旧版の
「文学に表現された風の松原」
こちら
第2版制作開始 2006/5/20
最終更新 2006/7/2
詩集    風 の 松 原
著者 伊 勢 輝 恵

発行 1993年12月10日

発行所 秋田文化出版

秋田現代詩文庫<2>

この詩集には「風の松原」
のほか22編の詩が収めら
れております。

 「風の松原」の初出は、
近文詩集(1989.6発行)です。
著者の伊勢さんからホームペ
ージへの掲載許可をいただき
ましたのでご紹介いたします。
  風の松原

時雨の合い間の午後は
梢をやさしくなびかせる
優美な松の精霊と
透き通った風との対話を楽しむ時間

人間が自然破壊を繰り返している現在でも
松はたくましく生きている
激しい雨や風にも
津波の高潮にも耐え

砂塵から
人間の生活を守り続けてきた
苗を植え育てた先人の遠い時代を超えた
感動が生きている

黒松の小径を行けば
浜梨・浜グミが松と一緒に共存し
季節の変化にすばやく対応して
色あざやかな緑や真紅の花々が競い咲く

排気ガスの汚染から守るため
車の進入も許されない
松原の小径を行けば
潮騒の香りが漂ってくる

人間の生命よりも強靱に
生き続ける松原よ

自然の美しさが
そのまま心の中で
淡い虹を描いてくれる
                 −秋田・能代市

緑 の 衝 立

 「第8章 草鞋」 を紹介します。
 (大内田村は現在の能代市大内田、浜田村は現在の八峰町、旧八竜町の浜田である)

 北方はるか、津軽藩との境をなす三千丈(千メートル)余りの嶺々はまだ銀色に輝いている。
 一年を通じて潮の満ち干の少ない海上もどこか白々しく、春の気配には今しばらく間がありそうだ。
 しかし、春の到来を待ち切れない定之丞は、二月に入ってからはほとんど毎日のように大内田村や浜田村など、昨年植樹した砂留め工事の現場に足を運んでいる。一刻も早く根つきの状態を自分自身の眼で確かめたいのである。
 今日こそは確認できるだろう。
 地面に突き刺した長さ五尺(1.5メートル)ほどの竹棒の先にほとんど雪が付着していないのを視認しながら定之丞はひとりごちた。
 先端に矢尻に似せた小さな金具を着けたこの棒は、もともと砂の深さを測るために用い始めたものである。
 かつては水田であったところが時には竹竿の半分以上も砂の堆積にのめり込んで定之丞を驚かせまた憂鬱にさせたものである。
 この冬のあいだ中、定之丞はその棒を積雪の深さを知るために転用していた。
 一時期は竹竿のすべてが隠れるくらい積もっていた豪雪も、今は先端部がわずかに見えなくなる程度にまで減じ、渚に近い辺りは完全に雪が消えて黒い砂地が広範囲に露出していた。
 大内田村の海岸を訪れた定之丞は、小腰をかがめて稚苗、幼木の根つき具合を一本一本丁寧に調べていく。
 まだ雪をかぶっているものもあるので、それらはまず指先でそっと触れ雪を払い落とした。
 予想していたように、茱萸(グミ)の根つきは大変よい。柳もまあまあだし、合歓(ネム)や皀莢(サイカチ)も悪くはない。
 しかし、一番期待していた黒松は壊滅状態であった。幼木のどれもが真っ赤に立ち枯れ、せっかく根づいたと思われる幾本かも雪の重みでぽっきり折れたり、真ん中で垂直に裂けたりしていた。
 根づいてくれることは有り難いが、茱萸は成長しても三尺程度だから飛砂を留める効果は低い。柳は背は高くなるが、「柳に風折れなし」と言われるくらいでいかにも風通しのよい木だから、これまた砂留めの効率はよいとは言えない。合歓は枝が上部にかたより過ぎている。
 樹高、枝振り、根の張り具合などから言って黒松が最高なのだが、それが壊滅状態なので、定之丞の心中には今ひとつ喜びの気持ちが湧いてこなかった。
「栗田様、どうやら勝負は手前の勝ちでございますな」
 いつの間にやって来たのか、長百姓の惣五郎が、体格のよい若者二人を従えて定之丞の背後から声をかけた。
 三人とも、それ見たことかという憫笑を隠そうとはしていない。
 若い二人は見慣れない顔だから、普請にはあまり協力的でなかったのであろう。
 つかの間、定之丞は強い視線を用心棒もどきの二人に当て、それぞれの顔貌をみずからの記憶の襞に刻み込んだ。
「黒松は期待はずれだったが、他は活着しておる。今回は引き分けじゃ」
 定之丞は、改めて正面の惣五郎を見据え、断定的に反駁した。
 自分の使命は立派な黒松の林を造成することであり、その前に腹を切ることなど到底考えられないというのが定之丞の率直な気持ちである。もし、惣五郎がそれに異議を唱えるならこの場で手打ちにしても構わないと即座に覚悟を決めた。刃向かうなら、他の二人も一緒に成敗したいくらいの心持ちであった。
 「茱萸や柳などは前々から成功しておるもので、今回の賭の対象にはなっていないと手前は判断しておりましたが、栗田様がそのように主張なさるのであれば、今年は手前が下がりましょう。でも、来年は絶対に約束を守ってもらいますからね」
 黄色い歯並びを見せてにやにや定之丞にからむ惣五郎を支えるように、狼藉の気配を漂わせる二人の百姓が左右に立ちはだかっている。
 定之丞は強い憤りを感じたが、こんな連中と

 ( 中略 )

 事情はどうあれ、山本郡内の飛砂を少しでも阻止し、そのためにできることは何でもやらねばならない。何もしなければ、確実に家屋や耕地が失われ、村々が消滅を余儀なくされていくだけであった。

 (翌年も同じ状態が続き、落胆しながら砂浜を見回っていた定之丞だが)

 左手すぐのところから霧状に放散した波しぶきを感じながら浜田村の砂地を前屈みになってぼんやり歩を進めていた定之丞の眼に、小さな緑色の点が映った。
 定之丞はなんとなく足を止め、何気なくその場にしゃがんでいた。
 風雨にさらされて形の崩れた古草鞋(わらじ)の片方が無造作にころがっており、腐食が進行して黒褐色に変色したその草履の裏側からわずかに緑がのぞいている。
 一面黄土色のなかのあざやかな緑の一点。
 定之丞はその場にしゃがみ込み、顔を地面に着けるようにして下から覗き上げた。
 松だ! 松。
 定之丞はうめき声を吐き出すと同時に、思わず辺りを見回していた。
 自分ひとりだけの絶対の秘密を誰にも覗き見られたくないという心理がはたらいた結果であった。
 つぎに定之丞を襲ったのは、相手は誰でもよいからこの小松をすぐに見せてやりたいという欲求であった。
 惣五郎を含め、肝煎以下のすべての人間が、松は無理だ無理だと言い張るが、立派に冬を越した一本の松が確かにここに存在するのである。誰が何と言おうと、松を根づかせることは可能なのだ。その事実が今自分の手によって証明されたのだ。
著者 柴 山 芳 隆
発行 2004年05月25日
発行所 文 藝 書 房

この本の帯封は

「日本海沿岸に長大な砂防林を造成して国土と住民を守った男の苦闘を描く長編小説


章立ては

第1章 北前船
第2章 新屋村
第3章 林取立役
第4章 巡視
第5章 一人片付
第6章 古老
第7章 百姓たち
第8章 草鞋
第9章 妻
第10章 目通り
第11章 グリーンフラッシュ
第12章 砂嵐
第13章 新屋村ふたたび
第14章 勝平山

柴山芳隆氏に手紙でこのページへの掲載を依頼したところ、快く承諾してくださっただけでなく、最新刊の2冊も送っていただきました。

2006/4/25刊 文藝書房

2006/4/25刊 文藝書房
 

動 く 砂 山 能代の砂防林物語
(この物語の「はじめに」の一部分と「あとがき」を紹介します。この本を読むための参考にしてください。)

   はじめに

 この写真は、秋田県の能代市を空からうつしたものです。
 人口約六万人の能代市は、秋田市、大館市についで、秋田県で三番目に大きな都市です。
 街の東がわで、大きく北へ曲がり、すぐに西へ曲がって日本海へ流れ込んでいる川は、米代川といいます。
 能代市は、その米代川の川ぐちの南北両岸に広がり、大ぜいの人たちが、ここに住んでいます。商店や工場や、いろいろな役所も、ここにあつまっています。
  (中略)
真っ直ぐで長い、日本海の海岸線にそって、こい緑色の帯が、どこまでも続いています。これは松林です。
 松林は、能代市の市街地の西がわで、とくにはば広くなって、海と市街とを、くぎっています。この松林は、砂の害から生活を守るために、むかしから、能代の人たちが苦労に苦労をかさねて、けんめいに育ててきた砂防林です。
 むかし、能代の浜辺は米代川が長い年月のあいだにはこんできた砂で、広いひろい砂浜をつくっていました。
  (中略)
 能代の人たちは、じわじわと動いてくる砂山から、家を守り、田畑を守り、そして生命を守るために、けんめいに松をうえたのでした。その中に、寅松という子どももいました。

   あとがき

 どこまでもつづく能代の砂防林の中を歩いて、私はしきりに十五年ばかりも前の、中学校に勤務していたときのことを思っていました。
 四月に開校したその中学校は、木を倒し、山を削ってつくられた住宅団地の中に建っていました。
 関東のからっ風がふくと、軽い土はふきとばされ、広い校庭はたちまちに黄色にくもりました。それが住宅地へおしよせていくのです。住民から苦情が殺到します。
「白い家が黄色になりましたよ。」
 水をまいたり、芝をうえたりしました。しかし、水はすぐ乾き、生徒が運動すると、芝は、はげてしまいます。
「やっぱり最後は木だ。木をうえよう。」
 父母の中から声があがりました。
 生徒と父母と教師と、一丸となって学校のまわりに木をうえたのでした。
 能代の砂防林を取材しながら、わたしは、そのようにして、学校のまわりに木をうえたことと重ねながら、せっせとこの砂丘に、木をうえた能代の人たちの執念に思いをはせていたのでした。
    昭和61年9月                      鈴木喜代春
作者の紹介

文=鈴木喜代春(すずき きよはる)
1925年、青森県に生まれる。青森師範学校卒業後、青森県、千葉県の小・中学校に38年間勤務し、松戸市立小金小学校校長を最後に教職を退き、現在は創作活動に専念している。著書に「ダメな子ビリの子まけない子」「100点が40点にズッコケた」「えらい先生ズッコケた」「津軽ボサマの旅三味線」(あすなろ書房)「十三湖のばば」(偕成社)など多数。

絵=太田大輔(おおた だいすけ)
1953年、東京に生まれる。グラフィックデザインの仕事を経て、独学で木版画を始める。アメリカで個展、3回、好評を得る。
版画の装画に、「人間性心理学大系」(大日本図書)、さし絵に「あがれ!大輪菊玉」(フレーベル館)その他、雑誌のイラストレーションなどで広く活躍している。
動く砂山 能代の砂防林物語
 昭和61年12月15日 初版発行

 鈴木喜代春文/太田大輔絵
 発行者 山浦常克
 発行所 あすなろ書房
 〒162 東京都新宿区早稲田鶴巻町
 電話 03-203-3350
 (住所と電話番号は当時のものです)
 この本を入手したいと思い、インターネットで古書店を探し回りましたが、まだ見つけることが出来ません。
 能代市立図書館の児童書は貸出し可能でしたが、秋田県立図書館では貴重書となっていて借りることができませんでした。

露伴全集 第14巻  遊 行 雑 記
この内容は旧版

現代民話  松 を 植 え た 人 び と      簾 内 敬 司
 この話は北羽新報の2006年2月11日から15日まで4回掲載されました。畠山義郎氏の『松に聞け』と浅野ミヤ氏の『私たちの風の松原物語』を参考文献、引用し吉田龍氏の挿し絵入りです。簾内氏はこれまでに『千三忌』、『千年の夜』など十冊ほどの著書があるが、本書が出版されるかどうかはハッキリしない。

『 俳  星 』
 『俳星』は月刊の俳句雑誌。創刊明治33年●●月、平成18年6月号で通算●●号を数える。

 表紙の文字は、俳句雑誌を創刊しようとした島田五空に対して、正岡子規が『俳星』と命名することを書いて送った書簡の一部。書簡の日付は明治33年1月27日となっている。

 『俳星』の編集を長く担当した石田三千丈は平成18年5月26日に三十三回忌を迎えた。石田氏の生存中に砂防林で句会を開いたことがあったというのでその記録を調べてもらっている。


能代公園内の俳星碑等については旧版