韓国の旅 2

2003.10.14 から 18 まで、教職員互助会の旅行である。担当の旅行業者は名鉄観光である。
秋田空港 9時35分離陸。仁川空港12時10分着陸。バスにて、金浦空港へ。ここを13時35分、離陸して、済州島へ向う。済州国際空港には16時40分着陸。済州KALホテルに宿泊。
翌15日、済州島観光に向う。済州島は観光開発されていて、現在韓国人の新婚旅行地になっているとのことである。実際、飛行機の中、バスから降りると、手をつないだ新婚さんが多かった。
「三姓穴」はこの島に多い姓に「高、良(梁 )、夫」があり、この姓の起源を示す三つの穴がある。(写真1)
済州市の海岸にある「竜頭岩」、島の西部にある「挟才窟」(鍾乳洞)を出ると、翰林公園であり、民族村と続いている。次に南部の7仙女を貼り付けている仙臨橋から天帝淵瀑布見た。昼食は 近くの Daeyoo Hunting Club のキジのしやぶしゃぶを頂いた。柔らくて、おいしかった。午後 3時10分離陸。釜山空港に午後 4時10分着陸。
宿泊は 昨年も泊まった、外観が台湾の宋美齢経営の圓山大飯店に似ているコモドだ。(写真2)
翌16日、釜山観光。竜頭山公園には 秀吉の水軍を敗退させた韓国の英雄の李舜臣の銅像が海を見つめている。チャガルチ市場は 沢山の露店が所狭しと並び、肩をぶっつかる通路、そこをバイクが走る。野菜、海産物、
干物、雑貨、衣料など、何でもある。国連墓地を初めて見学。ここには朝鮮戦争のとき、釜山で戦死した国連軍人2,299名(11カ国)の墓地がある。英国人とトルコ人の墓が多い。かって、松本清張の「黒地の絵」で、戦死した米軍兵士の死体をドライアイス詰めて、板付空港に運んできて、ここで死に化粧して、米国へ送った。そのため、最も多かった米国人の墓はない。殆どの国の身内が遺骨を本国に持ち帰るがトルコには 他国に墓地をつくると
領地が多くなるとの発想、習慣があり、持去らないため、墓地が多いという。釜山から慶州の石窟庵や仏国寺へは高速で行く。路面は凸凹、車は混雑している。途中、「慶州ナザレ園」に立ち寄る。第二次世界大戦中、韓国青年が日本で日本婦人と結婚し、終戦前後に韓国に定着し、その後、孤独老齢者となり、心身障害者や生活困窮者になった日本老婦人を 100人位、この施設に入れ、保護している。韓国全土には 約800人の日系婦人がいるとのことである。この施設は まだ反日感情が強かった 1972年に 故金龍成氏が開設したという。秋田県の河辺出身の婦人も居るとのことでした。10人位の日本老婦人と会った。握手をしたり、日本語で会話したり、最後に「ふるさと」を一緒に歌った。3番まで、シッカリ覚えていたのに、驚愕し、涙した。次に古墳公園の天馬塚、石窟の中に彫られている 3.4mの釈迦如来像はガラス越しに拝顔できる。(石窟庵) 6世紀ごろの新羅王朝の仏教文化を示す仏国寺を見学。温泉付のコンコルドホテルに到着。夕食は このホテルの離れ、湖に浮かぶ「湖畔亭」で、韓国踊りを観ながら、韓定食を頂いた。翌日、慶州駅から 8時30分発 特急セマウル号でソウルに向う。車内は 座席と座席の間隔が広く、足が伸ばせた。車中から見える駅名の看板は 漢字とハングルで表記されている。駅到着のアナウンスは 韓国語、英語、日本語、中国語の順で放送されている。車内販売のビールは 1,600ウォンで、コンビニの値段と同じである。レストランでは 4,500から5,500ウォンであった。車外の景色で印象的なのは 都市の近郊には 地震がないということで、高層アパートが目立つ。ソウルには 13時3分到着。ソウル駅工事中で出口が分かりにくい。バスで、李朝、李成桂の王宮、景福宮(勤政殿、慶会楼)を見学。衛兵の交代式も見学できた。仁寺洞(骨董市)、南大門市場を見学。夕食は 韓一会館で、カルビ 2人前頂き、南山公園よりソウル市内の夜景を雨のため、少しだけ見学した。宿泊は 昨年と同じ、パレスホテル。翌朝は 仁川空港には 朝7時40分到着。スーツケースを預け、空港内レストランで 日本食を頂いた。10時15分離陸。秋田空港には 12時着陸。
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    写真1 三姓穴                           写真2  ホテル コモド