その3 作成開始 2006/9/9

最新の更新 2006/9/21

校長室前の廊下に同窓生の色紙がたくさん掲げられております。その経緯についてはこれから調べますが、50枚以上も掲げられている色紙を紹介します。
 校長室前の廊下は薄暗く、電灯をつけると額面のガラスに反射するので撮影しにくい、真っ直ぐに撮影したつもりでも傾いているなど、中々難しい撮影だと感じました。何回か通って条件の良い時に撮影したいと思います。掲載が遅くなるものがありますが気長にお待ちください。(傾いている写真は、後から撮影し直すまでお待ちください)

現在のところ、<その1>から<その8>まで8ページになる予定です。

14期 金 田 広 実

14期 平 野 清太郎

14期 村 木 良 二
<色紙に添えられたことば>

「足るを知る者は 身貧しけれども心富む

得ることを貪るものは 身富めども心貧し」

                    伝 家法
<色紙に添えられたことば>

「二十四の瞳」で人々に親しまれた壺井栄さんのことばである。
輝くばかりの可能性に満ちた十七・八歳の時代をどう生きるかは、その人の一生にとってかけがえなく大切である。十七・八歳は二度とこない。いや二十歳、二十五歳もまた「二度候(そうろう)かよ」である。

<色紙に添えられたことば>

14期 中 村 史 朗

15期 吉 田 信 一

15期 稲 垣   正
<色紙に添えられたことば>



<色紙に添えられたことば>

校歌の一節をいただき一句まとめました。
これまでの人生の中で、諸君もそうなるであるように、校歌を指針にしてきました。
米代川は日本海に注ぎ、そして世界の海に通じています。
<色紙に添えられたことば>

私たちの青春時代は「全てに耐えること」の時代でした。
戦後復学して以来、野球部の厳しい練習の体験から学んだ力を私自身の人生訓としています。


15期 渡 辺   亨

15期 佐々木   満

15期 越 前 龍 夫
<色紙に添えられたことば>
<色紙に添えられたことば>
<色紙に添えられたことば>
私は大正15年4月7日生まれだから、まさに昭和の一時代を過ごした。
昭和14年に樽子山にあった「県立能代中学校」に入学。時は戦時中で「非常時」と呼ばれ、5年間、生徒として汽車通学したものだ。先輩は戦死し、同期生も学徒出陣で志願し、後輩も戦闘帽姿となった。
我々は昭和17年頃「修学旅行」伊勢神宮へ参拝し、「皇紀2600年」の式典もあった。
卒業後50年、青春時代は能中時代だった。
恩師の諸先生に感謝している。
これは武者小路実篤の言葉です。
私なりに解釈すれば、これは深山に立つ桜の木の気持ちを歌ったのではないでしょうか。つまり、
「人が見ていようが見ていまいが構わない。咲きたいから咲くのだ。気持ちが充実して咲かざるを得ないから咲くのだ」と。
人間もこのようにありたいものです。


南極観測第一次越冬隊長。品質管理のデミング賞受賞者である西堀栄三郎先生の残した言葉です。
「同じ性格の人達が一致団結してもせいぜいその力は「和」の形でしか増さない。異なる性格の人達が団結した場合には、それは「積」の形でその力が大きくなる。」という意味のことで、個性を重んじ、個人の創意工夫をたっとび、それを組織的に生かそうということです。

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