越南(ベトナム)の旅

02.11.29. 「みちのく友の会」のツアーで、成田空港より、JL751便にて、福岡、上海、広州の上空を通過して、ハ  ノイに向かった。5時間20分で到着。何回か中国に行っている私にはそんなに遠いとは思わなかった。
 ハノイノイバイ空港には みちのく銀行の関連会社「タワー」の代表の宮田さん、部下の鎌田さん、佐々木さんが
 出迎えてくれた。異国で日本人の出迎えを受けたのが初めてでしたので、とてもうれしかった。
11.30. 朝、7時30分 日航ハノイホテルを出発。まず、ハイフォン市にある枯葉剤による障害者施設を見学。
 刺繍などの民芸品をつくり、土産物と共に販売している。作業している若い障害者は思ったより明るく、私は
 救われた。買い物して、ハロン(下龍)湾クルーズに向かった。世界遺産を 3時間30分で見学するコースである。「海の桂林」と言われる風景を堪能した。船上では新鮮な海鮮料理が昼食として用意されていた。途中下船して、天宮鍾乳洞の見学も組み込まれていた。中国の「川の桂林」と比較すると、こちらは海のため、ダイナミックで、
 明るい奇岩の数々であった。

12.01.7時30分、日航ホテルを出発。まず、バッチャン陶器村を見学。それからハノイ(河内と漢字で書く)市に戻   って、孔子廟を見学。ここは昔、科挙(官吏登用試験)の学問所で、現在も大学になっている。ここには漢字で  刻まれた石碑が多数存在していて、ベトナムが漢字使用国であったことを示している。
  次にこの近くにあるホーチミン廟と居宅であったところを見学。きれいに手入れされたホーチミンの遺体に対  面できたのは夢のようであった。自主、独立を貫き、大国仏国と戦い、勝利し、米国帝国主義と戦い、勝利に  導いた。米国は650万人の若者軍隊を動員し、785万トンの爆弾、7,500万リットルの枯葉剤など、3,520億ド   ル(当時の日本のお金で、126.7兆円)をかけたのにベトコン戦法に敗れたのだった。その偉大な指導者はこ  こに眠り、ベトナム人民を見守っている。居宅は高床式の平屋建ての、書斎と寝室だけの質素なものだった。 トイレは下に降りて、50メートル位離れたところにあり、運動のため、歩くという。
  同じ敷地に伝統ある一柱寺(子宝授け観音を祀っている)見学。沼の中に一本の柱で作られていて、それは
  沼の中の一輪の蓮の花をイメージしていた。
  14時45分、ハノイノイバイ空港を離陸。ホーチミンタンソニヤット空港には 16時30分着陸した。ホテルは ル  ネッサンスリバーサイドホテルサイゴンである。夕食はちょっとした舞踊を見ながら海鮮料理を食べる「サイゴ  ンクルーズ」である。船上からはサイゴン(西貢と漢字で書く)川の船船、ホーチミン市の夜景を眺める趣向で   ある。ホーチミン市(旧サイゴン市)は人口700万人、ハノイ市は320万人であるがホーチミン市の方が道路も   広く、バイクも多く、活気もあり、10倍も大きく感ずる。
 12月2日、ホテル 7時30分出発。バスで ミトーまで行き、メコンデルタクルーズを楽しむ。コースはミトーから
   上流の中洲「広島」に上陸し、南洋の果物を頂き、買物して、渡し舟で本船に戻り、ミトーに帰還する。
   昼食はミトーのレストランで 名物「エレファントフィッシュ」を頂いた。
   午後、統一会堂(トンニャット宮殿)ー旧南ベトナム大統領ゴディンジェムの宮殿である。これは北ベトナム主   席ホーチミンの居宅と比較すると、何百倍も大きい。ホーチミンは一生涯、独身で通し、党や国のために捧    げた。そのため死後、スターリンや毛沢東、金日成などのような、親族による誤りをしなかった。政治に親   子感情を差し挟むと、理想が無駄になることを示している。
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ハロン湾の風景