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第一章


能代山本自治体合併の重要性に鑑み、豊沢有兄能代市長の「冠を捨てる覚悟」発言から

能代山本合併法定協議会離脱まで、私の記憶を記録することにした。

2005/1/10



合意事項は議決より優先?


豊沢市長が「冠を捨てる覚悟で合併の話し合いに参加したい」と、

能代市議会の全員協議会で合併の方針を説明したのは平成15年8月25日である。


私は、合併協議会に望む「覚悟」の意味と受け取っていた。


まさか、この数日前に7市町村首長レベルが互いにテーブルの下で、

すでに「冠を捨てる」約束をしていたとは予想していなかった。


地域に住む住民が選択すべきことを、説明もないまま決められていた。

豊沢能代市長がそう言ったから捨てたと、

新市の名称「白神市」の正当性を主張して1市6町村の首長たちは、一歩も譲らない。

それは、住民不在で決定した"メンツ"を保つためだけである。



能代市の市町村合併調査特別委員会が開かれた平成15年12月15日、

出席した豊沢市長は、25日設立する能代山本合併任意協議会に臨むに当たり、

新市の名称について、自ら「能代」の冠を捨てて望む覚悟を強調した上で、

「影響力の大きい能代の覚悟は、周辺町村との信頼の基にもなっている」と

重ねて理解を求めたのである。


これに対し特別委は、

「新市の名称問題は、公募方法などを含め大きな問題となる。

最初から旧市町村名を排除することは好ましくない」と

意見を述べている。


新市名の公募用件を

「現市町村名も候補対象とすべきだ」とする能代市議会と、

「互いに冠を捨てることが、対等合併の趣旨にかなう。市長と町村長の合意事項である」として、

豊沢市長は一歩も譲らなかった。


議会の知らないところで、

新市の名称に旧市町村名を使わないとの方向付けが各首長間で

既に合意事項となって形成されていたのである。



きしめ始めていた


こうして7市町村首長間の下で設立準備が進められていた

仕切り直しの能代山本市町村合併任意協議会は12月25日、

△合併は新設(対等)合併、△新市の名称は現市町村名を使わない公募、

△庁舎は能代市内とする、△財産は原則すべて持ち寄る

などの方向で設立された。


事務局から提案された任意協議会規約や運営規定、

合併綱目の協議や新市将来構想の作成を盛り込んだ事業計画は、

私たちには一度も目に触れることなく即刻承認となった。


この日私は、役員の互選で初の会合は終わると思っていた。

出席した委員もあれよあれよと事が進んで

「待った」をかけるチャンスを逃していたと振り返る。


大事な規約も事前に市町村長間で決まっていたのだ。

何もかも市長が一人歩きし、議会説明が後手にまわることに、

きしみが亀裂を生もうとしていた。



市長の「冠捨てる覚悟」を、問う


2回目の会合は年が明けた16年1月15日に峰浜村で、

第3回は同29日に二ツ井町でと、

それぞれ市町村を持ち回りで開催したが、

新市の名称をめぐって紛糾状態が続いていた。



1月20日


「議会や市民の議論を経ないまま、『能代』を捨てていいのか」

2回目の任意協議会に臨むに当たり、

議会に対する市長の姿勢を批判する意見が相次いだ。


市長は

「捨てる覚悟があるといったとき、捨てようとしたわけではない。」

と言った。


そして、合併実現を考慮した場合、

「秤にかけなければならないときがある」

と述べた。


「合併協議会に臨む

『覚悟』の意味と受け取っていた『冠』を

いつの間に捨てたのですか。

これまで市長から正式に『捨てた』と提案説明はなかった」

と市長に問い質したのに対し、


畠貞一郎氏は「15年8月25日の全員協議会で説明し、

9月議会では議員の質問に市長は答弁しているではないか」

と応酬して市長を擁護した。


そして「冠を捨てる。捨てた」賛成の理由に、

「これまで議会は、市長の捨てる覚悟に一致した反対意見もなく、容認されていたはずだ」

と述べた。


おやおや。これがまた宮腰前市長だったら、

「市長提案の重要性、議会と議決の重み、ましてや全員協議会で説明した、

質問で答弁したで事が足りるとは大間違いだ」と、

目を吊り上げて激しく問い詰めていただろうに。


認識の違いが大きく食い違っていた。

「説明責任は免れない」と、

厳しい批判が続いた。



議論の平行線をたどる新市の名称


八森町で開催される第6回任意協議会を控え、

新市の名称は現市町村名を含めた公募を求める能代市議会と、

現市町村名を排除して公募の原案を支持する町村側の

議論が平行線をたどっていた。



現市町村名を含めて公募する案が

明政会(7人)、政和会(5人)市民の声(3人)創造21(同じ)、青雲会(一人)の

5会派と多数を占め、


任意協に提案された現市町村名を使わずに公募する案を

大河の会(3人)、共産党(2人)、みどりの会(一人)が支持した。

公明党(一人)は、大河の会と既に打ち合わせができていた

「公募段階では現市町村名を除き、法定協議会移行後に現市町村名を含めて選考する」

ことを提案し、大河の会がこれに同調した。

(平成16年2月10日)



その後、合併特別委員長である畠山一男議員は、

この案を町村側に打診した結果、

町村側も柔軟な姿勢を見せ「歩み寄り」の可能性があると報告した。


「決して『能代』をごり押しするものではない」と、

初めて能代市議会の意見が一致した。

が、議長は能代市議会提案の打開案が受け入れられないときは、

再度持ち帰ることの意見があり、

一任したものにはなっていなかった。



市長「市議会にも責任がある」


3月10日、「打開案」を持って第6回任意協議会に臨んだ。


膠着状態を打開する案として、能代市議会は

「公募段階では現市町村名を除き、法定協議会移行後に

学識経験者など有識者らの選考委員会で公募名に現市町村名を含めて選考する」

という折衷案に議論を求めた。

膠着状態の「打開」にはほど遠い、

町村側の強い反発にあった。


「町村側の意見は変わらない。」

「なぜ、能代は市長と議会の考えに乖離があるのか」


その会議の場で豊沢市長はこう発言した。


「名称問題について議会と十分話し合わなかった私にも責任はあるが、

積極的に私に議論を呼びかけしなかった

市議会にも責任はある。

能代市として名称問題をどうすべきか、この場で決断しなければならない」

と述べて、

休憩を宣言して豊沢市長は、

柳谷議長と畠山一男特別委員長を別室に呼んで協議した。

市長が能代市議会に詰め寄った格好だった。



十数分後、柳谷議長が

議長の責任で原案を受け入れることを表明した。


拍手が起こった。

固唾を呑んで傍聴していた同僚議員たちの

目が引きつっていた。

ただ一人、畠貞一郎氏だけは立ち上がり大手を振って拍手していた。


議長が市長と密室で協議した内容は、いまだわからない。


私はこれで最大の難関だった問題が決着して、

合併に前進があるとは思わなかった。

逆に市長のこのやり方がすべてでは

「市町村合併は壊れる。」

そう、思った。



新市名称問題は、

「議会の意向を取りまとめないまま、原案を受け入れしたのは責任が重い」

と、議会トップの進退問題に発展した。


延々到頭の弁明は

途中感極まりながらの浪花節に訴えたが、

柳谷議長の責任は、

議長不信任案可決となって辞任した。


「名は体を表す」という言葉があるとおり重要な課題だが、

市長は名前へのこだわりの背後にある

住民の意識には、

踏み込んで話し合うことはなかった。


それよりも豊沢市長は、

能代が犠牲になって「冠捨てる」ことに

各町村とも合意したことを説明し、

「言ったことを曲げたら(合併が)だめになる。

市長も、町村長もぶれない」と、

に市町村ごと住民説明会で理解を求め行脚した。



こうして、平成16年5月に合併任意協議会から移行した

法定協議会は決して磐石ではなかった。

地域住民の暮らしに関わる協議が本番を迎えるにも「冠を捨てる」でなおくすぶり、

ガラス細工のようなスタートだったのである。


にもかかわらず、

市長には議会側と腹を割って話し合うことはなかった。



市長のスタンスはどこへ


豊沢市長は、議会と市民とのスタンスについてこう語っている。


「議会とはギクシャクしているほうが、

今、何が問題になっているか市民にとってわかりやすい。

議会は議会、市民は市民で判断すればよい」

「市長である私の提案に反対する議員がいるのですか?」


私には、議会との関係は冷え込むのが当然で、

「市民を見下した傲慢さ」に映るのである。



豊沢氏は

"中田は所詮土建や政治だ"

と批判していたはずが、

それがなかなか手を切れない事情にあるという、

巷の話だ。

「議員が裏で市長を操っているのではないか」

と疑う市民の声も少なくない。


それを裏付けるかのように、

『ああ、これで俺の夢が実現できる』と、

豊沢市長誕生に心地よく我が物顔している中田満議員がそこにいた。


唯一、豊沢市政ではなく豊沢有兄氏を守る会派がある。

「大河の会」。

構成メンバーは、

影の市長と言われる中田満議員と

そのあっシー君畠貞一郎議員、

豊沢有兄氏の同期生畠山一男議員だ。

これに痘痕も笑窪になっているもうひとりの議員

が加担する構図だ。


豊沢、中田、畠を串にさしただんご3兄弟という市民もいる。


市民の声はいわゆる"市長の取り巻き"に問題があると言いたいのだろうと、思った。



まもなく、議員の中から、支援した市民の中から

「豊沢は人の話を聞かない傲慢で、意固地で、独裁者だ」と、

冷ややかな声が聞かれるようになっていた。


合意事項より議会の議決の重みがわからい市長が、

裸の玉様

になっている事に気がつかないのが私には不思議でならない。



まったく以って順序が逆だ


合併問題をどの視点で考えるか、

人口の減少、財政問題、地域づくりなど

そのスタンスの置き方で結論が違う。


能代市と一本の綱になっていた6町村に対するスタンスである。


豊沢市長からは合併した全市の一体感をどう醸成しようとしたのか、

伝わらなかった。


1市6町村の首長にとって「冠」を捨てることが、

なぜ、対等合併なのか。

そこに住む人たちの歴史を捨てなければ

「信頼関係の構築」

が生まれないと言われても理解できかねていた。


新市の広い面積の行政と住民の直結パイプとなる地域自治組織を含め、

新市の将来像という新市建設計画が先送りされてきた。


枠組みを各市町村が判断するとき、

真っ先に議論すべきことであったのに、そのことを議会で問われると、

市長は「協議の場つくりが市長に課せられた役目」と、調整役の立場を強調した答弁を繰り返した。

結局、合併協議会離脱にいたるこの時期になっても

地域自治組織は空白で提案さえしてこなかった。



「冠を捨てる」発言の前に

合併する市町村の財政状況の徹底した情報公開が不可欠であった。

負の財産の徹底公開を含めた

自立への将来像、シミュレーションである。


「交付税なしではやっていけないという厳然たる事実がある」と、

市長は答えた。

だから合併するというのは、あまりにも短絡過ぎる。

現在直面している危機的財政状況と、

行政サービスの低下の懸念に対する対応をどうしようとするのか、

財政を再建する計画、行政の改革・効率化の計画、どういう構想をもっているのか。

市長の考え方を披露することはなかった。


私は、豊沢市長が6町村の首長と

「能代の冠を捨てる覚悟で合併に臨む」と発言し、

「現市町村名を新市の名称から排除する」の合意形成ができる過程の中で、

合併を推進することのみが優先して、

最も重要な課題の解決を越えて、

地域の将来像を住民に説明することが抜けていたのではないか。


合併が、新しい地域づくりを目指したものではなく、

現状のままでは存続できないという理由で、

合併特例法の期限に間に合わせるためだけの選択だったがゆえに、

信頼関係が崩れるのは当然だったと、

考えるのである。



合併協議会離脱表明後になって、

合併しない場合を想定し、行財政全般の見直しを急ぐとは、

何事かと言いたい。


もとより、行財政の効率のみを追及する合併はあるべき姿ではないと思うが、

地域の将来図を描くには合併した場合と、しない場合のメリット、デメリットを示すとき、

それなら、行財政改革をどうしなければならないのかも併せて

住民と関係市町村との協議をすすめなくてはならなかったのではないか。


これだけみても、いかに市長の「合併ありき」の姿勢がうかがえる。


合併への策なし、論なし、力なしとはこのことだ。


不吉な不協和音


7市町村の合併問題は、

名称問題を除けば着実に協議を積み重ねてきたかと

言われれば疑問に残るところ様々にある。


一例を挙げると

「不退転の覚悟で協議会に臨んでいる」と前置きして

新市後の公平な法人市民税の負担率を求める能代市議会の意見は、

新市後3年間の不均一課税期間を設けるべきとする町村側に

一蹴されるなど、議論の余地さえなかった。


加えて8月になってまもなく、峰浜村芹田村長が村議会で、

自治組織のあり方にふれ

「合併特例法による地域自治組織を主張している」と、

首長側の主張を述べたという報道が私を驚かせた。

わかりやすく言えば新市の中にミニ市を置くということであろうか。

現首長が区長となって居座るなどしたら、

それこそ、合併の目的である行財政改革にはならない。


新市の組織機構について、

法定協議会の専門部会ですでに協議済みで、

幹事会や市町村長にその案が上がっているが、

首長間に異議が強く、

差し戻しになっているという。


豊沢市長が、新市の組織機構に積極的に触れて提案してこない理由がわかった。


私は、能代に本所、6町村には支所形式を望みたいところだ。


「屋上屋」だと議員から協議会への不満が批判の声となってくすぶって、

新市名称問題と7市町村の合併問題が微妙に絡み合って、

不吉な不協和音を出していた。


「なんと言おうが能代はたったの3票」

能代が持っている決定票にも触れる発言が続くなど、

完全に1市長対6町村の構図となっていた。


私には協議の手順からは、

合併の是非について話し合うといったステップが見えてこなかった。



「冠」捨てて「白神市」に


かなり早く、公募する以前から

新市の名称は「白神市」と、

決まっているかのように、聞いていた。


8月30日、新市の名称が「白神市」に決まった。

間をおかずに「白神市」に反対する声が上がり始める。


(八森町から臨む遠く微かな白神山系92/6/15)

私は、藤里町で白神山地を守るため、

心血注ぐ鎌田さんたちを思い浮かべていた。


「美しい自然保護運動と、私たちは、公害に侵された自然を元へ戻す運動だね」と、

前途多難な「自然を守るため」の運動にお互いに声を掛け合った。


その思いが強い私には、新しい市の名称を「白神市」で、受け入れることはできなかった。

世界遺産になったからこそ、そのブランドに寄りかかるでは、受容れ難かった。


山本町、二ツ井町、八森町、峰浜村、八竜町、琴丘町。

そこに住む人たちから逆に質問された。

「なぜ、能代市ではいけないのか。」



時に、埼玉県川口市では、新市の名称をめぐり最終段階で合併が破談となっていた。


福井県鯖江市では合併が破断してリコールの住民投票が行われ市長が失職していた。



合併協議会に突きつける最後通牒


「新しい地域を創るという情熱が感じられない。あきれ返っている。」

新市の名称が「白神市」に決まったお祝いすべきの日である。

このころから市長は、声を荒げたり、不満を公にして発言するなど、

協議会で議長を務める豊沢市長に

「合併」に対する変化が見えはじめていた。


八森町のファガスで開催した第12回能代山本市町村合併協議会で、

議長を務める豊沢能代市長は、

「合併協議会」について調べてきた結果と前置きし、

地方自治法と合併特例法を用いて設置目的の言葉の説明をし始めたのである。


「合併しようとする市町村が合併することの是非を含め、

合併のための諸条件を協議するために設置する法律上の協議会である。

合併協議会を全うして最後まで行くと言うのは非常に難しいことだ。

最終的に合併に到達するように努力したい」と、

答弁に窮しては議事の進行に躊躇し約3時間30分にわたる長い会議を締めくくった。


いまさらこの会議で言葉の意味を教えてやろう、みたいな高飛車な態度に、

「ふざけるな」と立腹している傍聴者に同感したが、

私には、このままでは合併できないことを示唆した最後通牒に聞えた。



四面楚歌+八方塞


合併法定協議会は、その議長である市長とともに、

この膠着状態を抜け出すには、「冠」発言が大きな障害となっていることに自覚し、

再考すべきだった。


6町村の委員は、新市名称「白神市」の批判は、

すべて能代市の問題だとして、正面から向き合おうとはせず、

7首長の「冠を捨てる」合意事項と、

公募と、投票で選考したのが手順に間違いはなかったと言う理由で、

能代市にその対応を押し付けた。


しかし、20,118人の署名簿添えた白神市の撤回を求める会の嘆願書は、

能代山本合併法定協議会会長に出されたものだ。

これも、会長が能代市長だから、一人で、能代で背負えというのか。

これでも「冠を捨てる」が対等の証か!

 笑わせるな!である。



新市名称「白神市」の批判が四面楚歌となり、

1市議会対6町村議会の思われていた対立の関係は、

1市長対6町村長と議会の対立構造の状態が明らかになるにつれて八方塞であった。


結局、市長は解決の糸口得られず、

必要性を問われてあれほど拒否してきた「市民意向調査」に、

助けを求めた。


9月議会で、合併の是非も含まれる最終的な民意を把握するため、

市民の意向を調査する考えを示した。

「市民の意向は、説明会で十分確認してきている」

そう、言って要求にはこたえなかった。


最初の調査がないのに、

何が最終ですか。いまさらなぜ、住民意向調査なのですか。


事前の調査なく、事後調査となった

「市民意向調査」は、民主的手続きのように見えるが、

豊沢氏の腹中に誘導的だという欠陥もあると指摘があった。


調査の結果、実質対象者数46,458人の回収率67.8%の

内訳は、

合併するべきが45.5%、合併するべきでないが20.8%、

新市名称は、

「能代市」が59%、「白神市」は8.6%。


高校生の若い票を「白神市」に期待しただろうが、

年齢別にして20歳未満で4.1%だった。


そこに住む住民の自由意志を尊重しない

最初から「能代」という地名を排除した誤った決定方法を認めたことになった。



11月27日、テーブルの上に市長と懇談会の日程表が上がっていた。


能代市民が納得する合併を目指すために、

まず、市議会と一体となって同一の方向性を始めて模索するようになった。

29日、市長は懇談の席で、「白神市」再考をお願いするつもりとした上で、

12月6日に開催される正副会長会議には、

それに替わる案を持っていかなければならないと言った。


私は、まず、相手方が「白神市」再考に同意してもらってから、

次のステップに向かうべきだと主張した。


12月1日開催した12月議会の冒頭説明で、

市長は合併協議会に「白神市」再考を求める考えを明らかにした上、

7市町村の合併を成就させるためには

「能代市」を提案するのは困難であるとの見解も示したのである。



「住民主体」の視点欠ける市長


 能代市議会の市町村合併特別委員会(中田満委員長)は8日、

市長が提案した新市名称「白神市」の再考を求める代替案に、

市民意向調査で約6割を占めた

「能代市」を、可決した。

否決された場合の対応について、

市長は合併協議会にはとどまることはできないと離脱を表明した。


時間の許す限り各町村で開催される、任意、法定協議会を傍聴してきた私の胸中は、

離脱はやむを得ないのかなと思いつつ「再考されること」を願った。

議長、委員長に一任した。



いつもぶっきらぼうな市長にしては、ずいぶんと低姿勢な語り口だった。

「議会の皆様のご理解とご協力を心からお願い申し上げます」と言う内容だった。

合併協での新市の名称再考を発表した特別委員会で市長はそういって、涙して頭を下げた。

己の不甲斐なさに悔しくて涙して泣いていたら、

私の気持ちは少しは救われた気もしたが、

市長の言葉と表情から浮かび上がったのは、決断の苦しさとともに、自信のなさだった。



これによって、市民3,986人から出されていた住民投票条例制定はなくなった。


請求者の代表は、

意見陳述で「新市の名称に『白神市』を使わないという

不退転の意思で合併協議会に望み、貫徹できるのであれば、住民投票はせずにすむ」と、

合併協で白神市の再考を実現するよう強く要望していた。

市長が提案した条例は否決した。


市長は「住民主体」の視点に欠けていた。



言行不一致の極まりない責任逃れ



重大な問題を議論するには熟慮と細心さが必要だ。

まして一市の指導者には、その責任にふさわしい言葉が求められる。


合併をめぐる豊沢市長にはどちらも悲しいぐらいかけていた。

協議してきた1市6町村の住民に迷惑をかける。

言葉を発するときに、市長の胸にそのような人々のことがチラッと出もよぎっただろうか。


住民意向調査の結果に、まるでお墨付きをもらったように大手を振って歩き始めてしまう。


12月10日、否定されれば、合併協議会からの離脱覚悟で

市長は新市の名称「白神市」の見直しを町村側に求め、

代案に「能代市」提案した。

案の定、否決されて離脱した。


市長にとっては、冠を捨てることが合併の精神的支柱であったはずだ。


それが思うようにいかなくなって、

「能代市」提案して協議会を離脱するは、

市民の鼓動であり、議会の総意だと意向調査を恣意的に利用した。


言行不一致の極まりない責任逃れである。



市長のなんたる軽さ


市長は、協議会の離脱がイコール「能代」自立を、

示唆はしたが自らの判断で決定しなかった。

それは、新市の名称の再考を求めたのも市民や議会の意見を尊重したからだと言っている。

その結果、「能代市」を提案して協議会に残ることができなくなったのは、

拒否した協議会の責任にあると言っているようなものだ。


周辺町村があまりにも強行で、

能代を離脱に追い込んだと批判されている部分も否定しがたいが、

ここが豊沢市長のずるいところで

責任転嫁の骨頂である。


市長は、こうした方針を打ち出した第一義的な理由としては

「住民意識調査の尊重」を挙げる。

しかし、法定協議会が発足して合併特例法の期限まで(平成17年3月末)後まで

4ケ月というこの時期にあえて離脱を表明した背景には、

法定協議会の運営に対する反発や地域それぞれの思惑があった。


市長は「このままでは、3月議会で否決される」と、ようやく議会の議決の重みがわかったのだろう。



説明責任果たすべきだ


問われたのは能代の「統率力」だった。


合併への対応は最終的に、

議会の意見や民意を「後ろ盾」にした市長判断となるだろうが、

どのような市の将来像を描いた上で「能代市」を選択して合併協議会を離脱したのか

市民に説明することが不可欠だ。


7市町村の合併を成就させるためには

「能代市」を提案するのは困難であるとの見解も示した市長が、

合併するべき45.5%の対応はどうしたのかである。


合併実現を考慮した場合、

「秤にかけなければならないときがある」(16/1/20)と述べた市長は、

住民意向調査の結果、

「合併すべき」意向と、「名称」を秤にかけて名称を選んだ。

それが、なぜ、「能代市」だったのか。

判断にいたった根拠を説明すべきではないか。



離脱表明後になって、

合併しない場合を想定し、行財政全般の見直しを急ぐとは、何事か。

「冠」を捨てる覚悟で合併を推進する根幹をなすべきことでなかったのか。


電算システム統合事業に関わる「財産」の処分など、

離脱のつけが6町村から津波が起きるように押し寄せてきた。


地元紙によれば仕事納めで市長は、

「合併は生き残りに必要だ。

今、何をしなければならないか、どこへ向かうべきかと言う方向性を具体的に示し、

果敢に挑戦していかなければならない」と、

職員に積極的な提言、協力を求めたとある。


年が明けて市長は念頭の記者会見で

「合併したいけれども動くことができない。動けるような状況ができたときには動く」と発言している。

その真意は計り知れないが、

協議会を離脱表明しながら、翌日には前言を撤回しているようなものだ。



豊沢市長の政治力学はいったいどうなっているのだ。


市町村合併に対する対応や、

火力協力金の扱い、

サティ跡地の利活用の対応など

打ち上げっぱなしで、

発言のいい加減さは、長い間市政を批判しそれを担う戦いをしてきたものとは思えない

極めていい加減でお粗末なものだ。


市の針路にかかわることである。

この船に乗合わされた市民も職員も大変だ。


豊沢有兄市長こそ、能代をどこへ持っていこうとしているのか。

見当がつかないでいる。


政策的方針も目標もはっきりしない奇妙な内容だけでは将来が思いやられる。


決めて壊す。


そのものを根底から変えない限り、いつまでも同じことが繰り返されることだ。


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