創立90周年記念誌     最新の更新 2015/06/28 
       
   作成中の原稿    
       
根性無し (こんじょなし)  28期   石川輔宏
       
   「んがだばどさこんじょあらたな あのね〜」タケジュウ(武田重蔵)先生の甲高い声がバレーコートに響く、昭和32年7月恒例の夏期合宿である。練習開始から、かれこれ一時間は一人でスパイク(当時はキルと呼んでいた)を打ち続けている。昔の中衛のスパイクはジャックナイフ打法(ジャンプしてから大きく仰け反り身体を「く」の字にしてボールを打つ)が主流で、この打法を徹底して叩き込まれていた。私をスパイクマシンにしてのブロックとレシーブの練習は攻撃、守備両方の上達を狙った一石二鳥の練習方法であった。

 しかし、そのスパイクマシンが途中でへたばり始め、ネットにぶら下がりコートに這い蹲る・・・タケジュウ先生の気合が入る、「全員、うさぎ跳びコート5周、グランド駆け足」となる。身体のケアも今とは全く違っていて、練習中は水を飲むな、肩は冷やすな・・・今は酷使した肩はアイシングする。そして、根性を鍛えると称して科せられた「うさぎ跳び」は膝を壊すとして最近のトレーニングには余り取り入れないと聞く、等々・・・スポーツ界に於いても今昔の感を否めない。

 今となれば懐かしい思い出として語れるが、練習は厳しく大変苦しいものだった。

 なんとか合宿は終わったものの右足甲に故障を抱えたまま仙台での全国大会を迎えた。前年度優勝校の重荷を背負っての試合はやはりどこかに緊張があったのだろう、一回戦の対戦相手は名門「岡山東商業」、試合は縺れにもつれ三セット2点差での勝利、その後は、落ち着きを取り戻し、新聞記事にもある「能代高校破竹の勢い」の通り決勝まで勝ち進んだ。決勝は広島の強豪「崇徳高校」との対戦となったが力及ばず準優勝、悔しかったが優勝時の三年生が6人も抜けた新メンバーとしては良くやったと思っている。

 9月に入り、国体の東北予選が青森で開催された。この大会では全試合一セットも落とさず東北完全制覇を成し遂げ、前年度の屈辱を晴らすことが出来た。 また、この青森大会を旧富士製鐵(現新日鐵)の監督が見ていたらしく就職の声が掛かり、私にとって人生最大の岐路となった忘れ得ない大会でもあった。

 静岡で開催の第12回国民体育大会には東北代表として出場し準決勝で強豪「藤沢高校」と対戦、敗れたもののバレー部としては初めての国体三位入賞を果たした。そして気が付くとタケジュウ先生から「こんじょなし」の言葉を聞かなくなっていた。きっと評価してくれたのだろうと勝手に思い込んでいる。

 この度、記念すべき創立九十周年の記念会報への寄稿を機会に日々の苦しい練習を見事な根性で耐え抜き栄誉ある成績を残した同期の仲間の名前をここに記させていただく。大久保征輝君(FR故人)、三熊東洋君(FCキャプテン)、八木俊雄君(HC故人)、石川輔宏(HL)、森岡宏文君(BC)、山本友厚君(BL故人)、信坂吉秀君(マネジャー故人)。スター選手も居らずどちらかと言えば寡黙で黙々と努力するタイプの仲間達であった。この苦楽を共にしてきた懐かしい「七人の侍」仲間も4人が鬼籍に入り、現世でこの記念誌を読んでもらえず残念だが、天国にもこの思い出話はきっと届いていると信じたい。

 最後になりましたが、能代高校創立九十周年記念おめでとうございます。母校の益々のご発展と皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げます。
  
   
   左から2人目の選手が当時の「ジャックナイフ打法」をしている石川選手
昭和31年5月27日 県北大会(大館桂高校コート)