「オレは怒ってるんだぁ!」since 2000/06/01

「ある恋のかたち」

last updated 2000/12/04


第二章  梅雨

 6月のある日、全員参加の飲み会が催された。うちの課長は宴会好きで、新規開拓が成功したときや大きな契約がとれた時は、決まって課の全員を連れて飲みに出かける。一次会や二次会は課長のおごりだということもあって参加率は常に100%だった。今回は私の部下である檜山が、世田谷にあるリハビリセンターに新規開拓を試み、大きな契約をもらった。私より6歳年下の彼は、世間で言われる『体育会系』そのものという感じで、普段の行動、言動、酒の飲み方まで、真面目を絵に書いたような男だった。そのくせ無類のカラオケ好きで、酔って人に絡むようなことはないが、マイクを握ったら離さないタイプである。そんな彼の功績にあやかろうという輩は一人もいないが、とにかく何かにかこつけて飲みたい奴ばかりである。
 二次会もそろそろお開きという頃、圭子が私の隣に座って話しかけてきた。
「係長って、お酒強いんですね」
「そうでもないよ。これでもけっこう酔ってる。顔には出ない方だけどね」
「そうなんですか。じゃあ、送ってもらおうと思ったんだけど、ダメかな」
「えっ?高水さんの家ってどこなの?]
「経堂ですけど。係長もオバQ線沿線じゃなかったですか」
「オバQ?……ああ、そうそう千歳船橋なんだ」
少しばかりジェネレーションギャップを感じつつも、彼女のペースについていこうとしていた。まわりではもう三次会の相談を始めている。
「圭子ちゃん。次、行こうよ」
先輩女子社員の香田幸子が声をかけた。圭子は、両手を合わせて拝むような格好をした。
「あっそうか。ご両親が厳しいんだっけ。じゃ、また今度ね。係長は?」
「ああ……。オレも、今日はやめとくよ」
「そうですか。圭子ちゃん、係長に送ってもらったら?」
「お願いします」
圭子は、ペコリと頭を下げた。
 みんなで店を出ると、三次会組と帰宅組に分かれ、さらにタクシーを拾おうとする者と駅に向かう私逹とに分かれた。ロレックスに目をやると、もう十一時を過ぎていた。
「それ、高いんでしょう」
「……?!ああ、時計か。さあ、いくらかな。誕生日にもらったんだ」
「奥様からですか」
「うん。まあね。……また降ってきたな。ここからだと一旦新宿まで出なくちゃならないな。面倒だから、タクシーでいこうか」
「変なこと考えてるんじゃないでしょうね」
「えっ?!………まさか」
本当にそんな事は考えていなかったが、少しだけ心臓の鼓動が速まった。彼女は、それを見抜いてか、
「冗談ですよ。ちょっとドキッとしました?」と笑った。
「おじさんをからかうなよ」
「でも、タクシーなんてもったいないですよ。そのお金でお子さんにお土産でも買っていってあげたらいかがですか」
「ああ……。子供はいないんだ。オレは好きなんだけど、女房が子供嫌いでね。キャリアウーマンってやつ。仕事、辞めたくないんだって」
「そうなんですか」
圭子は余計なことを云ってしまったと思ってか、それきり話さなくなった。
 JRで新宿へ出て、小田急に乗り換えた。この時間になると酔っ払ったサラリーマンやOLで満員になるのだが、ちょうど折返しの各駅停車が入ってきて、なんとか座ることができた。下北沢でかなりの人が降りたので、立っている人もまばらになった。電車が経堂のホームに入りスピードが緩むと、圭子は立ち上がった。
「係長。送っていただいてありがとうございました」
「家まで送ろうか?」
「いえ、歩いて五、六分ですから、もう大丈夫です」
「そう。じゃあ気をつけて」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみ」
扉が開いて、圭子が降りて行った。私はミニスカートから覗くすらりと伸びた足に見とれながら、その後ろ姿を見送った。扉が閉まって電車が動きだすと、圭子は私に向かって子供のように手を振っていた。私もそれに応えて、手を振った。圭子の姿はすぐに見えなくなり、我に返った私は、自分の手を降ろすと同時にまわりの乗客の反応を伺って、少し顔が赤くなるのを感じた。間もなく千歳船橋の駅に着いて、私もマンションに向かう。雨が少し強くなってきた。

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