花に水やるラブソング
 

私と結婚してくれませんか? と世津子は切り出した。

「急ぎたいんです、時間がありませんから」

 何をそんなに急ぐというのだろうか、裕一郎はそれでも見合いで知り合った世津子を憎からず思っていたのだし、いずれはそのつもりでいたのだが、いかんせん、世津子が「時間がありませんから」と思い詰める理由が見あたらない。

「いきなりですね」

 3度目の逢瀬、時間に換算すると出会ってから未だ2ヶ月だ。
 もしこれが「運命の出会い」というものならば、もっと燃え上がることも出来るだろうが、何しろお互いを知るには時間が足らず、かと言ってまるきりの「他人」とも言い難い。

「もう少し知り合う時間があってもいいんじゃないですか?」

 三十路半ば、裕一郎としても結婚を焦らないワケではないが、こうも急がされると何かがあるな、と疑わずにはいられない。
 案の定、世津子は下唇を噛み、俯いて先ほど捨てた煙草の吸い殻が仄かに燃え尽きるのを黙って見ている。

「理由は何ですか?」

 世津子は裕一郎よりも2つほど年下だ、高齢出産を心配しているのだろうか、しかし「高齢」と呼ぶにはまだまだ余裕がある、一体何を急いでいる?

「……私、一人で終わりたくないんです」

「はい?」

「ごめんなさい、今まで黙っていて。でも、一人で逝くのはイヤなんです、せめて誰かの妻として死にたいと思いました……ごめんなさい、私、間もなく死ぬんです」

 質の悪い冗談だ。
 そう笑おうとしたのに、声が喉の奥で引きつって出てこない。
 思い出すのは、食事の後に取り出された大量の錠剤、貧血なんです、という言い訳を素直に信じていたのが……もしかして?

「……ごめんなさい、私と結婚してください」

 今にも泣き出しそうな顔と声で、もう一度世津子は繰り返した。
 さて、どうしよう?
 
 

 正直、騙されたと思った。
 それは七年前のことだ。
 慶子が自分の知らない男と結婚する、と告げたときの感想が「騙された」。
 裕一郎と慶子の家は近所で、いわゆる「幼なじみ」という立場にあり、それこそ赤ん坊の時からのつき合いで、ゆくゆくは慶子と結ばれるものだと漠然と信じていたのが、呆気なく崩れた。

「祐ちゃん、あたし結婚するから」

 確かその時自分は、まだ資金が貯まっていないだろう、と間抜けたことを返したと思う。
 
「イヤだ、祐ちゃんとじゃないよ。大学から付き合ってる人がいるの、その人とよ」

 慶子は笑う。

 だって、祐ちゃんと長く一緒に良すぎたもの。何を考えてるかなんて分かりすぎるくらい分かってイヤになるわ、一種のナルシストよ、あたしたち。夫婦になれないけれども親友にはなれると思うわない?
 
 勝ち誇ったように微笑む慶子に、なにも言えず「おめでとう」と情けない顔で言ったような気がする。
 しかし、慶子は常に正しく二人の子どもを抱えた今でも、なるほど、親友というのは有り難いもので、旦那も「裕一郎さんなら仕方ないな」と苦笑して外出を許してくれるのだから、喜んでいいのやら悲しむべきなのか、それでも相談を持ちかけることの出来る相手は、慶子しか思い浮かばない。

「バッカじゃないの、あんた?」

 開いた口が塞がらないとはこのことを言うのだ、と慶子は怒る。

「誰でも良いってことよ、祐ちゃんでなくても、誰かと結婚できたら世津子さんはいいのよ、バカにするにも限度があるわ」

 衝撃の告白の後、事実を確かめようと翌日世津子の自宅へと出向き、両親から出てきた言葉は「申し訳ない」だけ。
 畳に額を擦りながら、鼻水と涙で顔を汚しながら、世津子の両親は「騙すつもりはなかった、せめて結納を終わらせてからと思っていた」と、何度も何度も裕一郎に頭を下げては「娘を見捨てないでくれ」と、まるで質の悪い客引きのように裕一郎に縋ったのだ。

「結納を終わらせてからって……もう正真正銘、騙しきるつもりだったんじゃいのよ」

「権利書、俺にくれるってさ」

 煙草をもみ消して、裕一郎はこめかみを指で押しながら「何て言ってたっけ」と思い出す。
 余りにも巫山戯た申し出で、笑いすらこみ上げてきたのは覚えているのだが、そのせいか、ほどんど忘れてしまっているのだろうか。

「ああ、そうだ……家と土地の権利書を俺の名前に書き換えるから……だったかな?」

 だから娘を見捨てないでくれ、家に帰ってこなくても良い、女を囲っても構わない、だからどうか娘と結婚してくれ、と泣いていた……と、思う。

「はぁ!? なによ、それ!!」

 素直に怒ってくれる慶子が愛おしい。
 喜怒哀楽を正直に表してくれる女に、何故ナルシズムの延長上にある恋愛を成就させてくれなかったのか、と詰め寄りたくなる。そして、裕一郎が未練を引きずっているのを承知で、気付かない振りをしてくれている慶子が有り難かった。

「まさか、それに乗ったんじゃないんでしょうね?」

「考えさせて貰うことにした……俺だって、社会的信用のために見合いをしたんだし、まあ、お互い様とも言えなくもないだろう?」

 三十路半ば、結婚歴も離婚歴もない男は胡散臭そうに見られる、そのための見合いだったというのに、まったく、宝くじが当たれば嬉しいものを、何故にこんなことに当たってしまうのだろうかと、溜息一つ。

「……受けちゃダメよ、祐ちゃん」

 心配してくれる慶子が嬉しかったが、現実は難しい。
 
 

 それから一週間後。
 事態は裕一郎が考えていた以上に悪化した。

 口火を切ったのは、こともあろうに実母だった。

「話を聞いたわよ、なんて不憫な娘さんじゃないの、減るもんじゃなし結婚してあげなさい」

 減るもなにも……その言いぐさは何だ?

「何かの縁よ、これは。あんた、結婚しなさい」

 大方の予想は付く。
 向こうが提示した、家屋と土地の権利が欲しいのだろう、全くもって欲深い。
 だが、正直なところ、その条件に心が動かなかった、と言えば嘘になる。
 財産がなにもしなくとも転がり込む、というのはまさに「夢」。それが一枚の書類で現実になるとして、だ。
 矢張り、プライドがある。

 誰とでも良い、と世津子は言った。

 その言葉を聞くまでは、同情であったとしても、結婚するのも悪くないか、と思っていたのに。

 誰とでも良い。

 じゃあ、俺以外にもっと自己犠牲できる立派な男を見つけなさい。
 俺はそこまでお人好しじゃあない、惚れた女じゃあるまいし、そこまで付き合うつもりなかったのに。

 なのに。
 お喋りな欲深の母によって、裕一郎は「余命幾ばくもない可哀相な娘さんと運命の恋に落ち、生き別れを覚悟で結婚する」という、三文芝居も此処まで馬鹿馬鹿しくないだろうと言う現実に立ち向かわなければなかった。

 少なくとも、運命の女、だとは思う。
 慶子にしろ、世津子にしろ、此処まで自分を振り回すのだから、間違いなく何かしらの縁があって出会ったのだとは思う。
 しかし、惚れているのではない。
 慶子には未練があるが、いつまでも引きずっている訳にもいかず、かといって世津子のために犠牲になれるほど強くもない。

 運命の女。
 それはもっと気高く、そして愛すべき存在だと思いこんでいた。
 だが、それは男を振り回すだけ振り回し、そして飽きたら捨てるのだろう、ボロ雑巾を捨てるよりも簡単に、残酷に、呆気なく。

 世津子をどう思っているのか、と尋ねられたら「何とも思っていない」と応えるしか仕様がない。
 それでも。
 それでも、だ。
 間違いなく、彼女は「あなたと結婚したい」と言い切れるほどに、裕一郎を望んだ。

 誰でも良いから、ではなく、裕一郎さんがいいのだ、と。
 

 青白い顔色をより一層白くして、ベッドに横たわる世津子を見たときに胸が痛んだ。
 急いで来てくれ、と世津子の両親に呼び出しを受けたのは、昨夜のこと。
 流石に夜中の呼び出しに腹を立て「明日、一番に出向きますから」と電話を切った。
 それを悔やむわけではないが、今まで袖の長い服で誤魔化されてきた腕の注射跡に気が遠くなる。

「……ごめんなさい、驚きましたか?」

 痛み止めを打ったのだ、と儚く微笑む世津子が悲しかった。
 何故、と。
 自分の死期すら見据えていながら、何故笑えるのか、何故、謝ることが出来るのか。

「いいえ……こちらこそ済みませんね、遅くなりまして」

 応えながら、なにやら笑いたくなった。
 こんなn他人行儀だというのに、自分を取り囲む人たちは、慶子を抜いて、裕一郎と世津子が結婚するのだと決め込んでいる。
 二人の間には、まだなにも無いというのに、だ。

 世津子が与えられているのはナースステーションにほど近く、それ故に、状況は楽観できないのだろうな、とぼんやりと考える。
 それなのに、世津子には酸素マスクも仰々しい機器類もなにも準備されていない。
 症状が良い方向へ向かっている、と楽観はどうしてもできず、ああ、手の施しようがないのだな、と切なくなった。

 上半身を起こし、枕を背に当てながら「見てください」と静かに世津子は寝間着の釦を外した。
 それを制止する間も与えず、するり、と腕を袖から引き抜き……「見てください」と悲しい笑顔で世津子は傷口を裕一郎に晒したのだ。

「……女じゃないです、私。こんな身体になってしまったら、女とは認められませんよね。でも、誰にも触れられずに、一人で逝きたくなかった……私、あなたの妻、という形で見送られたい……裕一郎さん、好きです」

 あるべきものが、ない。
 縦横に走る手術跡、柔らかな曲線を描いているはずの部分が、縫い目によって荒らされている、無惨な胸部から目を離すことが出来なかった。

 好きです、と告白されたところで。
 果たして自分のどこが気に入られたのか、そもそも、本当に俺で良いのか? そして、俺はそでいいのか?
 財産に目が眩んだワケではない。
 かといって、惚れているわけでもない、だが、同情ですらない。

 惜しい、と思う。
 もし、別の出会い方であれば、のめり込むように世津子に溺れることが出来ただろうが、健康を身にまとう世津子に果たして、この感情を抱けることが出来たであろうか?

「……ずるいですよね、私。こうすればあなたが逃げられないことを承知で見せました。でも、裕一郎さん、私に触ってくれますか?」

 頬に伝う涙はどこまでも美しく、裕一郎は惨い傷跡に口付けた。
 

 
 決めた、と告げると慶子は「馬鹿よ、あんた」と泣いた。
 馬鹿かな、と笑うと、「大馬鹿、救いようもない」と泣いてくれた。

 今まで世津子のために泣いてくれる人たちはいたが、誰も裕一郎のためには涙を見せてはくれなかった。
 もう一度「そうか、俺は馬鹿か」と笑うと、矢張り「こんな馬鹿な男、見たことがない」と背中を抱きしめてくれた。

 それでけで充分な気持ちになった。
 慶子は裏切らない、どんなことになろうとも自分を見つめていくれるだろう、例え、他の男のものであろうとも、身体は許してくれなくとも、間違いなく「運命の女」。
 そして、世津子も。
 彼女は儚くなってしまうけれども、死の瞬間まで裕一郎を思ってくれるだろう。

 中途半端な自分は、自分の出した答えをこれからもずっと後悔するだろうと分かっているけれども、だからこそ、静かに受け止めていくしかない。

「花にさ、水をやるような気分なんだ」

 泣きながら裕一郎は笑う。
 頭を抱きかかえられながら、裕一郎は笑った。

「育っていくのか、枯れるのか、腐るのか分からないけれども……そういうのも有りだと思わないか?」

 種を撒いたのは、遠い昔の慶子で。
 発芽を促したのは、消えゆく世津子で。
 どうなるのかなんて分からないけれども。

 枯れなければいい、腐らなければいい。
 どんな花が咲くのか、それまでは。
 それを見届けてから逝ってくれ。
 見届けたら慰めてくれ。

 この感情に名前が付くまでは、側に居て欲しい、と。
 
 

終わり



 
当初、考えていたよりも短く、そして中途半端に終わりました。
長くしようと思えば、どこまでも長くできるようなお話ですが、地味ですから、これ(爆)。

泣かせる話が書いてみたい、と思ったのですが、泣けそうで泣けませんね……一応、打倒連城!! という野望があったのですが、上手くできませんでした。

(ちなみに、日記の「即席小説もどき」で書いてた方が面白いような気がします(笑)。)

ずっと暖めてきたお話の一つ。
機会があったら、改訂版をやってみます。ちゅーか、書く(笑)。

そして、最後に。
実話です。

001209 理々子

モドル