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****** 和 解 ******

小さな浅内の抵抗は、行政を動かした!

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長く苦しい戦いであった。

からまった信頼の糸は簡単にほぐれない。やっと、県、市、住民が向き合った。

住民が一途に二十数年あまり苦労を背負ってきて、やっと、ここで知事に、市長に気持ちを伝えられた。

破産した能代産業廃棄物処理センター(能代市浅内)をめぐって、

汚染された土地の原状回復や、処分場の設置許可取り消しなどを求めて、

周辺住民が県知事と浅内財産区管理者の能代市長を相手取って起こした行政訴訟は、

2004年7月2日、長い話し合いの末に「和解」が成立した。

全国から持ち込まれた廃棄物による被害を受けている事実に対し、

行政が、住民の立場で向き合った結果である。

私たちの努力を受け止めてくれた裁判官に感謝申し上げたい。


県政記者クラブで記者会見に臨む原告団(04/7/2)


能代産廃訴訟、和解する


和解条項は、秋田県、能代市は能代産廃センターが処分場敷地や周辺の環境に重大な影響を与え、

周辺住民に悪臭などによる有形無形の被害を与えたことなどに対し、

住民に遺憾の意を表明するとともに、住民らが長年にわたり産廃問題の解明と環境対策に尽力したことを

高く評価すること、

「産廃問題」の解決のため、協定書を締結し、誠意を持って、協議することなどが盛り込まれている。


また、能代市に対しては能代産廃センター周辺の浅内財産区有地の管理について、

原告ら住民からの資料提供や指摘があったにもかかわらず、

それらを十分に検討しないまま対応するなどした結果、

住民の不信感を募らせたことについて陳謝し、今後の管理に十分留意するとの項目も設けられている。


能代産廃問題の和解の背景には、

浅内財産区管理者・能代市長が法廷では認めなかった

財産管理の落ち度を認めて住民に歩み寄りの姿勢を示したからだ。


秋田県知事が許可した廃棄物処分場設置許可は、平成16年7月2日付で取り消された。


能代産廃処理センターが、秋田地方裁判所から破産宣告を受けて6年が過ぎていた。


和解は、破産した処分場の管理、および環境対策として一つのモデルを示したものといえる。



住民側二団体は、それぞれの原告を代表して、長い戦いの過程をふりかえり、

発端から「和解」までの苦悩と、これからの期待を次のようにまとめて声明を出した。



声   明

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平成16年7月2日

浅 内 自 治 会

能代の産廃を考える会

私たちが二十数年前、浅内に産業廃棄物が持ち込まれていることを知って、

その後、長期にわたって投棄された大量の産業廃棄物から漏れ出した汚水が地下を潜り、

水や土に、植物に影響をもたらしました。

悪臭に悩まされつづけた住民も被害を受けてきました。


この深刻な事態を招いた能代産業廃棄物処理センターに、

その責任を認めさせ、先人から受け継いだ豊で美しいふるさと、

かけがえのない財産から「汚水漏れを止め、浅内を元の姿に」と、93年(平成5年)4月22日、

残された最後の手続きである住民訴訟を起こしたのも、まさにこの思いからでした。


それ以来今日までの道のりは、私たちに過酷な苦難と犠牲をしいるものでした。


この業者と、業者の監督権限をもつ行政というものは、

地縁血縁などのしがらみのある地域にとっては、巨大なもので、

喩えていうならライオンに向かう蟻のような辛い思いでした。


それに対抗して運動を続け、私たちが叫びつづけるその姿勢が、

皆様の支持の輪を次第に広げていきました。


去る6月1日、秋田地裁は、第  回  期日において、

県、市が住民に遺憾の意を示す一方、

取り残されたおよそ80万立方メートルに及ぶ廃棄物の維持管理に係る今後の環境対策について

協定書を締結すること、などが盛り込まれた和解案を提示しました。


その後、秋田県議会は6月23日に、能代市議会は6月24日この和解案を承認しました。


今、私たちもまたこれを受け入れることを決意し、

産廃センターが「業」の許可を県に申請してから23年ぶりに、

平成5年、7年の裁判から11年、9年ぶりに本日和解成立の運びとなりました。


裁判がこうも長くなるとはおもいもしませんでした。

住民への信頼をかいた対応が、いかに問題を長引かせたかを、

県は、市は改めて反省していただきたいとおもいます。


私たちが、繰り返し繰り返し叫びつづけてきたことが道理にかなった正しい要求であったことが認められ、

今後、県や市がこの訴訟によって、是正すべきことを考慮すると、

提訴は意義があったと評価しております。


和解は成立しましたが、これで住民の不安が消えたわけではありません。

維持管理等環境対策にはかなりの期間と巨額の税金がつぎ込まれる一方で、

住民が「解決」に望む産廃を完全に撤去する約束ができず、

「負の遺産」を清算するルールが見えたわけでもなく、

抜本的対策はこれからであります。


「浅内の回復」への道は重い課題を背負ったと、

行政が気を引き締めて真剣に且つ誠実に取り組み、

原状回復を実現することを望んでやみません。


また、私たち住民は、これからはここに至るまでの苦しい道のりは、

貴重な教訓と深く心に刻み、県、市と新しい関係を築きながら、

協力して浅内を元に戻すために行動する決意をしました。


子供や孫に自信とプライドを持って伝えられる

新たな取り組みのスタート台に立っています。

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私の運動の中で成し遂げてきた成果と今日までの到達の順序は、

破産した能代産業廃棄物処理センターにかかわる

人的系列の正体暴露から始まりました。


ひき続き、全体像を明らかにするために能代産廃問題の事件の経過を

時系列に整理して真実をお伝えします。



能代産廃問題をめぐる経緯


1 浅内財産区有地「蒲の沢」問題をめぐる

発端から「和解」まで

立ち木無断伐採




<81年・昭和55年>〜<84年・昭和58年>

2 操業開始から能代警察署による摘発まで

3 摘発から明らかになった事実

能代市一般廃棄物処理業の許可




<85年・昭和60年>

4 埋め立て終了後に届出した最終処分場

個人業から法人化へ




<86年・昭和61年>

5 赤水の分析と対策



<87年・昭和62年>

遮水シートが捲れ、暗渠がない処分場の実態

浅内財産区有地「蒲の沢」問題の始まり



<88年・昭和63年>

処分場の将来計画図の提出指導



<平成元年〜平成10年破産まで>




<破産から>

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