韓国の旅                                                                                   

この度、タビックスのツァー「韓国ぐるーり周遊、5大世界文化遺産と4都市物語5日間」に参加して、漢字を追跡した。
 02年1月8日、9時50分、秋田空港を離陸。12時30分、仁川空港着陸。バスにて、ソウル市内の戦争博物館(朝鮮戦争)、国立博物館(韓国史)、東大門市場を見学、宿泊。
 翌 9日、李王朝の宗廟、秘苑@を見学し、高速道路で行き、同じく李王朝の水原華城Aを見学した。又高速道路にて、大田市儒城温泉に向い、宿泊。
 10日、百済国武寧王陵、公山城B、公州博物館を見学し、高速道路で伽耶国の海印寺、八万大蔵経Cを見学、韓国第三の都市大邱市に宿泊。ここには今年ワールドカップするサッカースタジアムが建設されていた。
 この時代の寺院だけは漢字でかかれている。


 11日は 新羅時代の石窟庵、仏国寺D、天馬塚を見学し、高速道路で、韓国第二の都市釜山に着き、龍頭山公園を見学したる。ここの展望台(120m)から、日本の対馬が見えるとのことでしたが 逆光で見えなかった。夜はここに宿泊。
 これは 釜山港の風景である。
 12日、7時20分離陸し、仁川空港には8時20分に着き、9時50分発で、秋田空港に向う。偏西風の関係で、1時間50分で到着すると、アナウンスしていた。丸数字は世界文化遺産を示す。

 この旅では 韓国の歴史を勉強した。5世紀頃の朝鮮半島は高句麗、百済、新羅、伽耶と4つの国に分かれていた。その頃日本は飛鳥時代であり、弥勒菩薩、百済観音、阿弥陀如来、釈迦牟尼佛そして寺院建築など、ほとんど同じで、使用している文字も漢字で、仏教も漢字も朝鮮半島を通って、日本に入ってきたことがよく分かる。今韓国の市街地の標識はハングル文字で表示されている。このハングル文字はいつ出来たのであろうか。14世紀後半、蒙古が去った後、李王朝ができる。今回見学した秘苑は李朝三代王太祖が建造した昌徳宮の裏庭である。四代世宗大王がハングル文字を発明し、1446年に公布している。ハングル文字は日本の「かな文字」と同様、表音文字で、それ自体には意味がない。多分漢字をよむために考案されたものであろう。
 16世紀末には 日本の秀吉軍がやってきて、李王朝の宮殿は全焼させたという。17世紀半ばには清国に服属し、1910年には 日韓併合、そして第二次世界大戦後、大韓民国となり、北朝鮮と民族が分断された。分断された国家はドイツ、ベトナムがあったが、今は統一され、残っているのは朝鮮半島だけである。

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