松くい虫被害地を行く 秋田市 作成開始04/11/24 

 最終更新04/11/26

 11月24日(水)、アトリエももさだに「平成版まんが三十六歌仙」の色紙を見に行った。アトリエももさだ(旧国立新屋倉庫)の敷地の周りは大きな松の林に囲まれていたが、その中に赤くなった松が3本あった。写真の松もその中の1本。幹には虫が出てきたような跡は見えないのだが、これもマツノザイセンチュウの仕業か。そこで松くい虫の被害を見ようと国道7号線へ。

 アトリエももさだから動物園の脇を通って海側に出ると、そこは国道7号線。下の写真1の跨道橋(この写真は逆方向から撮した)を抜けるとすぐに「はまなす広場」というパーキングエリアがある(ただしトイレはない)。そこから動物園側を見上げると、写真2のように松がみな枯れている。幹の白く見える部分は皮がはげ落ちたためだ。

写真1 写真2

 跨道橋を上って動物園側に進むと、写真3や4のように松の木に葉はない。幹がはげ、途中で折れたものもある。高台から国道を見下ろすと、樹冠部分が赤くなっている松が目立つ(写真)。

写真3 写真4 写真5

 さらに本荘方向に進み、秋田市下浜長浜のもしもしピットに駐車(写真6)。すぐうしろを羽越本線が走っている。線路沿いの松並木(防風林か防雪林?)は軒並み松枯れ状態(写真7)。下浜駅でも同様だった(写真8)。

写真6 写真7 写真8

 海側の様子を見ようと、今度は岩城町勝手字家の上のもしもしピットに駐車(写真9)。 ここは松の死骸?ばかり(写真10)。

写真9 写真10

 こんな状態ではこのまま本荘方面に向かってもどこでも松くい虫被害を見るだけかと思ったが、前に来たことのある道川海岸のロケット実験場を見てみたいと、更にクルマを進めた。勝手橋を渡ったところで海岸へ下りる。
 昭和30年8月6日に日本で初めてのロケット実験に成功(ペンシルロケット)し、昭和37年5月まで実験を続け、昭和36年には三段式ロケット(カッパ9L型)を成功させた道川海岸。小学生だった私でも糸川英夫教授や東京大学生産技術研究所(当時)の名前は良く覚えている。
 ここの松は風の松原と同じ輝きだ。海岸際の小松の枝には枯れているところもあったがこれは松くい虫のせいではない(写真13)。そこでこの松林がどこまで続いているのかたしかめようとしたが、海岸線は浸食が激しく、砂が崩れている。クルマの轍もない(写真14)。そこでクルマで次へ向かおうとしたが、勝手川沿いの対岸に見える松はみな枯れていた。

写真11 写真12
写真13 写真14

 道川海岸と勝手川をはさんだ反対側(秋田市寄り)は全く別な風景だった(写真15・16)。勝手川よりも秋田に近い方の松は松枯れ状態。勝手川から本荘寄りは松がしっかりしている。松くい虫は本荘から秋田へ移動してきたハズなのに、これはどういうことだ?。

写真15 写真16

 という疑問から、更に本荘寄りの「道の駅岩城」まで行くことにした。

 道の駅岩城の本荘側にも健全な松林が広がっていた。この松林はどこまで続いているのかわからないが、海岸はやはり道路工事中で進めなかった。今日の調査はここまで。

写真17 道の駅岩城の南側にあるモニュメント 写真18 モニュメント後の松林