その4 | 作成開始 2006/9/9 最新の更新 2006/9/18 |
||
校長室前の廊下に同窓生の色紙がたくさん掲げられております。その経緯についてはこれから調べますが、50枚以上も掲げられている色紙を紹介します。 校長室前の廊下は薄暗く、電灯をつけると額面のガラスに反射するので撮影しにくい、真っ直ぐに撮影したつもりでも傾いているなど、中々難しい撮影だと感じました。何回か通って条件の良い時に撮影したいと思います。掲載が遅くなるものがありますが気長にお待ちください。(傾いている写真は、後から撮影し直すまでお待ちください) 現在のところ、<その1>から<その8>まで8ページになる予定です。 |
16期 三 田 元 悦 |
16期 寺 山 清 利 |
16期 佐 藤 長 俊 |
|||
<色紙に添えられたことば> |
<色紙に添えられたことば> 人生の幸・不幸は移ろいやすく、予測し難いことのたとえ。 国境近くに住む老人の馬が逃走したが、数ヵ月後には良馬を連れて帰った。 その後、老人の子供が落馬して足が不自由になったが、それが幸いして戦死を免れたという故事。 |
<色紙に添えられたことば> 昭和20年終戦の年の卒業。 中学校時代から演劇は好きであった。 演劇とかかずらわって生きてきた。 演劇からいろいろ人生のことを教えられた。 この言葉もシェイクスピアのものと思う。 能中に初めて演劇部が出来てくるのを手伝って忘れられない。 どうか演劇を愛する人がたくさん出てくるようにと祈っている。 |
|||
16期 七 尾 英 直 |
16期 芳 賀 高 広 |
16期 袴 田 勇 蔵 |
|||
<色紙に添えられたことば> 私は小畑知事から色紙の言葉を聞き、一念発起、高校教員を辞し、51歳から四期16年間、二ッ井町長として努力した。 |
<色紙に添えられたことば> 昭和15年(1940年)能代中学入試のとき、座右の銘を問われた。即座に「至誠」と返答したことを思い出します。 奇しくも校訓が「至誠力行」だったので、入学後も面映ゆい感じと誇らしさでいっぱいだった。 剣道部員だった私は、校舎が焼失するまで道場も兼ねていた体育館正面のあの「至誠力行」の前での稽古に張りが出たものです。 |
<色紙に添えられたことば> 究極の真理を求めて、毎日の努力を重ねる。その中にこそ真理がある。 |
|||
17期 谷 内 幸 保 |
17期 小 川 浩 平 |
17期 岩 森 榮 助 |
|||
<色紙に添えられたことば> 先輩のノートや参考書に書いてあるのを見て覚えました。耐えることの多い戦時下中学校生活でしたが、前途に希望を抱かせるこの言葉はよい励ましでした。 小中学校で教職にありましたが、卒業生に贈る教師の言葉としても、よく用いられていました。 東洋の格言とばかり思っていましたが、バイロンと共に名高いイギリスの詩人シェレー(1792〜1822)の作「西風に寄せる賦」の結びの文句であると知ったのは戦後のことでした。 |
<色紙に添えられたことば> 「わだかまりがなく、さっぱりしていること。さま。」 私の書の雅号が「虚心」です。おそらく、私の書の師匠は「虚心坦懐」に話し合うことの大切さを、また「虚心」に学ぶことの大切さを教えてくれたのでしょう。 |
<色紙に添えられたことば> |
|||
17期 浅 田 嘉 美 |
17期 千 葉 保 一 |
||||
<色紙に添えられたことば> このたび前庭に桜を植樹し“青春の回顧”の標柱を設置するはこびとなりました。植樹者である学友達は大東亜戦争中に学業半ばにして少年兵に志願したため当時の卒業式に参加できず、このたび60年ぶりに卒業証書が授与されました。学校当局の慈愛の賜と衷心より感謝し、母校の益々のご発展を祈り申し上げます。 ※色紙の揮毫及び文面については、同期の千葉保一氏の協力を得ました。紙面にてお礼を申し上げます。 |
<色紙に添えられたことば> 「看脚下」ふらふらしないで脚をしっかり大地にすえて踏ん張ることが大切です。 |