第11回  ガイド体験 作成開始 2006/10/19

最終更新 2006/10/21
実際のガイドを想定してみましょう
実施日 平成18年10月18日(水)13:00〜15:10

「実際のガイドを想定してみましょう」の内容

 ガイドする時間 : 1時間

 お客様 : 10人以下の一般旅行客(県外、特に首都圏からのお客様のグループを想定)
          特別な条件はなく、ウオーキング可能な人たち

 集合、解散場所 : 自家用車とかマイクロバスではなく、サンウッドに集合し、サンウッドで別れる人たち
             (自家用車やマイクロバスで来る人の場合にはハマナス展望台やエナジアムパークなど、
              別の場所からスタートすることも可能なのだが)

 案内する時期 ; 現在(秋、10月中旬)

 想定するコース : 図示(サン・ウッド前 → アリ地獄 → 大森稲荷神社参道 → 大森稲荷神社境内 → 
               健康づくりのみちNo.10 → 健康づくりのみちNo.3 → 健康づくりのみちNo.11 →
               健康づくりのみちNo.12 → 池のほとり → 願勝寺側出入口 → サン・ウッド前)
            このコースを説明無しに歩くだけで35分もかかるので、説明時間は25分くらい。     

設定された説明ポイント(写真は省略) 想定コース(下図の赤線表示道路)
地図内の@〜Jの場所には間違いもある
はじめのあいさつ
@ サン・ウッド能代 風の松原案内所
A アリ地獄
B 傾きの大きい太い松
   (いこいの広場入口付近)
C いこいの広場
D 風の松原100選
E アスレチック
F 大森稲荷神社
G 砂丘
   (傾斜のある健康づくりのみち)
H 健康づくりのみちの中にある松
I 砂丘の証拠(砂地)
J 枝分かれした幹が下になっている
  砂に埋もれてしまった松
K 水辺
L モニュメント 記念撮影
M 松くい虫の被害
N 標識
O 風の松原はいり口の鳥居
P その他
終わりのあいさつ
30名以上の受講者がいるので4班編成のグループを考えていたが、出席者が20名程度だったので3グループで実施

 グループの協議が14:10頃で終了し、その後、各グループで話し合った内容を発表し合った。「はじめのあいさつ」や「おわりのあいさつ」についても各グループから番号で指名された人が発表し、あいさつに入れるべき言葉、結びに入れるべき言葉なども出された。

kappeiの感想

 各グループの説明内容については、机上検討、現場での検討をおこなったあとをグループリーダーがまとめて、後日発表の機会を設けるか、「ガイド講座のまとめ」を発行する際に添付するものとばかり思っていたが、今回が最終回だということで、一気に個人ごとに発表させるやり方には驚いてしまった。授業でも生徒が引け目を感じるような質問を強制してはいけない。まして他の大勢の大人の前で・・・。受講生にとっては「前触れもなく発表させて・・・」と驚いた人もいたに違いない。

 来年度もこのような講座を実施するかもしれません。その時は講師になった人は、グループ間を巡視している時にいいことを書いている人を見たら、「後から○○について発表してもらえますか」とお願いしておくべきです。そうすればそれなりの準備をしてくれるはずです。

 このあと、「風の松原ガイド登録書」についての説明があり、登録希望者は必要事項を記入して観光振興課またはサン・ウッドに届けることになっていたが、受講者の1人から「登録書の提出ではなく、全員登録することにしてはどうか」という意見があり、その意見について賛否を問うわけでもなく、すぐにその意見を取り入れて登録方法を変更してしまったのはどうしてだろうか。
 「できるだけ多くの人からガイド登録をしていただきたい」という担当者の気持ちはわかるが、「登録を希望しない人はどうするのか」と私が質問したことに対しては、「そういう人はこっそり私に話してください」と言うにとどまった。講座の終了直前だったのでそれに対して私は言葉を返さなかったが、これは集団心理を利用したよくないやり方である。景品で多くの人を集め、高級羽布団やインチキまがいの健康食品(薬品)を売りつけることと同じ、契約無効の方法である。

 しかも登録届けに必要な生年月日や連絡方法の提出まで省略してしまったから、後になって市役所の担当者の方が困っているのではないだろうか。当初の方針を臨機応変に変更した良い方法だったと思っているかも知れないが、事前検討が不足だったのではないか。もしかしたらあの受講生の発言はあらかじめ用意されたサクラだったのではないかと勘ぐる人がいるかもしれない。

 私の場合は、2月はじめに地元新聞に記事が出た時に市役所の担当課に出向いて「講座出席 イコール ガイド登録ではない」ことを確認した上で参加したので、最終回終了後すぐに「登録しません」と担当者に話した。確か2月4日の第1回でもガイド登録については話題になり、「講座出席 イコール ガイド登録ではない」ことを当時の観光振興室長が説明していたはずだが、異動があったので引き継ぎを忘れてしまったのだろうか。


 10月19日朝、昨日の「想定コース」を歩いて見たので、昨日気付かなかったことを含めてモデルコース案を作成した。
この中からクロマツに関するいくつかを説明に使用する。説明しすぎるよりも、強風や砂嵐を避けるために1本1本植林した江戸や明治の人々の気持ちを偲びながらゆっくり歩きたい。但し、私には草木や花についての知識がないし、草花を観賞したり花や木の名前を知るための探索ではなく、健康維持のための散策なので、草花についての説明はしていない。

※1 案内する時には最初に今日の案内するコースの全体像を示したい。サン・ウッド駐車場内で説明するのがベストだが、サン・ウッドには説明用の案内図が立っていない。説明はパンフレットでやるよりも案内図で視線を集中させた方が効果的。また、このページ上(うえ)の想定図の赤線では最初に「アリ地獄」に行くことになっているが、いくらサンウッドの真向かいに「アリ地獄」があるといっても土手の脇の道のないところを入るのはためらわれる。お客さんの履き物を確かめないといけない。サン・ウッド前の車道は自動車の往来が多く、向かいにバス停があるのに横断歩道がないという問題もある。

※2 案内をする場合、雨が降っていると「今日は残念ですね」と言ってしまいがちだが、風の松原ではそういうあいさつは必要ないと思います。雨が降っても大雪の日でも必ず散策している人がいるからです。どんな日でも、どの時間帯でも歩いている人がいます。 

  (写真を準備できない箇所は画像をあとから追加します)

@ サン・ウッド正面で案内者が自己紹介し、所要時間が1時間であることを説明し、お客さんが風の松原を知った理由など風の松原についての予備知識を聞いたあと、トイレを済ませ、サン・ウッド正面向かいのバス停に集合する。(道路横断に気を配る)
A ジョギングコース3番地点まで移動する。ここの三叉路は自動車の往来が多い場所なので、ここまでサン・ウッド側を歩いてきたのでは横断が難しい。この場所に風の松原100選の標柱も案内図もあるので、この案内図を用いて今日散策するコースを視覚に訴えて説明する。

 その後、案内図右脇の散策路から林内に入り、散策路に沿ってアリ地獄へ。
B アリ地獄の説明。案内板裏からアリ地獄に着くまでに凹みがたくさんあるので、なぜ凹んでいるかを考えさせるのも一方法。
 「健康づくりのみちNo.9」の標柱が立っているので、その説明をしてもよい。「アリ地獄」本来の意味の説明も必要かも知れない。ウスバカゲロウの幼虫であることなど。
 昭和19年から20年にかけて町内会などあらゆる団体を動員してクロマツの根っこ掘りがおこなわれた。航空機燃料や自動車用燃料として松根油を使うために松根を掘ったこと。近くの工業高校生も勤労奉仕に参加し、掘った跡地はグラウンドに造成(現在の工業高校のグラウンド)。
 松根を細かく砕いて釜で蒸して蒸留した釜もあった(三小北側や向能代金山団地下)。実際に航空機が使用して飛んだかどうかはわからない、など。
C この付近のクロマツがみな傾いている理由を考えさせる。

 少人数なのでアリ地獄や少し南側の傾いたクロマツを背景に記念写真の撮影も可能。

 その後、毎日たくさんの人が歩いているけものみちのような踏みつぶされて自然にできた小径を通り、大森稲荷神社参道へ。
D 小径から参道に出た場所南側10m程の場所に風の松原内で一番太いクロマツがある。胸高周囲は2メートル51センチ。今年3月2日に2回目の薬剤樹幹注入をしたクロマツである。薬剤の樹幹注入に要した費用はクロマツ4本で15万円、1本平均4万円弱。クロマツを守るのは金がかかる。

 右の写真は今年3月2日に薬剤を樹幹注入している時の写真。
E いこいの広場を入口から眺めながら、また30数種類もあるアスレチックの遊具を遠くから眺めながら、参道とトリムランニングコースの交差点へ。
 いこいの広場にはコースを回ってきてから最後に入る。(その時にトイレを利用する人がいるかも知れない。このトイレは水洗ではないので冬期間12月〜3月も利用できる。水洗トイレは凍結防止のために冬期間は閉鎖される。)
F 大森稲荷神社参道とトリムランニングコースとの交差点。

 ここはトリムランニングコース1100m地点。この標識は裏側から見ると900m地点と表示されている。

 ここには昨年3月2日に2回目の薬剤樹幹注入をしたクロマツがある(写真右)。
G 大森稲荷神社 神社の起源などについての説明は必要ないと思うが、ここの鳥居は明治・大正期には今の位置ではなく、北側に向かっていた。そして大正9年から12年の砂嵐が吹き荒れた時には鳥居が倒れて砂に埋まっていた写真がサン・ウッド内にも掲示されている。

 境内の木々はクロマツではない。竹や杉その他の木々があるが、これらは神社のために植栽されたものと思われるが、もしかすればクロマツを植林する以前から生えていた木もあるかもしれない。
 ここに今春「健康づくりのみちNo.10」地点が設置された。
H 「健康づくりのみち」は新たに道路を切り開いたのではなく、これまで森林管理署が作業道として使用していた道路なので、道路内のクロマツを切ったりしてはいない。
 しかし、ここから「健康づくりのみちNo.3地点」までの部分は作業道ではなく、市民が散策して自然に小径が出来た、いわば「けものみち」なので、道幅が人一人しか通れない狭さであった。そこに2m幅のウッドチップ歩道を作ったので、道の真ん中にクロマツを残している。
 「ウッドチップ道ができる前からあったいわば先住民がクロマツ、その間を私たちが歩かせていただいている」

 写真左の真ん中のクロマツの根を見たいと思って掘った人がいた。6メートル掘り下げても根元は現れなかった。このクロマツも、この坂の下のクロマツも根の位置は同じくらいの位置だと思われる。このクロマツが6メートルも砂に埋まっていることが、ここが砂丘であることの証拠である。

 ここから北側を眺めると、左側が高く、右側が窪地のように見える。北から吹き込んだ雪がここにたまり、その上を砂が覆う。それが一冬に何度も繰り返される。砂で覆われた雪は融けにくく夏まで残っていた。夏にはその雪を自宅に持ち帰り、高熱の人の熱冷ましに用いた体験をもつ受講生もいる。    
I 「健康づくりのみちNo.3地点」 この地点の右側と真っ直ぐ進む方向は昨年整備されたウッドチップ道路、手前と左側は今春整備された道。右側は3メートル道路、直進路は2メートル道路。今年度設置道路は「車いすが交差するためには2メートル必要」という理由だったが、左側No.11地点に向かう道はなぜか3メートル幅で作られた。
 しかしNo.10地点からの急坂を車いすで上ることはできない。ウッドチップが柔らかいので、この場所でも車いすを押して歩くことも難しい。
 ここから左へ140m歩いて「健康づくりのみちNo.11地点」へ
J 「健康づくりのみちNo.11地点」
 ここから南側を見ると正面にウッドチップ正面に赤く枯れたクロマツが4本見える。近づくと青いハチマキと黄色のハチマキが巻かれ、白い番号シールが貼られているのがわかる。このクロマツは9月10日過ぎから枯れてきた。松くい虫(そういう名前の虫がいるわけではないが)被害木だと思われる。 またクロマツの間の低木や雑草の多さを見ると手入れされた松林と手入れされていない林の違いがはっきりわかる。ここから直進し、右に下ると雑草の少ない景色のいい林が見えてくるが、今日は時間の関係で東側の坂を上る。
K この道は先ほどと違いがありますか? とお客さんに問いかける。

 そうです、同じような色なのに固いですね。この道はウッドチップを接着剤で固めたものを張り付けています。アスファルト舗装のウッドチップ版です。ウッドチップは今春、この林から切り倒した雑木を松原内で細かく砕いたものを使用しました。昨年までこの道を歩いた人はほとんどいなかったので、散策者からは好評を得ています。
 写真右の出っ張りはベンチを置いて休憩コーナーにするようですが、まだベンチは設置されていません。勝手にいこいの広場から持ってこようかと思ったりしますが、一緒に運ぶ人が必要なので・・・。
L この付近が風の松原の最高地点です。32mあります。
 写真左の標識は方角が違っています。一昨年夏にヤブをかき分けて初めてここまで上ってきた時にはわかりませんでしたが、この坂を西(日本海側)に下って400m程で休養広場に着きます。(東に直線で300m程のところにいこいの広場があります)
 この標柱は、今春の工事の時に一度引き抜かれたので、今度は直るだろうと思いましたが、元通り(間違った通り)に復元されました。北東方向に大森稲荷神社があります。神社の回りをぐるりと回って歩いて来たことになります。
 真っ直ぐ東側の方向に、これから行く「いこいの広場」があります。
 右の写真の地点が風の松原中心部の最高地点です。
M 「健康づくりのみちNo.12地点」が見えてきました。右側の景色はこれから紅葉が素晴らしくなります。クロマツに巻き付いているツタがきれいに紅葉するからです。人間にとっては美しい紅葉ですが、巻き付かれているクロマツにとってはどんな影響があるのでしょうか。
 この場所から見るよりも反対側(ジョギングコース11番地点)から見た方が紅葉がきれいです。
 他の場所のツタは根元付近でバッサリと切られているのが多いのですが、ここは美観のために残してあるのかもしれません。
N 左に地面から枝分かれしたクロマツが見えます。このような姿をしたクロマツは風の松原内では他には見たことがありません。左の写真で2本のクロマツを比べてみればよくわかります。
 このクロマツも砂に埋まっているのではないかと掘ってみた人がいます。掘ったのは、10月はじめだと思います。それまではここに踏み固めた道はありませんでしたから。修学旅行用に掘ったのでしょうか。
 風の松原ではこのように根元から枝分かれしたクロマツはないから、きっと幹の部分が数メートルも埋まっているはずだと推定しているのでしょう。左の写真右側のクロマツの年輪がわかれば、それよりもずっと前のクロマツだということがわかります。(そのためにはこの付近で切り倒されたクロマツの根株を探し出して比較する必要があります)
O ジョギングコース9番地点
 写真左の左手に「ジョギングコース9番地点」の標識があります。ここはアスファルト舗装ですが、この道路はロケットセンター前まで続いています。昔は車道として毎日何台もバキュームカーが通っていたところです。「男鹿街道」と呼ばれていました。
 あづまやの付近は昔、営林署の詰所(事務所)などがあったところです。この付近には様々な木があります。樹種名札がついていますのでご覧ください。ハマナスやコウヤマキなど皇室のお印に使用されている木もあります。
P ここは池のほとりです。この近く(南側)に湿地帯があるので、ここに休養のための池を作ったのではないかと思います。この池を管理する人がいて、定期的に水の入れ替えをしています。噴水も3本あります。私が散策するのはほとんど早朝の時間帯ですので、ここに噴水があることに気づいたのは歩き始めてしばらくしてからでした。

 幸田露伴の案内板がありますが、露伴は大館方面から男鹿方面に行く途中ここを馬で通った様子が描かれている。明治30年7月14日のこと。その様子は彼の「遊行日記」に記録されている。
Q いこいの広場
 ここは能代営林署時代に苗圃があった場所。松の苗を育て、できた苗は海岸近くの最前線に植林されていった。松苗を育てる場所は鰄淵(今の東能代)や浅内、向能代等にもあったようだ。
 赤く色付いて見えるのはサクラ。この回りには杉林もあり、行く途中に見たアスレチックの遊具も30種類以上揃っている。中には老朽化し、危険防止のため使用できないものもあるが、毎朝ここでラジオ体操をしたり、朗々と詩吟を吟じている人の姿も見られた。
 右の写真左側には車イスの人も使える電話ボックスや風の松原100選をまとめた案内板などもあります。「白砂青松」「音風景」など、現在では「ここがそうですよ」と説明できないものもあってちょっと恥ずかしいのですが。

 時間によっては、ここからサン・ウッドに戻る場合もありますが、時間に余裕がある場合には願勝寺側入口(ジョギングコース6番地点)に進んでください。
R 願勝寺側入口(ジョギングコース6番地点)
 ここにはこのような風の松原を明示したモニュメントがあります。また松くい虫の原因となっているマツノザイセンチュウやその運び屋であるマツノマダラカミキリについての説明文もあります。しかし所用1時間の散策で松くい虫に時間を割くのは難しいと思います。
 農林水産省や財団法人日本緑化センターのホームページを始め、様々なところで詳しい説明があるので、そちらをご覧いただいてください。
 
 このモニュメントをバックにして記念写真を撮りたいという希望があるかと思いますが、モニュメントが車道に面しているので十分気をつけてください。
S 「風の松原通り」とも呼ばれていますが、萩の台線のこの車道に面した緑は、実はクロマツの緑ではなく、クロマツの大敵、ニセアカシアの緑なのです。
 長慶寺前の通りに立って鳥居の方を見ると一番よくわかります。春先はそこから見えるのは枯れ木のような葉のないニセアカシアばかりです。
 広葉樹であるニセアカシアがクロマツよりも大きくなるとクロマツに太陽があたらなくなり、クロマツは急速に衰えてしまいます。現在この場所はクロマツの高さとニセアカシアの高さが拮抗しています。松くい虫の被害でクロマツが倒れる前にニセアカシアの攻撃によってクロマツが倒れるのではないかと心配している毎日です。