第2版制作開始 2006/5/23

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最終更新 2015/2/27
マ ツ が 枯 れ る
マツが枯れる

発行 2004年11月1日

定価 1000円

著者 小 山 晴 子

発行者 小 山 重 郎

編集・発売 秋田文化出版

地方・小出版流通センター扱
目 次
 
プロローグ
マツとの出会い
海岸砂防林
松林の中のカシワ
カシワ林
消えたカシワ
マツが枯れる
海岸に緑を
 
(付録)
これからの松枯れ対策   小山重郎
 
あとがき

マツ枯れを越えて −カシワとマツをめぐる旅−   
    マツ枯れを越えて
 −カシワとマツをめぐる旅

発行 2008年11月1日

定価 1200円

著者 小 山 晴 子

発行者 小 山 重 郎

編集・発売 秋田文化出版

印刷 秋田協同印刷株式会社

地方・小出版流通センター扱 
      目  次

プロローグ
カシワ
  カシワという植物
  炊ぐ葉
  カシワの分布
  かしわの木大王
カシワ模様のバンダナ
  北の大地の画家 佐藤直行さん
  カシワの国
石狩湾のカシワ林
  カシワの海岸林
  ゼフィルスとカシワ
  カシワとミズナラの雑種
男鹿半島のカシワ
  カシワ友達 佐藤さん
  男鹿半島にもカシワ林があった
  西海岸と南磯
  社寺林のカシワ、三十年後
秋田のマツ枯れ
  マツが枯れた
  マツ枯れの犯人と運び屋
マツ枯れをどうする
  マツの樹海は残った
  ヒョロマツ
  混交林造成の試み
  最前線の混交林
森は生きている
  林と森
  マツに守られる会
  海岸のマツ林はなぜ作られたのか
  カシワは残った
  屏風山のカシワ、ふたたび
エピローグ
主な参考文献
あとがき 
 
           
           

よみがえれ海岸林 −3・11大津波と仙台湾の松林   
    よみがえれ海岸林
 −3・11大津波と仙台湾の松林

発行 2012年7月30日

定価 1000円

著者 小 山 晴 子

発行者 小 山 重 郎

編集・発売 秋田文化出版

印刷 秋田協同印刷株式会社

地方・小出版流通センター扱
 
 
   目  次

一 はじめに

二 仙台平野の成り立ち

三 伊達政宗と木挽掘

四 津波と海岸の松林

五 3・11大津波以前の仙台湾の大津波

六 予想されていた仙台湾の大津波

七 津波のあとの松林

八 海岸林の津波防災効果

九 「松林百年」

一〇 松林の再生

一一 海岸林のこれから

参考文献

(付録) ハワイの津波    小山重郎

あとがき

 
           
           

私 た ち の 風 の 松 原 物 語  −語りつぐ能代海岸砂防林の近代− PDF
「秋田のこだま」叢書 −2−

私たちの風の松原物語
−語りつぐ能代海岸砂防林の近代−

発行 1999年11月15日

住所 016-0121
  能代市鰄淵一本柳176-4

電話 0185-58-4969

定価 非売品


 この書籍は浅野ミヤ氏のご厚意により、右上にあるPDFという黄色の場所をクリックすることで読むことができます。
目 次
 
明治の頃の砂防林
飛砂のため引っ越した
松林はきのこの宝庫であった
 
戦前の後谷地と富樫兼治郎氏の業績
砂防林を荒らす原因は?
ノイローゼになった富樫さん
仕事にきびしい人であった
一番面白かった時代
富樫式植栽法をあみだす
 
戦中から戦後の後谷地国有林
戦争中の山火事
戦争と松林
戦後の復工
昼休みにダンス
高校時代にアルバイト
マツクイムシ調査に三年間無休
女性として現場で働く
亡き父母と私にとっての松林
 
あとがき

能代砂防林の300年  −私のふるさと学習− PDF
     「秋田のこだま」叢書 −5−

−私のふるさと学習−
能代砂防林の300年

発行 2011年10月25日

住所 〒016-0121
 能代市鰄渕一本柳176-4
 畠山正治方「秋田のこだま」編集部
電話 0185−58−4969

非売品

■表紙写真
「昭和30年代後半・能代浜・男鹿寒風山を望む」
 裏表紙写真
「昭和30年代後半・能代浜・白神山地を望む」
 (秋田市・長岐喜代治氏撮影)
■印刷・製本 北羽新報社 印刷事業部
    目 次

はじめに

1700年頃の能代(野代)
14丈のなぞ
1800年頃の松原の広がり
 1,「能代木山方備図面」
 2,今もあざやかな真澄の絵
 3,栗田定之丞の登場
 4,賀藤景林父子の頃
明治、大正期(1868年〜1925年)
 1,官林(国有林)だけが残った
 2,下浜に育った父の記憶
 3,能代の浜はなぜ荒れた?
近代の植林の始まり
 1,富樫兼治郎さんの活躍
 2,大事業を支えた人たち
戦時中の砂防林(1941年〜1945年)
 1,戦時中も植林はあった
 2,地元の人しか知らない山火事
 3,枯れ松ばかりでなかった「松根油」作り
戦後の復旧にも困難が
 1,くり返された復旧事業
 2,自然のきびしさの中で、張り切って働いた日々
 3,林の中にも近代化の波が
 4,親から子へ伝えるべき大切なもの
植林が終わってから
 1,砂防林切る、切らぬ
 2,能代市による整備進む
 3,日本海中部大地震発生
 4,松くい虫被害北上
 5,最近の変化
 『心』を伝える

あとがき

  
 
           
           

   守られて300年 この緑を未来へ   風  の  松  原    PDF
 

平成24年度「秋田県水と緑の森づくり税」活用事業
 風 の 松 原

守られて300年 この緑を未来へ



編集・発行 風の松原に守られる人々の会
        会長 安 井 昭 彦

連絡先  事務局 成 田 憲太郎

発行日  2012年 9月 1日

印刷所 (有) こんどう印刷

        
     目    次

「風の松原」一里塚10周年を迎えて

風の松原小史

風の松原 中心部 案内図

クロマツ伐採計画地図

砂防林を守ってきた人たちの系譜

「風の松原に守られる人々の会」結成の動き

「風の松原に守られる人々の会」設立総会の様子

会報「松風」からの抜粋記事

風の松原を取り上げた書籍などの紹介

今までも、これからも、松原に見守られて

あとがき

<資料>大正期〜昭和30年代の能代海岸砂防林
      年度別会員数・会長名
      会報「松風」バックナンバー目次一覧

 
 
         
         

松 に 聞 け  海岸砂防林の話


『松に聞け』 海岸砂防林の話

発行日 1998年7月10日

発行所 日本経済評論社

畠山義郎氏は元合川町長
(村長1期、町長10期)
詩集・エッセイ集など著書多数
  目   次

序章 樹海への夢
第1章 海岸砂丘のなりたち
砂漠は人が造った
白神山地のブナ林と海岸砂防のクロ松林
鉄の時代と木の記憶
砂防林の元祖
第2章 津軽の先人たち
七里長浜を歩く
屏風山と野呂理左エ門
生首肥料の掟
飢饉のすがた
樹木の衝撃
十三の砂山
第3章 秋田の先人たち
秋田藩の砂防林
米代川河口能代港と商人植栽
栗田定之丞の登場
ぐみの実の教え
菅江真澄からの考証
大潟村の話
   

第4章 庄内の先人たち
旅人の記録
最上川河北と林聖彦左エ門
彦左エ門以後の系譜
藤崎村のこと
本間光丘のこと
最上川河南と佐藤太郎右エ門
赤川放水路と榊田清兵衛
建設省の砂防林
第5章 由利の先人たち
由利郡西目町のこと
佐々木孝一郎のこと
石川善兵エのこと
石川善兵エの義心
あとがき
主要参考文献
畠山義郎氏の講演「人間・この不思議な生きもの−海岸砂防の変遷史−」のPDFファイル
この講演は『松に聞け』出版の翌年1999.7.11に「秋田のこだま」集会で行われたものです。

海岸林が消える?!
   も    く    じ
はじめに
海岸林ことはじめ 13
(1) 砂浜の海岸林
(2) 岩場やがけの上の海岸林
(3) 海水につかる海岸林
海岸林をたずねて 21
(1) 陸前高田のアカマツ・クロマツ林−津波を防ぐ海岸林
(2) 九十九里浜のクロマツ林−津波にそなえる海岸林
(3) 城ヶ崎のクロマツ林−観光と魚を引きよせる二つの動き
(4) えりも海岸−海を豊かにする海岸林
(5) 釧路市の防霧林−海の霧を防ぐ海岸林
(6) 天の橋立のクロマツ林−クロマツがつくる白砂青松
(7) 松島のアカマツ林−日本三景のアカマツの海岸林
(8) 三保の松原のクロマツ林−海岸林のむこうに見える風景
(9) 気比のクロマツとアカマツ林−三大松原の一つが見せる風景
(10) 斜里町海岸林−北の自然を守る海岸林
(11) 足摺岬の常緑広葉樹林−南の自然を守る海岸林
(12) 西表島のマングローブ林−南のはての自然を守る海岸林
(13) 大瀬崎のビャクシン林−天然記念物の海岸林
海岸林をつくった人びと 77
(1) 野呂理左衛門と津軽のクロマツ林
(2) 栗田定之丞と秋田県のクロマツ林
消える海岸の松林 97
(1) 松の大量の枯死
(2) クロマツ林の宿命
(3) 山火事
(4) 開発
人びととあゆむ海岸林 123
(1) 沼津市の千本松原
(2) 能代市の風の松原
海岸林の役割 149
(1) 災害を防ぐ海岸林
(2) 風景としての海岸林
(3) 自然保護地としての海岸林
(4) 公園としての海岸林
海岸林の未来 159
(1) クロマツ林を守ろう
(2) 海岸林を知ろう
海岸林ガイド 179
著者:近田 文弘(こんた ふみひろ)
2000年11月25日 第1刷発行
発行所 大日本図書株式会社

能代市砂防林の歴史 PDFファイルはこちら


能代市砂防林の歴史
昭和62年10月1日 発行
著作者 鈴木重孝
印刷所 中和印刷所
(非売品)

実物は能代市立図書館で閲覧することができるます。
 以前、県立図書館で「砂防林」と入力して検索した時、同名の書籍があった。そこで見た本は、鈴木重孝編、タイプ印刷、39ページ、付表2枚。

 しかし、禁帯出となっていたので、能代市立図書館にも同じ本があると思い、コピーを取ったりすることはしなかった。

 能代市立図書館にもある本書は、昭和62年10月1日発行となっているので、秋田県立図書館にあったのはもっと古い。本書の最後にある「一、しめくくり」の部分を転記し、紹介に代えたい。
 なお、この「しめくくり」の日付が昭和45年4月発行となっているので、秋田県立図書館のものは昭和45年のもの、それを復刻印刷したのが本書ではないかと想像する。
 私が今回使用したのは浅野ミヤ氏所蔵のもの。まだ鈴木氏ご家族の承諾を得てはいないが、貴重な資料なのでPDFファイルを公開させてもらう。書き込みは浅野氏、この書き込みも貴重。

一、しめくくり

 私はここに敢えて強く言いたい事は海岸砂林は国有林であるかぎり国のものには相違ないが、この砂防林は能代市を飛砂から救うために莫大なる経費と長年月をかけて成林しつつある林で、いわば能代市の林であるといっても過言ではないと思うのであります。
 故に能代市民はもっと海岸林の効果を深く認識し、国の林だからと思わず、この林は我々能代市民の財産であり、能代市の発展の防壁である事を自覚し官民一体となり大切に成林をさせねばならないと思うのであります。現在の砂防林は外観上完成されたかのような錯覚にとられると思うほど成林しておりますが、これは第一段階であって完全に砂防林として生育するか又は破壊され、元のモクアミになるかは今後の管理の如何にかかっておるのであります。
 北羽新報で何回も「三代循環説」即ち親の時代に造林を手がけ、息子の代でこれを育て、そして孫がこれをつぶす。能代の松林はこの歴史を繰り返してきた。今後はこの三代循環を繰り返すことなく、栗田定之丞先生の遠大なる計画、砂防百年の計を思い浮かべ、我々能代市民は永遠に能代海岸砂防林を守って行かねばならない事を強く肝に銘じなければならない。
 余談でありますが、昭和36年3月頃と思うが、讀賣新聞に「砂地獄に悩む住民」と題して秋田市新屋のことを書いてあった事を思い出した。
 秋田市新屋地内で区画整理組合が広大な畑地を宅地に変えるため、場所が砂丘地帯であることを忘れ整地を行い住宅地にした。その結果道路は砂の吹きだまりができてうねったようになった。ここの住民十六戸の人達の日課は家の中に毎日たまる砂の掃除、毎朝家の前の「砂かき」をするのが男の役という。
 現在を見るとその猛威がよくわかる。行きと帰りでは道路のかたちが大分変わっている。
 また佐々木、松岡さん二人の家は空き地に面した壁のすき間というすき間を張り詰めているが、半分は家が砂に埋まりかけている。風の強い日など一日で入口に1メートル以上も砂の積もることがザラで、佐々木さん方では去る1月中旬についにたまりかねて家を見捨て、親類に避難してしまった。共同井戸はダメになり、住民たちは食事中も天井から落ちる砂を気にしなければならない状態であると報道された。
 現在能代海岸林は完成されたと錯覚を起こして一部の人達が、国有林の開放を叫んでいる人がおりますが、この新屋の例、又は酒田の浜中部落の例からも知られるとおり、もってのほかと思う。心すべきことである。
 私は常に視察者、主に大学生に対してこんな事を言いました。海岸砂防は川があり、海があり、陸地がある限りこれは永久に自然の飛砂と人間の戦いである、と主張してきました。
 最後に私が在職中陰よりお力添えとご指導をいただきました柳谷市長、能登斌治氏、渡部伯文氏、北羽中村記者氏にこの紙面をお借りいたしまして深く感謝の意を表しましてこの項を終わります。

   昭和四十五年四月発行 

昭和46年10月22日   海岸砂地造林事業 五十年の歩み 砂防林を愛する会 pdf
 本書は昭和46(1971)年6月、市民有志によって結成された「砂防林を愛する会」が同年10月に発行したB5判14ページ付表2枚の冊子である。

内容は、
    概要
位置
面積
林相
気象
沿革 (1) 前期(1711年〜1820年)
(2) 中期(1822年〜1920年)
(3) 後期(1920年(大正10年)以降)
五十年の歩み
まえがき
砂浜の形
砂の成因
砂の含有水分
砂丘 (1)砂丘の種々相
(2)砂丘の形状
飛砂
砂丘の築造
砂丘の走行
人口砂丘の形状
堆砂垣覆砂工、静砂工編柵工
砂丘造林
内部砂丘の固定
クロマツ造林
(1) 砂地が充分安定した後に植え付けすること
(2) 水分の基調とする造林であること
(3) 埋藁はクロマツ1本当り350g〜400gまで苗木の根の先端より梢々下方に埋め、彫り上げた湿砂で藁の見えぬ程度に覆う
(4) 衝立工(この工法は栗田定之丞氏の考案せる寒向法である)
(5) クロマツの母樹
山火事について
大東亜戦争中における被害と復旧
編柵工について
作業道路と前砂丘の固定について
大開浜海岸(落合浜)について

風  に  学  ん  で
                                (能代海岸防災林の造成の記録)
米代西部森林管理署(平成13年3月発行)
この本は写真集です。タイトルにあるように能代海岸砂防林(主に大開浜)造成の様子がよくわかります。
この写真を使用したホームページがこちらにあります。