馬上の連歌合戦 3 |
都の人々からは未開の陸奥の俘囚とやや軽蔑的に言われていた安倍一族であるが
安倍貞任の教養の深さはまさに驚嘆すべきものであった。
康平5年(1062)、衣川の柵で八幡太郎義家と安倍貞任が一騎討ちの勝負となった。
貞任が旗色が悪くなって逃げ出したので、八幡太郎義家はそれを追いかけて
正に追いつこうとした時、気持ちに余裕のある義家が、貞任の背後に連歌をもって呼びかけた。
その時義家はぬかりなく弓矢をつがえていた。
「衣のたてはほころびにけり」
八幡太郎義家
すると、驚くべきことに安倍貞任は馬の足を緩めて、振りかえり、やはり連歌をもって応答したという。
「年を経し糸の乱れの苦しさに」
阿倍貞任
![]() |
五五桐丸に安紋
阿倍貞任使用の旗紋(幕紋)「安家之紋」