第4回 | 松を植えた人々 | |
松を植えた実績と苦難の歴史を学習する |
実施日:平成18年5月10日
リンクまたはpdfファイル | |||
配布された資料 | @ | 風の松原の歴史 | こちら |
A | 越後屋・越前屋、そして定之丞・景林 | こちら | |
B | 私たちの「風の松原」物語・・・その3・・・ −袴田与一さんのお話− |
こちら | |
C | 復刻版『私たちの風の松原物語』の冊子 | こちら |
講座開始時に黒板に書かれていた年表 (能代では栗田定之丞や賀藤景林の百年前から植林が行われていた) |
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講座の様子(終了後すぐに作成すればよかったのですが、時間が経ってしまいましたので写真中心に思い出したことを書きます)
黒板に年表を書き終えたあとで浅野さんは話し始めた。年表として資料@を配布したが、どの資料を元にしたかで年代が違ってくる(配布された資料@とAでも年代に違いがある)。
浅野さんは『動く砂山』という本を高く掲げ、1986年に出版されたこの本が、なぜ地元出身でない人によって書かれたか興味があったという。(『動く砂山』はクロマツ関連書籍の項で紹介)。浅野さんの父は能代市下浜出身、浅野さんは本町生まれで、良く砂防林に遊びに来たという。よその土地から嫁に来た人の中には「あの松原は自然に出来た」と思い込んでいる人も多いという。浅野さんはその後結婚して鰄淵に住むようになった。鰄淵(カイラゲフチ)というのは旧東能代中学校を含む地域だが、その東能代中学校付近には松苗を育てる場所があった。
松林は自然に出来たのではなく、すべて植林したもの。植えたのは栗田定之丞や賀藤景林が最初ではなく、最初に難儀したのは能代の人たちだった、ということから話し始めた。
明治時代に松林がなぜ荒れたか? ハマナスの根を染料に用いた。牛や馬を放牧した。そのため砂地に生えていたものがすべて食べられてしまった。
戦時中も植林奉仕があった。(あとで紹介した特別講師の袴田与一さんも高等科の生徒だった頃に植林奉仕をした経験があるという。袴田さんたちが植林した場所はジョギングコース14番地点南側。すでにその北側のクロマツが大きくなっていたので、防風柵(垣根)を立てる必要はなかった。そのためこの地点のクロマツは東に傾かず直立している。)
松を植える時に一番のカギになるのは砂丘を作ること。砂丘造成工事の説明としてパネル4ー1から4−5を用いて説明。
大正10年に富樫兼治郎氏が能代小林区署(のしろしょうりんくしょ)のちの能代営林署に赴任。(富樫氏の業績等については『私たちの風の松原物語』のpdfファイルを開いて読んでください)富樫氏は1954年酒田営林署長で退職。
鈴木重孝氏は戦前、17歳で給仕として能代営林署に入署。戦後、造林治山を担当することになり、どうしても仕事を続けたくて主任から係長に降格(?)してまで仕事を続けた。鈴木重孝氏の著書『能代市砂防林の歴史』についてもpdfファイルを開いて読んでください。
このあと松橋テフさんや鈴木ゆみさんについても説明・紹介があった。
老齢林(トリムランニングコース内や日和山地区など)の切り株を見ると太さも年輪もバラバラ。150年もの年輪がある切り株は中々見つからない。3枚の年輪拓を掲示して説明を始めた。
左側の切り株は景林神社後ろ側にあり、周囲218p、年輪203年(西暦1800年頃)。真ん中のは推定180年、景林時代のもの、こちらの方が太い。右側、指示棒で説明中の切り株は推定160年、下浜にあったもので、松くい虫被害木として最初に切られたもの。
これは魚拓ならぬ、クロマツの年輪拓(?)です 模造紙の左下に写真が載っています。 |
3本の年輪拓を比較しているところです |
このあと「現地に学ぶ」というテーマで特別講師の袴田与一さんと一緒に老齢林、中齢林、若齢林を歩き、松原と砂丘の関係や松苗の植え方の実演をしていただきました。
なお、袴田与一氏は昭和4年生まれ。現在77歳。能代市在住。昭和23年に営林署、能代浜砂防林事業に配属。以来、昭和38年まで15年間、海岸勤務。昭和63年定年退職。現在は米代西部森林管理署「森林ボランティア」の一員としてパトロールに携わっています。
袴田与一さんの紹介 | 大正12年当時に大森稲荷神社鳥居が倒れた場所 昔は神社参道がこの地点から上に伸びていた。 参詣者の多くは下浜や清助町方面から来たという。 |
先ほどの場所から旧参道を下りてくる (現在のトリムランニングコース1300mに出る) |
この付近、西には高い砂丘が続いている |
トリムランニングコースで砂丘を見ながら説明を続ける | |
健康づくりのみちNo.8〜No.2の道に入り、大正期に事業所があった場所を説明 | |
健康づくりのみちNo.12地点へ |
このあと3月まで小屋が建っていた場所で、松苗の植え方を実演。
ワラの敷き方についての説明 | 砂をどのように掘るか |
ワラの敷き方の実演 | アマドコロを松苗に見立てて植え付ける |
垣根の作り方 | これで作業は完成となる |
使用したパネル19枚は浅野さんご自身が作成したものだそうです。(パネルの制作年代は聞き漏らしたが) そこでパネルを順に並べてみます。
まえがき 風の松原 近代のあゆみ |
1 今から80年くらい前、大森稲荷 神社の近くまで砂が飛んできた |
2 大正末期から昭和初期の様子 |
3 最初のうちは失敗することも多かった いろいろな方法を試みた |
4−1 仕事はいろいろあった 整地工(砂山をくずし平にならす) |
4−2 資材を運ぶ、 スダレを編む クイを作る |
4−3 砂草を育て植える アキグミの種採り、挿し木 |
4−4 覆砂工(スダレで砂地をおおう) 藁・萱静砂工 |
4−5 静砂垣を作る |
5 クロマツとグミの混植 衝立・防風垣で守る 埋め藁工・衝立工 |
6 補植(枯れた所を植え直す) 施肥(肥料をやる) まわりの草刈り |
7 成林途中の林 |
8 たくさんの人が汗を流した 現場で働いた人たち |
9 昭和30年代(1955〜) 国連食糧機関の視察 |
10 いろいろな災害があった 昭和11年10月高波被害 昭和18年8月31日の火災 昭和20年代前期 砂の被害 昭和58年3月25日の火災、 |
11 日本海中部地震による被害 (昭和58年5月26日) |
12 風の松原に含まれる民有林 |
13−1 今 風の松原は |
13−2 広葉樹化が進む風の松原 |
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