奥州安倍氏と物部氏 2

奥州安倍氏と物部氏との関係はつぎのように密接である。


物部氏は奥州安倍氏の外戚であり、大彦命の母のウツシコメ命は物部氏の直系で、ニギハヤヒからかぞえて

5代の孫にあたる。

物部氏は先住民族である蝦夷と共存して河内の日下(くさか)にヒノモトと呼ばれる連合国家を形成していた。

東漸してきた邪馬台国との戦いに敗れ蝦夷と共に東国に逃れさらに東進して

みちのくの北上川の流域に根をおろした。

奥州安倍一族の貞任、宗任また前九年の役後北方に逃れ津軽の藤崎に城を築いた安東氏等がこれである。

奥州安倍氏は大彦命の末裔から安倍姓をたまわったという伝承をもち、両者の交流を強調しているのである。

『安倍伝記』によれば阿倍臣比羅夫の遠征の時安東という者があらわれたことになっている。

安日(あび)という者の末裔の安東というのは斉明帝紀にみえる恩荷(おが)と同じ人物であろうかと

吉田東伍は言っている。


『義経記』に金売吉次が陸奥出羽のことをたずねられて「むかし両国の大将軍おば(おかの太夫)とぞもうしける。

彼が嫡子厨川次郎貞任、二男鳥海三郎宗任、則任、重任とて・・・・・・」云々とある。

「おかの太夫」が厨川次郎貞任の父であるというのは

合点がいかないが
秋田、能代方面に恩荷(おが)の子孫と称するものがいたことは確かなようで

奥州安倍氏の先祖が出羽の蝦夷と密接な関係をもっていたこを暗示する。