航空写真のページはこちら 最終更新 2007/1/7

風 の 松 原 (中心部) 案 内 図 案内図のpdf版はこちら
風の松原 概念図
風の松原中心部の道路地図 (2005版) 道路地図のPDFファイルはこちら

2006/2/5(日)

 「風の松原に守られる人々の会」が平成15年7月12日に実施した「古きを訪ねて」という行事の要項を見る機会がありました。その資料には貴重な地図が含まれておりましたので紹介します。写真の出典等は今のところ不明です。後日確かめてみます。

これが資料に含まれていた地図です 主要な道路に色をつけ、現在の大きな建物の表示をしました
 

 この写真撮影は「昭和30年前後」と書いていますが、昭和32年から33年ごろではないかと思います。その理由は住吉町に市営アパートと県営アパートが出来ていることです。この住宅は昭和31年3月20日に発生した第二次大火の後に建てられたものです。同時にキリンガ原や大正町の応急住宅も完成しています。応急住宅は31年夏までには完成したと思いますが、アパートが出来たのは32年になってからだと思います。

 きっとこの地図は、能代北高や渟城第三小学校、能代市文化会館にも風の松原と同じような古い松林(?)があったことを説明しようとしたものかもしれません。地図で「旧北高」とか「旧渟三小」と書いているのは、どちらもこの地図が出来た後に校舎が改築され、校舎の位置とグラウンドの位置が逆になっているためだと思います。

 坊主山と出戸沼が表示されています。先日ある新年会で、「坊主山」はどこにあったか?とか、「出戸沼」はどの範囲かと話題になりました。
「坊主山」はその名の通り砂山でした。能代高校のグランドを土手沿いに下りて行くとすぐに坊主山があったと思います。小学校1年の時の最初の遠足先が坊主山ではなかったかと思います。ここまで能代砂丘が広がっていたのかもしれません。

 「出戸沼」はその後埋め立てられ宅地になりました。昭和58年の日本海中部地震では大きな被害を受けた家もありました。キリンガ原に応急住宅が出来た頃は、住宅のすぐ後ろの方に家畜市場があったのを覚えています。ここで馬力大会が行われたこともあったと思います。家畜市場はその後向能代に移転しました。きっと現在の「まつばら保育園」付近は畑ではなかったかと思います。

平成15年3月 あきた21総合計画パンフレット掲載写真 H15.5.31松くい虫対策シンポジウムの表紙写真
 

上の2枚の写真はどちらも空中写真。両方とも山本地域振興局作成のものです。
左の写真では商業卸センター付近の木の色が違います。この付近は松原ではありません。ニセアカシアの葉の色だと思います。
右の写真では火力発電所からロケットセンターの間に砂浜が残っています。ロケットセンターよりも手前側は波打ち際の工事の様子が見えますが、現在では岸壁(防波堤?)が完成しています。このように砂浜が無くなってしまうこともクロマツの生育には悪影響があるのかもしれません。

古い砂丘と湿地帯・松原の広がり 古い砂丘と湿地帯・松原の広がり
 

上の2枚には同じタイトルがついていましたが、地図の年代が違います。左側の地図には「大正元年測量・昭和38年修正・昭和44年資料修正」の文字が入っています。右の地図には木材工業団地や「東北自然歩道」の文字、「木材高度加工研究所」の建物も見えますから現在の地図に加筆したものです。緑色でなぞった付近は、能代工業高校の第二グラウンド付近だと思います。この部分も松林や沼があったのでしょう。