作成開始 2006/8/27

最新の更新 2006/9/19
このページには同窓生から送られてきた原稿や意見を掲載します。
郵送の場合は〒016-0184 秋田県能代市字高塙2-1 能代高校内 同窓会ホームページ係へ
メールの場合は noshirohs-dousou@shirakami.or.jp  へ
必ず何期生か(わからない場合は卒業年月)記入願います。

インターネットの表示では新しい記事が上に、日付の古いものほど下になります。

寄稿・意見のタイトル (本文はこのページの下の方にあります)

4.「青春の碑に寄せて」 田中仁純 (北羽新報掲載の要旨)
3.「能代高校校歌・応援歌集」について 続 隆氏の指摘
2.「能代高校校歌・応援歌集」について
1.平成18年度の生徒手帳について


2006/9/19(火)

この文章は今日の北羽新報に掲載された文章の前半部分です

「青春の碑」に寄せて                             田 中 仁 純

 能代市の文化の殿堂、文化会館をはじめとして多くの文化施設が所狭しと競い合う。すなわち樽子山と称されるこの場所は、かつて県立能代高校の誕生した地であります。大正14年の開校以来、約50年間にわたり市民に親しまれてきました。
 昭和49年、現在の能代高校のある高塙の地に移転するまで、約1万2千人の卒業生にとっては青春をおう歌した思い出の学び舎のあった所であります。
 当時と同じ位置ですが、中和大通りから北西に、ゆっくりしたプラタナス並木の坂を上ると、そこが校舎の正面でありました。
 昭和19年の火災で焼失し、戦後の23年に厳しい社会情勢の中、再建された木造校舎でした。窓ガラスには「能中」の文字が刻まれた世相を反映した校舎でした。このころのことは、北羽新報に18期生の嶺脇勉氏が「松陵健児と謳歌して」(7月23日付から6回にわたり掲載)と題し、生き生きとつづられており、感銘を受けながら拝読しました。
 その正面の坂を上りきった所、現在の図書館、そして保坂福祉会館への入り口に当たる付近の左側に、大きな青みを帯びた鮫川石がどっしりと座っています。・・・(以下略)

 なお9月22日には6時からの同窓会総会に先立って午後3時から青春の碑の改修に伴う修祓式を「青春の碑」前で行いますので、多数の同窓生の参加を希望します。


2006/8/30(水)

「能代高校校歌・応援歌集」について 続 隆氏の指摘
同窓生(33期)・旧職員  小 林 勝 平

 工藤副会長さんと中田正則氏の原稿をホームページ用に書き直ししていて、私も書いておかなければならないと思いました。それは続隆先生の指摘についてです。私が2度目に能代高校に勤務した平成11年頃のことだったと思います。いつ、どこで預かったのか覚えておりませんが、「今度歌集を印刷するときには必ずここを直してくれ」と言われたと思います。小冊子には<H8.8.1続隆記>とありました。再発行の機会が来る前に私が転出してしまい、実現の機会がありませんでした。預かった歌集は今でも保管してあります。メモ書きがあったのは下に載せた3ページです。

 その3枚の写真の中に「平成6年8月第2版」という書き込みがあります。中田正則先生は平成4年3月に転出し私も平成5年3月に転出したので、改訂版が出たことは知りませんでしたが、旧校歌のルビなど初版と違っている箇所があるので、第2版が出たことは確かです。

 今回ホームページ担当になった時、同窓会担当の教諭からまた一冊の歌集を預かりました。こちらも続隆先生の筆跡で<H15.1.17記>とあります。続隆氏が歌集の第3版出版を考えてから10年以上経ったことがわかります。

 校歌や応援歌については旧制高校の寮歌に詳しい工藤副会長さんも会報に何度も書いておられます。会報はすべてこのホームページ内で読むことが出来ますので、ご一読ください。東京同総会のホームページでは読みやすくしてあります。そちらもご覧ください。また創立80周年記念誌『松陵八十年』に掲載された工藤茂宣同窓会副会長の「戦後の校章のデザイン考案者と応援歌「戦わん哉」の作詞者は同窓生だった −応援歌「日本海」の作詞者も同窓生といわれる」が重要な資料になりますので、<創立○○周年記念誌>のページに掲載します。これらのページと下の続隆先生のメモを併せて読むとわかりやすいと思います。
小林が平成11年頃に続隆氏から預かった歌集の書き込み(以下3ページに書き込みがありました)
同窓会担当の教諭が続隆氏から預かった書き込みのある歌集(書き込みはH15/1/17現在)

表紙

表紙裏

8ページ 遠征歌

9ページ 日本海

10ページ 逍遙歌

12ページ 編集後記

裏表紙うら ここに印刷所の名前が出ている

2006/8/26(土)
「能代高校校歌・応援歌集」について
同窓生(33期)・旧職員  中 田 正 則

 昨年は創立80周年大変ご苦労様でした。母校の歴史を顧みながら、創立80周年記念誌及び校歌のCDを懐かしく拝見・拝聴させていただきました。ありがとうございます。
 さて、同窓会副会長工藤茂宣氏の記念誌寄稿文の中に、私が能代高校在職中に関わった表記の歌集についての記載がありました(p42)。その歌集作成の経緯についてお知らせしたいと思います。

 私は昭和57年から平成4年3月まで10年間母校能代高校に音楽の教師として勤務し、お世話になりました。(記念誌では離職平成13年となっていますが平成4年の誤りです)
 平成元年1学期始めの全校応援歌練習を聞いていた当時の加賀正隆校長(昭和44年〜昭和58年本校勤務)から本校の応援歌について次のような指示がありました。
 「現在の生徒たちが歌っている応援歌は、自分が記憶している歌い方と大きく異なってきている。本来の応援歌の歌い方を取り戻しておかなければ、全く異なった応援歌になってしまい、同窓生には何の歌かわからなくなる。応援歌をよく知っている続隆先生と金谷晴隆先生と相談し、何らかの対策を施してほしい」とのことだったと記憶しています。
 続先生は昭和26年卒、金谷先生は昭和29年卒で共に在学中応援団に関わったと聞いており、お二人とも最近まで能代高校に勤務されていたこともあり、それぞれの応援歌のメロディーをよく記憶しておられた。

 さっそく続・金谷両先生に相談し、次のような内容で進めることとしました。

1.応援歌のメロディーを楽譜として記録し残すこと。
 校歌の元譜(作曲者の自筆による楽譜)は過去の校舎の火災により焼失したが、メロディーだけでも記録されてい残っていると今回の校歌CD作成のように、将来、音として再現可能である。
 続・金谷両先生に実際に各応援歌を歌ってもらい、採譜することにより、各応援歌本来のメロディーを楽譜として記録に残す。
2.歌集には、新旧校歌のほか当時の在校生に持たせていた生徒手帳に記載されている応援歌及び忘れられている逍遙歌(敗戦歌)を加えて7曲を楽譜として記載する。 
(先日、現在在学中の生徒に配布されている生徒手帳を参考に見たが、応援歌の記載は私が勤務当時の生徒手帳と変わっていない。遠征歌は作詞作曲が記載されているが他は作詞者作曲者が全く記載されていなかった。また、新制高校になってから作られたと思われる讃歌の作詞作曲者も不明である。

 以上が「校歌・応援歌集」作成の経緯であり、歌集としての楽譜を記録することを主な目的としたものである。

 平成元年夏に作業に入り、両先生に数回にわたって歌っていただき採譜し、更にそれを私が歌って確認するという作業を数回おこない、11月に楽譜として完成しました。
 ところが、それを印刷するにあたって財源が無く、加賀校長に相談したところ、同窓会で出版をするという名目で印刷費を捻出することとなったのです。それで、歌集の編集後記にも書きましたが、発行能代高校同窓会となった次第です。印刷代5万円(一部50円×1千部)の援助を得た訳です。

 新年度(平成2年度)4月早速全校生に配布し応援歌練習に活用してもらい、更に翌年の新入生にも配布しました。
 それ以降も同窓会で印刷し在校生や新入生に配布していただくよう同窓会会長にも了解をいただいておりましたが、私が転勤となり、当時の応援団顧問や音楽の後任との引き継ぎがうまくいかず、続けて印刷配布の予定は中断したような具合になってしまい、残念に思っておりました。当時の顧問や音楽担当者は同窓生ではなかったので、このことにはさほど関心を持たなかったせいもあったと思います。
 そうしているところに、今回同窓会ホームページを拝見し、応援歌のページに私が作成した歌集を活用していただいていることを知り、早速このことをお知らせしたく連絡した次第です。
 なお、当時の応援歌練習に役立てようと、私の歌ったモデルテープを数本作り、年度初めの昼休みに応援歌練習の役に立つように校内放送で流しました。そのテープが1本手元にありましたので、これも参考にお聴きいただけたらと思います。

 以上、私と同期の小林勝平氏に依頼して資料提供いたしますのでご了解ください。

 追伸:(1) 歌集には逍遙歌も掲載しましたが、当時生徒たちは全く歌うことがなかったのでテープに録音しておりません。
 追伸:(2) 今後再発行の機会がありましたら、作詞・作曲者や旧制中学の寮歌等明確なものは掲載したほうがよいと思います。
 

(本人の承諾を得て掲載しています −同窓会ホームページ作成担当−)


2006/6/10(土)
平成18年度の生徒手帳について
同窓会副会長(30期) 工 藤 茂 宣

知人の子供さんの生徒手帳を見せてもらいました。

(1)
応援歌・遠征歌 潮騒さゆる北海の について (手帳60頁)
二宮 雄 作詞 となっておりますが、
来年度からは
二宮 雄 作詞 に訂正して下さい。
二宮 雄先生は旧制第四高等学校(金沢)のご出身で、能中では英語の先生でした。先生は、この応援歌を作詞するに当たり、ご自分が四高で作詞したつぎの2曲から2句をわが校のこの応援歌に入れております。
@ 寮歌「あゝ幽冥の」(大正12年作)からは 潮騒さゆる北海の を入れている。
A 応援団遠征歌「滄溟千里」(大正12年作)からは
 誰かとゞめん若人の 嵐に向かふ熱血を を入れている。
なお、作曲者の 山上 可也先生は、能代浜に一升瓶を持って行って飲みながら、潮騒を聞きつつ作曲したとのことです。
(2)
戦わん哉 について (手帳61頁)
久喜 威夫ほか 10期生有志作詞 となっておりますが、
来年度からは 校歌と同じく(戦後一部改詩)を挿入してください。

久喜氏は手帳を見て、3番の「輝く覇業をなさん哉」の覇業を非常に嫌っております。「覇業は」は、人の道に背いた力ずくでの征服の語意、語感があるからです。
久喜氏曰く「どうして旧歌詞の『制覇』を『覇業』に変えてくれたのか。恥ずかしい。出来れば手帳に旧歌詞を載せてもらいたい」と。
工藤は、生徒手帳は小さく校歌でさえ旧歌詞は載っていないので、無理と思います。以下の2の(1)「同窓会開催時の冊子」の項(このホームページには載せていません−同窓会ホームページ作成担当−)で久喜氏のご不満を解決した方が良いと考えます。実行されれば工藤から氏に冊子を示して納得して戴くつもりです。
(3) 校章について
「〜。〜。〜、昭和23年9月23日に制定される。」のつぎに、
来年度からは、「19期生菊地哲雄デザイン。」を入れるべきと思います。

(本人の承諾を得て掲載しています −同窓会ホームページ作成担当−)