最新の更新 2007/3/16

2007/3/2(金) 卒業式

77期生の卒業式。

私は校門付近の写真を撮影しただけで別の学校に向かったが、今日も昨日と同様白神の山並みが素晴らしかった。

   

第77期卒業生は277名。今日で卒業者総数は19,651名となった。

卒業式の式次第は  (この内容も年によって違いがあるかもしれません。皆さんの年はどうでしたか)
  1. 修礼
2. 開式のことば
部活動の祝福風景
3. 国歌斉唱
4. 卒業証書授与
5. 賞状授与(皆勤賞)
6. 校長式辞               
7. 祝辞
8. 送辞
9. 答辞
10. 唱歌(蛍の光)
11. 校歌斉唱
12. 閉式のことば
13. 修礼 (このような写真をお持ちの方はお知らせください)

卒業式の写真をいただきましたので紹介します

 

 この胴上げ写真(バスケットボール部員)を掲載したら、 
東京同窓会のブログ 「いつかの同窓会」で胴上げは恒 
例なのかとの質問がありました。

 そこで昔のデジカメ写真を探しました(フイルムを探すの 
は面倒だから、撮しているはずですが、それ以前には遡 
りません)。

 2000年3月2日には硬式野球部だけが胴上げをやって 
いました。

 この看板は今年と同じものです。年に一度しか使いませ 
んから普段は倉庫に保管しているはずです。

 同窓生の中には、自分の卒業式の時に、祝辞を話す人の多さと長さに辟易した経験の人もいるでしょう。最近は祝辞はPTA会長さん一人だけだと思う。

 生徒のほとんどが目標としている(と私が思っている)皆勤賞受賞者は今年は44名。これは資料が残っている21期生(昭和26年3月卒)以降で第4位の記録だ。(詳しくは能代高校ホームページ参照)

 第1位は75期の58名、第2位は74期の53名、第3位は36期(昭和41年3月卒)の47名。なお第5位は70期(平成12年3月卒)の43名。

3月3日の北羽新報の記事によると、

 式辞の中で井上校長は「豊かさたるゆえ混沌とした社会だが、皆さんは夢は大きく、高い志を持ち、豊富な知識と数多くの人と関わることで広い世界に大きく羽ばたいてほしい」と述べた。金谷哲PTA会長の祝辞、生徒会長の送辞に続き、前生徒会長の石田裕丈君が、能高祭や部活動、十里強歩など充実した高校生活を振り返り、支えてくれた教職員や家族への感謝も交えながら、「この3年間、多くのことを学び、大きな財産となった。校訓の至誠力行の下、多くの友と取り組んできたことは忘れない。これからも私たちは夢実現のために進んでいく」などと力強く語った。 

また、このようにも書かれている。

 「奮え松陵我が健児」と校歌を歌いきるころには、ハンカチを目に当てる光景も広がった。式典後、各クラスでの“最後の授業”では保護者が見守る中、恩師から1人ずつ卒業証書を受け取ったほか、生徒1人ひとりが将来の夢や高校生活を振り返っての感想などを発表したりと濃密な時間を過ごした。

 学校によって卒業式のやり方は違っている。私が出席した鷹巣高校の卒業式の様子を紹介しよう。


2007/3/1(木) 同窓会入会式

 今日3月1日は同窓会入会式が行われました。同窓会入会式は卒業生が入会するのだから、卒業式後に行われるのが当然です。昔はそのように行われていました。卒業式終了後、在校生が退場した後に卒業生と同窓会関係者が残って入会式を行っていました。

 学園紛争が多発した頃、卒業式の短時間化をねらって、優等賞や部活動功労賞などの授賞式や他団体からの伝達表彰も前の日にしたのです。そのため卒業式の名称も「卒業式」から「卒業証書授与式」変更した高校がたくさんありました。

 本校の場合は昔から皆勤賞以外の賞はありませんでした。だから「卒業式」の名称は変更しませんでした。しかし、同窓会入会式が卒業式の前日に行われることになったのが何年からなのかは調べたことがありませんでした。

 本校の卒業式は3月6日が恒例でしたが、現在は秋田県の公立高校は3月1日から3日までの間に全高校の卒業式が行われます。能代地区では能代北と二ッ井が1日、能代と能代西が2日、能代工業と能代商業が3日です。

最初に同窓会長のあいさつ 続いて同窓生激励の言葉

 同窓会入会式はいつの頃からか当番幹事が担当しています。手元にある記録では平成10年度に23期生が入会式を担当し、その後毎年次の期が担当、従って今回は31期生の担当です。同窓会長さんのあいさつに続いて31期の高松和夫氏が激励のことばを話しました。

 この2枚の写真を掲載して気が付きましたが、壇上の白い台には盆栽の松が載るのだと思いますが、まだ準備されていませんでした。盆栽は明日の卒業式の朝に運び込まれるのでしょうか。

 入会式終了後、3階会議室で松陵会入会式が始まるのを待っていたら、窓の外には自在の像の遥か遠くに白神の山並みが広がっていました。3月1日なのにこんな風景は珍しい。今年は雪だけでなく雨も少ない。白神山地も山並みのいただき付近にしか雪がないのは5月の水不足が心配される。


2006/7/28 校友時報の最新号(第269号 2006年7月21日発行)に「青春の碑 能代高校の記憶」というコラムが載っている。
コラム本文は、

 昨年本校は、創立80周年を迎え新たなる歴史の一歩を踏み出した。それにちなんで、今年9月に以前本校が建っていた樽子山(現在の文化会館)にある「青春の碑」に新しく碑文が設けられることになった。
 「青春の碑」とは、大正10年の創立から昭和49年に現在の高塙に本校が移転してくるまで50年間、約1万2千名の同窓生を見守ってきた思い出の地に、昭和57年「多感な青春時代を過ごした思い出深い学舎の地を、何らかの形で残そう」と19期生中心の発案で同窓会によって建立されたものである。
 このような能代高校の歴史と同窓生たちの熱い思いのこもった「青春の碑」を、生徒の皆さんは一度でも見たことがあるだろうか。ないのであれば、ぜひ足を運んでみることをお勧めする。

 能代市文化会館や市立図書館にはよく行っているが、「青春の碑」に目を向けたことはほとんどない。そこで写真を紹介しよう。

撮影2006/7/28 朝の散歩で旧能代高校正門下に行ってみました。 坂を上っていくと
右写真正面奥に文化会館が見えてきます。 正面松林の下に「青春の碑」があります。
樽子山 旧校舎前の「青春の碑」 2006/7/28撮影
9月の創立記念日までに、右奥の白い石に碑文が彫られるのだろうか
右奥の建物は保坂福祉会館。この場所に昭和36年に独立図書館が建てられた。

同じ「青春の碑」を1999/5/24に撮影したもの 校章は埋め込まれていない

2006/7/27 高塙の能代高校に同窓会担当教諭との打ち合わせに行く。その時に写真を何枚か撮影。

国道7号から能代高校へ
昔の道路から入ろうとするが「正面は←」の指示
正面の写真は高校の公式ホームページ
昔の道路から入ったのは自在の像が・・・
見えるはずだったが、見えない、どうした???
樹木の間からようやく自在の像が見えた ようやく自在の像が見える場所に
自在の像の下には新しい標柱と樹木 「青春の回顧」の記念植樹は2本
標柱を読むと平成18年3月1日に行われた
第17期生の卒業証書授与式の記念植樹だ。

 このあとグラウンド脇の松林の成長した様子を見に行く

平成初年まで自転車置き場があった
第1体育館東側は駐車場となっていた
創立60周年記念事業としてクロマツ1150本
昭和60年5月20日植樹 記念碑が正面に見える
第1体育館北側のクロマツもこんなに成長 陸上競技場後ろのクロマツもこんな高さに
クロマツの大きさを理解するには比較物が必要
校地隣には団地が出来ている
デンコードー駐車場からクロマツ林を撮影