万里の松原 作成開始 2006/4/24

  最終更新 2006/6/17

2006/4/19(水)〜20(木)

 山形市に行く機会があり、酒田市を通ることになった。そこで万里の松原を見て行こうと思い、ホームページで検索した。しかしGoogleで検索してもなかなかホームページが見つからない。酒田市ホームページの観光案内万里の松原ということばはなかった。

 能代を出発するのが夕方になったので酒田のホテルに宿泊したが、フロントで聞いてもよくわからない。フロントの女性はコピーしたA3用紙を探し出し、湯野浜温泉へ向かう国道112線の海岸を指さして、「この付近の松林だと思いますが、散策路があるかどうかはわかりません」と言う。もう一枚いただいた酒田市観光物産課が企画か監修したと思われる「酒田観光マップ」(酒田の観光サポート)を拡げても万里の松原の写真は載っていない。部屋に戻ってから読み直していると、1箇所、地図左上隅(光が丘付近)に「万里の松原(松陵地区)へ」という文字を見つけた。天気予報では雨なので「山形に行く前に松原を歩くのは無理だ」と思い、帰りも酒田回りにしようと思った。

 翌朝、曇っているが意外に暖かい。そこで朝の散歩で日和山公園に行ってみた。現地に行けば何かわかるだろうと思った。公園はさくら祭りの雰囲気で夜店の屋台が立ち並んでおり、さくらは場所によっては五分咲きから満開のところまであった。

 広場にある大きな観光案内図を見ても「万里の松原」ということばは見つからない。この案内図では左右の端に松林が描かれている。公園内に立っている別の案内図から本間光丘を祭った光丘神社があることがわかったので、そこに行ってみた。散策中の人に何人も出会った。途中、文学の散歩道もあり、ぐるっと回ると汗をかいてしまった。

 「松林銘」とは下の写真だが、上の解説板に書かれた文字は次のとおり。

松     林     銘

 宝暦8年(1758)、本間光丘が下の山王社境内を中心とし、南は最上川岸より北は高砂の境に至る地域に西浜砂防林の造成を自力を以って着手した。
 延長約一千間(約1.8キロ)東西約二百五十間(約450メートル)で、海岸に強いといわれる能登の黒松を取り寄せて植え付けた。
 ぐみの木、合歓の木の苗を植え、定着をまって黒松の苗を植え、枯れた木は直ちに補植するなど、艱難辛苦の苦労も遂に実り、ここに一大松林が形成され、住民の悲願であった風砂の害を漸く克服するに至った。
 光丘の没後、15年を経た文化13年(1816)、酒田町民の有志は光丘の偉業を巨石に刻み、その公益を永世に伝えんとした。
 撰文者の公厳は本間家の菩提寺の住職である。碑文は神戸で刻み、海路運ばれたものである。

 ほかに撮した写真を何枚か紹介しよう。

六角灯台 06/4/20 06:50撮影 方角石 06/4/20 
1794年の文献に書かれており日本最古のもの?
文学の散歩道
日和山公園内にはたくさんの文学碑が立っていた
古今集 詠み人知らずの碑
最上川が文学に現れた最初のものだという

 ホテルに戻って朝食後、今度は光が丘公園をめざして日和山公園の北側の松林に向かうが、天気予報が的中して雨が降り始め、地理不案内のため到着したのは酒田北港緑地展望台だった。入口まで行ったが開館は午前10時だったので駐車場に戻って20分ほど待った。車の中にいても朝より気温が下がっているのがわかる。

酒田北港緑地展望台 駐車場の看板にも万里の松原の表示なし
退屈なのでカーナビ画面を撮す 10時に入館するが、ここは港のPR館だった

 展示物の中に地形のパノラマ模型や写真があった。これを見ると、最初に本間光丘が日和山付近にクロマツを植林した場所は、ほとんど市街地となり、現在はこの展望台付近と、国道112号線沿いに残っていること。しかも海岸沿いと松林の間に住宅地が形成されていることがわかった。

 そので右側の写真を拡大してみよう。この写真の海に面した一番左が火力発電所。左から2つ目の緑地が展望台のある現在地だ。現在地のすぐ上に松林が少しあり、その上が住宅地、更にその上に競技場や野球場のような場所が見える。その近くに散策路があるのだろう。(といっても、このことは展望台でこの地図を見たときにわかったのではなく、このホームページを作りながらパソコンで写真を拡大して見ていて気付いたこと)。朝に散歩した日和山公園は海に面した3つ目の四角い緑地(河口近く)を少し上に上った場所だ。

 現在の万里の松原は主に最上川よりも右側なのだろう。こちらも海岸沿いの松林と高速道路側の森林との間に住宅地が広がっている。写真右端の川は赤川だ。昨年行った土門拳記念館の場所もわかった。この写真のようなものを「酒田市観光マップ」に載せておいてくれればわかりやすかったのに。

 このあと、国道112号線沿いに進み、庄内空港から高速に乗る予定で雨の中を進んだ。長い松林の中を通った。この道は今から20年以上も前に職場で何度か湯野浜温泉に行ったときに通ったことがあったことに気付いた。湯野浜温泉のすぐ近くまで続く松並木だ。途中で看板を見つけ、2枚目か3枚目のところで車を駐めた。近くに枯れたクロマツが目についたからだ。

112号線を往き来したので位置関係は不明だが、「万里の松原」とは書かれていなかった

庄内空港に入る道路で曲がるまでに数枚の看板 真ん中に樹冠が見える木が赤く枯れていた。
左の看板から100m空港寄り。

 この後は高速道路を山形に向かったが、気温が更に低下。月山道路では雪になった。ものぐさをしてまだスタッドレスタイヤのままだったことが幸いした。


2006/4/22(土)

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