルタゴの丘に向かっているのである。ただし、その先にあるのは磔刑ではなく、環境の回復をめざして、ゴルタゴの丘へと歩を進めている。
能登氏は特措法が適用になり、解決への道を歩みだしたときでさえ、なんら真実を明らかにすることはなかった。たとえば西村土建で建設した産廃処理センターの遮水壁建設に関して、県に報告した書類上データでなく、真実のデータを出すことさえしていない。工期が異常に短かったということである。西村土建では、ドラム缶を捨てる先を多くの個人に頼んでいたという住民の証言がある。もしかしたら、産廃処理センター以外の市内または市外のどこかにドラム缶が埋まっている可能性もある。1本10万円の提示価格に、応じた人がいるだろうという住民の話である。
能登氏は自分を被害者にしたいのだろうが、実際は深くかかわっていることは各種の書類であきらかになっている。いまこそ、何があったのか、自分が知っていることをすべて話し、産廃問題の解決を進めることが先決である。
2006年11月23日 木曜日 旧能代産廃センターで136本のドラム缶発見、さて能登県議候補予定者はどうする? 秋田県の無作為、能代市の無責任が、ドラム缶発見に現れている。第1と第2処分場で10月から重機試掘調査を行っている。20日の県議会決算特別委員会総括審査で136本のドラム缶発見の事実が明らかにされた。「書類上不法投棄された事実はなかった」との答弁。液状物の入ったドラム缶を不法に埋めましたと記載する業者がいるはずもない。
身内が起こした不祥事で、産廃の十字架を負っていると明言している能登県議候補予定者は、このドラム缶の発見に接し、それでも能代市民の支持を期待しているのだろうか。市長選はあきらめた。県議選ならいいだろう。そんな計算が働いたことだろう。市長は、唯一の人なので、産廃の十字架を負っている人を市民は拒否した。そこで、能登氏は県議ならその他大勢なので市民も許してくれるだろうと踏んでいるのか。たしかに土建関係の支持者の中には、「産廃問題だけが地域の問題じゃない。もっとたくさんの問題がある」という人もいる。しかし、産廃問題とは、広域の住民の命と健康を脅かしている由々しき問題である。ほかにどのような問題があろうとも、住民の命と健康より優先する問題があろうか。能登氏は産廃問題解決のために何も行動を起こしてこなかった。産廃処分場の経営者である義弟とは縁を切ったといって回った程度である。いまからでもおそくない。せめて、処分場に何が埋めてあるのか、調べて市民の前に明らかにしてほしい。義弟と縁を切ったと言って、産廃問題と無縁になったとするのは卑怯である。義弟のところに出かけ、今すぐ真実を明らかにするように行動するのが能登氏の役割である。また、能登氏は産廃処理センターと深くかかわってきた事実がある。能登氏自身が、真実を明らかにする義務がある。
2006年11月22日 水曜日 知事選挙、米軍基地、沖縄戦跡・・・ 沖縄から今夜帰って 19日から今日22日まで沖縄を視察した。視察の報告は、おいおいHPや新聞紙上でするが、私にとって大きな出来事をひとつ。視察先は沖縄の中部にある嘉手納町であった。嘉手納基地が良く見え、滑走路のすぐ脇の「道の駅 かでな」でレクチャーを受けた。絶えず爆音を上げて訓練しているF15イーグル戦闘機やP3オライオン対潜哨戒機等を3階から眺めているまさにその時、嘉手納基地に着陸したF15戦闘機が緑地帯にオーバーランした。米軍基地報道部は今日、「非常にまれなケースだが、滑走路の表面が雨でぬれていたことが原因だった可能性が高い。維持管理チームが点検した結果、戦闘機に異常はなかった」と発表した。その発表は嘘である。午前中、雨が降っていたことはたしかである。バスから降りて、傘をさして町役場に向かったが、道の途中で、雨がやみカラリと晴れ上がった。半袖でも汗がでてくるほど暑く、道はあっという間に乾いた。嘉手納飛行場の滑走路もその時間帯は乾いていた。スリップしたのならば、機体が不安定になるはずであるが、そうではなかった。直進して、緑地帯に突っ込んだ。土はまだ水分を含んでいたために、車輪は土に埋まった。小雨が降っていた中でも、FA18戦闘攻撃機やMC130特殊作戦機などがトラブルなく次いで離着陸していた。
戦闘機のブレーキの故障ではないか。そのとき私が居た道の駅は、滑走路から数十メートルしか離れていない。戦闘機の故障であろうが、スリップであろうが、私が巻き込まれても不思議でない距離である。
この事故が3日早かったら、知事選は違っていたかもしれないと話す人もいた。ともあれ、嘉手納町の人々は危険と隣り合わせに生活している。しかし、圧倒的多数の住民は、基地の国外移転を主張する糸数候補にノーを突きつけた。住民の本音は、基地がなければ生活が成り立たないので基地は存続してほしい、危険だけは回避する手段をとってほしいということである。このような複雑な住民感情を生み出しているところにも沖縄問題の根の深さが現れている。
2006年11月21日 火曜日 政府広報 ストップ!いじめ 幼児にたいする性的犯罪を「いたずら」と表現されると、命を奪われ、人格を抹殺された犯罪を適切に言い表していないと感じる。同じように、自殺にまで追い込む犯罪的行為を「いじめ」という言葉で表されると、何かいまひとつ踏み込みが足りないと感じる。ほかの言葉がないので使うしかない。
「ストップ!いじめ」の政府広報が全国いっせいに出た。さて、13年前の1993年1月13日の夜、山形県新庄市立明倫中学校の体育館で、用具室に立てて巻いてあったマットに逆さに突っ込まれた形で、中学1年生男児の死体が発見された。やがて、7人の少年が逮捕・補導された。山形マット死事件である。陰湿ないじめが殺人事件へとエスカレートした事件だ。数限りなくこの手の事件は過去にあった。教育行政はやっと、事の深刻さに目覚めた。
2006年11月20日 月曜日 温泉食べ歩き 知人の出版者二関陽子さんが温泉食べ歩きの本「あきた食楽の湯、癒しの湯 101湯」(980円)を発行した。県内の書店やコンビニエンスストアで先日から販売している。わたしも1冊いただいた。温泉でおいしい料理をいただいて、宿泊し、温泉に浸るという贅沢はできないが、せめて本の中で行った気になっている。写真がステキで、読むだけでも癒しになる。
露天風呂が人気があるようで、思わずはりたいと思う露天風呂満載。ワイルドすぎてまるで池の中というのもあったり、モダンすぎてプールの中というのもあるが、私は露天風呂大好きである。
温泉めぐりの雑誌には、温泉の無料クーポン、チケットがついているのもある。その無料券を利用して温泉めぐりをする人たちもいるそうだ。無料券を発行しているのは、ついでに何かを買ってほしい、次回は有料で来てほしいという願いがある。ところが、無料券のみ利用して、マナーの悪い客がいるとのこと。
山奥のいわゆる秘湯は、ひなびた有様がなんともはや旅心を誘う。
2006年11月19日 日曜日 コンポスト見直したい 庭に3台のコンポストを置いて利用して15年ほどになる。最初のうちは残飯をコンポストに入れていたが、虫の発生のために、その後はもっぱら庭の草取りや落ち葉処理に使っている。ただ、入れた後の肥料の使い道がすくない。もう一つは、肥料になるような発酵の過程を経ることが出来ないので、植物にとって、栄養が高いとも思えない。コンポストみなおし隊のメンバーの方から、ゼオライトを使ったら良質の肥料が出来、虫や臭いの発生を防げるとのお話を伺った。
昨日はどっさり落ち葉を詰め込んだ。圧力をかけながら大量に投入したが、こんなやり方では落ち葉も肥料になりにくいだろう。もう少して手をかけて、肥料化するためにコンポストを見直ししなければならない
2006年11月18日 土曜日 おめでとう!現代の名工に大倉栄子さんが 「現代の名工」に大倉栄子さんが選ばれ、厚生労働大臣表彰を受けられる。おなじ落合地区に住んでいるだけに、とりわけうれしい。大倉さんは先に「マイスター」の称号を受けており、最年少受賞もなるほどである。また、能代山本では初の女性の表彰である。
私は趣味が日本の古典的なものなので、着物を着ることが多い。仕立て方によって、着やすかったれ着にくかったりすることが多々ある。伝統技術を守るということは、過去の技術をただコピーするのではなく、時代に愛される伝統を作り上げることである。大倉さんはまさにそのことを実践してきた。着物は単調な型のように見えるが、その時代の志向・流行というものがある。着物は、日常であれ、ハレであれ、生身の人間が生活の中で身につけるものである。着る人間の感性にぴたりと来る仕立ては、大倉さんのように絶え間ない研究と修行の末に会得することを改めて学んだ。
2006年11月17日 金曜日 高級時計ジャラジャラと木村良樹和歌山県知事の談合 和歌山県発注の公共事業で官製談合で県の幹部やゼネコン幹部が逮捕されたのに続いて、15日とうとう木村良樹和歌山県知事も逮捕された。知事公舎での逮捕とあって、改革派のクリーンな知事の胡散臭さが腹立たしくも、悲しい。高級時計がジャラジャラと知事公舎からでてきたとあって、官製談合の日常性と犯罪との感覚が麻痺していた象徴のようでもある。「イメルダ夫人の靴」の日本知事版かな。靴と時計はほどほどにしないとね。
なぜか、ある年のアフリカの出来事を思い出した。脈略はないかもしれないが・・・。中央アフリカの終身大統領ジャン・ベデル・ボカサは、1977年に皇帝となって戴冠式を行った。若かりし私はなぜか、印象に強く残っている。国民の年間の平均所得が155ドルしかない国で、国家予算の2倍にもあたる2500万ドルという大金を注ぎ込み、ナポレオン1世の戴冠式もどきでおこなった。かれは重度の「ナボレオン狂」である。不釣合いに贅沢に着飾った騎兵隊と高級自動車・バイク隊に護衛された8頭立ての豪勢な馬車、ダイヤモンドをはめ込んだ2mの大錫杖と剣を手にし、真珠と水晶で飾った礼服の上に白い貂の毛皮の外套をまとい、冠には82カラットのダイヤモンドの宝石、黄金の翼をもつ大玉座、フランスから取り寄せた豪華な酒と料理・・・猿芝居の茶番だ。ボガサ皇帝はいたって大真面目で世界の物笑いの主人公を演じていた。
木村知事の悪事を県の幹部は知っていたはずである。たいていの職員は見てみぬフリをして、ある少数の職員は悪事に加担して知事の歓心を買おうとした。木村知事のようなキャラがほっておけばボガサとなるのだろうか。
2006年11月16日 木曜日 ボジョレ・ヌーボーの解禁日 初物を味わって 今日はボジョレ・ヌーボーの解禁日であった。今年のボジョレ・ヌーボーは、とてもおいしく出来だそうだ。去年の味を覚えていないが、すこぶるおいしかった。解禁日は、1967年に、フランス政府によって、長い間、11月15日と決められていた。ところが、毎年15日に決めておくと、年によっては、土・日曜日に重なってしまうことがあるので、休みの日に働きたがらない国民性のフランスでは、運送業者が動いてくれず、解禁日にワインが届かない。ふーん、なかなか、フランス人の頑固さは、結構な硬さです。ということで1985年に「第三木曜日」に変更されたのだ。 かくして、私もボジョレ・ヌーボーを今日味わうことが出来た。日いづる国である日本は、地球の日付の関係で世界で最も早く味わうことが出来る。(それがナンだ、といわれると反論できないが)
ボジョレ・ヌーボーがおいしく出来たのは、「7月の暑さ、涼しかった8月、葡萄の濃縮感を高めるのに一役かった北や南からの風が交互にそよいだ晴れやかな9月」という天候の賜物だそうだ。ということで、味オンチの私も、フルーティーな香りと味わいが楽しめた。
ヌーボーは「新酒」という意味で、フランス各地方でつくられている。ボジョレはボジョレ地方で作られたから、ボジョレ・ヌーボーである。それにしても、ボジョレ地方の方は商売が上手だ。イタリアでは、「ノヴェッロ」と呼ばれ、やはり色々な地方でつくらる。オーストリアでは、新酒「ホイリガー」が有名だ。日本のヌーボーは、日本固有の「甲州種」からつくられる白や、「マスカット・ベーリー」からの赤のヌーボーもある。
ボジョレー ヌーボーは、単に新しいから、初物だからフレッシュなのではなく、そもそも普通のワインとは製法が異なる。ヌーボーの場合、「マセラシオン・カルボニック」という製法を用いて、収穫した葡萄を破砕してプレスせず、葡萄を房のまま密閉しタンクに入れる。詰める際に一部の葡萄がつぶれ、その果汁が醗酵する。通常のワインは醗酵に1〜2週間かかるが、 ヌーボーはわずか3、4日で終る。短時間でフルーティな香りや鮮やかな赤色のワインに仕上がるのは、この製法のおかげ、渋みが少なく、フレッシュな味わいに仕上がる。
来月は船便が到着するので、お手ごろなヌーボーが楽しめる。ボジョレ・ヌーボーの輸入量は、日本が世界一である。もう少し、他の国のものも味わいたい。
2006年11月15日 水曜日 郊外も中心街も同時に開発または再開発はできない 斉藤市長は、郊外が発達し、同時に中心市街地も再生するような施策をとりたいといった旨の発言をしているが、そんなマジックは、アラジンのランプかセーラームーンのムーンステックでもないかぎり不可能である。少子高齢化そして、人口減少がいちぢるしいこの地にあって実現は無理である。郊外型大型店のためのインフラ整備を進めることは、同時に中心市街地再生の補助金削減を意味する。市長は能代市及び能代のまちづくりに関して、住民の思いを理解していない。理解しているのは工事がほしい業界の意向だけではないか。
能代まちづくり市民会議は、イオンの郊外型大型店の出店を望まなかった。これは中心商店街の経営者を救済するといった時限の話ではない。超高齢化社会のコミュニテーをどのように作り上げるかである。アーケード撤去という、苦渋の選択をし、次のステップに取り掛かろうとしている。このような時、イオンの出店を許すことは、さらに市街地を疲弊させることである。
2006年11月14日 火曜日 ダンス・ダンス・ダンス 踊る中高年女性たち 何も能代市に限ったことではないだろうが、いやいや、能代市が特に盛んなようだが、中高年女性たちがダンス・ダンス・ダンスで汗をかいている。新日本舞踊系しかり、フォークダンスしかり、社交ダンスしかり、ラウンドダンスしかり・・・
今日、総合体育館でフォークダンスを踊ってきた。フォークダンスを愛好する人たちが年々増えている。70歳代で始めた女性たちがたくさん参加している。60歳代で退職後始めた方は、リーダー候補で有望株である。数千曲もあるので、すべてを覚えることは出来ない。でも、世界中の曲を楽しんで、軽く汗を流すこの種の軽運動は、有酸素運動で体によい。心にも良い。
新日本舞踊、歌謡舞踊、民謡舞踊などのジャパネスクの踊りも、はちきれんばかりに元気の良い中高年女性でいっぱいである。公民館祭や働く婦人の家まつりの芸能発表会では、このごろは衣装もそれようにこったものが多く、大いに見せてくれる。
中高年が心身の健康を保つなれば、健康保険を使う回数も少なくなるだろうし、このような生涯活動を行政としても、縁の下でバックアップ出来たらいいのではないか。イベントの際に補助金を出すとか、広報誌に載せるとか、かつてのようにサークル立ち上げの際の助成制度などがあれば良い。
2006年11月13日 月曜日 参加することよりも勝つことに意義あり 戦う女性候補予定者 秋田市議選に立候補を予定している佐藤加代子さんの事務所開きに駆けつけた。いわゆる3バン、ジバン・カバン・カンバンとは無縁である。ジバンである支持してくれる組織などはない、カバンである資金もない、カンバンである候補予定者として名前も売れていない。秋田市は出身地ではないし、親族というのもいない。ないない尽くしである。しかし、たたかう候補予定者である。
たしかに宝くじと同じで、くじを買わなければ3億円は当たらない。でも、買うことに意義あり、といった時代は終わりである。オリンピックはたしかに参加することに意義ありだが、参加したからには勝たなければとの気迫が満ちていた。市町村合併で、女性議員は激減した。女性であるという希少性で有利であるということはなくなった。女性議員の過半数は共産党と公明党議員である。組織のバックボーンを持っている。無所属市民派の女性候補予定者は、ないない尽くしの中で、ネットワークやボランティアやカンパなどを広げ、募りながら、1票1票積み上げていかなければならない。佐藤さんには、それを成し遂げようというオーラがあった。
2006年11月12日 日曜日 なんという寒さ!ミゾレ交じりの雨のなか川柳大会が 能代川柳社の創立25周年記念の能代市川柳大会が開かれた。どこの会に行っても会員減少と高齢化の嘆き節である。しかし、能代川柳社は年々の会員増強である。高齢化はここでも変わらないが、川柳は生涯教育として高齢となっても楽しめる、いや、高齢だから楽しめる。今日は天気予報どおり、ミゾレ交じりの雨が降る嵐である。県南からも、能代市川柳大会のために駆けつけてくれた。成績は、能代の会員も奮闘したが、遠征してくれた方々のレベルが高く、おみごとであった。元気な高齢者はそれだけで社会に貢献している。
2006年11月11日 土曜日 教育基本法改悪、タウンミーティングのやらせ質問は文科省の体質が生み出した 教育委員会の解体論が盛んに展開している。いじめ問題に、後ろ向きでしか対応してこなかったと市民に批判されてのことである。その最中に教育改革タウンミーティングで文科省がやらせ質問を繰り返したことが判明した。活発な意見を促すためであったとの弁明は、いまさらなにを言うかである。このことが取り上げられたのは、おりしも衆議院教育基本法特別委員会でのことである。教育基本法改悪を衆議院通過させようとしたときであったので、教育というものをふたたび見直す良いチャンスではないか。高校必修科目の未履修問題もクローズアップされるなど、文科省の澱がここにきて白日の下にされされてる。
2006年11月10日 金曜日 旧能代産廃物処理センターから液状物の入ったドラム缶が発見された 旧能代産業廃棄物処理センターから、あってはならない液状物の入ったドラム缶が発見された。これで本格的な解決の緒についた。特措法適用のときも緒についたと感じた。非破壊調査が開始されたときもそのように感じた。今度はドラム缶が中身ごと土の中から出てきたので、埋め戻しは出来ない。撤去するしかない。今回は10本であるが、今後の調査でさらに増える可能性もある。ドラム缶を埋めた場所も、複数・広範囲に存在する可能性もある。
来春の県議選に背水の陣で、政治生命をかけて出馬する能登氏は、自ら産廃の十字架を負っていると何度も発言している。液状物の入ったドラム缶が発見されるという暗澹たる事実を前に、すでに地元住民が長いあいだ言い続けてきたこととはいえ、市民はそれでも県議という職なら許すはずであると思っているのであろうか。不祥事を起こした身内とは疎遠であることを強調し、選挙に向けた活動をしているようである。しかし、疎遠とか縁切りしたからといって、地域一帯の住民の健康と生命を脅かし続けているこの巨悪が許されるものではない。その身内が手にしたブラックマネーと無縁であったはずがない。そのことも自ら認めていることである。ドラム缶が発見され、この先、撤去作業が開始され、そして、さらに調査が拡大するかもしれない。県議選出馬は、市長選出馬と同様に間違った判断である。市民は今、目の前に現れた産廃の不法をなかったことにはできない。
2006年11月9日 木曜日 自民党調査会が道州制を審議 道州制とは、全国をいくつかの大きなブロックにわけて広域的な自治体を作るものである。国は外交・防衛などに専念し、それ以外は広域自治体である道州が担うというもので、これまでの都道府県制度を根本から変えることを意味する。つまり秋田県はなくなるということである。東北6県がまとまって東北州とか、青森・秋田・岩手がまとまって北東北道とか。能代市は道・州のおおきなブロックに属することになる。
アメリカやドイツの連邦制とは根本的に異なる。連邦制は主権を国から地方へ分割する制度である。日本でこれを行うためには憲法の改正が必要になる。審議されている道州制は、あくまでも国の統治権の下で地方自治の体系を形成しようとするものだ。国会が唯一の立法機関であることに変わりはない。
自民党道州制調査会が、全国11道州案で審議を始めることにした。国と道州と市町村という階層になる。能代市が広域な道州に組み込まれて、きめ細かな連携が取れるのか、疑問である。しかし、地方分権の推進や行政改革は、道州制への道のりでもある。
2006年11月8日 水曜日 アメリカ中間選挙の結果 レームダック・プレジデントとなったブッシュ大統領 きょう、アメリカ中間選挙の結果、ブッシュ大統領率いる共和党が破れ、上院・下院共に民主党の勝利が明らかになった。民主党の政策が特に国民の支持を得たとも思われない。イラク派兵に対して、アメリカ国民はすっかり厭戦気分となっている。つまり、共和党に対する批判票が民主党に集中した。
アメリカ大統領選挙は4年ごとに行われる。その合間に行われる選挙が中間選挙である。大統領選と同時に行われる議会選挙よりも、中間選挙が2年後の大統領選挙に大きな影響を与えている。
アメリカには日本の衆議院に当たる下院議院と、参議院にあたる上院議院がある。下院は小選挙区、人口比例で435人の定員である。2年ごとの改選なので民意が反映しやすい。下院には予算などの歳費に関する法案を上院よりも先に審議する権限である予算先議権がある。また、大統領弾劾の訴追権も下院が持っている。それにしても、2年ごととは、いつも選挙中という感じで腰が落ちつかないのではないか。
下院が国民の代表であるのに対して、上院は州の代表である。人口とは関係なく原則各州2名で100名の定員である。ということは、いわゆる1票の格差はニューヨーク州とアラスカ州では数十倍の差となる。上院議員の任期は6年で、2年ごとに3分の1づつ改選する。ヒラリー・クリントン氏もニューヨーク州からの改選で70%の得票、圧倒的勝利であった。長期的視点を持つ識見の高い者が議員になるべきだという発想なので、基本的に上下両院対等といっても、「格」は上院議員のほうが上である。上院には「大統領の助言者」として、大統領が行った任命に対する同意権、大統領が締結した条約に対する同意権などが与えられている。上院の議長は副大統領である。大統領になるには、上院議員であるか、州知事であるか、副大統領であることが必要であるといわれている。ヒラリー氏が次期大統領候補と見られのは、上院議員であることにもよる。
大統領の政党と議会での多数派政党が異なってしまうと分割政府といって、大統領の力は極端に衰える。正に、ブッシュ大統領はレームダック・プレジデントとなった。彼は、今日、選挙結果を知って「オーマイ、ゴッド!」と叫んだ。
2006年11月7日 火曜日 2007年問題 埼玉で「おじさん変身講座」でソフトランディングを 2007年には団塊の世代の大量退職をむかえる。彼らが地域コミュニティーに無事ソフトランディングするのを支援しようと、埼玉県のNPOなどが活動し始めた。そのひとつが「おじさん変身講座」である。日本の高度成長を牽引した世代である。バブルが崩壊した後の、長い長い不況にも耐え、したたかに生きてきた。こんどは、仕事人間から地域人間に変身することになる。
仕事一筋ですごしてきたので、ともすれば現役時代の知識経験に縛られる。趣味や、地域活動や、ボランティアというものは、過去の肩書きを捨てて個としての人間として参加することを、よく理解しないところがある。とかく上下関係を決める。女性を大事にしない。役職にこだわる。現役の肩書きに固執する。などなど。
タテ社会からヨコ社会へと、意識を変えていくためのお手伝いをするのが講座の目的である。タテ社会意識のまま地域社会に溶け込もうとして、孤立することを防ぎ、居場所を見つけやすいようにしようというのである。
2006年11月6日 月曜日 ニワトリの解体を見て、若者たちは・・・・ 昨日、八峰町の手這坂で第2回北東北かやぶきサミットと桃源郷まつりが行われた。行事の一つして、ニワトリの解体があった。もちろん生きたままのニワトリが二羽である。放し飼いの地鶏なので、夜小屋に帰ってきたところを捕まえた。雌鳥のほうがおいしいので、二羽とも雌鳥である。民家の梁に縄で足を縛りつるした。その下にわらを敷いた。ニワトリの喉をナイフで切るとわらの下に血が滴り落ちた。つり下がったまま暴れるので、血は四方に飛び散った。その後、熱湯をかけ、羽をむしりとりやすいようにした。羽を取った後のニワトリの肌は、まさに鳥肌である。規則正しく平行にぶつぶつがある。まだ、ぬくもりがあり、生命体を感じる。わらを燃やして、残りの毛焼きをする。その後、木につるして、関節をはずし、肉を剥ぎ取る。
民家再生を手伝った男子学生たちが、気持ち悪がって、もうニワトリの肉は食べれないという。初めての経験だと気持ち悪いだろう。私は、母が農家出なので、生きたニワトリを買いに行かされた。さばくのは母である。毛をむしるのは、子どもの役割であった。残った毛根を一つ一つ取ったものである。
手這坂の青米を食べたニワトリはアブラがたっぷりとかかり、ダシもおいしく、肉は歯ごたえあり、訪れた人たちに喜ばれた。
2006年11月5日 日曜日 レイチェル・カーソン著「沈黙の春」の中の言葉 海洋生物学者レイチェル・カーソンは、1962年に出版した「沈黙の春」のなかで、環境に警鐘を鳴らしたことはよく知られている。その中で次のように述べている。「私たちは、いまや分かれ道にいる。長い間旅をしてきた道(十分な試験を受けていない化学薬品を使うこと)は、素晴らしい高速道路で、すごいスピードに酔うことができるが、私たちはだまされているのだ。その行き先は、禍であり破滅だ。もう一つの道は、あまり人は行かない道だが、この道へ行くときこそ、私たちは自分の住んでいる地球の安全を守れる。そして、それはまた、私たちが身の安全を守ろうと思うならば、最後の、唯一のチャンスといえよう」
中学の英語の教科書に20世紀の偉人としてレイチェル・カーソンが紹介されている。いかに地球環境のために尽くしたか、中学生に分かってもらいたい。
2006年11月4日 土曜日 日本人拉致事件で工作員に逮捕状 国家犯罪の凶悪と悲劇 人がそのとき見ていなかったとしても、白昼堂々と一人あるいは二人の人間を異国で拉致し北朝鮮に連れて行くことの異常性と高度なテクニックに、やはり国家的犯罪の凶悪性が見える。たとえば、ベンチに何気なく座っている善意の人にいきなり、顔面などをこぶしや足で殴るのだそうだ。怪我を負った人は、あまり突然の暴力でその時点で抵抗する力を失う。場合によっては、その一撃で命を失うほどだという。袋をかぶせてそのまま連れ去るという。
曽我さんを拉致した女工作員にたいして、新潟県警は逮捕状を取った。キム・ミュンスク容疑者は、確かに憎むべき存在である。しかし、キム容疑者に、このような凶悪な犯罪を自らの意思でやめる自由があったかどうか疑問である。異常な独裁国家の命令は絶対であり、その命令を拒否するなり、実行をやめることは、自らの命を危うくすることであるのかもしれない。国家犯罪の凶悪性は、それを実行する自国民にとっても悲劇である。
2006年11月3日 金曜日 和歌山県知事 お前もか! 知事は、大統領制で直接住民から選ばれる。絶対的な権力を持つことになる。そうそう、”絶対権力は絶対腐敗する”である。この手の事件は、長期政権の場合が多い。和歌山県の場合は2000年に選出されたので、短期とはいえないが、決して長期政権ではない。なるほど、長期政権でなくても、いともたやすく絶対権力は腐敗するんだ。福島県の場合は、やはり権力の座が長いとこうなるんだと、妙な納得をしていた。改革を旗印に颯爽と登場した最年少知事、なんていうキャッチコピーほど胡散臭いのだなあと思ったら、何を信じていいのやら。
公共工事の減少で、建築業界は生き残りの闘争の嵐に中である。そんな中で旧態然と談合で仕事を割り振りしていたら、割を食った業者が内部告発をするという図式ができている。
能代市でも市発注工事において、設計価格1千万円以上の工事の落札率が、13年度が99.0%であったものが、18年度では85.4%である。まだまだ、談合体質から抜けていないだろうと推測される能代市ですら、この推移である。
2006年11月2日 木曜日 川柳は面白い! 能代川柳社短冊展 ふる里でやさしい風の声を聞く 勝見
ぬるま湯にどっぷり浸かり濡れ落葉 昭生
賞味切れそれから味の出ることも 馬左夫
川柳と書いていいかな趣味欄に 悦子
1日から明日3日まで、文化会館中ホールで文芸展として、能代川柳社の会員による川柳短冊展を開いています。ご覧ください。そして、一緒に川柳を楽しみませんか。可笑しゅうてやがて悲しき生きとし生ける者の本音をほっこりとやさしく、ユーモアにくるんで表現します。
2006年11月1日 水曜日 たずねて来る相談者はすでに心の中に答えを持っている さまざまな相談者がいらっしゃる。それぞれのケースが私自身の勉強になっている。相談に来るということ自体、すでに混乱期を脱し、問題の整理が出来ているという事である。相談者は、問題の経過やポイントを話しながら、自ら心の中に潜んでいた答えへとたどり着く。聞くわたしは、そのプロセスに存在する触媒のようなものである。私が答えを暗示することはないが、それなりに持っている情報を提供し、相談者が判断しやすいように努力はしている。
多重債務者の中には、すべての借金の整理をつけても、再び同じ状態になる人もいて、テレビドラマの結末のように、ジ・エンドというわけにはいかない。その人の性格という風に突き放すことは出来ない。人はいつでも、弱さを道連れに人生を歩いているから。
2006年10月31日 火曜日 市民意識調査 郊外型大型店歓迎38.1% 出店を望まない17.6% されどイオンの出店は今や無い 能代市は18歳以上の住民1200人をアトランダムに選び市民意識調査をした。能代東インター付近に大型店(イオン)出店計画があることを説明した上で、大型店に対する意識調査をした。大型店を望まないが17.6%、立地条件を制限して出店は28.3%、大いに歓迎が38.1%、どちらともいえないが11.1%である。
斉藤市長はイオン郊外型大型店の出店に賛成であることを選挙期間に明言している。郊外型大型店から市に入る税金で中心市街地の活性化をはかるとまで発言していた。大いに歓迎が38.1%である。条件付もあわせると66.4%である。どのように郊外型大型店出店に関する施策を進めるのであろうか。
しかし、イオンは能代にはやってこない。テラノサウルスのように、力にまかせに出店しては食い散らかしの転戦を繰り返してきた。能代市は今となっては、イオン・テラノサウルスにとっておいしい餌ではない。
2006年10月30日 月曜日 「ダンベルプラン」と回遊性の高い近隣商店街の再編計画 平成17年発行の中心市街地のくらしを守る会のまちづくり活動計画の冊子の中に、中心市街地のシャッター街を「ちぢみ戦略」で再編する手法の一つとした「ダンベルプラン」の可能性をあげている。商店街を形成する地域を「ちぢみ」で小さくし、運動器具のダンベルのようにちぢませた商店街の両端にコンビニ・スーパー・デパートといった集客性のある商店を配置する。同時にパーキングエリアをやはりダンベルのように、両端に配する。そのことによって、お客さんはダンベルのエリアを回遊することになる。
また、もう一つの手法としてパティオ・ポケットパークを配した『商店の集約と界わい性づくり』のプランも提案している。利用度の低い商店や空き店舗を集約して、パティオやポケットパークを中心とした癒しのある商店街を作る。駐車帯は、集約した商店街を回り込むように配する。時間の消費ができるエリアを作り、お客さんがくつろぐ場を確保する。高齢者は若い世代とは別の時間が流れているので、腰を掛けホッとする時間を持つことが出来る。
いずれも、お茶の時間を楽しんだり、食事をするお店をとりこみ、住民がサンダル履きで日々の買い物も出来ることをめざしている。
一部アーケードの撤去が始まった。痛みを困難を伴いながら、「まちなか暮らし」を支えるコンパクトなまちづくりがスタートしたのではないか。
2006年10月29日 日曜日 スーパー自治体 岩手県葛巻町 なんにない町でも・・だから・・ 岩手県の典型的な農村である葛巻町は、高速道路も新幹線も通っていない。空港もなければ、有名な温泉もない。あるものといったら、町の85%を占める森林くらいである。考えようによっては、有り余るほどの環境資源ともいえる。いまや、「ミルクとワインとクリーンエネルギーの町」として4つある3セクが16億円も稼ぎ出しているスーパー自治体である。
もともとあった酪農であるが、5000頭しか飼育されていなかったものが、今は1万1000頭である。ミルクからアイス、精肉、チーズ、そしてワインと加工産業とすすめ、それを起爆として宿泊、観光産業とへと結びつけた。さらに自然エネルギーの風力発電が加わり、環境型産業という町のイメージを作り上げた。
隣の芝生は青く見える。なんて思っているが、青く見えてるのではなく、実際、青いのだろう。
2006年10月28日 土曜日 若林ひとみさんの死 元東京都文京区議の若林ひとみさんがガンで昨年亡くなっていたことが、今日届いた手紙ではじめて知った。彼女を知るきっかけは、議員視察は政務調査費の使い方に問題ありとして「開かれた議会をめざす会」を結成したときである。今、能代市議会は情報公開の対象であるように、地方議会の開示はすすんでいるが、今から10ほど前は、地方議会は情報公開とは無縁であった。彼女は、議会の情報公開の必要性を訴えた。
中途半端に妥協をすることのない人であった。たまたま自宅から見えた文京区の庁舎建設が、豪華すぎはしないかと疑問を持ったことが、政治を志すはじめとなった。その後は石原都知事の海外視察の高額ホテル代などにたいして、住民監査請求、住民訴訟と、市民運動を続けた。たまたま受けた検診でガンが発見され、治療に専念しつつ、それでもライフワークである児童書の翻訳を続けた。
若林さんの志により、少しづつ議会や行政は改革されてきた。52歳でなくなるとは残念である。「死ぬのはイヤだ」とつぶやき亡くなった。
2006年10月27日 金曜日 「ちぢみ戦略」と「まちなか暮らし」ということ 平成17年に発表された中心市街地のくらしを守る会の「これからの能代市まちづくり活動計画」は、イオン進出計画に危機感を持ち反対運動すると共に、これからのまちづくりのおいて市民自ら取り組むべき事柄についてまとめられている。45ページのプランなので、ここで簡単に説明できるものでもないが、「ちぢみ戦略」と「まちなか暮らし」という言葉が心に響いてきた。
今となってはイオンは能代への出店を見限ったと思われるが・・・ イオンの進出に代表されるように、街が郊外へ郊外へと拡大していくことは、コミュニティが形成されにくい状態をつくっている。そんな中にあって、高齢化が著しい能代市において「まちなか暮らし」を再生することは、商店を救済することではなく、私たち住民の暮らしを安定的に維持することである。商店街を「ちぢみ戦略」で集約するというプランは、コンパクト・シティー形成の核となる。商店街の再生は、活力をすでに失った商店街にとって痛みを伴うプランであるように見える。しかし、それでも活動計画のうたわれているように、商店街の少なからぬ人々が自ら意思決定しようとしていると、読んだ。
2006年10月26日 木曜日 アーケード無しの畠町商店街に再生の息吹を感じて アーケードの解体が始まったときは、なにか間延びのした衣服の剥ぎ取られたような違和感があったが、解体がすすんで明るくなりつつある畠町商店街を見るにつけ、再生の息吹を感じている。雨、風、雪、直射日光から商店と歩行者を守ってくれたアーケードではあるが、老朽化で著しく、何か事故があってからではおそすぎる。商店街としては苦渋の選択であったことでしょうが、これで再生の一歩を進めたのではないか。まちづくりの再生プランが決まってから、アーケード解体というのが理想であるが、待ったなしの状態であった。
長年の懸案であった駐車帯の設置も、これで具体化してくるだろう。不動産の流動化を促し、商店街の集約がすすむのではないか。中心市街地の再生は高齢化と一体となって考えなければならない。
2006年10月25日 水曜日 行列のできる市営住宅 今日所属する建設委員会の管内視察があった。視察場所のひとつに二ツ井地区の市営住宅の山根住宅があった。地元産の木材を使った平屋である。和室が2室と洋間が1室それにダイニングリビングキッチンがついている。ロフトや物置もあって、収納がしやすくなっている。思わず「住みたい!」と思った。たまたま、空き家があったのでそこを見学した。
二ツ井は高齢化率が35%である。当然、入居する住民も高齢者が多い。靴を履くときにイスに座れるように配慮がしてあった。心憎いことに、丸太の切り株イスが情緒豊かに玄関に設置されており、木材の街らしく、かつ高齢者に配慮してあった。空き家ができると7〜10倍もの競争率となるということだ。
私も素人ではあるが賃貸住宅の間取り設計を何度かしたことがある。そこで、ここの設計者は入居者が住みやすいように熟慮しているのが分かる。たとえば、コートやスーツをかけるクローゼットは据付のほうが部屋を広く使える。それは3箇所設置してあった。テレビや電話を置く場所があれば居間の居住がしやすくなる。玄関に物置があったら老人カーや自転車がしまいやすくなる。何よりも地元産材をふんだんに使った木造平屋というのが何かほっとする安心感がある。ただ、坪単価65万円の建築費は幾分高いのではないか。
さて、能代市長は住吉町市営住宅の建替えを鉄筋コンクリートの高層住宅で計画している。内装に木材を貼り付けるというが、木都能代にとって、そんな住宅は自殺的建築物となる。高齢者はエレベーターを使う5階の住宅に「住みたい!」と思うだろうか。
2006年10月24日 火曜日 母校向能代小学校は130歳をむかえた 能代市立向能代小学校は今年で130周年を迎えた。先日記念式典に参加した。1万146人の卒業生が巣立った。昔の思い出話に、「貧しかったが、心豊かな時代であった」という人もいるが、私にはそうは思えない。いつの時代だって、子どもにとってサバイバルな時代である。過ぎ去りし時は、みな美しく見えるのだろう。
もうこれは漫才の世界なのだが。私の母は時代に乗れない、時代を学ばない人である。正月になると自分がそうであったように、子どもたちに足袋を新調した。そう、あの足の指がチョキになっているクラッシクソックスである。表が赤いベッチンのようになっていて、足裏が白い例のものである。ほかに履くものがないので、私は足がチョキになっている足袋という代物を履いて学校に行った。当然、みなの笑いものになった。しかし、母は、自分が子どもの頃はこれが普通だったといって、何も疑問の思ってはいないので、子供用の足袋を買い続けた。
式典に参列して、私はなぜか、足袋のことを思い出しつつ、可笑しゅうてやがて悲しき小学生時代をたどっていた。1万人の卒業生が1万色の小学生時代を送った。写真はセピア色にかすんでしまったが、小さな胸に刻まれた痛みは、今もかわらず鮮やかな色である。
2006年10月23日 月曜日 嵐の夜に 今夜は強風が吹き荒れている。稲刈りは終わっているはず、りんごの収穫は終わっているはず、でもこんな強風では被害無しということはないだろう。こんな夜は木村裕一の「あらしのよるに」を思い出す。映画にもなった。ストーリーは。
嵐を避けて、真っ暗闇の山小屋に逃げ込んだヤギのメイ。そこで、同じように嵐から逃げてきた「仲間」に出会う。寒い暗がりの中、相手は見えず、匂いも分からない。仲良くなって再会を約束する二匹。次の日にお弁当をもってやってきたメイの前に現れたのは、なんとオオカミだった。ふとしたことから知り合った、オオカミのガブとヤギのメイ。ガブにしてみればメイはごちそう。食う・食われるの関係にあるはずの二匹が、種族を超えた友情を育んでゆく。食べたいけれど我慢したり、悩んだり。ちょっと気弱で優しいガブと、天真爛漫なメイ。二匹は会っては散歩をくりかえす「ひみつのともだち」だ。しかし、そんな二匹を引き裂こうとするそれぞれの種族。ガブは本能を抱えて悩み、メイもそんなガブに悩みをつのらせる。物語は、オオカミとヤギという種族の壁を超越し、愛情と軋轢が表裏一体となっている、あらゆる「関係」を矛盾とともに描き出し、それでも理解しあってゆく道はないかと、と問いかける。
2006年10月22日 日曜日 違法性のある交際費 特定の政党や政治家が開く政治資金集めパーティーに住民の大切な税金を支出することは、平成14年の判例で違法性があると指摘されている。能代市長は今年5月19日の衆議院議員野呂田邦成氏の政治資金パーティーに市長交際費から2万円を出費した。報道の後、斉藤市長は2万円を市に返還し、市長交際費の基準を見直すことにした。返還して、見直しをして、そして何事もなかったことにしようというのだろうか。住民に対して説明責任がまだすんでいない。
公金という大釜の飯をいくら食べても誰の懐も痛みはしない、そんな風に無意識のうちにとらえていたのだろうか。市長をサポートするベテラン市職員は、特定の政治家の政治資金集めパーティーには違法性があると知っていたはずである。権力におもねる職員体質がここにも現れている。
もう一つ。特定政治家の資金パーティーは秋田市で開かれている。その際、市職員の運転する公用車を使ったはずである。返還する際は、職員の手当て分と交通費分も算定すべきである。
2006年10月21日 土曜日 2007年問題 2007年問題とは昭和22年から昭和24年生まれの団塊の世代が60歳定年を迎えることによって生じる問題である。団塊世代は日本の総人口に占める割合が多く(約700万〜800万人)、引退による産業界での影響が大きいと見られる。2007年問題はもともとIT関連企業の問題として警鐘されたように、団塊世代には日本の情報化における黎明期を担ってきた人材が多い。そこで、中核的人材がスポンと抜けてしまうと、システムの保守に支障が生じるおそれがある。また、2007年問題は、超高齢社会問題と直結している。2015年には国民の4人に1人が60歳以上になる。ちなみに、能代市では、現在、人口の3割が高齢者である。
団塊の世代が高齢者となることによって、社会のシステムがいやおう無しにいっきに変化してくるのではないか。今まで年金を支払ってきた人たちが、大挙して年金を受け取る側になる。年金制度の改正が必死である。高年齢者雇用安定法がすでに改定されてはいる。1.定年を60歳から65歳に引き上げる。2.定年制を廃止する。3.継続雇用をする。企業はこのいずれかの対策を採るように義務付けられている。
団塊の世代は、戦後日本の高度成長の原動力となって引っ張ってきた。それが、2007年問題といわれたらたまったものではない。問題は、社会システムにあるのであって、団塊の世代に存在しているわけではない。
2006年10月20日 金曜日 能代産廃問題を負って能登氏、来年の県議選に出馬 前県議の能登佑一氏が、県議選に舞い戻って、来春の立候補を予定し、記者会見を開いた。能登氏がどのように政策を語っても、住民の最大関心事は能代産廃問題の当事者という点にある。「身内がしでかした不祥事」との発言に、自らはかかわっていない、知らなかった、第3者として自身も被害的な立場であったということを訴えているのではないか。「道義的責任を感じている。ミソギはすんでいない」とも発言している。では、どのように道義的責任を取るのかの具体的な提言がない。環境を破壊し、住民の健康を脅かしている今、目の前にある危険つまり能代産廃センターの100万トンの廃棄物の処理の具体的対策について、過去・現在とも、提言、発言がない。
およそ50億円の税金が投入されてなお、能代産廃問題の解決は著についたばかりである。「ミソギ」がすんでいるはずがない。そもそも、ミソギという言葉で能代産廃問題を表現するとは不謹慎もはなはだしい。広範囲に環境を破壊し、住民の生命を脅かしたという事実でもって、能登氏のミソギは永遠に終わりはしない。産廃問題に取り組んだ議員が裏で能登氏とどのような取引をしようとも、たとえ金銭が動いたとしても、能登氏には時効はない。
2006年10月19日 木曜日 八郎潟中学校の生徒たち 国際ボランティアの取材でやってきた 総合学習の勉強で、八郎潟中学校の中学三年生が3人取材でやってきた。私のグループであるIVC秋田という国際ボランティアグループの活動に関して知りたいとのことであった。
さてさて、私自身の活動をかいつまんで話せばいいので、すぐに答えられると思っていた。あにはからんや、脳細胞の壊死がはげしく、資料を見なければ正確な情報が出てこない。おまけに、その資料は大事なものなので、分かりやすいところに収めたはずが、これまた、家中をバタバタと、バッタかイナゴのように走り回り、探す羽目に。
取材に、木造校舎の東雲中学校・エナジアムパーク・文化会館も付け加えた。せっかく能代市まで来てくれたので、能代のよさをアピールしたかった。「クチーナピアット」(ここのレストラン、とてもセンスがあって味が良い)で、少し贅沢な昼食をいただいた。
風邪気味の私に、”秘書”さんが場を盛り上げたり、難しい言葉を使うとすぐ意味を尋ねたりで、いいコンビネーションであった。
「私たちに何が出来るでしょうか?」の質問には、はじめに知ろうという姿勢が必要であり、知り始めたら、学びながら、今の自分で出来ることで展途上国を支援することが出来ると答えた。たとえば、ユニセフ(児童基金 黒柳徹子さんで知られている)の募金活動に協力する。たとえば、文化祭の作品などを、アフリカの学校にはることだってできる。インターネットを利用して大使館に問い合わせたり、秋田県国際交流協会に協力してもらったりで、なんだってできる。
2006年10月18日 水曜日 感動!バングラディシュのグラミン銀行とユヌス総裁にノーベル平和賞 ノルウェーのノーベル賞委員会は今年度のノーベル平和賞を、バングラデシュの農村で女性たちに無担保融資を続けてきたグラミン銀行と、設立したムハマド・ユヌス総裁(66)に贈ると発表した。委員会は「永続する平和は人口の大半が貧困から抜け出す方途を見いだせない限り達成されない」として、ユヌス総裁と同銀行の活動を高く評価した。授賞理由として「人類の半分を占める女性が男性と同等の立場で社会参加できない限り十分な経済発展と政治的民主化は実現しない」として、女性への支援をあげた。
極貧のなかで、日々の食べ物にも事欠く人たちに、融資をする人はいるだろうか。いないだろう。それは、融資したお金が戻ってくるはずもないと決めているからだ。グラミン(農村)銀行は、そんな資本主義的発想を覆す事業展開で社会貢献している。融資を受けた貧困層の女性たちは98%の割合で返済している。やがて、NGO国際ボランティア組織はグラミン銀行の手法を取り入れた。たとえば、豚銀行、牛銀行といって、子豚や子牛を農民に預け、やがて繁殖させ、子豚や子牛で返済してもらうという手法である。私の所属しているNGOも、カンボジアなどで豚銀行を展開している。
2006年10月17日 火曜日 桃源郷から新米が届いた 八峰町の手這坂(桃源郷)の茅葺民家の前の田んぼで日曜農学校の生徒をやっている。とはいっても、今年の私は落ちこぼれ生徒でちゃんと農作業が出来なかった。皆さんにおんぶに抱っこであった。でも、かくして新米が今夜我が家に届いた。新米が家に届くと何か、晴れがましく、うれしいものである。桃源郷は山間にあるので平地よりも刈り取りが遅い。ゆっくり、ゆっくり、おいしいお米になる。
子どもの頃、新米が届くと、その日だけ新米をたくさん炊いてフーフーしながら食べた。次の日からは、古いお米にもどった。新米がおいしいので、古いお米を食べなくなるとの理由からであった。新米をはじめて食べる日は、おかずはガッコと味噌汁だけでも豪華な食卓に思えた。
象のしっぽを触った程度であるが、米つくりとはこんなに大変なものであるのかと骨身で感じている。一粒のお米もひろう。「あめた」ご飯も洗って、干してアラレにしておやつにする。なるほど、ご飯を捨てることが出来ない農家出の母の行動がわかった。
2006年10月16日 月曜日 おー痛でででっ 筋肉痛が・・・ はるかなり、きみまち二ツ井マラソン 今朝、サトシ君がやってきた。マラソンのはじめに体の不調をとるための、マッサージ指導から始まった。始める前から、体のあちこちにガタが来ているのが、マッサージでわかった。次にストレッチ体操である。この段階ですでに筋肉痛が。少し寒いので、着込んで外に出ようとしたら、短パンとTシャツでいいとのこと。
いよいよ、ランニングである。50メートルも行かないうちにぜーぜーと苦しい。歩くより少し早いくらいである。無口だったサトシ君は、すっかり6口(むくち)のおしゃべりとなって、マラソンのうんちくをかたむける。あんまり笑わせないでよ。体力が消耗するよ。でも、1km過ぎたら体が軽くなった。3キロメートル過ぎたらさらに楽になった。で、あっという間の、4キロコースであった。
夕方になったら、全身が筋肉痛である。めざせ、きみまちマラソンであるが、なんともはや、はるかなる遠い道である。夕方東京に帰るサトシ君は、何度も電話をよこし、できる範囲で継続するように励ましてくれる。来年は4kmがせいぜいかも。ハーフマラソンだなんて、夢のまた夢だね。
2006年10月15日 日曜日 きみまち二ツ井マラソンの熱血 来年は出場したい きみまち二ツ井マラソンに出場するサトシ君が熱心にマラソンの魅力を語ってくれる。私も旧能代市の風の松原マラソンに出たこともあった。そういえば、サトシ君は、私と同じで運動神経が鈍くって、かけっこはゲッパで同病相哀れむ仲であった。ところが、大人になって、マラソンに目覚め、関東一円を中心に全国のマラソン大会に出ているという。そんなに、マラソンは楽しんだね。明日の朝は、サトシ君と開拓の分かれ道まで、一緒に走ることにした。ランニングの仕方や、マッサージの仕方を教えてくれるという。来年は、きみまち二ツ井マラソンに出場したい!
会場でサトシ君を探したが見つからなかった。サトシ君も私を探したが見つからなかった。「キレンジャーといえばすぐ分かったのに!」「オバチャン市議といえばすぐわかったのに!」軽口をたたきながら、明朝のランニングのうちあわせ。走るより、歩いたほうが早いかも。
2006年10月14日 土曜日 きみまち二ツ井マラソンに幼馴染が毎年やってきて きみまち二ツ井マラソンの開会式が今日午後3時より開かれたので参加した。印象的なエピソードを。1.能代と二ツ井の小学校6年生二人による選手宣誓は、凛として立派で、心和むものであった。2.小つなぎ(あれっ、漢字が変換しない)の民俗芸能に2歳の子どもが出演し、あまりのかわいらしさに、参加者一同の心が和んだ。3.市長のあいさつで、今年マラソンに参加できない理由がふるっており、心和んだ。
きみまち二ツ井マラソンに毎年、同じ町内の同期生がやってくる。いままでは、マラソンがすきなんだと漠然と感心していた。今年は、なんと言っても新能代市誕生記念大会である。わが街の行事に参加してくれるありがたい同期生として、今夜は歓迎もあって、みんなで某所で痛飲した。東京から昨夜やってきて体調を整えているのに、そんなに飲んで大丈夫かなあ。
700人ものボランティアが大会を支えている。12回と回数を重ねてきた理由はここにあるのではないか。いよいよ、明日はマラソン当日である。大会を盛り上げ、自分も楽しもうと、コスチュームも考え、明日の準備をしてきた彼は、どんな走りをするのだろうか。フレーフレー。(ところで、フレーって、どんな意味かなあ)
2006年10月13日 金曜日 明日14日からアンネ・フランクとホロコースト展が「アトリエももさだ」で開催 終戦50年となる1994年に、ポーランドのアウシュビッツを訪問してはや12年となる。生涯忘れることの出来ない、深く心に刻まれた旅であった。ホロコーストとは、ナチスがユダヤ人を絶滅するために組織的に虐殺したことをいう。ユダヤ人の少女アンネ・フランクは「アンネの日記」によって、戦争の不条理や悲惨、悲しみを世界中に伝えて続けている。私も10歳のとき、アンネ・フランクのことを知った。
秋田公立美術工芸短期大学の「アトリエももさだ」で「勇気の証言 アンネ・フランクとホロコースト展」が開かれる。時間を都合して私も見たい。どうか皆さんもご覧になってください。
ヒトラーのような類の人間は、人間社会にはいつの世でも存在する。しかし、たいていは、反社会的人間として、世に受け入れられていはいない。邪悪なたくらみをなすがままにさせてはいない。ヒトラーをドイツの最高指導者として受け入れたドイツ社会にこそ深い病理があったのではないか。
民主主義とは、目的ではなく、常に努力を惜しまないプロセス(過程)である。しかし、現実は厳しい。能代市でも、市民を戦争の準備をさせる条例である能代市国民保護条例が可決された。ほんとうに恥ずべきことであると、私は悔しい思いである。
2006年10月12日 木曜日 昨夜からの豪雨と雷が バケツをひっくり返したような雨が、雷を伴って集中的に襲ってきた。おへそを隠しもしないで窓を開けて外を見た。「君の瞳は1万ボルト」という歌があったが、そんなかわいいものではなく、桁違いの迫力で雷雨が続いた。断続的に電気が止まった。パソコンも雷に恐れをなしてか、「ゴンボ」をおこしてプロバイダーへの接続が出来なくなった。
子どもの頃、雨が降ると外に遊びに出かけられない子どもたちに、母がおやつ代わりに「なりっぱなの茄子のガッコ」(きゅうりのときもあり)を漬物ダルから出して食べさせた。窓を開けて、ガッコを雨水で洗って1本まま手渡しでくれた。雨水が不衛生だなんて思いもしなかった。そんな母の動作が面白くって、雨になると茄子のガッコをねだった。
電気がなければ、トイレも出来ない、食事も出来ないほど、生活の基盤になっている。停電で特に高齢者宅が心配・・・と思いつつ、自分の親のことは、何とかしているだろう、困ったらSOSを出してくるだろうと・・・でも、まず、顔を出してきましょう。
2006年10月11日 水曜日 秋田経済法科大学の茶髪とピアスの禁止 2 そういえば、学生の頃ミニスカートがはやったので、膝小僧が見える程度のミニスカートをはいた。今思うと、ミニスカの範疇にも入らないかわいいものであった。高校では、制服を短くするとはけしからんと、校門でチェックした。校門を通るときはたくし上げていたスカートを下ろして、普通サイズに見せた。母は、若い娘がそんな”けしき”をするなんてと、お小言の連発である。スカートを長くしなさいと、うるさいのなんのって。
大学生の頃は、一転して、ミディとかミモレイとかいう長いスカートがはやった。突然中世の世界に入った。今度は、大人たちは、スカートを短くしなさいとうるさいのなんのって。
若者は、大人が作った既成の価値観に反発し、新しい価値を創造し、新時代の流れを作り出す。大人がなんといおうが、止められるものではない。そこで、秋田経済法科大学はもしかしたら、そんな若者文化に反抗し、こじけて、アンシャンレジューム(復古主義)で世間の笑いをとりたかったのだろうか。このつぎは、女子学生はヘシャブ(被り物)をかぶる事という要綱を作ったら、まちがいなく注目度ナンバーワンとなり、全国区の大学となるが、どうだろうか。
2006年10月10日 火曜日 秋田経済法科大学の茶髪とピアスの禁止 1 「周囲に不快感を与えない」「清潔感を保つため」「品位を保つため」という文面のもと、秋田経済法科大学は茶髪やピアスを禁止した。従わない学生には懲戒処分もある。従った場合は報奨金1万円を学生に与えるという。規律が厳格なイスラム圏ならともかく、いまどき、なにをモジョこいているのだ。
こんなチンケな要綱を定めるための強権を発動したのは小泉理事長である。ちなみに多くの私立大学の場合は、理事長が実力者で、学長は象徴である。きっと、小泉理事長なるお方は、禿頭かもしれない。茶髪に出来るのは、髪の毛があるという前提が必要である。自分に髪の毛がないために、フサフサの髪に嫉妬を燃やし、茶髪を禁止したのかもしれない。ピアス禁止は、きっと小泉理事長は肌がシワくっちゃで、ピアスは自分には似合わないと自覚し、悔し紛れに禁止したのだろう。
2006年10月9日 月曜日 年々進化する能代市公民館祭 芸能発表会 今日の公民館祭芸能発表会で、37の団体が日ごろの練習の成果を発表した。ちょっと自慢であるが、公民館を利用している自主学習グループは全県的にも、能代は多い。出演者の9割以上が中高年の女性である。やはり女はしなやかで強い。また、およそ6割が新日本舞踊である。衣装やお化粧も専門家をよんでプロ仕様である。何よりも踊りの技術がとても高い。高齢化社会、何するものぞである。
フラダンス、タップダンス、マンドリンの演奏など、新趣向のものが素敵であった。大正琴が1団体のみであったのは寂しい。来年に期待を。われらがフォークダンスも大舞台用に、ダンスを構成し、練習を重ねて臨んだ。よかったよ。よかった。
西馬音内盆踊りは、回を重ねてなかなか上手になった。また、本場の羽後町の西馬音内盆踊りに出かけて、現場に参加した成果がくっきりとあらわれている。基本の踊りと、現場の踊りに違いがあるそうだ。
2006年10月8日 日曜日 中央公民館祭で墨絵を体験 中央公民館の自主学習グループ作品展示を拝見した。数年前まではあれやこれやの作品を出していたが、最近はてっきり鑑賞側に回ってしまった。本当に手作り品は素敵である。パッチワークキルトを見ると作りたくなるし、絵画を見ると描きたくなる。そこで、今日は、墨絵サークルが実演指導をしているので、早速墨絵にトライした。
墨絵はモノトーンの美しさを追求した芸術である。墨絵のモノトーンは、カラーにはない色彩の豊かさを表現している。油絵のように何度も塗り返したり、かきかえたりすることはできない。しかし、豊かな自然の様子をあますことなくあらわしている。筆を持って恐る恐る描いてみた。難しい、でも面白い!
2006年10月7日 土曜日 アメリカの寄付・慈善の文化はアメリカ社会の産物 カーネギーホールで知られている鉄鋼王のカーネギー氏、ロックフェラー財団で有名な石油王ロックフェラー氏は事業で得た利益を社会に還元すべく、教育や医療または図書館や大学、病院と富の再配をした。それから1世紀を経て、世界第2位の富豪ウォーレン・バフェット氏が、なんと日本円にして4兆3千億円もの寄付を発表した。その寄付先の一つに、世界第1位の富豪ビル・ゲイツ氏が関連する慈善団体がある。バフェット氏もゲイツ氏も共にIT革命がうんだスーパーリッチである。二人のIT寵児たちは、図書館ではなくパソコンを使ったネットワーク作りに助成する。また、病院を作るのではなくエイズ撲滅の新薬開発などを支援をするという。
アメリカには、政府に対する懐疑が存在する。そこで、納税を避け、非課税の慈善事業で富の再配を自由にしたいという人がいる。そして、彼らを支えている哲学にキリスト教の慈善の精神がある。
日本人には、民間より政府の方が安心安全であるという神話がまだある。そこで、ビジネスで富を得た人たちが、民間の慈善団体に寄付するという土壌はまだ熟成していないのかも知れない。
2006年10月6日 金曜日 またまた、パソコンがダウンした 今年は、パソコンに関して、ついてない。またまた、ダウンした。ノートパソコンを2台持っているが、交互にダウンする。やれやれである。デスクトップを買い足そうかなあ。バックアップの作業を終えたとたんに、ダウンである。しかし、そのバックアップ復元に問題が発生した。めげそうになるが、パソコン無しでは仕事にならない。物事の整理がうまくできない私は、データ復元のCDをどこかになくしてしまった。捨てたかもしれない。
トラブルを克服してこそパソコンを「ちょせる」ようになると言われても、ちょっぴりめげそうな私です。
2006年10月5日 木曜日 実りの秋 ”ごんぎつね”からの贈り物 今年は、「ごんぎつね」が昭和31年に初めて教科書に採用されてから、ちょうど50年にあたる。50年間もずーとずーと掲載され続け、昭和55年以降はすべての小学4年国語科教科書に採用されている。学校で「ごんぎつね」を読んだ人は、5000万人以上だ。「ごんぎつね」は、何か忘れられない人間としての原体験のようなストーリーである。
ところで、我が家にも、実りの秋を迎えて、心優しいごんぎつねさんたちが野菜や果物などを運んでくれる。ぶどうの一房、大根1本、私が出かけている間に玄関においていってくれる。それでは、私もごんぎつねになって、庭の栗がたくさん実をつけたらお届けしましょう。
この童話は、1932(昭和7)年、『赤い鳥』に掲載されたものである。貧しい村人といたずら好きの狐との触れ合いと行き違いが、心やさしくも、悲しく描かれている。憎しみはすぐに伝わるけれど、やさしさはすぐには伝わらないんだ。
ごんぎつねからの贈り物で、オーバーーウエイトの健康体になった私である。ドスコイ、ドスコイ。
2006年10月4日 水曜日 行き詰ったらトインビーを紐解き、発想の転換を試みたい 20世紀最大の歴史家アーノルド・J・トインビー(1889〜1975)は、「たとえそれに打ち克つことの保証はなくとも、われわれは、なお人生の戦いに勝利を得るべく、奮闘しなければなりません」と説いた。トインビーは、歴史を国家や時代という単位ではなく「文明」という視点でとらえて、しかもそこに法則性を見出そうとした。また、彼は文明の興亡にかかわる宗教の存在に注目し、常に「宗教」という視点から歴史を考えるようになっていく。
こうした史観は独創的であったがゆえに、称賛と同時に多くの批判も浴びた。彼はこうした批判にも謙虚に耳を傾け、自説を修正するだけでなく、さらに新しい視点を生み出していくのである。まさに、挑戦と応戦を自身の人生でも貫きとおした人であった。
人類の未来を真剣に見つめようとした彼の歴史眼は、しばしば皮肉さえ込めて「予言者」と称された。だが40年も前に、ベトナム戦争が「北」の勝利で終わるであろうこと、欧州が緩やかに統合に向かうこと、さらに2000年までに米ソが和解し、中国が重要な大国になり、21世紀初頭の世界が米国一国主義を背景とした強力なグローバリズムに席巻されるだろうと語った彼の大胆な予測は、今日みごとに的中している。
1921年、ギリシャ・トルコ戦争が勃発するとイギリス紙の特派員となって、当時の西欧人が強い偏見を持っていたトルコにあえて渡り、トルコ語まで学んで、トルコの民衆の声なき声を伝えた。この時代の西欧人はトルコ人を同じ人間とさえ見ていなかった。そして、日本を3度訪れ、とても興味を示した。そのとき、世界文明の中心は西欧から、東洋へ、しかも東アジアへ移っていくだろうと予想している。
2006年10月3日 火曜日 残念 八峰町の峰浜庁舎の火事 知人からの電話で八峰町の峰浜庁舎の今日の未明の全焼を知った。亡くなった方もいるということで、手のほどこしようのない猛火であったことが想像できる。公文書やパソコンの消失で住民サービスが一時的に低下するだろうが、たぶん庁舎外にバックアップ・データをとっていると思われるので、復元は少し時間がかかっても可能だろう。加藤町長の陣頭指揮は早かった。朝5時から、全職員の招集・課長会議・議会全員協議会、そして午後から自治会長会議と住民の不安を最小限にするために腐心した様子が伺える。
能代市民は、2度の大火に見舞われ、火事に対する対応が脳幹に染み付いている。それゆえ、付近の住民の恐怖はいかばかりかと心が痛む。庁舎は木造であるほか、庁舎内にある物の大部分は紙類である。火の手ははやかっただろう。
このような火事は、関係者や住民のトラウマとなる。しかし、そのトラウマを防火や防災のための備えというプラス発想に転ずることが出来る。能代の大火からの教訓である。
2006年10月2日 月曜日 癒し! 水辺のある街の空間 長野県の松本市と飯田市を行政視察で訪問した。両市とも、中心市街地に水を引き込んだ空間があった。都市部において、水がこんなに癒しになるとは・・・再発見である。幼い子どもが水死事故にあわないように考慮しているのか水路の深さはほんの数センチ程度である。水路は管理に手間のかかる生き物である。水が豊富であることが水辺のあるまちづくりに欠かせない。しかし、水という地域資源があってもそれをまちづくりに生かすのは住民の力である。その住民の想いに力を貸すのが行政である。どのようなまちづくりを目指すのか、住民の意思がもっとも大事な要素である。
やはり、隣の芝生は青く見えるのかもしれない。知人が電話をくれた。視察先の良いところだけ見て帰るのは片手落ちである。これこれの問題点があると語ってくれた。う〜ん、でもでも、水辺のある空間は、ヒーリングとなる。
2006年10月1日 日曜日 高額な多層階木造市営住宅は考えものである 商工会議所が住吉町住宅再建はじめ市営住宅の建てかえの手法を考えるための勉強会を開いた。多層階を木造で建設することの可能性を探っている。RC(鉄筋コンクリート)と組み合わせて2階以上を木造で建設する技術は開発されている。木造でどんなものでもつくられる時代である。建設価格に糸目をつけないという条件であれば、たしかに木造で、狭い住吉町に150戸を多層階での建設が可能である。
団地1戸分が3500万円、4000万円してもかまわないのであれば、その可能性もある。住吉町住宅再建においては、スタートが間違っている。狭い住吉町に150戸建設することが無理なのである。その無理を押し通そうとするので、あっちこっちのつじつまが合わない。