大河兼任の乱

西暦 年号 事項
1189 文治五年 7 源頼朝、藤原泰衡追討。
9 泰衡、河田次郎に謀殺され、藤原四代亡ぶ。
橘公業、戦功により男鹿地方地頭職に。
12 大河兼任、蜂起す。兼任が嫡子鶴太郎、次男於畿内次郎ら七千余騎。
1190 文治六年 1 男鹿地方の地頭・橘公業(たちばな・きんなり)の拠点を襲撃。橘公業逃亡す。
由利の地頭・由利維平、小鹿島の大社山、毛之左田の戦いにて戦死。
大河兼任、北上し、津軽の地頭宇佐美実政と戦い実政、戦死。
大河兼任、平泉を占拠す。
2 大河兼任、一万騎を率い平泉進発。
鎌倉追討軍と栗原一迫の戦いで激突
。大河兼任、敗北す。
中旬、大河兼任、僅か五百騎で衣川付近で再戦するが敗れ、以後は隠匿。
下旬、外ケ浜と糠部の間に山城を築いて籠城戦を画策、鎌倉追討軍の進出に逃亡
3 僅か数十人の従者を従え、山北から栗駒山西麓を越え陸奥栗駒郡花山へ潜伏。
同10日、兼任、敗走中、花山の栗原寺で樵夫(きこり)の手にかかり殺害される。