越南(ベトナム)の旅  続

 戦争証跡博物館(これは現代人には ぜひ観てほしい。枯葉剤の被害を展示しているのは 広い世界の中でここ   だけです。) と ベンタイン市場を急いで、見学して、ホテルに向かい、荷物をスーツケースに詰め、夕食のレ   ストランに向かった。ここでも またちょっした舞踊や音楽を観ながらベトナム料理を頂いた。
12月03日、0時05分、タンソニヤット空港を離陸。日本時間7時15分、成田空港に着陸した。搭乗時間は 時差が    2時間だから、5時間10分だ。
   このベトナム旅行中、犬や猫がほとんど見えなかった。ベトナムでは 犬肉を食べさせる店があるという。
   30度以上のホーチミン市でも、蚊や蝿、蝶などの昆虫も 1,2匹しか見えない。これは ダイオキシンなどの枯    葉剤のためであろうか。

  

         ホーチミン市の「孔子廟」

 ベトナムと日本の共通点は 漢字使用国で、儒教が根付いていて、手先が器用であることです。元寇の戦いで、どちらも勝った。違う点は 日本は今は経済大国であるが 米国との戦いで、敗れた国と勝った国である。漢字を読む手段として、日本は仮名文字を用い、ベトナムはベトナムローマ字を用いている。ここで、付け加えておきたいことは 1940年から1945年まで、日本は仏印インドシナを大東亜共栄圏の名のもとに進駐した。
 私は この旅行で、ベトナム人に枯葉剤による被害に対して同情の念を持つと共に、中国人より親しみを感じた。
 現在のベトナム文字「quoc ngu」(クォック グー) が使用されたのは 19世紀の初め頃、フランスの直轄地であった南部コーチシナで使用され、北部、中部で正式に使用されたのは 1915年,1919年のことだった。要するに20世紀の初めまで、漢字の世話になっていたのである。

  ベトナムの歴史概要

  紀元前111年 前漢の武帝が南越(広州を首都としていた)を滅ぼし、北部は 約1000年中国の支配を受ける。
  一方、南部メコンデルタには 2世紀頃からクメール人による扶南が建国され、7世紀頃にはタメール人による
  真臘が誕生。中部ではフエ付近から興ったチヤム族によりチヤンバ王国が192年に建国。938年ゴグエン(呉権)
  が漢軍を破り独立。966年 ディボリン(丁部領)が丁朝建国。1009年 リータイト(李太祖)による李朝(~1225)
  1258年元軍の侵攻を撃退。(~1225) 1407年 明朝による占領。1789年 西山党のグエンフエ(阮恵)iによる
  ベトナムの統一。1802年 阮朝の成立(~1945)フエを首都とする。1858年 フランスによるベトナム侵攻開始。
  1873年 ガルニエ事件、仏軍 ハノイ占領。1887年 仏領インドシナ連邦成立。1940年 日本軍 仏印進駐。
  1945年 ベトナム民主共和国独立宣言。1954年 インドシナ戦争勃発。1954年 17度線で南北に分断。
  1955年 南部ベトナム共和国 ゴディンディエム大統領。1976年 南北統一。1986年 ドイモイ政策採用。


   前ページに戻る        漢字文化圏に戻る          最初のページに戻る