人が黙せば神が語る



私達が話す言葉は、何かに対する言い訳だったり、理由付けだったりする事
が多いように思うのです。例えば私が誰かに注意されたとする。
一番先に言い
たい事は「そうじゃないのよ」という弁解だったり、出来なかった理由を述べ
たいと思う。
そこをぐっと我慢して黙した場合、自分の中の反省が出てくるは
ず。
本当に自分の中のマイナスを改善するという時は、自分がそのマイナスに
気付き、気付いたマイナスを飲み込まない限り直らない。どんなに人に注意さ
れてもそれに自分が気付いて飲み込まない限り改善は難しいから。
沈黙の中で
自問自答し、自問自答に対して出る結論、
それがいわゆる神の囁きだと思う。
そうじゃないと何も状況は、変わらない。
自分を省みて黙する事は自分の為に
とても重要な事。例えば自分が時間に遅れたとする。
その遅れた事を誰かに指
摘されたとする、それに対する言い訳をしたい自分がいる。
でもぐっと我慢し
て黙した場合
「どんな理由であれ遅れた事には変わりない事。だからやっぱり
私が悪いんだよね。」と神が囁く。
そうやって自分の為の人格形成をして生き
たいものですね