「漢字の故郷」を訪ねて(5)

 5.桂林、広州の旅  
    天下の絶景、山水画の世界の桂林を一度見たい、また広東語の広州は北京語は通ずるであろうか。
    そんな思いから、タビックスのツアーに参加した。秋田県からは2組だけでしたが 成田からは
    山梨や茨城などの人々が加わり、一行は38名である。唯、これまでの中国旅行と違い、成田空港
    からの出発のため、秋田空港から羽田、そしてリムジンで成田ということで、時間と経費のロスが
    往復ですから1日は無駄になった。

     2002.10.19(土)、秋田空港発 7時50分でしたので、能代からは朝早いので、秋田市に前泊
     した。羽田着8時55分そしてリムジンに75分乗車して成田空港へ。14時10分発の中国南方航空機
     で離陸した。広州白雲空港には 17時20分(中国時間)に到着し、乗り換えして、19時00分離陸、
     19時55分、桂林両江空港に到着した。空港を出たら、夕闇であったが 椰子の木や花火の
     美しいネオンサインが出迎えてくれた。流石中国第二の観光都市と感じた。宿泊は 桂林大酒店。
     ホテルの前には 大きな噴水があり、ライトアップされていた。

     10.20(日)、象鼻山を見学してから、竹江より陽朔まで4時間の漓江船下りをした。漓江の両岸
    には 山水画に出てくる山々が並んでいる。特に楊堤から陽朔の間の山々は素晴らしい。この時は
    雨に煙る漓江でしたので、山の陰影が何とも言えなかった。船は二階建てで、定員が100名位で、
    二階の前方は特等席になっていた。後方は展望台となっていた。船中では 昼食として 点心が
    出された。桂林の食事はすべて薄味である。
    陽朔に着いてからバスまでの間、10人ずつ、三輪車のカートに乗った。バスで桂林市内に帰り、
    芦笛岩鍾乳洞を見学した。日本の秋芳洞より大きく、広場は十倍もあった。その後、桂林博物館を
    見学。少数民族保護のため、少数民族が製作した高価な装飾品の販売もしていた。宝石を散りば
    めた屏風が60万円という。同行のギャラリーを開いている年輩の方が20万円で買った。夕食は
    西苑叙福楼で、ビーフンなどの料理を食べ、漓江劇院で少数民族の踊りや曲芸を鑑賞した。
     
     「漓江船下り」の風景                       五層の鎮海楼

    10.21(月)、朝 6時35分、ホテルを出発。7時55分発の中国南方航空機で桂林両江空港を離陸。
    8時45分、広州白雲空港に到着。すぐ中山記念堂を見学。ここが広州市の重要な会議や音楽会
    などに利用されているとのことである。次に屋根瓦にいろいろの彫刻のある「陳氏書院」を見学。
    72人の陳氏が子弟教育のため建てたという。昼食は 湖に浮かぶ「ばん渓酒家」で 飲茶を頂いた。
    この旅行で一番口に合った食事で、日本の味に近いものだ。ばん渓のばんという字は三水に半を
    書いた字ですが このワープロに入っていない。午後は 鎮海楼を見学。五層の鎮海楼は 1380年
    広州城として建設されたとのこと。市街地が一望できる。15時頃、今晩の宿、華厦大酒店に到着。
    夕食まで時間があったので、小雨の中、ホテルのまわりを散策した。横断歩道が少ないので、車道
    の横断は中国人の後について歩いた。市内は高層のビルが並び、上海のような活気に満ちている。
    広州市は人口一千万を超え、重慶、上海、北京に次ぎ、中国第4の都市という。
    夕食は 北園酒家で、広東料理を賞味。宮廷料理と同じく、
    小姐が付いていて、一人一人の皿に取ってくれた。期待したほどの料理でなかった。
    今回は 広東省の近くでしたので、広東語がどのように使用されているだろうかと考え、道路標識
    や看板を注視したが 殆どが簡体字であった。広州の通訳に聞いてみたが若い人々は すべて
    北京語で教育されているとのことだった。テレビや新聞も簡体字と北京語である。広東語は将来
    無くなっていくように感じた。陽朔の看板で 「館、陽、銀」などの繁体字を見つけて、広東語の
    訛りを嗅いだ。
    10.22(火)、朝 6時35分、ホテルを出発。8時10分発の中国南方航空機で広州白雲空港を離陸。
    新東京国際空港成田には 12時50分(日本時間)到着。その後リムジンで羽田へ、そして秋田空港
    には 19時50分到着。秋田から一緒だった小松田夫妻と別れた。

             
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