安東氏津軽撤退 11 |
鎌倉末期には安東氏は十三湊を拠点にして、北は津軽、下北から蝦夷島まで、南は男鹿半島から
秋田土崎まで勢力をのばしていた。
その津軽・秋田地方にたいして南北朝の頃から八戸を根拠地とした南部氏、ついで三戸の南部氏が
津軽東部を攻略、次々と安東氏の覇権を削り取り、その本拠地十三湊へ進撃した。
そこで嘉吉3年(1443)5月、安東盛季は後年の再起を誓い十三湊を放棄し、小泊の柴崎城に逃れ
更に、近くに設けてある隠れ港から次々と蝦夷島の茂別に渡った。
一部のものは南下して男鹿半島を回り、飽田湊(あきた)を目ざした。
後年秋田に本拠地を移し復活するのである。
安東氏家紋
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檜扇鷲羽紋 獅子に牡丹紋