ベトナムの旅 2 続き

ホイアン観光  1593年(秀吉の時代)に日本人が建造した来遠橋(らいおんばし)は屋根付きの橋で、当時は
         日本人街と中国人街を結んだという。ベトナムの紙幣 新2万ドン札に印刷されている。
        当日は 旧正月の名残で、夕方は街中、ランタン(提灯)で飾られていて、綺麗で、幻想的だった。
        ホイアンの街はランタンで有名という。夕食は カルゴという店で、白身の魚を油で揚げたのが
        メーンだった。日本人の口に合うものだった。
ダナン市内見学(五行山、チャム彫刻博物館)
        五行山(マーブル・マウンテンとも言う) 儒教の五行思想(火、水、木、金、土)に基づき、五山に
        名づけている。その中で一番高い山が修行、観光の中心で、現在はその中間の高さまで、エレベ        ーターで登り、釈迦の大仏や壁画が多く、儒教の神は少なかった。修行者が寝泊りする洞窟が
        多くある。当日は曇りだったが洞窟の通路は暗く、足場が悪く、懐中電灯が必要だ。この山の
        管理は仏教の僧侶が行っている。
チャム彫刻博物館  ヒンドゥー教の彫刻、遺物が保護、展示している。ミーソン遺跡もチャンバ王国の遺跡だ。
        これらの遺物はフランスの学術調査隊により、発掘されたものが多い。ヒンドゥー教の遺物として         は世界で最高級のものが多い。
ハン市場  ダナン市では一番大きい市場で、二階建て、一階は食料品、二階は衣料、その他だ。
       ダナン市は現在、ホーチミン市、ハノイ市に次ぐ第三の都市になったが(2002年は第6位だった。)
       これから第二位なると推定する。活気がある。大観覧車があり、次回は乗ってみたい。
ホーチミンタンソンニャット国際空港 チェックインした後、時間があったので両替屋を探したが、夜11時だった         ので、閉鎖していた。出国審査のとき、出入国カードが無くなったので、搭乗券とパスポートで、
        行った。帰りの偏西風や時差で成田まで、4時間30分,速い。行きは6時間位かかった。
ベトナム旅行で 最も強く感じたことは では ベトナム語以外は通用しないことだ。ホテルのフロントで             も英語が通用しない。驚いた。ベトナム人は多民族で構成されていて、多いのはキン(京)族が
        90%で、他は山岳地帯に住む少数民族で、漢字を使用し、中国語を話す民族もあると言う。
        ベトナムは昔、漢字を使用し、中国語を話していた。2002年のハノイの地図には漢字とベトナム文        字が併記されていた。Ha Noi は 河内 と表記している。Sai Gon 西貢 はこの旅行で、ハノイ         の街の看板で見かけた。日本大使館の通りは 金馬(Kim Ma)街だ。巴亭(Ba Dinh Quan)郡 、         青春(Thanh  Xuan Quan )郡 、西湖(Tay Ho Quan)郡、梅役(Mai Dich) 官華(Quan Hoa)など、         中国語や広東語から推定される表記や発音が多い。現在は中国の南シナ海の横暴で、ベトナム        は親日感情が最もよいという。帰ってきてから新聞に「ハノイの一部の小学校で日本語を教える」        という記事を見た。小学校で日本語を教えるのは 世界で初めてと言う。

          
   玉山祠 昔漢字国を示している     ハノイ駅 中心にあり、立派だが

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