Lips                      



  コートの周りを包む喧噪が、やけに遠くに聞こえた。目の前の相手から流れ出る血
ばかりが目に入り、そればかり見つめていると、相手と目があった。
  ハッキリと、憎悪を浮かべた瞳。しばらく見つめ合った後、相手はよろめきながらコ
ートから出ていこうとした。
「握手。」
  無理だとは思ったが、試合後のマナーとして一応、握手を求めた。が、あの鋭い瞳
で睨まれ、差し出された手は無視された。
「つまんねぇの。」
  相手が出ていったのを確認すると、リョーマは反対側の出口からコートを出た。



  部活が終わって帰宅しても、リョーマの心はあまり晴れなかった。いつものように
父とテニスをしていてもあまり身が入らない。何をしていても同じシーンばかり頭を支
配した。
  少し日焼けした骨張った膝から流れ出た、彼の気性を表したような真紅の血。そし
て、自分にだけ向けられた射殺すような瞳。そのどれもが、今までのリョーマの目に入
ったことはない。
  すごく、新鮮だった。あの「海堂先輩」は。
  夕食を終えて自室に戻ると、リョーマはすぐベッドに身を投げた。もう、何もしたくな
かった。運動で疲れたからだは、自然と眠りの世界に落ちていった。



  見渡す限りの青い空。その中にリョーマの体はふわふわと漂い、どこまでも浮き続
けた。
  よほど高い空なのか、リョーマからは下の様子は何も伺えなかった。周囲に自分以
外のものは、何一つなかった。雲さえもなく、唯ひたすらに青い青い空だけがリョーマを
包む。音さえも、何も、なく。
  永遠のような長い長い間漂い続けていると、突然目の前から空が消えた。ぽっかり
と穴があいたようにそこだけが白く、静謐な光に溢れている。そこに、リョーマは近づこ
うとした。が。
  その光の中に手を差し入れた途端、光は消え失せもとの青い空がもとのように存在
した。最初から光などなかったかのように。
  自分がはっきりと拒絶されたことを知ったリョーマは、驚きに少し遅れて絶望を覚えた。
そして、
  空から突き落とされた。



「−−−あ。」
  地に叩きつけられる衝撃に身を固くしていると、そこは柔らかいベッドの上だった。
布団から足がはみ出ていて妙なポーズをとっていた。夢の中でこんな格好していなか
ったと思ったが、リョーマが驚いたのは目覚めた後の高揚した気分。心臓は今スポー
ツを終えたばかりのように早く打つし、頬もなんだか熱い。何か病に冒されたわけでも
ないのに胸が締め付けられた。
  痛イ、苦シイ。
  苦しかった。頭が痛くて、呼吸が苦しくて。目の前が真っ赤に見えた。今日見た、
海堂の血みたいに。少しでも、彼はリョーマの中にいようとする。
  春といってもまだ肌寒い夜風が吹く中、リョーマは外へ出た。



  このあたり一帯で一番大きな公園を目指して、海堂は暗い道をひたすら走っていた。
体力をつけるために始めた朝夕のロードワークも、長い間続けてきた。自信がついた。
今年入学してきたばかりの一年生には負けないはずだった。
  今日、自分の信じていたものが崩れるのを見た。技術、体力、精神力全て。自分
のテニスにおける全てをあの一年生はぶち壊した。
「越前リョーマ。」
  その名前を反芻するだけで、今日の屈辱が甦る。悔しさのあまり自分の膝を傷つ
ける自分を、敗者を見下す眼で見ていた越前。握手をする気がないとわかると、今ま
でのことはなかったかのように去っていった。
  今日見せた行動の全てが海堂に強い劣等感を与えた。
  悔しかった。
  そんなことを考えながら走っていると、視界に公園の噴水が入ってきた。メニュー
をこなした達成感と、冷たい夜風が海堂には気持ちよかった。
  汗の始末をしてから、休憩をとるためにベンチに腰掛けた。水分を補給したら、今
度は家までまた走る。それで、今日は終わりだった。
  休憩は十分とった。水分も、500mlのペットボトルを完全に空にした。いつもなら、
とっくに走り始めているのに、海堂は動けなかった。
  前方に、忘れたくてしょうがなかったあの白い帽子が動いていた。それは徐々に
海堂に近づいていて、やがて人の形を成して歩いていた。真っ直ぐ、前を見て近寄る
彼は、試合の時と同じで、強い視線を投げていた。小さく、痩せ型な体躯、軽い身の
こなし。あれは・・・。
  


  家の近所の公園を何の気なしに歩いていると、入ってきたのとは真逆の入り口
から軽快な足音が聞こえてきた。ロードワークでもしている人だろうと思って見てい
ると、その人はちょうど正面で立ち止まって、汗を拭き始めた。そばのベンチに座り、
ペットボトルを煽って、光の加減で見えなかった顔が見えた。
  鋭い眼で、終始睨みつけてきた試合相手。「海堂先輩」だった。
  気づかぬうちに、リョーマは歩き始めた。鼓動が早くなり、それにつれて足も早
く動いた。夢のように、ただの空間にならないうちに、辿り着きたかった。
 「こんちは。」
 「・・・・・・・・・。」
  不機嫌そうな顔になった。やはり、今日の一戦で嫌われたらしい。目を合わせ
ようとしない海堂に、胸が締められた。
 「先輩、アイサツされたら返すのがフツウじゃないんスか?」
 「うるせぇ。」
  素っ気ない返事に、リョーマは更に苦しくなった。こんなに気にかけていたのは
自分だけなのかと、悔しく、悲しくなった。海堂が、夢の中の白い光みたいに接近
した途端消えていくような錯覚を見た。
  少し、歪んでいると思った。自分が、こんなに彼に縛られるなんて。唯、今日彼
の血と、気迫を見せられただけなのに。新しいものを、こんなに欲しがったことはな
かった。
  憎悪がこもっていてもいい。真っ向から睨みつけてほしかった。
 「そんなに、俺のことキライなんスね。」
 「あ?何を・・・っ」
  疲労で隙ができた海堂に、唇を押しつけてみた。驚いて目を見開いた海堂は、
リョーマを喜ばせるだけだった。死ぬほど嫌なはずなのに、ショックで何もできずに
じっとしていた。
  唇を離すと、海堂は頬を紅潮させて鋭いあの視線でリョーマを睨みつけた。水分
を含んで少し濡れている海堂の唇と反抗的な瞳が、試合の時のようにリョーマを惹
きつけた。リョーマは、生意気と言われる笑顔を浮かべて、海堂に言った。
 「海堂先輩、少なくともオレはアンタのこと、キライじゃないから。」
 「・・・何?」
 「唇は愛情を伝えて、受ける場所ッスよ。」
  更に顔を赤らめる海堂に、リョーマは背を向けた。背中に鋭い視線を浴びながら、
夢から覚めた時のように高揚した気分になった。白い光は、まだ消えていない。
  覚えててくださいよ。これから、アンタも夢見るくらい想わせる。


                                                      終
                                


                                     ・・・いきなりこんなマイナーなモン載せて、何考えてるんで
                                     しょう、私・・・。なんかリョーマさんヘンタ(自主規制)。
                                     ウチにはこういう人様とズレてるものも平気で置いてあると
           いうことです。
                                                   (2001,5,7 山田暁)