−砂防林関係年表− 作成開始04/9/8 

最終更新06/6/3
時期 西暦 和暦   事  項
室町 1533 天文2 ★檜山城主安藤氏が清水治郎兵衛政吉を野代村の長とする。(野代は日和山の下姥が懐にある15軒ばかりの漁村であったが、米代川の港口で木材取引上のためという)。
1556 弘治2 ★清水政吉、能代浜からの飛砂の害を免がれるため東方の野中に村を移す。
江戸 1670ころ 寛文10 ★医師、長尾祐達が砂防を提唱し、海岸に植林を始める。※長尾家過去帳によると祐達は(宝暦元年(1751)、同3年(1753)、文化4年(1807)没)の3人おり、寛文年間の人というのは無理。
1700ころ 元禄13 能代は飛砂で住居や耕地が埋まる被害が多く、秋田藩でも飛砂防止対策に着手。
1711 正徳1 ★清助町付近の風砂がひどく、船問屋越後屋太郎右衛門(休慶)が自費で黒松を植林。
1713 正徳3 ★このころから越後屋(渡辺)太郎右衛門、村井久右衛門ら自費で能代後谷地等70町歩に砂防用松苗を植林。
1723 享保8 ★渡辺太郎右衛門が砂留普請に着手し、3年にわたり施業。
1744ころ 延享1 能代給人 白坂新九郎、鈴木助七郎が砂留役となり、長尾祐達の遺志を継いで砂留造林事業継続。
1755 宝暦5 ★このころ浅内の肝煎原田五右衛門、福田の野呂田八郎右衛門と協力し、自費で砂留のため砂防松苗を増植。このころ上記2人と河戸川の大塚甚十郎、長崎の袴田与五郎などが砂防林を造成。
1772 安永1 ★安永年中に白坂新九郎、砂防の功労によって藩主より新知10石加増される。
1782 天明2 ★原田五右衛門が本郡沼田村の飛砂防禦指図役の任をとる。
★村井久右衛門永年にわたる砂留の功により、生涯御蔵米50石下付される。
1786 天明6 ★浅内村福田の野呂田八郎右衛門が肝煎役を命じられ、開墾と砂防に尽力す。
1797 寛政9 ★大内田村長崎の袴田与五郎が私費をもって砂防林の造成に着手。
郡方砂留吟味役栗田定之丞、藩内海岸の砂防林造成に着手。
1820 文政3 ★栗田定之丞、植林事業一応終了。
1822 文政5 賀藤景林、能代木山方(兼務)となり、砂防林造成も担当。1833年までの12年間に約70万本植栽。
1833 天保4 ★賀藤景林能代海岸の植林終了。
1836 天保7 賀藤景琴、父の業を引き継ぎ、その後、松30万本植栽。
1850 嘉永3 町民が樽子山に景林の石碑を建てる。このころ藩政時代最後の植林が行われた。
1857 安政4 賀藤景琴、天保7年よりこの年まで能代海岸に松苗30万本植栽。
明治 1880  明治13 このころ前砂丘に自生するハマナスの根の乱採や牛馬の放牧が行われ、砂防林は危機的状況となる。
1892  明治25 能代小林区署創設。(現米代西部森林管理署)
大正 1912  大正1 このころ砂防林らしきものは大森稲荷神社付近や下浜付近に残るのみだった。
1918   ★能代公園に景林神社建立。
1921  大正10 後谷地で国営造林事業開始。富樫兼治郎氏が大学を卒業し能代小林区署に赴任。
★営林署海岸林植栽を計画、着手。
1924  大正13 この年から昭和3年までの5年間に黒松7万5千5百本植栽。また昭和4年までに7万4千本補植。
昭和 1926  昭和1 このころから小松原付近で植林が始まる。
1932  昭和7 西山下で県営造林事業開始。
1937  昭和12 『日本海北部沿岸地方における砂防造林』(富樫兼治郎著)刊行
1943  昭和18 砂防林の造林地(小松原)から出火、約21ヘクタールを焼き尽くす。
1944  昭和19 この年も植林を実施。青年学校で植林の勤労奉仕。このころ軍の命令で松根を掘って乾留し松根油を作る。
1948  昭和23 戦後始めて砂防林植栽事業を再開する。
1950  昭和25 『能代営林署管内後谷地国有林に於ける松穿孔虫の生態調査について』の論文発表(能代営林署技官住友重久氏)
1952  昭和27 能代市が砂防林の恩人として吉成貞助氏と富樫兼治郎氏を表彰。
1962  昭和37 浅内浜に東京大学ロケット燃焼実験場が作られる。
1970  昭和45 このころ砂防林植栽事業が完成した。保育作業は現在も行われている。
1971  昭和46 第4次港湾整備計画(臨海工業団地造成)で砂防林伐採をめぐる論議おこる。
「砂防林を愛する会」結成、伐採計画の変更を求める。74年、伐採幅100mで決着。
1977  昭和52 中央衛生処理場が河戸川字西山下に完成。
1978  昭和53 初回砂防林クリーンアップ(能代青年会議所主催)。その後継続実施。
火力発電所立地のため環境調査開始。
1982  昭和57 火力発電所建設の埋め立て工事開始。
1983  昭和58 日本海中部地震。砂防林が津波の力を弱めることを実証。
1987  昭和62 「砂防林を活用する市民の会」結成。市の公募により愛称「風の松原」と決定。
このころからニセアカシアの繁殖顕著。能代市が「いこいの広場」等の整備を開始。
平成 1989  平成1 日本五大松原サミットが開催される。
1990  平成2 「風の松原を育てる市民の会」発足。南西山に能代市木の学校がオープン。
1991  平成3 台風19号(瞬間最大風速44m)のため風の松原の倒木は松●本、ニセアカシア5000本。
1992  平成4 海詠坂に能代山本広域交流センターがオープン。
1993  平成5 大森山に能代火力発電所(石炭)が運転を開始。
1995  平成7 海詠坂に県立木材高度加工研究所がオープン。
1999  平成11 松くい虫が北上、後谷地国有林にも侵入、被害発生。
2001  平成13 「風の松原に守られる人々の会」発足。
2004  平成16 台風15号(瞬間最大風速38m)のため風の松原の倒木はニセアカシヤ●本。
2005 平成17 3月 健康づくりのみち第1期工事完成
2006 平成18 3月 健康づくりのみち第2期工事完成

 注1:この年表の作成には「風の松原とは?」に掲載した各資料を参考にした。特に『私たちの風の松原物語』によるところが大きい。
 注2:★印は『図説能代の歴史』(野添憲治著・1984年11月・無明舎出版)により補足した。

「秋田のこだま」叢書 −2−

   私たちの風の松原物語
    --語りつぐ能代海岸砂防林の近代--


発行 1999年11月15日
    016-0121 能代市鰄渕一本柳176−4
    畠山正治方「秋田のこだま」編集部
    電話 0185−58−4969

非売品

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    表紙 ■題   字/三 戸 み つ
        ■レイアウト/今 井 詠 子