「漢字の故郷」を訪ねて(1)


 1.ハルビン、長春、北京の旅

   平成11年5月28日から6月2日まで、地元の旅行社「世界トラベル」の紹介で、
  中国への旅に出発した。能代からジャンボタクシーで、青森空港へ、そこから、チャ
  ーター便で一路、ハルビンに向かった。約2時間で到着。時差は1時間だから、1時
  間しかかからないことになる。
   翌日、市内見学箇所は 東北林園(シベリア虎を20匹位飼育している )、スターリ
  ン公園、ギリシャ正教の建物、旧関東軍司令部跡(現在は高校となっている。) 孔子
  廟、極楽寺などで午後の2時半、ハルビン駅より、長春へ向かう。鉄道は広軌道で、
  日本の新幹線のレール幅だから、揺れも音も少ない。快適である。汽車から見える
  景色は 山のない平地が地平線まで続いている。かっての満蒙開拓団の人々は 
  この地平線に沈む赤い太陽を見て、故国の日本を思ったのであろうか。
   このあたりから、少し、おかしいと感じてきた。ハルビン駅の「駅」でなく、「站」とな
  っている。長春駅の表示も 「長春站」となっている。同じ漢字国でも違う漢字を用い
  ることを知った。ハルビン駅より、長春駅までは約3時間半であった。
   翌日、長春では 早朝七時、ホテルの近くの東北師範大学を見学した。案内はこの
  大学院生の通訳である。この日は日曜日でしたが 多数の学生が登校していた。通訳
  の話によると、図書館は 5時から開き、教科書をもってきて、勉強する習慣た゛そうで、
  平日はもう着席する座席がないそうであるが、日曜日でしたので、3つの部屋は
  7割から8割の学生がいて、驚いた。
   このように、多数の学生が朝早くから勉強したら、近い将来、中国は大国になるだろう
  と感じた。朝食を済ませてから、自動車工場、映画村、デパート、偽皇宮、長春科学技
  術大学など、見学した。自動車工場は 日曜でしたので、操業しておらず、建物の
  外側だけ、見学した。日本より、2,30年遅れている感じはした。この自動車工場にゆく
  途中や到着してからも、デコレーションした乗用車と会った。通訳の説明によると、
  結婚披露だそうである。結婚する新郎、新婦がデコレーションした車に乗り、その後ろ
  の車に親戚、縁者を乗せ、パレードしながら、職場を回り、結婚式場にゆくそうである。
  風習は違うものだと感じた。映画村は京都太秦の映画村と比較すると、規模も
  小さく、日本では30年以上前のものと感じた。デパート百貨大楼は こちらで通訳に
  特別頼んで、見学した。デパートは売り子より直接、商品を買うことはできない。買い
  たい商品札をもって、会計にゆき、精算書を作ってもらい、お金を支払い、その精算書
  を売り子に見せて、買う商品をいただく、というまわりくどいものです。これを体験した
  かったのです。
   偽皇宮は かって、満州国皇帝溥儀が執務し、居住した場所です。今は博物館に
  なっており、彼の歴史が展示されていた。傀儡政権である証拠写真が展示されていた。
  長春科学技術大学は ここに溥儀が新皇宮を建設する予定で、大きな広場が作られて
  いた。長春は満州国の首都として昔、「新京」と呼ばれていた。建物も、町並みも昔の
  ままで、官庁や学校などに転用されていると通訳の説明があった。今は日本人に
  とって「つわものどもが夢の跡」である。
   私たちは午後九時20分発の北京行きに乗った。発車予定時刻9分前で発車した。
  駅員や車掌は女性が多かった。私たちの予約していた個室寝台は上級役人に占拠さ
  れ、三段式寝台に入った汽車は広軌道だから、揺れも音も少ない。汽車のゴミ箱には 
  Aと記載されていた。簡体字なので、「潔」は「さんずいに吉」を書いた字で、「箱」は
  「きへんに巨」を書いた櫃という字の簡体字である。
   約11時間位で、予定どうり、北京站に着いた。駅のホームを大型の外車が徐行
  している。これが上級役人だと感じた。やはり社会主義の国だ、日本では
  考えられない光景だ。
   北京では 天安門、天壇公園、明の十三陵、万里の長城(八達嶺 )、北京動物園
  などを見学した。北海公園の彷膳飯荘で、宮廷料理をいただいた。 
   街をマイクロバスで歩いて、気になったのは沢山の看板である。簡体字のため、なか
  なか読めなかった。日本の「豊田自動車」が沢山あった。「豊」の字は 簡体字は「横棒
  三本に、真ん中から、縦棒が貫いている。「」、田は日本と同じで、自動車は汽車と記載
  されている。旅行案内書で、簡体字を調べて、トヨタ自動車と納得した。
   簡体字は Internet Explorer の画面の「表示」を クリックし、メニューの「エンコード」を
  クリックし、「簡体字中国語」(GB2312 )をクリックしておくと、簡体字が読める。勿論中国語の
  ホームページも読める。

   そんなことがあり、帰国してから、NHKの教育テレビ講座「中国語会話」をビデオを
  録りながら、視聴していたが、現在はラジオ講座を聞いている。

  簡体字は 1964年(昭和39年 )、中国で 2238字制定された。
   多用している、画数の多い漢字はコミニュケーションの障害になり、
  教育、科学、文化の発展や政治の徹底の妨げになるとの観点から、
  日常多用している漢字2238字を簡略化した(画数を少なくした )
  ものであろう。まだ、36年の歴史しかない。
   台湾は 中共に追われた国民党の蒋介石が1949年にやってきて
  国造りをした。いまでも旧式の漢字を使用している。これを簡体字に
  対して、「繁体字」と呼んでいる。 
     
         

      万里の長城(八達嶺 )にて、1999.6.1.

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