○概要

 寛政5年(1793年)、藩内の7カ所に明徳館の支校が創立され、檜山には崇徳館が設けられた。
 寛政7年(1795)、館名を廃し、書院となる。
 それから後は崇徳書院と称され明治5年(1872)に廃止になるまで檜山における教育の殿堂として栄えた。
 校章について
1.外郭の梅の花は霧山天神にちなむ平和の花、学問の神とあがめられる菅原道真公の「和魂漢才」の精神を象徴している。
2.中郭は能代市の市章。
3.中央は崇徳書院の命名者佐竹義和公の字体をそのまま図案化し、言行一致し中正不偏な人格を培うことを意味する。

○本校の現況

(1)学校のある檜山地区は、能代市の南東部に位置し、15世紀末に戦国大名である檜山安東氏が檜山城を築き、17〜19世紀には秋田藩主佐竹氏と関係の深い多賀谷氏が城代として居住したところである。さらに、この地域は羽州街道沿いにあるため、各地から人物・文化が搬出されたところでもある。そのため、学校の周辺は国・県・市指定の文化財に恵まれ、歴史、静けさ、落ち着きを感じる環境になっている。

(2)学校名の「崇徳」は、「崇徳館」に由来している。この言葉の出典は、『論語』と考えられ、漢和辞典によると「自分の徳をみがいて充実させる」とある。「崇徳」は、伝統的に、本校の学校経営の基盤となっている。

(3)平成7年3月24日、檜山の歴史と文化をデザインした木造の新校舎が、平成8年2月29日には大断面集成材の梁を特色とする体育館が、平成9年3月25日にはプールが、平成10年9月30日には校門が完成した。 



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