安東氏・羽賀寺再建 10

安東盛季、康季の父子は南部氏との交戦中に若狭小浜(福井県小浜市)にある

羽賀寺(勅願寺)再建の勅命を受けている。

同寺は、応永5年(1398)に焼失し、後花園帝は京役の縁により

永亨8年(1436)、安東盛季、康季の父子に再建の勅命を下した。

「再建への綸旨」を拝受した時の安東盛季、康季の父子はじめ一族の感動はいかばかりであったろうか。

この勅命による再建は十一年の歳月をかけ、文安4年(1447)に落慶をみた。

その褒美として朝廷は安東氏に「日之本将軍(ひのもと)」の称号を授けた。

しかしこの落慶は、安東氏が松前に退去してからのことであり

しかも、盛季死去し康季は津軽の戦野にあったときである。


羽賀寺(勅願寺)縁起には、「莫大ナル貨銭ヲ捧加シ」「奥州十三湊日之本将軍安倍康季、伽藍ヲ再興ス・・・」と

康季の功を讃えている。

羽賀寺の山門と本堂


京役は、荘園の年貢を京都の摂政家ならびに関白家に運ぶ役。
津軽六
郡には摂関家の荘園と得宗領が混在し、安東氏は公領の管理を委任され
その年貢を領主に運送していた。