作成開始 2006/9/9

最新の更新 2006/11/18
「恩師の思い出」はこちら
他界された方々の思い出の記録
「恩師の思い出」ページを新設しました

2006/11/18(土)

 今日はある会合があったのだが、その会に出席した人の多くが能代高校にも勤務したことのある人たちだった。

先日、東京同窓会の掲示板で話題になっていた
二ッ井高校の井上校長先生(左)と能代高校元校長
の秋元正英先生。秋元先生は昭和52年から62年ま
で教諭、平成7年教頭、平成8年から平成11年3月ま
で校長先生をつとめられた。
国語科の先生方、秋元正英先生と佐藤隆先生。
秋元先生は左の写真説明にも書いたが通算13年
間勤務。本校の27期生。
佐藤先生は昭和59年から平成2年まで7年間勤務。
本校の23期生。
久保田豪先生は昭和45年から昭和56年まで本校
勤務。
藤本真子先生は昭和56年から平成2年まで本校
勤務。
小栗富英先生は昭和52年から昭和60年まで本校
勤務。小栗先生は30期生。
平川金之助先生は昭和53年から昭和61年まで本校
勤務。

2006/10/2(月)

 このページを作成した最初に「鎌田宏文庫」と「椎名光雄文庫」を紹介した。椎名先生の奥様からは丁寧なお礼のお手紙をいただいた。しかし、<恩師の近況>欄にお亡くなりになった人の話題はふさわしくないと思っていたので、<ブログ>欄に白鳥邦夫先生の話題が出たのを機会に「恩師の思い出」ページを作って白鳥先生の写真を含めてそちらに移動しました。

この写真の先生は安嶋彬先生と奥様です。安嶋先生は昭和27年度から昭和35年度まで最初は定時制課程にその後本校に勤務されました。
この写真は2004年5月8日、二ツ井町ヘルスセンターで撮影。以前重病を患い生死の境にいると聞いたことがありましたので、お元気な姿を拝見し安心しました。現在は横浜市にお住まいです。この写真のいきさつについてはこちらのページをご覧ください。


2006/9/28(木)

昨日、松渕まつ代先生からお電話をいただいた。今週お宅に伺うことにしていたので、その日程についてだと思っていたが、体調がすぐれないというので電話でインタビューすることにした。
 9月24日のブログページで松渕先生の『澪 *記憶の波音を紹介したが、この本の発行は9月9日。また22日の同窓会総会の日には出席者全員が『プラタナス日記』をいただいたが、その発行日は9月21日。きっと疲れが溜まってしまったのだろう。

 先生のお話では、ご主人が亡くなられたあと、このままでは松渕先生も気力をなくしてしまうと感じたお子さんたちが、「お母さんは作文くらいは書けるでしょう」と短文を書くことを勧めた。それをまとめて単行本とした。

『澪 *記憶の波音 出版:講談社出版サービスセンター 定価1500円(本体)
先生にはお聞きしませんでしたが、この本は自費出版だと思われます。
出版は「講談社」ではなく、「講談社出版サービスセンター」となっていますので、
購入ご希望の方はこちらにメールをいただければ小林が取り次ぎを致します。
目次の一部は下に掲載しました。

昨年の80周年記念式典でメモを取りながら聞く松渕先生。
手前は渡部耕四郎先生、右は故山田顕一先生。
渡部先生の後ろは佐藤隆先生。

 同じく80周年記念祝賀会でお話しなさる松渕先生。
 この時のお話しで、出版の計画があることをお話しに
 なっておられた。
今年9月22日午後、修祓式のあと佐々木満先生とお話しする様子
 「佐々木満先生が私のことを覚えていてくださって嬉しかった」と
話しておられた。「当時は女の先生は少なかったからかな」とも。
「プラタナス日記」の序文
『プラタナス日記』は、

昭和49年3月15日から10月27日まで

17回にわたって北羽新報紙上に連載

された文章をまとめたものです。

ここではその最終回のpdfファイルで

読むことが出来るようにしました。

pdfファイルは → こちら

2006/9/23(土)

「恩師の近況」ということでは、私が授業を受けたわけではないが、私が卒業してまもなく本校に勤務し12年間在職した須田薫先生がいる。

今日(9/23)お電話をいただき元気な声を聞いたので、昨年12月1日にご自宅を訪問した時の写真を紹介する。

 須田先生のお宅に伺ったのは昨年(2005)12月1日。その頃私(小林)は秋田県高等学校教育研究会国語部会の「研究紀要」のCD-ROM化に挑戦していて、創刊号(昭和39年度)から集めていた。私が高校に勤務したのは昭和42年度から。それ以前の創刊号から第3号までは須田先生から提供していただいた。複数冊を集めてバックナンバー一式を県立図書館等に寄贈する計画も立てていたが、能代山本の先生方に探してもらったがなかなか見つからなかった。
 これは余談だが、岡卓夫(31期)先生からは第2号から何冊かを寄贈していただくことが出来たが、なぜ創刊号を持っていないのか不思議がっていた。それも就職前だとわかって納得。岡先生は今年も先日の田沢湖マラソン20キロの部で3位入賞。

 12月1日には一応完成したCD-ROMとノートパソコンをを持参し、須田先生に見てもらうためだった。その時、奥様が第4号以降も書庫にあるはずだというので書斎だけでなく廊下にまで所狭しと置かれている書棚を全て見せていただいた。能代の学校住宅にお住まいの頃から玄関から本で一杯だったが、置く場所が増えてもその分が全て本で埋まってしまうから昔とちっとも変わっていないなと感じた。この家が広いと感じたのは能代から引っ越しした当初だけ。増築した後もかえって狭くなったと感じるほどだ。

この部屋は最初は座敷のはずだったが・・・

 今日の電話でのお話しでは、以前象潟町の郷土史研究会の会長をしていたが、3町が合併し「にかほ市」になってからはにかほ市全体の郷土史研究会の会長になり、以前よりも忙しくなったと話しておられた。「耳が遠くなった」と話しておられたが、電話を通して聞く声は以前と変わらず、いかにも元気そうだった。