『人と自然の豊かな関係』
見 城 美 枝 子
みなさんこんにちは。ご紹介頂きました見城です。
この度は石岡さんがすばらしい賞をお取りになりましたけれども、実際に朗読で聞かせて頂きまして、また新たな感動をいたしました。石岡さんをはじめ、本当にみなさんおめでとうございます。
先程、人と自然の豊かな関係というのをそのままに体現して下さった。表現して下さったなと思った八森小学校のみなさんには、また、感動いたしました。なかなか、今の子供達は文章にしていくということが苦手のようでして、「コツコツと自分達が考えてることをまとめていく。」ということを、あんなに立派にやって下さったので、「日本はまだ夢がもてる」とそのくらい本当に感動いたしました。きっと先生方が大変な努力をされたんだと思うんですけれども、さらに、白神ネイチャー協会の方々がご指導されたということで、まさに人と自然の共生というのでしょうか、そこにはやはり、誰か人がいることがすごく重要なんだと思いながら、発表を聞かせて頂きました。
今日は、大賞、優秀賞、佳作の方々にお出で頂いていますが、私も審査をさせて頂きまして、本当に責任を感じているんですね。みんなほとんど同じくらいにすばらしい。「自分が点をつけたその1点が、ほんのちょっとの差になり悩む。」ということで、差がつけられないことがたくさんあるんです。けれども、その微妙なところから、大賞になり、優秀賞になり・・・と差になっていくんですが、どなたも本当に力作だったと思います。そのような審査をさせて頂いて、私も良かったなと思っています。
明日、白神山地に伺うことができますが、これも念願でして、実は、私、山は嫌いなんです。先に言っておきます。仕事柄色んな所に行くんですけれども、どうも山はダメなようです。キリマンジャロに行きました時に、4000mの所でひどい高山病になりまして、“あ、向いてないんだ”と思ったんです。けれども、トレッキングシューズから、装備は全部持っているんです。リュックなどは本格的な物、寒くても大丈夫なように上着類なども何枚も購入しまして、格好だけは一人前なんですが・・・。キリマンジャロで本当に死ぬ思いをしまして、『あたしは山はだめだ』という思いが一つと、以外に町育ちというんでしょうか。ダメなんですよ、アウトドアライフというのは。「どうぞ好きな人がやって下さい」というほうで、今の時代からいくと少し遅れているかもしれません。つまり、時代に合わないかもしれないんです。ある程度作られた中でなければ生きて行けないというところの貧弱なところがあるものですから。逆にすくすくと、八森小学校のみなさんのように、『身近な所でちょっと神社に行けば、ブナが生命力を教えてくれる。』というような暮らしをしている人を見ると、“全然、私の方は弱いな”とこういう気持ちなんですが、ただ気力だけはありまして、とにかく楽しみです、明日。
それで、私が高山病にかかってしまった理由は、実は徹夜明けで行ったからなんです。それで、実に人の身体は正直なんだと思いました。眠らなければダメなんですね。私の場合は忙しいものですから、家に子供が4人もおりまして、海外に行くとか、取材に行くとかという時には、前もってやることが本当に一杯ありまして、それをやって、やって、やって、さらに原稿を4つ、5つ、6つと徹夜、徹夜で書いて、“飛行機の中で眠ればいいや”というぐらいの気持ちでキリマンジャロに出掛けましたら、やっぱり人間の体というのはそんなに騙すことはできませんね。
向こうに行きました途端に、タンザニアに入るのにも、ケニアに行ってからケニアからさらに、なんと車に乗ってタンザニアに国境を越えて行くという。テレビなどで見ますと、取材のある部分の格好いい所だけが出るんですけれども、実際は体力勝負です。普通は、ちょっと聞きましたら「ケニアから飛行機で“ぽん”とタンザニアに行けば良かったのに」といわれる所をガタガタ車で行って、寝ないで行って、寝られると思ったら、また車に乗せられ、着いた途端に「明日の朝すぐにキリマンジャロに登りますから、荷物まとめて」と言われて、持っていったトランクの中から山登りの物を出して、山登りの格好をつくって、また寝ないで行ってしまったと。まあ、そんなことから私が山に弱いというのは、一つは都会型の、自分の身を磨り減らしても、乗り継ぎ、乗り継ぎで間に合うような、自然とは反する暮らしをしていて、そのまま“ぼんっ”と大自然の中に行くものですから、「大自然の方から『そんな甘いもんじゃない』と拒否される」というか、『このまま大自然をナメてかかったら、あなた本当に命なくなりますよ』ということを、私はキリマンジャロで言われた気がします。
それというのは、行く前に私の知り合いのお医者様から「あなたは仕事だと命を懸けてしまうところがあるから、ギリギリでも行ってしまうという人だから、山の怖ろしさを分からないだろう。山はそんな人間に優しくないから、ギブアップすることを常に自分に言っておきなさい」そう言われて行ったんですね。それで山に登ったんですが、途中気持ち悪くなって、すごい状況になるんです。グワングワンと頭が割れるような、酸欠状態になりまして、本当に“死ぬというのはこういうことか”と思うほど、頭が割れるように痛いんです。でも私が「頭が痛い」というと、ディレクターは「明け方から撮影しようというのに・・・!」というと思いますから、グーーーッと我慢していたんです。けれども、“ぱっ”とお医者様の言葉が浮かんで、ギブアップ一歩手前で、酸素ボンベをもらおうと思って「サッ、酸素ボンベを・・・」といったら、驚いて酸素ボンベを下さって、それをスーーッと吸うと、ハアーーッと生き返るんですね。それでその間は『これでいこうかな』って、思うんですけども、そのときにお医者様の言葉で「その状況で登ったら、頭の中が破裂してしまって、一生ダメになるか。人間は脳がダメになると動けないし、考えられませんから、そういう植物人間になってしまうか。死ぬかどっちかだから。そういうふうな状況に陥った時。その時はギブアップ。あきらめなさい」という言葉を思い出しまして。『でも仕事はしなくちゃならない』と、酸素吸っては考え、酸素吸っては考え、それで結果として起きあがって、“なんとか登る所を撮らなきゃならない”というので夜明けに起き出して「大丈夫です」といって登ったんですね。その後、テレビで自分の姿を見ましたら、顔が大変なことになっておりました。『気圧の違いでこんなになるのか!』というくらいでしたね。それでも何とかキリマンジャロには登ったんですが。
そういうことで、私は、人というのは本当に自然を手なずけることはできないし、騙すこともできないし、これから便利に、便利に効率よく、一分を争うようにして「ハイ、こっちからこっちへ」と動きながら、“寝なくても少々体がもつ”なんて都会の中での暮らしをそのままに持っていけば、『完全に拒否される』ということですね。それで自然が教えてくれたことというのは、とにかく自然に従うっていうんでしょうか。自然をねじ曲げてでも自分の時計で動こうとした私が負けたわけでして、それが不思議なことに、何とかかんとか這いつくばって登った後で、撮影が終わって車に乗って、キリマンジャロを後にし始め、スーーッと普通の町へと戻るにつれて、嘘のように頭痛が消えてしまうんですね。本当に、『私は平地で生きている人間なんだ』とそう思いました。
その中で今日わずかな時間なんですが、自然と人が豊かな関係をつくっているということを、少しお話させていただきます。
タンザニアに行きました時に、マサイの方たちの集落に1週間ほど通いました。それで、今日は小学校のみなさんもいらっしゃるし、教育関係者のみなさんもいらっしゃると思いますので、自然の話プラス『学ぶ』ということと『教育』ということを交えながら話しますと、マサイの人達は実は長老から学んで生きてきた人たちなんですね。ですから長老が何もかもを知っていて、ちょうど小学校4、5年の歳になると、男の子は長老から、草がどういう状態だったら牛がおいしく食べるのか、それを長老が草原を見て、「今日はあそこに行きなさい」と。風を見ては、「今日は風がこう吹いているから、こっちの草原に行きなさい」というふうに全部長老が教えるんです。それで男の子は牛を飼うということを学び始めます。そして、女の子はどういうことをやるのかというと、手仕事をお母さんたち、集落の女性たちから学んでいきます。
それだけだったら“試験がなくていいな”と思うかもしれませんが、生活の厳しさというのは、水がないと人が生きて行けないのです。私たちは水道というものに慣れてしまって、“まずい、まずい”なんて文句を言いながらも、水道のあるありがたさも忘れているんですが、マサイの人たちにお会いして『おいしさなんて以前に、水一滴がなければ生きていけないんだ』と実感したんです。子供たちは牛のことを学びながら、ほかにやることといったら、牛のフンを集めることで、ふろしきのようなものをおでこに掛けまして、体型が日本人の私達とちょっと違っていて、お尻がポコンと出ているスタイルなので、おでこから掛けた布が“ちょうどお尻の上に載る”というような格好で荷物を運ぶんです。それで、牛のフンをどんどん集めていくんですが、『ウワッ』って思うでしょ?。あのベチョッとした感じだと思っていたら、それが大間違いで、気候は乾燥していますから、わらくずのような感じになってる。それを一人がどんどん、どんどんと入れていく。もう一人の女の子は、大きな壺と小さな花瓶のようなものと、誰か観光客が置いて忘れていったのかなと思うような、アルミニウムのようなものでできているコップ。そう、昔、歯を磨く時に使ったような、少しペコンとへこんでいる、日本だったらその辺に捨てられてしまうような。まぁ、今は日本もリサイクルの時代ですから、そういったものもいい加減に捨てなくなりましたけれども、日本の誰もがそんなものを使おうと考えないような程のひどいコップ。それを小さな瓶と大きな壺と一緒に持っていくんですね。
それで、どうするかと思ったら、井戸ではなくて、5mぐらいの穴があるんですね。「ええ?!」と思って覗いたら、階段がありません。何かボコンボコンとある。そこを、毎日何度も何度も降りやすいように、登りやすいように人が行き来するものですから、階段のようにボコンボコンとできたんです。私が入ったらツーッと行ったまんま、上にあがってこれなくなるくらい、ヌルヌル、ツルツルしているんですが、女の子は器用にタンタン、タンタンと下まで行く。それで、よーく見たら、泥水が少し残っているんです。それを、なるほど、なんでコップだったのか?。それで泥水をすくって、入れ物は、なんで壺ではないのか?。壺は上に置いてあるんです。なぜかと言ったら、泥水を細い花瓶のようなものに入る。それだったら上まで持ってこれますから、それで上がってきて、壺にあけて、また下へ行って、またすくって、あけて・・・と、壺を一杯にするのに5、6回も行っては帰ってを繰り返す。それを何人もの子供がやるんです。それが水汲みの仕事でした。
これまで、アフリカには取材で何度も行く機会がありまして、そのときには呪術師といわれる人、ウィッチドクターとも言いますが、ーウィッチ=魔女とか魔術師っていう意味でー、それが、お祈りをやったり、占ったり色々する人で、その昔であれば木の枝を折ってですね、土をトントンと叩くわけです。それで「ウーン」とお祈りした後、どういうことが起きるかというと、「ココ」って言うんです。「ココ」って言ったその場所を掘ると井戸になるんです。水が出てくる。それで、私なんかが見てても「あーなるほど」と。「呪術師は水の道を知っているのか」と感じるほど、呪術師が指した「ココ」は大抵は井戸になっていました。
それが最近、呪術師とか、呪い師が、仕事があがったりになってしまったんです。というのは、いくらお祈りして「ココ」と言っても、出てこないんですね、お水が。それで呪術師は困り果ててるワケです。そこで、誰かが水をちょこっと出した所をみんなで一生懸命掘っていくものですから、5m程の井戸になる。それはみんなが水をすくってすくって、また掘って、水をすくってすくって・・・としてるうちにできたものだったんです。で、どうしてそんなに水がないんだろう?と、よく日本からも海外青年協力隊の人達が行って、井戸を掘ってきたりしますが。でも何でそういうふうにしないと、呪術師の仕事では井戸が見つからなくなったのか?。
それは、私達が泊まる所に帰ってからわかりました。私達が泊まったロッジは、ンゴロ・ンゴと言いますけれども、自然に出来た、動物の天国のような場所なんですが。そこは、あらゆる動物が暮らすのに、全部、自然の恵みがある所で、既に絶滅の危機にあるクロサイ、クロヒョウ、みんな私は見ることができました。そこは見事に生態系が共存できるように残っているんだそうです。人が造ったんではなくて、自然が造ったクレーターの中に、水辺には水があり、色んな食べ物がある。そこにあらゆる動物が、自然の動物園のようにいるものですから、食物連鎖のサイクルも充分にできている。動物が充分に生きていけるという、今、世界でも珍しい場所なんですね。ですから、そこにすぐ行けるように、大きなロッジができているんです。そのロッジには、日本からの観光客はもちろん世界各国から観光客が来ていて、ロッジのラウンジではコーヒー、紅茶、お水が飲み放題になっていて、好きな時に飲んで下さいと。お部屋に入れば、いつでも熱いシャワーを浴びたり、バスタブにお湯を張ってお風呂に浸かることもできます。それで、戻って気が付いたんです。『あー、きっとここで全部吸い上げているんだ』と。そのとおりで、ロッジの近くで、すごい勢いで水を吸い上げているんですね。それは、観光客がここで豊かに暮らせるようにとつくられたものなんですね。それでは、夜になると宴会のようなものがあって、観光客は気分いいわけですよ。
しかし、特に私はマサイの人たちに1週間会いに行っていたものですから、胸が痛んで痛んで・・『こういうことで、結局水がなくなったんだ』と。それなのにとってもフレンドリーで、涙が出るような温かさと言うんでしょうか。私たちが大変な思いをして取材をして、ノドがカラカラになっても、自動販売機なんてありませんから、『いや〜、ホテルに帰るまで我慢かぁ』なんて思っている時に、マサイの方たちの別の集落の所で、「ここにちょっと寄ったら、お茶ごちそうしてくれるかもしれないから」って言われたんです。それで「エー、水道もないし、大丈夫なのかな?」と思ったらそこの少女が「ちょっと待って下さい」といって、真っ暗い、電気もない小屋の中で、こちらはしばらくトリ目になってしまっているものですから、何があるか分からないんですよ。慣れてもよく見えないんですね。私たちの目は、自然から遠くなっていますから、暗くなるとすぐ電気をつける生活に慣れているものですから、暗い中で目がカッと動かないんです。それで何となく薄暗がりの中にいたら、ようやっと紅茶を入れてきてくれたんです。それがもう、甘くて熱くて、おいしーい紅茶だったんです。「あーおいしかった」といって飲み終わってから、『はて?』と、あの泥水で作っているワケです。それでも一生懸命濾して、沸かして、それに貴重なお砂糖を入れて甘い紅茶をつくってくれて、その一杯で私は元気になって、また、取材を続けたんです。
このように、貴重な水を使ってくれる。一方、片や湯水のように使っている。これは辛いものがある。私達は自然との共存と言いながらも、行った先がそういう環境ですと、否応なしにマサイの人たちに「悪いなぁ」と思いながらも、バスタブにお湯を張って、使ってしまうわけですよ。
取材の旅を続けていて、次に、別のロッジにいきました。そこで出会ったロッジは、小屋が点々とありまして、小屋毎に泊まるんですね。そこで言われたことは、「電気は8時まで使って下さい。8時になると全部消えますので、それまでに全てのことをやって下さい。真っ暗になりますから。」それから、私達は真っ白なTシャツを着ていたんですが、「洗濯するならせっけんを使わないで下さい。水が汚れます。」ということと「もし赤水が出て、真っ白いTシャツがあずき色のようになっても良かったら水で洗って下さい。でなければ洗濯はやめて下さい。」と。しかも「水洗は1回しか出ません。だからよく考えてして下さい。」といわれたんですね。「じゃあ、1回流してしまったら、この先どうするんでしょう?」と言ったら、「本来は困るんですけど、バケツ1杯の水を夜差し上げます。その水で翌朝までやって下さい。」と、こういうことをいわれました。“参ったなー”と思ったワケですよ。それで『シャワーは?』と聞いたら「1回限りだ」と言われて、『こんな不便な所でどうやって、朝、取材に出ればいいのよー!』という感じでいたんです。それから、数日、一週間から10日程そこにいたんですが、いる間にとっても気持ちが穏やかになってきたんです。便利なロッジにいる時は、少し猛々しいというか、『食べるものは食べて、飲むものは飲んで、使う物は使って、さっ、やりましょう!』という感じだったんですけど、そこにいる間にだんだん“自然によって活かされている”という感じになってくるんです。先程のおいしいパンの話もありましたね。大塚節子さんは本を出されていまして、私は確かお目にかかったことがあると思います。白神酵母でパンを作っている方で、何回かお手紙も頂いていて、本当にすばらしい方だと思っておりますけれど、ああいう素朴なパンが出てきまして、だんだん自分が、便利・効率がいい・文化とか文明とか、着ているものを全部脱いでいくような感じなんですね。そんな風に「あ、これはなくてもいいものだったんだな」と気が付くんです。「あ、これも大丈夫かな」と。つまり、「8時で電気が消える」といった時に、みんなで『ブーッ』と言ったんですけど、“それならそれで暮らせる”ということが分かる。ロッジの外にはベンチが置いてあって、そこでゆるやかに星空を眺めながら考えることもできますし、「あ〜、なんていい時間を頂いたんだろう」と思うんです。これが、ロッジなのに電気バンバン通っている所なら、すぐテレビとかつけてしまって、アフリカにいるんだか分からない感じになったでしょう。この電気のある時代に使えなくなってしまっても、人は生きて行けるんだと思いました。シャワーもお湯が出てこないんですよ。1回こっきりの水なんですけど、シャンプーも使ってはいけませんし、“それでも大丈夫だな”と、“かえっていいか”と思いました。それに『水、汚さなかったな』と思うんです。そんなことから、気持ちが落ち着いていく。出された自然の食事の中で、自分が食べられるものを選んで食べても、生きていけることが分かる。そういう中で、そこのロッジを経営している方と、フランス系の女性だったんですけれども、お話をした時に、「最初はみなさん不便だと言います。しかしなぜか穏やかになっていかれますよ。」ということを聞かされて、それで「水道から赤い水がでますよね。あれはどうしてですか?」と聞きましたら、「赤い水が出たら、それは上流でゾウが水浴びをしているんです。ゾウだって水が欲しいんです。ナイル川の上流で、ゾウが水浴びをした時は濁って赤水になりますから、赤水が出たときは“ゾウもシャワーかな”と、そう思って下さい。」と言われて、それから赤水が出ても『カッ』とならないで、『ゾウも水浴びかな、キリンも水を飲んでいるのかな』と、そういう風に思って過ごしました。
それからというものは、環境問題を考える時には、何でもある所から動こうとすると、やっぱり不便。“この不便をどう減らそうというのだ”と。人間はここまできてしまったら、“この不便は我慢できないハズだ”と。“だから不便の所には戻らなくていい”という、環境に取り組む一つとしては、そういう意見もあります。それから、“いや、できるだけいらないものを捨てていって、少々不便でも、もう少し贅沢な生活をしなくてもいい”という意見もあります。それから、このように石油化学製品で廻ってしまっているのだから、それをまた作り直し作り直ししながら、リサイクルしながら生きていけば、“別にこの高度な文明の中で、スピードを落とすことなく、自分の生活の質を落とすことなく、生きることができる”とも言われています。どれを選ぶかは私たちそれぞれにかかっているわけですが、私は“赤水”ということを『ふっ』と思い出して、『ゾウが水浴びして、私も水浴びして、結局、地球上ではそういうことなんたなぁ』と時々思い出すことにして、環境問題には取り組んでいます。
『学ぶ』ということの大切さでは、マサイの少女たちに会った時のことがありました。マサイの長老がなんでも教えていました。長老は、マサイの暮らしなら全てが分かります。それで、尊敬されています。だから三角形の一番上に長老がいるワケです。“高齢者を尊敬しましょう”とか“お年寄りを大切に”などという標語を作らなくても、マサイの人たちの暮らしには、トップに長老がいて、その次がいて、子供はみんなが育てていますし、子供達は朝、自分たちが出掛ける時、長老の所へ行っておじぎをすると、長老が頭を撫でてくれる。そうするとみんなすごく嬉しそうな顔をする、『ニコッと笑って』。それで、夕方に牛を連れて帰ってきた男の子たちや、水汲みをしていた女の子たちが帰ってくると、また長老が「いい子だった」と言って頭を撫でると、また嬉しそうに笑うんですね。こうやって、マサイの人たちの世界は出来上がっているんだと思いましたが、タンザニア政府の考え方で、マサイ族は遊牧して生きます、本来。ですから、マサイの人だけンゴロ・ンゴに入っていいということになっています。しかし、他の部族の人達は、動物を入れてはいけないことになっているんです。ただ、マサイの人たちの遊牧生活を優先させるために、少々のところまでは牛を連れて行っていいと。牛は人が改良してつくった家畜ですから、やっぱり自然の動物とは一緒にしちゃダメなんですね。ところが、その境界線まで行っていいというのはマサイだけなんです。そういう中で、ゆくゆく、マサイのような生活はもうできなくなっているんです。すぐそこまでコンクリートの町ができているんです。ですからアフリカのあらゆる国の首都は、嘘のようにビルが建って、アスファルトで、車が走りまわって、本当にもう都会です。それがどんどん迫ってきていますので、いつまでも遊牧の生活は無理だろうと。それから、タンザニア政府も税金が欲しいんですね。だから、住民税を払ってもらいたいんです。そのためには定着してもらおうと、定着政策をとっておりまして、マサイの人たちに土地を与えて、『ここに家を造って暮らして下さい』。そして、近くに学校を建てました。『子供を学校に通わせて下さい』と。そしたらマサイの人たちがなんて言ったかというと、「学校なんかに子供をやっている暇はない。もっとこっちで教えることがたくさんあるんだ。」と最初は言ってたんです。けれども、学校が「給食を出すからどうだ?」と言ったら、やっぱりマサイのお母さんたちも“アラ、1食助かるわ”ということで、子供たちを出すようにしたんですね。そこなんですけれども、私も家に子供がいるから分かるんですけれども、「勉強しなさい、勉強しなさい」って言うと「なんで勉強しなくちゃいけないの?。お母さんは勉強、勉強言い過ぎる!」って言うんですね。そういう時には家ではマサイの子の話をしましたけれども、こういうことです。
マサイの子供たちは学校に行くようになりました。普段“マサイ語”というのを喋っているんですね。マサイの人たちだけの言葉で“マサイ語”。それで、アフリカの全体は“スワヒリ語”という共通語がありまして、スワヒリ語を使っています。しかし、マサイの本当に古い人はマサイ語だけです。一般の若い子たちはスワヒリ語を話せますから、“マサイ語”と“スワヒリ語”の二つの世界ができているんですね。その次、みなさんと同じくらいの年頃(小・中学生)の子供たちは、学校に行ったらアルファベットを教えられています。アルファベットで、今、世界の共通語と言われています英語を学んで、英語で文章を書けるようになってきています。
少しずつ。学校にも通っているんですけど、ノートがないし、鉛筆がない。誰かが紙なんか捨てたら大変、すぐ拾われてしまうんです。日本の今の子供たちは、その辺に忘れ物をしても取りに行かないと言われていますよね。つまり、次の物があるから取りに行かなくても済むんですね。裕福だから。ところが、マサイの子供達は、鉛筆1本なくしたら勉強できないんです。だから、その鉛筆を、みんな拾ったり、もらったりしたら、どうやって生活するかって言ったら、どこからかヒモを見つけてきて、鉛筆に穴をあけたり、筋をつけたりして、しっかり針金のようなものを巻きつけるんです。そしてノートにしっかりとつけて、ノートと鉛筆が間違ってもバラバラにならないようにしっかり持って、ない子はそれを持っている子を羨ましそうに見てる。といった状況で、みんな必死に書いて勉強してくるんです。そして、学校から戻ってきたら長老が呼んだんですね。長老は4回結婚できることになっているので、一番初めの奥さんは、おばあちゃんくらいになっているんですね。次の奥さんはおばさんくらいで、その次はお姉さんぐらいで、4番目の奥さんは「うそっ?!」と思うくらい若かったりするんですけれども、それを『いいな』って思うかもしれないですけれども、4人分、平等に愛して養わなければいけないってことがあるから、けっこう大変なんですけれども、つまり、孫みたいな子がいるわけです。長老がひとりのきれいな女の子を呼んで、「この子は頭が良くて学校でも評判で、自慢の子じゃ」と言ったんです。その子に長老が、もちろんマサイの言葉で「学校で習っているんだろ?名前も書けるようになったんだろ?書いて見せてごらん。」って言うと、少女も目を輝かせて「書ける!」って言って、私に英語で名前を書いてくれたんですね。「まぁ、すばらしい!」と言うと、「色々勉強して・・・!」って言うんですよ。で、長老は目を細めて「良い子じゃ、良い子じゃ、かわいい」と言うんですよ。私はその時に、“ハッ”と思ったんです。
情報が、世界を動かすんです。情報を握る者がトップになるんです。情報を握る者が偉くなるんです。情報を握る者が政治をやるんです。ですから“ハッ”と思ったのは、この長老は気づいてないかもしれないんですけど、あと10年、もっと早いかもしれない。ある日、置いていかれるんです。マサイの集落も、福祉問題をやんなきゃなくなるだろう。つまり、「情報が長老から出ていて、みんなが尊敬する時代はこれで終わる。」と思いました。みなさんと同じような年齢(小・中学生)の子が、マサイ語はできる、スワヒリ語はできる、英語ができる。それから、パソコンも入っていくでしょう、パソコンもできる。突然、インターネットでマサイから日本へ、世界へ、全部情報はまわります。そうしたら、その長老はその女の子に、「今、世の中ってどうなっているんだ?」って聞くことになるんです。その女の子が教えることになるんです。ということは、教える人の方がトップに立つんです。ですからヘタをしたら、今まで上手くできあがってきたマサイの集落の高齢者、年を取って知識のある人を敬うってことが、知識が逆転しますから、ゆくゆく、年取っていく人が、日本の今のような高齢化社会をどうやって支える?なんて言われて、“長生きしたら邪魔かしら?”って思うような、もしかしたらマサイの人たちも、そういう世界になるかもしれないんです。
だから、『学ぶ』ということは、すごいことで、私はその集落を見ていながら、なるほど教育というのはすごい力なんだと。教育は世界を変えてしまうんだ。いい意味でも、悪い意味でも変えるかもしれない。だから教育が入っていくことによって、マサイの人たちも福祉国家をつくらなくちゃいけないかもしれない。そうするとマサイの人たちも“やれ、積み立てをどうする。国民年金が・・・”などと、『私たちと同じようなことになるのかな?』などと思いながら、『学ぶ』ということに、日本の子はあまりにも気が付いてない、親も気がついてないと思うんです。しかし、『学ぶ・教育する』ということは、情報をその子が握っていくということなんですね。ですから、大変な力になると思いました。
そういう中で私自身は、本当に東京のど真ん中に住んでいますが、先程、ブナの水を吸って生きている。というお話ありましたが、私もささやかに自分の家の庭に、ボウカシがダーッと植えてありまして、ヒメシャラっていうシャラの木が好きで、1本植えてあります。これは3本目なんです、枯れてしまって。なんとか1本目は、何年かしたらみごとに花を付けてくれたんですけれども、ある日突然枯れてしまいました。2本目を植えたら、これはダメでした。3本目は、今度はちょっと小さい木で植えましたら、なかなかつぼみも何もつけないので「これはシャラじゃないんだ・・・」と思ったんです。けれども、一生懸命、私の環境は、自分の家の生ゴミを家から出さないようにということで、電気の乾燥機を買って乾燥させています。そうすると、一週間の物が一握りぐらいになるんです。それを植木や木の周りに肥料としてあげて、お米のとぎ汁は、7人いますから一升炊きで、子供達も和食で育ててますので、一生懸命とぎます。お米のとぎ汁は水を汚します、栄養化で。栄養が高すぎるので。そのお米のとぎ汁はシンクから流さないで、面倒でもバケツに取って、毎日庭の木に順番にあげていきます。そうしたら、3年目にしてつぼみらしきものが見えて、シャラの木に。それが葉っぱでしたら開いてきてしまうんですけれども、見守ってたら本当につぼみのまま大きくなって、嬉しいことに花を咲かせました。『枯れたのかなー?』と思って木の幹を握りしましたら、脈々と下から冷たい水が上がってくるのが分かるんです。それで私は、庭の木が元気かな?というのをみるんです。忙しいから、夜中になってしまうこともあるんですけど、必ず1回出て木を触って「ん、大丈夫。水がちゃんと上がってきてる。脈々と元気ね。」とこういうふうなことでやってます。それで、1つ枯れた植木鉢がありまして、見事な木で観葉植物なんですけれども。ダメかと思って、一度外に出したんです。でも、水はやり続けて、それでも『やっぱりだめだ、もう折っちゃおう・・・!』と思った時に、パッと持ってみたら、枯れたと思ったものに水が感じられるんです。ヒヤッとした。『もしかしたら枯れかかっている中で、水を吸い上げているのかもしれない』と思って、太陽に当て、水を与えていたら、難しい木だったんですけど、この間小さな葉を、根元から真っ青な葉をつけて、「うわー生きてたんだ。折らなくて良かった!」って思いました。やはり“育てる心”と言うのでしょうか。“一緒に生きていきたい。あなた死なないで欲しい、枯れないで欲しい”と思って育てた気持ちって通じるのかなと思いました。私の家は街中にあって、なかなか自然の懐に飛び込むまでには時間がかかるんですが、明日は秋田のすばらしい白神にちょっと身をゆだねて、そして写真もいっぱい撮って、今度、大学で学生に『すばらしい』ということを教えて、できれば青森大学の学生が電車に乗って秋田に来て、白神を散策してもらいたい。そのように、白神のすばらしさがみんなに伝わっていくように、私もやっていきたいと思います。
どうぞみなさんも、受賞された方も、これからもすばらしい論文を出して頂いて、みんなで日本中、世界中に、この会ができれば、世界中から論文が集まってきたらいいなと思うんです。応募作品が。そんな気持ちで夢を描いておりますので、みなさんと一緒に、自然と豊かに暮らしていきたいなと思います。本日は本当におめでとうございました。
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